原文 |
書き下し (武田祐吉) |
現代語訳 (武田祐吉) |
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故所避追而。 | かれ避追やらはえて、 |
かくてスサノヲの命は 逐い拂われて |
降出雲國之 肥〈上〉河上 在鳥髮地。 |
出雲の國の肥の河上、 名は鳥髮とりかみといふ地ところに 降あもりましき。 |
出雲の國の肥ひの河上、 トリカミという所に お下りになりました。 |
此時 箸從其河流下。 |
この時に、 箸その河ゆ流れ下りき。 |
この時に 箸はしがその河から流れて來ました。 |
於是須佐之男命。 | ここに須佐の男の命、 | |
以爲人有其河上而。 | その河上に人ありとおもほして、 | それで河上に人が住んでいるとお思いになつて |
尋覓上往者。 | 求まぎ上り往でまししかば、 | 尋ねて上のぼつておいでになりますと、 |
老夫與老女二人在而。 | 老夫おきなと老女おみなと二人ありて、 | 老翁と老女と二人があつて |
童女置中而泣。 | 童女をとめを中に置きて泣く。 | 少女を中において泣いております。 |
爾問賜之。 汝等者誰。 |
ここに「汝たちは誰そ」と 問ひたまひき。 |
そこで「あなたは誰だれですか」と お尋ねになつたので、 |
故其老夫。答言。 | かれその老夫、答へて言まをさく | その老翁が、 |
僕者國神。 大山〈上〉津見神之子焉。 |
「僕あは國つ神 大山津見おほやまつみの神の子なり。 |
「わたくしはこの國の神の オホヤマツミの神の子で |
僕名謂足〈上〉名椎。 | 僕が名は足名椎あしなづちといひ | アシナヅチといい、 |
妻名謂手〈上〉名椎。 | 妻めが名は手名椎てなづちといひ、 | 妻の名はテナヅチ、 |
女名謂 櫛名田比賣。 |
女むすめが名は 櫛名田比賣 くしなだひめといふ」とまをしき。 |
娘の名は クシナダ姫といいます」と申しました。 |
亦問 汝哭由者何。 |
また「汝の哭く故は何ぞ」 と問ひたまひしかば、 |
また「あなたの泣くわけはどういう次第ですか」と お尋ねになつたので |
答白言。 | 答へ白さく | |
我之女者 自本在八稚女。 |
「我が女は もとより八稚女をとめありき。 |
「わたくしの女むすめは もとは八人ありました。 |
是高志之 八俣遠呂智。 〈此三字以音〉 |
ここに高志こしの 八俣やまたの大蛇をろち、 |
それをコシの 八俣やまたの大蛇が |
每年來喫。 | 年ごとに來て喫くふ。 | 毎年來て食たべてしまいます。 |
今其可來時故泣。 |
今その來べき時なれば泣く」 とまをしき。 |
今またそれの來る時期ですから泣いています」 と申しました。 |
爾問其形如何。 |
ここに「その形はいかに」 と問ひたまひしかば、 |
「その八俣の大蛇というのは どういう形をしているのですか」 とお尋ねになつたところ、 |
答白。 | ||
彼目如 赤加賀智而。 |
「そが目は 赤かがちの如くにして |
「その目めは 丹波酸漿たんばほおずきのように 眞赤まつかで、 |
身一有 八頭 八尾。 |
身一つに 八つの頭かしら 八つの尾あり。 |
身體一つに 頭が八つ、 尾が八つあります。 |
亦其身生 蘿及 檜榲。 |
またその身に 蘿こけまた 檜榲ひすぎ生ひ、 |
またその身體からだには 蘿こけだの檜ひのき・ 杉の類が生え、 |
其長度 谿八谷 峽八尾而。 |
その長たけ 谷たに八谷 峽を八尾をを度りて、 |
その長さは 谷たに八やつ 峰みね八やつをわたつて、 |
見其腹者。 | その腹を見れば、 | その腹を見れば |
悉常血爛也。 |
悉に常に血ち垂り 爛ただれたり」 とまをしき。 |
いつも血ちが垂れて 爛ただれております」 と申しました。 |
〈此謂赤加賀知者。 今酸醤者也〉 |
(ここに赤かがちと云へるは、 今の酸醤なり[「酸醤なり」はママ]) |
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爾速須佐之男命。 | ここに速須佐の男の命、 | そこでスサノヲの命が |
詔其老夫。 | その老夫に詔りたまはく、 | その老翁に |
是汝之女者。 | 「これ汝いましが女ならば、 | 「これがあなたの女むすめさんならば |
奉於吾哉。 |
吾に奉らむや」 と詔りたまひしかば、 |
わたしにくれませんか」 と仰せになつたところ、 |
答白恐亦 不覺御名。 |
「恐けれど御名を知らず」 と答へまをしき。 |
「恐れ多いことですけれども、 あなたはどなた樣ですか」 と申しましたから、 |
爾答詔。 | ここに答へて詔りたまはく、 | |
吾者 天照大御神之 伊呂勢者也。 〈自伊下三字以音〉 |
「吾は 天照らす大御神の 弟いろせなり。 |
「わたしは 天照らす大神の 弟です。 |
故。今自天降坐也。 |
かれ今天より降りましつ」 とのりたまひき。 |
今天から下つて來た所です」 とお答えになりました。 |
爾。 足名椎。 手名椎神。 |
ここに 足名椎あしなづち 手名椎てなづちの神、 |
それで アシナヅチ・ テナヅチの神が |
白然坐者恐。 | 「然まさば恐かしこし、 | 「そうでしたら恐れ多いことです。 |
立奉。 |
奉らむ」 とまをしき。 |
女むすめをさし上げましよう」 と申しました。 |
昔、尊、出雲国ひの川上にくだり給ひし時、国津神の足なづち手なづちとて、夫神、婦神おはします。
その子に端正のむすめあり、いなだ姫と号す。
親子三人泣きゐたり。
尊、「いかに」と問ひ給へば、答へ申していはく、
「我にむすめ八人ありき。みな大蛇のためにのまれぬ。いま一人残る所の少女、またのまれんとす。
件の大蛇は尾かしらともに八あり。おのおの八の谷に這ひはびこれり。霊樹異木せなかに生ひたり。いく千年を経たりといふ事を知らず。まなこは日月のごとし。
年年に人をのむ。親のまるる者は、子悲しみ、子のまるる者は親悲しみ、村南村北に哭する声絶えず」
とぞ申しける。
尊あはれに思し召し、この少女をゆつつま櫛にとりなし…(続く)