菅原孝標女(すがわらの たかすえの むすめ)『更級日記』全文。底本は御物本(定家筆)。錯簡修正版。
文字数は句読点括弧除き2万5千(除かないと2万7千)、原稿用紙62枚。蜻蛉日記の8万2千、紫式部日記3万2千より短く、和泉式部日記2万より長く、日記物としては短めの部類となる。
あらすじ
作者13歳(数え年)の寛仁4年(1020年)から、52歳頃の康平2年(1059年)までの約40年間が綴られている。
東国・上総の国府(市原郡、(現在の千葉県市原市)にあったと考えられている)に任官していた父・菅原孝標の任期が終了したことにより、寛仁4年(1020年)9月に上総から京の都(現在の京都市)へ帰国(上京)するところから起筆する。『源氏物語』を読みふけり、物語世界に憧憬しながら過ごした少女時代、度重なる身内の死去によって見た厳しい現実、祐子内親王家への出仕、30代での橘俊通との結婚と仲俊らの出産、夫の単身赴任そして康平元年秋の夫の病死などを経て、子供たちが巣立った後の孤独の中で次第に深まった仏教傾倒までが平明な文体で描かれている。
以上、ウィキペディア「更級日記」から引用。
重要語・流布題※ | 冒頭 | |
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第1部 上洛 | ||
1 | 門出★ | あづまぢの道のはてよりも |
2 | 下総・まのてう、太日川 | 十七日のつとめてたつ |
3 | 武蔵・竹芝寺 | 今は武蔵の国になりぬ |
4 | 相模・足柄山の遊女 | 野山蘆荻の中をわくるよりほかのことなくて |
5 | 富士の山・富士川 | 富士の山はこの国なり |
6 | 遠江、三河・八橋 | ぬまじりといふ所もすがすがと過ぎて |
7 | 尾張・美濃・近江・入京 | 尾張の国、鳴海の浦を過ぐるに |
第2部 家居 | ||
8 | 梅の立ち枝 | ひろびろとあれたる所の |
9 | 乳母の死 | その春、世の中いみじうさわがしうて |
10 | 源氏の五十余巻★ | かくのみ思ひくんじたるを |
11 | 家居の四季 | 五月ついたちごろ |
12 | 猫/をかしげなる猫 | 三月つごもりがた |
13 | 長恨歌・をぎの葉・猫の死 | 世の中に長恨歌といふ文を |
14 | 姉の死 | その五月のついたちに |
15 | 東山 | かへる年、むつきの司召に |
16 | 山里の秋 | 暁になりやしぬらむと思ふほどに |
17 | 継母なりし人 | 継母なりし人、下りし国の名を |
18 | 父の常陸下向 | 親となりなば |
19 | 子しのびの森/子忍の森 | 八月ばかりに太秦にこもるに |
20 | 清水詣で | かうてつれづれとながむるに |
21 | 鏡の初瀬詣 天照御神 | 母の一尺の鏡を鋳させて |
22 | 父の帰京 | 東に下りし親、からうじて上りて |
第3部 宮仕え | ||
23 | 宮仕え | 十月になりて京にうつろふ |
24 | 前世の夢 | ひじりなどすら、前の世のこと夢に見る |
25 | 宮仕えの生活 | 十二月二十五日 |
26 | 春秋のさだめ | 上達部、殿上人などに対面する人は |
第4部 物詣で | ||
27 | 石山詣で | 今は、昔のよしなし心もくやしかりけり |
28 | 初瀬詣で1 | そのかへる年の十月二十五日 |
29 | 初瀬詣で2 | 夜深く出でしかば |
30 | 物詣での生活 | 二三年、四五年へだてたることを |
第5部 晩年 | ||
31 | 同じ心なる人 | いにしへいみじう語らひ |
32 | 和泉 | さるべきやうありて |
33 | 夫の信濃赴任 | 世の中にとにかくに心のみつくすに |
34 | 夫の死 | 今はいかで、この若き人々 |
35 | 後の頼み/よもぎが露 | さすがに命は憂きにも絶えず |
※章立て・表題は本により分かれる便宜上のもの。
題はなるべく原文に即し、原文にない流布題は、より通用していると思われるものを採用したが、簡潔さを優先して独自に短くした所もある。
あづまぢの道のはてよりも、なほ奥つかたに生ひいでたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひはじめけることにか、世の中に物語といふもののあなるを、いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなるひるま、よひゐなどに、姉、継母などやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ。
いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏を作りて、手洗ひなどして、人まにみそかに入りつつ、「京にとく上げ給ひて、物語の多くさぶらふなる、あるかぎり見せ給へ」と、身を捨てて額をつき、祈り申すほどに、十三になる年、上らむとて、九月三日門出して、いまたちといふ所に移る。
年ごろ遊びなれつる所を、あらはにこぼち散らして、立ち騒ぎて、日の入りぎはの、いとすごく霧りわたりたるに、車に乗るとて、うち見やりたれば、人まには参りつつ額をつきし薬師仏の立ち給へるを、見捨て奉る悲しくて、人知れずうち泣かれぬ。
かどでしたる所は、めぐりなどもなくて、かりそめのかや屋の、蔀などもなし。
簾かけ、幕などひきたり。
南ははるかに野のかた見やらる。
東西は海近くていとおもしろし。
夕霧たちわたりて、いみじうをかしければ、あさいなどもせず、かたがた見つつ、ここをたちなむこともあはれに悲しきに、同じ月の十五日、雨かきくらしふるに、境をいでて、下総の国のいかだといふ所にとまりぬ。
庵なども浮きぬばかりに雨降りなどすれば、おそろしくていもねられず。
野中に、丘だちたる所に、ただ木ぞ三つ立てる。
その火は雨にぬれたる物どもほし、国にたちおくれたる人々待つとて、そこに日を暮らしつ。
十七日のつとめてたつ。
昔、下総の国に、まのてうといふ人住みけり。
ひきぬのを千むら万むら織らせ、晒させけるが家の跡とて、深き川を舟にて渡る。
昔の門の柱のまだ残りたるとて、大きなる柱、川の中に四つ立てり。
人々歌よむを聞きて、心のうちに、
♪1 朽ちもせぬ この川柱 のこらずは
昔のあとを いかで知らまし
その夜は、くろとの浜といふ所にとまる。
かたつ方はひろ山なる所の、砂子はるばると白きに、松原しげりて、月いみじうあかきに、風の音もいみじう心ぼそし。
人々をかしがりて歌よみなどするに、
♪2 まどろまじ 今宵ならでは いつか見む
くろとの浜の あきの夜の月
そのつとめて、そこをたちて、下総の国と武蔵の国との境にてある太日川といふが上の瀬、松里のわたりの津にとまりて、夜ひとよ、舟にてかつがつ物などわたす。
乳母なる人はをとこなどもなくなして、境にて子うみたりしかば、はなれてべちにのぼる。
いと恋しければ、いかまほしく思ふに、せうとなる人いだきてゐていきたり。
皆人は、かりそめの仮屋などいへど、風すくまじく、ひきわたしなどしたるに、これはをとこなども添はねば、いと手はなちに、あらあらしげにて、苫といふものを一重うちふきたれば、月残りなくさし入りたるに、紅の衣上に着て、うちなやみて臥したる月かげ、さやうの人にはこよなくすぎて、いと白く清げにて、めづらしと思ひてかきなでつつ、うち泣くを、いとあはれに見すてがたく思へど、いそぎゐていかるるここち、いとあかずわりなし。
おもかげにおぼえて悲しければ、月の興もおぼえず。
くんじ臥しぬ。
つとめて舟に車かきすゑて渡して、あなたの岸に車ひきたてて、送りに来つる人々これより皆かへりぬ。
のぼるはとまりなどして、行き別るるほど、ゆくもとまるも、みな泣きなどす。
をさなごこちにもあはれに見ゆ。
今は武蔵の国になりぬ。
ことにをかしき所も見えず。
浜も砂子白くなどもなく、こひぢのやうにて、むらさき生ふと聞く野も、蘆・荻のみ高く生ひて、馬に乗りて弓持たる末見えぬまで、高く生ひ茂りて中をわけ行くに、竹芝といふ寺あり。
はるかにははさうなどいふ所のらうの跡の礎などあり。
いかなる所ぞと問へば、「これは、いにしへ竹芝といふさかなり。
