章題 読み方 |
原文冒頭 | |
---|---|---|
概要※ | ||
1 |
座主流 ざすながし 異:座主被流 ざすのながされ |
治承元年五月五日、天台座主明雲大僧正 |
治承元年 (1177年) 比叡山の騒動の責任をとらされ、叡山座主の明雲が流罪。 | ||
2 |
一行阿闍梨之沙汰 いちぎょうあじゃりのさた 異:付 一行沙汰 |
十禅師権現の御前にて、大衆また詮議す |
叡山の僧兵は護送役人を襲い、明雲を奪還した。 | ||
3 |
西光被斬/西光誅 さいこうがきられ |
さるほどに山門の大衆、先座主取りとどむる由 |
鹿谷での陰謀が密告された。西光(僧名:さいこう、俗名:藤原師光・ふじわらのもろみつ)の尋問。「やがて、しやつが口をさけとて口をさかれ、五条西朱雀にしてきられにけり」 |
||
4 |
小教訓 こぎょうくん こきょうくん |
新大納言成親卿は一間なる所に押し込められ |
妹婿でもある清盛の長男重盛のとりなしで、成親の処刑は中止。 | ||
5 |
少将乞請 しょうしょうこいうけ 異:乞請 |
丹波の少将成経は、その夜しも院の御所法住寺殿に上伏しして |
清盛の弟(忠盛の四男)平教盛の嘆願で、成親の子藤原成経も助命。 | ||
6 |
教訓状 きょうくんじょう 異:小松教訓 |
太政入道は、人々かやうに戒めおきても |
黒幕と見なされた後白河法皇の幽閉を清盛が計画。重盛はそれを止める。 | ||
7 |
烽火之沙汰 ほうかのさた |
これは君の御理にて候へば、かなはざらんまでも |
重盛は兵を招集。これを見て清盛は法皇幽閉を断念。 | ||
8 |
大納言流罪 だいなごんるざい 異:新大納言被流 しんだいなごんながされ |
六月二日、新大納言成親卿をば |
成親は備前の児島に流罪。 | ||
9 |
阿古屋之松 あこやのまつ 異:阿古屋 |
新大納言一人にも限らず、警めをかうむる輩おほかりき |
成親の子成経は備中に流罪。 | ||
10 |
大納言死去 だいなごん(の)しきょ |
さるほどに法勝寺の執行俊寛僧都、平判官康頼 |
成経はさらに薩摩の鬼界が島へ流された。平康頼、法勝寺の俊寛も同罪。父成親は備前で崖から落とされて暗殺された。 「岸の二丈ばかりありける下に、ひしを植えて、うへよりつきおとし奉れば、ひしにつらぬかって、うせ給ひぬ」 |
||
11 |
徳大寺之沙汰 とくだいじのさた 異:徳大寺厳島詣 とくだいじいつくしまもうで |
ここに徳大寺の大納言実定卿は |
徳大寺藤原実定は平家が信仰する厳島に詣でた。清盛は感心して実定を左大将に昇進させた。 | ||
12 |
山門滅亡 堂衆合戦 さんもんめつぼう どうしゅがっせん 異:山門滅亡 |
さるほどに、法皇は三井寺の公顕僧正を御師範として |
比叡山の堂衆(下級僧)が学生(上級僧)と合戦し勝利。 | ||
12-2 |
山門滅亡2 さんもんめつぼう |
その後は山門いよいよ荒れ果てて、 |
比叡山は荒廃。 | ||
13 |
善光寺炎上 ぜんこうじえんじょう |
その頃信濃国善光寺炎上の事ありけり |
信濃国の善光寺の由来と炎上。 | ||
14 |
康頼祝言 やすよりのっと 異:祝言 のりと |
さるほどに、鬼界が島の流人ども |
康頼と成経は鬼界が島で熊野詣のまねをしていた。 | ||
15 |
卒都婆流 そとばながし |
丹羽少将成経、平判官康頼、常は三所権現の御前に参り |
2人は卒塔婆を毎日海に流した。その1つが厳島で発見された。 | ||
16 |
蘇武 そぶ |
入道も岩木ならねば、さすがあはれげにぞ宣ひける |
2人の卒塔婆は、漢の蘇武の雁札のようなものだ。 |
※概要はWikipedia#平家物語の内容から引用。