今は昔、一条摂政とは東三条殿の兄におはします。御かたちよりはじめ、心用ひなどめでたく、才、有様、まことしくおはしまし、また、色めかしく、女をも多く御覧じ興ぜざさせ給ひけるが、少し軽々に覚えさせ給ひければ、御名を隠せ給ひて、大蔵丞豊蔭と名のりて、上ならぬ女のがりは、御文も遣はしける。懸想せさせ給ひ、逢はせ給ひもしけるに、皆人、さ心得て知り参らせたり。
やんごとなくよき人の姫君のもとへ、おはしまし初めにけり。乳母、母などを語らひて、父には知らせさせ給はぬほどに、聞きつけて、いみじく腹立ちて、母をせため、爪弾きをして、いたく宣ひければ、「さる事なし」とあらがひて、「まだしき由の文、書きて給べ」と母君のわび申したりければ、
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人知れず 身はいそげども 年を経て
など越えがたき 逢坂の関
とて遣はしたりければ、父に見すれば、「さては空事なりけり」と思ひて、返し、父のしける。
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あづま路に 行きかふ人に あらぬ身は
いつかは越えん 逢坂の関
と詠みけるを見て、ほほゑまれけんかしと、御集にあり。をかしく。