国の人のありけるを、火たき屋の火たく衛士にさし奉りたりけるに、御前の庭を掃くとて、『などや苦しき目を見るらむ。わが国に七つ、三つ、作り据ゑたる酒壺に、さし渡したるひたえのひさごの、南風吹けば北になびき、北風吹けば南になびき、西吹けば東になびき、東吹けば西になびくを見で、かくてあるよ。』と、ひとりごち、つぶやきけるを、その時、みかどの御むすめ、いみじうかしづかれ給ふ、ただ一人御簾の際に立ち出で給ひて、柱に寄りかかりて御覧ずるに、この男のかくひとりごつをいとあはれに、いかなるひさごの、いかになびくならむと、いみじうゆかしく思されければ、御簾を押し上げて、『あの男、こち寄れ。』と召しければ、かしこまりて高欄のつらに参りたりければ、『言ひつること、いま一かへり、われに言ひて聞かせよ。』とおほせられければ、酒壺のことをいま一かへり申しければ、『われゐて、行きて見せよ。さいふやうあり。』とおほせられければ、かしこく恐ろしと思ひけれど、さるべきにやありけむ、負ひ奉りて下るに、論なく人追ひて来らむと思ひて、その夜、勢多の橋の下に、この宮を据ゑ奉りて、勢多の橋を一間ばかりこぼちて、それを飛び越えて、この宮をかき負ひ奉りて、七日七夜といふに、武蔵の国に行き着きにけり。
みかど、后、皇女うせ給ひぬと思しまどひ、求め給ふに、『武蔵の国の衛士の男なむ、いと香ばしきものを首にひきかけて飛ぶやうに逃げける』と申し出でて、この男を尋ぬるになかりけり。
論なくもとの国にこそ行くらめと、おほやけより使ひ下りて追ふに、勢多の橋こぼれて、え行きやらず、三月といふに武蔵の国に行き着きて、この男を尋ぬるに、この皇女、おほやけ使ひを召して、『われ、さるべきにやありけむ、この男の家ゆかしくて、ゐて行けと言ひしかばゐて来たり。いみじくここありよくおぼゆ。この男、罪しれうぜられば、われはいかであれと。これもさきの世にこの国に跡を垂るべき宿世こそありけめ。はや帰りて、おほやけにこのよしを奏せよ。』とおほせられければ、言はむ方なくて、上りて、みかどに、『かくなむありつる。』と奏しければ、言ふかひなし。
その男を罪しても、いまはこの宮を取り返し、都に返し奉るべきにもあらず。
竹芝の男に、生けらむ世のかぎり、武蔵の国を預け取らせて、おほやけごともなさせじ。
ただ宮にその国を預け奉らせ給ふよしの宣旨下りにければ、この家を内裏のごとく作りて住ませ奉りける家を、宮などうせ給ひにければ、寺になしたるを、竹芝寺といふなり。
その宮の生み給へる子どもは、やがて武蔵といふ姓を得てなむありける。
それよりのち、火たき屋に女はゐるなり」と語る。
野山蘆荻の中をわくるよりほかのことなくて、武蔵と相模との中にゐて、あすだ川といふ、在五中将の「いざこと問はむ」とよみけるわたりなり。
中将の集にはすみだ川とあり。
舟にて渡りぬれば、相模の国になりぬ。
にしとみといふ所の山、絵よくかきたらむ屏風をたてならべたらむやうなり。
かたつ方は海、浜のさまも、よせかへる波のけしきも、いみじうおもしろし。
もろこしが原といふ所も、砂子のいみじう白きを二三日ゆく。
「夏はやまと撫子の、こくうすく錦をひけるやうになむ咲きたる。これは秋の末なれば見えぬ」といふに、なほ所々はうちこぼれつつ、あはれげに咲きわたれり。
「もろこしが原に、やまと撫子しも咲きけむこそ」など、人々をかしがる。
足柄山といふは、四、五日かねておそろしげに暗がりわたれり。
やうやう入り立つ麓のほどだに、空のけしき、はかばかしくも見えず。
えもいはず茂りわたりて、いとおそろしげなり。
麓に宿りたるに、月もなく暗き夜の闇にまどふやうなるに、あそび三人いづくよりともなく出で来たり。
五十ばかりなる一人、二十ばかりなる、十四五なるとあり。
庵の前にからかさをささせてすゑたり。
男ども火をともして見れば、昔こはたといひけむが孫といふ。
髪いと長く、額いとよくかかりて、色白くきたなげなくて、「さてもありぬべき下仕へなどにてもありぬべし」など、人々あはれがるに、声すべて似るものなく、空に澄みのぼりて、めでたく歌を歌ふ。
人々いみじうあはれがりて、け近くて人々もて興ずるに、「西国の遊女はえかからじ」などいふを聞きて、「難波わたりにくらぶれば」とめでたく歌ひたり。
見る目のいときたなげなきに、声さへ似るものなく歌ひて、さばかりおそろしげなる山中に立ちて行くを、人々飽かず思ひてみな泣くを、幼き心地には、ましてこの宿りを立たむことさへ飽かずおぼゆ。
まだ暁より足柄を越ゆ。
まいて山の中のおそろしげなることいはむ方なし。
雲は足の下に踏まる。
山のなからばかりの、木の下のわづかなるに、葵のただ三筋ばかりあるを、「世離れてかかる山中にしも生ひけむよ」と、人々あはれがる。
水はその山に三所ぞ流れたる。
からうじて、越えいでて、関山にとどまりぬ。
これよりは駿河なり。
横走の関の傍らに、岩壷といふ所あり。
えもいはず大きなる石の四方なる中に、穴のあきたる中よりいづる水の、清く冷たきこと限りなし。
富士の山はこの国なり。
わが生ひいでし国にては西面に見えし山なり。
その山のさま、いと世に見えぬさまなり。
さまことなる山の姿の、紺青を塗りたるやうなるに、雪の消ゆる世もなく積もりたれば、色濃き衣に、白き衵着たらむやうに見えて、山の頂の少し平らぎたるより、煙は立ちのぼる。
夕暮れは火の燃え立つも見ゆ。
清見が関は、かたつ方は海なるに、関屋どもあまたありて、海までくぎぬきしたり。
けぶりあふにやあらむ、清見が関の波もたかくなりぬべし。
おもしろきことかぎりなし。
田子の浦は波たかくて舟にて漕ぎめぐる。
大井川といふ渡りあり。
水の世のつねならず、すりこなどを濃くて流したらむやうに、白き水ははやく流れたり。
富士河といふは、富士の山より落ちたる水なり。
その国の人の出でて語るやう、「一年ごろ物にまかりたりしに、いと暑かりしかば、この水の面に休みつつ見れば、河上の方より黄なる物流れ来て、物につきて止まりたるを見れば、反故なり。取り上げて見れば、黄なる紙に、丹濃くうるはしく書かれてり。あやしくて見れば、来年なるべき国どもを、除目のごとみな書きて、この国来年あくべきにも、守なして、また添へて二人をなしたり。あやし、あさましと思ひて、取り上げて、乾して、収めたりしを、かへる年の司召に、この文に書かれたりし、一つたがはず、この国の守とありしままなるを、三月そうちになくなりて、またなり代りたるも、このかたはらに書きつけられたりし人なり。かかることなむありし。来年の司召などは、この山に、そこばくの神々集まりて、ない給ふなりけりと見給へし。めづらかなることにさぶらふ」と語る。
ぬまじりといふ所もすがすがと過ぎて、いみじく患ひいでて、遠江にかかる。
さやの中山など越えけむほどもおぼえず。
いみじく苦しければ、天中といふ川のつらに、仮小屋作り設けたりければ、そこにて日ごろ過ぐるほどにぞ、やうやうおこたる。
冬深くなりたれば、川風けはしく吹き上げつつ、堪へがたくおぼえけり。
その渡りして浜名の橋に着いたり。
浜名の橋、下りしときは黒木を渡したりし、このたびは、跡だに見えねば、舟にて渡る。
入り江に渡りし橋なり。
外の海はいといみじくあしく波高くて、入り江のいたづらなる州どもにこと物もなく、松原の茂れる中より、波の寄せ返るも、いろいろの玉のやうに見え、まことに松の末よりは波越ゆるやうに見えて、いみじくおもしろし。
それよりかみは、ゐのはなといふ坂の、えもいはずわびしきを上りぬれば、三河の国の高師の浜といふ。
八橋は名のみにして、橋のかたもなく、なにの見どころもなし。
二むらの山の中にとまりたる夜、大きなる柿の木の下に庵を造りたれば、夜ひとよ、庵の上に柿の落ちかかりたるを、人々ひろひなどす。
宮路の山といふ所越ゆるほど、十月つごもりなるに、紅葉散らでさかりなり。
♪3 嵐こそ 吹き来ざりけれ 宮路山
まだもみぢ葉の ちらでのこれる
三河と尾張となるしかすがのわたり、げに思ひわづらひぬべくをかし。
尾張の国、鳴海の浦を過ぐるに、夕汐ただみちにみちて、こよひ宿らむも中間に、汐みちきなば、ここをも過ぎじと、あるかぎり走りまどひ過ぎぬ。
美濃の国になる境に、墨俣といふ渡りして、野がみといふ所に着きぬ。
そこに遊女どもいで来て、夜ひとよ歌うたふにも、足柄なりし思ひ出でられて、あはれに恋しきことかぎりなし。
雪ふりあれまどふに、ものの興もなくて、不破の関、あつみの山など越えて、近江の国おきながといふ人の家に宿りて、四五日あり。
みつかさの山の麓に、夜昼、時雨あられふりみだれて、日光もさやかならず、いみじうものむつかし。
そこをたちて、犬上、神崎、野州、栗太などいふ所々、なにとなく過ぎぬ。
湖のおもてはるばるとして、なで島、竹生島などいふ所の見えたる、いとおもしろし。
勢多の橋みなくづれて渡りわづらふ。
粟津にとどまりて、師走の二日京に入る。
暗く行き着くべくと、申の時ばかりに立ちて行けば、関近くなりて、山づらにかりそめなる切懸といふものしたる上より、丈六の仏のいまだ荒作りにおはするが、顔ばかり見やられたり。
あはれに、人離れて、いづこともなくておはする仏かなと、うち見やりて過ぎぬ。
ここらの国々を過ぎぬるに、駿河の清見が関と、逢坂の関とはなかりけり。
いと暗くなりて、三条の宮の西なる所に着きぬ。
ひろびろとあれたる所の、過ぎ来つる山々にも劣らず、大きにおそろしげなるみやま木どものやうにて、都のうちとも見えぬ所のわまなり。
