原文 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (武田祐吉) |
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爾鹽椎神。 | ここに鹽椎の神、 | そこでシホツチの神が |
云我爲汝命。 | 「我、汝が命のために、 | 「わたくしが今あなたのために |
作善議。 |
善き議たばかりせむ」 といひて、 |
謀はかりごとを廻めぐらしましよう」 と言つて、 |
即造 无間勝間之 小船。 |
すなはち 間まなし勝間かつまの 小船を造りて、 |
隙間すきまの無い籠の 小船を造つて、 |
載其船以 教曰。 |
その船に載せまつりて、 教へてまをさく、 |
その船にお乘せ申し上げて 教えて言うには、 |
我押流 其船者。 |
「我、この船を 押し流さば、 |
「わたしがその船を 押し流しますから、 |
差暫往。 | やや暫しましいでまさば、 | すこしいらつしやい。 |
將有味御路。 | 御路みちあらむ。 | 道みちがありますから、 |
乃乘其道 往者。 |
すなはちその道に 乘りていでましなば、 |
その道の 通りにおいでになると、 |
如魚鱗所 造之宮室。 |
魚鱗いろこのごと 造れる宮室みや、 |
魚の鱗うろこのように 造つてある宮があります。 |
其綿津見神之宮 者也。 |
それ綿津見 わたつみの神の宮なり。 |
それが 海神の宮です。 |
到 其神御門者。 |
その神の御門に 到りたまはば、 |
その御門ごもんの處に おいでになると、 |
傍之井上 有湯津香木。 |
傍の井の上に 湯津香木ゆつかつらあらむ。 |
傍そばの井の上に りつぱな桂の木がありましよう。 |
故坐其木上者。 | かれその木の上にましまさば、 | その木の上においでになると、 |
其海神之女。 | その海わたの神の女、 | 海神の女が |
見相議者也。 〈訓香木云加都良〉 |
見て議はからむものぞ」 と教へまつりき。 |
見て何とか致しましよう」と、 お教え申し上げました。 |
鹽椎神は、前段で示したように塩土神なので、海底の神。
地上のように描いていても地上ではない。行く先は綿津見神之宮。
わだつみの宮というのに地上(どこかの海岸)にあるのだろうか。
綿津見神が、後にホオリを地上に送り返す時にこう言う。
「然者汝送奉。若渡海中時。無令惶畏」(それならばお前がお送り申し上げよ。海中を渡る時にこわがらせ申すな)
无間(まなし)勝間之小船を、訳者は「すきまの無い籠の船。實際的には竹の類で編んで樹脂を塗つて作つた船であり、思想的には神の乘物である」とする。
しかしそんな実際はないし、そんな思想があるのか根拠か不明。どこの聖典だろうか。竹取の飛車だろうか。というのは冗談。
これは水に潜ることを暗示した表現。神話の象徴表現。それに神の乗り物とくれば、第一に人の体。
白兎の段でも動物のワニが因幡辺りの海にいるわけない。和邇は渡来人の例え。その名字。その上を飛んできた兎神は受肉した精神体(八上姫)。
身ぐるみはがされ、海水にさらされ我慢し続けたのは、スサノオで痛い目みた天照の例え。動物は受肉で下等化したことの例え(cf.猿田彦)。
したがって続く豊玉姫が八尋ワニになるのもこのような意味である。つまり大陸出身(半島経由)とばれた。八尋と和邇はそれぞれそういう意味。
しかし著者は国つ神も野蛮としているのだから、著者はそういう出自に重きはおいていない。行動で見る。