これも今は昔、ある人のもとに生女房のありけるが、人に紙乞ひて、そこなりける若き僧に、「仮名暦書きて給べ」と言ひければ、僧、「やすき事」と言ひて、書きたりけり。
始めつ方はうるはしく、「神仏によし」、「坎日」、「凶会日」など書きたりけるが、やうやう末ざまになりて、あるいは「物食はぬ日」など書き、「またこれぞあればよく食ふ日」など書きたり。
この女房、やうがる暦かなとは思へども、いとかうほどには思ひよらず、さる事にこそと思ひて、そのままに違へず。またある日は、「はこすべからず」と書きたれば、いかにとは思へども、さこそあらめとて、念じて過ぐすほどに、長凶会日のやうに、「はこすべからず、はこすべからず」と続け書きたれば、二日三日までは念じ居たるほどに、おほかた堪ふべきやうもなければ、左右の手にて尻をかかへて、「いかにせん、いかにせん」と、よぢりすぢりするほどに、物も覚えず、してありけるとか。