著者が、死に別れた女(20-24段)のことを思い出し、歌を詠む。
山城の 井出のたま水手にむせび 頼みしかひも なき世なりけり
大和の近くの山城で、筒井に掛けて、井出の玉水手に掬び
(こみ上げる思いで、ついむせび、亡き妻を思う情けなさで)
こんな男だから、親がわりに頼みに(23段)する甲斐もないか。
確か、思うかひなき世、そう言っていたよな。
思ふかひ なき世なりけり年月を あだに契りて
(21段)
しかし返事はない。
~
本段冒頭の「契れることあやまれる人」は、21段の「あだに契りて」に掛かる。
この物語で、この意味での契りはそこしかない。もう一つの契りは次の段。
そして、このように誰も気づいていない符合なのだから、成立・著者が別とかいうのはナンセンス。
そういうのは、伊勢の命を損なう見方。
いや、損なっているから、そのように考えるのであるが。
井出の玉水は、井出町の玉川の水。
これを井戸から出てくる清冽な水に掛けて、女が自ら死んだ「し水」・つまり、きよみずと解く。
その心は、冷たくなったその体、この手でその死をみとった悲しさを思い出す(24段)。
このまま生きていても会えることはない。これが思うかひなき、か。
確か、もう会えると思っていなかった、と言っていたな(あひ思はで)。
井出の玉水は死出の田長(43段・しでのたをさ)とも、なんとなく掛かっている。
死出の田長とは、田植え時分にホトトギスが鳴いて、死出の田植えに駆り出される例え。つまり鳥がリーダー。前段の鶯ともリンク。
春先の話で、季節も流れも丁度良い(前段で梅と花が出てきて、本段の川は桜並木の名所)。
~
なお、「むせび」は泣くを導いて、暗示するが、だからと言って泣きわめく意味ではない。
堪えているから、泣くとも涙ともしていないし、川に掛けて、とめどなく流れる涙を飲み込むから、むせるのである。
誰も触れていないので、一々言うことでもないかもしれないが、こういう流れが滞る言葉には、確実に意味がある。
前段で「ぬるめる」を濡れると安易に丸めるのも典型だが、言葉の細部を簡単に捨てすぎ。
井戸の水を掬って飲もうと約束し、それを頼みにしていたとかいう訳。
そういう約束のどこを頼みにできるのだろうか。
一緒に水を飲むとかいう約束の意味が全く不明。というか、そんな意味ではない。
これは死に水を取る(みとった)に掛けた意味。
頼みで手飲み、ということを強調しても、それはそうとして、そこにそこまでの意味はない。
そもそも掬んだだけ。それと掛かる契りの方が、どう見てもメイン。
何より頼みにできないのなら、手飲みしたとも言えない。
情景の把握が、いつも直接・肉体的。
みやびは繊細な感覚の概念。
橘諸兄とか関係ない。誰?
いや伊勢に関係ないなら、別にいいけど。
なら出す意味なくない?
