原文 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (武田祐吉) |
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故天皇。 | かれ天皇、 | しかるに天皇は |
不知其之謀而。 | その謀を知しらしめさずて、 | その謀をお知り遊ばされず、 |
枕其后之御膝。 | その后の御膝を枕まきて、 | 皇后の膝を枕として |
爲御寢坐也。 | 御寢したまひき。 | お寢やすみになりました。 |
爾其后。 | ここにその后、 | そこでその皇后は |
以紐小刀。 | 紐小刀もちて、 | 紐のついた小刀をもつて |
爲刺 其天皇之御頸。 |
その天皇の御頸おほみくびを 刺しまつらむとして、 |
天皇のお頸くびを お刺ししようとして、 |
三度擧而。 | 三度擧ふりたまひしかども、 | 三度振りましたけれども、 |
不忍哀情。 |
哀かなしとおもふ情に え忍あへずして、 |
哀かなしい情に堪えないで |
不能刺頸而。 | 御頸をえ刺しまつらずて、 | お頸をお刺し申さないで、 |
泣涙 落溢 於御面。 |
泣く涙、 御面おほみおもに 落ち溢あふれき。 |
お泣きになる涙が 天皇のお顏の上に 落ち流れました。 |
乃天皇驚起。 | 天皇驚き起ちたまひて、 | そこで天皇が驚いてお起ちになつて、 |
問其后曰。 | その后に問ひてのりたまはく、 | 皇后にお尋ねになるには、 |
吾見異夢。 | 「吾あは異けしき夢いめを見つ。 | 「わたしは不思議な夢を見た。 |
從沙本方 暴雨零來。 |
沙本さほの方かたより、 暴雨はやさめの零ふり來て、 |
サホの方から俄雨が降つて來て、 |
急洽吾面。 | 急にはかに吾が面を沾ぬらしつ。 | 急に顏を沾ぬらした。 |
又錦色小蛇。 | また錦色の小蛇へみ、 | また錦色にしきいろの小蛇が |
纒繞我頸。 | 我が頸に纏まつはりつ。 | わたしの頸くびに纏まといついた。 |
如此之夢。 | かかる夢は、 | こういう夢は |
是有何表也。 |
こは何の表しるしにあらむ」 とのりたまひき。 |
何のあらわれだろうか」 とお尋ねになりました。 |
サホ彦が持っていた「八鹽折之紐小刀」の「八鹽折」とは、出雲でスサノオが退治した八俣大蛇で出てきた形容詞である(八鹽折之酒)。だからその小刀を振るわれた天皇の夢に小蛇が出てきたのであり、スサノオ同様に幼稚なホムチワケ(情況からサホ彦の子)が出雲大神に行って何やらしゃべり出し、蛇の娘と一夜を共にするのである。
なお、ここでのサホ姫は、首を狙って小刀を三度も振った時点で、殺人未遂罪が成立する(いわゆる着手未遂)。ただし自己の意思で中止しているので、刑は必ず減刑または免除される(必要的減免)。よって免除と言いたいが、そもそも訴追されないだろう。それがこの国のやり方で、法の理解である(人の支配)。法の支配でいう法とは、人が立てる法律のことではない。普遍の法、摂理(プロビデンス)・天道のことである。根本的に人が作った法律に人が支配されることはない。だから法の支配の「法」を人の法律とみなす時点で、必然、恣意的な人の支配(法治主義=法律万能主義・法律の恣意的運用)なのである。プロビデンスは天道と同義であり(目と見ているの枕詞)、法も摂理も、キリスト教や仏教の専売特許ではない(そんな許しは存在しえない)。法体系の理解は、寝転がって悟る漠としたものではなく、世界の法則の総体的理解による。法が最も重んじるのは、フェアネス(公平・公正)、それと正義(言葉をその通り定義・解釈・運用すること)。言葉・公を自己都合でいじり回すのが不正で悪。人の正しさは人道に則ることで、精神を経済(金)に劣後させないことである。金は人の道具。しかし今は金の支配の様相を呈している。それが資本主義。つまり人以前。そういう道もある。だからそれらは、人道も人権も口先だけでその理想を根本的に認めない。それが心の貧しさ。それを卑しさという。貧しさと野蛮さは社会的に同義である。みなが満ちて豊かなら必死に争い奪いあう動機が全くない。