これも今は昔、鳥羽院位の御時、白河院の武者所の中に、宮道式成、源満、則員、殊に的弓の上手なりと、その時聞こえありて、鳥羽院位の御時の滝口に、三人ながら召されぬ。試みあるに、おほかた一度もはづさず。これをもてなし興ぜさせ給ふ。
ある時三尺五寸の的を賜びて、「これが第二の黒み、射落して持て参れ」と仰せあり。巳の時に賜りて、未の時に射落して参れり。いたつき三人の中に三手なり。「矢とりて、矢取の帰らんを持たば、程経ぬべし」とて、残りの輩、我と矢を走り立ちて、取り取りして、立ちかはり立ちかはり射るほどに、未の時の半らばかりに、第二の黒みを射めぐらして、射落して持て参れりけり。
「これすでに養由がごとし」と時の人ほめののしりけるとかや。