ありもつかず、いみじうものさわがしけれども、いつしかと思ひしことなれば、「物語もとめて見せよ、物語もとめて見せよ」と、母を責むれば、三条の宮に、親族なる人の、衛門の命婦とてさぶらひける、尋ねて、文やりたれば、めづらしがりてよろこびて、御前のをおろしたるとて、わざとめでたき冊子ども、硯の箱のふたに入れておこせたり。
うれしくいみじくて、夜昼これを見るよりうちはじめ、またまたも見まほしきに、ありもつかぬ都のほとりに、誰かは物語もとめ見する人のあらむ。
まま母なりし人は、宮仕へせしが下りしなれば、思ひしにあらぬことどもなどありて、世の中恨めしげにて、ほかにわたるとて、五つばかりなる児どもなどして、「あはれなりつる心のほどなむ、忘れむ世あるまじき」など言ひて、梅の木のつま近くていと大きなるを、「これが花の咲かむ折は来むよ」と言ひおきてわたりぬるを、心の内に恋しくあはれなりと思ひつつ、しのびねをのみ泣きて、その年もかへりぬ。
いつしか梅咲かなむ、来むとありしを、さやあると、目をかけて待ちわたるに、花もみな咲きぬれど、音もせず、思ひわびて、花を折りてやる。
♪4 頼めしを なほや待つべき 霜枯れし
梅をも春は 忘れざりけり
と言ひやりたれば、あはれなることども書きて、
♪5 なほ頼め 梅の立ち枝は 契りおかぬ
思ひのほかの 人も訪ふなり
その春、世の中いみじうさわがしうて、松里のわたりの月かげあはれに見し乳母も、三月ついたちになくなりぬ。
せむかたなく思ひ嘆くに、物語のゆかしさもおぼえずなりぬ。
いみじく泣きくらして見いだしたれば、夕日のいとはなやかにさしたるに、桜の花のこりなく散り乱る。
♪6 散る花も また来む春は 見もやせむ
やがて別れし 人ぞこひしき
また聞けば、侍従の大納言の御むすめなくなり給ひぬなり。
殿の中将の思し嘆くなるさまを、わがものの悲しきをりなれば、いみじくあはれなりと聞く。
のぼり着きたりし時、「これ手本にせよ」とて、この姫君の御手をとらせたりしを、「さよふけてねざめざりせば」など書きて、
♪7 とりべ山 たにに煙の もえ立たば
はかなく見えし われと知らなむ
と、いひ知らずをかしげに、めでたく書き給へるを見て、いとど涙をそへまさる。
かくのみ思ひくんじたるを、心も慰めむと、心苦しがりて、母、物語などもとめて見せ給ふに、げにおのづから慰みゆく。
紫のゆかりを見て、続きの見まほしくおぼゆれど、人語らひなどもえせず、たれもいまだ都なれぬほどにてえ見つけず。
いみじく心もとなく、ゆかしくおぼゆるままに、「この源氏の物語、一の巻よりしてみな見せ給へ」と心のうちに祈る。
親の太秦にこもり給へるにも、ことごとなくこのことを申して、出でむままにこの物語見はてむと思へど見えず。
いとくちをしく思ひ嘆かるるに、をばなる人の田舎より上りたる所に渡いたれば、「いとうつくしう生ひなりにけり」など、あはれがり、めづらしがりて、帰るに、「何をか奉らむ。まめまめしき物は、まさなかりなむ。ゆかしくし給ふなる物を奉らむ」とて、源氏の五十余巻、櫃に入りながら、在中将、とほぎみ・せり河・しらら・あさうづなどいふ物語ども、一袋とり入れて、得て帰る心地のうれしさぞいみじきや。
はしるはしる、わづかに見つつ、心も得ず心もとなく思ふ源氏を、一の巻よりして、人もまじらず、几帳の内にうち伏して、引き出でつつ見る心地、后の位も何にかはせむ。
昼は日ぐらし、夜は目の覚めたるかぎり、灯を近くともして、これを見るよりほかのことなければ、おのづからなどは、そらに覚え浮かぶを、いみじきことに思ふに、夢にいと清げなる僧の、黄なる地の袈裟着たるが来て、「法華経五の巻をとく習へ」と言ふと見れど、人にも語らず、習はむとも思ひかけず。
物語のことをのみ心にしめて、我はこのごろわろきぞかし、さかりにならば、かたちもかぎりなくよく、髪もいみじく長くなりなむ、光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこそあらめと思ひける心、まづいとはかなくあさまし。
五月ついたちごろ、つま近き花橘の、いと白く散りたるをながめて、
♪8 時ならず ふる雪かとぞ ながめまし
花たちばなの 薫らざりせば
足柄といひし山の麓に、暗がりわたりたりし木のやうに、茂れる所なれば、十月ばかりの紅葉、四方の山辺よりもけにいみじくおもしろく、錦をひけるやうなるに、外より来たる人の、「今、参りつる道に、紅葉のいとおもしろき所のありつる」といふに、ふと、
♪9 いづくにも 劣らじものを わが宿の
世をあきはつる けしきばかりは
物語のことを、昼は日暮し思ひつづけ、夜も目のさめたるかぎりは、これをのみ心にかけたるに、夢に見るやう、「このごろ皇太后の一品の宮の御料に、六角堂に遣水をなむつくる」といふ人あるを、「そはいかに」と問へば、「天照大神を念じませ」といふと見て、人にも語らず、なにとも思はでやみぬる、いといひかひなし。
春ごとに、この一品の宮をながめやりつつ、
♪10 さくと待ち 散りぬとなげく 春はただ
わが宿がほに 花を見るかな
三月つごもりがた、つちいみに人のもとにわたりたるに、桜さかりにおもしろく、今まで散らぬもあり。
かへりてまたの日、
♪11 あかざりし 宿の桜を 春くれて
散りがたにしも 一目みしかな
といひにやる。
花の咲き散る折ごとに、乳母亡くなりし折ぞかしとのみ、あはれなるに、同じ折亡くなり給ひし侍従大納言の御女の手を見つつ、すずろにあはれなるに、五月ばかりに、夜ふくるまで物語を読みて起きゐたれば、来つらむ方も見えぬに、猫のいとなごう鳴いたるを、驚きて見れば、いみじうをかしげなる猫あり。
いづくより来つる猫ぞと見るに、姉なる人、「あなかま。人に聞かすな。いとをかしげなる猫なり。飼はむ」とあるに、いみじう人馴れつつ、かたはらにうち臥したり。
尋ぬる人やあると、これを書くして飼ふに、すべて下衆のあたりにも寄らず、つと前にのみありて、ものもきたなげなるは、ほかざまに顔を向けて食はず。
姉・おととの中につとまとはれて、をかしがりらうたがるほどに、姉の悩むことあるに、もの騒がしくて、この猫を北面にのみあらせて呼ばねば、かしがましく鳴きののしれども、なほさるにてこそはと思ひてあるに、わづらふ姉、驚きて、「いづら、猫は。
こち率て来。
とあるを、「など」と問へば、「夢に、この猫の傍らに来て、『おのれは、侍従の大納言の御女のかくなりたるなり。さるべき縁のいささかありて、この中の君のすずろにあはれと思ひ出で給へば、しばしここにあるを、このごろ下衆の中にありて、いみじうわびしきこと。』と言ひて、いみじう泣くさあは、あてにをかしげなる人と見えて、うち驚きたれば、この猫の声にてあるつるが、いみじくあはれなるなり」と語り給ふを聞くに、いみじくあはれなり。
その後は、この猫を北面にも出ださず、思ひかしづく。
ただひとりゐたる所に、この猫が向かひゐたれば、かいなでつつ、「侍従の大納言の姫君のおはするな。大納言に知らせ奉らばや」と言ひかくれば、顔をうちまもりつつ、なごう鳴くも、心のなし、目のうちつけに、例の猫にはあらず、聞き知り顔にあはれなり。
世の中に長恨歌といふ文を、物語に書きてある所あなりと聞くに、いみじくゆかしけれど、え言ひ寄らぬに、さるべきたよりをたづねて、七月七日言ひやる。
♪12 ちぎりけむ 昔の今日の ゆかしさに
天の川波 うち出でつるかな
返し、
♪13 立ち出づる 天の川辺の ゆかしさに
常はゆゆしき ことも忘れぬ
その十三日の夜、月いみじくくまなくあかきに、みな人も寝たる夜中ばかりに、縁に出でゐて、姉なる人、空をつくづくとながめて、「ただ今、行方なく飛び失せなばいかが思ふべき」と問ふに、なま恐ろしと思へるけしきを見て、ことごとに言ひなして笑ひなどして聞けば、傍らなる所に、前駆追ふ車止まりて、「をぎの葉、をぎの葉」と呼ばすれど、答へざなり。
呼びわづらひて、笛をいとをかしく吹きすまして、過ぎぬなり。
♪14 笛の音の ただ秋風と 聞こゆるに
などをぎの葉の そよと答へぬ
と言ひたれば、げにとて、
♪15 をぎの葉の 答ふるまでも 吹き寄らで
ただに過ぎぬる 笛の音ぞ憂き
かやうに明くるまでながめあかいて、夜明けてぞみな人寝ぬる。
そのかへる年、四月の夜中ばかりに火の事ありて、大納言殿の姫君と思ひかしづきし猫も焼けぬ。
「大納言の姫君」と呼びしかば、聞き知り顔に鳴きてあゆみ来などせしかば、父なりし人も、「めづらかにあはれなることなり。大納言に申さむ」などありしほどに、いみじうあはれに口惜しくおぼゆ。
ひろびろともの深き、み山のやうにはありながら、花紅葉のをりは、四方の山辺も何ならぬを見ならひたるに、たとしへなくせばき所の、庭のほどもなく、木などもなきに、いと心うきに、向ひなる所に、梅、紅梅など咲き乱れて、風につけて、かかへ来るにつけても、住みなれしふるさとかぎりなく思ひ出でらる。
