原文 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (武田祐吉) |
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故高木神。 | かれ高木の神、 | その高木の神が |
取其矢見者。 | その矢を取らして見そなはせば、 | 弓矢を取つて御覽になると |
血著其矢羽。 | その矢の羽に血著きたり。 | 矢の羽に血がついております。 |
於是高木神。 | ここに高木の神告りたまはく、 | そこで高木の神が |
告之此矢者。 所賜天若日子之矢 即示 諸神等詔者。 |
「この矢は 天若日子に賜へる矢ぞ」と告りたまひて、 諸の神たちに示みせて 詔りたまはく、 |
「この矢は 天若日子に與えた矢である」と仰せになつて、 多くの神たちに見せて 仰せられるには、 |
或 天若日子不誤命。 |
「もし 天若日子、命みことを誤たがへず、 |
「もし 天若日子が命令通りに |
爲射惡神之矢之至者。 | 惡あらぶる神を射つる矢の到れるならば、 | 亂暴な神を射た矢が來たのなら、 |
不中天若日子。 | 天若日子にな中あたりそ。 | 天若日子に當ることなかれ。 |
或有邪心者。 | もし邪きたなき心あらば、 | そうでなくてもし不屆ふとどきな心があるなら |
天若日子。 | 天若日子 | 天若日子は |
於此矢 麻賀禮。 〈此三字以音〉 |
この矢に まがれ」 |
この矢で 死んでしまえ」 |
云而。 | とのりたまひて、 | と仰せられて、 |
取其矢。 | その矢を取らして、 | その矢をお取りになつて、 |
自其矢穴 衝返下者。 |
その矢の穴より 衝き返し下したまひしかば、 |
その矢の飛んで來た穴から 衝き返してお下しになりましたら、 |
中天若日子。 寢朝床之 高胸坂。 |
天若日子が、 朝床に寢たる 高胸坂たかむなさかに中りて |
天若日子が 朝床あさどこに寢ている 胸の上に當つて |
以死。 | 死にき。 | 死にました。 |
〈此還矢之本也〉 | (こは還矢の本なり。) | |
亦其雉不還。 | またその雉子きぎし還らず。 | かくしてキジは還つて參りませんから、 |
故於今諺。 曰雉之頓使 是也。 |
かれ今に諺に 雉子の頓使ひたづかひといふ本 これなり。 |
今でも諺ことわざに 「行いつたきりのキジのお使」 というのです。 |
ここで、矢を取ったのは高木の神(タカムスビ。天の生成・男を象徴する造化三神。これは至高の中立の神の、男としての形)。
この段の直前が「この高木の神は、高御産巣日の神の 別またの名みななり」。高木で高きという形容を表わしている。
この神が「もし天若日子に邪な心あれば」という発言をし、これを誓約とするのがあるが、これは読者のため説明しているだけ。
至高の天神だから、冒頭の情況だけで雉が天若日子によって殺害されたこと以外ないことは分かっている。天に矢が届いたとはそういう意味。
しかし説明なく矢を投げ返し当たっても、決めつけだ独断だとなるので、神の法則は予断なく中立公平ということを示すため、宣言している。
しかし宣言しようがしまいが、良いも悪いもその行為に応じた報いを受ける、そういう物理法則同様、それ以上の霊的法則を表わした話。
霊的法則だからその因果は目に見えない。したがって霊的視点がまるでない人には、その因果関係は察知できない(ただの偶然)。
それが神が矢を返した比喩。
こは還矢之本なりという本(もと)とは、由来を示している。それを確実にしているのが、キジの諺の説明。
つまり元は辿れば高き神に由来する。そしてその神は邪がはびこることがないよう念じて法則を定めている。
悪は神がなくせばいいというのはあまりに単純かつ無責任。人の意義、考える意味がなくなる。全員ロボット。そもそも多く悪は自分を悪と思っていない。
なぜか。言葉を、善も悪も好き勝手に見る。悪を必要などという(必要悪)。どうとでも解釈できるなら、言葉の意味がなくなる。
それでは必要悪を認める人を直ちに滅ぼしていいか? それは良いあり方か? 善悪についてあまりに無思慮で無責任なので、そんな言説がまかり通る。
この段の話のような、目には目を(同じ目を)、矢には矢をは、応報と呼ばれ、主に諭しに対して、聞く耳を持たない時になされる。
聞く耳を持っている場合は、良い形で償う方が良い(同じ痛みを受けるのではなく傷を治す)。そういうより良い進歩的なあり方を、特別予防という。
そして天若日子は、聞く耳をもたなかった。