原文 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (武田祐吉) |
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是以海神。 | ここを以ちて海の神、 | そこで海の神が |
悉召集 海之大小魚。 |
悉に鰭の廣物鰭の狹物を 召び集へて問ひて曰はく、 |
海中の魚を 大小となく悉く集めて、 |
問曰。 若有取此鉤魚乎。 |
「もしこの鉤を取れる魚ありや」 と問ひき。 |
「もしこの鉤を取つた魚があるか」 と問いました。 |
故 諸魚白之。 |
かれ 諸の魚ども白さく、 |
ところが その多くの魚どもが申しますには、 |
頃者。 | 「このごろ | 「この頃 |
赤海鯽魚。 | 赤海鯽魚たひぞ、 | 鯛たいが |
於喉鯁。 | 喉のみとに鯁のぎありて、 | 喉のどに骨をたてて |
物不得食愁言故。 | 物え食はずと愁へ言へる。 | 物が食えないと言つております。 |
必是取。 |
かれかならずこれが取りつらむ」 とまをしき。 |
きつとこれが取つたのでしよう」 と申しました。 |
ここで魚を集めているから、海神のいる場所は当然海中である。
これまでの描写も全部海中の描写。表現が反転している。
香木の上と文字通り見るのは誤り。珊瑚の下。
その象徴が「鉤(かぎ・つりばり・かぎばり)」。ひっかけ。
鯛に掛け、痛い×ここに居たい(帰りたくない)。
鉤が鯁(のぎ・魚の骨)になっている。
喉に骨がつかえるとは、言いたいことが言えない、あるいは上手く飲み込めない(状況を理解・納得・対処できない)意味。
まとめると、ホオリは、自分で招いた事態に自分で対処できない(全部海神達のお膳立て)。
それをあべこべに正当化(歪曲)してしまう、それが続く文脈。都合の良く逆転させ解決したことにする。
もちろん、ホオリはこの地の最高権力者の系譜として描かれている。むなしそらつひこ(虛空津日高)。
このような暗示は広く示すより、後日読まれる情況を想定して書いている。
普通には到底受け入れ難い。偽書説もこういう背景。発想が理解できない。
権力の中枢にいたらこんなことは書きようがない。そういう発想の人は中枢にはいない。
ではなぜ勅命を受けているかというと、安万侶=人麻呂だから。それ以外の説明は無理。
国史を編纂しようと勅命を受けた役人が歌物語を記す。だから人麻呂の仕事。
なぜ神話を書けるかというと、人麻呂が神だから。
人麻呂でしたことを無にしないためアレという影分身を作った。