源氏物語の和歌一覧。
現代語訳と歌い手を併記、対応関係を示し、本文と通じさせた。
795首中221首が光る源氏の和歌、紫式部による約130名の歌物語。
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以下多少の駄文、現状の言語解釈態度・はじめより我々はという日本的な学問理論的態度への苦言が続くので、興味も時間もない人は、上の目次から飛んでほしい。
原文と訳文は、高千穂大名誉教授・渋谷栄一氏による定家本校訂文と訳。それを当サイトで統合してレイアウトを整えた。
訳は通説的立場の一例なので、疑問のある所は自分で考える必要がある。
歌の心にあたる歌詞(客観的で厳密な対句)を赤、巻名の歌詞を緑(対にされており巻を象徴する歌の心)、古の心(狭義は転生・霊的理解、広義は引歌)にあたる歌詞を橙にした。この区分は貫之の仮名序「古の事と歌の心をも知れる人、わずかに一人二人」に基づくもの。
24巻・胡蝶の361が滝廉太郎『花』で参照される(その2番の曙はそれと対をなし、当然の古の心)。
画像は研究室の紫式部。
現状の理解は客観的対句の理解に全く欠き、目先の文言だけ見て理解したことにしているため、赤と緑の色づけだけでも画期的研究成果と思う。
が、それが認められることは、早くても数十年単位でないだろう。
「影」を光とする一致した通説のあからさまな曲解を、過ちと認めることもないだろう(これが曲解でないなら、この世に曲解は存在しない)。
自分から過ちを潔く認めないのも日本流。
どんなに無理でも、上位の有無を言わせない外圧ない限り、言を左右にし続ければ押し通せる(それが仕事、あるいは忠義?)と思う。
理の無理解。摂理・天道に対する謙虚さの欠如。その子供レベルの規範の実在を認めない。大和のような国の威信めいた国策がことごとく理性的と言いがたく頓挫する理由がここにある。
理は自分達の理屈ではない。自分達で決めれば正解になると思う傲慢な人達の理論・解釈はことごとく背理している。それについて国家的に無理解。
和歌の「影」は基本面影(物心両面の投影)。
それが字義に忠実で、当時の先例(大和物語)でもある(①月のおもしろかりけるに…月はめぐりていでくれど影にも人は見えずぞありける ②山の井に行きて影を見れば、わがありしかたちにもあらず)。
そうした影の心象性・非実体性の文学的表現を理解できない、即物的で縦割りで自分達本位の学界が意味を取り違えてきた過ぎず、辞書や教育者はさらにそれを受け売りしているに過ぎない。
影=光とする用例などない。自分達の頭の中にしかない。
こうして自分達本位で字義を曲げるのが、曲解で背理。
そのロジックは常に後発文献(自説)を根拠にする循環論法。自分達の観念論を当時の普通と思い、論述を重ねるうちに事実と混同して強化していく。それで理知的な貫之が女を装ったとか奇天烈なことを言い出す。これが日本的全体主義。
一国のみが知的基盤の世界観では、世界的知的バックグラウンドを持つ人の心を理解することはできない。自分達目線に矮小化して考える。それが源氏に限らない古文の理解。
国の根本的古典(竹取・伊勢は源氏絵合で源氏側でディベートされ勝利する)を大した内容でなく当時の普通と吹聴する人が、教育者にも少なからずいる国を他に知らない。奈良の九九表で昔の人は凄かったというのは、馬鹿にしているのだろうか。
古典を知的に重んじる国が先進国。
エリート層は、古の文字・文学に通じるのが学問的先進国。
しかしそういう文化を感じない。目先の知識を詰め込んでトップレベルと思っている(これが本来のをかしとあはれ)。
そうした受験生的認識の集大成で、国家的根本問題とは向き合わず、いらぬ問題を次々作り出し、頑張ってる感を出す為政に結実している。
日本が大国であったことはない。学問でも経済でも。有史来、先進国文化を享受し、天道天命から自分達の社会に合うよう改変してきた。世界的スタンダードとは違う。むしろ受け入れやすいよう本質を曲げるのが本質。受け入れやすいことを物事の本質と思う。
唯一大国の根拠とする経済も、米国の資本主義思想防壁として不沈空母化しただけで、その壁が崩れた直後日本の経済ははじけ飛び一貫して低迷を続け、米国はそれ以降一貫して超長期上昇トレンドで何十倍も時価総額を上げてきたことを、マクロ的理解力ある人は謙虚に受け止めなければならない。
すぐ貧富の拡大を言うのも、自国全体が隣国同様のじり貧なだけで、全体主義的な自分達が良い訳ではない。
近代・合理化は自分達のものではない、自分達で理論を考えてこなかった。F15をF15Jにしたようなもの。根本で与えられた力。根本理論は考えてない。根本的には今の考え方で問題ないと思ってるから。
そうして外国の目が入らない分野で合理的分析力・読解力が働いていると思えるか。
私には古文読解の在り方は、日本の政治態度そのままと思う。つまりいかにもまともに見せるが、根本的問題ほど全く向き合わず、不都合な部分は言を左右にして押し通す。
その象徴が、かな和歌理論根本の伊勢物語の在五初出63段の「けぢめ見せぬ心」。通説(大系・全集・集成)はこれを「分け隔てしない心」とする。業平の歌集たるもので著者は業平を思慕したのだという当初の間抜けた前提を維持するため。肝心の文面に根拠がなく根拠は自分達の解釈、それを事実と混同し、文言を曲げて押し通す、この循環論法が日本の国語教育理論の根本にある。
この国の言語認識は無法。学者は隣国よろしく世襲権力正当化を良識と思う。だから内実が空っぽの世襲と官僚が自分達は特別で何でもできると思う。
学ぶとは、言われるまま覚えることではない。それは学問のためにある。学問は疑問と問題を解決するためにある。世間的評価のため・それは問題ないと言うために問うのではない。
明治以降、昭和焦土化を経てなおそれを学ばず、問題を自分達にではなく常に外に見て思考様式に進歩がない。よって解決できない。世界も大差ないという。だったらその程度でいい。
古に通じようとする人は、観光だけではない先進国経験を求められたい。その経験ある人は一目置ける(官僚系ハーバードは実質観光)。
なぜ国外に通じない人が、世界的古典の核心を解説できる道理があるか。それは無神論者が聖書を解説した気になっているようなもの。
だから「幻」一字で幻術士とする、失笑レベルの即物的曲解の通説が大真面目にまかり通っている。
日本は霊的理解の先進国ではない。むしろ幼稚。なのでその自覚もない。大真面目な幻術士解釈はまさにその一例。
霊的理解が進んでるのは米国(次に英国)。理論トップ層にハーバード医学部長やイェールの医師など国家的トップドクターがいる。日本には東大救命医師がいたが本流ではなく(生え抜きだとまず存在しえないので特別な配剤)、理論的には英国系かつ皇室推し。
ハーバードには神学部があるが、東大に神学部があると危ういと思わないか。そこでなされるであろう立論動機・使命感の違いが、国家的精神理解のレベルの違いを象徴している(使命・宿命・天命などの理解)。
つまり何のために個々の刹那の人生はあるのかという根源的な問いに、どれほど向き合ってきたのかの違い。それは国のため、全体(勤務先)のためだというのが、最近までの日本流。
即物的技術論ばかりで、自前の精神論が根性論の国に緻密な精神理論など望むべくもない。それが幻術士解釈。源氏最後の幻巻は幻術士巻か。ありえない。
ありえないことをありえないと思えない、それどころか正とする。これが何でもありにできると思う無法で末法、つまり末期(終末)。
それはもう立ちいかない。押し通すことはできない。社会情勢でそれを感じないか。感じなければもうそれで結構。摂理(法の支配)はそういうもの。
そしてそれは日本伝統社会が編み出した良識によるのではない。日本の伝統権力保守層はうるさがるが、あらがうことはできない。守るとか守りきるといっても守れない。それらは言葉も左右にして守れない。それらが守るのは自分達。社会全体ではない。言葉はともかくそう行動して、結果もそうなっているだろう。なんちゃって近代国家化以降も、行動原理は国とり合戦のままでいるだけ。だからそれらにとって議論はどうでもよくて、ただ力関係で決まる。
795首は著者一人で勅撰歌集(千首程度)に匹敵、加えて自身の歌集と日記合わせて百首以上ある。これは万葉の柿本人麻呂・山部赤人クラス(なお万葉も、源氏物語同様、多数人の寄せ集めではなく別格の二人の師弟が立てた体系的歌集(男女と四季)と見なければ通らない。学説は後の時代の家持が編纂したと配置の意味を理解できずにみなすが、これが古文学界を支配する後を優先し、自分達の矮小化させた観念論で上書き定義していく本末転倒理論)。
和歌根本の万葉や伊勢物語の後の世の人定に従わせる全く筋の通らない認定が、他人事で放置され続ける以上、源氏の文言解釈もその延長にある。
日本古文学説の論理展開は、西洋化の波を免れ、肝心ほど旧来の頓珍漢な説を押し通すことが目につく。これをドグマという(自らは判断できないが、議論は尽くされ真っ当な正しい答えと思っているところが、戦中と同じ構図)。
勅撰歌集(=公文書=国や公的組織の文書)はほぼ常に妥当で大きく間違っているはずなどなく、それに反する個人の私文書(つまり当サイトのような内容)は間違っていると思う大政翼賛会レベル。これが日本的知的認識の基本線。これを刑事訴訟法の理論(もちろん輸入概念)で「予断」といい、こうした典型的な旧時代的思考様式が、東洋の根本的な学問理論的弱さの根本にあることを、ここまで読んだ方は身に付けてほしい。
本物語の枢要概念の「幻」一字が「幻術士」されて通用しているありえなさ(尋ねゆく幻もがなつてにても魂のありかをそこと知るべく)。
夢幻の世界をたよりにしてでも魂を尋ねに行こうと思う。それが「つて」は人づてのつてだから、「幻」一字で幻術士という奇天烈な理屈。これが即物。即物的理解で心を解せず、反動で字義を曲げる曲解。「つて」を「たより」にすれば通るものを、あえて「幻」を術士にするありえなさ。そんな人物など文脈で一切出て来ていない。それをありえないと思えないありえなさ。これが末法。自分達で決めれば何でも法になり正しくできると思う、それが無法。
長恨歌長恨歌というが、そちらは「道士」としかない。それとも何か、「道」とは「幻術」か。現状の解釈はそうではないか。道をおさめました。はいそれは幻術です。なめてるのか。全体主義的・暗記主義的に思い込んで文脈の独自性を考えない。幻術で亡き妻の思いが慰められるか。馬鹿にするにもほどがある。
無神論者が本気でバイブルの詩句を解説できると思う類。
彼女の最も近い心の人が最も説明できると思うのではなく、最も権威ある学界が最も良く説明できると思う。それが日本的理解。豊富な男女関係と対極にありそうな人が何の心を解説できるか。
現役世代には暗記主義思考が叩き込まれて軌道修正不可能と思うので、これからの世代の人は、学説ではなくどこまでも著者の表現に忠実に読解して欲しい。他文献漁りでなく源氏の文脈を網羅的に挙げるのが筋。
そのためには、国内の読解力は戦艦大和的な誇大な思い込みで構成されており(品詞分解的な理論よろしく当人達には緻密な代物だが)、外に出そうとすると直ちに破綻する滑稽なレベルにあると受け入れること。今なお国家的見立てが、当初の安易な見立ての根本的問題を直視せず、言を左右にし続けているともわからない、傲慢に何も問題ないとするなら、この国は沈没して何も問題ない。
一つ知的先進国との大きな違いとして、古典を知的に軽んじていることがある。日本の学界教育界はどれほどの実績を根拠にか、自分達が上かのような論評が何度となく目につき、そうした社会上層の浅薄な態度が、連合国元帥に知的に六歳と言わしめたと思う。
さて、紫式部は観音の化身、その作源氏は不磨大典の聖典(canon:規準・絶対正義)の如く扱われ、つまり女性では名実ともに別格の最高実力者。伊勢125段209首、大和173段295首の系譜。枕草子319段36首、平家13巻100首、土佐日記55日60首、奥の細道44段66首。
内実・実力を重んじるのが実力者(貫之は仮名序で上流貴族の家持を無視、貴族的地位を和歌の実力と考えないことを明言)。それを王道の論理で通す。
王道とは些末ではない骨太の理解。
語尾活用や掛詞縁語や他人の用例の羅列は骨太ではない。不要に丸め、みだりに補い、肝心で曲げる。
それが月影と幻の即物的通説解釈(月光・幻術士)。これらは紫式部の物語の象徴的フレーズで、その解釈は上の骨抜き要素を漏れなく体現している。
自分達の解説に都合の良い、底の浅い偶像を一方的に正解設定(「けぢめ見せぬ心」の「在五」で誰とでも分け隔てなく寝る業平を思慕した著者で、理知的な貫之が業平を賛美し女を装った等の狂気じみた通説)。その理論の根本に据えた妙な偶像を絶対化・教化するための大政翼賛会的教育研究。だから「女もしてみむ」で貫之が女を装ったという文脈に全く根拠がない珍解釈が通説となり(貫之は仮名序で女を装っておらず、古今上位20人中女性は2人のみ)、そういう発想で、月影を月光と曲げ、心を解せない徹底した即物性、暗記教育的思い込みで「幻」一字を幻術士とみなしている。
紫式部を象徴する歌詞、「月影」は基本、面影(心象の投影)。高次には幻影、物理的には月の陰影。月光(可視光線)説は影の非実体性を解せない即物的な学者達による誤った定義。和歌は心を種とする。
源氏297番歌の「月影」は源氏のこととされており(しかし光自体ではなくその面影)、よって紫式部集1の「雲がくれにし夜はの月影」も好きな人の面影。詞書の「ほのかにて」も、ほのかに人知れず抱いた恋心でしかない(なおこれは独自説で類説はない)。時間的僅少性・視覚的不分明性とする諸説全て的外れ。前提の見立てがおかしいから無理にこねることになる。
紫式部集先頭でめぐり逢った「はやうよりわらは友だちなりし人」は友達だから同性と思い込む。筒井筒も多分知らない。肝心の枕詞「めぐり逢ひて」を字余り以上に説明できない。不都合だから説明しない。源氏唯一の「めぐり逢」、男女の運命的恋歌も引かない。月がめぐりの縁語など肝心の文脈と全く関係ない。
紫式部は至宝。その和歌は不滅の宝石。
とある心の光で真価を発揮する。
帖 | 巻 | 歌 | 帖 | 巻 | 歌 | 帖 | 巻 | 歌 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 桐壺 | 9 | 19 | 薄雲 | 10 | 37 | 横笛 | 8 | ||
2 | 帚木 | 14 | 20 | 朝顔 | 13 | 38 | 鈴虫 | 6 | ||
3 | 空蝉 | 2 | 21 | 乙女 | 16 | 39 | 夕霧 | 26 | ||
4 | 夕顔 | 19 | 22 | 玉鬘 | 14 | 40 | 御法 | 12 | ||
5 | 若紫 | 25 | 23 | 初音 | 6 | 41 | 幻 | 26 | ||
― | 雲隠 | ― | ||||||||
6 | 末摘花 | 14 | 24 | 胡蝶 | 14 | 42 | 匂兵部卿 | 1 | ||
7 | 紅葉賀 | 17 | 25 | 蛍 | 8 | 43 | 紅梅 | 4 | ||
8 | 花宴 | 8 | 26 | 常夏 | 4 | 44 | 竹河 | 24 | ||
9 | 葵 | 24 | 27 | 篝火 | 2 | 45 | 橋姫 | 13 | ||
10 | 賢木 | 33 | 28 | 野分 | 4 | 46 | 椎本 | 21 | ||
11 | 花散里 | 4 | 29 | 行幸 | 9 | 47 | 総角 | 31 | ||
12 | 須磨 | 48 | 30 | 藤袴 | 8 | 48 | 早蕨 | 15 | ||
13 | 明石 | 30 | 31 | 真木柱 | 21 | 49 | 宿木 | 24 | ||
14 | 澪標 | 17 | 32 | 梅枝 | 11 | 50 | 東屋 | 11 | ||
15 | 蓬生 | 6 | 33 | 藤裏葉 | 20 | 51 | 浮舟 | 22 | ||
16 | 関屋 | 3 | 34 | 若菜上 | 24 | 52 | 蜻蛉 | 11 | ||
17 | 絵合★ | 9 | 35 | 若菜下 | 18 | 53 | 手習 | 28 | ||
18 | 松風 | 16 | 36 | 柏木 | 11 | 54 | 夢浮橋 | 1 |
※須磨明石が中核、空蝉2首・関屋3首は空蝉で著者の投影。第三部の最初と最後は薫1首で対になり、薫を拒絶するための物語。
巻名のみ『雲隠』は、紫式部集1「雲隠れにし夜半の月影」及び匂宮巻冒頭「光隠れたまひにし後かの御影」から特別な意味があると見たい。つまり光る君と並ぶ藤壺の輝く日の宮と対比して、その光は月の光。かつめぐり逢ひての相手は紫式部一生の思い出となった筒井筒的幼馴染、その淡い思い出(ほのかにて)。
贈答の分類を併記すると共に、和歌の対応の有無とその質を三段階の線の太さで視覚化した。市販の本では困難な本文との即座のリンクと合わせ、各歌の意義と対応が一見して分かり、物語とその肝心の和歌の味わいも理解も、各段に深まるものと思う。ここでは統計分析を示す。
典型 | 付加要素和歌 | 合計 |
全体 割合 |
典型 割合 |
||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
単独 | 代作 | 贈 | 答 | |||||
贈歌 | 278 | 47 | 3 | 328 | 41% | 35% | ||
答歌 | 273 | 3 | 12 | 288 | 36% | 34% | ||
独詠 | 106 | 1 | 3 | 110 | 14% | 13% | ||
唱和 | 60 | 4 | 5 | 69 | 9% | 8% | ||
717 | 795 | 100% | 90% |
分類 | 歌数/割合 | 和歌間の文字数 |
---|---|---|
即答 | 308首/39% | 40字未満 |
応答 | 213首/27% | 40~100字未満 |
対応 | 165首/20% | ~400~1000字+対応文言 |
単体 | 109首/14% | 独詠・返事ない単独贈歌 |
※即答と応答の境界(即答限界)として「かやうの御返しを、思ひまはさむもねぢけたれば、疾きばかりをぞ」(玉鬘)がある。
100字を超えると「心乱れて久しうなれば情けなし」(尼君) 「御返り聞こえ伝へにくげに思ひたれば」(八宮長女〕などとなる。
基本的に作中和歌のほとんど(86%)が贈答歌で相手がいる。これが女性らしさで、和歌は平安貴族社会のコミュニケーションツールと説明されるが、それは男女関係と女性的用法によるもの。物語中で源氏が歌を詠んだ相手上位20人中、男は3人のみ(頭中将、冷泉院、蛍宮)。貫之の土佐日記60首は独詠が基本で、それ以外は勝手に合いの手を打つ類。男が女子に和歌を送る物語は竹取伊勢に端を発するが、これは日本文学史のリーディングケースで(男女関係を安易に美化せず貴族皇族の滑稽さを全力で表した革新性。それが京の伝統的知的態度)、万葉も古今も基本独詠、男女関係は贈答、唱和は宴会芸(公的仕事・仕事での合いの手・媚びへつらい)という基本線がある。源氏物語でもこの基本線は再現されているものの、女子が多く、また女子の唱和は家庭的(つまり私的)という特性があり、この対比が男女で公私の重みが逆転していることを示す。
紫式部の公のハレの場の歌は和泉式部に遠く及ばないという公的な説が一部にあるようだが、これがまさに因縁(難癖×宿縁)。及ばないといっても、そんな歌はかな和歌の重んずるところでは全くない(古今最大配分は恋と四季)。これは若紫と宴席で調子に乗って呼びかけ、道長もいる中で彼女に無視された公任(紫式部日記:「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ」とうかがひたまふ。源氏に似るべき人も見えたまはぬに、かの上はまいていかでものしたまはむと聞きゐたり)。仕事の付き合いは和泉に遠く及ばないと公にけなしてくる公任。そんな百害あって一利もないことが得意な女性はない。本心ではない建前や愛想(おじさんの好み)では遠く及ばないと言われても、そういう仕事でも接待カラオケでも校歌でもない。おじさんに好まれようとも思ってない。日記でも勘違いおじさんの相手は無理という文脈(相手できるのは、肩書で調子に乗らない人)。この因縁はここで解く。
原文 (定家本) |
現代語訳 (渋谷栄一) |
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桐壺 9首 |
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内訳:4(桐壺帝)、2(祖母北の方=桐壺母)、1×3(桐壺更衣=光る源氏の母、靫負命婦=帝の使者、左大臣=葵と頭中将の父) | ||
→【逐語分析】 | ||
1 贈:独 |
限りとて 別るる道の 悲しきに いかまほしきは 命なりけり |
〔桐壺更衣→桐壺帝〕人の命には限りがあるものと、今、別れ路に立ち、悲しい気持ちでいますが、 わたしが行きたいと思う路は、生きている世界への路でございます。 |
2 贈 |
宮城野の 露吹きむすぶ 風の音に 小萩がもとを 思ひこそやれ |
〔桐壺帝→祖母北の方〕宮中の萩に野分が吹いて露を結ばせたり散らそうとする風の音を聞くにつけ、 幼子の身が思いやられる |
3 贈 |
鈴虫の 声の限りを 尽くしても 長き夜あかず ふる涙かな |
〔靫負命婦=帝の使者〕鈴虫が声をせいいっぱい鳴き振るわせても 長い秋の夜を尽きることなく流れる涙でございますこと |
4 答 |
いとどしく 虫の音しげき 浅茅生に 露置き添ふる 雲の上人 |
〔祖母北の方:桐壺母〕ただでさえ虫の音のように泣き暮らしておりました荒れ宿に さらに涙をもたらします内裏からのお使い人よ |
5 答 |
荒き風 ふせぎし蔭の 枯れしより 小萩がうへぞ 静心なき |
〔祖母北の方:桐壺母→帝〕荒い風を防いでいた木が枯れてからは 小萩の身の上が気がかりでなりません |
6 独 |
尋ねゆく 幻もがな つてにても 魂のありかを そこと知るべく |
〔桐壺帝〕亡き更衣を探し行ける幻術士がいてくれればよいのだがな、人【幻=夢】づてにでも 魂のありかをどこそこと知ることができるように |
7 独 |
雲の上も 涙にくるる 秋の月 いかですむらむ 浅茅生の宿 |
〔桐壺帝〕雲の上の宮中までも涙に曇って見える秋の月だ ましてやどうして澄んで見えようか、草深い里で |
8 贈 |
いときなき 初元結ひに 長き世を 契る心は 結びこめつや |
〔桐壺帝〕幼子の元服の折、末永い仲を そなたの姫との間に結ぶ約束はなさったか |
9 答 |
結びつる 心も深き 元結ひに 濃き紫の 色し褪せずは |
〔左大臣〕元服の折、約束した心も深いものとなりましょう その濃い紫の色さえ変わらなければ |
帚木(ははきぎ) 14首 |
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内訳:3(源氏)、2×2(空蝉:伊予介の後妻つまり人妻、見そめたりし人=夕顔:頭中将愛人・玉鬘母)、1×9(左馬頭:源氏と頭中将と雨夜の品定め(女性体験談と批評)をする人物、殿上人:左馬頭の体験談に出てくる人物、頭中将、藤式部丞:雨夜の品定めに加わった一員、女×3) | ||
→【逐語分析】 | ||
10 贈 |
手を折りて あひ見しことを 数ふれば これひとつやは 君が憂きふし |
〔左馬頭〕 あなたとの結婚生活を指折り【あなたと会って色々見てきたことを】(△連れ添ってきた間にあったことを:全集)数えてみますと この一つだけがあなたの嫌な点なものか |
11 答 |
憂きふしを 心ひとつに 数へきて こや君が手を 別るべきをり |
〔女=左馬頭の愛人①〕 あなたの辛い仕打ちを胸の内に堪えてきましたが 今は別れる時なのでしょうか |
12 贈 |
琴の音も 月もえならぬ 宿ながら つれなき人を ひきやとめける |
〔殿上人〕 琴の音色も月も素晴らしいお宅ですが 薄情な方を引き止めることができなかったようですね |
13 答 |
木枯に 吹きあはすめる 笛の音を ひきとどむべき 言の葉ぞなき |
〔女=左馬頭の愛人②〕 冷たい木枯らしに合うようなあなたの笛の音を 引きとどめる術をわたしは持ち合わせていません |
14 贈 |
山がつの 垣ほ荒るとも 折々に あはれはかけよ 撫子の露 |
〔見そめたりし人=夕顔:頭中将愛人〕 山家の垣根は荒れていても時々は かわいがってやってください撫子の花を |
15 答 |
咲きまじる 色はいづれと 分かねども なほ常夏に しくものぞなき |
〔頭中将〕 庭にいろいろ咲いている花はいずれも皆美しいが やはり常夏の花のあなたが一番美しく思われます |
16 答 |
うち払ふ 袖も露けき 常夏に あらし吹きそふ 秋も来にけり |
〔見そめたりし人=夕顔〕 床に積もる塵を払う袖も涙に濡れている常夏の身の上に さらに激しい風の吹きつける秋までが来ました |
17 贈 |
ささがにの ふるまひしるき 夕暮れに ひるま過ぐせと いふがあやなさ |
〔藤式部丞〕 蜘蛛の動きでわたしの来ることがわかっているはずの夕暮に 蒜が臭っている昼間が過ぎるまで待てと言うのは訳がわかりません |
18 答 |
逢ふことの 夜をし隔てぬ 仲ならば ひる間も何か まばゆからまし |
〔かしこき女=藤式部丞の愛人〕 逢うことを一夜も置かずに毎晩逢っている夫婦仲ならば 蒜の臭っている昼間に逢ったからといってどうして恥ずかしいことがありましょうか |
19 贈 |
つれなきを 恨みも果てぬ しののめに とりあへぬまで おどろかすらむ |
〔源氏〕 あなたの冷たい態度に恨み言を十分に言わないうちに夜もしらみかけ 鶏までが取るものも取りあえぬまであわただしく鳴いてわたしを起こそうとするのでしょうか |
20 答 |
身の憂さを 嘆くにあかで 明くる夜は とり重ねてぞ 音もなかれける |
〔空蝉〕 わが身の辛さを嘆いても嘆き足りないうちに明ける夜は 鶏の鳴く音に取り重ねて、わたしも泣かれてなりません |
21 贈:独 |
見し夢を 逢ふ夜ありやと 嘆くまに 目さへあはでぞ ころも経にける |