♪16 匂ひくる 隣の風を 身にしめて
ありし軒端の 梅ぞこひしき
その五月のついたちに、姉なる人、子うみてなくなりぬ。
よそのことだに、をさなくよりいみじくあはれと思ひわたるに、ましていはむかたなく、あはれ悲しと思ひ嘆かる。
母などは皆なくなりたる方にあるに、形見にとまりたるをさなき人々を左右に臥せたるに、あれたる板屋のひまより月のもり来て、ちごの顔にあたりたるが、いとゆゆしくおぼゆれば、袖をうちおほひて、いま一人をもかきよせて、思ふぞいみじきや。
そのほど過ぎて、親族なる人のもとより、「昔の人の、かならずもとめておこせよ、とありしかばもとめしに、その折はえ見出でずなりにしを、今しも人のおこせたるが、あはれに悲しきこと」とて、かばねたづぬる宮といふ物語をおこせたり。
まことにぞあはれなるや。
かへりごとに、
♪17 うづもれぬ かばねを何に たづねけむ
苔の下には 身こそなりけれ
乳母なりし人、「今は何につけてか」など、泣く泣くもとありける所に帰りわたるに、「
♪18 ふるさとに かくこそ人は 帰りけれ
あはれいかなる 別れなりけむ
昔の形見には、いかでとなむ思ふ」など書きて、「硯の水の凍れば、皆とぢられてとどめつ」といひたるに、
♪19 かき流す あとはつららに とぢてけり
なにを忘れぬ かたみとか見む
といひやりたるかへりごとに、
♪20 なぐさむる かたもなぎさの 浜千鳥
なにかうき世に あともとどめむ
この乳母、墓所見て、、泣く泣く帰りたりし。
♪21 昇りけむ 野辺は煙も なかりけむ
いづこをはかと たづねてか見し
これを聞きて継母なりし人、
♪22 そこはかと 知りてゆかねど 先に立つ
涙ぞ道の しるべなりける
かばねたづぬる宮おこせたりし人、
♪23 住みなれぬ 野辺の笹原 あとはかも
なくなくいかに たづねわびけむ
これを見て、せうとは、その夜おくりにいきたりしかば、
♪24 見しままに もえし煙は つきにしを
いかがたづねし 野辺の笹原
雪の日をへて降るころ、吉野山に住む尼君を思ひやる。
♪25 雪降りて まれの人めも たえぬらむ
吉野の山の みねのかけみち
かへる年、むつきの司召に、親の喜びすべきことありしに、かひなきつとめて、同じ心に思ふべき人のもとより、「さりともと思ひつつ、あくるを待ちつる心もとなきに」といひて、
♪26 あくる待つ 鐘の声にも 夢さめて
秋のもも夜の 心地せしかな
といひたる返りごとに、
♪27 暁を なにに待ちけむ 思ふこと
なるとも聞かぬ 鐘の音ゆゑ
四月のつごもりがた、さるべき故ありて、東山なる所へうつろふ。
道のほど、田の苗代、見ずまかせたるも、植ゑたるも、何となく青みをかしう見えわたりたる、山のかげくらう前近う見えて心細くあはれなる夕暮、くひないみじく鳴く。
♪28 たたくとも 誰かくひなの くれぬるに
山路を深く たづねてはこむ
霊山近きところなれば、詣でてをがみ奉るに、いと苦しければ、山寺なる石井によりて、手にむすびつつ飲みて、「この水のあかずおぼゆるかな」といふ人あるに、
♪29 奥山の 石間の水を むすびあげ
てあかぬものとは 今のみや知る
といひたれば、水のむ人、
♪30 山の井の しづくににごる 水よりも
こはなほあかぬ 心地こそすれ
かへりて夕日けざやかにさしたるに、都の方ものこりなく見やらるるに、この雫ににごる人は、京に帰るとて、心苦しげぶ思ひて、またつとめて、
♪31 山の端に 入日の影は 入りはてて
心細くぞ ながめやられし
念仏する僧の暁にぬかづく音の尊く聞ゆれば、戸をおしあけたれば、ほのぼのと明け行く山際、こぐらき梢ども霧りわたりて、花紅葉の盛りよりも、何となく繁りわたれる空のけしき、くもらはしくをかしきに、ほととぎすさへいと近き梢にあまたたび鳴いたり。
♪32 誰に見せ たれに聞かせむ 山里の
この暁も をちかへる音も
このつごもりの日、谷の方なる木の上にほととぎすかしがましく鳴く。
♪33 都には 待つらむものを ほととぎす
今日ひねもすに 鳴き暮らすかな
などのみながめつつ、もろともにある人、「ただ今京にも聞きたらむ人あらむや。かくて眺むうらむと思ひおこする人あらむや」などいひて、
♪34 山深く 誰か思ひは おこすべき
月見る人は 多からめども
といへば
♪35 深き夜に 月見るをりは 知らねども
まづ山里ぞ 思ひやらるる
暁になりやしぬらむと思ふほどに、山の方より人あまた来る音す。
おどろきて見やりたれば、鹿の縁のもとまで来て、うち鳴いたる、近うては懐かしからぬものの声なり。
♪36 秋の夜の つかこひかぬる 鹿の音は
遠山にこそ 聞くべかりけれ
知りたる人の近きほどに来て帰りぬと聞くに、
♪37 まだ人め 知らぬ山辺の 松風も
音してかへる ものとこそ聞け
八月になりて、二十余日の暁がたの月いみじくあはれに、山の方はこぐらく、滝の音も似るものなくのみながめられて、
♪38 思ひ知る 人に見せばや 山里の
秋の夜深き 有明の月
京に帰り出づるに、わたりし時は、水ばかり見えし田どもも、皆かりはててけり。
♪39 苗代の 水かげばかり 見えし田の
かりはつるまで 長居しにけり
十月つごもりがたに、あからさまに来て見れば、こぐらう繁れりし木の葉ども、残りなく散り乱れて、いみじくあはれげに見えわたりて、心地よげにささらぎ流れし水も、木の葉にうづもれて、あとばかり見ゆ。
♪40 水さへぞ すみたえにける 木の葉ちる
あらしの山の 心細さに
そこなる尼に、「春まで命あらば必ず来む。花盛りはまづ告げよ」など言ひて帰りにしを、年かへりて三月十余日になるまで音もせねば、
♪41 契りおきし 花の盛りを つげぬかな
春やまだ来ぬ 花やにほはぬ
旅なるところに来て、月の頃、竹のもと近くて、風の音に目のみさめて、うちとけて寝られぬころ、
♪42 竹の葉の そよぐ夜毎に 寝さめして
何ともなきに 物ぞ悲しき
秋ごろそこをたちて、外へうつろひて、そのあるじに、
♪43 いづことも 露のあはれは わかれじを
あさぢが原の 秋ぞ悲しき
継母なりし人、下りし国の名を宮にも言はるるに、こと人通はして後もその名をいはるると聞きて、親の、今はあいなきよし言ひにやらむとあるに、
♪44 あさくらや 今は雲居に 聞くものを
なほ木のまろが 名のりをやする
かやうにそこはかとなきことを思ひつづくるをやくにて、物詣でをわづかにしても、はかばかしく、人のやうにならむとも念ぜられず。
このころの世の人は十七八よりこそ経よみ、行ひもすれ。
さること思ひかけられず。
からうじて思ひよることは、いみじくやむごとなく、かたち有様、物語にある光源氏などのやうにはおはせむ人を、年に一度にても通はし奉りて、浮舟の女君のやうに、山里にかくしすゑられて、花紅葉月雪を眺めて、いと心細げにて、めでたからむ御文などを、時々待ち見などこそせめとばかり思ひつづけ、あらましごとにもおぼえけり。
親となりなば、いみじうやむごとなく我が身もなりなむなど、ただ行く方なきことをうち思ひ過ぐすに、親、からうじて、はるかに遠きあづまになりて、「年ごろは、いつしか思ふやうに近き所になりたらば、まづ胸あくばかりかしづきたてて、ゐて下りて、海山の景色も見せ、それをばさるものにて、我が身よりも高うもてなしかしづきて見むとこそ思ひつれ。我も人も宿世のつたなかりければ、ありありてかくはるかなる国になりにたり。
幼かりしとき、あづまの国にゐて下りてだに、心地もいささか悪しければ、これをや、この国に見捨てて惑はむとすらむと思ふ人の国の恐ろしきにつけても、我が身一つならば、やすらかならましを、ところせう引き具して、言はまほしきこともえ言はず、せまほしきこともえせずなどあるが、わびしうもあるかなと心を砕きしに、今はまいて大人になりにたるを、ゐて下りて、我が命も知らず。京のうちにてさすらへむは例のこと、あづまの国、田舎人になりて惑はむ、いみじかるべし。京とても、たのもしう迎へ取りてむと思ふ類、親族もなし。さりとて、わづかになりたる国を辞し申すべきにもあらねば、京にとどめて、永き別れにてやみぬべきなり。京にも、さるべきさまにもてなしてとどめむとは、思ひ寄ることにもあらず」と、昼夜嘆かるるを聞く心地、花・紅葉の思ひもみな忘れて悲しく、いみじく思ひ嘆かるれど、いかがはせむ。
七月十三日に下る。
五日かねては、見むのなかなかなべければ、内にも入らず。
まいて、その日はたち騒ぎて、時なりぬれば今はとて簾を引き上げて、うち見あはせて涙をほろほろと落として、やがて出でぬるを見送る心地、目もくれまどひて、やがてふされぬるに、とまるをのこの送りして帰るに、懐紙に、
♪45 思ふこと 心にかなふ 身なりせば
秋の別れを ふかく知らまし
とばかり書かれたるを、え見やられず。
事よろしき時こそ腰折れかかりたることも思ひつづけけれ、ともかくも言ふべきかたもおぼえぬままに、
