原文 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (武田祐吉) |
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凡 帶中津日子 天皇之 御年。伍拾貳歳。 |
およそこの 帶中津日子 たらしなかつひこの天皇の 御年五十二歳いそぢまりふたつ。 |
すべて タラシナカツ彦の天皇の 御年は五十二歳、 |
(壬戌の年 六月十一日崩りたまひき) |
壬戌みずのえいぬの年の 六月十一日にお隱れになりました。 |
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御陵在 河内惠賀之 長江也。 |
御陵は 河内の惠賀ゑがの 長江ながえにあり。 |
御陵は 河内の惠賀えがの 長江にあります。 |
皇后は 御年一百歳にして崩りましき。 |
皇后樣は 御年百歳でお隱かくれになりました。 |
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狹城さきの楯列たたなみの陵に 葬めまつりき。 |
狹城さきの楯列たたなみの御陵に お葬り申し上げました。 |