〔源氏→空蝉〕 夢が現実となったあの夜以来、再び逢える夜があろうかと嘆いているうちに 目までが合わさらないで眠れない夜を幾夜も送ってしまいました |
22 贈 |
帚木の 心を知らで 園原の 道にあやなく 惑ひぬるかな |
〔源氏〕近づけば消えるという帚木のような、あなたの心も知らないで 近づこうとして、園原への道に空しく迷ってしまったことです |
23 答 |
数ならぬ 伏屋に生ふる 名の憂さに あるにもあらず 消ゆる帚木 |
〔空蝉〕 しがない境遇に生きるわたしは情けのうございますから 見えても触れられない帚木のようにあなたの前から姿を消すのです |
空蝉(うつせみ) 2首 |
||
内訳:1×2(源氏、空蝉) | ||
→【逐語分析】 | ||
24 贈:独 |
空蝉の 身をかへてける 木のもとに なほ人がらの なつかしきかな |
〔源氏〕 あなたは蝉が殻を脱ぐように、衣を脱ぎ捨てて逃げ去っていったが その木の下でやはりあなたの人柄が懐かしく思われますよ |
25 答:独 |
空蝉の 羽に置く露の 木隠れて 忍び忍びに 濡るる袖かな |
〔空蝉〕空蝉の羽に置く露が木に隠れて見えないように わたしもひそかに、涙で袖を濡らしております |
夕顔 19首 |
||
内訳:11(源氏)、4(夕顔)、2(空蝉)、1×2(中将の君=女房、軒端荻=空蝉の継娘) | ||
→【逐語分析】 | ||
26 贈 |
心あてに それかとぞ見る 白露の 光そへたる 夕顔の花 |
〔夕顔〕 当て推量に貴方さまでしょうかと思います 白露の光を加えて美しい夕顔の花は |
27 答 |
寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔 |
〔源氏〕もっと近寄ってどなたかとはっきり見ましょう 黄昏時にぼんやりと見えた美しい花の夕顔を |
28 贈 |
咲く花に 移るてふ名は つつめども 折らで過ぎ憂き 今朝の朝顔 |
〔源氏〕 美しく咲いている花のようなそなたに心を移したという評判は憚られますが やはり手折らずには素通りしがたい今朝の朝顔の花です |
29 答 |
朝霧の 晴れ間も待たぬ 気色にて 花に心を 止めぬとぞ見る |
〔中将の君〕 朝霧の晴れる間も待たないでお帰りになるご様子なので 朝顔の花に心を止めていないものと思われます |
30 贈 |
優婆塞が 行ふ道を しるべにて 来む世も深き 契り違ふな |
〔源氏〕 優婆塞が勤行しているのを道しるべにして 来世にも深い約束に背かないで下さい |
31 答 |
前の世の 契り知らるる 身の憂さに 行く末かねて 頼みがたさよ |
〔夕顔〕 前世の宿縁の拙さが身につまされるので 来世まではとても頼りかねます |
32 贈 |
いにしへも かくやは人の 惑ひけむ 我がまだ知らぬ しののめの道 |
〔源氏〕昔の人もこのように恋の道に迷ったのだろうか わたしには経験したことのない明け方の道だ |
33 答 |
山の端の 心も知らで 行く月は うはの空にて 影や絶えなむ |
〔夕顔〕 山の端をどことも知らないで随って行く月は 途中で光が消えてしまうのではないでしょうか |
34 贈 |
夕露に 紐とく花は 玉鉾の たよりに見えし 縁にこそありけれ |
〔源氏〕 夕べの露を待って花開いて顔をお見せするのは 道で出逢った縁からなのですよ |
35 答 |
光ありと 見し夕顔の うは露は たそかれ時の そら目なりけり |
〔夕顔〕 光輝いていると見ました夕顔の上露は たそがれ時の見間違いでした |
36 独 |
見し人の 煙を雲と 眺むれば 夕べの空も むつましきかな |
〔源氏〕 契った人の火葬の煙をあの雲かと思って見ると この夕方の空も親しく思われるよ |
37 贈 |
問はぬをも などかと問はで ほどふるに いかばかりかは 思ひ乱るる |
〔空蝉〕お見舞いできませんことをなぜかとお尋ね下さらずに月日が経ましたが わたしもどんなにか思い悩んでいます |
38 答 |
空蝉の 世は憂きものと 知りにしを また言の葉に かかる命よ |
〔源氏〕あなたとのはかない仲は嫌なものと知ってしまいましたが またもあなたの言の葉に期待を掛けて生きていこうと思います |
39 贈 |
ほのかにも 軒端の荻を 結ばずは 露のかことを 何にかけまし |
〔源氏〕 一夜の逢瀬なりとも軒端の荻を結ぶ契りをしなかったら わずかばかりの恨み言も何を理由に言えましょうか |
40 答 |
ほのめかす 風につけても 下荻の 半ばは霜に むすぼほれつつ |
〔軒端荻〕 ほのめかされるお手紙を見るにつけても霜にあたった下荻のような 身分の賤しいわたしは、嬉しいながらも半ばは思い萎れています |
41 独 |
泣く泣くも 今日は我が結ふ 下紐を いづれの世にか とけて見るべき |
〔源氏〕泣きながら今日はわたしが結ぶ袴の下紐【紐帯=絆】を いつの世にかまた再会して心打ち解けて下紐を解いて【それと分かって】逢うことができようか |
42 贈 |
逢ふまでの 形見ばかりと 見しほどに ひたすら袖の 朽ちにけるかな |
〔源氏〕再び逢う時までの形見の品ぐらいに思って持っていましたが すっかり涙で朽ちるまでになってしまいました |
43 答 |
蝉の羽も たちかへてける 夏衣 かへすを見ても ねは泣かれけり |
〔空蝉〕 蝉の羽の衣替えの終わった後の夏衣は、 返してもらっても自然と泣かれるばかりです |
44 独 |
過ぎにしも 今日別るるも 二道に 行く方知らぬ 秋の暮かな |
〔源氏〕亡くなった人も今日別れて行く人もそれぞれの道に どこへ行くのか知れない秋の暮れだなあ |
若紫 25首 |
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内訳:12(源氏)、5(尼君=紫祖母:北山の尼君(全集))、2×2(少納言乳母:うち1首北山の尼君の侍女(全集)、僧都=尼君兄:北山の僧都(全集))、1×4(聖=北山の聖(全集)、藤壺、下仕へ=女、紫上=藤壺姪) | ||
→【逐語分析】 | ||
45 贈 |
生ひ立たむ ありかも知らぬ 若草を おくらす露ぞ 消えむそらなき |
〔尼君=紫祖母:北山の尼君〕 これからどこでどう育って行くのかも分からない若草のようなあなたを 残してゆく露のようにはかないわたしは死ぬに死ねない思いです |
46 答 |
初草の 生ひ行く末も 知らぬまに いかでか露の 消えむとすらむ |
〔ゐたる大人=北山の尼君の侍女(全集)or少納言乳母(渋谷)〕 初草のように若い姫君のご成長も御覧にならないうちに どうして尼君様は先立たれるようなことをお考えになるのでしょう |
47 贈 |
初草の 若葉の上を 見つるより 旅寝の袖も 露ぞ乾かぬ |
〔源氏〕初草のごときうら若き少女を見てからは わたしの旅寝の袖は恋しさの涙の露ですっかり濡れております |
48 答 |
枕結ふ 今宵ばかりの 露けさを 深山の苔に 比べざらなむ |
〔尼君〕 今晩だけの旅の宿で涙に濡れていらっしゃるからといって 深山に住むわたしたちのことを引き合いに出さないでくださいまし |
49 贈 |
吹きまよふ 深山おろしに 夢さめて 涙もよほす 滝の音かな |
〔源氏〕 深山おろしの懺法の声に煩悩の夢が覚めて 感涙を催す滝の音であることよ |
50 答 |
さしぐみに 袖ぬらしける 山水に 澄める心は 騒ぎやはする |
〔僧都=尼君兄〕 不意に来られてお袖を濡らされたという山の水に 心を澄まして住んでいるわたしは驚きません |
51 唱 |
宮人に 行きて語らむ 山桜 風よりさきに 来ても見るべく |
〔源氏〕大宮人に帰って話して聞かせましょう、この山桜の美しいことを 風の吹き散らす前に来て見るようにと |
52 唱 |
優曇華の 花待ち得たる 心地して 深山桜に 目こそ移らね |
〔僧都〕 三千年に一度咲くという優曇華の花の 咲くのにめぐり逢ったような気がして、深山桜には目も移りません |
53 唱 |
奥山の 松のとぼそを まれに開けて まだ見ぬ花の 顔を見るかな |
〔聖〕 奥山の松の扉を珍しく開けましたところ まだ見たこともない花のごとく美しいお顔を拝見致しました |
54 贈 |
夕まぐれ ほのかに花の 色を見て 今朝は霞の 立ちぞわづらふ |
〔源氏〕 昨日の夕暮時にわずかに美しい花を見ましたので 今朝は霞の空に立ち去りがたい気がします |
55 答 |
まことにや 花のあたりは 立ち憂きと 霞むる空の 気色をも見む |
〔尼君〕 本当に花の辺りを立ち去りにくいのでしょうか そのようなことをおっしゃるお気持ちを見たいものです |
56 贈 |
面影は 身をも離れず 山桜 心の限り とめて来しかど |
〔源氏〕 あなたの山桜のように美しい面影はわたしの身から離れません 心のすべてをそちらに置いて来たのですが |
57 答 |
嵐吹く 尾の上の桜 散らぬ間を 心とめける ほどのはかなさ |
〔尼君〕激しい山風が吹いて散ってしまう峰の桜に その散る前にお気持ちを寄せられたような頼りなさに思われます |
58 贈 |
あさか山 浅くも人を 思はぬに など山の井の かけ離るらむ |
〔源氏〕 浅香山のように浅い気持ちで思っているのではないのに どうして山の井に影が宿らないようにわたしからかけ離れていらっしゃるのでしょう |
59 答 |
汲み初めて くやしと聞きし 山の井の 浅きながらや 影を見るべき |
〔尼君〕 うっかり薄情な人と契りを結んで後悔したと聞きました浅い山の井のような 浅いお心のままではどうして孫娘を差し上げられましょう |
60 贈 |
見てもまた 逢ふ夜まれなる 夢のうちに やがて紛るる 我が身ともがな |
〔源氏〕 お逢いしても再び逢うことの難しい夢のようなこの世なので 夢の中にそのまま消えてしまいとうございます |
61 答 |
世語りに 人や伝へむ たぐひなく 憂き身を覚めぬ 夢になしても |
〔藤壺〕 世間の語り草として語り伝えるのではないでしょうか この上なく辛い身の上を覚めることのない夢の中のこととしても |
62 贈:独 |
いはけなき 鶴の一声 聞きしより 葦間になづむ 舟ぞえならぬ |
〔源氏→尼君〕 かわいい鶴の一声を聞いてから 葦の間を行き悩む舟はただならぬ思いをしています |
63 独 |
手に摘みて いつしかも見む 紫の 根にかよひける 野辺の若草 |
〔源氏〕 手に摘んで早く見たいものだ 紫草にゆかりのある野辺の若草を |
64 贈 |
あしわかの 浦にみるめは かたくとも こは立ちながら かへる波かは |
〔源氏〕若君にお目にかかることは難しかろうとも 和歌の浦の波のようにこのまま立ち帰ることはしません |
65 答 |
寄る波の 心も知らで わかの浦に 玉藻なびかむ ほどぞ浮きたる |
〔少納言の乳母〕 和歌の浦に寄せる波に身を任せる玉藻のように 相手の気持ちをよく確かめもせずに従うことは頼りないことです |
66 贈 |
朝ぼらけ 霧立つ空の まよひにも 行き過ぎがたき 妹が門かな |
〔源氏→忍びて通ひたまふ所〕 曙に霧が立ちこめた空模様につけても 素通りし難い貴女の家の前ですね |
67 答 |
立ちとまり 霧のまがきの 過ぎうくは 草のとざしに さはりしもせじ |
〔よしある下仕へ=女(通説)〕 霧の立ちこめた家の前を通り過ぎ難いとおっしゃるならば 生い茂った草が門を閉ざしたことぐらい何でもないでしょうに |
68 贈 |
ねは見ねど あはれとぞ思ふ 武蔵野の 露分けわぶる 草のゆかりを |
〔源氏〕 まだ一緒に寝てはみませんが愛しく思われます 武蔵野の露に難儀する紫のゆかりのあなたを |
69 答 |
かこつべき ゆゑを知らねば おぼつかな いかなる草の ゆかりなるらむ |
〔紫上〕 恨み言を言われる理由が分かりません わたしはどのような方のゆかりなのでしょう |
末摘花(すえつむはな) 14首 |
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内訳:9(源氏)、2(末摘花)、1×3(頭中将、侍従の君=末摘花の乳母子、大輔命婦=末摘花方に出入りする帝付き女房) | ||
→【逐語分析】 | ||
70 贈 |
もろともに 大内山は 出でつれど 入る方見せぬ いさよひの月 |
〔頭中将〕ご一緒に宮中を退出しましたのに 行く先を晦ましてしまわれる十六夜の月のようですね |
71 答 |
里わかぬ かげをば見れど ゆく月の いるさの山を 誰れか尋ぬる |
〔源氏〕 どの里も遍く照らす月は空に見えても その月が隠れる山まで尋ねて来る人はいませんよ |
72 贈 |
いくそたび 君がしじまに まけぬらむ ものな言ひそと 言はぬ頼みに |
〔源氏→末摘花〕 何度あなたの沈黙に負けたことでしょう ものを言うなとおっしゃらないことを頼みとして |
73 代答 |
鐘つきて とぢめむことは さすがにて 答へまうきぞ かつはあやなき |
〔侍従の君=女君(末摘花)の御乳母子〕 鐘をついて論議を終わりにするようにもう何もおっしゃるなとはさすがに言いかねます。 ただお答えしにくいのが、何ともうまく説明できないのです |
74 答 |
言はぬをも 言ふにまさると 知りながら おしこめたるは 苦しかりけり |
〔源氏〕何もおっしゃらないのは口に出して言う以上なのだとは知っていますが、 やはりずっと黙っていらっしゃるのは辛いものですよ |
75 贈 |
夕霧の 晴るるけしきも まだ見ぬに いぶせさそふる 宵の雨かな |
〔源氏〕 夕霧が晴れる気配をまだ見ないうちに、 さらに気持ちを滅入らせる宵の雨まで降ることよ。 |
76 答 |
晴れぬ夜の 月待つ里を 思ひやれ 同じ心に 眺めせずとも |
〔末摘花(通説)or侍従代作(全集)〕 雨雲の晴れない夜の月を待っている人を思いやってください。 わたしと同じ気持ちで眺めているのでないにしても |
77 贈:独 |
朝日さす 軒の垂氷は 解けながら などかつららの 結ぼほるらむ |
〔源氏→末摘花〕 朝日がさしている軒のつららは解けましたのに どうしてあなたの心は氷のまま解けないでいるのでしょう |
78 独 |
降りにける 頭の雪を 見る人も 劣らず濡らす 朝の袖かな |
〔源氏〕 老人の白髪頭に積もった雪を見ると その人以上に、今朝は涙で袖を濡らすことだ |
79 贈 |
唐衣 君が心の つらければ 袂はかくぞ そぼちつつのみ |
〔姫君:末摘花〕 あなたの冷たい心がつらいので わたしの袂は涙でこんなにただもう濡れております |
80 独:贈 |
なつかしき 色ともなしに 何にこの すゑつむ花を 袖に触れけむ |
〔源氏〕 格別親しみを感じる花でもないのにどうしてこの 末摘花のような女に手をふれることになったのだろう |
81 独:答 |
紅の ひと花衣 うすくとも ひたすら朽す 名をし立てずは |
〔大輔の命婦〕 紅色に一度染めた衣は色が薄くても どうぞ悪い評判をお立てなさることさえなければ…… |
82 答 |
逢はぬ夜を へだつるなかの 衣手に 重ねていとど 見もし見よとや |
〔源氏〕 逢わない夜が多いのに間を隔てる衣とは ますます重ねて見なさいということですか |
83 独 |
紅の 花ぞあやなく うとまるる 梅の立ち枝は なつかしけれど |
〔源氏〕 紅の花はわけもなく嫌な感じがする 梅の立ち枝に咲いた花は慕わしく思われるが |
紅葉賀(もみじのが) 17首 |
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内訳:9(源氏)、3(源典侍)、2×2(藤壺、頭中将)、1(王命婦) | ||
→【逐語分析】 | ||
84 贈 |
もの思ふに 立ち舞ふべくも あらぬ身の 袖うち振りし 心知りきや |
〔源氏〕つらい気持ちのまま立派に舞うことなどはとてもできそうもないわが身が 袖を振って舞った気持ちはお分りいただけましたでしょうか |
85 答 |
唐人の 袖振ることは 遠けれど 立ち居につけて あはれとは見き |
〔藤壺〕 唐の人が袖振って舞ったことは遠い昔のことですが その立ち居舞い姿はしみじみと拝見いたしました |
86 贈 |
いかさまに 昔結べる 契りにて この世にかかる なかの隔てぞ |
〔源氏〕 どのように前世で約束を交わした縁で この世にこのような二人の仲に隔てがあるのだろうか |
87 答 |
見ても思ふ 見ぬはたいかに 嘆くらむ こや世の人の まどふてふ闇 |
〔王命婦〕 御覧になっている方も物思をされています、 御覧にならないあなたは、またどんなにお嘆きのことでしょう。 これが世の人が言う親心の闇というものでしょうか |
88 贈 |
よそへつつ 見るに心は なぐさまで 露けさまさる 撫子の花 |
〔源氏〕 思いよそえて見ているが、気持ちは慰まず、 涙を催させる撫子の花の花であるよ |
89 答 |
袖濡るる 露のゆかりと 思ふにも なほ疎まれぬ 大和撫子 |
〔藤壺〕 袖を濡らしている方の縁と思うにつけても、 やはり疎ましくなってしまう大和撫子です |
90 贈 |
君し来ば 手なれの駒に 刈り飼はむ 盛り過ぎたる 下葉なりとも |
〔源典侍〕 あなたがいらしたならば良く手馴れた馬に秣を【Vラインに】刈ってやりましょう、 盛りを過ぎた下草であっても |
91 答 |
笹分けば 人やとがめむ いつとなく 駒なつくめる 森の木隠れ |
〔源氏〕笹を分けて入って逢いに行ったら人が注意しましょう、 いつでもたくさんの馬を手懐けている森の木陰では |
92 贈 |
立ち濡るる 人しもあらじ 東屋に うたてもかかる 雨そそきかな |
〔源典侍〕誰も訪れて来て濡れる人もいない東屋に、 嫌な雨垂れが落ちて来ます |
93 答 |
人妻は あなわづらはし 東屋の 真屋のあまりも 馴れじとぞ思ふ |
〔源氏〕 人妻はもう面倒です、 (東屋の、真屋の軒先に立ち馴れるように:全集×)あまり親しくなるまいと思います (東屋の真屋のあまり=吾づまやーまや=人妻) |
94 贈 |
つつむめる 名や漏り出でむ 引きかはし かくほころぶる 中の衣に |
〔頭中将〕 隠している浮名も洩れ出てしまいましょう、引っ張り合って 破れてしまった二人の仲の衣から |
95 答 |
隠れなき ものと知る知る 夏衣 着たるを薄き 心とぞ見る |
〔源氏〕この女との仲まで知られてしまうのを承知の上でやって来て 夏衣を着るとは、何と薄情で浅薄なお気持ちかと思いますよ |
96 贈 |
恨みても いふかひぞなき たちかさね 引きてかへりし 波のなごりに |
〔源典侍〕恨んでも何の甲斐もありません、次々とやって来ては 帰っていったお二人の波の後は |
97 答 |
荒らだちし 波に心は 騒がねど 寄せけむ磯を いかが恨みぬ |
〔源氏〕荒々しく暴れた波――頭中将には驚かないが、 それを寄せつけた磯――あなたをどうして恨まずにはいられようか |
98 贈 |
なか絶えば かことや負ふと 危ふさに はなだの帯を 取りてだに見ず |
〔源氏〕あなた方の仲が切れたらわたしのせいだと非難されようかと思ったが、 この縹の帯などわたしには関係ありません |
99 答 |
君にかく 引き取られぬる 帯なれば かくて絶えぬる なかとかこたむ |
〔頭中将〕あなたにこのように取られてしまった帯ですから、 こんな具合に仲も切れてしまったものとしましょうよ |
100 独 |
尽きもせぬ 心の闇に 暮るるかな 雲居に人を 見るにつけても |
〔源氏〕 尽きない恋の思いに何も見えない、 はるかに高い地位につかれる方を仰ぎ見るにつけても |
花宴(はなのえん) 8首 |
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内訳:4(源氏)、2(朧月夜=右大臣の娘)、1×2(藤壺、右大臣) | ||
→【逐語分析】 | ||
101 独 |
おほかたに 花の姿を 見ましかば つゆも心の おかれましやは |
〔藤壺〕何の関係もなく花のように美しいお姿を拝するのであったなら 少しも気兼ねなどいらなかろうものを |
102 贈:独 |
深き夜の あはれを知るも 入る月の おぼろけならぬ 契りとぞ思ふ |
〔源氏→朧月夜〕趣深い春の夜更けの情趣をご存知でいられるのも 前世からの浅からぬ御縁があったものと存じます |
103 贈 |
憂き身世に やがて消えなば 尋ねても 草の原をば 問はじとや思ふ |
〔朧月夜〕不幸せな身のまま名前を明かさないでこの世から死んでしまったなら 野末の草の原まで尋ねて来ては下さらないのかと思います |
104 答 |
いづれぞと 露のやどりを 分かむまに 小笹が原に 風もこそ吹け |
〔源氏〕どなたであろうかと家を探しているうちに 世間に噂が立ってだめになってしまうといけないと思いまして |
105 贈:独 |
世に知らぬ 心地こそすれ 有明の 月のゆくへを 空にまがへて |
〔源氏→朧月夜〕今までに味わったことのない気がする 有明の月の行方を途中で見失ってしまって |
106 贈:独 |
わが宿の 花しなべての 色ならば 何かはさらに 君を待たまし |
〔右大臣:朧月夜父→源氏〕わたしの邸の藤の花が世間一般の色をしているのなら どうしてあなたをお待ち致しましょうか |
107 贈 |
梓弓 いるさの山に 惑ふかな ほの見し月の 影や見ゆると |
〔源氏〕月の入るいるさの山の周辺でうろうろと迷っています かすかに見かけた有明の月をまた見ることができようかと |
108 答 |
心いる 方ならませば 弓張の 月なき空に 迷はましやは |
〔朧月夜〕本当に深くご執心でいらっしゃれば たとえ月が出ていなくても迷うことがありましょうか |
葵 24首 |
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内訳:13(源氏)、4(六条御息所うち1首・葵への憑依生霊)、2×2(源典侍、大宮=葵の母)、1×3(紫上、頭中将、朝顔) | ||
→【逐語分析】 | ||
109 独 |
影をのみ 御手洗川の つれなきに 身の憂きほどぞ いとど知らるる |
〔六条御息所〕今日の御禊にお姿をちらりと見たばかりで そのつれなさにかえって我が身の不幸せがますます思い知られる |
110 贈 |
はかりなき 千尋の底の 海松ぶさの 生ひゆくすゑは 我のみぞ見む |
〔源氏〕限りなく深い海の底に生える海松のように 豊かに成長してゆく黒髪はわたしだけが見届けよう |
111 答 |
千尋とも いかでか知らむ 定めなく 満ち干る潮の のどけからぬに |
〔紫上〕千尋も深い愛情を誓われてもどうして分りましょう 満ちたり干いたり定めない潮のようなあなたですもの |
112 贈 |
はかなしや 人のかざせる 葵ゆゑ 神の許しの 今日を待ちける |
〔源典侍〕あら情けなや、他の人と同車なさっているとは 神の許す今日の機会を待っていましたのに |
113 答 |
かざしける 心ぞあだに おもほゆる 八十氏人に なべて逢ふ日を |
〔源氏〕そのようにおっしゃるあなたの心こそ当てにならないものと思いますよ たくさんの人々に誰彼となく靡くものですから |
114 答 |
悔しくも かざしけるかな 名のみして 人だのめなる 草葉ばかりを |
〔源典侍〕ああ悔しい、葵に逢う日を当てに楽しみにしていたのに わたしは期待を抱かせるだけの草葉に過ぎないのですか |
115 贈 |
袖濡るる 恋路とかつは 知りながら おりたつ田子の みづからぞ憂き |
〔六条御息所〕袖を濡らす恋路とは分かっていながら そうなってしまうわが身の疎ましいことよ |
116 答 |
浅みにや 人はおりたつ わが方は 身もそぼつまで 深き恋路を |
〔源氏〕袖が濡れるとは浅い所にお立ちだからでしょう わたしは全身ずぶ濡れになるほど深い泥(こひじ)――恋路に立っております |
117 贈:独 |
嘆きわび 空に乱るる わが魂を 結びとどめよ したがへのつま |
〔六条御息所生霊in葵→源氏〕悲しみに堪えかねて抜け出たわたしの魂を 結び留め【よ わたしが従えるあなたの妻】てください、下前の褄を結んで |
118 独 |
のぼりぬる 煙はそれと わかねども なべて雲居の あはれなるかな |
〔源氏〕空に上った煙は雲と混ざり合ってそれと区別がつかないが おしなべてどの雲もしみじみと眺められることよ |
119 独 |
限りあれば 薄墨衣 浅けれど 涙ぞ袖を 淵となしける |
〔源氏〕きまりがあるので薄い色の喪服を着ているが 涙で袖は淵のように深く悲しみに濡れている |
120 贈 |
人の世を あはれと聞くも 露けきに 後るる袖を 思ひこそやれ |
〔六条御息所〕人の世の無常をこの菊の花の聞くにつけ涙がこぼれますが 先立たれなさってさぞかしお袖を濡らしてとお察しいたします |
121 答 |
とまる身も 消えしもおなじ 露の世に 心置くらむ ほどぞはかなき |
〔源氏〕生き残った者も死んだ者も同じ露のようにはかない世に 心の執着を残して置くことはつまらないことです |
122 贈 |
雨となり しぐるる空の 浮雲を いづれの方と わきて眺めむ |
〔頭中将〕妹が時雨となって降る空の浮雲を どちらの方向の雲と眺め分けようか |
123 答 |
見し人の 雨となりにし 雲居さへ いとど時雨に かき暮らすころ |
〔源氏〕妻が雲となり雨となってしまった空までが ますます時雨で暗く泣き暮らしている今日この頃だ |
124 贈 |
草枯れの まがきに残る 撫子を 別れし秋の かたみとぞ見る |
〔源氏〕草の枯れた垣根に咲き残っている撫子の花を 秋に死別れたお方の形見と思って見ています |
125 答 |
今も見て なかなか袖を 朽たすかな 垣ほ荒れにし 大和撫子 |
〔大宮=葵の母〕ただ今見てもかえって袖を涙で濡らしております 垣根も荒れはてて母親に先立たれてしまった撫子なので |
126 贈 |
わきてこの 暮こそ袖は 露けけれ もの思ふ秋は あまた経ぬれど |
〔源氏〕とりわけ今日の夕暮れは涙に袖を濡らしております 今までにも物思いのする秋はたくさん経験してきたのですが |
127 答 |
秋霧に 立ちおくれぬ と聞きしより しぐるる空も いかがとぞ思ふ |
〔朝顔〕秋霧の立つころ、先立たれなさったとお聞き致しましたが それ以来時雨の季節につけいかほどお悲しみのことかとお察し申し上げます |
128 独 |
なき魂ぞ いとど悲しき 寝し床の あくがれがたき 心ならひに |