♪46 かけてこそ 思はざりしか この世にて
しばしも君に 別るべしとは
とや書かれにけむ。
いとど人めも見えず、さびしく心ぼそくうちながめつつ、いづこばかりと明け暮れ思ひやる。
道のほども知りにしかば、はるかに恋しく心ぼそきことかぎりなし。
明くるより暮るるまで、東の山ぎはをながめて過ぐす。
八月ばかりに太秦にこもるに、一条より詣づる道に、男車二つばかりひき立てて、物へ行くに、もろともに来べき人待つなるべし、過ぎて行くに、随身だつ者をおこせて、
♪47 花見に行くと 君を見るかな
といはせたれば、かかるほどのことはいらへぬも便なしなどあれば、
♪48 千ぐさなる 心ならひに 秋の野の
とばかりいはせていきすぎぬ。
七日さぶらふほども、ただ東路のみ思ひやられて、よしなしごとからうじてはなれて、「たひらかにあひ見せ給へ」と申すは、仏もあはれと聞き入れ給ひけむかし。
冬になりて、日ぐらし雨降りくらいたる夜、雲かへる風はげしううち吹きて、空はれて月いみじうあかうなりて、軒近き荻のいみじく風に吹かれて、砕けまどふがいとあはれにて、
♪49 秋をいかに 思ひ出づらむ 冬深み
嵐にまどふ 荻の枯葉は
東より人来たり。
「神拝といふわざして国のうちありきしに、水をかしく流れたる野のはるばるとあるに、木むらのある、をかしき所かな、見せでとまづ思ひ出でて、ここはいづことかいふと問へば、こしのびの森となむ申すと答へたりしか。
身によそへられて、いみじく悲しかりしかば、馬よりおりて、そこに二刻なむながめられし、
♪50 とどめおきて 我がごと物や 思ひけむ
見るに悲しき こしのびの森
となむおぼえし」とあるを見る心地、いへばさらなり。
返事に、
♪51 こしのびを 聞くにつけても 止めおきし
ちちぶの山の つらきあづまぢ
かうてつれづれとながむるに、などか物詣でもせざりけむ。
母いみじかりし古代の人にて、「はつせには、あなおそろし、奈良坂にて人にとられなばいかがせむ。石山関山こえていとおそろし。鞍馬は、さる山、ゐていでむいとおそろしや、おや上りて、ともかくも」と、さしはなちたる人のやうにわづらはしがりて、わづかに清水にゐてこもりたり。
それにも例のくせは、まことしかべい事も思ひ申されず。
ひがんのほどにて、いみじうさわがしうおそろしきまでおぼえて、うちまどろみいりたるに、御帳の方のいぬふせぎの内に、青き織物の衣を着て、錦を頭にもかづき、足にもはいたる僧の、別当と思しきが寄り来て、「行く先のあはれならむも知らず、さもよしなし事をのみ」とうちむずかりて、御帳の内に入りぬと見ても、うちおどろきても、かくなむ見えつるとも語らず、心にも思ひとどめでまかでぬ。
母の一尺の鏡を鋳させて、えゐて参らぬ代りにとて、僧を出し立てて初瀬に詣でさすめり。
「三日のさぶらひて、この人のあべからむさま、夢に見せ給へ」などいひて、詣でさするなめり。
そのほどは精進もせさす。
この僧帰りて、「夢をだに見でまかでなむがほいなきこと、いかが帰りても申すべきと、いみじうぬかづき行きて寝たりしかば、御帳の方より、いみじうけだかう清げにおはする女の、うるはしくさうぞき給へるが、奉りし鏡をひきさげて『この鏡には、文やそひたりし。』と問ひ給へれば、かしこまりて、『文も候はざりき。この鏡をなむ奉れと侍りし。』と答へ奉れば、『あやしかりけることかな、文そふべきものを。』とて、『この鏡を、こなたにうつれる影を見よ、これ見ればあはれに悲しきぞ。』とて、さめざめと泣き給ふを、見ればふしまろび泣き嘆きたる影うつれり。『この影を見れば、いみじう悲しな。これ見よ。』とて、いま片つ方にうつれる影を見せ給へれば、御簾ども青やかに、几帳おし出でたる下より、いろいろの衣こぼれ出で、梅桜咲きたるに、鴬木伝ひなきたるを見せて、『これを見るはうれしな。』と、のたまふとなむ見えし」と語るなり。
いかに見えけるぞとだに耳もとめず。
物はかなき心にも、「常に天照御神を念じ申せ」といふ人あり。
いづこにおはします神仏にかはなど、さはいへど、やうやう思ひわかれて人に問へば、「神におはします、伊勢におはします、紀伊の国に、紀の国造と申すは、この御神なり。さては内侍所に、すべら神となむおはします」といふ。
「紀伊の国までは思ひかくべきにもあらざなり。内侍所にも、いかでかは参り拝み奉らむ。空の光を念じ申すべきにこそは」など浮きておぼゆ。
親族なる人、尼になりて、修学院に入りぬるに、冬ころ、
♪52 涙さへ ふりはへつつぞ 思ひやる
嵐ふくらむ 冬の山里
かへし
♪53 わけてとふ 心のほどの 見ゆるかな
木かげをぐらき 夏のしげりを
東に下りし親、からうじて上りて、西山なる所におちつきたれば、そこにみな渡りて見るに、いみじううれしきに、月のあかき夜、一夜物語などして、
♪54 かかる世も ありけるものを 限りとて
君に別れし 秋はいかにぞ
といひたれば、いみじく泣きて、
♪55 思ふこと かなはずなぞと いとひこし
命のほども 今ぞうれしき
これぞ別れの門出といひ知らせしほどの悲しさよりは、平らかに待ちつけたる嬉しさも限りなけれど、「人の上にても見しに、老いおとろへて世に出で交らひしは、をこがましく見えしかば、我はかくて閉ぢ篭りぬべきぞ」とのみ、残りなげに世を思ひいふめるに、心細さたえず。
東は野のはるばるとあるに、東の山ぎはは、比叡の山よりして、稲荷などいふ山まであらはに見えわたり、南は雙の岡の松風、いと耳近う心細く聞えて、内にはいただきのもとまで、田といふもののひたひき鳴らす音など、田舎の心地していとをかしきに、月のあかき夜などは、いとおもしろきを眺めあかしくらすに、知りたりし人、里遠くなりて音もせず。
たよりにつけて、「何事かあらむ」とつたふる人におどろきて、
♪56 思ひ出でて 人こそとはね 山里の
まがきの荻に 秋風は吹く
といひにやる。
十月になりて京にうつろふ。
母尼になりて、同じ家の内なれど、かたことに住みはなれてあり。
ててはただ我をおとなにしすゑて、我は世にも出でまじらはず、かげにかくれたらむやうにてゐたるを見るも、たのもしげなく心細くおぼゆるに、きこしめすゆかりある所に、「何となくつれづれに心細くてあらむよりは」と召すを、古代の親は、宮仕人はいとうきことなりと思ひて過さするを、「今の人は、さのみこそは出でたて。さてもおのづからよきためしもあり。さても試みよ」といふ人々ありて、しぶしぶに出だしたてらる。
まづ一夜参る。
菊の濃く淡き八つばかりに、濃きかいねりを上に着たり。
さこそ物語にのみ心を入れて、それを見るよりほかに行き通ふ類、親族などだに殊になく、古代の親どものかげばかりにて、月をも花をも見るよりほかのことはなきならひに、立ち出づるほどの心地、あれかにもあらず、うつつともおぼえで、暁にはまかでぬ。
里びたる心地には、なかなか定まりたらむ里住よりはをかしきことをも見聞きて、心もなぐさみやせむと思ふをりをりありしを、いとはしたなく悲しかるべきことにこそあべかめれと思へどいかがせむ。
しはすになりてまた参る。
局してこの度は日頃さぶらふ。
上には時々夜々ものぼりて、知らぬ人の中にうちふして、つゆまどろまれず、恥づかしう物のつつましきままに、忍びてうち泣かれつつ、暁には夜深くおりて、日ぐらし、てての老いおとろへて、我が子としても頼もしからむかげのやうに思ひ頼み向ひゐたるに、こひしくおぼつかなくのみおぼう。
母なくなりにしめひどもも、生まれしよりひとつにて、夜は左右に臥しおきするも、あはれに思ひ出でられなどして、心もそらに眺め暮らさる。
立ち聞きかいまむ人のけはひして、いといみじく物つつまし。
十日ばかりありてまかでたれば、てて、はは、すびつに火などおこして待ちゐたりけり。
車よりおりたるをうち見て、「おはする時こそ一目も見えさぶらひなどもありけれ、この日ごろは人声もせず、前に人影も見えず、いと心細くわびしかりつる。かうてのみも、まろが身をば、いかがせむとかする」とうち泣くを見るもいと悲し。
つとめても、「今日はかくておはすれば、うちと人多く、こよなくにぎははしくもなりたるかな」とうちいひて向ひゐたるも、いとあはれに、何のにほひのあるにかと涙ぐましう聞こゆ。
ひじりなどすら、前の世のこと夢に見るはいとかたかなるを、いとかうあとはかないやうに、はかばかしからぬ心地に、夢に見るやう、清水の礼堂にゐたれば、別当と思しき人出で来て、「そこは前の生に、この御寺の僧にてなむありし、仏師にて、仏をいと多く造りし功徳によりて、ありしすざうまさりて人とむまれたるなり。この御堂の東におはする丈六の仏はそこのつくりたりしなり。箔をおしさしてなくなりにしぞ」と。
「あないみじ、さは、あれに箔おし奉らむ」といへば、「なくなりにしかば、こと人箔おし奉りて、異人供養もしてし」と見て後、清水にねむごろに参りつかまつらましかば、前の世にその御寺に仏念じ申しけむ力に、おのづからようもやあらまし。
