原文 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (武田祐吉) |
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故爾 天照大御神。 |
かれここに 天照らす大御神、 |
そこで 天照らす大神、 |
高御產巢日神。 | 高御産巣日の神、 | タカミムスビの神が |
亦問 諸神等。 |
また 諸の神かみたちに問ひたまはく、 |
大勢の神に お尋ねになつたのには、 |
天若日子。 | 「天若日子 | 「天若日子が |
久不復奏。 | 久しく復奏かへりごとまをさず、 | 久しく返事をしないが、 |
又遣曷 神以問 天若日子之。 淹留所由。 |
またいづれの神を遣はして、 天若日子が 久しく留まれる所由よしを問はむ」 とのりたまひき。 |
どの神を遣して 天若日子の 留まつている仔細を尋ねさせようか」 とお尋ねになりました。 |
於是諸神 及思金神。 |
ここに諸の神たち また思金の神答へて |
そこで大勢の神たち またオモヒガネの神が |
答白。 | 白さく、 | 申しますには、 |
可遣 雉名鳴女時。 |
「雉子きぎし名な鳴女なきめを 遣はさむ」とまをす時に、 |
「キジの名鳴女ななきめを 遣やりましよう」 |
詔之。 | 詔りたまはく、 | と申しました。 |
そこでそのキジに、 | ||
汝行。 | 「汝いまし行きて | 「お前が行いつて |
問天若日子状者。 | 天若日子に問はむ状は、 | 天若日子に尋ねるには、 |
汝所以使 葦原中國者。 |
汝を葦原の中つ國に遣はせる 所以ゆゑは、 |
あなたを 葦原の中心の國に遣したわけは |
言趣和 其國之荒振神等之者也。 |
その國の荒ぶる神たちを 言趣ことむけ平やはせとなり。 |
その國の亂暴な神たちを 平定せよというためです。 |
何至于八年。 | 何ぞ八年になるまで、 | 何故に八年たつても |
不復奏。 |
復奏まをさざると問へ」 とのりたまひき。 |
御返事申し上げないのかと問え」 と仰せられました。 |
雉名鳴女 は、語義通りみれば、キジナ・ナキメ(→キジの名はナキメという)と見れる。
しかし古事記の名は、それ自体で意味が通るようになっているから、少しひねって、キキシナ・ナキメとも見れる。濁点を繰り返しに利用する。
この言葉は、哭女(なきめ=葬式の泣役女)という有名な由来に掛かっている。
哭女の段では、雉が哭女とされている(雉爲哭女)。これらを総合し、ナキメと聞きし名の亡き女。
キジは当てただけ。白兎の和邇と同じ。和邇は渡来人の例え。
古事記の表記は音を当てて柔軟にしているから、読みは、キジナナキメでも、キキシナナキメでも、どちらでもよいだろう。
素直なのは前者。そこに後者を読み込む。
雉名鳴女を見る。ああ、この雉の名は哭女(雉爲哭女)にも掛かっていたなと見る。
こういうことを符合やしるしといい、古典においては意味と文脈を連関させて読まなければならない。
そうして古典同士がつながっている。それが古を知る心。でなければ本意が読めない。だから肝心の本意をとり違える。変な付け足しをしたり欠落させる。