〔源氏〕亡くなった人の魂もますます離れがたく悲しく思っていることだろう 共に寝た床をわたしも離れがたく思うのだから |
129 独 |
君なくて 塵つもりぬる 常夏の 露うち払ひ いく夜寝ぬらむ |
〔源氏〕あなたが亡くなってから塵の積もった床に 涙を払いながら幾晩独り寝をしたことだろうか |
130 贈:独 |
あやなくも 隔てけるかな 夜をかさね さすがに馴れし 夜の衣を |
〔源氏→紫上〕どうして長い間何でもない間柄でいたのでしょう 幾夜も幾夜も馴れ親しんで来た仲なのに |
131 贈 |
あまた年 今日改めし 色衣 着ては涙ぞ ふる心地する |
〔源氏〕何年来も元日毎に参っては着替えをしてきた晴着だが それを着ると今日は涙がこぼれる思いがする |
132 答 |
新しき 年ともいはず ふるものは ふりぬる人の 涙なりけり |
〔大宮=葵の母〕新年になったとは申しても降りそそぐものは 年古りた母の涙でございます |
賢木(さかき) 33首 |
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内訳:16(源氏)、5(藤壺)、4(六条御息所)、2(朧月夜)、1×6(斎宮の女別当、親王=兵部卿宮:藤壺兄:紫父、王命婦=藤壺付女房、紫上、朝顔、頭中将) | ||
→【逐語分析】 | ||
133 贈 |
神垣は しるしの杉も なきものを いかにまがへて 折れる榊ぞ |
〔六条御息所〕ここには人の訪ねる目印の杉もないのに どうお間違えになって折った榊なのでしょう |
134 答 |
少女子が あたりと思へば 榊葉の 香をなつかしみ とめてこそ折れ |
〔源氏〕少女子がいる辺りだと思うと 榊葉が慕わしくて探し求めて参ったのです |
135 贈 |
暁の 別れはいつも 露けきを こは世に知らぬ 秋の空かな |
〔源氏〕明け方の別れにはいつも涙に濡れたが 今朝の別れは今までにない涙に曇る秋の空ですね |
136 答 |
おほかたの 秋の別れも 悲しきに 鳴く音な添へそ 野辺の松虫 |
〔六条御息所〕ただでさえ秋の別れというものは悲しいものなのに さらに鳴いて悲しませてくれるな野辺の松虫よ |
137 贈 |
八洲もる 国つ御神も 心あらば 飽かぬ別れの 仲をことわれ |
〔源氏→斎宮〕大八洲をお守りあそばす国つ神もお情けがあるならば 尽きぬ思いで別れなければならないわけをお聞かせ下さい |
138 代答 |
国つ神 空にことわる 仲ならば なほざりごとを まづや糾さむ |
〔斎宮の女別当〕国つ神がお二人の仲を裁かれることになったならば あなたの実意のないお言葉をまずは糺されることでしょう |
139 独 |
そのかみを 今日はかけじと 忍ぶれど 心のうちに ものぞ悲しき |
〔六条御息所〕昔のことを今日は思い出すまいと堪えていたが 心の底では悲しく思われてならない |
140 贈 |
振り捨てて 今日は行くとも 鈴鹿川 八十瀬の波に 袖は濡れじや |
〔源氏〕わたしを振り捨てて今日は旅立って行かれるが、鈴鹿川を 渡る時に袖を濡らして後悔なさいませんでしょうか |
141 答 |
鈴鹿川 八十瀬の波に 濡れ濡れず 伊勢まで誰れか 思ひおこせむ |
〔六条御息所〕鈴鹿川の八十瀬の波に袖が濡れるか濡れないか 伊勢に行った先まで誰が思いおこしてくださるでしょうか |
142 独 |
行く方を 眺めもやらむ この秋は 逢坂山を 霧な隔てそ |
〔源氏〕あの行った方角を眺めていよう、今年の秋は 逢うという逢坂山を霧よ隠さないでおくれ |
143 唱 |
蔭ひろみ 頼みし松や 枯れにけむ 下葉散りゆく 年の暮かな |
〔親王=兵部卿宮:藤壺兄(全集注釈) ×蛍宮(全集巻末認定)〕 木蔭が広いので頼りにしていた松の木は枯れてしまったのだろうか その下葉が散り行く今年の暮ですね |
144 唱 |
さえわたる 池の鏡の さやけきに 見なれし影を 見ぬぞ悲しき |
〔源氏〕氷の張りつめた池が鏡のようになっているが 長年見慣れたそのお姿を見られないのが悲しい |
145 唱 |
年暮れて 岩井の水も こほりとぢ 見し人影の あせもゆくかな |
〔王命婦=藤壺付女房〕年が暮れて岩井の水も凍りついて 見慣れていた人影も見えなくなってゆきますこと |
146 贈 |
心から かたがた袖を 濡らすかな 明くと教ふる 声につけても |
〔朧月夜〕自分からあれこれと涙で袖を濡らすことですわ 夜が明けると教えてくれる声につけましても |
147 答 |
嘆きつつ わが世はかくて 過ぐせとや 胸のあくべき 時ぞともなく |
〔源氏〕嘆きながら一生をこのように過ごせというのでしょうか 胸の思いの晴れる間もないのに |
148 贈 |
逢ふことの かたきを今日に 限らずは 今幾世をか 嘆きつつ経む |
〔源氏〕お逢いすることの難しさが今日でおしまいでないならば いく転生にわたって嘆きながら過すことでしょうか |
149 答 |
長き世の 恨みを人に 残しても かつは心を あだと知らなむ |
〔藤壺〕未来永劫の怨みをわたしに残したと言っても そのようなお心はまた一方ですぐに変わるものと知っていただきたい |
150 贈 |
浅茅生の 露のやどりに 君をおきて 四方の嵐ぞ 静心なき |
〔源氏〕浅茅生に置く露のようにはかないこの世にあなたを置いてきたので まわりから吹きつける世間の激しい風を聞くにつけ気ががりでなりません |
151 答 |
風吹けば まづぞ乱るる 色変はる 浅茅が露に かかるささがに |
〔紫上〕風が吹くとまっ先に乱れて色変わりするはかない浅茅生の露の上に 糸をかけてそれを頼りに生きている蜘蛛のようなわたしですから |
152 贈 |
かけまくは かしこけれども そのかみの 秋思ほゆる 木綿欅かな |
〔源氏〕口に上して言うことは恐れ多いことですけれど その昔の秋のころのことが思い出されます |
153 答 |
そのかみや いかがはありし 木綿欅 心にかけて しのぶらむゆゑ |
〔斎院=朝顔〕その昔どうだったとおっしゃるのでしょうか 心にかけて偲ぶとおっしゃるわけは |
154 贈 |
九重に 霧や隔つる 雲の上の 月をはるかに 思ひやるかな |
〔藤壺〕宮中には霧が幾重にもかかっているのでしょうか 雲の上で見えない月をはるかにお思い申し上げますことよ |
155 答 |
月影は 見し世の秋に 変はらぬを 隔つる霧の つらくもあるかな |
〔源氏〕月の光は昔の秋と変わりませんのに 隔てる霧のあるのがつらく思われるのです |
156 贈 |
木枯の 吹くにつけつつ 待ちし間に おぼつかなさの ころも経にけり |
〔朧月夜〕木枯が吹くたびごとに訪れを待っているうちに 長い月日が経ってしまいました |
157 答 |
あひ見ずて しのぶるころの 涙をも なべての空の 時雨とや見る |
〔源氏〕お逢いできずに恋い忍んで泣いている涙の雨までを ありふれた秋の時雨とお思いなのでしょうか |
158 贈 |
別れにし 今日は来れども 見し人に 行き逢ふほどを いつと頼まむ |
〔源氏〕故院にお別れ申した日がめぐって来ましたが、雪は降っても その人にまた行きめぐり逢える時はいつと期待できようか |
159 答 |
ながらふる ほどは憂けれど 行きめぐり 今日はその世に 逢ふ心地して |
〔藤壺〕生きながらえておりますのは辛く嫌なことですが 一周忌の今日は、故院の在世中に出会ったような思いがいたしまして |
160 贈 |
月のすむ 雲居をかけて 慕ふとも この世の闇に なほや惑はむ |
〔源氏〕月のように心澄んだ御出家の境地をお慕い申しても なおも子どもゆえのこの世の煩悩に迷い続けるのであろうか |
161 答 |
おほふかたの 憂きにつけては 厭へども いつかこの世を 背き果つべき |
〔藤壺〕世間一般の嫌なことからは離れたが、子どもへの煩悩は いつになったらすっかり離れ切ることができるのであろうか |
162 贈 |
ながめかる 海人のすみかと 見るからに まづしほたるる 松が浦島 |
〔源氏〕海人が住む松が浦島という、 物思いに沈んでいらっしゃるお住まいかと存じますと何より先に涙に暮れてしまいます |
163 答 |
ありし世の なごりだになき 浦島に 立ち寄る波の めづらしきかな |
〔藤壺〕昔の俤さえないこの松が浦島のような所に 立ち寄る波も珍しいのに、立ち寄ってくださるとは珍しいですね |
164 贈 |
それもがと 今朝開けたる 初花に 劣らぬ君が 匂ひをぞ見る |
〔頭中将〕それを見たいと思っていた今朝咲いた花に 劣らないお美しさのわが君でございます |
165 答 |
時ならで 今朝咲く花は 夏の雨に しをれにけらし 匂ふほどなく |
〔源氏〕時節に合わず今朝咲いた花は夏の雨に 萎れてしまったらしい、美しさを見せる間もなく |
花散里(はなちるさと) 4首 |
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内訳:2(源氏)、1×2(花散里方女房=中川の女、麗景殿女御=桐壺帝女御=花散里姉) | ||
→【逐語分析】 | ||
166 贈 |
をちかへり えぞ忍ばれぬ ほととぎす ほの語らひし 宿の垣根に |
〔源氏〕昔にたちかえって懐かしく思わずにはいられない、ほととぎすの声だ かつてわずかに契りを交わしたこの家なので |
167 答 |
ほととぎす 言問ふ声は それなれど あなおぼつかな 五月雨の空 |
〔若やかなるけしきども=女房:中川の女(全集)〕 ほととぎすの声ははっきり分かりますが どのようなご用か分かりません、五月雨の空のように |
168 贈 |
橘の香を なつかしみ ほととぎす 花散る里を たづねてぞとふ |
〔源氏〕昔を思い出させる橘の香を懐かしく思って ほととぎすが花の散ったこのお邸にやって来ました |
169 答 |
人目なく 荒れたる宿は 橘の 花こそ軒の つまとなりけれ |
〔麗景殿女御〕訪れる人もなく荒れてしまった住まいには 軒端の橘だけがお誘いするよすがになったのでした |
須磨 48首 |
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内訳:28(源氏)、3(紫上)、2×6(花散里、朧月夜、藤壺、六条御息所、右近の将監の蔵人(集成:右近尉)=前右近将督(集成:前右近尉)= 全集:右近将監で同一認定)、1×5(大宮、王命婦、良清、民部大輔=全集:惟光、五節) | ||
→【逐語分析】 | ||
170 贈 |
鳥辺山 燃えし煙も まがふやと 海人の塩焼く 浦見にぞ行く |
〔源氏〕あの鳥辺山で火葬にした妻の煙に似てはいないかと 海人が塩を焼く煙を見に行きます |
171 答 |
亡き人の 別れやいとど 隔たらむ 煙となりし 雲居ならでは |
〔大宮〕亡き娘との仲もますます遠くなってしまうでしょう 娘が煙となった都の空から居なくなってしまうのでは |
172 贈 |
身はかくて さすらへぬとも 君があたり 去らぬ鏡の 影は離れじ |
〔源氏〕たとえわが身はこのように流浪しようとも 鏡に映った影はあなたの元を離れずに残っていましょう |
173 答 |
別れても 影だにとまる ものならば 鏡を見ても 慰めてまし |
〔紫上〕お別れしてもせめて影だけでもとどまっていてくれるものならば 鏡を見て慰めることもできましょうに |
174 贈 |
月影の 宿れる袖は せばくとも とめても見ばや あかぬ光を |
〔花散里〕月の光が映っているわたしの袖は狭いですが そのまま留めて置きたいと思います、見飽きることのない光を |
175 答 |
行きめぐり つひにすむべき 月影の しばし雲らむ 空な眺めそ |
〔源氏〕大空を行きめぐって、ついには澄むはずの月の光ですから しばらくの間曇っているからといって悲観なさいますな |
176 贈 |
逢ふ瀬なき 涙の河に 沈みしや 流るる澪の 初めなりけむ |
〔源氏〕あなたに逢えないことに涙を流したことが 流浪する身の上となるきっかけだったのでしょうか |
177 答 |
涙河 浮かぶ水泡も 消えぬべし 流れて後の 瀬をも待たずて |
〔朧月夜〕涙川に浮かんでいる水泡も消えてしまうでしょう 生きながらえて再びお会いできる日を待たないで |
178 贈 |
見しはなく あるは悲しき 世の果てを 背きしかひも なくなくぞ経る |
〔藤壺〕お連れ添い申した院は亡くなられ、生きておいでの方は悲しいお身の上の世の末を 出家した甲斐もなくわたしは泣きの涙で暮らしています |
179 答 |
別れしに 悲しきことは 尽きにしを またぞこの世の 憂さはまされる |
〔源氏〕父院にお別れした折に悲しい思いを尽くしたと思ったはずなのに またもこの世のさらに辛いことに遭います |
180 贈 |
ひき連れて 葵かざしし そのかみを 思へばつらし 賀茂の瑞垣 |
〔右近の将監の蔵人〕お供をして葵を頭に挿した御禊の日のことを思うと 御利益がなかったのかとつらく思われます、賀茂の神様 |
181 答 |
憂き世をば 今ぞ別るる とどまらむ 名をば糺の 神にまかせて |
〔源氏〕辛い世の中を今離れて行きます、後に残る 噂の是非は、糺の神にお委ねして |
182 独 |
亡き影や いかが見るらむ よそへつつ 眺むる月も 雲隠れぬる |
〔源氏〕亡き父上はどのように御覧になっていらっしゃることだろうか 父上のように思って見ていた月の光も雲に隠れてしまった |
183 贈 |
いつかまた 春の都の 花を見む 時失へる 山賤にして |
〔源氏→冷泉(藤壺と源氏の子)〕いつ再び春の都の花盛りを見ることができましょうか 時流を失った山賤のわが身となって |
184 代答 |
咲きてとく 散るは憂けれど ゆく春は 花の都を 立ち帰り見よ |
〔王命婦:春宮の代作〕咲いたかと思うとすぐに散ってしまう桜の花は悲しいけれども 再び都に戻って来て春の都を御覧ください |
185 贈 |
生ける世の 別れを知らで 契りつつ 命を人に 限りけるかな |
〔源氏〕生きている間にも生き別れというものがあるとは知らずに 命のある限りは一緒にと信じていましたことよ |
186 答 |
惜しからぬ 命に代へて 目の前の 別れをしばし とどめてしがな |
〔紫上〕惜しくもないわたしの命に代えて、今のこの 別れを少しの間でも引きとどめて置きたいものです |
187 独 |
唐国に 名を残しける 人よりも 行方知られぬ 家居をやせむ |
〔源氏〕唐国で名を残した人以上に 行方も知らない侘住まいをするのだろうか |
188 独 |
故郷を 峰の霞は 隔つれど 眺むる空は 同じ雲居か |
〔源氏〕住みなれた都の方を峰の霞は遠く隔てているが わたしが悲しい気持ちで眺めている空は都であの人が眺めているのと同じ空なのだ |
189 贈 |
松島の 海人の苫屋も いかならむ 須磨の浦人 しほたるるころ |
〔源氏→藤壺:入道の宮〕私の帰りを待っていらっしゃる出家されたあなた様はいかがお過ごしでしょうか わたしは須磨の浦で涙に泣き濡れております今日このごろです |
190 贈 |
こりずまの 浦のみるめの ゆかしきを 塩焼く海人や いかが思はむ |
〔源氏→朧月夜=尚侍〕性懲りもなくお逢いしたく思っていますが あなた様はどう思っておいででしょうか |
191 答 |
塩垂るる ことをやくにて 松島に 年ふる海人も 嘆きをぞつむ |
〔藤壺〕涙に濡れているのを仕事として 出家したわたしも嘆きを積み重ねています |
192 答 |
浦にたく 海人だにつつむ 恋なれば くゆる煙よ 行く方ぞなき |
〔朧月夜=尚侍君〕須磨の浦の海人でさえ人目を隠す恋の火ですから 人目多い都にいる思いはくすぶり続けて晴れようがありません |
193 贈:独 |
浦人の 潮くむ袖に 比べ見よ 波路へだつる 夜の衣を |
〔紫上=姫君→源氏〕あなたのお袖とお比べになってみてください 遠く波路を隔てた都で独り袖を濡らしている夜の衣と |
194 贈 |
うきめかる 伊勢をの海人を 思ひやれ 藻塩垂るてふ 須磨の浦にて |
〔六条御息所〕辛く淋しい思いを致してます伊勢の人を思いやってくださいまし やはり涙に暮れていらっしゃるという須磨の浦から |
195 贈 |
伊勢島や 潮干の潟に 漁りても いふかひなきは 我が身なりけり |
〔六条御息所〕伊勢の海の干潟で貝取りしましても 何の生き甲斐もないのはこのわたしです |
196 答 |
伊勢人の 波の上 漕ぐ小舟にも うきめは刈らで 乗らましものを |
〔源氏〕伊勢人が波の上を漕ぐ舟に一緒に乗ってお供すればよかったものを 須磨で浮海布など刈って辛い思いをしているよりは |
197 答 |
海人がつむ なげきのなかに 塩垂れて いつまで須磨の 浦に眺めむ |
〔源氏〕海人が積み重ねる投げ木の中に涙に濡れて いつまで須磨の浦にさすらっていることでしょう |
198 贈:独 |
荒れまさる 軒のしのぶを 眺めつつ しげくも露の かかる袖かな |
〔花散里→源氏〕荒れて行く軒の忍ぶ草を眺めていますと ひどく涙の露に濡れる袖ですこと |
199 独 |
恋ひわびて 泣く音にまがふ 浦波は 思ふ方より 風や吹くらむ |
〔源氏〕恋いわびて泣くわが泣き声に交じって波音が聞こえてくるが それは恋い慕っている都の方から風が吹くからであろうか |
200 唱 |
初雁は 恋しき人の 列なれや 旅の空飛ぶ 声の悲しき |
〔源氏〕初雁は恋しい人の仲間なのだろうか 旅の空を飛んで行く声が悲しく聞こえる |
201 唱 |
かきつらね 昔のことぞ 思ほゆる 雁はその世の 友ならねども |
〔良清〕次々と昔の事が懐かしく思い出されます 雁は昔からの友達であったわけではないのだが |
202 唱 |
心から 常世を捨てて 鳴く雁を 雲のよそにも 思ひけるかな |
〔民部大輔=惟光(全集)〕自分から常世を捨てて旅の空に鳴いて行く雁を ひとごとのように思っていたことよ |
203 唱 |
常世出でて 旅の空なる 雁がねも 列に遅れぬ ほどぞ慰む |
〔前右近将督〕常世を出て旅の空にいる雁も 仲間に外れないでいるあいだは心も慰みましょう |
204 独 |
見るほどぞ しばし慰む めぐりあはむ 月の都は 遥かなれども |
〔源氏〕見ている間は暫くの間だが心慰められる また廻り逢おうと思う月の都は、遥か遠くではあるが |
205 独 |
憂しとのみ ひとへにものは 思ほえで 左右にも 濡るる袖かな |
〔源氏〕辛いとばかり一途に思うこともできず 恋しさと辛さとの両方に濡れるわが袖よ |
206 贈 |
琴の音に 弾きとめらるる 綱手縄 たゆたふ心 君知るらめや |
〔五節:筑紫の五節(全集)〕琴の音に引き止められた綱手縄のように ゆらゆら揺れているわたしの心をお分かりでしょうか |
207 答 |
心ありて 引き手の綱の たゆたはば うち過ぎましや 須磨の浦波 |
〔源氏〕わたしを思う心があって引手綱のように揺れるというならば 通り過ぎて行きましょうか、この須磨の浦を |
208 独 |
山賤の 庵に焚ける しばしばも 言問ひ来なむ 恋ふる里人 |
〔源氏〕賤しい山人が粗末な家で焼いている柴のように しばしば便りを寄せてほしいわが恋しい都の人よ |
209 独 |
いづ方の 雲路に我も 迷ひなむ 月の見るらむ ことも恥づかし |
〔源氏〕どの方角の雲路にわたしも迷って行くことであろう 月が見ているだろうことも恥ずかしい |
210 独 |
友千鳥 諸声に鳴く 暁は ひとり寝覚の 床も頼もし |
〔源氏〕友千鳥が声を合わせて鳴いている明け方は 独り寝覚めて泣くわたしも心強い気がする |
211 独 |
いつとなく 大宮人の 恋しきに 桜かざしし 今日も来にけり |
〔源氏〕いつと限らず大宮人が恋しく思われるのに 桜をかざして遊んだその日がまたやって来た |
212 贈 |
故郷を いづれの春か 行きて見む うらやましきは 帰る雁がね |
〔源氏〕ふる里をいつの春にか見ることができるだろう 羨ましいのは今帰って行く雁だ |
213 答 |
あかなくに 雁の常世を 立ち別れ 花の都に 道や惑はむ |
〔頭中将〕まだ飽きないまま雁は常世を立ち去りますが 花の都への道にも惑いそうです |
214 贈 |
雲近く 飛び交ふ鶴も 空に見よ 我は春日の 曇りなき身ぞ |
〔源氏〕雲の近くを飛びかっている鶴よ、雲上人よ、はっきりとご照覧あれ わたしは春の日のようにいささかも疚しいところのない身です |
215 答 |
たづかなき 雲居にひとり 音をぞ鳴く 翼並べし 友を恋ひつつ |
〔頭中将〕頼りない雲居にわたしは独りで泣いています かつて共に翼を並べた君を恋い慕いながら |
216 独 |
知らざりし 大海の原に 流れ来て ひとかたにやは ものは悲しき |
〔源氏〕見も知らなかった大海原に流れきて 人形に一方ならず悲しく思われることよ |
217 独 |
八百よろづ 神もあはれと 思ふらむ 犯せる罪の それとなければ |
〔源氏〕八百万の神々もわたしを哀れんでくださるでしょう これといって犯した罪はないのだから |
明石 30首 |
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内訳:17(源氏)、6(明石)、3(明石入道)、2(紫上)、1×2(朱雀帝、五節) | ||
→【逐語分析】 | ||
218 贈:独 |
浦風や いかに吹くらむ 思ひやる 袖うち濡らし 波間なきころ |
〔紫上→源氏〕須磨の浦ではどんなに激しく風が吹いていることでしょう 心配で袖を涙で濡らしている今日このごろです |
219 独 |
海にます 神の助けに かからずは 潮の八百会に さすらへなまし |
〔源氏〕海に鎮座まします神の御加護がなかったならば 潮の渦巻く遥か沖合に流されていたことであろう |
220 贈:独 |
遥かにも 思ひやるかな 知らざりし 浦よりをちに 浦伝ひして |
〔源氏→紫上〕遥か遠くより思いやっております 知らない浦からさらに遠くの浦に流れ来ても |
221 独 |
あはと見る 淡路の島の あはれさへ 残るくまなく 澄める夜の月 |
〔源氏〕ああと、しみじみ眺める淡路島の悲しい情趣まで すっかり照らしだす今宵の月であることよ |
222 贈 |
一人寝は 君も知りぬや つれづれと 思ひ明かしの 浦さびしさを |
〔明石入道〕独り寝はあなた様もお分かりになったでしょうか 所在なく物思いに夜を明かしている明石の浦の心淋しさを |
223 答 |
旅衣 うら悲しさに 明かしかね 草の枕は 夢も結ばず |
〔源氏〕旅の生活の寂しさに夜を明かしかねて 安らかな夢を見ることもありません |
224 贈 |
をちこちも 知らぬ雲居に 眺めわび かすめし宿の 梢をぞ訪ふ |
〔源氏〕何もわからない土地にわびしい生活を送っていましたが お噂を耳にしてお便りを差し上げます |
225 答 |
眺むらむ 同じ雲居を 眺むるは 思ひも同じ 思ひなるらむ |
〔明石入道〕物思いされながら眺めていらっしゃる空を同じく眺めていますのは 娘もきっと同じ気持ちだからなのでしょう |
226 贈 |
いぶせくも 心にものを 悩むかな やよやいかにと 問ふ人もなみ |
〔源氏〕悶々として心の中で悩んでおります いかがですかと尋ねてくださる人もいないので |
227 答 |
思ふらむ 心のほどや やよいかに まだ見ぬ人の 聞きか悩まむ |
〔明石〕思って下さるとおっしゃいますが、その真意はいかがなものでしょうか まだ見たこともない方が噂だけで悩むということがあるのでしょうか |
228 独 |
秋の夜の 月毛の駒よ 我が恋ふる 雲居を翔れ 時の間も見む |
〔源氏〕秋の夜の月毛の駒よ、わが恋する都へ天翔っておくれ 束の間でもあの人に会いたいので |
229 贈 |
むつごとを 語りあはせむ 人もがな 憂き世の夢も なかば覚むやと |
〔源氏〕睦言を語り合える相手が欲しいものです この辛い世の夢がいくらかでも覚めやしないかと |
230 答 |
明けぬ夜に やがて惑へる 心には いづれを夢と わきて語らむ |
〔明石〕闇の夜にそのまま迷っておりますわたしには どちらが夢か現実かと区別してお話し相手になれましょう |
231 贈 |
しほしほと まづぞ泣かるる かりそめの みるめは海人の すさびなれども |
〔源氏〕あなたのことが思い出されて、さめざめと泣けてしまいます かりそめの恋は海人のわたしの遊び事ですけれども |
232 答 |
うらなくも 思ひけるかな 契りしを 松より波は 越えじものぞと |
〔紫上〕固い約束をしましたので、何の疑いもなく信じておりました 末の松山のように、心変わりはないものと |
233 贈 |
このたびは 立ち別るとも 藻塩焼く 煙は同じ 方になびかむ |
〔源氏〕今はいったんお別れしますが、藻塩焼く 煙が同じ方向にたなびいているようにいずれは一緒に暮らしましょう |
234 答 |
かきつめて 海人のたく藻の 思ひにも 今はかひなき 恨みだにせじ |
〔明石〕あれこれと何とも悲しい気持ちでいっぱいですが 今は申しても甲斐のないことですから、お恨みはいたしません |
235 贈 |
なほざりに 頼め置くめる 一ことを 尽きせぬ音にや かけて偲ばむ |
〔明石〕軽いお気持ちでおっしゃるお言葉でしょうが その一言を悲しくて泣きながら心にかけて、お偲び申します |
236 答 |
逢ふまでの かたみに契る 中の緒の 調べはことに 変はらざらなむ |
〔源氏〕今度逢う時までの形見に残した琴の中の緒の調子のように 二人の仲の愛情も、格別変わらないでいて欲しいものです |
237 贈 |
うち捨てて 立つも悲しき 浦波の 名残いかにと 思ひやるかな |
〔源氏〕あなたを置いて明石の浦を旅立つわたしも悲しい気がしますが 後に残ったあなたはさぞやどのような気持ちでいられることかお察しします |
238 答 |
年経つる 苫屋も荒れて 憂き波の 返る方にや 身をたぐへまし |
〔明石〕長年住みなれたこの苫屋も、あなた様が立ち去った後は荒れはてて つらい思いをしましょうから、いっそ打ち返す波に身を投げてしまおうかしら |
239 贈 |
寄る波に 立ちかさねたる 旅衣 しほどけしとや 人の厭はむ |
〔明石〕ご用意致しました旅のご装束は寄る波の 涙に濡れていまので、お厭いになられましょうか |
240 答 |
かたみにぞ 換ふべかりける 逢ふことの 日数隔てむ 中の衣を |