いといふかひなくまうでつかまつることもなくてやみにき。
十二月二十五日、宮の御仏名に召しあれば、その夜ばかりと思ひて参りぬ。
白き衣どもに、濃きかいねりを皆着て、四十余人ばかりいでゐたり。
しるべしいでし人のかげに隠れて、あるが中にうちほのめいて暁にはまかづ。
雪うちちりつつ、いみじく烈しくさえこほる暁方の月の、ほのかに濃きかいねりの袖にうつれるも、げにぬるる顔なり。
道すがら、
♪57 年はくれ 夜はあけ方の 月影の
袖にうつれる 程ぞはかなき
かうたちいでぬとならば、さても宮仕の方にも立ちなれ、世にまぎれたるも、ねぢけがましきおぼえもなきほどは、おのづから人のやうにも思しもてなさせ給ふやうにもあらまし、親たちもいと心えず、程もなくこめすゑつ。
さりとてその有様の、たちまちにきらきらしき勢などあんべいやうもなく、いとよしなかりけるすずろ心にても、殊の外にたがひぬる有様なりかし。
♪58 いくちたび 水の田ぜりを つみしかば
思ひしことの つゆもかなはぬ
とばかりひとりごたれてやみぬ。
その後は何となくまぎらはしきに、物語のことも、うちたえ忘られて、物まめやかなるさまに、心もなりはててぞ、などて多くの年月を、いたづらに臥し起きしに、行ひをも物詣でをもせざりけむ。
このあらましごととても、思ひしことどもは、この世にあんべかりけることどもなりや。
光源氏ばかりの人はこの世におはしけりやは。
薫大将の宇治にかくしすゑ給ふべきもなき世なり。
あな物くるほし、いかによしなかりける心なりと思ひしみはてて、まめまめしくすぐすとならば、さてもありはてず。
参りそめし所にも、かくかきこもりぬるを、まこととも思し召したらぬ様に人々も告げ、たえず召しなどする中にも、わざと召して、「若い人参らせよ」と仰せらるれば、えさらず出だしたりつるにひかされて、また時々出で立てそ、過ぎにし方のやうなるあいなだのみ心をごりをだに、すべきやうもなくて、さすがに若い人にひかれて、折々さし出づるにも、馴れたる人は、こよなく何事につけてもありつき顔に、我はいと若人にあるべきにもあらず、またおとなにせらるべきおぼえもなく、時々のまらうどにさしはなたれて、すずろなるやうなれど、ひとへにそなた一つを頼むべきならねば、我よりまさる人あるも、うらやましくもあらず、なかなか心安くおぼえて、さんべき折ふし参りて、つれづれなるさんべき人と物語などして、めでたきこともをかしくおもしろき折々も、我が身はかやうに立ちまじり、いたく人にも見知られむにも、はばかりあんべければ、ただ大方のことのみ聞きつつ過すに、内の御供に参りたる折、有明の月いと明かきに、我が念じ申す天照御神は内にぞおはしますなるかし、かかる折に参りて拝み奉らむと思ひて、四月ばかりの月のあかきに、いとしのびて参りたれば、はかせの命婦は知る便りあれば、灯篭の火のいとほのかなるに、あさましく老い神さびて、さすがにいよよう物などいひゐたるが、人ともおぼえず神のあらはれ給へるかとおぼゆ。
またの夜も月のいと明かきに、藤壷の東の戸をおしあけて、さべき人々物語しつつ月を眺むるに、梅壷の女御の上らせ給ふなる音なひ、いみじく心にくく優なるにも、故宮のおはします世ならましかば、かやうに上らせ給はましなど、人々言ひ出づる、げにいとあはれなりかし。
♪59 天のとを 雲ゐながらも よそに見て
昔のあとを こふる月かな
冬になりて、月なく雪も降らずながら、星の光に、空さすがにくまなくさえわたりたる夜のかぎり、殿の御方にさぶらふ人々と物語しあかしつつ、明くれば立ち別れ立ち別れしつつまかでしを思ひ出でければ、
♪60 月もなく 花も見ざりし 冬の夜の
心にしみて 恋しきやなぞ
我もさ思ふことなるを、同じ心なるもをかしうて、
♪61 さえし衣の 氷は袖に まだとけで
冬の夜ながら 音をこそは泣け
御前にふして聞けば、池の鳥どもの、夜もすがら、声々羽ぶきさわぐ音のするに目もさめて、
♪62 わがごとぞ 水の浮寝に あかしつつ
うは毛の霜を はらひわぶなる
とひとりごちたるを、傍らに臥し給へる人ききつけて、
♪63 まして思へ 水のかりねの ほどだにぞ
上毛の霜を はらひわびける
かたらふ人どち局のへだてなるやり戸をあけ合せて物語などしくらす日、また語らふ人の、上にものし給ふを度々呼びおろすに、「せちに来とあらば行かむ」とあるに、枯れたるすすきのあるにつけて、
♪64 冬枯の しののをすすき 袖たゆみ
まねきもよせじ 風にまかせむ
上達部、殿上人などに対面する人は、定まりたるやうなれば、うひうひしき里人は、ありなしをだに知らるべきにもあらぬに、十月ついたちごろの、いと暗き夜、不断経に、声よき人々読むほどなりとて、そなた近き戸口に二人ばかり立ちいでて、聞きつつ物語して、寄りふしてあるに、参りたる人のあるを、「逃げ入りて、局なる人々を呼びあげなどせむも見苦し。さはれ、ただをりからこそ、かくてただ」と言ふいま一人のあれば、傍らにて聞きゐたるに、おとなしく静やかなるけはひにて、ものなど言ふ、くちをしからざなり。
「いま一人は」など問ひて、世の常の、うちつけの、懸想びてなども言ひなさず、世の中のあはれなることどもなど、こまやかに言ひいでて、さすがに、きびしう引き入りがたいふしぶしありて、われも人も答へなどするを、まだ知らぬ人のありけるなど珍しがりて、とみに立つべくもあらぬほど、星の光だに見えず暗きに、うちしぐれつつ、木の葉にかかる音のをかしきを、
「なかなかに艶にをかしき夜かな。付きのくまなくあかからむも、はしたなく、まばゆかりぬべかりけり」
春秋のことなど言ひて、「時にしたがひ見ることには、春霞おもしろく、空ものどかにかすみ、月の面もいとあかうもあらず、遠う流るるやうに見えたるに、琵琶の風香調ゆるるかに弾き鳴らしたる、いといみじく聞こゆるに、また秋になりて、月いみじうあかきに、空は霧りわたりたれど、手に取るばかり、さやかに澄みわたりたるに、風の音、虫の声、とり集めたる心地するに、箏の琴かき鳴らされたる、横笛の吹きすまされたるは、何ぞの春とおぼゆかし。また、さかと思へば、冬の夜の、空さへさへわたりいみじきに、雪の降り積もり光りあひたるに、篳篥のわななきいでたるは春秋もみな忘れぬかし」と言ひ続けて、
「いづれにか御心とどまる」と問ふに、秋の夜に心を寄せ給ふを、さのみ同じさまには言はじとて、
♪65 浅緑 花もひとつに 霞みつつ
おぼろに見ゆる 春の夜の月
と答へたれば、返す返すうち誦じて、「さは秋の夜は思し捨てつるななりな。
♪66 こよひより のちの命の もしもあらば
さは春の夜を かたみと思はむ
」と言ふに、秋に心を寄せたる人、
♪67 人はみな 春に心を 寄せつめり
われのみや見む 秋の夜の月
とあるに、いみじう興じ、思ひわづらひたる気色にて、
「もろこしなどにも昔より春秋の定めは、えし侍らざなるを、このかう思しわかせけむ御心ども、思ふに、故侍らむかし。我が心のなびき、そのをりの、あはれともをかしとも思ふことのある時、やがてそのをりの空のけしきも、月も花も、心にそめらるるにこそあべかめれ。春秋をしらせ給ひけむことのふしなむ、いみじう承らまほしき。冬の夜の月は、昔よりすさまじきもののためしにひかれて侍りけるに、またいと寒くなどして、殊に見られざりしを、斎宮の御裳着の勅使にて下りしに、暁に上らむとて、日頃降りつみたる雪に月のいと明きに、旅の空とさへ思へば心細くおぼゆるに、まかり申しに参りたれば、よの所にも似ず、思ひなしさへけ恐ろしきに、さべき所に召して円融院の御世より参りたりける人の、いといみじく神さび古めいたるけはひの、いとよし深く、昔のふる事ども言ひ出で、うち泣きなどして、よう調べたる琵琶の御琴をさし出でられたりしは、この世のことともおぼえず、夜の明けなむも惜しう、京のことも思ひたえぬばかりおぼえ侍りしよりなむ、冬の夜の雪降れる夜は、思ひ知られて、火桶などを抱きても、必ず出でなむ見られ侍る。お前達も必ずさ思す故侍らむかし。さらばこよひよりは、暗き闇の夜の、時雨うちせむは、また心にしみ侍りなむかし。斎宮の雪の夜に劣るべき心地もせずなむ」など言ひて別れにし後は、誰と知られじと思ひしを、
またの年の八月に、内へ入らせ給ふに、夜もすがら殿上にて御遊ありけるに、この人の侍りけるも知らず、その夜はしもにあかして、細殿の遺戸をおしあけて見出したれば、暁方の月の、あるかなきかにをかしきを見るに、沓の声聞えて、読経などする人あり。
読経の人は、この遺戸口に立ちどまりて、ものなど言ふに、答へたれば、ふと思ひ出でて、「時雨の夜こそ、かた時忘れず恋しく侍れ。
と言ふに、言ながう答ふべきほどならねば、
♪68 なにさまで 思ひ出でけむ なほざりの
この葉にかけし 時雨ばかりを
