原文 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (武田祐吉) |
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東征(どげんか遷都如何。そのまんま東国) |
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神倭 伊波禮毘古命。 〈自伊下 五字以音〉 |
神倭 伊波禮毘古 かむやまと いはれびこの命、 |
カムヤマト イハレ彦の命 (神武天皇)、 |
與其伊呂兄 〈伊呂二字以音〉 五瀬命 二柱。 |
その 同母兄いろせ 五瀬の命と 二柱、 |
兄君の イツセの命と お二方、 |
坐 高千穂宮而。 |
高千穗の宮に ましまして |
筑紫の高千穗の宮に おいでになつて |
議云。 | 議はかりたまはく、 | 御相談なさいますには、 |
坐何地者。 | 「いづれの地ところにまさば、 | 「何處の地におつたならば |
平聞看 天下之政。 |
天の下の政を平けく 聞きこしめさむ。 |
天下を泰平にすることが できるであろうか。 |
猶思東行。 |
なほ東のかたに、行かむ」 とのりたまひて、 |
やはりもつと東に行こうと思う」 と仰せられて、 |
即自日向發。 |
すなはち 日向ひむかより發たたして、 |
日向の國からお出になつて |
幸行筑紫。 |
筑紫に 幸いでましき。 |
九州の北方に おいでになりました。 |
故到 豐國宇沙之時。 |
かれ豐國の宇沙うさに 到りましし時に、 |
そこで豐後ぶんごのウサに おいでになりました時に、 |
其土人。 | その土人くにびと | その國の人の |
名 宇沙都比古。 宇沙都比賣 〈此十字以音〉 二人。 |
名は 宇沙都比古うさつひこ、 宇沙都比賣うさつひめ 二人、 |
ウサツ彦・ ウサツ姫 という二人が |
作 足一騰 宮而。 |
足一騰 あしひとつあがりの 宮を作りて、 |
足一つ 騰あがりの 宮を作つて、 |
獻 大御饗。 |
大御饗 おほみあへ 獻りき。 |
御馳走を 致しました。 |
自其地 遷移而。 |
其地そこより 遷りまして、 |
其處から お遷りになつて、 |
於筑紫之 岡田宮 一年坐。 |
竺紫つくしの 岡田の宮に 一年ましましき。 |
筑前の 岡田の宮に 一年おいでになり、 |
亦從其國 上幸而。 |
またその國より 上り幸でまして、 |
また其處から お上りになつて |
於阿岐國之 多祁理宮。 七年坐。 |
阿岐あきの國の 多祁理たけりの宮に 七年ましましき。 |
安藝の タケリの宮に 七年おいでになりました。 |
〈自多下 三字以音〉 |
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亦從其國 遷上幸而。 |
またその國より 遷り上り幸でまして、 |
またその國から お遷りになつて、 |
於吉備之 高嶋宮。 八年坐。 |
吉備の 高島の宮に 八年ましましき。 |
備後びんごの 高島の宮に 八年おいでになりました。 |
速吸門(早よせ衛門) |
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故從其國 上幸之時。 |
かれその國より 上り幸でます時に、 |
その國から 上のぼつておいでになる時に、 |
乘龜甲。 | 龜の甲せに乘りて、 | 龜の甲こうに乘つて |
爲釣乍。 | 釣しつつ | 釣をしながら |
打羽擧來人。 | 打ち羽振り來る人、 |
勢いよく 身體からだを振ふつて來る人に |
遇于 速吸門。 |
速吸はやすひの 門とに 遇ひき。 |
速吸はやすいの 海峽かいきようで 遇いました。 |
爾喚歸。 | ここに喚びよせて、 | そこで呼び寄せて、 |
問之 汝者誰也。 |
問ひたまはく、 「汝いましは誰ぞ」 と問はしければ、 |
「お前は誰か」 とお尋ねになりますと、 |
答曰 僕者國神。 |
答へて曰はく、 「僕あは國つ神なり」とまをしき。 |
「わたくしはこの土地にいる神です」 と申しました。 |
名宇豆毘古。 | ||
又問 汝者知 海道乎。 |
また問ひたまはく 「汝は海うみつ道ぢを知れりや」 と問はしければ、 |
また 「お前は海の道を知つているか」 とお尋ねになりますと |
答曰 能知。 |
答へて曰はく、 「能く知れり」とまをしき。 |
「よく知つております」 と申しました。 |
又問 從而仕奉乎。 |
また問ひたまはく 「從みともに仕へまつらむや」 と問はしければ、 |
また「供をして來るか」 と問いましたところ、 |
答曰仕奉。 |
答へて曰はく 「仕へまつらむ」とまをしき。 |
「お仕え致しましよう」 と申しました。 |
故爾 指度槁機。 |
かれここに 槁さをを指し度わたして、 |
そこで 棹さおをさし渡して |
引入其御船。 | その御船に引き入れて、 | 御船に引き入れて、 |
即賜名 號槁根津日子。 |
槁根津日子 さをねつひこ といふ名を賜ひき。 |