〔源氏〕お互いに形見として着物を交換しましょう また逢える日までの間の二人の仲の、この中の衣を |
241 贈 |
世をうみに ここらしほじむ 身となりて なほこの岸を えこそ離れね |
〔明石入道〕世の中が嫌になって長年この海浜の汐風に吹かれて暮らして来たが なお依然として子の故に此岸を離れることができずにおります |
242 答 |
都出でし 春の嘆きに 劣らめや 年経る浦を 別れぬる秋 |
〔源氏〕都を立ち去ったあの春の悲しさに決して劣ろうか 年月を過ごしてきたこの浦を離れる悲しい秋は |
243 贈 |
わたつ海に しなえうらぶれ 蛭の児の 脚立たざりし 年は経にけり |
〔源氏〕海浜でうちしおれて落ちぶれながら蛭子のように 立つこともできず三年を過ごして来ました |
244 答 |
宮柱 めぐりあひける 時しあれば 別れし春の 恨み残すな |
〔朱雀帝〕こうしてめぐり会える時があったのだから あの別れた春の恨みはもう忘れてください |
245 贈:独 |
嘆きつつ 明石の浦に 朝霧の 立つやと人を 思ひやるかな |
〔源氏→明石〕お嘆きになりながら暮らしていらっしゃる明石の浦には 嘆きの息が朝霧となって立ちこめているのではないかと思いやっています |
246 贈 |
須磨の浦に 心を寄せし 舟人の やがて朽たせる 袖を見せばや |
〔五節〕須磨の浦で好意をお寄せ申した舟人が そのまま涙で朽ちさせてしまった袖をお見せ申しとうございます |
247 答 |
帰りては かことやせまし 寄せたりし 名残に袖の 干がたかりしを |
〔源氏〕かえってこちらこそ愚痴を言いたいくらいです、ご好意を寄せていただいて それ以来涙に濡れて袖が乾かないものですから |
澪標(みおつくし) 17首 |
||
内訳:9(源氏)、3(明石)、1×5(宣旨の娘=明石姫君乳母、紫上、花散里、惟光、斎宮) | ||
→【逐語分析】 | ||
248 贈 |
かねてより 隔てぬ仲と ならはねど 別れは惜しき ものにぞありける |
〔源氏〕以前から特に親しい仲であったわけではないが 別れは惜しい気がするものであるよ |
249 答 |
うちつけの 別れを惜しむ かことにて 思はむ方に 慕ひやはせぬ |
〔宣旨の娘=明石姫君乳母〕口から出まかせの別れを惜しむことばにかこつけて 恋しい方のいらっしゃる所に行きたいのではありませんか |
250 贈 |
いつしかも 袖うちかけむ をとめ子が 世を経て撫づる 岩の生ひ先 |
〔源氏〕早くわたしの手元に姫君を引き取って世話をしてあげたい 天女が羽衣で岩を撫でるように幾千万年も姫の行く末を祝って |
251 答 |
ひとりして 撫づるは袖の ほどなきに 覆ふばかりの 蔭をしぞ待つ |
〔明石〕わたし一人で姫君をお世話するには行き届きませんので 大きなご加護を期待しております |
252 贈 |
思ふどち なびく方には あらずとも われぞ煙に 先立ちなまし |
〔紫上〕愛しあっている同士が同じ方向になびいているのとは違って わたしは先に煙となって死んでしまいたい |
253 答 |
誰れにより 世を海山に 行きめぐり 絶えぬ涙に 浮き沈む身ぞ |
〔源氏〕いったい誰のために憂き世を海や山にさまよって 止まることのない涙を流して浮き沈みしてきたのでしょうか |
254 贈 |
海松や 時ぞともなき 蔭にゐて 何のあやめも いかにわくらむ |
〔源氏〕海松は、いつも変わらない蔭にいたのでは、 今日が五日の節句の 五十日の祝とどうしてお分りになりましょうか |
255 答 |
数ならぬ み島隠れに 鳴く鶴を 今日もいかにと 問ふ人ぞなき |
〔明石〕人数に入らないわたしのもとで育つわが子を 今日の五十日の祝いはどうしているかと尋ねてくれる人は他にいません |
256 贈 |
水鶏だに おどろかさずは いかにして 荒れたる宿に 月を入れまし |
〔花散里〕せめて水鶏だけでも戸を叩いて知らせてくれなかったら どのようにしてこの荒れた邸に月の光を迎え入れることができたでしょうか |
257 答 |
おしなべて たたく水鶏に おどろかば うはの空なる 月もこそ入れ |
〔源氏〕どの家の戸でも叩く水鶏の音に見境なしに戸を開けたら わたし以外の月の光が入って来たら大変だ |
258 贈 |
住吉の 松こそものは かなしけれ 神代のことを かけて思へば |
〔惟光〕住吉の松を見るにつけ感慨無量です 昔のことがを忘れられずに思われますので |
259 答 |
荒かりし 波のまよひに 住吉の 神をばかけて 忘れやはする |
〔源氏〕あの須磨の大嵐が荒れ狂った時に 念じた住吉の神の御神徳をどうして忘られようぞ |
260 贈 |
みをつくし 恋ふるしるしに ここまでも めぐり逢ひける えには深しな |
〔源氏〕身を尽くして恋い慕っていた甲斐のあるここで めぐり逢えたとは、宿縁は深いのですね |
261 答 |
数ならで 難波のことも かひなきに などみをつくし 思ひそめけむ |
〔明石〕とるに足らない身の上で、何もかもあきらめておりましたのに どうして身を尽くしてまでお慕い申し上げることになったのでしょう |
262 独 |
露けさの 昔に似たる 旅衣 田蓑の島の 名には隠れず |
〔源氏〕涙に濡れる旅の衣は、昔、海浜を流浪した時と同じようだ 田蓑の島という名の蓑の名には身は隠れないので |
263 贈 |
降り乱れ ひまなき空に 亡き人の 天翔るらむ 宿ぞ悲しき |
〔源氏〕雪や霙がしきりに降り乱れている中空を、亡き母宮の御霊が まだ家の上を離れずに天翔けっていらっしゃるのだろうと悲しく思われます |
264 答 |
消えがてに ふるぞ悲しき かきくらし わが身それとも 思ほえぬ世に |
〔斎宮〕消えそうになく生きていますのが悲しく思われます 毎日涙に暮れてわが身がわが身とも思われません世の中に |
蓬生(よもぎう) 6首 |
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内訳:3(末摘花)、2(源氏)、1(侍従) | ||
→【逐語分析】 | ||
265 贈 |
絶ゆまじき 筋を頼みし 玉かづら 思ひのほかに かけ離れぬる |
〔末摘花〕あなたを絶えるはずのない間柄だと信頼していましたが 思いのほかに遠くへ行ってしまうのですね |
266 答 |
玉かづら 絶えてもやまじ 行く道の 手向の神も かけて誓はむ |
〔侍従〕お別れしましてもお見捨て申しません 行く道々の道祖神にかたくお誓いしましょう |
267 独 |
亡き人を 恋ふる袂の ひまなきに 荒れたる軒の しづくさへ添ふ |
〔末摘花〕亡き父上を恋い慕って泣く涙で袂の乾く間もないのに 荒れた軒の雨水までが降りかかる |
268 独 |
尋ねても 我こそ訪はめ 道もなく 深き蓬の もとの心を |
〔源氏〕誰も訪ねませんがわたしこそは訪問しましょう 道もないくらい深く茂った蓬の宿の姫君の変わらないお心を |
269 贈 |
藤波の うち過ぎがたく 見えつるは 松こそ宿の しるしなりけれ |
〔源氏〕松にかかった藤の花を見過ごしがたく思ったのは その松がわたしを待つというあなたの家の目じるしであったのですね |
270 答 |
年を経て 待つしるしなき わが宿を 花のたよりに 過ぎぬばかりか |
〔末摘花〕長年待っていた甲斐のなかったわたしの宿を あなたはただ藤の花を御覧になるついでにお立ち寄りになっただけなのですね |
関屋 3首 |
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内訳:2(空蝉)、1(源氏) | ||
→【逐語分析】 | ||
271 独 |
行くと来と せき止めがたき 涙をや 絶えぬ清水と 人は見るらむ |
〔空蝉〕行く時も帰る時にも逢坂の関で、せきとめがたく流れるわたしの涙を 絶えず流れる関の清水と人は見るでしょう |
272 贈 |
わくらばに 行き逢ふ道を 頼みしも なほかひなしや 潮ならぬ海 |
〔源氏〕偶然に近江路でお逢いしたことに期待を寄せていましたが それも効ありませんね、やはり潮海ではないから |
273 答 |
逢坂の 関やいかなる 関なれば しげき嘆きの 仲を分くらむ |
〔空蝉〕逢坂の関は、いったいどのような関なのでしょうか こんなに深い嘆きを起こさせ、人の仲を分けるのでしょう |
絵合(えあわせ) 9首 |
||
内訳:3(斎宮)、2(朱雀院)、1×4(紫上、源氏、大弐典侍、平内侍) | ||
→【逐語分析】 | ||
274 贈 |
別れ路に 添へし小櫛を かことにて 遥けき仲と 神やいさめし |
〔朱雀院〕別れの御櫛を差し上げましたが、それを口実に あなたとの仲を遠く離れたものと神がお決めになったのでしょうか |
275 答 |
別るとて 遥かに言ひし 一言も かへりてものは 今ぞ悲しき |
〔斎宮〕別れの御櫛をいただいた時に仰せられた一言が 帰京した今となっては悲しく思われます |
276 贈 |
一人ゐて 嘆きしよりは 海人の住む かたをかくてぞ 見るべかりける |
〔紫上〕独り都に残って嘆いていた時よりも、海人が住んでいる 干潟を絵に描いていたほうがよかったわ |
277 答 |
憂きめ見し その折よりも 今日はまた 過ぎにしかたに かへる涙か |
〔源氏〕辛い思いをしたあの当時よりも、今日はまた 再び過去を思い出していっそう涙が流れて来ます |
278 唱:贈 |
伊勢の海の 深き心を たどらずて ふりにし跡と 波や消つべき |
〔平内侍:左方。主張〕伊勢物語の【海のように】深い心を訪ねないで 単に古い物語だからといって価値まで落としめてよいものでしょうか |
279 唱:答 |
雲の上に 思ひのぼれる 心には 千尋の底も はるかにぞ見る |
〔大弐の典侍:右方。否認〕雲居の宮中に【思い】上った正三位の心から見ますと 伊勢物語の千尋の心も遥か下の方に見えます【千尋→業平の噂。伊勢73】 |
280 唱:答 |
みるめこそ うらふりぬらめ 年経にし 伊勢をの海人の 名をや沈めむ |
〔斎宮:左方・伊勢斎宮・梅壺の抗弁 ×藤壺:通説〕 ちょっと見た目には古くさく見えましょうが昔から名高い 伊勢物語【伊勢の無名の昔男】の名を【底の浅い業平の名で】落としめることができましょうか |
281 贈 |
身こそかくし めの外なれ そのかみの 心のうちを 忘れしもせず |
〔朱雀院〕わが身はこのように内裏の外におりますが あの当時の気持ちは今でも忘れずにおります |
282 答 |
しめのうちは 昔にあらぬ 心地して 神代のことも 今ぞ恋しき |
〔斎宮〕内裏の中は昔とすっかり変わってしまった気がして 神にお仕えしていた昔のことが今は恋しく思われます |
松風(まつかぜ) 16首 |
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内訳:4×3(明石尼君、明石、源氏)、1×4(明石入道、冷泉帝、※頭中将=旧大系・全集本巻一首のみ別人扱い、左大弁) | ||
→【逐語分析】 | ||
283 唱 |
行く先を はるかに祈る 別れ路に 堪へぬは老いの 涙なりけり |
〔明石入道〕姫君の将来がご幸福であれと祈る別れに際して 堪えきれないのは老人の涙であるよ |
284唱 |
もろともに 都は出で来 このたびや ひとり野中の 道に惑はむ |
〔明石尼君〕ご一緒に都を出て来ましたが、今度の旅は 一人で都へ帰る野中の道で迷うことでしょう |
285唱 |
いきてまた あひ見むことを いつとてか 限りも知らぬ 世をば頼まむ |
〔明石〕京へ行って生きて再びお会いできることをいつと思って 限りも分からない寿命を頼りにできましょうか |
286 贈 |
かの岸に 心寄りにし 海人舟の 背きし方に 漕ぎ帰るかな |
〔明石尼君〕彼岸の浄土に思いを寄せていた尼のわたしが 捨てた都の世界に帰って行くのだわ |
287 答 |
いくかへり 行きかふ秋を 過ぐしつつ 浮木に乗りて われ帰るらむ |
〔明石〕何年も秋を過ごし過ごしして来たが 頼りない舟に乗って都に帰って行くのでしょう |
288 贈 |
身を変へて 一人帰れる 山里に 聞きしに似たる 松風ぞ吹く |
〔明石尼君〕尼姿となって一人帰ってきた山里に 昔聞いたことがあるような松風が吹いている |
289 答 |
故里に 見し世の友を 恋ひわびて さへづることを 誰れか分くらむ |
〔明石〕故里で昔親しんだ人を恋い慕って弾く 田舎びた琴の音を誰が分かってくれようか |
290 贈 |
住み馴れし 人は帰りて たどれども 清水は宿の 主人顔なる |
〔明石尼君〕かつて住み慣れていたわたしは帰って来て、昔のことを思い出そうとするが 遣水はこの家の主人のような昔ながらの音を立てています |
291 答 |
いさらゐは はやくのことも 忘れじを もとの主人や 面変はりせる |
〔源氏〕小さな遣水は昔のことも忘れないのに もとの主人は姿を変えてしまったからであろうか |
292 贈 |
契りしに 変はらぬ琴の 調べにて 絶えぬ心の ほどは知りきや |
〔源氏〕約束したとおり、琴の調べのように変わらない わたしの心をお分かりいただけましたか |
293 答 |
変はらじと 契りしことを 頼みにて 松の響きに 音を添へしかな |
〔明石〕変わらないと約束なさったことを頼みとして 松風の音に泣く声を添えて待っていました |
294 贈 |
月のすむ 川のをちなる 里なれば 桂の影は のどけかるらむ |
〔冷泉帝〕月が澄んで見える桂川の向こうの里なので 月の光をゆっくりと眺められることであろう |
295 答 |
久方の 光に近き 名のみして 朝夕霧も 晴れぬ山里 |
〔源氏〕桂の里といえば月に近いように思われますが それは名ばかりで朝夕霧も晴れない山里です |
296 唱 |
めぐり来て 手に取るばかり さやけきや 淡路の島の あはと見し月 |
〔源氏〕都に帰って来て手に取るばかり近くに見える月は あの淡路島を臨んで遥か遠くに眺めた月と同じ月なのだろうか |
297 唱 |
浮雲に しばしまがひし 月影の すみはつる夜ぞ のどけかるべき |
〔頭中将=認定内訳注意※〕浮雲に少しの間隠れていた月の光【しばし見紛えた月影】も 今は澄みきっているようにいつまでものどかでありましょう |
298 唱 |
雲の上の すみかを捨てて 夜半の月 いづれの谷に かげ隠しけむ |
〔左大弁〕まだまだご健在であるはずの故院はどこの谷間に お姿をお隠しあそばしてしまわれたのだろう |
薄雲(うすぐも) 10首 |
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内訳:5(源氏)、3(明石)、1×2(乳母=宣旨の娘:明石姫君乳母、紫上) | ||
→【逐語分析】 | ||
299 贈 |
雪深み 深山の道は 晴れずとも なほ文かよへ 跡絶えずして |
〔明石〕雪が深いので奥深い山里への道は通れなくなろうとも どうか手紙だけはください、跡の絶えないように |
300 答 |
雪間なき 吉野の山を 訪ねても 心のかよふ 跡絶えめやは |
〔乳母=宣旨の娘:明石姫君乳母〕雪の消える間もない吉野の山奥であろうとも必ず訪ねて行って 心の通う手紙を絶やすことは決してしません |
301 贈 |
末遠き 二葉の松に 引き別れ いつか木高き かげを見るべき |
〔明石〕幼い姫君にお別れしていつになったら 立派に成長した姿を見ることができるのでしょう |
302 答 |
生ひそめし 根も深ければ 武隈の 松に小松の 千代をならべむ |
〔源氏〕生まれてきた因縁も深いのだから いづれ一緒に暮らせるようになりましょう |
303 贈 |
舟とむる 遠方人の なくはこそ 明日帰り来む 夫と待ち見め |
〔紫上〕あなたをお引き止めするあちらの方がいらっしゃらないのなら 明日帰ってくるあなたと思ってお待ちいたしましょうが |
304 答 |
行きて見て 明日もさね来む なかなかに 遠方人は 心置くとも |
〔源氏〕ちょっと行ってみて明日にはすぐに帰ってこよう かえってあちらが機嫌を悪くしようとも |
305 独 |
入り日さす 峰にたなびく 薄雲は もの思ふ袖に 色やまがへる |
〔源氏〕入日が射している峰の上にたなびいている薄雲は 悲しんでいるわたしの喪服の袖の色に似せたのだろうか |
306 贈:独 |
君もさは あはれを交はせ 人知れず わが身にしむる 秋の夕風 |
〔源氏→斎宮〕あなたもそれでは情趣を交わしてください、誰にも知られず 自分ひとりでしみじみと身にしみて感じている秋の夕風ですから |
307 贈 |
漁りせし 影忘られぬ 篝火は 身の浮舟や 慕ひ来にけむ |
〔明石〕あの明石の浦の漁り火が思い出されますのは わが身の憂さを追ってここまでやって来たのでしょうか |
308 答 |
浅からぬ したの思ひを 知らねばや なほ篝火の 影は騒げる |
〔源氏〕わたしの深い気持ちを御存知ないからでしょうか 今でも篝火のようにゆらゆらと心が揺れ動くのでしょう |
朝顔 13首 |
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内訳:8(源氏)、3(朝顔:斎院)、1×2(源典侍、紫上) | ||
→【逐語分析】 | ||
309 贈 |
人知れず 神の許しを 待ちし間に ここらつれなき 世を過ぐすかな |
〔源氏〕誰にも知られず賀茂の神のお許しを待っていた間に 長年つらい世を過ごしてきたことよ |
310 答 |
なべて世の あはればかりを 問ふからに 誓ひしことと 神やいさめむ |
〔朝顔:斎院〕一通りのお見舞いの挨拶をするだけでも 誓ったことに背くと賀茂の神がお戒めになるでしょう |
311 贈 |
見し折の つゆ忘られぬ 朝顔の 花の盛りは 過ぎやしぬらむ |
〔源氏〕昔拝見したあなたがどうしても忘れられません その朝顔の花は盛りを過ぎてしまったのでしょうか |
312 答 |
秋果てて 霧の籬に むすぼほれ あるかなきかに 移る朝顔 |
〔朝顔:斎院〕秋は終わって霧の立ち込める垣根にしぼんで 今にも枯れそうな朝顔の花のようなわたしです |
313 独 |
いつのまに 蓬がもとと むすぼほれ 雪降る里と 荒れし垣根ぞ |
〔源氏〕いつの間にこの邸は蓬が生い茂り 雪に埋もれたふる里となってしまったのだろう |
314 贈 |
年経れど この契りこそ 忘られね 親の親とか 言ひし一言 |
〔源典侍〕何年たってもあなたとのご縁が忘れられません 親の親――わたしはあなたの祖母、とかおっしゃった一言がございますもの |
315 答 |
身を変へて 後も待ち見よ この世にて 親を忘るる ためしありやと |
〔源氏〕来世に生まれ変わった後まで待って見てください この世で子が親を忘れる例があるかどうかと |
316 贈 |
つれなさを 昔に懲りぬ 心こそ 人のつらきに 添へてつらけれ |
〔源氏〕昔のつれない仕打ちに懲りもしないわたしの心までが あなたがつらく思う心に加わってつらく思われるのです |
317 答 |
あらためて 何かは見えむ 人のうへに かかりと聞きし 心変はりを |
〔朝顔:斎院〕今さらどうして気持ちを変えたりしましょう 他人ではそのようなことがあると聞きました心変わりを |
318 贈 |
氷閉ぢ 石間の水は 行きなやみ 空澄む月の 影ぞ流るる |
〔紫上〕氷に閉じこめられた石間の遣水は流れかねているが 空に澄む月の光はとどこおりなく西へ流れて行く |
319 答 |
かきつめて 昔恋しき 雪もよに あはれを添ふる 鴛鴦の浮寝か |
〔源氏〕何もかも昔のことが恋しく思われる雪の夜に いっそうしみじみと思い出させる鴛鴦の鳴き声であることよ |
320 独 |
とけて寝ぬ 寝覚さびしき 冬の夜に むすぼほれつる 夢の短さ |
〔源氏〕安らかに眠られずふと寝覚めた寂しい冬の夜に 見た夢の何とも短かかったことよ |
321 独 |
亡き人を 慕ふ心に まかせても 影見ぬ三つの 瀬にや惑はむ |
〔源氏〕亡くなった方を恋慕う心にまかせてお尋ねしても その姿も見えない三途の川のほとりで迷うことであろうか |
乙女/少女 16首 |
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内訳:5(夕霧)、3(源氏)、1×8(朝顔、雲居雁、五節、朱雀院、蛍兵部卿、冷泉帝、斎宮、紫上) | ||
→【逐語分析】 | ||
322 贈 |
かけきやは 川瀬の波も たちかへり 君が禊の 藤のやつれを |
〔源氏〕思いもかけませんでした再びあなたが禊をなさろうとは(渋谷) 賀茂の川瀬の波が 立ち返るように御禊の日が巡ってきたのに、 斎院の御禊ならぬ(全集) 喪服(藤衣)にやつれておられ(旧大系)ることを |
323 答 |
藤衣 着しは昨日と 思ふまに 今日は禊の 瀬にかはる世を |
〔朝顔:斎院〕喪服を着たのはつい昨日のことと思っておりましたのに もう今日はそれを脱ぐ禊をするとは、何と移り変わりの早い世の中ですこと |
324 独 |
さ夜中に 友呼びわたる 雁が音に うたて吹き添ふ 荻の上風 |
〔夕霧〕真夜中に友を呼びながら飛んでいく雁の声に さらに悲しく吹き加わる荻の上を吹く風よ |
325 贈 |
くれなゐの 涙に深き 袖の色を 浅緑にや 言ひしをるべき |
〔夕霧〕真っ赤な血の涙を流して恋い慕っているわたしを 浅緑の袖の色だと言ってけなしてよいものでしょうか |
326 答 |
いろいろに 身の憂きほどの 知らるるは いかに染めける 中の衣ぞ |
〔雲居雁〕色々とわが身の不運が思い知らされますのは どのような因縁の二人なのでしょう |
327 独 |
霜氷 うたてむすべる 明けぐれの 空かきくらし 降る涙かな |
〔夕霧〕霜や氷が嫌に張り詰めた明け方の 空を真暗にして降る涙の雨だなあ |
328 贈:独 |
天にます 豊岡姫の 宮人も わが心ざす しめを忘るな |
〔夕霧→藤典侍〕天にいらっしゃる豊岡姫に仕える宮人も わたしのものと思う気持ちを忘れないでください |
329 贈 |
乙女子も 神さびぬらし 天つ袖 古き世の友 よはひ経ぬれば |
〔源氏〕少女だったあなたも神さびたことでしょう 天の羽衣を着て舞った昔の友も長い年月を経たので |
330 答 |
かけて言へば 今日のこととぞ 思ほゆる 日蔭の霜の 袖にとけしも |
〔五節〕五節のことを言いますと、昔のことが今日のことのように思われます 日蔭のかずらを懸けて舞い、お情けを頂戴したことが |
331 贈:独 |
日影にも しるかりけめや 少女子が 天の羽袖に かけし心は |
〔夕霧→藤典侍〕日の光にはっきりとおわかりになったでしょう あなたが天の羽衣も翻して舞う姿に思いをかけたわたしのことを |
332 唱 |
鴬の さへづる声は 昔にて 睦れし花の 蔭ぞ変はれる |
〔源氏〕鴬の囀る声は昔のままですが 馴れ親しんだあの頃とはすっかり時勢が変わってしまいました |
333 唱 |
九重を 霞隔つる すみかにも 春と告げくる 鴬の声 |
〔朱雀院:源氏の異母兄〕宮中から遠く離れた仙洞御所にも 春が来たと鴬の声が聞こえてきます |
334 唱 |
いにしへを 吹き伝へたる 笛竹に さへづる鳥の 音さへ変はらぬ |
〔兵部卿=源氏の異母弟:蛍兵部卿〕昔の音色そのままの笛の音に さらに鴬の囀る声までもちっとも変わっていません |
335 唱 |
鴬の 昔を恋ひて さへづるは 木伝ふ花の 色やあせたる |
〔冷泉帝:源氏と藤壺の子〕鴬が昔を慕って木から木へと飛び移って囀っていますのは 今の木の花の色が悪くなっているからでしょうか |
336 贈 |
心から 春まつ園は わが宿の 紅葉を風の つてにだに見よ |
〔斎宮〕お好みで春をお待ちのお庭では、せめてわたしの方の 紅葉を風のたよりにでも御覧あそばせ |
337 答 |
風に散る 紅葉は軽し 春の色を 岩根の松に かけてこそ見め |
〔紫上〕風に散ってしまう紅葉は心軽いものです、春の変わらない色を この岩にどっしりと根をはった松の常磐の緑を御覧になってほしいものです |
玉鬘(たまかずら) 14首 |
||
内訳:3×2(玉鬘、源氏)、2×2(玉鬘乳母、二人①②)、1×4(大夫の監、兵部の君、右近、末摘花) | ||
→【逐語分析】 | ||
338 唱:贈 |
舟人も たれを恋ふとか 大島の うらがなしげに 声の聞こゆる |
〔二人①=玉鬘乳母:太宰少弐の妻。×姉妹(通説)〕舟人も誰を恋い慕ってか大島の浦に 悲しい声が聞こえます |
339 唱:答 |
来し方も 行方も知らぬ 沖に出でて あはれいづくに 君を恋ふらむ |
〔二人②=玉鬘。cf.343 ×姉妹(通説)〕来た方角もこれから進む方角も分からない沖に出て ああどちらを向いて女君を恋い求めたらよいのでしょう |
340 贈 |
君にもし 心違はば 松浦なる 鏡の神を かけて誓はむ |
〔大夫の監:玉鬘求婚田舎男〕姫君のお心に万が一違うようなことがあったら、どのような罰も受けましょうと 松浦に鎮座まします鏡の神に掛けて誓います |
341 答 |
年を経て 祈る心の 違ひなば 鏡の神を つらしとや見む |
〔玉鬘乳母:太宰少弐の妻(全集)〕長年祈ってきましたことと違ったならば 鏡の神を薄情な神様だとお思い申しましょう |
342 唱:贈 |
浮島を 漕ぎ離れても 行く方や いづく泊りと 知らずもあるかな |
〔兵部の君:太宰少弐の娘(全集)〕浮き島のように思われたこの地を漕ぎ離れて行きますけれど どこが落ち着き先ともわからない身の上ですこと |
343 唱:答 |
行く先も 見えぬ波路に 舟出して 風にまかする 身こそ浮きたれ |
〔玉鬘〕行く先もわからない波路に舟出して 風まかせの身の上こそ頼りないことです |
344 独 |
憂きことに 胸のみ騒ぐ 響きには 響の灘も さはらざりけり |
〔玉鬘乳母:太宰少弐の妻(全集)〕嫌なことに胸がどきどきしてばかりいたので それに比べれば響の灘も名前ばかりでした |
345 贈 |
二本の 杉のたちどを 尋ねずは 古川野辺に 君を見ましや |
〔右近:玉鬘侍女・夕顔の乳母娘〕二本の杉の立っている長谷寺に参詣しなかったなら 古い川の近くで姫君にお逢いできたでしょうか |
346 答 |
初瀬川 はやくのことは 知らねども 今日の逢ふ瀬に 身さへ流れぬ |