男女 及び 和歌 |
定家本 |
武田本 (定家系) |
朱雀院塗籠本 (群書類従本) |
---|---|---|---|
第122段 井出の玉水 | |||
♂ | むかし、男、 | むかし、をとこ、 | 昔おとこ。 |
契れることあやまれる人に、 | ちぎれる事あやまれる人に、 | ちぎれることあやまれる人に。 | |
♪ 205 |
山城の 井出のたま水手にむせび |
山しろの ゐでのたま水手に結び |
山城の 井手の玉水てにくみて |
頼みしかひも なき世なりけり |
たのみしかひも なき世なりけり |
たのみしかひも なき世成けり |
|
といひやれど、いらへもせず。 | といひやれどいらへもせず。 | かういへど。いらへず。 | |
むかし、男、
契れることあやまれる人に
むかし男
むかし男が
契れることあやまれる人に
契りをたがえてしまった人に
契(ちぎり)
:ここでは男女が一緒になること。
あやまる 【誤る】
:約束をたがえる。
この物語で契りを出した女は二人。
男の妻と伊勢斎宮。
思ふかひ なき世なりけり年月を あだに契りて 我や住まひし
(21段・男の妻。梓弓)
むかし男、ねむごろにいひ契れる女の、ことざまになりにければ
(112段・伊勢斎宮)
あだ(無駄)に契りとは、男が一緒になったというのに、宮仕えに京に出たこと。
それが23段(筒井筒)・24段(梓弓)の内容。
伊勢斎宮の懇ろにというのは、69段・狩の使の「いと懇にいたはり」を受けている。
「ことざま(異様)」は、世を嘆いて尼になってしまった(102段)ことを受けている。
二人の女は世を嘆いている点でも同じ。
しかし「あだに契」と「ねんごろにいひ契」を素朴に比較すると、本段の「あやまれる」に掛かるのは前者。
続く言葉、本段のしめくくり(返事がないこと)からもそう言える。なぜなら、既にいないから。
段をかなり隔てて斎宮と契りを立てているのは、時を経て不誠実ではないと思ったから(いわば喪に服した)。
斎宮の話は次の段。
24段の直後に出てきた小町とは、結局男女の関係にはならなかった。
友達だった(46段・うるはしき友、53段・あひがたき女)。
山城の 井出のたま水手にむせび
頼みしかひも なき世なりけり
山城の 井出のたま水 手にむせび
山城:京都と奈良が接する辺りの地域。ここでは二人の故郷・大和と掛けている。男は奈良を古里に掛ける(初段)。
井出:井戸から出(いで)る水をかけて井出。これを奈良の筒井に掛ける。23段で二人が言い交わした地。
たま水:玉のように清らかな水という意味だが、玉は、ほぼ常に魂と掛けることは、110段「魂結び」でも示されている。
そして24段で女が果てた「し水」と掛かる。これは清水(きよみず)の暗示だが、自ら死んだことと掛かっている。
井出の玉水全体として、井出の玉川の水に掛けている。清冽というには、やはり流れている方が相応しい。
また、川はあちらとこちらを隔てるもの。
手にむせび:掬び(手を掬び=水を掬・すくい)と、むせび(泣く)を掛ける。
しかし泣くとは書いていないから堪えている。
だから涙を飲んだ(涙を飲む=堪えた)のであり、川の水を手飲みしたのではない。
こういう概念化が基本。
酒の肴(アテ)に橘をといっても(60段)、ミカンの果実ではなく、花橘、橘の花を添えること、と見立てるのと同じ。
直接的に解すると、ナンセンスになる。
ここでも川の水を飲んで嘆く意味が不明。
むすびは、男女の契りが結ばれることに掛かる。「君ならずして…つひにほいのごとくあひにけり」(23段)
頼みしかひも なき世なりけり
頼み:女が男に生活を頼ったこと。
「女、親なく、たよりなくなるままに」(23段)。
男はその生活の糧を得るために、高安やら、宮仕えやらに出て行った(24段)。
女はそれを頼みにした(後日談の94段で「子あるなかなりければ、こまかにこそあらねど、時々ものいひおこせけり」)。
それと掛けて「頼みし」。
後段は思ふかひ なき世なりけり
(21段)と掛けている。
かつての女の言葉。
まとめると、井出の水を手で掬い(涙を飲んで)、こんな男を頼んだ甲斐もなかったか。
と「しに水を取る」に掛けて、心で思った。
死に水をとるには、臨終まで介抱する(ミとる)という含み。
その介抱と掛けて「手に」。
清くは、女が他の男との関係を見られたことを恥じて身を投げたから(24段。ただし直接は見ていない。男を家に入れなかった)。
そういうことは見ることではない、見ようとすることではなかったと暗示する段が、120段・築摩の祭。
泣きと掛け、無き世なりけりか。
といひやれど、いらへもせず。
といひやれど
といってやったが、
いらへもせず
いやしない、と掛けて、返事もしない。
いらへ【答へ】
:返事。
24段の男女のやりとりと、リンクしている。