桐壺巻は従来、次巻・帚木との連続性が薄いことが指摘され、池田亀鑑等の学界を代表する学者や与謝野晶子等から後挿入説が唱えられてきた。
ここでは、そうした従来の論考が、和歌の配置から客観的に裏付けられること、そうした先例もあることの意義を独自に論じる。
即ち、
以上から、本来は典型的・伝統的な男本位目線の帚木巻(女の品定めから始まる)が先頭であったところ、少なくとも浮舟巻を記した以降、物語を一通り書き終えた後で、桐壺巻を記し先頭に据えたと見るべきものである。
これまで記した内容を網羅的に説明したものとして、古事記の「上卷并序(上巻、序あわせたり。原文語順に注意)」として冒頭に配置する例がある。この場合も中身が明らかに後に書かれた内容だからといって、後に配置するのは著者の本意ではない。古事記ではそれが明示的に表現されている。
本物語では「序」という明示はないが、桐壺が後から書かれたことを前提にした場合、それをどこに配置するかについての著者の本意は、写本総体及び、物語の全記述をもって判定すべきものである(しかるにこの点が文献学説に理解困難なところで、同時期の枕草子の写本理論で混乱をきたしており、安易に作者を別々と考えるから説明がつかなくなる。源氏でも必然なく第三部の作者を娘と想定すべきではない)。
また、女性の先頭歌は、現状確認できる限り『大和物語』が最初であり、この点の重要性を認識する説は2024年7月現在ないと思われるが、これは桐壺巻の「亭子院の描かせたまひて、伊勢、貫之に詠ませたまへる、大和言の葉をも」という表現によって、象徴的にその重要性が表現されたと解すべきである。というのも、大和物語は亭子院の話を中核にしたもので、伊勢の御の和歌から物語が始まるのであるから(貫之も明示的に一段だけ出てくる)。
桐壺以外の巻で母桐壺の言及は、唯一12巻の須磨で「母君に語らふやう、桐壺の更衣の御腹の源氏の光る君こそ、朝廷の御かしこまりにて須磨の浦にものしたまふなれ」という説明調のものがある。ここではヒロイン通例の「かの」桐壺という表現がないが、一連の表現自体で「かの」の意味を表現している。つまり更衣腹なのに地方に流れても特別扱いという。こうして、とりたてて説明するタイミングもなかった内容を説明したのが桐壺巻と解する。
また桐壺巻のとってつけたような最後(光る君といふ名は、高麗人のめできこえてつけたてまつりけるとぞ、言ひ伝へたるとなむ)は、それを裏付けるものと言えるだろうが、こういう点は既に論じられてきたと思う。
以上の観点を包括すると、光る君・光る源氏の物語は、男性のための存在ではなく、女性のための存在と言え、それを最終的な配置として固めたことに、この桐壺巻の象徴的な意義がある。