〔玉鬘〕昔のことは知りませんが、今日お逢いできた 嬉し涙でこの身まで流れてしまいそうです |
347 贈 |
知らずとも 尋ねて知らむ 三島江に 生ふる三稜の 筋は絶えじを |
〔源氏〕今はご存知なくともやがて聞けばおわかりになりましょう 三島江に生えている三稜のようにわたしとあなたは縁のある関係なのですから |
348 答 |
数ならぬ 三稜や何の 筋なれば 憂きにしもかく 根をとどめけむ |
〔玉鬘〕物の数でもないこの身はどうして 三稜のようにこの世に生まれて来たのでしょう |
349 独 |
恋ひわたる 身はそれなれど 玉かづら いかなる筋を 尋ね来つらむ |
〔源氏〕ずっと恋い慕っていたわが身は同じであるが【玉鬘のような】その娘は どのような縁でここに来たのであろうか |
350 贈 |
着てみれば 恨みられけり 唐衣 返しやりてむ 袖を濡らして |
〔末摘花〕着てみると恨めしく思われます、この唐衣は お返ししましょう、涙で袖を濡らして |
351 答 |
返さむと 言ふにつけても 片敷の 夜の衣を 思ひこそやれ |
〔源氏〕お返ししましょうとおっしゃるにつけても独り寝の あなたをお察しいたします |
初音 6首 |
||
内訳:2×2(源氏、明石)、1×2(紫上、明石姫君) | ||
→【逐語分析】 | ||
352 贈 |
薄氷 解けぬる池の 鏡には 世に曇りなき 影ぞ並べる |
〔源氏〕薄い氷も解けた池の鏡のような面には 世にまたとない二人の影が並んで映っています |
353 答 |
曇りなき 池の鏡に よろづ代を すむべき影ぞ しるく見えける |
〔紫上〕一点の曇りのない池の鏡に幾久しくここに 住んで行くわたしたちの影がはっきりと映っています |
354 贈 |
年月を 松にひかれて 経る人に 今日鴬の 初音聞かせよ |
〔明石〕長い年月を子どもの成長を待ち続けていました わたしに今日はその初音を聞かせてください |
355 答 |
ひき別れ 年は経れども 鴬の 巣立ちし松の 根を忘れめや |
〔明石姫君〕別れて何年も経ちましたがわたしは 生みの母君を忘れましょうか |
356 独 |
めづらしや 花のねぐらに 木づたひて 谷の古巣を 訪へる鴬 |
〔明石〕何と珍しいことか、花の御殿に住んでいる鴬が 谷の古巣を訪ねてくれたとは |
357 独 |
ふるさとの 春の梢に 訪ね来て 世の常ならぬ 花を見るかな |
〔源氏〕昔の邸の春の梢を訪ねて来てみたら 世にも珍しい紅梅の花が咲いていたことよ |
胡蝶 14首 |
||
内訳:4×2(若き人々:秋好中宮(斎宮)方女房/侍女、源氏)、2(玉鬘)、1×4(蛍兵部卿宮=源氏異母弟、紫上、斎宮、岩漏る中将:柏木(通説)) | ||
→【逐語分析】 | ||
358 唱 |
風吹けば 波の花さへ 色見えて こや名に立てる 山吹の崎 |
〔若き人々〕風が吹くと波の花までが色を映して見えますが これが有名な山吹の崎でしょうか |
359 唱 |
春の池や 井手の川瀬に かよふらむ 岸の山吹 そこも匂へり |
〔若き人々〕春の御殿の池は井手の川瀬まで通じているのでしょうか 岸の山吹が水底にまで咲いて見えますこと |
360 唱 |
亀の上の 山も尋ねじ 舟のうちに 老いせぬ名をば ここに残さむ |
〔若き人々〕蓬莱山まで訪ねて行く必要もありません この舟の中で不老の名を残しましょう |
361 唱 |
春の日の うららにさして ゆく舟は 棹のしづくも 花ぞ散りける |
〔若き人々〕春の日のうららかな中を漕いで行く舟は 棹のしずくも花となって散ります |
362 贈 |
紫の ゆゑに心を しめたれば 淵に身投げむ 名やは惜しけき |
〔蛍兵部卿宮〕ゆかりのある方に思いを懸けていますので 淵に身を投げても名誉は惜しくもありません |
363 答 |
淵に身を 投げつべしやと この春は 花のあたりを 立ち去らで見よ |
〔源氏〕淵に身を投げるだけの価値があるかどうか この春の花の近くを離れないでよく御覧なさい |
364 贈 |
花園の 胡蝶をさへや 下草に 秋待つ虫は うとく見るらむ |
〔紫上〕花園の胡蝶までを下草に隠れて 秋を待っている松虫はつまらないと思うのでしょうか |
365 答 |
胡蝶にも 誘はれなまし 心ありて 八重山吹を 隔てざりせば |
〔斎宮〕胡蝶にもつい誘われたいくらいでした 八重山吹の隔てがありませんでしたら |
366 贈:独 |
思ふとも 君は知らじな わきかへり 岩漏る水に 色し見えねば |
〔柏木(全集)=岩漏る中将→玉鬘〕 こんなに恋い焦がれていてもあなたはご存知ないでしょうね 湧きかえって 岩間から溢れる水には色がありませんから |
367 贈 |
ませのうちに 根深く植ゑし 竹の子の おのが世々にや 生ひわかるべき |
〔源氏〕邸の奥で大切に育てた娘も それぞれ結婚して出て行くわけか |
368 答 |
今さらに いかならむ世か 若竹の 生ひ始めけむ 根をば尋ねむ |
〔玉鬘〕今さらどんな場合にわたしの 実の親を探したりしましょうか |
369 贈 |
橘の 薫りし袖に よそふれば 変はれる身とも 思ほえぬかな |
〔源氏〕あなたを昔懐かしい母君と比べてみますと とても別の人とは思われません |
370 答 |
袖の香を よそふるからに 橘の 身さへはかなく なりもこそすれ |
〔玉鬘〕懐かしい母君とそっくりだと思っていただくと わたしの身までが同じようにはかなくなってしまうかも知れません |
371 贈:独 |
うちとけて 寝も見ぬものを 若草の ことあり顔に むすぼほるらむ |
〔源氏→玉鬘〕気を許しあって共寝をしたのでもないのに どうしてあなたは意味ありげな顔をして思い悩んでいらっしゃるのでしょう |
蛍 8首 |
||
内訳:3(玉鬘)、2×2(蛍兵部卿宮、源氏)、1(花散里) | ||
→【逐語分析】 | ||
372 贈 |
鳴く声も 聞こえぬ虫の 思ひだに 人の消つには 消ゆるものかは |
〔蛍兵部卿宮:源氏弟〕鳴く声も聞こえない螢の火でさえ 人が消そうとして消えるものでしょうか |
373 答 |
声はせで 身をのみ焦がす 蛍こそ 言ふよりまさる 思ひなるらめ |
〔玉鬘〕声には出さずひたすら身を焦がしている螢の方が 口に出すよりもっと深い思いでいるでしょう |
374 贈 |
今日さへや 引く人もなき 水隠れに 生ふる菖蒲の 根のみ泣かれむ |
〔蛍兵部卿宮〕今日までも引く人もない水の中に隠れて生えている菖蒲の根のように 相手にされないわたしはただ声を上げて泣くだけなのでしょうか |
375 答 |
あらはれて いとど浅くも 見ゆるかな 菖蒲もわかず 泣かれける根の |
〔玉鬘〕きれいに見せていただきましてますます浅く見えました わけもなく泣かれるとおっしゃるあなたのお気持ちは |
376 贈 |
その駒も すさめぬ草と 名に立てる 汀の菖蒲 今日や引きつる |
〔花散里〕馬も食べない草として有名な水際の菖蒲のようなわたしを 今日は節句なので、引き立てて下さったのでしょうか |
377 答 |
鳰鳥に 影をならぶる 若駒は いつか菖蒲に 引き別るべき |
〔源氏〕鳰鳥のようにいつも一緒にいる若駒のわたしは いつ菖蒲のあなたに別れたりしましょうか |
378 贈 |
思ひあまり 昔の跡を 訪ぬれど 親に背ける 子ぞたぐひなき |
〔源氏〕思いあまって昔の本を捜してみましたが 親に背いた子供の例はありませんでしたよ |
379 答 |
古き跡を 訪ぬれどげに なかりけり この世にかかる 親の心は |
〔玉鬘〕昔の本を捜して読んでみましたが、おっしゃるとおり ありませんでした。この世にこのような親心の人は |
常夏 4首 |
||
内訳:1×4(源氏、玉鬘、近江君、中納言君) | ||
→【逐語分析】 | ||
380 贈 |
撫子の とこなつかしき 色を見ば もとの垣根を 人や尋ねむ |
〔源氏〕撫子の花の色のようにいつ見ても美しいあなたを見ると 母親の行く方を内大臣は尋ねられることだろうな |
381 答 |
山賤の 垣ほに生ひし 撫子の もとの根ざしを 誰れか尋ねむ |
〔玉鬘〕山家の賤しい垣根に生えた撫子のような わたしの母親など誰が尋ねたりしましょうか |
382 贈 |
草若み 常陸の浦の いかが崎 いかであひ見む 田子の浦波 |
〔近江君→女御=弘徽殿女御〕未熟者ですが、いかがでしょうかと 何とかしてお目にかかりとうございます |
383 代答 |
常陸なる 駿河の海の 須磨の浦に 波立ち出でよ 筥崎の松 |
〔中納言の君〕常陸にある駿河の海の須磨の浦に お出かけくだい、箱崎の松が待っています |
篝火(かがりび) 2首 |
||
内訳:1×2(源氏、玉鬘) | ||
→【逐語分析】 | ||
384 贈 |
篝火に たちそふ恋の 煙こそ 世には絶えせぬ 炎なりけれ |
〔源氏〕篝火とともに立ち上る恋の煙は 永遠に消えることのないわたしの思いなのです |
385 答 |
行方なき 空に消ちてよ 篝火の たよりにたぐふ 煙とならば |
〔玉鬘〕果てしない空に消して下さいませ 篝火とともに立ち上る煙とおっしゃるならば |
野分(のわき) 4首 |
||
内訳:1×4(明石、玉鬘、源氏、夕霧) | ||
→【逐語分析】 | ||
386 独 |
おほかたに 荻の葉過ぐる 風の音も 憂き身ひとつに しむ心地して |
〔明石〕ただ普通に荻の葉の上を通り過ぎて行く風の音も つらいわが身だけにはしみいるような気がして |
387 贈 |
吹き乱る 風のけしきに 女郎花 しをれしぬべき 心地こそすれ |
〔玉鬘〕吹き乱す風のせいで女郎花は 萎れてしまいそうな気持ちがいたします |
388 答 |
下露に なびかましかば 女郎花 荒き風には しをれざらまし |
〔源氏〕下葉の露になびいたならば 女郎花は荒い風には萎れないでしょうに |
389 贈:独 |
風騒ぎ むら雲まがふ 夕べにも 忘るる間なく 忘られぬ君 |
〔夕霧→雲居雁〕風が騒いでむら雲が乱れる夕べにも 片時の間もなく忘れることのできないあなたです |
行幸(みゆき) 9首 |
||
内訳:4(源氏)、1×5(冷泉帝、玉鬘、大宮=頭中将母、末摘花、頭中将) | ||
→【逐語分析】 | ||
390 贈 |
雪深き 小塩山に たつ雉の 古き跡をも 今日は尋ねよ |
〔冷泉帝〕雪の深い小塩山に飛び立つ雉のように 古例に従って今日はいらっしゃればよかったのに |
391 答 |
小塩山 深雪積もれる 松原に 今日ばかりなる 跡やなからむ |
〔源氏〕小塩山に深雪が積もった松原に 今日ほどの盛儀は先例がないでしょう |
392 贈 |
うちきらし 朝ぐもりせし 行幸には さやかに空の 光やは見し |
〔玉鬘〕雪が散らついて朝の間の行幸では はっきりと日の光は見えませんでした |
393 答 |
あかねさす 光は空に 曇らぬを などて行幸に 目をきらしけむ |
〔源氏〕日の光は曇りなく輝いていましたのに どうして行幸の日に雪のために目を曇らせたのでしょう |
394 贈:独 |
ふたかたに 言ひもてゆけば 玉櫛笥 わが身はなれぬ 懸子なりけり |
〔大宮→玉鬘〕どちらの方から言いましてもあなたはわたしにとって 切っても切れない孫に当たる方なのですね |
395 贈 |
わが身こそ 恨みられけれ 唐衣 君が袂に 馴れずと思へば |
〔末摘花〕わたし自身が恨めしく思われます あなたのお側にいつもいることができないと思いますと |
396 答 |
唐衣 また唐衣 唐衣 かへすがへすも 唐衣なる |
〔源氏〕唐衣、また唐衣、唐衣 いつもいつも唐衣とおっしゃいますね |
397 贈 |
恨めしや 沖つ玉藻を かづくまで 磯がくれける 海人の心よ |
〔頭中将〕恨めしいことですよ。玉裳を着る 今日まで隠れていた人の心が |
398 答 |
よるべなみ かかる渚に うち寄せて 海人も尋ねぬ 藻屑とぞ見し |
〔源氏〕寄る辺がないので、このようなわたしの所に身を寄せて 誰にも捜してもらえない気の毒な子だと思っておりました |
藤袴 8首 |
||
内訳:3(玉鬘)、1×5(夕霧、柏木、髭黒、蛍兵部卿宮、左兵衛督) | ||
→【逐語分析】 | ||
399 贈 |
同じ野の 露にやつるる 藤袴 あはれはかけよ かことばかりも |
〔夕霧〕あなたと同じ野の露に濡れて萎れている藤袴です やさしい言葉をかけて下さい、ほんの申し訳にでも |
400 答 |
尋ぬるに はるけき野辺の 露ならば 薄紫や かことならまし |
〔玉鬘〕尋ねてみて遥かに遠い野辺の露だったならば 薄紫のご縁とは言いがかりでしょう |
401 贈 |
妹背山 深き道をば 尋ねずて 緒絶の橋に 踏み迷ひけるよ |
〔柏木〕実の姉弟という関係を知らずに 遂げられない恋の道に踏み迷って文を贈ったことですよ |
402 答 |
惑ひける 道をば知らず 妹背山 たどたどしくぞ 誰も踏み見し |
〔玉鬘〕事情をご存知なかったとは知らず どうしてよいか分からないお手紙を拝見しました |
403 贈:独 |
数ならば 厭ひもせまし 長月に 命をかくる ほどぞはかなき |
〔髭黒→玉鬘〕人並みであったら嫌いもしましょうに、九月を 頼みにしているとは、何とはかない身の上なのでしょう |
404 贈 |
朝日さす 光を見ても 玉笹の 葉分けの霜を 消たずもあらなむ |
〔蛍兵部卿宮:源氏弟→玉鬘〕朝日さす帝の御寵愛を受けられたとしても 霜のようにはかないわたしのことを忘れないでください |
405 贈:独 |
忘れなむ と思ふもものの 悲しきを いかさまにして いかさまにせむ |
〔左兵衛督→玉鬘〕忘れようと思う一方でそれがまた悲しいのを どのようにしてどのようにしたらよいものでしょうか |
406 答 |
心もて 光に向かふ 葵だに 朝おく霜を おのれやは消つ |
〔玉鬘→蛍宮〕自分から光に向かう葵でさえ 朝置いた霜を自分から消しましょうか |
真木柱(まきばしら) 21首 |
||
内訳:4×2(源氏、玉鬘)、3(鬚黒:不細工な男)、2×2(木工の君=髭黒方女房、冷泉帝)、1×6(真木柱、鬚黒北の方、中将の御許、蛍兵部卿宮、近江の君=玉鬘と腹違い姉妹問題児、夕霧) | ||
→【逐語分析】 | ||
407 贈 |
おりたちて 汲みは見ねども 渡り川 人の瀬とはた 契らざりしを |
〔源氏〕あなたと立ち入った深い関係はありませんでしたが、三途の川を渡る時、 他の男に背負われて渡るようにはお約束しなかったはずなのに |
408 答 |
みつせ川 渡らぬさきに いかでなほ 涙の澪の 泡と消えなむ |
〔玉鬘〕三途の川を渡らない前に何とかしてやはり 涙の流れに浮かぶ泡のように消えてしまいたいものです |
409 贈:独 |
心さへ 空に乱れし 雪もよに ひとり冴えつる 片敷の袖 |
〔鬚黒(不細工な男)→玉鬘〕心までが中空に思い乱れましたこの雪に 独り冷たい片袖を敷いて寝ました |
410 贈 |
ひとりゐて 焦がるる胸の 苦しきに 思ひあまれる 炎とぞ見し |
〔木工の君=髭黒方女房〕北の方が独り残されて、思い焦がれる胸の苦しさが 思い余って炎となったその跡と拝見しました |
411 答 |
憂きことを 思ひ騒げば さまざまに くゆる煙ぞ いとど立ちそふ |
〔鬚黒〕嫌なことを思って心が騒ぐので、あれこれと 後悔の炎がますます立つのだ |
412 贈 |
今はとて 宿かれぬとも 馴れ来つる 真木の柱は われを忘るな |
〔真木柱〕今はもうこの家を離れて行きますが、わたしが馴れ親しんだ 真木の柱はわたしを忘れないでね |
413 答 |
馴れきとは 思ひ出づとも 何により 立ちとまるべき 真木の柱ぞ |
〔鬚黒北の方:真木柱母〕長年馴れ親しんで来た真木柱だと思い出しても どうしてここに止まっていられましょうか |
414 贈 |
浅けれど 石間の水は 澄み果てて 宿もる君や かけ離るべき |
〔中将の御許〕浅い関係のあなたが残って、邸を守るはずの北の方様が 出て行かれることがあってよいものでしょうか |
415 答 |
ともかくも 岩間の水の 結ぼほれ かけとむべくも 思ほえぬ世を |
〔木工の君〕どのように言われても、わたしの心は悲しみに閉ざされて いつまでここに居られますことやら |
416 贈:独 |
深山木に 羽うち交はし ゐる鳥の またなくねたき 春にもあるかな |
〔蛍兵部卿宮:源氏異母弟→玉鬘〕深山木と仲よくしていらっしゃる鳥が またなく疎ましく思われる春ですねえ |
417 贈 |
などてかく 灰あひがたき 紫を 心に深く 思ひそめけむ |
〔冷泉帝〕どうしてこう一緒になりがたいあなたを 深く思い染めてしまったのでしょう |
418 答 |
いかならむ 色とも知らぬ 紫を 心してこそ 人は染めけれ |
〔玉鬘〕どのようなお気持ちからとも存じませんでした この紫の色は、深いお情けから下さったものなのですね |
419 贈 |
九重に 霞隔てば 梅の花 ただ香ばかりも 匂ひ来じとや |
〔冷泉帝〕幾重にも霞が隔てたならば、梅の花の香は 宮中まで匂って来ないのだろうか |
420 答 |
香ばかりは 風にもつてよ 花の枝に 立ち並ぶべき 匂ひなくとも |
〔玉鬘〕香りだけは風におことづけください 美しい花の枝に並ぶべくもないわたしですが |
421 贈 |
かきたれて のどけきころの 春雨に ふるさと人を いかに偲ぶや |
〔源氏〕降りこめられてのどやかな春雨のころ 昔馴染みのわたしをどう思っていらっしゃいますか |
422 答 |
眺めする 軒の雫に 袖ぬれて うたかた人を 偲ばざらめや |
〔玉鬘〕物思いに耽りながら軒の雫に袖を濡らして どうしてあなた様のことを思わずにいられましょうか |
423 独 |
思はずに 井手の中道 隔つとも 言はでぞ恋ふる 山吹の花 |
〔源氏〕思いがけずに二人の仲は隔てられてしまったが 心の中では恋い慕っている山吹の花よ |
424 贈 |
同じ巣に かへりしかひの 見えぬかな いかなる人か 手ににぎるらむ |
〔源氏→玉鬘〕せっかくわたしの所でかえった雛が見えませんね どんな人が手に握っているのでしょう |
425 代答 |
巣隠れて 数にもあらぬ かりの子を いづ方にかは 取り隠すべき |
〔鬚黒:玉鬘の夫〕巣の片隅に隠れて子供の数にも入らない雁の子を どちらの方に取り隠そうとおっしゃるのでしょうか |
426 贈 |
沖つ舟 よるべ波路に 漂はば 棹さし寄らむ 泊り教へよ |
〔近江の君〕沖の舟さん。寄る所がなくて波に漂っているなら わたしが棹さして近づいて行きますから、行く場所を教えてください |
427 答 |
よるべなみ 風の騒がす 舟人も 思はぬ方に 磯伝ひせず |
〔夕霧〕寄る所がなく風がもてあそんでいる舟人でも 思ってもいない所には磯伝いしません |
梅枝(うめがえ) 11首 |
||
内訳:3(源氏)、2×2(蛍兵部卿宮、夕霧)、1×4(朝顔、柏木、弁少将=柏木弟:後の紅梅大納言、雲居雁) | ||
→【逐語分析】 | ||
428 贈 |
花の香は 散りにし枝に とまらねど うつらむ袖に 浅くしまめや |
〔朝顔:前斎院〕花の香りは散ってしまった枝には残っていませんが、 香を焚きしめた袖には深く残るでしょう |
429 答 |
花の枝に いとど心を しむるかな 人のとがめむ 香をばつつめど |
〔源氏〕花の枝にますます心を惹かれることよ 人が咎めるだろうと隠しているが |
430 唱 |
鴬の 声にやいとど あくがれむ 心しめつる 花のあたりに |
〔蛍兵部卿宮:源氏異母弟〕鴬の声にますます魂が抜け出しそうです 心を惹かれた花の所では、 |
431 唱 |
色も香も うつるばかりに この春は 花咲く宿を かれずもあらなむ |
〔源氏〕色艶も香りも移り染まるほどに、今年の春は 花の咲くわたしの家を絶えず訪れて下さい |
432 唱 |
鴬の ねぐらの枝も なびくまで なほ吹きとほせ 夜半の笛竹 |
〔柏木〕鴬のねぐらの枝もたわむほど 夜通し笛の音を吹き澄まして下さい |
433 唱 |
心ありて 風の避くめる 花の木に とりあへぬまで 吹きや寄るべき |
〔夕霧〕気づかって風が避けて吹くらしい梅の花の木に むやみに近づいて笛を吹いてよいものでしょうか |
434 唱 |
霞だに 月と花とを 隔てずは ねぐらの鳥も ほころびなまし |
〔弁少将:柏木弟:後の紅梅大納言〕霞でさえ月と花とを隔てなければ ねぐらに帰る鳥も鳴き出すことでしょう |
435 贈 |
花の香を えならぬ袖に うつしもて ことあやまりと 妹やとがめむ |
〔蛍兵部卿宮〕この花の香りを素晴らしい袖に移して帰ったら 女と過ちを犯したのではないかと妻が咎めるでしょう |
436 答 |
めづらしと 故里人も 待ちぞ見む 花の錦を 着て帰る君 |
〔源氏〕珍しいと家の人も待ち受けて見ましょう この花の錦を着て帰るあなたを |
437 贈 |
つれなさは 憂き世の常に なりゆくを 忘れぬ人や 人にことなる |
〔夕霧〕あなたの冷たいお心は、つらいこの世の習性となって行きますが それでも忘れないわたしは世間の人と違っているのでしょうか |
438 答 |
限りとて 忘れがたきを 忘るるも こや世になびく 心なるらむ |
〔雲居雁〕もうこれまでだと、忘れないとおっしゃるわたしのことを忘れるのは あなたのお心もこの世の習性の人心なのでしょう |
藤裏葉(ふじのうらば) 20首 |
||
内訳:7(夕霧)、4(頭中将)、2(雲居雁)、1×7(柏木、藤典侍=惟光娘=夕霧愛人、雲居雁乳母、夕霧乳母、源氏、朱雀院、冷泉帝) | ||
→【逐語分析】 | ||
439 贈 |
わが宿の 藤の色濃き たそかれに 尋ねやは来ぬ 春の名残を |
〔かの大臣=内大臣:かつての頭中将〕わたしの家の藤の花の色が濃い夕方に 訪ねていらっしゃいませんか、逝く春の名残を惜しみに |
440 答 |
なかなかに 折りやまどはむ 藤の花 たそかれ時の たどたどしくは |
〔夕霧〕かえって藤の花を折るのにまごつくのではないでしょうか 夕方時のはっきりしないころでは |
441 唱 |
紫に かことはかけむ 藤の花 まつより過ぎて うれたけれども |
〔内大臣:かつての頭中将〕紫色のせいにしましょう、藤の花の 待ち過ぎてしまって恨めしいことだが |
442 唱 |
いく返り 露けき春を 過ぐし来て 花の紐解く 折にあふらむ |
〔夕霧〕幾度も湿っぽい春を過ごして来ましたが 今日初めて花の開くお許しを得ることができました |
443 唱 |
たをやめの 袖にまがへる 藤の花 見る人からや 色もまさらむ |
〔柏木〕うら若い女性の袖に見違える藤の花は 見る人の立派なためかいっそう美しさを増すことでしょう |
444 贈 |
浅き名を 言ひ流しける 河口は いかが漏らしし 関の荒垣 |
〔雲居雁〕軽々しい浮名を流したあなたの口は どうしてお漏らしになったのですか |
445 答 |
漏りにける 岫田の関を 河口の 浅きにのみは おほせざらなむ |
〔夕霧〕浮名が漏れたのはあなたの父大臣のせいでもありますのに わたしのせいばかりになさらないで下さい |
446 贈:独 |
とがむなよ 忍びにしぼる 手もたゆみ 今日あらはるる 袖のしづくを |
〔夕霧→雲居雁〕お咎め下さいますな、人目を忍んで絞る手も力なく 今日は人目にもつきそうな袖の涙のしずくを |
447 贈 |
何とかや 今日のかざしよ かつ見つつ おぼめくまでも なりにけるかな |
〔夕霧〕何と言ったのか、今日のこの插頭は、目の前に見ていながら 思い出せなくなるまでになってしまったことよ |
448 答 |
かざしても かつたどらるる 草の名は 桂を折りし 人や知るらむ |
〔藤典侍=惟光娘・夕霧愛人〕頭に插頭してもなおはっきりと思い出せない草の名は 桂を折られたあなたはご存知でしょう |
449 贈 |
浅緑 若葉の菊を 露にても 濃き紫の 色とかけきや |
〔夕霧〕浅緑色をした若葉の菊を 濃い紫の花が咲こうとは夢にも思わなかっただろう |
450 答 |
双葉より 名立たる園の 菊なれば 浅き色わく 露もなかりき |
〔女君の大輔乳母=雲居雁乳母〕二葉の時から名門の園に育つ菊ですから 浅い色をしていると差別する者など誰もございませんでした |
451 贈 |
なれこそは 岩守るあるじ 見し人の 行方は知るや 宿の真清水 |
〔夕霧〕おまえこそはこの家を守っている主人だ、お世話になった人の 行方は知っているか、邸の真清水よ |
452 答 |
亡き人の 影だに見えず つれなくて 心をやれる いさらゐの水 |
〔雲居雁〕亡き人の姿さえ映さず知らない顔で 心地よげに流れている浅い清水ね |
453 贈 |
そのかみの 老木はむべも 朽ちぬらむ 植ゑし小松も 苔生ひにけり |
〔内大臣:かつての頭中将〕その昔の老木はなるほど朽ちてしまうのも当然だろう 植えた小松にも苔が生えたほどだから |
454 答 |
いづれをも 蔭とぞ頼む 双葉より 根ざし交はせる 松の末々 |
〔男君の御宰相の乳母=夕霧乳母、宰相の君(全集)〕 どちら様をも蔭と頼みにしております、二葉の時から 互いに仲好く大きくおなりになった二本の松でいらっしゃいますから |
455 贈 |
色まさる 籬の菊も 折々に 袖うちかけし 秋を恋ふらし |
〔源氏〕色濃くなった籬の菊も折にふれて 袖をうち掛けて昔の秋を思い出すことだろう |
456 答 |
紫の 雲にまがへる 菊の花 濁りなき世の 星かとぞ見る |
〔内大臣:かつての頭中将〕紫の雲と似ている菊の花は 濁りのない世の中の星かと思います |
457 贈 |
秋をへて 時雨ふりぬる 里人も かかる紅葉の 折をこそ見ね |
〔朱雀院〕幾たびの秋を経て、時雨と共に年老いた里人でも このように美しい紅葉の時節を見たことがない |
458 答 |
世の常の 紅葉とや見る いにしへの ためしにひける 庭の錦を |
〔冷泉帝〕世の常の紅葉と思って御覧になるのでしょうか 昔の先例に倣った今日の宴の紅葉の錦ですのに |
若菜上 24首 |
||
内訳:6(源氏)、3(紫上)、2×3(朱雀院、朧月夜、柏木)、1×9(斎宮、玉鬘、女三宮、明石尼君、明石姫君、明石、明石入道、夕霧、小侍従) | ||
→【逐語分析】 | ||
459 贈 |
さしながら 昔を今に 伝ふれば 玉の小櫛ぞ 神さびにける |
〔斎宮〕挿したまま昔から今に至りましたので 玉の小櫛は古くなってしまいました |
