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第91段 惜しめども |
伊勢物語 第四部 第92段 棚なし小舟 |
第93段 高き賤しき |
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むかし、恋しくなってきたが、仕事で女に手紙も出せず詠む。
あしべ漕ぐ 棚なし小舟いくそたび 行きかへるらむ 知る人もなみ
この心はちょっと難しい。
芦屋辺りで 棚なし小舟行き交う 忙しく (これを87段・布引の滝の芦屋の歌と掛け)
小櫛もささず 「なだの塩焼き いとまなみ」
→あしの屋の なだの塩焼きいとまなみ 黄楊の小櫛も ささず来にけり
男も女も忙しくていとまなし。それをなだと掛け、最後はなみだ。
なしが「なみ」になっているのだから、この歌を読み込んでいる。
さらに文章冒頭の「恋ひしさ」を、
7段のいとゞしく 過ぎ行く方の恋しきに うらやましくも かへる浪かな
とかけ、
そこでの「伊勢尾張のあはひ(間)」と、伊勢斎宮に「われてあはむ」といったこと、と解く。
その心は、
「われてあはむ」とは手紙を出さないが、会いたいな。その無念さを知る人もなし。
いや、これは無理でしょ。
というか知られたらマズい、というかハズい。じゃあ何で残したって。血迷った。
男は言わずに…、って書いてさらしちゃだめじゃーん。
女々しいので、むかし男とは言いません。
これは「せうそこをだにいふべくもあらぬ女」が出てきた73段と全く同様。そこでの女も伊勢斎宮。つまりここでの女は伊勢斎宮。
なみは、明らかにおかしいので、歌のかかりを示すために配置している。こういうのは良くないけども。自然でないからね。
浪はいいとして、並の人には無理でしょ。あと、今で言う(汗)みたいなものね。涙。
別にそのままでもいいんだけど、広まった以上、もう本人だけのものじゃないとか書いている人がいたから…。
もうなんなの、この物語の扱い。下衆だの業平の話だの業平を思慕してるだの、徹頭徹尾、滅茶苦茶されて。
良かれと思っても何にもならんし。一文にもならんし。もてあそばれ乗っ取られ、本人はバカにされ続けて。泣きたい。
悪夢でしょ。ビルス呼んでこよう。そうした方が世界綺麗になるでしょ。綺麗なことがない。理想に価値を見出さない。誠実さをもてあそぶ。そうでしょ。
男女 及び 和歌 |
定家本 |
武田本 (定家系) |
朱雀院塗籠本 (群書類従本) |
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第92段 棚なし小舟 | |||
むかし、 | むかし、 | むかし。 | |
恋ひしさに来つゝつかへれど、 | こひしさにきつゝかへれど、 | 戀しさにきつゝかへれど。 | |
♀ | 女にせうそこを | 女にせうそこを | 女にせうそこ |
だにえせでよめる。 | だにえせでよめる。 | もたせて(もせて一本)よめる。 | |
♪ 166 |
葦べ漕ぐ 棚なし小舟いくそたび |
あし辺こぐ たなゝしをぶねいくそたび |
あしゑ[へイ]こく たなゝしを舟幾そたひ |
行きかへるらむ 知る人もなみ |
ゆきかへるらむ しる人もなみ |
漕歸るらん しる人なしに |
|
むかし、恋ひしさに来つゝつかへれど、
女にせうそこをだにえせでよめる。
葦べ漕ぐ 棚なし小舟いくそたび
行きかへるらむ 知る人もなみ
むかし
(主体の明示が一切ないことは注意)
恋ひしさに、来つゝつかへれど
恋しさで ここまで来つつ、仕えているが、
女にせうそこをだにえせでよめる
女に手紙も訪問もできずに、詠んだ。
(ただし送っていない。よむ・やるは区別しているし、せうそこえせではその意味)
せうそこ 【消息】
:手紙。便り。訪問すること。
だに
:…でさえ。せめて…だけでも。
葦べ漕ぐ 棚なし小舟 いくそたび
芦辺漕ぐ 櫛なし小舟 急いで行くそのたび
棚なし小舟
:丸木舟。船棚のない(木を合わせて作っていない)、カヌー状の小さい舟。
ここでは芦屋の海女たちが忙しく小櫛をさす暇もないという、87段(布引の滝)の歌と掛けている。
あしの屋の なだの塩焼きいとまなみ 黄楊の小櫛も ささず来にけり
行きかへるらむ 知る人もなみ(△なしに)
行き帰ること それを知る人もなし、という涙かな
後段末尾の「なみ」は、上記の歌の上句末尾と掛けている。
加えて、冒頭の「恋ひしさ」と合わせて、7段(尾張のあはひ)とも掛かっている。
いとゞしく 過ぎ行く方の恋しきに うらやましくも かへる浪かな
歌の内容としては、女も忙しい。われもいそがしい。
7段「伊勢尾張のあはひ」とかけて、69段で男が伊勢斎宮に「われてあはむ(是非二人で会おう)」と言ったことを思い出す。
しかし「男」とも「われ」とも出していないので、とても会おうとは言えない。
つまり、会いに行く余裕もないし、会いに来てくれなどと言えるわけもない。
と、ぐだついている内容。男と出さないのは、女々しい内容と確実に自覚的。