サヲネツ彦 という名を下さいました。 |
〈此者 倭國造等之祖〉 |
(こは 倭の國の造等が祖なり。) |
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楯津で楯突く |
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故從其國 上行之時。 |
かれその國より 上り行いでます時に、 |
その國から 上つておいでになる時に、 |
經 浪速之 渡而。 |
浪速なみはやの 渡わたりを 經て、 |
難波なにわの 灣わんを 經て |
泊 青雲之白肩津。 |
青雲の白肩しらかたの津に 泊はてたまひき。 |
河内の白肩の津に 船をお泊とめになりました。 |
此時。 | この時に、 | この時に、 |
登美能 那賀須泥毘古。 〈自登下 九字以音〉 |
登美とみの 那賀須泥毘古 ながすねびこ、 |
大和の國の トミに住んでいる ナガスネ彦が |
興軍。 | 軍を興して、 | 軍を起して |
待向以戰。 | 待ち向へて戰ふ。 | 待ち向つて戰いましたから、 |
爾取所 入御船之楯 而下立。 |
ここに、 御船に入れたる楯を取りて、 下おり立ちたまひき。 |
御船に入れてある 楯を取つて 下り立たれました。 |
故號其地 謂楯津。 |
かれ其地そこに號けて 楯津たてづといふ。 |
そこでその土地を名づけて 楯津と言います。 |
於今者 云日下之蓼津也。 |
今には 日下くさかの蓼津たでづといふ。 |
今でも 日下くさかの蓼津たでつと 言いつております。 |
イツセの痛手 |
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於是與 登美毘古戰之時。 |
ここに 登美とみ毘古と戰ひたまひし時に、 |
かくて ナガスネ彦と戰われた時に、 |
五瀬命。 於御手。 |
五瀬いつせの命、 御手に |
イツセの命が 御手に |
負登美毘古之 痛矢串。 |
登美毘古が 痛矢串いたやぐしを負はしき。 |
ナガスネ彦の 矢の傷をお負いになりました。 |
故爾詔。 | かれここに詔りたまはく、 | そこで仰せられるのには |
吾者爲 日神之御子。 |
「吾は 日の神の御子として、 |
「自分は 日の神の御子として、 |
向日而戰不良。 | 日に向ひて戰ふことふさはず。 | 日に向つて戰うのはよろしくない。 |
故負 賤奴之痛手。 |
かれ賤奴やつこが痛手を負ひつ。 | そこで賤しい奴の傷を負つたのだ。 |
自今者。 行廻而。 |
今よは 行き廻めぐりて、 |
今から廻つて行つて |
背負日以撃 期而。 |
日を背に負ひて撃たむ」と、 期ちぎりたまひて、 |
日を背中にして撃とう」 と仰せられて、 |
自南方。 廻幸之時。 |
南の方より 廻り幸でます時に、 |
南の方から 廻つておいでになる時に、 |
到血沼海。 | 血沼ちぬの海に到りて、 |
和泉いずみの國の チヌの海に至つて |
洗其御手之血。 | その御手の血を洗ひたまひき。 | その御手の血をお洗いになりました。 |
故謂 血沼海也。 |
かれ血沼の海といふ。 | そこでチヌの海とは言うのです。 |
從其地 廻幸。 |
其地そこより 廻り幸でまして、 |
其處から 廻つておいでになつて、 |
到 紀國男之 水門而詔。 |
紀きの國の男をの 水門みなとに 到りまして、詔りたまはく、 |
紀伊きいの國の ヲの水門みなとに おいでになつて仰せられるには、 |
負賤奴之手 乎死。 |
「賤奴やつこが手を負ひてや、 命すぎなむ」 |
「賤しい奴のために 手傷を負つて死ぬのは 殘念である」 |
爲男建 而崩。 |
と男健をたけびして 崩かむあがりましき。 |
と叫ばれて お隱れになりました。 |
故號其水門。 謂男水門也。 |
かれその水門みなとに名づけて 男をの水門といふ。 |
それで其處を ヲの水門みなとと言います。 |
陵即在 紀國之 竈山也。 |
陵みはかは 紀の國の 竈山かまやまにあり。 |
御陵は 紀伊の國の 竈山かまやまにあります。 |
失神 |
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故 神倭 伊波禮毘古命。 |
かれ 神倭 伊波禮毘古の命、 |
カムヤマト イハレ彦の命は、 |
從其地廻幸。 |
其地そこより 廻り幸でまして、 |
その土地から 廻つておいでになつて、 |
到熊野村之時。 | 熊野くまのの村に到りましし時に、 | 熊野においでになつた時に、 |
大熊。 髣髴 出入即失。 |
大きなる熊、 髣髴ほのかに 出で入りてすなはち失せぬ。 |
大きな熊が ぼうつと現れて、 消えてしまいました。 |
爾神倭 伊波禮毘古命。 焂忽爲遠延。 |
ここに神倭 伊波禮毘古の命 焂忽にはかにをえまし、 |
ここにカムヤマト イハレ彦の命は 俄に氣を失われ、 |
及御軍 皆遠延 而伏。 〈遠延二字以音〉 |
また御軍も 皆をえて 伏しき。 |
兵士どもも 皆氣を失つて 仆れてしまいました。 |