460 答 |
さしつぎに 見るものにもが 万世を 黄楊の小櫛の 神さぶるまで |
〔朱雀院〕あなたに引き続いて姫宮の幸福を見たいものです 千秋万歳を告げる黄楊の小櫛が古くなるまで |
461 贈 |
若葉さす 野辺の小松を 引き連れて もとの岩根を 祈る今日かな |
〔玉鬘〕若葉が芽ぐむ野辺の小松を引き連れて 育てて下さった元の岩根を祝う今日の子の日ですこと |
462 答 |
小松原 末の齢に 引かれてや 野辺の若菜も 年を摘むべき |
〔源氏〕小松原の将来のある齢にあやかって 野辺の若菜も長生きするでしょう |
463 独 |
目に近く 移れば変はる 世の中を 行く末遠く 頼みけるかな |
〔紫上〕眼のあたりに変われば変わる二人の仲でしたのに 行く末長くとあてにしていましたとは |
464 独:答 |
命こそ 絶ゆとも絶えめ 定めなき 世の常ならぬ 仲の契りを |
〔源氏〕命は尽きることがあってもしかたのないことだが 無常なこの世とは違う変わらない二人の仲なのだ |
465 贈 |
中道を 隔つるほどは なけれども 心乱るる 今朝のあは雪 |
〔源氏〕わたしたちの仲を邪魔するほどではありませんが 降り乱れる今朝の淡雪にわたしの心も乱れています |
466 答 |
はかなくて うはの空にぞ 消えぬべき 風にただよふ 春のあは雪 |
〔女三宮〕頼りなくて中空に消えてしまいそうです 風に漂う春の淡雪のように |
467 贈 |
背きにし この世に残る 心こそ 入る山路の ほだしなりけれ |
〔朱雀院〕捨て去ったこの世に残る子を思う心が 山に入るわたしの妨げなのです |
468 答 |
背く世の うしろめたくは さりがたき ほだしをしひて かけな離れそ |
〔紫上〕お捨て去りになったこの世が御心配ならば 離れがたいお方を無理に離れたりなさいますな |
469 贈 |
年月を なかに隔てて 逢坂の さも塞きがたく 落つる涙か |
〔源氏〕長の年月を隔ててやっとお逢いできたのに このような関があっては堰き止めがたく涙が落ちます |
470 答 |
涙のみ 塞きとめがたき 清水にて ゆき逢ふ道は はやく絶えにき |
〔朧月夜〕涙だけは関の清水のように堰き止めがたくあふれても お逢いする道はとっくに絶え果てました |
471 贈 |
沈みしも 忘れぬものを こりずまに 身も投げつべき 宿の藤波 |
〔源氏〕須磨に沈んで暮らしていたことを忘れないが また懲りもせずにこの家の藤の花に、淵に身を投げてしまいたい |
472 答 |
身を投げむ 淵もまことの 淵ならで かけじやさらに こりずまの波 |
〔朧月夜〕身を投げようとおっしゃる淵も本当の淵ではないのですから 性懲りもなくそんな偽りの波に誘われたりしません |
473 独 |
身に近く 秋や来ぬらむ 見るままに 青葉の山も 移ろひにけり |
〔紫上〕身近に秋が来たのかしら、見ているうちに 青葉の山のあなたも心の色が変わってきたことです |
474 独:答 |
水鳥の 青羽は色も 変はらぬを 萩の下こそ けしきことなれ |
〔源氏〕水鳥の青い羽のわたしの心の色は変わらないのに 萩の下葉のあなたの様子は変わっています |
475 唱 |
老の波 かひある浦に 立ち出でて しほたるる海人を 誰れかとがめむ |
〔明石尼君〕長生きした甲斐があると嬉し涙に泣いているからと言って 誰が出家した老人のわたしを咎めたりしましょうか |
476 唱 |
しほたるる 海人を波路の しるべにて 尋ねも見ばや 浜の苫屋を |
〔明石姫君〕泣いていらっしゃる尼君に道案内しいただいて 訪ねてみたいものです、生まれ故郷の浜辺を |
477 唱 |
世を捨てて 明石の浦に 住む人も 心の闇は はるけしもせじ |
〔明石〕出家して明石の浦に住んでいる父入道も 子を思う心の闇は晴れることもないでしょう |
478 贈:独 |
光出でむ 暁近く なりにけり 今ぞ見し世の 夢語りする |
〔明石入道→明石〕日の出近い暁となったことよ 今初めて昔見た夢の話をするのです |
479 贈 |
いかなれば 花に木づたふ 鴬の 桜をわきて ねぐらとはせぬ |
〔柏木〕どうして、花から花へと飛び移る鴬は 桜を別扱いしてねぐらとしないのでしょう |
480 答 |
深山木に ねぐら定むる はこ鳥も いかでか花の 色に飽くべき |
〔夕霧〕深山の木にねぐらを決めているはこ鳥も どうして美しい花の色を嫌がりましょうか |
481 贈 |
よそに見て 折らぬ嘆きは しげれども なごり恋しき 花の夕かげ |
〔柏木→女三宮〕よそながら見るばかりで手折ることのできない悲しみは深いけれども あの夕方見た花の美しさはいつまでも恋しく思われます |
482 代答 |
いまさらに 色にな出でそ 山桜 およばぬ枝に 心かけきと |
〔小侍従:女三宮乳母子〕今さらお顔の色にお出しなさいますな 手の届きそうもない桜の枝に思いを掛けたなどと |
若菜下 18首 |
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内訳:4×2(柏木、源氏)、2×3(明石尼君、紫上、女三宮)、1×4(明石姫君、中務の君=紫付女房、六条御息所の死霊in紫上、朧月夜) | ||
→【逐語分析】 | ||
483 独 |
恋ひわぶる 人のかたみと 手ならせば なれよ何とて 鳴く音なるらむ |
〔柏木〕恋いわびている人のよすがと思ってかわいがっていると どういうつもりでそんな鳴き声を立てるのか |
484 贈 |
誰れかまた 心を知りて 住吉の 神代を経たる 松にこと問ふ |
〔源氏〕わたしの外に誰がまた昔の事情を知って住吉の 神代からの松に話しかけたりしましょうか |
485 答 |
住の江を いけるかひある 渚とは 年経る尼も 今日や知るらむ |
〔明石尼君〕住吉の浜を生きていた甲斐がある渚だと 年とった尼も今日知ることでしょう |
486 独 |
昔こそ まづ忘られね 住吉の 神のしるしを 見るにつけても |
〔明石尼君〕昔の事が何よりも忘れられない 住吉の神の霊験を目の当たりにするにつけても |
487 唱 |
住の江の 松に夜深く 置く霜は 神の掛けたる 木綿鬘かも |
〔紫上〕住吉の浜の松に夜深く置く霜は 神様が掛けた木綿鬘でしょうか |
488 唱 |
神人の 手に取りもたる 榊葉に 木綿かけ添ふる 深き夜の霜 |
〔明石姫君〕神主が手に持った榊の葉に 木綿を掛け添えた深い夜の霜ですこと |
489 唱 |
祝子が 木綿うちまがひ 置く霜は げにいちじるき 神のしるしか |
〔中務の君=紫付女房〕神に仕える人々の木綿鬘と見間違えるほどに置く霜は 仰せのとおり神の御霊験の証でございましょう |
490 贈 |
起きてゆく 空も知られぬ 明けぐれに いづくの露の かかる袖なり |
〔柏木〕起きて帰って行く先も分からない明けぐれに どこから露がかかって袖が濡れるのでしょう |
491 答 |
明けぐれの 空に憂き身は 消えななむ 夢なりけりと 見てもやむべく |
〔女三宮〕明けぐれの空にこの身は消えてしまいたいものです 夢であったと思って済まされるように |
492 独 |
悔しくぞ 摘み犯しける 葵草 神の許せる かざしならぬに |
〔柏木〕悔しい事に罪を犯してしまったことよ 神が許した仲ではないのに |
493 独 |
もろかづら 落葉を何に 拾ひけむ 名は睦ましき かざしなれども |
〔柏木〕劣った落葉のような方をどうして娶ったのだろう 同じ院のご姉妹ではあるが |
494 贈:独 |
わが身こそ あらぬさまなれ それながら そらおぼれする 君は君なり |
〔六条御息所死霊in紫上→源氏〕わたしはこんな変わりはてた身の上となってしまったが 知らないふりをするあなたは昔のままですね |
495 贈 |
消え止まる ほどやは経べき たまさかに 蓮の露の かかるばかりを |
〔紫上〕露が消え残っている間だけでも生きられましょうか たまたま蓮の露がこうしてあるほどの命ですから |
496 答 |
契り置かむ この世ならでも 蓮葉に 玉ゐる露の 心隔つな |
〔源氏〕お約束して置きましょう、この世ばかりでなく来世に蓮の葉の上に 玉と置く露のようにいささかも心の隔てを置きなさいますな |
497 贈 |
夕露に 袖濡らせとや ひぐらしの 鳴くを聞く聞く 起きて行くらむ |
〔女三宮〕夕露に袖を濡らせというつもりで、ひぐらしが鳴くのを 聞きながら起きて行かれるのでしょうか |
498 答 |
待つ里も いかが聞くらむ 方がたに 心騒がす ひぐらしの声 |
〔源氏〕わたしを待っているほうでもどのように聞いているでしょうか それぞれに心を騒がすひぐらしの声ですね |
499 贈 |
海人の世を よそに聞かめや 須磨の浦に 藻塩垂れしも 誰れならなくに |
〔源氏〕出家されたことを他人事して聞き流していられましょうか わたしが須磨の浦で涙に沈んでいたのは誰ならぬあなたのせいなのですから |
500 答 |
海人舟に いかがは思ひ おくれけむ 明石の浦に いさりせし君 |
〔朧月夜〕尼になったわたしにどうして遅れをおとりになったのでしょう 明石の浦に海人のようなお暮らしをなさっていたあなたが |
柏木 11首 |
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内訳:3(夕霧)、2(柏木)、1×6(女三宮、源氏、一条御息所=柏木妻の母、大臣=かつての頭中将:柏木父、弁の君=柏木弟:後の紅梅大納言、簾内女房×通説落葉宮:柏木妻後に夕霧妻) | ||
→【逐語分析】 | ||
501 贈 |
今はとて 燃えむ煙も むすぼほれ 絶えぬ思ひの なほや残らむ |
〔柏木〕もうこれが最期と燃えるわたしの荼毘の煙もくすぶって 空に上らずあなたへの諦め切れない思いがなおもこの世に残ることでしょう |
502 答 |
立ち添ひて 消えやしなまし 憂きことを 思ひ乱るる 煙比べに |
〔女三宮〕わたしも一緒に煙となって消えてしまいたいほどです 辛いことを思い嘆く悩みの競いに |
503 答 |
行方なき 空の煙と なりぬとも 思ふあたりを 立ちは離れじ |
〔柏木〕行く方もない空の煙となったとしても 思うお方のあたりは離れまいと思う |
504 贈:独 |
誰が世にか 種は蒔きしと 人問はば いかが岩根の 松は答へむ |
〔源氏→女三宮〕いったい誰が種を蒔いたのでしょうと人が尋ねたら 誰と答えてよいのでしょう、岩根の松は |
505 贈 |
時しあれば 変はらぬ色に 匂ひけり 片枝枯れにし 宿の桜も |
〔夕霧〕季節が廻って来たので変わらない色に咲きました 片方の枝は枯れてしまったこの桜の木にも |
506 答 |
この春は 柳の芽にぞ 玉はぬく 咲き散る花の 行方知らねば |
〔一条御息所:柏木妻の母〕今年の春は柳の芽に露の玉が貫いているように泣いております 咲いて散る桜の花の行く方も知りませんので |
507 唱 |
木の下の 雫に濡れて さかさまに 霞の衣 着たる春かな |
〔かつての頭中将=大臣:柏木父〕木の下の雫に濡れて逆様に 親が子の喪に服している春です |
508 唱 |
亡き人も 思はざりけむ うち捨てて 夕べの霞 君着たれとは |
〔夕霧=大将の君〕亡くなった人も思わなかったことでしょう 親に先立って父君に喪服を着て戴こうとは |
509 唱 |
恨めしや 霞の衣 誰れ着よと 春よりさきに 花の散りけむ |
〔紅梅=弁の君:柏木弟〕恨めしいことよ、墨染の衣を誰が着ようと思って 春より先に花は散ってしまったのでしょう |
510 贈 |
ことならば 馴らしの枝に ならさなむ 葉守の神の 許しありきと |
〔夕霧→?:一条宮の簾内で応接する女房達〕 同じことならばこの連理の枝のように親しくして下さい 葉守の神の亡き方のお許があったのですからと |
511 答 |
柏木に 葉守の神は まさずとも 人ならすべき 宿の梢か |
〔女房達「少将の君といふ人をして」 ×落葉宮:旧大系・全集,御息所の歌ではあるまい:新大系〕 柏木に葉守の神はいらっしゃらなくても みだりに人を近づけてよい梢でしょうか |
横笛 8首 |
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内訳:2(夕霧)、1×6(朱雀院=源氏異母兄、女三宮=朱雀娘、源氏、落葉宮=柏木妻、一条御息所=落葉の母、柏木) | ||
→【逐語分析】 | ||
512 贈 |
世を別れ 入りなむ道は おくるとも 同じところを 君も尋ねよ |
〔朱雀院〕この世を捨ててお入りになった道はわたしより遅くとも 同じ極楽浄土をあなたも求めて来て下さい |
513 答 |
憂き世には あらぬところの ゆかしくて 背く山路に 思ひこそ入れ |
〔女三宮=朱雀娘〕こんな辛い世の中とは違う所に住みたくて わたしも父上と同じ山寺に入りとうございます |
514 独 |
憂き節も 忘れずながら 呉竹の こは捨て難き ものにぞありける |
〔源氏〕いやなことは忘れられないがこの子は かわいくて捨て難く思われることだ |
515 贈 |
ことに出でて 言はぬも言ふに まさるとは 人に恥ぢたる けしきをぞ見る |
〔夕霧〕言葉に出しておっしゃらないのも、おっしゃる以上に 深いお気持ちなのだと、慎み深い態度からよく分かります |
516 答 |
深き夜の あはればかりは 聞きわけど ことより顔に えやは弾きける |
〔落葉宮:柏木妻〕趣深い秋の夜の情趣はぞんじておりますが、 靡き顔に琴をお弾き申したでしょうか |
517 贈 |
露しげき むぐらの宿に いにしへの 秋に変はらぬ 虫の声かな |
〔一条御息所:落葉の母〕涙にくれていますこの荒れた家に昔の 秋と変わらない笛の音を聞かせて戴きました |
518 答 |
横笛の 調べはことに 変はらぬを むなしくなりし 音こそ尽きせね |
〔夕霧〕横笛の音色は特別昔と変わりませんが 亡くなった人を悼む泣き声は尽きません |
519 独 |
笛竹に 吹き寄る風の ことならば 末の世長き ねに伝へなむ |
〔柏木〕この笛の音に吹き寄る風は同じことなら わたしの子孫に伝えて欲しいものだ |
鈴虫 6首 |
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内訳:3(源氏)、2(女三宮)、1(冷泉院) | ||
→【逐語分析】 | ||
520 贈 |
蓮葉を 同じ台と 契りおきて 露の分かるる 今日ぞ悲しき |
〔源氏〕来世は同じ蓮の花の中でと約束したが その葉に置く露のように別々でいる今日が悲しい |
521 答 |
隔てなく 蓮の宿を 契りても 君が心や 住まじとすらむ |
〔女三宮〕蓮の花の宿を一緒に仲好くしようと約束なさっても あなたの本心は悟り澄まして一緒にとは思っていないでしょう |
522 贈 |
おほかたの 秋をば憂しと 知りにしを ふり捨てがたき 鈴虫の声 |
〔女三宮〕秋という季節はつらいものと分かっておりますが やはり鈴虫の声だけは飽きずに聴き続けていたいものです |
523 答 |
心もて 草の宿りを 厭へども なほ鈴虫の 声ぞふりせぬ |
〔源氏〕ご自分からこの家をお捨てになったのですが やはりお声は鈴虫と同じように今も変わりません |
524 贈 |
雲の上を かけ離れたる すみかにも もの忘れせぬ 秋の夜の月 |
〔冷泉院〕宮中から遠く離れて住んでいる仙洞御所にも 忘れもせず秋の月は照っています |
525 答 |
月影は 同じ雲居に 見えながら わが宿からの 秋ぞ変はれる |
〔源氏〕月の光【面影】は昔と同じく照っていますが【雲の中に見えながらも】 わたしの方がすっかり変わってしまいました |
夕霧 26首 |
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内訳:12(夕霧)、7(落葉宮=柏木妻)、3(雲居雁=夕霧妻)、1×3(一条御息所=落葉母、少将君=一条姪、頭中将=柏木父、藤典侍=夕霧愛人) | ||
→【逐語分析】 | ||
526 贈 |
山里の あはれを添ふる 夕霧に 立ち出でむ空も なき心地して |
〔夕霧〕山里の物寂しい気持ちを添える夕霧のために 帰って行く気持ちにもなれずおります |
527 答 |
山賤の 籬をこめて 立つ霧も 心そらなる 人はとどめず |
〔落葉宮:柏木妻・女二宮〕山里の垣根に立ち籠めた霧も 気持ちのない人は引き止めません |
528 贈 |
我のみや 憂き世を知れる ためしにて 濡れそふ袖の 名を朽たすべき |
〔落葉宮:柏木妻〕わたしだけが不幸な結婚をした女の例として さらに涙の袖を濡らして悪い評判を受けなければならないのでしょうか |
529 答 |
おほかたは 我濡衣を 着せずとも 朽ちにし袖の 名やは隠るる |
〔夕霧〕だいたいがわたしがあなたに悲しい思いをさせなくても 既に立ってしまった悪い評判はもう隠れるものではありません |
530 贈 |
荻原や 軒端の露に そぼちつつ 八重立つ霧を 分けぞ行くべき |
〔夕霧〕荻原の軒葉の荻の露に濡れながら幾重にも 立ち籠めた霧の中を帰って行かねばならないのでしょう |
531 答 |
分け行かむ 草葉の露を かことにて なほ濡衣を かけむとや思ふ |
〔落葉宮:柏木妻〕帰って行かれる草葉の露に濡れるのを言いがかりにして わたしに濡れ衣を着せようとお思いなのですか |
532 贈:独 |
魂を つれなき袖に 留めおきて わが心から 惑はるるかな |
〔夕霧→落葉宮〕魂をつれないあなたの所に置いてきて 自分ながらどうしてよいか分かりません |
533 贈 |
せくからに 浅さぞ見えむ 山川の 流れての名を つつみ果てずは |
〔夕霧→落葉宮〕拒むゆえに浅いお心が見えましょう 山川の流れのように浮名は包みきれませんから |
534 代答 |
女郎花 萎るる野辺を いづことて 一夜ばかりの 宿を借りけむ |
〔一条御息所:落葉の母〕女郎花が萎れている野辺をどういうおつもりで 一夜だけの宿をお借りになったのでしょう |
535 答 |
秋の野の 草の茂みは 分けしかど 仮寝の枕 結びやはせし |
〔夕霧〕秋の野の草の茂みを踏み分けてお伺い致しましたが 仮初の夜の枕に契りを結ぶようなことを致しましょうか |
536 贈 |
あはれをも いかに知りてか 慰めむ あるや恋しき 亡きや悲しき |
〔雲居雁〕お悲しみを何が原因と知ってお慰めしたらよいものか 生きている方が恋しいのか、亡くなった方が悲しいのか |
537 答 |
いづれとか 分きて眺めむ 消えかへる 露も草葉の うへと見ぬ世を |
〔夕霧〕特に何がといって悲しんでいるのではありません 消えてしまう露も草葉の上だけでないこの世ですから |
538 贈 |
里遠み 小野の篠原 わけて来て 我も鹿こそ 声も惜しまね |
〔夕霧〕人里が遠いので小野の篠原を踏み分けて来たが わたしも鹿のように声も惜しまず泣いています |
539 答 |
藤衣 露けき秋の 山人は 鹿の鳴く音に 音をぞ添へつる |
〔少将の君:一条御息所の姪〕喪服も涙でしめっぽい秋の山里人は 鹿の鳴く音に声を添えて泣いています |
540 独 |
見し人の 影澄み果てぬ 池水に ひとり宿守る 秋の夜の月 |
〔夕霧〕あの人がもう住んでいないこの邸の池の水に 独り宿守りしている秋の夜の月よ |
541 贈 |
いつとかは おどろかすべき 明けぬ夜の 夢覚めてとか 言ひしひとこと |
〔夕霧〕いつになったらお訪ねしたらよいのでしょうか 明けない夜の夢が覚めたらとおっしゃったことは |
542 答:独 |
朝夕に 泣く音を立つる 小野山は 絶えぬ涙や 音無の滝 |
〔落葉宮〕朝な夕なに声を立てて泣いている小野山では ひっきりなしに流れる涙は音無の滝になるのだろうか |
543 独 |
のぼりにし 峰の煙に たちまじり 思はぬ方に なびかずもがな |
〔落葉宮〕母君が上っていった峰の煙と一緒になって 思ってもいない方角にはなびかずにいたいものだわ |
544 独 |
恋しさの 慰めがたき 形見にて 涙にくもる 玉の筥かな |
〔落葉宮〕恋しさを慰められない形見の品として 涙に曇る玉の箱ですこと |
545 贈:独 |
怨みわび 胸あきがたき 冬の夜に また鎖しまさる 関の岩門 |
〔夕霧→落葉宮〕怨んでも怨みきれません、胸の思いを晴らすことのできない冬の夜に そのうえ鎖された関所のような岩の門です |
546 贈 |
馴るる身を 恨むるよりは 松島の 海人の衣に 裁ちやかへまし |
〔雲居雁〕長年連れ添って古びたこの身を恨んだりするよりも いっそ尼衣に着替えてしまおうかしら |
547 答 |
松島の 海人の濡衣 なれぬとて 脱ぎ替へつてふ 名を立ためやは |
〔夕霧〕いくら長年連れ添ったからといって、わたしを見限って 尼になったという噂が立ってよいものでしょうか |
548 贈 |
契りあれや 君を心に とどめおきて あはれと思ふ 恨めしと聞く |
〔大臣=かつての頭中将:柏木父〕前世からの因縁があってか、あなたのことを お気の毒にと思う一方で、恨めしい方だと聞いております |
549 答 |
何ゆゑか 世に数ならぬ 身ひとつを 憂しとも思ひ かなしとも聞く |
〔落葉宮:柏木妻〕どういうわけで、世の中で人数にも入らないわたしのような身を 辛いとも思い愛しいともお聞きになるのでしょう |
550 贈 |
数ならば 身に知られまし 世の憂さを 人のためにも 濡らす袖かな |
〔典侍=藤典侍:夕霧愛人〕わたしが人数にも入る女でしたら夫婦仲の悲しみを思い知られましょうが あなたのために涙で袖をぬらしております |
551 答 |
人の世の 憂きをあはれと 見しかども 身にかへむとは 思はざりしを |
〔雲居雁:夕霧妻〕他人の夫婦仲の辛さをかわいそうにと思って見てきたが わが身のこととまでは思いませんでした |
御法(みのり) 12首 |
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内訳:3×2(紫上、源氏)、1×6(明石、花散里、明石姫君=紫養女、夕霧、頭中将、斎宮) | ||
→【逐語分析】 | ||
552 贈 |
惜しからぬ この身ながらも かぎりとて 薪尽きなむ ことの悲しさ |
〔紫上〕惜しくもないこの身ですが、これを最後として 薪【命の火種】の尽きることを思うと悲しうございます |
553 答 |
薪こる 思ひは今日を 初めにて この世に願ふ 法ぞはるけき |
〔明石〕仏道【行者の道→逝く道】への思いは今日を初めの日として この世で願う【皆で会える法会は長く続くことでしょう】仏法のために千年も祈り続けられることでしょう |
554 贈 |
絶えぬべき 御法ながらぞ 頼まるる 世々にと結ぶ 中の契りを |
〔紫上〕これが最後と思われます法会ですが、頼もしく思われます 生々世々にかけてと結んだあなたとの縁を |
555 答 |
結びおく 契りは絶えじ おほかたの 残りすくなき 御法なりとも |
〔花散里〕あなた様と御法会で結んだ御縁は未来永劫に続くでしょう 普通の人には残り少ない命とて、多くは催せない法会でしょうとも |
556 唱 |
おくと見る ほどぞはかなき ともすれば 風に乱るる 萩のうは露 |
〔紫上〕起きていると見えますのも暫くの間のこと ややもすれば風に吹き乱れる萩の上露のようなわたしの命です |
557 唱 |
ややもせば 消えをあらそふ 露の世に 後れ先だつ ほど経ずもがな |
〔源氏〕どうかすると先を争って消えてゆく露のようにはかない人の世に せめて後れたり先立ったりせずに一緒に消えたいものです |
558 唱 |
秋風に しばしとまらぬ 露の世を 誰れか草葉の うへとのみ見む |
〔明石姫君〕秋風に暫くの間も止まらず散ってしまう露の命を 誰が草葉の上の露だけと思うでしょうか |
559 独 |
いにしへの 秋の夕べの 恋しきに 今はと見えし 明けぐれの夢 |
〔夕霧〕昔お姿を拝した秋の夕暮が恋しいのにつけても 御臨終の薄暗がりの中でお顔を見たのが夢のような気がする |
560 贈 |
いにしへの 秋さへ今の 心地して 濡れにし袖に 露ぞおきそふ |
〔致仕の大臣=かつての頭中将〕昔の秋までが今のような気がして 涙に濡れた袖の上にまた涙を落としています |
561 答 |
露けさは 昔今とも おもほえず おほかた秋の 夜こそつらけれ |
〔源氏〕涙に濡れていますことは昔も今もどちらも同じです だいたい秋の夜というのが堪らない思いがするのです |
562 贈 |
枯れ果つる 野辺を憂しとや 亡き人の 秋に心を とどめざりけむ |
〔斎宮〕枯れ果てた野辺を嫌ってか、亡くなられたお方は 秋をお好きにならなかったのでしょうか |
563 答 |
昇りにし 雲居ながらも かへり見よ われ飽きはてぬ 常ならぬ世に |
〔源氏〕煙となって昇っていった雲居からも振り返って欲しい わたしはこの無常の世にすっかり飽きてしまいました |
幻 26首 |
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内訳:19(源氏)、2(中将の君②=源氏に仕える女房)、1×5(蛍兵部卿宮、明石、花散里、夕霧、導師) | ||
→【逐語分析】 | ||
564 贈 |
わが宿は 花もてはやす 人もなし 何にか春の たづね来つらむ |
〔源氏〕わたしの家には花を喜ぶ人もいませんのに どうして春が訪ねて来たのでしょう |
565 答 |
香をとめて 来つるかひなく おほかたの 花のたよりと 言ひやなすべき |
〔蛍兵部卿宮:源氏弟〕梅の香を求めて来たかいもなくありきたりの 花見とおっしゃるのですか |
566 独 |
憂き世には 雪消えなむと 思ひつつ 思ひの外に なほぞほどふる |
〔源氏〕つらいこの世からは姿を消してしまいたいと思いながらも 心外にもまだ月日を送っていることだ |
567 独 |
植ゑて見し 花のあるじも なき宿に 知らず顔にて 来ゐる鴬 |
〔源氏〕植えて眺めた花の主人もいない宿に 知らない顔をして来て鳴いている鴬よ |
568 独 |
今はとて 荒らしや果てむ 亡き人の 心とどめし 春の垣根を |
〔源氏〕いよいよ出家するとなるとすっかり荒れ果ててしまうのだろうか 亡き人が心をこめて作った春の庭も |
569 贈 |
