古事記~雉名鳴女 原文対訳

天若日子 古事記
上巻 第四部
国譲りの物語
雉名鳴女
天のサグメ
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
故爾
天照大御神。
 かれここに
天照らす大御神、
 そこで
天照らす大神、
高御產巢日神。 高御産巣日の神、 タカミムスビの神が
亦問
諸神等。
また
諸の神かみたちに問ひたまはく、
大勢の神に
お尋ねになつたのには、
天若日子。 「天若日子 「天若日子が
久不復奏。 久しく復奏かへりごとまをさず、 久しく返事をしないが、
又遣曷
神以問
天若日子之。
淹留所由。
またいづれの神を遣はして、
天若日子が
久しく留まれる所由よしを問はむ」
とのりたまひき。
どの神を遣して
天若日子の
留まつている仔細を尋ねさせようか」
とお尋ねになりました。
     
於是諸神
及思金神。
ここに諸の神たち
また思金の神答へて
そこで大勢の神たち
またオモヒガネの神が
答白。 白さく、 申しますには、
可遣
雉名鳴女時。
雉子きぎし名な鳴女なきめ
遣はさむ」とまをす時に、
「キジの名鳴女ななきめを
遣やりましよう」
詔之。 詔りたまはく、 と申しました。
     
    そこでそのキジに、
汝行。 「汝いまし行きて 「お前が行いつて
問天若日子状者。 天若日子に問はむ状は、 天若日子に尋ねるには、
汝所以使
葦原中國者。
汝を葦原の中つ國に遣はせる
所以ゆゑは、
あなたを
葦原の中心の國に遣したわけは
言趣和
其國之荒振神等之者也。
その國の荒ぶる神たちを
言趣ことむけ平やはせとなり。
その國の亂暴な神たちを
平定せよというためです。
何至于八年。 何ぞ八年になるまで、 何故に八年たつても
不復奏。 復奏まをさざると問へ」
とのりたまひき。
御返事申し上げないのかと問え」
と仰せられました。
天若日子 古事記
上巻 第四部
国譲りの物語
雉名鳴女
天のサグメ

雉名鳴女の読み方と意義

 
 
 雉名鳴女 は、語義通りみれば、キジナ・ナキメ(→キジの名はナキメという)と見れる。
 しかし古事記の名は、それ自体で意味が通るようになっているから、少しひねって、キキシナ・ナキメとも見れる。濁点を繰り返しに利用する。
 

 この言葉は、哭女(なきめ=葬式の泣役女)という有名な由来に掛かっている。
 哭女の段では、雉が哭女とされている(雉爲哭女)。これらを総合し、ナキメと聞きし名の亡き女
 キジは当てただけ。白兎の和邇と同じ。和邇は渡来人の例え。
 

 古事記の表記は音を当てて柔軟にしているから、読みは、キジナナキメでも、キキシナナキメでも、どちらでもよいだろう。
 素直なのは前者。そこに後者を読み込む。
 雉名鳴女を見る。ああ、この雉の名は哭女(雉爲哭女)にも掛かっていたなと見る。
 こういうことを符合やしるしといい、古典においては意味と文脈を連関させて読まなければならない。
 そうして古典同士がつながっている。それが古を知る心。でなければ本意が読めない。だから肝心の本意をとり違える。変な付け足しをしたり欠落させる。