とも言ひやらぬを、人々また来あへば、やがてすべり入りて、その夜さりまかでにしかば、もろともなりし人たづねて返ししたりなども後にぞ聞く。
「ありし時雨のやうならむに、いかで琵琶の音おぼゆる限り弾きて聞かせむとなむある」と聞くに、ゆかしくて、我もさるべき折を待つに、更になし。
春ごろ、のどやかなる夕つ方、参りたりなりと聞きて、その夜もろともなりし人とゐざり出づるに、外に人々参り、内にも例の人々あれば、出でさいて入りぬ。
あの人もさや思ひけむ、しめやかなる夕暮をおしはかりて参りたりけるに、騒がしかりければ、まかづめり。
♪69 かしまみて なるとの浦に こがれ出づる
心はえきや 磯のあま人
とばかりにてやみにけり。
あの人がらも、いとすくよかに、世のつねならぬ人にて、その人は、かの人はなども、たづねとはで過ぎぬ。
今は、昔のよしなし心もくやしかりけりとのみ思ひ知りはて、親の物へゐて参りなどせでやみにしももどかしく思ひ出でらるれば、今はひとへに、豊かなるいきほひになりて、双葉の人をも思ふさまにかしづきおほし立て、我が身もみくらの山につみ余るばかりになりて、後の世までのことをも思はむと思ひはげみて、霜月の二十余日、石山に参る。
雪うち降りつつ、道のほどさへをかしきに、逢坂の関を見るにも、昔越えしも冬ぞかしと思ひ出でらるるに、そのほどしも、いと荒う吹いたり。
♪70 逢坂の 関のせき 風吹く声は
昔聞きしに かはらざりけり
関寺のいかめしう造られたるを見るにも、その折荒造りの御顔ばかり見られしをり思ひ出でられて、年月の過ぎにけるもいとあはれなり。
打出の浜のほどなど見しにも変はらず。
暮れかかるほどにまうで着きて、ゆやにおりて御堂に上るに、人声もせず、山風恐ろしうおぼえて、行ひさしてうちまどろみたる夢に、「中堂より御香給はりぬ。とくかしこへ告げよ」といふ人あるに、うちおどろきたれば、夢なりけりと思ふに、よきことならむかしと思ひて、行ひ明かす。
またの日も、いみじく雪降りあれて、宮に語らひ聞ゆる人の具し給へると、物語して心細さを慰む。
三日さぶらひてまかでぬ。
そのかへる年の十月二十五日、大嘗会の御禊とののしるに、初瀬の精進始めて、その日京を出づるに、さるべき人々、「一代に一たびの見物にて田舎世界の人だに見るものを、月日多かり、その日しも京をふりいでて行かむも、いともの狂ほしく、流れての物語ともなりぬべきことなり」など、はらからなる人は、言ひ腹立てど、児どもの親なる人は、「いかにも、いかにも、心にこそあらめ」とて、言ふに従ひて、いだし立つる心ばへもあはれなり。
共に行く人々も、いといみじくものゆかしげなるは、いとほしけれど、「物見て何にかはせむ。かかる折に詣でむ心ざしを、さりとも思しなむ。かならず仏の御験を見む」と思ひ立ちて、その暁に京をいづるに、二条の大路をしも、わたりて行くに、先に御あかし持たせ、供の人々浄衣姿なるを、そこら、桟敷どもに移るとて、行き違ふ馬も車も、徒歩人も、「あれはなぞ、あれはなぞ」と、やすからず言ひ驚き、あさみ笑ひ、あざける者どももあり。
良頼の兵衛の督と申しし人の家の前を過ぐれば、それ桟敷へわたり給ふなるべし、門広う押しあけて、人々立てるが、「あれは物詣で人なめりな。月日しもこそ世に多かれ」と笑ふ中に、いかなる心ある人にか、「一時が目をこやしてなににかはせむ。いみじく思し立ちて、仏の御徳かならず見給ふべき人にこそあめれ。よしなしかし。物見で、かうこそ思ひ立つべかりけれ」とまめやかに言ふ人、一人ぞある。
道、顕証ならぬさきにと、夜深う出でしかば、たちおくれたる人々も待ち、いと恐ろしう深き霧をも少しはるけむとて法性寺の大門に立ち止まりたるに、田舎より物見に上る者ども、水の流るるやうにぞ見ゆるや。
すべて道もさりあへず、物の心知りげもなき怪しのわらはべまで、ひきよきて行き過ぐるを、車を驚きあさみたること限りなし。
これらを見るに、げにいかに出で立ちし道なりともおぼゆれど、ひたぶるに仏を念じ奉りて、宇治の渡にゆき着きぬ。
そこにもなおほしもこなたざまに渡りする者ども立ちこみたれば、舟の楫とりたる男ども、舟を待つ人の数も知らぬに心驕るしたりけるけしきにて、袖をかいまくりて、顔にあてて棹におしかかりて、とみに舟も寄せず、うそぶいて見まはし、いといみじうすみたる様なり。
むごにえ渡らで、つくづくと見るに、紫の物語に宇治の宮の女どものことあるを、いかなる所なれば、そこにしも住ませたるならむとゆかしく思ひし所ぞかし。
げにをかしき所かなと思ひつつ、からうじて渡りて、殿の御領所の宇治殿を入りて見るにも、浮舟の女君の、かかる所にやありけむなど、まづ思ひ出でらる。
夜深く出でしかば、人々困じて、やひろうちといふ所にとどまりて、物食ひなどする程にしも、供なる者共、「高名の栗駒山にはあらずや。日も暮れ方になりぬめり。主たち調度とりおはさうぜよや」といふを、いと物おそろしう聞く。
その山越えはてて、贄野のほとりへ行きたるほど、日は山の端にかかりたり。
「今は宿とれ」とて、人々あかれて宿もとむる。
「ところはしたにて、いとあやしげなるげすの小家なむある」といふに、「いかがはせむ。
とて、そこに宿りぬ。
皆人京にまかりぬとて、あやしの男二人ぞ居たる。
その夜もいもねず、この男出で入りしありくを、奥の方なる女ども、「など、かくしありかかるぞ」と問ふなれば、「いなや、心も知らぬ人を宿し奉りて、かまはしもひきぬかれなば、いかにすべきぞと思ひて、え寝でまはりありくぞかし」と寝たると思ひて言ふ。
聞くに、いとむくむくしくをかし。
つとめて、そこをたちて、東大寺に寄りて拝み奉る。
石上もまことにふりにける事思ひやられて、むげにあれはてにてけり。
その後、山辺といふ所の寺に宿りて、いと苦しけれど、経少し読み奉りて、うちやすみたる夢に、いみじくやむごとなく清らなる女のおはするに参りたれば、風いみじう吹く。
見つけて、うち笑みて、「何しにおはしつるぞ」と問ひ給へば、「いかでかは参らざらむ」と申せば、「そこは内にこそあらむとすれ。はかせの命婦をこそよく語らはめ」と宣ふと思ひて、嬉しく頼もしくて、いよいよ念じ奉りて、初瀬川などうち過ぎて、その夜御寺にまうで着きぬ。
はらへなどして上る。
三日さぶらひて、暁まかでむとてうちねぶりたる夜さり、御堂の方より、「すは、稲荷より賜はるしるしの杉よ。
とて物を投げ出づるやうにするに、うちおどろきたれば、夢なりけり。
暁、夜深く出でて、えとまらねば、奈良坂のこなたなる家をたづねて宿りぬ。
これもいみじげなる小家なり。
「ここはけしきある所なめり。ゆめいぬな。れうがいの事あらむに、あなかしこ、おびえ騒がせ給ふな。息もせで臥させ給へ」といふを聞くにも、いといみじうわびしく恐ろしうて、夜をあかす程、千歳を過ぐす心地す。
からうじて明けたつ程に、「これは盗人の家なり。
主の女、けしきある事をしてなむありける。
などいふ。
いみじう風の吹く日、宇治の渡りをするに網代いと近うこぎよりたり。
♪71 音にのみ 聞き渡り来し 宇治川の
あじろの浪も 今日ぞかぞふる
二三年、四五年へだてたることを、次第もなく書きつづくれば、やがて続きたちたる修行者めきたれど、さにあらず。
年月へだたれる事なり。
春ころ鞍馬にこもりたり。
山ぎは霞み渡り、のどやかなるに、山の方よりわづかにところなど掘りもて来るもをかし。
出づる道は花も皆散りはてにければ、何ともなきを、十月ばかりに詣づるに、道のほど山のけしき、この頃はいみじうぞまさるものなりける。
山の端錦を広げたるやうなり。
たぎりて流れゆく水、水晶をちらすやうにわきかへるなど、いづれにもすぐれたり。
詣でつきて、僧房に行きつきたるほど、かきしぐれたる紅葉の類なくぞ見ゆるや。
♪72 奥山の 紅葉の錦 ほかよりも
いかにしぐれて 深く染めけむ
とぞ見やらるる。
二年ばかりありて、また石山にこもりたれば、よもすがら雨ぞいみじく降る。
旅居は雨いとむつかしきものと聞きて、蔀をおしあげて見れば、有明の月の、谷の底さへくもりなく澄み渡り、雨と聞こえつるは、木の根より流るる音なり。
♪73 谷川の 流は雨と 聞ゆれど
ほかよりけなる 有明の月
また初瀬に詣づれば、はじめにこよなく物頼もし。
所々にまうけなどして行きもやらず。
山城の国ははその森などに、紅葉いとをかしきほどなり。
初瀬川渡るに、
♪74 初瀬川 たちかへりつつ たづぬれば
杉のしるしも この度や見む
と思ふもいとたのもし。
三日さぶらひて、まかでぬれば、例の奈良坂のこなたに、小家などに、この度はいと類ひろければ、えやどるまじうて、野中にかりそめに庵つくりてすゑたれば、人はただ野にゐて夜を明かす。
草の上に、むかばきなどをうち敷きて、上にむしろを敷きて、いとはかなくて夜をあかす。
頭もしとどに露おく。
暁方の月、いといみじくすみ渡りて、よにしらずをかし。
♪75 ゆくへなき 旅の空にも おくれぬは
