原文 | 現代語訳 | 注 |
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いでや、この世に生まれては、願はしかるべきことこそ多かめれ。 | さて、この世に生まれては、願わくはこうあってほしいということこそ多いように思われる。 | めり |
みかどの御位はいともかしこし。 | 帝の御位はとても恐れ多い。 | |
竹の園生の末葉まで、人間の種ならぬぞやんごとなき。 | 皇室の末裔まで、普通の人種でないように非常に高貴である。 | 竹の園生=史記 |
一の人の御有様はさらなり、ただ人も、舎人など賜はるきははゆゆしと見ゆ。 | 一位(摂政関白)の人の有様はもっとそうであり、皇族の血が入らない人でも、衛兵などが褒賞を頂く際は、並大抵でなく見える。 | 一位 舎人 ゆゆし |
その子うまごまでは、はふれにたれど、なほなまめかし。 | それらの子孫までは、落ちぶれても、なお優美である。 | うまご はふる |
それより下つ方は、程につけつつ、時にあひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いと口をし。 | それより下の方は、その程度なりに、時機に際し、したり顔になるのだが、自分では凄いと思うようでも、まあ残念なものである。 | ほどにつく 時にあふ |
法師ばかりうらやましからぬものはあらじ。 | 坊主ほど羨ましくないものはない。 | あらじ |
「人には木の端のやうに思はるるよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。 | 他人には木っ端(役人)のように思われるよ、と清少納言が書いたのも、実にその通りと思う。 | 木の端 かし |
勢ひ猛にののしりたるにつけて、いみじと見えず。 | 自ずと勇ましく騒ぐにつけても、全く凄いとは見えない。 | 勢ひ猛=竹取 |
増賀ひじりのいひけんやうに名聞くるしく、仏の御教へにたがふらんとぞおぼゆる。 | 増賀の聖が言ったように、世間の名声を意識して苦しくなり、釈迦の教えと道を違えているように思われる。 | 名聞ぐるしく=発心集 |
ひたぶるの世捨人は、なかなかあらまほしきかたもありなん。 | いっそひたすらな世捨て人の方が、中々どうしてそうありたいということもあるだろう。 | ひたふる |
人は、かたち、有様のすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ。 | 人は、容姿・様子の優れていることこそ、望ましいというものだが、 | けれ |
ものうちいひたる、聞きにくからず、愛敬ありて、ことば多からぬこそ、あかず向かはまほしけれ。 | ものを少し言うことが、聞きにくくなく、愛嬌があって、口数が多くない人こそ、飽きずに向き合いたいものだ。 | |
めでたしと見る人の、心劣りせらるる本性見えんこそくちをしかるべけれ。 | 素敵な見た目の人でも、心に劣悪である本性が見えることこそ、残念なものだ。 | |
品かたちこそ生まれつきたらめ、心はなどか賢きより賢きにも移さば移らざらん。 | 品格や容姿こそ生まれつきだろうが、どうして心は賢く、より賢くと移そうとして移らないことがあろうか。 | 品(冒頭参照) |
かたち、心ざまよき人も、才なくなりぬれば、品くだり、顔にくさげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるるこそ本意なきわざなれ。 | 容姿や心の有様が良い人も、学才がなくなってしまうと、品位が下り、顔が憎らしげな人にも入り混じって、気にかけず気圧されることこそ、望ましくない有様である。 | 品=位(冒頭参照) |
ありたき事は、まことしき文の道、作文、和歌、管弦の道。 | 望ましいことは、正式な学問の道、手習い、和歌、楽器の道。 | 文=文武医の道(122段)、作文=手書く事(同) |
また有識に公事の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。 | また官職と公務の方で、人の手本となることこそ素晴らしいというべきだろう。 | |
手などつたなからず走り書き、声をかしくて拍子とり、いたましうするものから、下戸ならぬこそ男はよけれ。 | 手習いなども拙からず走り書き、声も中々でリズムがとれ、恐縮しながらも、下戸ではないことこそ男はよいものだ。 | 拍子 |