古事記~神度剣 原文対訳

哭女 古事記
上巻 第四部
国譲りの物語
神度剣
(かむどのつるぎ)
タカヒコネの歌
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
此時。  この時  この時
阿遲志貴
高日子根神。
〈自阿下
四字以音〉
阿遲志貴
高日子根
あぢしき
たかひこねの神
アヂシキ
タカヒコネの神が
到而。 到きまして、 おいでになつて、
弔天若日子
之喪時。
天若日子が
喪もを弔ひたまふ時に、
天若日子の亡なくなつたのを
弔問される時に、
自天降到
天若日子之父。
天より降おり到れる
天若日子が父、
天から降つて來た
天若日子の父や
亦其妻。 またその妻 妻が
皆哭云。 みな哭きて、 皆泣いて、
我子者
不死有祁理。
〈此二字以音
下效此〉
「我が子は
死なずてありけり」
「わたしの子は
死ななかつた」
我君者不死
坐祁理云。
「我が君は死なずて
ましけり」といひて、
「わたしの夫おつとは
死ななかつたのだ」と言つて
取懸手足而。 手足に取り懸かりて、 手足に取りすがつて
哭悲也。 哭き悲みき。 泣き悲しみました。
     
其過所以者。 その過あやまてる所以ゆゑは、 かように間違えた次第は
此二柱神之容姿。 この二柱の神の容姿かたち この御二方の神のお姿が
甚能相似 いと能く似のれり。 非常によく似ていたからです。
故是以過也。 かれここを以ちて過てるなり。 それで間違えたのでした。
     
於是
阿遲志貴
高日子根神。
ここに
阿遲志貴
高日子根の神、
ここに
アヂシキ
タカヒコネの神が
大怒曰。 いたく怒りていはく、 非常に怒つて言われるには、
我者愛友
弔來耳。
「我は愛うるはしき友なれこそ
弔ひ來つらくのみ。
「わたしは親友だから
弔問に來たのだ。
何吾
比穢死人
云而。
何ぞは吾を、
穢き死しに人に比そふる」
といひて、
何だつてわたしを
穢きたない死人に比くらべるのか」
と言つて、
拔所御佩之
十掬劔。
御佩みはかしの
十掬つかの劒を拔きて、
お佩はきになつている
長い劒を拔いて
切伏其喪屋。 その喪屋もやを切り伏せ、 その葬式の家を切り伏せ、
以足蹶離遣。 足もちて蹶くゑ離ち遣りき。 足で蹴飛とばしてしまいました。
     
此者
在美濃國
藍見河之河上。
喪山之者也。
こは
美濃の國の
藍見あゐみ河の河上なる
喪山もやまといふ山なり。
それは
美濃の國の
アヰミ河の河上の
喪山もやまという山になりました。
     
其持所切
大刀名。
謂大量。
その持ちて切れる
大刀の名は
大量おほばかりといふ。
その持つて切きつた
大刀たちの名は
オホバカリといい、
亦名謂
神度劔。
〈度字以音〉
またの名は
神度かむどの劒といふ。
また
カンドの劒ともいいます。
哭女 古事記
上巻 第四部
国譲りの物語
神度剣
(かむどのつるぎ)
タカヒコネの歌

解説

 
 
 ここで、死人と親友の容姿が似ているというのは、音が似ていることの比喩的表現。
 しにんとしんゆう。愛友にずらしたのはその暗示で、愛友で友にあいに来た音とも掛けている。
 

 もう一つの根拠が、大量と神度の対照(おほばかりとあえて読ませ、その延長で読むはずの、かむばかりとはあえて読ませない)。
 並べるとまず違うように読むが、面倒な理由で似たようになる。
 

 前段の葬式での泣女、八日八夜の遊びから、悲しいかな、誰も天若日子の死など悲しんではいない。
 悲しんでないことが悲しいとはこれいかに。実は悲しんでいないから、実はしんでないと勘違いした。
 

 立場上悲しんで見せている、それが泣女。そして他もみな同様だったと(親でも)。
 みなが勘違いしたのではなく一人そうしたから追従した。それがここでの文脈。
 

 これがひるがえって、天若日子の側女のサグメに「佐具売」を当てたことにもつながる。メに売を当てて売女。
 つまり忠誠を誓ったり守ったりするように見える行為も、全て心からではないことの揶揄。
 金のため、生活のため。したいからしているわけではないし、みながしているからそうしている。
 その象徴単語が売女。サラリーマンと似た意味。女が本質ではない。金と弱さが本質。
 金で自分を売ることを一般の人々(弱者)に強要する、金で人を動かし続けようとする非人道的社会、その非道の果てに心をなくした犠牲がここでの本質。
 

 大量(おおばかり)は、大量の大ばかばかり。ばかは基本読み込む。万葉でも竹取でも。
 神度(かむど)とは勘当。というよりしんどけん。ばかを読み込むこととパラレル。
 このように、特殊な読みが指定されていても素直な読み方も考える。一つの暗示法。
 直接書けばいいじゃない、じゃない。いやもうしんどけんって書けないでしょうが。
 そこまでして書かなければいいじゃない。義を見てせざるは勇なきなりという漢(オトコ)の哲学がある。だからオトコに大丈夫の意を当てているのである。