今は昔、藤大納言忠家といひける人、いまだ殿上人におはしける時、美々しき色好みなりける女房と物言ひて、夜ふくるほどに、月は昼よりもあかかりけるに、たへかねて、御簾をうちかづきて、長押のうえにのぼりて、肩をかきて、引き寄せけるほどに、髪をふりかけて、「あな、さまあし」と言ひて、くるめきけるほどに、いと高く鳴らしてけり。
女房は、いふにもたへず、くたくたとして、寄り臥しにけり。
この大納言、「心憂きことにもあひぬるものかな。世にありても何にかはせん。出家せん」とて、御簾の裾をすこしかきあげて、ぬき足をして、うたがひなく、出家せんと思ひて、二間ばかり行くほどに、そもそも、その女房過ちせんからに、出家すべきやうやはあると思ふ心、またつきて、ただただと、走り出でられにけり。
女房はいかがなりけん、知らずとか。