原文 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (武田祐吉) |
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故乞遣 其父 大山津見神之時。 |
かれその父 大山津見の神に 乞ひに遣はしし時に、 |
依つてその父 オホヤマツミの神に お求めになると、 |
大歡喜而。 | いたく歡喜よろこびて、 | 非常に喜んで |
副其姉 石長比賣。 |
その姉 石長いはなが比賣を副へて、 |
姉の 石長姫いわながひめを副えて、 |
令持百取 机代之物 奉出。 |
百取ももとりの 机代つくゑしろの物を 持たしめて奉り出だしき。 |
澤山の 獻上物を持たせて 奉たてまつりました。 |
故爾其姉者。 | かれここにその姉は、 | ところがその姉は |
因甚凶醜。 | いと醜みにくきに因りて、 | 大變醜かつたので |
見畏而返送。 | 見畏かしこみて、返し送りたまひて、 | 恐れて返し送つて、 |
唯留其弟 木花之 佐久夜毘賣以。 |
ただその弟おと 木この花はなの 佐久夜さくや賣毘を留めて、 |
妹の 木の花の 咲くや姫だけを留とめて |
一宿爲婚。 | 一宿ひとよ婚みとあたはしつ。 | 一夜お寢やすみになりました。 |
爾大山津見神。 | ここに大山津見の神、 | しかるにオホヤマツミの神は |
因返 石長比賣而。 |
石長いはなが比賣を 返したまへるに因りて、 |
石長姫を お返し遊ばされたのによつて、 |
大恥。 | いたく恥ぢて、 | 非常に恥じて |
白送言。 | 白し送りて言まをさく、 | 申し送られたことは、 |
我之女 二並立奉由者。 |
「我あが女 二人ふたり竝べたてまつれる由ゆゑは、 |
「わたくしが 二人を竝べて奉つたわけは、 |
使石長比賣者。 | 石長比賣を使はしては、 | 石長姫をお使いになると、 |
天神御子之命。 | 天つ神の御子の命みいのちは、 | 天の神の御子みこの御壽命は |
雖雨零風吹。 | 雪零ふり風吹くとも、 | 雪が降り風が吹いても |
恆如石而。 | 恆に石いはの如く、 | 永久に石のように |
常堅 不動坐。 |
常磐ときはに堅磐かきはに 動きなくましまさむ。 |
堅實に おいでになるであろう。 |
亦使 木花之 佐久夜毘賣者。 |
また 木この花はなの 佐久夜さくや毘賣を使はしては、 |
また 木の花の 咲くや姫をお使いになれば、 |
如木花之榮。 |
木の花の榮ゆるがごと 榮えまさむと、 |
木の花の榮えるように 榮えるであろうと |
榮坐宇氣比弖 〈自宇下 四字以音〉 貢進。 |
誓うけひて 貢進たてまつりき。 |
誓言をたてて 奉りました。 |
此令返 石長比賣而。 |
ここに今 石長いはなが比賣を返さしめて、 |
しかるに今 石長姫を返して |
獨留 木花之佐久夜毘賣故。 |
木この花はなの佐久夜さくや毘賣を ひとり留めたまひつれば、 |
木の花の咲くや姫を 一人お留めなすつたから、 |
天神御子之御壽者。 | 天つ神の御子の御壽みいのちは、 | 天の神の御子の御壽命は、 |
木花之 阿摩比能微 〈此五字以音〉坐。 |
木の花の あまひのみ ましまさむとす」とまをしき。 |
木の花のように もろくおいでなさる ことでしよう」と申しました。 |
故是以至于今。 | かれここを以ちて今に至るまで、 | こういう次第で、 |
天皇命等之御命 不長也。 |
天皇すめらみことたちの御命 長くまさざるなり。 |
今日に至るまで天皇の御壽命が 長くないのです。 |
ここでは天皇が短命がちだった理由を説いているが、極めて危うい。
帝とぼかしてもいない。
美人のサクヤのみとって、醜い姉の石長を返したとは、良いことの反面の困難な責任を引き受けないと。
意志が固くない。すぐ流されるというたとえ話。なので、次の段でサクヤとその子どももすぐ拒絶する。
なぜか勅命を受ける立場にあった職務不詳の下級役人が、この内容を書くというのは、普通の感性ではありえないことはわかるだろう。全てを失う。
だから作者を稗田阿礼にしているし(実態は太安万侶→人麻呂。柿本の)、命を受けたのが元明天皇(持統の妹)でなければ、この話は書かなかった。
日頃から統治の責任・公平性を考え、絶対の信念がないと書きようがない。安万侶は司馬遷・孔子から連なる系譜。その全人格的教養は序文にも出る。
時おり世俗の基盤を超越した知的超人が出現するのではない。彼らしかいない。同じ存在。だから他人に分からないことが分かるし、国史を支えている。
昭和前期辺りならまず無事ではなかっただろう。
今でもこの存在感なのに偽書などというのがある。それは最上段の文脈。つまり都合が悪いと分かると偽物。ないことにしたい。それがここでの文脈。
しかし今までの話はどう見ても描写通りの事実な訳がない。ワニの背中をウサギが飛びようがない。全て象徴的なたとえ話。その元になる事実はある。
サルタの段でそれに面勝と至高の神が言っているのは、上記のような習性に向き合い克服せよという意味。もちろん一般の人に向けての発言ではない。
統治が委ねられたあるいは君主としての天命をもって生まれた人。とでもしないとまた同じ言説が始まる。