♪男
♀をば=姑
♀妻
信濃国に更級といふ所に、男住みけり。
若き時に、親は死にければ、をばなむ親のごとくに、若くより添ひてあるに、
この妻の心憂きこと多くて、
この姑の、老いかがまりてゐたるを、常に憎みつつ、男にもこのをばの御心のさがなくあしきことを言ひ聞かせければ、
昔のごとくにもあらず、おろかなること多く、このをばのためになりゆきけり。
このをば、いといたう老いて、二重にてゐたり。
これをなほ、この嫁、所狭がりて、今まで死なぬことと思ひて、よからぬことを言ひつつ、
「持ていまして、深き山に捨てたうびてよ」
とのみ責めければ、
責められわびて、さしてむと思ひなりぬ。
月のいと明かき夜、
「嫗ども、いざたまへ。寺に尊きわざすなる、見せ奉らむ」
と言ひければ、限りなく喜びて負はれにけり。
高き山のふもとに住みければ、その山にはるはると入りて、
高き山の峰の、降り来べくもあらぬに置きて、逃げて来ぬ。
「やや」
と言へど、いらへもせで逃げて家に来て、
思ひをるに、言ひ腹立てけるをりは、腹立ちて、かくしつれど、
年ごろ親のごと養ひつつ相添ひにければ、いと悲しくおぼえけり。
この山の上より、月もいと限りなく明かく出でたるを眺めて、
夜一夜、いも寝られず、悲しうおぼえければ、かく詠みたりける。
♪262
わが心 なぐさめかねつ 更級や
姥捨山に 照る月を見て
と詠みてなむ、また行きて迎へ持て来にける。
それより後なむ、姥捨山と言ひける。
「慰めがたし」とは、これが由になむありける。