都にて見し 有明の月
何事も心にかなはぬこともなきままに、かやうにたちはなれたる物詣でをしても、道のほどを、をかしとも苦しとも見るに、おのづから心も慰め、さりとも頼もしう、さしあたりて嘆かしなどおぼゆることどもないままに、ただ幼き人々をいつしか思ふさまに仕立てて見むと思ふに、年月の過ぎ行くを、心もとなく、たのむ人だに、人のやうなるよろこびしてばとのみ思ひわたる心地頼もしかし。
いにしへいみじう語らひ、夜昼歌など詠みかはしし人の、ありありても、いと昔のやうにこそあらね、絶えずいひわたるが、越前の守の嫁にて下りしが、かき絶え音もせぬに、からうじてたより尋ねてこれより
♪76 絶えざりし 思ひも今は 絶えにけり
越のわたりの 雪の深さに
といひたる返事に、
♪77 白川の 雪の下なる さざれ石の
中のおもひは 消えむものかは
弥生の朔日ごろに、西山の奥なる所に行きたる、人目も見えずのどのどと霞み渡りたるに、あはれに心細く、花ばかり咲き乱れたり。
♪78 里遠み あまり奥なる 山路には
花見にとても 人来ざりけり
世の中むつかしうおぼゆる頃、太秦にこもりたるに、宮に語らひ聞こゆる人の御許より文ある返事聞こゆるほどに、鐘の音の聞こゆれば、
♪79 しげかりし うき世の事も 忘られず
入りあひの鐘の 心細さに
と書きてやりつ。
うらうらとのどかなる宮にて、同じ心なる人三人ばかり、物語などしてまかでてまたの日、つれづれなるままに、恋しう思ひ出でらるれば、二人の中に、
♪80 袖濡るる 荒磯波と 知りながら
ともにかづきを せしぞ恋しき
と聞こえたれば、
♪81 荒磯は あされど何の かひなくて
うしほに濡るる あまの袖かな
いま一人
♪82 みるめおふる 浦にあらずば 荒磯の
浪間かぞふる あまもあらじを
同じ心にかやうに言ひかはし、世の中のうきもつらきもをかしきもかたみに言ひ語らふ人、筑前に下りて後、月のいみじう明かきに、かやうなりし夜、宮に参りて、あひてはつゆまどろまず眺め明かいしものを、恋しく思ひつつ寝入りにけり。
宮に参りあひて、うつつにありしやうにてありと見て、うちおどろきたれば夢なりけり。
月も山の端近うなりにけり。
さめざらましをと、いとど眺められて、
♪83 夢さめて 寝覚の床の 浮くばかり
恋ひきとつげよ 西へ行く月
さるべきやうありて、秋頃和泉に下るに、淀といふよりして、道のほどのをかしうあはれなること、いひつくすべうもあらず。
高浜といふ所にとまりたる夜、いと暗きに、夜いたう更けて、舟の楫の音聞こゆ。
問ふなれば、遊びの来たるなりけり。
人々興じて、舟にさしつけさせたり。
遠き火の光に、単衣の袖名がやかに扇さしかくして歌うたひたる、いとあはれに見ゆ。
またの日、山の端に日のかかるほど住吉の浦を過ぐ。
空も一つに霧りわれたる、松の梢も海の面も浪の寄せ来る渚のほども、絵にかきても及ぶべき方なう面白し。
♪84 いかにいひ 何にたとへて 語らまし
秋の夕の 住吉の浦
と見つつ綱手をひきすぐるほど、かへりみのみせられてあかずおぼゆ。
冬になりて上るに、大津といふ浦に舟の乗りたるに、その夜雨風岩も動くばかり降りふぶきて、かみさへなりてとどろくに、浪の立ち来る音なひ、風の吹きまどひたる様、おそろしげなること、命限りつと思ひまどはる。
岡の上に舟を引き上げて夜を明かす。
雨は止みたれど、風なほ吹きて舟出ださず。
行方もなき岡の上に五六日とすぐす。
からうじて風いささか止みたるほど、舟の簾捲き上げて見渡せば、夕汐ただ満ちに満ちくる様とりもあへず、入江のたづの声惜しまぬもをかしく見ゆ。
国の人々集まり来て、「その夜この浦を出でさせ給ひて、石津に着かせ給へらましかば、やがてこの御舟なごりなくなりなまし」などいふ、心細う聞ゆ。
♪85 あるる海に 風より先に 舟出して
いしづの浪と 消えなましかば
世の中にとにかくに心のみつくすに、宮仕へとても、もとは一筋に仕まつりつかばやいかがあらむ、時々たち出でば、なになるべくもなかめり。
年はややさだ過ぎゆくに、若々しきやうなるも、つきなうおぼえならるるうちに、身の病いと重くなりて、心にまかせて物詣でなどせしこともえせずなりたれば、わくらばの立ちいでも絶えて、長らふべき心地もせぬままに、幼き人々を、いかにもいかにもわがあらむ世に見おくこともがなと、臥し起き思ひ嘆き、頼む人の喜びのほどを心もとなく待ち嘆かるるに、秋になりて待ちいでたるやうなれど、思ひしにはあらず、いと本意なくくちをし。
親のをりよりたちかへりつつ見しあづまぢよりは近きやうに聞こゆれば、いかがはせむにて、ほどもなく、下るべきことども急ぐに、門出は女なる人の新しくわたりたる所に、八月十余日にす。
のちのことは知らず、そのほどの有様は、もの騒がしきまで人多くいきほひたり。
二十七日に下るに、をとこなるは添ひて下る。
紅のうちたるに、萩の襖、紫苑の織物の指貫着て、太刀はき、しりにたちて歩み出づるを、それも織物のあをにびいろの指貫、狩衣着て、廊のほどにて乗りぬ。
ののしり満ちて下りぬる後、こよなうつれづれなれど、いといたう遠きほどならずと聞けば、さきざきのやうに心細くなどはおぼえであるに、送りの人々、またの日帰りて、「いみじうきらきらしうて下りぬ」など言ひて、「この暁に、いみじく大きなる人魂の立ちて、京ざまへなむ来ぬる」と語れど、供の人などのこそはと思ふ。
ゆゆしきさまに、思ひだによらむやは。
今はいかで、この若き人々おとなびさせむと思ふよりほかのことなきに、かへる年の四月に上り来て、夏秋も過ぎぬ。
九月二十五日にわづらひ出でて、十月五日に夢のやうに見ないて、思ふここち、世の中にまたたぐひあることともおぼえず。
初瀬に鏡奉りしに、ふしまろび泣きたる影の見えけむは、これにこそはありけれ。
うれしげなしけむ影は、きしかたもなかりき。
今ゆく末は、あべいやうもなし。
二十三日、はかなく雲けぶりになす夜、こぞの秋、いみじくしたてかしづかれて、うちそひて下りしを見やりしを、いと黒き衣の上に、ゆゆしげなる物を着て、車の供に、泣く泣く歩み出でてゆくを、見出だして思ひいづるここち、すべてたとへむかたなきままに、やがて夢路にまどひてぞ思ふに、その人や見にけむかし。
昔より、よしなき物語・歌のことをのみ心にしめで、夜昼思ひて行ひをせましかば、いとかかる夢の世をば見ずもやあらまし。
初瀬にて、前の度、「稲荷より給ふしるしの杉よ」とて、投げ出でられしを、出でしままに稲荷に詣でたらましかば、かからずやあらまし。
年ごろ、「天照大神を念じ奉れ」と見ゆる夢は、人の御乳母して、内裏わたりにあり、帝きさきの御かげに隠るべきさまをのみ、夢ときも合はせしかども、そのことはひとつかなはでやみぬ。
ただ悲しげなりと見し鏡の影のみたがはず、あはれに心憂し。
かうのみ、心にもののかなふ方なうてやみぬる人なれば、功徳も作らずなどしてただよふ。
さすがに命は憂きにも絶えず、ながらふめれど、後の世も、思ふにかなはずぞあらむかしとぞ、うしろめたきに、頼むことひとつぞありける。
天喜三年十月十三日の夜の夢に、ゐたる所の屋のつまの庭に、阿弥陀仏立ち給へり。
さだかには見え給はず、霧ひとへ隔たれるやうに、透きて見え給ふを、せめて絶え間に見奉れば、蓮華の座の、土を上がりたる高さ三、四尺、仏の御丈六尺ばかりにて、金色に光り輝き給ひて、御手片つ方をば広げたるやうに、いま片つ方には印を作り給ひたるを、異人の目には見つけ奉らず、我一人見奉るに、さすがにいみじくけ恐ろしければ、簾のもと近く寄りても、え見奉らねば、仏、「さは、この度は帰りて、後に迎へに来む」とのたまふ声、我が耳一つに聞こえて、人はえ聞きつけずと見るに、うちおどろきたれば、十四日なり。
この夢ばかりぞ、後の頼みとしける。
甥どもなど、一所にて、朝夕見るに、かうあはれに悲しきことののちは、ところどころになりなどして、たれも見ゆること難うあるに、いと暗い夜、六郎にあたる甥の来たるに、珍しうおぼえて、
♪86 月もいでで やみに暮れたる をばすてに
なにとてこよひ 尋ね来つらむ
とぞ言はれにける。
ねむごろに語らふ人の、かうて後おとづれぬに、
♪87 今は世に あらじものとや 思ふらむ
あはれ泣く泣く なほこそはふれ
十月ばかり、月のいみじうあかきを、泣く泣くながめて、
♪88 ひまもなき 涙にくもる こころにも
あかしと見ゆる 月の影かな
年月はすぎ変はりゆけど、夢のやうなりしほどを思ひ出づれば、心地もまどひ、目もかきくらすあうなれば、そのほどのことは、またさだかにもおぼえず。
人々はみなほかに住みあかれて、ふるさとに一人、いみじう心細く悲しくて、ながめあかしわびて、久しうおとづれぬ人に、
♪89 しげりゆく よもぎが露に そぼちつつ
人にとはれぬ 音をのみぞ泣く
尼なる人なり。
♪90 世のつねの 宿のよもぎを 思ひやれ
そむきはてたる 庭の草むら