今は昔、貫之が土佐守になりて、下りてありけるほどに、任果の年、七八ばかりの子の、えもいはずをかしげなるを、限りなくかなしうしけるが、とかく煩ひて、失せにければ、泣きまどひて、病づくばかり思ひこがるるほどに、月ごろになりぬれば、かくてのみあるべき事かは、上りなんと思ふに、児のここにて、何とありしはやなど、思ひ出でられて、いみじうかなしかりければ、柱に書きつけける
♪17 都へと 思ふにつけて 悲しきは 帰らぬ人の あればなりけり
とかきつけたりける歌なん、いままでありける。