なくなくも 帰りにしかな 仮の世は いづこもつひの 常世ならぬに |
〔源氏〕泣きながら帰ってきたことです、この仮の世は どこもかしこも永遠の住まいではないので |
570 答 |
雁がゐし 苗代水の 絶えしより 映りし花の 影をだに見ず |
〔明石〕雁がいた苗代水がなくなってからは そこに映っていた花の影さえ見ることができません |
571 贈 |
夏衣 裁ち替へてける 今日ばかり 古き思ひも すすみやはせぬ |
〔花散里〕夏の衣に着替えた今日だけは 昔の思いも思い出しませんでしょうか |
572 答 |
羽衣の 薄きに変はる 今日よりは 空蝉の世ぞ いとど悲しき |
〔源氏〕羽衣のように薄い着物に変わる今日からは はかない世の中がますます悲しく思われます |
573 贈 |
さもこそは よるべの水に 水草ゐめ 今日のかざしよ 名さへ忘るる |
〔中将の君②:源氏に仕える女房〕いかにもよるべの水も古くなって水草が生えていましょう 今日の插頭の名前さえ忘れておしまいになるとは |
574 答 |
おほかたは 思ひ捨ててし 世なれども 葵はなほや 摘みをかすべき |
〔源氏〕だいたいは執着を捨ててしまったこの世ではあるが この葵はやはり摘んでしまいそうだ |
575 贈 |
亡き人を 偲ぶる宵の 村雨に 濡れてや来つる 山ほととぎす |
〔源氏〕亡き人を偲ぶ今宵の村雨に 濡れて来たのか、山時鳥よ |
576 答 |
ほととぎす 君につてなむ ふるさとの 花橘は 今ぞ盛りと |
〔夕霧〕時鳥よ、あなたに言伝てしたい 古里の橘の花は今が盛りですよと |
577 独 |
つれづれと わが泣き暮らす 夏の日を かことがましき 虫の声かな |
〔源氏〕することもなく涙とともに日を送っている夏の日を わたしのせいみたいに鳴いている蜩の声だ |
578 独 |
夜を知る 蛍を見ても 悲しきは 時ぞともなき 思ひなりけり |
〔源氏〕夜になったことを知って光る螢を見ても悲しいのは 昼夜となく燃える亡き人を恋うる思いであった |
579 独 |
七夕の 逢ふ瀬は雲の よそに見て 別れの庭に 露ぞおきそふ |
〔源氏〕七夕の逢瀬は雲の上の別世界のことと見て その後朝の別れの庭の露に悲しみの涙を添えることよ |
580 贈 |
君恋ふる 涙は際も なきものを 今日をば何の 果てといふらむ |
〔中将の君②=源氏に仕える女房〕ご主人様を慕う涙は際限もないものですが 今日は何の果ての日と言うのでしょう |
581 答 |
人恋ふる わが身も末に なりゆけど 残り多かる 涙なりけり |
〔源氏〕人を恋い慕うわが余命も少なくなったが 残り多い涙であることよ |
582 独 |
もろともに おきゐし菊の 白露も 一人袂に かかる秋かな |
〔源氏〕一緒に起きて置いた菊のきせ綿の朝露も 今年の秋はわたし独りの袂にかかることだ |
583 独 |
大空を かよふ幻 夢にだに 見えこぬ魂の 行方たづねよ |
〔源氏〕大空を飛びゆく幻術士よ、夢の中にさえ 現れない亡き人の魂の行く方を探してくれ |
584 独 |
宮人は 豊明といそぐ 今日 日影も知らで 暮らしつるかな |
〔源氏〕宮人が豊明の節会に夢中になっている今日 わたしは日の光〔影〕も知らないで暮らしてしまったな |
585 独 |
死出の山 越えにし人を 慕ふとて 跡を見つつも なほ惑ふかな |
〔源氏〕死出の山を越えてしまった人を恋い慕って行こうとして その跡を見ながらもやはり悲しみにくれまどうことだ |
586 独 |
かきつめて 見るもかひなし 藻塩草 同じ雲居の 煙とをなれ |
〔源氏〕かき集めて見るのも甲斐がない、この手紙も 本人と同じく雲居の煙となりなさい |
587 贈 |
春までの 命も知らず 雪のうちに 色づく梅を 今日かざしてむ |
〔源氏〕春までの命もあるかどうか分からないから 雪の中に色づいた紅梅を今日は插頭にしよう |
588 答 |
千世の春 見るべき花と 祈りおきて わが身ぞ雪と ともにふりぬる |
〔導師〕千代の春を見るべくあなたの長寿を祈りおきましたが わが身は降る雪とともに年ふりました |
589 独 |
もの思ふと 過ぐる月日も 知らぬまに 年もわが世も 今日や尽きぬる |
〔源氏〕物思いしながら過ごし月日のたつのも知らない間に 今年も自分の寿命も今日が最後になったか |
匂兵部卿(におうひょうぶきょう) 1首 |
||
内訳:1(薫=柏木の子=頭中将の孫) | ||
→【逐語分析】 | ||
590 独 |
おぼつかな 誰れに問はまし いかにして 初めも果ても 知らぬわが身ぞ |
〔薫:柏木の子〕はっきりしないことだ、誰に尋ねたらよいものか どうして初めも終わりも分からない身の上なのだろう |
紅梅(こうばい) 4首 |
||
内訳:2×2(紅梅大納言=按察使大納言=柏木弟、匂宮=匂兵部卿 =今上帝三宮) | ||
→【逐語分析】 | ||
591 贈 |
心ありて 風の匂はす 園の梅に まづ鴬の 訪はずやあるべき |
〔紅梅大納言:柏木弟〕考えがあって風が匂わす園の梅に さっそく鴬が来ないことがありましょうか |
592 答 |
花の香に 誘はれぬべき 身なりせば 風のたよりを 過ぐさましやは |
〔匂宮:今上三宮〕花の香に誘われそうな身であったら 風の便りをそのまま黙っていましょうか |
593 贈 |
本つ香の 匂へる君が 袖触れば 花もえならぬ 名をや散らさむ |
〔紅梅大納言〕もともとの香りが匂っていらっしゃるあなたが袖を振ると 花も素晴らしい評判を得ることでしょう |
594 答 |
花の香を 匂はす宿に 訪めゆかば 色にめづとや 人の咎めむ |
〔匂宮〕花の香を匂わしていらっしゃる宿に訪ねていったら 好色な人だと人が咎めるのではないでしょうか |
竹河 24首 |
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内訳:5(薫)、5(蔵人少将=夕霧の子)、2×3(宰相の君、藤侍従、鬚黒長女:通称大君)、1×8(内の人=簾中の女房(新大系)・玉鬘邸の侍女(全集)、鬚黒次女:中の君:内裏の君、大輔君:中の君方女房、中の君方童女、なれき=大君方童女、中将=中将の御許:大君方女房、※玉鬘:大君母vs中将の御許or大君侍女(通説)、内の人=うち:女房(新大系・集成)、大君侍女(全集)) | ||
→【逐語分析】 | ||
595 贈 |
折りて見ば いとど匂ひも まさるやと すこし色めけ 梅の初花 |
〔宰相の君と聞こゆる上臈:大君方女房〕手折ってみたらますます匂いも勝ろうかと もう少し色づいてみてはどうですか、梅の初花 |
596 答 |
よそにては もぎ木なりとや 定むらむ 下に匂へる 梅の初花 |
〔薫:柏木の子〕傍目には枯木だと決めていましょうが 心の中は咲き匂っている梅の初花ですよ |
597 贈 |
人はみな 花に心を 移すらむ 一人ぞ惑ふ 春の夜の闇 |
〔蔵人少将:夕霧の子〕人はみな花に心を寄せているのでしょうが わたし一人は迷っております、春の夜の闇の中で |
598 答 |
をりからや あはれも知らむ 梅の花 ただ香ばかりに 移りしもせじ |
〔内の人=簾中の女房(新大系)・玉鬘邸の侍女(全集)〕 時と場合によって心を寄せるものです ただ梅の花の香りだけにこうも引かれるものではありませんよ |
599 贈 |
竹河の 橋うちいでし 一節に 深き心の 底は知りきや |
〔薫〕竹河の歌を謡ったあの文句の一端から わたしの深い心のうちを知っていただけましたか |
600 答 |
竹河に 夜を更かさじと いそぎしも いかなる節を 思ひおかまし |
〔藤侍従:玉鬘の子・薫のいとこ〕竹河を謡って夜を更かすまいと急いでいらっしゃったのも どのようなことを心に止めておけばよいのでしょう |
601 唱 |
桜ゆゑ 風に心の 騒ぐかな 思ひぐまなき 花と見る見る |
〔負方の姫君=鬚黒長女:通称大君〕桜のせいで吹く風ごとに気が揉めます わたしを思ってくれない花だと思いながらも |
602 唱 |
咲くと見て かつは散りぬる 花なれば 負くるを深き 恨みともせず |
〔御方の宰相の君=大君方女房〕咲いたかと見ると一方では散ってしまう花なので 負けて木を取られたことを深く恨みません |
603 唱 |
風に散る ことは世の常 枝ながら 移ろふ花を ただにしも見じ |
〔右の姫君=鬚黒次女:中の君〕風に散ることは世の常のことですが、枝ごとそっくり こちらの木になった花を平気で見ていられないでしょう |
604 唱 |
心ありて 池のみぎはに 落つる花 あわとなりても わが方に寄れ |
〔大輔の君=中の君方女房〕こちらに味方して池の汀に散る花よ 水の泡となってもこちらに流れ寄っておくれ |
605 唱 |
大空の 風に散れども 桜花 おのがものとぞ かきつめて見る |
〔勝方の童=中の君方の童女〕大空の風に散った桜の花を わたしのものと思って掻き集めて見ました |
606 唱 |
桜花 匂ひあまたに 散らさじと おほふばかりの 袖はありやは |
〔左のなれき=大君方の童女〕桜の花のはなやかな美しさを方々に散らすまいとしても 大空を覆うほど大きな袖がございましょうか |
607 贈:独 |
つれなくて 過ぐる月日を かぞへつつ もの恨めしき 暮の春かな |
〔薫→藤侍従〕わたしの気持ちを分かっていただけずに過ぎてゆく年月を数えていますと 恨めしくも春の暮になりました |
608 贈 |
いでやなぞ 数ならぬ身に かなはぬは 人に負けじの 心なりけり |
〔蔵人少将:夕霧の子〕いったい何ということか、物の数でもない身なのに かなえることができないのは負けじ魂だとは |
609 答 |
わりなしや 強きによらむ 勝ち負けを 心一つに いかがまかする |
〔中将=中将の御許:大君方女房(全集)〕無理なこと、強い方が勝つ勝負事を あなたのお心一つでどうなりましょう |
610 答 |
あはれとて 手を許せかし 生き死にを 君にまかする わが身とならば |
〔蔵人少将〕かわいそうだと思って、姫君をわたしに許してください この先の生死はあなた次第のわが身と思われるならば |
611 贈 |
花を見て 春は暮らしつ 今日よりや しげき嘆きの 下に惑はむ |
〔蔵人少将→大君(旧大系・全集)、玉鬘(渋谷)〕 花を見て春は過ごしました。今日からは 茂った木の下で途方に暮れることでしょう |
612 代答 |
今日ぞ知る 空を眺むる けしきにて 花に心を 移しけりとも |
〔玉鬘?=御前・尚侍の君:大君母※ ?「中将御許」旧大系「中将のおもとの代作であろう」新大系・集成 「別の女房の作か」「大君の侍女」全集〕 今日こそ分かりました、空を眺めているようなふりをして 花に心を奪われていらしたのだと |
613 贈 |
あはれてふ 常ならぬ世の 一言も いかなる人に かくるものぞは |
〔鬚黒長女:通称大君〕あわれという一言も、この無常の世に いったいどなたに言い掛けたらよいのでしょう |
614 答 |
生ける世の 死には心に まかせねば 聞かでややまむ 君が一言 |
〔蔵人少将〕生きているこの世の生死は思う通りにならないので 聞かずに諦めきれましょうか、あなたのあわれという一言を |
615 贈 |
手にかくる ものにしあらば 藤の花 松よりまさる 色を見ましや |
〔薫〕手に取ることができるものなら、藤の花の 松の緑より勝れた色を空しく眺めていましょうか |
616 答 |
紫の 色はかよへど 藤の花 心にえこそ かからざりけれ |
〔藤侍従〕紫の色は同じだが、あの藤の花は わたしの思う通りにできなかったのです |
617 贈 |
竹河の その夜のことは 思ひ出づや しのぶばかりの 節はなけれど |
〔内の人=うち:女房(新大系・集成)、大君侍女(全集)〕 竹河を謡ったあの夜のことは覚えていらっしゃいますか 思い出すほどの出来事はございませんが |
618 答 |
流れての 頼めむなしき 竹河に 世は憂きものと 思ひ知りにき |
〔薫〕今までの期待も空しいとことと分かって 世の中は嫌なものだとつくづく思い知りました |
橋姫 13首 |
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内訳:3×3(八の宮=源氏の異母弟、八宮長女=通称大君、薫=柏木の子)、2(柏木=頭中将の子)、1×2(八宮次女=若君=中君、冷泉院) | ||
→【逐語分析】 | ||
619 唱 |
うち捨てて つがひ去りにし 水鳥の 仮のこの世に たちおくれけむ |
〔八の宮:源氏の異母弟〕見捨てて去って行ったつがいでいた水鳥の 雁ははかないこの世に子供を残して行ったのだろうか |
620 唱 |
いかでかく 巣立ちけるぞと 思ふにも 憂き水鳥の 契りをぞ知る |
〔八宮長女:姫君・通称大君〕どうしてこのように大きくなったのだろうと思うにも 水鳥のような辛い運命が思い知られます |
621 唱 |
泣く泣くも 羽うち着する 君なくは われぞ巣守に なりは果てまし |
〔八宮次女:若君=中君〕泣きながらも羽を着せかけてくださるお父上がいらっしゃらなかったら わたしは大きくなることはできなかったでしょうに |
622 独 |
見し人も 宿も煙に なりにしを 何とてわが身 消え残りけむ |
〔八の宮〕北の方も邸も煙となってしまったが どうしてわが身だけがこの世に生き残っているのだろう |
623 贈 |
世を厭ふ 心は山に かよへども 八重立つ雲を 君や隔つる |
〔冷泉院〕世を厭う気持ちは宇治山に通じておりますが 幾重にも雲であなたが隔てていらっしゃるのでしょうか |
624 答 |
あと絶えて 心澄むとは なけれども 世を宇治山に 宿をこそ借れ |
〔八の宮〕世を捨てて悟り澄ましているのではありませんが 世を辛いものと思い宇治山に暮らしております |
625 独 |
山おろしに 耐へぬ木の葉の 露よりも あやなくもろき わが涙かな |
〔薫〕山颪の風に堪えない木の葉の露よりも 妙にもろく流れるわたしの涙よ |
626 贈 |
あさぼらけ 家路も見えず 尋ね来し 槙の尾山は 霧こめてけり |
〔薫〕夜も明けて行きますが帰る家路も見えません 尋ねて来た槙の尾山は霧が立ち込めていますので |
627 答 |
雲のゐる 峰のかけ路を 秋霧の いとど隔つる ころにもあるかな |
〔八宮長女〕雲のかかっている山路を秋霧が ますます隔てているこの頃です |
628 贈 |
橋姫の 心を汲みて 高瀬さす 棹のしづくに 袖ぞ濡れぬる |
〔薫〕姫君たちのお寂しい心をお察しして 浅瀬を漕ぐ舟の棹の、涙で袖が濡れました |
629 答 |
さしかへる 宇治の河長 朝夕の しづくや袖を 朽たし果つらむ |
〔八宮長女〕棹さして何度も行き来する宇治川の渡し守は朝夕の雫に 濡れてすっかり袖を朽ちさせていることでしょう |
630 贈:独 |
目の前に この世を背く 君よりも よそに別るる 魂ぞ悲しき |
〔柏木→女三宮〕目の前にこの世をお背きになるあなたよりも お目にかかれずに死んで行くわたしの魂のほうが悲しいのです |
631 贈:独 |
命あらば それとも見まし 人知れぬ 岩根にとめし 松の生ひ末 |
〔柏木→女三宮〕生きていられたら、それをわが子だと見ましょうが 誰も知らない岩根に残した松の成長ぶりを |
椎本(しいがもと) 21首 |
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内訳:5×3(匂宮=今上帝三宮、薫、八宮長女=通称大君)、4(八宮次女=中の君=中の宮)、2(八の宮=源氏の異母弟) | ||
→【逐語分析】 | ||
632 贈 |
山風に 霞吹きとく 声はあれど 隔てて見ゆる 遠方の白波 |
〔八の宮:源氏の異母弟→薫〕山風に乗って霞を吹き分ける笛の音は聞こえますが 隔てて見えますそちらの白波です |
633 代答 |
遠方こちの 汀に波は 隔つとも なほ吹きかよへ 宇治の川風 |
〔匂宮:今上三宮〕そちらとこちらの汀に波は隔てていても やはり吹き通いなさい宇治の川風よ |
634 贈 |
山桜 匂ふあたりに 尋ね来て 同じかざしを 折りてけるかな |
〔匂宮〕山桜が美しく咲いている辺りにやって来て 同じこの地の美しい桜を插頭しに手折ったことです |
635 答 |
かざし折る 花のたよりに 山賤の 垣根を過ぎぬ 春の旅人 |
〔八宮次女:中の君〕插頭の花を手折るついでに、山里の家は 通り過ぎてしまう春の旅人なのでしょう |
636 贈 |
われなくて 草の庵は 荒れぬとも このひとことは かれじとぞ思ふ |
〔八の宮〕わたしが亡くなって草の庵が荒れてしまっても この一言の約束だけは守ってくれようと存じます |
637 答 |
いかならむ 世にかかれせむ 長き世の 契りむすべる 草の庵は |
〔薫〕どのような世になりましても訪れなくなることはありません この末長く約束を結びました草の庵には |
638 贈 |
牡鹿鳴く 秋の山里 いかならむ 小萩が露の かかる夕暮 |
〔匂宮→中の君〕牡鹿の鳴く秋の山里はいかがお暮らしでしょうか 小萩に露のかかる夕暮時は |
639 代答 |
涙のみ 霧りふたがれる 山里は 籬に鹿ぞ 諸声に鳴く |
〔大君代作(中の君)〕涙ばかりで霧に塞がっている山里は 籬に鹿が声を揃えて鳴いております |
640 答 |
朝霧に 友まどはせる 鹿の音を おほかたにやは あはれとも聞く |
〔匂宮〕朝霧に友を見失った鹿の声を ただ世間並にしみじみと悲しく聞いておりましょうか |
641 贈 |
色変はる 浅茅を見ても 墨染に やつるる袖を 思ひこそやれ |
〔薫〕色の変わった浅茅を見るにつけても墨染に 身をやつしていらっしゃるお姿をお察しいたします |
642 答 |
色変はる 袖をば露の 宿りにて わが身ぞさらに 置き所なき |
〔八宮長女:通称大君〕喪服に色の変わった袖に露はおいていますが わが身はまったく置き所もありません |
643 独 |
秋霧の 晴れぬ雲居に いとどしく この世をかりと 言ひ知らすらむ |
〔薫〕秋霧の晴れない雲居でさらにいっそう この世を仮の世だと鳴いて知らせるのだろう |
644 贈 |
君なくて 岩のかけ道 絶えしより 松の雪をも なにとかは見る |
〔八宮長女:通称大君〕父上がお亡くなりになって岩の険しい山道も絶えてしまった今 松の雪を何と御覧になりますか |
645 答 |
奥山の 松葉に積もる 雪とだに 消えにし人を 思はましかば |
〔八宮次女:中の宮〕奥山の松葉に積もる雪とでも 亡くなった父上を思うことができたらうれしゅうございます |
646 贈 |
雪深き 山のかけはし 君ならで またふみかよふ 跡を見ぬかな |
〔八宮長女:通称大君〕雪の深い山の懸け橋は、あなた以外に 誰も踏み分けて訪れる人はございません |
647 答 |
つららとぢ 駒ふみしだく 山川を しるべしがてら まづや渡らむ |
〔薫〕氷に閉ざされて馬が踏み砕いて歩む山川を 宮の案内がてら、まずはわたしが渡りましょう |
648 独 |
立ち寄らむ 蔭と頼みし 椎が本 空しき床に なりにけるかな |
〔薫〕立ち寄るべき蔭とお頼りしていた椎の本は 空しい床になってしまったな |
649 唱:贈 |
君が折る 峰の蕨と 見ましかば 知られやせまし 春のしるしも |
〔?八宮長女:大君〕父宮が摘んでくださった峰の蕨でしたら これを春が来たしるしだと知られましょうに |
650 唱:答 |
雪深き 汀の小芹 誰がために 摘みかはやさむ 親なしにして |
〔?八宮次女:中の君〕雪の深い汀の小芹も誰のために摘んで楽しみましょうか 親のないわたしたちですので |
651 贈 |
つてに見し 宿の桜を この春は 霞隔てず 折りてかざさむ |
〔匂宮〕この前は、事のついでに眺めたあなたの桜を 今年の春は霞を隔てず手折ってかざしたい |
652 答 |
いづことか 尋ねて折らむ 墨染に 霞みこめたる 宿の桜を |
〔八宮次女:中君〕どこと尋ねて手折るのでしょう 墨染に霞み籠めているわたしの桜を |
総角(あげまき) 31首 |
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内訳:12(薫=柏木の子)、7(匂宮=今上三宮)、5(八宮長女=通称大君)、4(八宮次女=中の君=中の宮)、1×3(宰相中将、衛門督、宮大夫) | ||
→【逐語分析】 | ||
653 贈 |
あげまきに 長き契りを 結びこめ 同じ所に 縒りも会はなむ |
〔薫〕総角に末長い契りを結びこめて 一緒になって会いたいものです |
654 答 |
ぬきもあへず もろき涙の 玉の緒に 長き契りを いかが結ばむ |
〔八宮長女:通称大君〕貫き止めることもできないもろい涙の玉の緒に 末長い契りをどうして結ぶことができましょう |
655 贈 |
山里の あはれ知らるる 声々に とりあつめたる 朝ぼらけかな |
〔薫〕山里の情趣が思い知られます鳥の声々に あれこれと思いがいっぱいになる朝け方ですね |
656 答 |
鳥の音も 聞こえぬ山と 思ひしを 世の憂きことは 訪ね来にけり |
〔八宮長女:女君〕鳥の声も聞こえない山里と思っていましたが 人の世の辛さは後を追って来るものですね |
657 贈 |
おなじ枝を 分きて染めける 山姫に いづれか深き 色と問はばや |
〔薫〕同じ枝を分けて染めた山姫を どちらが深い色と尋ねましょうか |
658 答 |
山姫の 染むる心は わかねども 移ろふ方や 深きなるらむ |
〔八宮長女〕山姫が染め分ける心はわかりませんが 色変わりしたほうに深い思いを寄せているのでしょう |
659 贈 |
女郎花 咲ける大野を ふせぎつつ 心せばくや しめを結ふらむ |
〔匂宮:今上三宮〕女郎花が咲いている大野に人を入れまいと どうして心狭く縄を張り廻らしなさるのか |
660 答 |
霧深き 朝の原の 女郎花 心を寄せて 見る人ぞ見る |
〔薫〕霧の深い朝の原の女郎花は 深い心を寄せて知る人だけが見るのです |
661 贈 |
しるべせし 我やかへりて 惑ふべき 心もゆかぬ 明けぐれの道 |
〔薫〕道案内をしたわたしがかえって迷ってしまいそうです 満ち足りない気持ちで帰る明け方の暗い道を |
662 答 |
かたがたに くらす心を 思ひやれ 人やりならぬ 道に惑はば |
〔八宮長女:通称大君〕それぞれに思い悩むわたしの気持ちを思ってみてください 自分勝手に道にお迷いならば |
663 贈:独 |
世の常に 思ひやすらむ 露深き 道の笹原 分けて来つるも |
〔匂宮→八宮次女:中君〕世にありふれたことと思っていらっしゃるのでしょうか 露の深い道の笹原を分けて来たのですが |
664 贈 |
小夜衣 着て馴れきとは 言はずとも かことばかりは かけずしもあらじ |
〔薫〕小夜衣を着て親しくなったとは言いませんが いいがかりくらいはつけないでもありません |
665 答 |
隔てなき 心ばかりは 通ふとも 馴れし袖とは かけじとぞ思ふ |
〔八宮長女:通称大君〕隔てない心だけは通い合いましょうとも 馴れ親しんだ仲などとはおっしゃらないでください |
666 贈 |
中絶えむ ものならなくに 橋姫の 片敷く袖や 夜半に濡らさむ |
〔匂宮〕中が切れようとするのでないのに あなたは独り敷く袖は夜半に濡らすことだろう |
667 答 |
絶えせじの わが頼みにや 宇治橋の 遥けきなかを 待ちわたるべき |
〔八宮次女:中君〕切れないようにとわたしは信じては 宇治橋の遥かな仲をずっとお待ち申しましょう |
668 唱 |
いつぞやも 花の盛りに 一目見し 木のもとさへや 秋は寂しき |
〔宰相の中将=蔵人少将(全集):夕霧の子〕 いつだったか花の盛りに一目見た木のもとまでが 秋はお寂しいことでしょう |
669 唱 |
桜こそ 思ひ知らすれ 咲き匂ふ 花も紅葉も 常ならぬ世を |
〔中納言=薫〕桜は知っているでしょう 咲き匂う花も紅葉も常ならぬこの世を |
670 唱 |
いづこより 秋は行きけむ 山里の 紅葉の蔭は 過ぎ憂きものを |
〔衛門督=脇役〕どこから秋は去って行くのでしょう 山里の紅葉の蔭は立ち去りにくいのに |
671 唱 |
見し人も なき山里の 岩垣に 心長くも 這へる葛かな |
〔宮の大夫=脇役〕お目にかかったことのある方も亡くなった 山里の岩垣に気の長く這いかかっている蔦よ |
672 唱 |
秋はてて 寂しさまさる 木のもとを 吹きな過ぐしそ 峰の松風 |
〔匂宮〕秋が終わって寂しさがまさる木のもとを あまり烈しく吹きなさるな、峰の松風よ |
673 贈:独 |
若草の ね見むものとは 思はねど むすぼほれたる 心地こそすれ |
〔匂宮→女一の宮(明石中宮娘・匂同腹)〕若草のように美しいあなたと共寝をしてみようとは思いませんが 悩ましく晴れ晴れしない気がします |
674 贈 |
眺むるは 同じ雲居を いかなれば おぼつかなさを 添ふる時雨ぞ |
〔匂宮〕眺めているのは同じ空なのに どうしてこうも会いたい気持ちをつのらせる時雨なのか |
675 答 |
霰降る 深山の里は 朝夕に 眺むる空も かきくらしつつ |
〔八宮次女:中君〕霰が降る深山の里は朝夕に 眺める空もかき曇っております |
676 贈 |
霜さゆる 汀の千鳥 うちわびて 鳴く音悲しき 朝ぼらけかな |
〔薫〕霜が冷たく凍る汀の千鳥が堪えかねて 寂しく鳴く声が悲しい、明け方ですね |
677 答 |
暁の 霜うち払ひ 鳴く千鳥 もの思ふ人の 心をや知る |
〔八宮次女:中君〕明け方の霜を払って鳴く千鳥も 悲しんでいる人の心が分かるのでしょうか |
678 独 |
かき曇り 日かげも見えぬ 奥山に 心をくらす ころにもあるかな |
〔薫〕かき曇って日の光も見えない奥山で 心を暗くする今日このごろだ |
679 独 |
くれなゐに 落つる涙も かひなきは 形見の色を 染めぬなりけり |
〔薫〕紅色に落ちる涙が何にもならないのは 形見の喪服の色を染めないことだ |
680 独 |
おくれじと 空ゆく月を 慕ふかな つひに住むべき この世ならねば |
〔薫〕後れまいと空を行く月が慕われる いつまでも住んでいられないこの世なので |
681 独 |
恋ひわびて 死ぬる薬の ゆかしきに 雪の山にや 跡を消なまし |
〔薫〕恋いわびて死ぬ薬が欲しいゆえに 雪の山に分け入って跡を晦ましてしまいたい |
682 贈 |
来し方を 思ひ出づるも はかなきを 行く末かけて なに頼むらむ |
〔八宮次女:中君〕過ぎ去ったことを思い出しても頼りないのに 将来までどうして当てになりましょう |
683 答 |
行く末を 短きものと 思ひなば 目の前にだに 背かざらなむ |
〔匂宮〕将来が短いものと思ったら せめてわたしの前だけでも背かないでほしい |
早蕨(さわらび) 15首 |
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内訳:5(薫=柏木の子)、4(八宮次女=中君)、2(弁=老尼=柏木乳母子)、1×4(阿闍梨、匂宮、大輔の君=中君方女房、いま一人=女房②) | ||
→【逐語分析】 | ||
684 贈 |
君にとて あまたの春を 摘みしかば 常を忘れぬ 初蕨なり |
〔阿闍梨〕わが君にと思って毎年毎年の春に摘みましたので 今年も例年どおりの初蕨です |
685 答 |
この春は 誰れにか見せむ 亡き人の かたみに摘める 峰の早蕨 |
〔八宮次女:中君〕今年の春は誰にお見せしましょうか 亡きお方の形見として摘んだ峰の早蕨を |
686 贈 |
折る人の 心にかよふ 花なれや 色には出でず 下に匂へる |
〔匂宮:今上三宮〕折る人の心に通っている花なのだろうか 表には現さないで内に匂いを含んでいる |
687 答 |
見る人に かこと寄せける 花の枝を 心してこそ 折るべかりけれ |
〔薫〕見る人に言いがかりをつけられる花の枝は 注意して折るべきでした |
688 贈:独 |
はかなしや 霞の衣 裁ちしまに 花のひもとく 折も来にけり |
〔薫→中君〕早いものですね、霞の衣を作ったばかりなのに もう花が綻ぶ季節となりました |
689 贈 |
見る人も あらしにまよふ 山里に 昔おぼゆる 花の香ぞする |
〔中君〕花を見る人もいなくなってしまいましょうに、嵐に吹き乱れる山里に 昔を思い出させる花の香が匂って来ます |
690 答 |
袖ふれし 梅は変はらぬ 匂ひにて 根ごめ移ろふ 宿やことなる |
〔薫〕昔賞美された梅は今も変わらぬ匂いですが 根ごと移ってしまう邸は他人の所なのでしょうか |
691 贈 |
さきに立つ 涙の川に 身を投げば 人におくれぬ 命ならまし |
〔弁=老尼・柏木の乳母子〕先に立つ涙の川に身を投げたら 死に後れしなかったでしょうに |
692 答 |
身を投げむ 涙の川に 沈みても 恋しき瀬々に 忘れしもせじ |
〔薫:柏木の子〕身を投げるという涙の川に沈んでも 恋しい折々を忘れることはできまい |
693 贈 |
人はみな いそぎたつめる 袖の浦に 一人藻塩を 垂るる海人かな |
〔弁=老尼〕人びとは皆準備に忙しく繕い物をしているようですが 一人藻塩を垂れて涙に暮れている尼の私です |
694 答 |
塩垂るる 海人の衣に 異なれや 浮きたる波に 濡るるわが袖 |
〔八宮次女:中君〕藻塩を垂れて涙に暮れるあなたと同じです 浮いた波に涙を流しているわたしは |
695 贈 |
ありふれば うれしき瀬にも 逢ひけるを 身を宇治川に 投げてましかば |
〔大輔の君=中君方女房〕生きていたので嬉しい事に出合いました 身を厭いて宇治川に投げてしまいましたら |
696 答 |
過ぎにしが 恋しきことも 忘れねど 今日はたまづも ゆく心かな |
〔いま一人=中君方女房②〕亡くなった方を恋しく思う気持ちは忘れませんが 今日は何をさしおいてもまず嬉しく存じられます |
697 独 |
眺むれば 山より出でて 行く月も 世に住みわびて 山にこそ入れ |
〔八宮次女:中君〕考えると山から出て昇って行く月も この世が住みにくくて山に帰って行くのだろう |
698 独 |
しなてるや 鳰の湖に 漕ぐ舟の まほならねども あひ見しものを |
〔薫〕しなてる琵琶湖の湖に漕ぐ舟のように まともではないが一夜会ったこともあったのに |
宿木(やどりぎ) 24首 |
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内訳:10(薫=柏木の子)、5(八宮次女)、2×2(匂宮、今上帝)、1×5(夕霧(通説)=頭中将(夕霧息子)代作、落葉宮=継母の宮:六の君(夕霧六女)の継母、弁=老尼、按察使君:按察の君、按察使大納言=紅梅大納言) | ||
→【逐語分析】 | ||
699 贈 |
世の常の 垣根に匂ふ 花ならば 心のままに 折りて見ましを |
〔薫〕世間一般の家の垣根に咲いている花ならば 思いのままに手折って賞美すことができましょうものを |
700 答 |
霜にあへず 枯れにし園の 菊なれど 残りの色は あせずもあるかな |
〔今上帝〕霜に堪えかねて枯れてしまった園の菊であるが 残りの色は褪せていないな |
701 独 |
今朝の間の 色にや賞でむ 置く露の 消えぬにかかる 花と見る見る |
〔薫〕今朝の間の色を賞美しようか、置いた露が 消えずに残っているわずかの間に咲く花と思いながら |
702 贈 |
よそへてぞ 見るべかりける 白露の 契りかおきし 朝顔の花 |
〔薫〕あなたを姉君と思って自分のものにしておくべきでした 白露が約束しておいた朝顔の花ですから |
703 答 |
消えぬまに 枯れぬる花の はかなさに おくるる露は なほぞまされる |
〔八宮次女:中君〕露の消えない間に枯れてしまう花のはかなさよりも 後に残る露はもっとはかないことです |
704 代贈:独 |
大空の 月だに宿る わが宿に 待つ宵過ぎて 見えぬ君かな |
〔夕霧(通説)・頭中将(夕霧息子)代作→匂宮〕 大空の月でさえ宿るわたしの邸にお待ちする 宵が過ぎてもまだお見えにならないあなたですね |
705 独 |
山里の 松の蔭にも かくばかり 身にしむ秋の 風はなかりき |
〔八宮次女:中君〕山里の松の蔭でもこれほどに 身にこたえる秋の風は経験しなかった |
706 代贈:独 |
女郎花 しをれぞまさる 朝露の いかに置きける 名残なるらむ |
〔落葉宮=継母の宮代作(六の君)→匂宮〕 女郎花が一段と萎れています 朝露がどのように置いていったせいなのでしょうか |
707 独 |
おほかたに 聞かましものを ひぐらしの 声恨めしき 秋の暮かな |
〔八宮次女:中君〕宇治にいたら何気なく聞いただろうに 蜩の声が恨めしい秋の暮だこと |
708 贈 |
うち渡し 世に許しなき 関川を みなれそめけむ 名こそ惜しけれ |
〔按察の君=女三宮侍女〕いったいに世間から認められない仲なのに お逢いし続けているという評判が立つのが辛うございます |
709 答 |
深からず 上は見ゆれど 関川の 下の通ひは 絶ゆるものかは |
〔薫〕深くないように表面は見えますが 心の底では愛情の絶えることはありません |
710 贈:独 |
いたづらに 分けつる道の 露しげみ 昔おぼゆる 秋の空かな |
〔薫→中君〕無駄に歩きました道の露が多いので 昔が思い出されます秋の空模様ですね |
711 贈 |
また人に 馴れける袖の 移り香を わが身にしめて 恨みつるかな |
〔匂宮〕他の人に親しんだ袖の移り香か わが身にとって深く恨めしいことだ |
712 答 |
みなれぬる 中の衣と 頼めしを かばかりにてや かけ離れなむ |
〔八宮次女:中君〕親しみ信頼してきた夫婦の仲も この程度の薫りで切れてしまうのでしょうか |
713 贈:独 |
結びける 契りことなる 下紐を ただ一筋に 恨みやはする |
〔薫→中君〕結んだ契りの相手が違うので 今さらどうして一途に恨んだりしようか |
714 贈 |
宿り木と 思ひ出でずは 木のもとの 旅寝もいかに さびしからまし |
〔薫:柏木の子〕宿木の昔泊まった家と思い出さなかったら 木の下の旅寝もどんなにか寂しかったことでしょう |
715 答 |
荒れ果つる 朽木のもとを 宿りきと 思ひおきける ほどの悲しさ |
〔弁:尼君・柏木の乳母子〕荒れ果てた朽木のもとを昔の泊まった家と 思っていてくださるのが悲しいことです |
716 贈 |
穂に出でぬ もの思ふらし 篠薄 招く袂の 露しげくして |
〔匂宮〕外に現さないないが、物思いをしているらしいですね 篠薄が招くので、袂の露がいっぱいですね |
717 答 |
秋果つる 野辺のけしきも 篠薄 ほのめく風に つけてこそ知れ |
〔八宮次女:中君〕秋が終わる野辺の景色も 篠薄がわずかに揺れている風によって知られます |
718 唱 |
すべらきの かざしに折ると 藤の花 及ばぬ枝に 袖かけてけり |
〔薫〕帝の插頭に折ろうとして藤の花を わたしの及ばない袖にかけてしまいました |
719 唱 |
よろづ世を かけて匂はむ 花なれば 今日をも飽かぬ 色とこそ見れ |
〔今上帝〕万世を変わらず咲き匂う花であるから 今日も見飽きない花の色として見ます |
720 唱 |
君がため 折れるかざしは 紫の 雲に劣らぬ 花のけしきか |
〔薫。某(旧大系) 、夕霧の歌か(新大系・全集等の近時通説=別人ありきの推測〕 主君のため折った插頭の花は 紫の雲にも劣らない花の様子です |
721 唱 |
世の常の 色とも見えず 雲居まで たち昇りたる 藤波の花 |
〔按察使大納言=紅梅〕世間一般の花の色とも見えません 宮中まで立ち上った藤の花は |
722 独 |
貌鳥の 声も聞きしに かよふやと 茂みを分けて 今日ぞ尋ぬる |
〔薫〕かお鳥の声も昔聞いた声に似ているかしらと 草の茂みを分け入って今日尋ねてきたのだ |
東屋 11首 |
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内訳:5(薫=柏木の子)、2(浮舟母=中将の君)、1×4(八宮次女=中君、左近少将=浮舟求婚者、八宮三女=通称浮舟、弁=老尼) | ||
→【逐語分析】 | ||
723 贈 |
見し人の 形代ならば 身に添へて 恋しき瀬々の なでものにせむ |
〔薫〕亡き姫君の形見ならば、いつも側において 恋しい折々の気持ちを移して流す撫物としよう |
724 答 |
みそぎ河 瀬々に出ださむ なでものを 身に添ふ影と 誰れか頼まむ |
〔八宮次女:中君〕禊河の瀬々に流し出す撫物を いつまでも側に置いておくと誰が期待しましょう |
725 贈 |
しめ結ひし 小萩が上も 迷はぬに いかなる露に 映る下葉ぞ |
〔浮舟母:中将の君③〕囲いをしていた小萩の上葉は乱れもしないのに どうした露で色が変わった下葉なのでしょう |
726 答 |
宮城野の 小萩がもとと 知らませば 露も心を 分かずぞあらまし |
〔左近少将:浮舟求婚者〕宮城野の小萩のもとと知っていたならば 露は少しも心を分け隔てしなかったでしょうに |
727 贈 |
ひたぶるに うれしからまし 世の中に あらぬ所と 思はましかば |
〔浮舟〕一途に嬉しいことでしょう ここが世の中で別の世界だと思えるならば |
728 答 |
憂き世には あらぬ所を 求めても 君が盛りを 見るよしもがな |
〔浮舟母:中将の君③〕憂き世ではない所を尋ねてでも あなたの盛りの世を見たいものです |
729 独 |
絶え果てぬ 清水になどか 亡き人の 面影をだに とどめざりけむ |
〔薫〕涸れてしまわないこの清水にどうして亡くなった人の 面影だけでもとどめておかなかったのだろう |
730 独 |
さしとむる 葎やしげき 東屋の あまりほど降る 雨そそきかな |
〔薫〕戸口を閉ざすほど葎が茂っているためか 東屋であまりに待たされ雨に濡れることよ |
731 独 |
形見ぞと 見るにつけては 朝露の ところせきまで 濡るる袖かな |
〔薫〕故姫君の形見だと思って見るにつけ 朝露がしとどに置くように涙に濡れることだ |
732 贈 |
宿り木は 色変はりぬる 秋なれど 昔おぼえて 澄める月かな |
〔弁:尼君・柏木の乳母子〕宿木は色が変わってしまった秋ですが 昔が思い出される澄んだ月ですね |
733 答 |
里の名も 昔ながらに 見し人の 面変はりせる 閨の月影 |
〔薫:柏木の子〕里の名もわたしも昔のままですが 昔の人が面変わりしたかと思われる閨の月光【の面影】です |
浮舟 22首 |
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内訳:13(八宮三女=通称浮舟)、6(匂宮=今上帝三宮)、3(薫=柏木の子) | ||
→【逐語分析】 | ||
734 贈:独 |
まだ古りぬ 物にはあれど 君がため 深き心に 待つと知らなむ |
〔浮舟→中の君(浮舟姉)〕まだ古木にはなっておりませんが、若君様のご成長を 心から深くご期待申し上げております |
735 贈 |
長き世を 頼めてもなほ 悲しきは ただ明日知らぬ 命なりけり |
〔匂宮〕末長い仲を約束してもやはり悲しいのは ただ明日を知らない命であるよ |
736 答 |
心をば 嘆かざらまし 命のみ 定めなき世と 思はましかば |
〔浮舟〕心変わりなど嘆いたりしないでしょう 命だけが定めないこの世と思うのでしたら |
737 贈 |
世に知らず 惑ふべきかな 先に立つ 涙も道を かきくらしつつ |
〔匂宮〕いったいどうしてよいか分からない 先に立つ涙が道を真暗にするので |
738 答 |
涙をも ほどなき袖に せきかねて いかに別れを とどむべき身ぞ |
〔浮舟〕涙も狭い袖では抑えかねますので どのように別れを止めることができましょうか |
739 贈 |
宇治橋の 長き契りは 朽ちせじを 危ぶむ方に 心騒ぐな |
〔薫〕宇治橋のように末長い約束は朽ちないから 不安に思って心配なさるな |
740 答 |
絶え間のみ 世には危ふき 宇治橋を 朽ちせぬものと なほ頼めとや |
〔浮舟〕絶え間ばかりが気がかりでございます宇治橋なのに 朽ちないものと依然頼りにしなさいとおっしゃるのですか |
741 贈 |
年経とも 変はらむものか 橘の 小島の崎に 契る心は |
〔匂宮〕何年たとうとも変わりません 橘の小島の崎で約束するわたしの気持ちは |
742 答 |
橘の 小島の色は 変はらじを この浮舟ぞ 行方知られぬ |
〔浮舟〕橘の小島の色は変わらないでも この浮舟のようなわたしの身はどこへ行くのやら |
743 贈 |
峰の雪 みぎはの氷 踏み分けて 君にぞ惑ふ 道は惑はず |
〔匂宮〕峰の雪や水際の氷を踏み分けて あなたに心は迷いましたが、道中では迷いません |
744 答 |
降り乱れ みぎはに凍る 雪よりも 中空にてぞ 我は消ぬべき |
〔浮舟〕降り乱れて水際で凍っている雪よりも はかなくわたしは中途で消えてしまいそうです |
745 贈 |
眺めやる そなたの雲も 見えぬまで 空さへ暮るる ころのわびしさ |
〔匂宮→浮舟〕眺めやっているそちらの方の雲も見えないくらいに 空までが真っ暗になっている今日このごろの侘しさです |
746 贈 |
水まさる 遠方の里人 いかならむ 晴れぬ長雨に かき暮らすころ |
〔薫→浮舟749〕川の水が増す宇治の里人はどのようにお過ごしでしょうか 晴れ間も見せず長雨が降り続き、物思いに耽っていらっしゃる今日このごろ |
747 独 |
里の名を わが身に知れば 山城の 宇治のわたりぞ いとど住み憂き |
〔浮舟〕里の名をわが身によそえると 山城の宇治の辺りはますます住みにくいことよ |
748 答 |
かき暮らし 晴れせぬ峰の 雨雲に 浮きて世をふる 身をもなさばや |
〔浮舟→匂宮〕真っ暗になって晴れない峰の雨雲のように 空にただよう煙となってしまいたい |
749 答 |
つれづれと 身を知る雨の 小止まねば 袖さへいとど みかさまさりて |
〔浮舟→薫〕寂しくわが身を知らされる雨が小止みもなく降り続くので 袖までが涙でますます濡れてしまいます |
750 贈:独 |
波越ゆる ころとも知らず 末の松 待つらむとのみ 思ひけるかな |
〔薫→浮舟〕心変わりするころとは知らずにいつまでも 待ち続けていらっしゃるものと思っていました |
751 贈 |
いづくにか 身をば捨てむと 白雲の かからぬ山も 泣く泣くぞ行く |
〔匂宮〕どこに身を捨てようかと捨て場も知らない、白雲が かからない山とてない山道を泣く泣く帰って行くことよ |
752 独 |
嘆きわび 身をば捨つとも 亡き影に 憂き名流さむ ことをこそ思へ |
〔浮舟〕嘆き嘆いて身を捨てても亡くなった後に 嫌な噂を流すのが気にかかる |
753 答 |
からをだに 憂き世の中に とどめずは いづこをはかと 君も恨みむ |
〔浮舟〕亡骸をさえ嫌なこの世に残さなかったら どこを目当てにと、あなた様もお恨みになりましょう |
754 贈:独 |
後にまた あひ見むことを 思はなむ この世の夢に 心惑はで |
〔浮舟→母:中将の君〕来世で再びお会いすることを思いましょう この世の夢に迷わないで |
755 贈:独 |
鐘の音の 絶ゆる響きに 音を添へて わが世尽きぬと 君に伝へよ |
〔浮舟→母:中将の君〕鐘の音が絶えて行く響きに、泣き声を添えて わたしの命も終わったと母上に伝えてください |
蜻蛉 11首 |
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内訳:7(薫=柏木の子)、1×4(匂宮=今上帝三宮、小宰相の君=明石中宮女房、女房・中将のおもと、弁の御許) | ||
→【逐語分析】 | ||
756 贈 |
忍び音や 君も泣くらむ かひもなき 死出の田長に 心通はば |
〔薫〕忍び音にほととぎすが鳴いていますが、あなた様も泣いていらっしゃいましょうか いくら泣いても効のない方にお心寄せならば |
757 答 |
橘の 薫るあたりは ほととぎす 心してこそ 鳴くべかりけれ |
〔匂宮〕橘が薫っているところは、ほととぎすよ 気をつけて鳴くものですよ |
758 独 |
我もまた 憂き古里を 荒れはてば 誰れ宿り木の 蔭をしのばむ |
〔薫〕わたしもまた、嫌なこの古里を離れて、荒れてしまったら 誰がここの宿の事を思い出すであろうか |
759 贈 |
あはれ知る 心は人に おくれねど 数ならぬ身に 消えつつぞ経る |
〔小宰相の君=明石中宮女房〕お悲しみを知る心は誰にも負けませんが 一人前でもない身では遠慮して消え入らんばかりに過ごしております |
760 答 |
常なしと ここら世を見る 憂き身だに 人の知るまで 嘆きやはする |
〔薫〕無常の世を長年見続けて来たわが身でさえ 人が見咎めるまで嘆いてはいないつもりでしたが |
761 独 |
荻の葉に 露吹き結ぶ 秋風も 夕べぞわきて 身にはしみける |
〔薫〕荻の葉に露が結んでいる上を吹く秋風も 夕方には特に身にしみて感じられる |
762 贈 |
女郎花 乱るる野辺に 混じるとも 露のあだ名を 我にかけめや |
〔薫〕女郎花が咲き乱れている野辺に入り込んでも 露に濡れたという噂をわたしにお立てになれましょうか |
763 答 |
花といへば 名こそあだなれ 女郎花 なべての露に 乱れやはする |
〔障子にうしろしたる人=女・中将君(旧大系):中将のおもと(全集)〕 花と申せば名前からして色っぽく聞こえますが 女郎花はそこらの露に靡いたり濡れたりしません |
764 贈 |
旅寝して なほこころみよ 女郎花 盛りの色に 移り移らず |
〔弁のおもと〕旅寝してひとつ試みて御覧なさい 女郎花の盛りの色にお心が移るか移らないか |
765 答 |
宿貸さば 一夜は寝なむ おほかたの 花に移らぬ 心なりとも |
〔薫:柏木の子〕お宿をお貸しくださるなら、一夜は泊まってみましょう そこらの花には心移さないわたしですが |
766 独 |
ありと見て 手にはとられず 見ればまた 行方も知らず 消えし蜻蛉 |
〔薫〕そこにいると見ても、手には取ることのできない 見えたと思うとまた行く方知れず消えてしまった蜻蛉だ |
手習 28首 |
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内訳:12(八宮三女=通称浮舟)、8(中将=妹尼の娘婿)、7(妹尼=横川僧都の妹・小野の妹尼(全集))、1(薫=頭中将の孫) | ||
→【逐語分析】 | ||
767 独 |
身を投げし 涙の川の 早き瀬を しがらみかけて 誰れか止めし |
〔浮舟〕涙ながらに身を投げたあの川の早い流れを 堰き止めて誰がわたしを救い上げたのでしょう |
768 独 |
我かくて 憂き世の中に めぐるとも 誰れかは知らむ 月の都に |
〔浮舟〕わたしがこのように嫌なこの世に生きているとも 誰が知ろうか、あの月が照らしている都の人で |
769 贈 |
あだし野の 風になびくな 女郎花 我しめ結はむ 道遠くとも |
〔中将→浮舟〕浮気な風に靡くなよ、女郎花 わたしのものとなっておくれ、道は遠いけれども |
770 代答 |
移し植ゑて 思ひ乱れぬ 女郎花 憂き世を背く 草の庵に |
〔妹尼:横川僧都の妹〕ここに移し植えて困ってしまいました、女郎花です 嫌な世の中を逃れたこの草庵で |
771 贈 |
松虫の 声を訪ねて 来つれども また萩原の 露に惑ひぬ |
〔中将→浮舟〕松虫の声を尋ねて来ましたが 再び萩原の露に迷ってしまいました |
772 代答 |
秋の野の 露分け来たる 狩衣 葎茂れる 宿にかこつな |
〔妹尼〕秋の野原の露を分けて来たため濡れた狩衣は 葎の茂ったわが宿のせいになさいますな |
773 代贈 |
深き夜の 月をあはれと 見ぬ人や 山の端近き 宿に泊らぬ |
〔妹尼代作(浮舟)〕夜更けの月をしみじみと御覧にならない方が 山の端に近いこの宿にお泊まりになりませんか |
774 答 |
山の端に 入るまで月を 眺め見む 閨の板間も しるしありやと |
〔中将→浮舟〕山の端に隠れるまで月を眺ましょう その効あってお目にかかれようかと |
775 贈 |
忘られぬ 昔のことも 笛竹の つらきふしにも 音ぞ泣かれける |
〔中将〕忘れられない昔の人のことやつれない人のことにつけ 声を立てて泣いてしまいました |
776 答 |
笛の音に 昔のことも 偲ばれて 帰りしほども 袖ぞ濡れにし |
〔妹尼〕笛の音に昔のことも偲ばれまして お帰りになった後も袖が濡れました |
777 独 |
はかなくて 世に古川の 憂き瀬には 尋ねも行かじ 二本の杉 |
〔浮舟〕はかないままにこの世につらい思いをして生きているわが身は あの古川に尋ねて行くことはいたしません、二本の杉のある |
778 答:独 |
古川の 杉のもとだち 知らねども 過ぎにし人に よそへてぞ見る |
〔妹尼〕あなたの昔の人のことは存じませんが わたしはあなたを亡くなった娘と思っております |
779 独 |
心には 秋の夕べを 分かねども 眺むる袖に 露ぞ乱るる |
〔浮舟〕わたしには秋の情趣も分からないが 物思いに耽るわが袖に露がこぼれ落ちる |
780 贈 |
山里の 秋の夜深き あはれをも もの思ふ人は 思ひこそ知れ |
〔中将〕山里の秋の夜更けの情趣を 物思いなさる方はご存知でしょう |
781 答 |
憂きものと 思ひも知らで 過ぐす身を もの思ふ人と 人は知りけり |
〔浮舟〕情けない身の上とも分からずに暮らしているわたしを 物思う人だと他人が分かるのですね |
782 独 |
なきものに 身をも人をも 思ひつつ 捨ててし世をぞ さらに捨てつる |
〔浮舟〕死のうとわが身をも人をも思いながら 捨てた世をさらにまた捨てたのだ |
783 独 |
限りぞと 思ひなりにし 世の中を 返す返すも 背きぬるかな |
〔浮舟〕最期と思い決めた世の中を 繰り返し背くことになったわ |
784 贈 |
岸遠く 漕ぎ離るらむ 海人舟に 乗り遅れじと 急がるるかな |
〔中将〕岸から遠くに漕ぎ離れて行く海人舟に わたしも乗り後れまいと急がれる気がします |
785 答 |
心こそ 憂き世の岸を 離るれど 行方も知らぬ 海人の浮木を |
〔浮舟〕心は厭わしい世の中を離れたが その行く方もわからず漂っている海人の浮木です |
786 贈 |
木枯らしの 吹きにし山の 麓には 立ち隠すべき 蔭だにぞなき |
〔妹尼〕木枯らしが吹いた山の麓では もう姿を隠す場所さえありません |
787 答 |
待つ人も あらじと思ふ 山里の 梢を見つつ なほぞ過ぎ憂き |
〔中将〕待っている人もいないと思う山里の 梢を見ながらもやはり素通りしにくいのです |
788 贈:独 |
おほかたの 世を背きける 君なれど 厭ふによせて 身こそつらけれ |
〔中将→浮舟〕一般の俗世間をお捨てになったあなた様ですが わたしをお厭いなさるのにつけ、つらく存じられます |
789 独 |
かきくらす 野山の雪を 眺めても 降りにしことぞ 今日も悲しき |
〔浮舟〕降りしきる野山の雪を眺めていても 昔のことが今日も悲しく思い出される |
790 贈 |
山里の 雪間の若菜 摘みはやし なほ生ひ先の 頼まるるかな |
〔妹尼〕山里の雪の間に生えた若菜を摘み祝っては やはりあなたの将来が期待されます |
791 答 |
雪深き 野辺の若菜も 今よりは 君がためにぞ 年も摘むべき |
〔浮舟〕雪の深い野辺の若菜も今日からは あなた様のために長寿を祈って摘みましょう |
792 独 |
袖触れし 人こそ見えね 花の香の それかと匂ふ 春のあけぼの |
〔浮舟〕袖を触れ合った人の姿は見えないが、花の香が あの人の香と同じように匂って来る、春の夜明けよ |
793 独 |
見し人は 影も止まらぬ 水の上に 落ち添ふ涙 いとどせきあへず |
〔薫〕あの人は跡形もとどめず、身を投げたその川の面に いっしょに落ちるわたしの涙がますます止めがたいことよ |
794 独 |
尼衣 変はれる身にや ありし世の 形見に袖を かけて偲ばむ |
〔浮舟〕尼衣に変わった身の上で、昔の形見として この華やかな衣装を身につけて、今さら昔を偲ぼうか |
夢浮橋(ゆめのうきはし) 1首 |
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内訳:1(薫=頭中将の孫=柏木の子) | ||
→【逐語分析】 | ||
795 贈:独 |
法の師と 尋ぬる道を しるべにて 思はぬ山に 踏み惑ふかな |
〔薫→浮舟〕仏法の師と思って尋ねて来た道ですが、それを道標としていたのに 思いがけない山道に迷い込んでしまったことよ |