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第105段 白露 |
伊勢物語 第四部 第106段 龍田川 |
第107段 身を知る雨 |
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目次
・あらすじ(大意)
・原文
・現代語訳(逐語解説)
親王たち(惟喬親王&業平。82段同様の構図)
龍田川のほとり(×たつた ×河)
ちはやぶる(怒りに満ち荒ぶる。道速振荒振by古事記)
神代もきかず(前代未聞)
龍田河(川から河に。その心は)
からくれなゐに(紅の色に掛け)
水くゝるとは(自ら括れ)
※竜田と唐を揚げと掛け、唐衣なしで竜田と解く。
その心は、これがトリの実力。
つまりしぼり染めの歌などではありません。
なにその心はチキンです? いやそれはメリケン。
え、チキン竜田…? ちょっとメリケン使用でしょ。
水にくぐらせる? 何したいの? やり直しじゃない。
モミジは最後に掛けるものでしょ。基本おさえて基本。
基本の反復なくして、応用も発展も理解も料理もない。
・古今294との関係(二条の后×屏風=伊勢の利用=誤認定)
・百人一首17の意義(業平否定の選定)
・アニメちはやふる(投影)
むかし、男、親王たちのせうえうし給ふ所にまうでて、龍田川のほとりにて。
ちはやぶる 神代もきかず龍田河 からくれなゐに 水くゝるとは
原文以上。
むかし男(著者=文屋)が、親王達(惟喬&業平)がブラブラし給う所に参って、龍田川のほとりにて。
ちはやぶる 神代もきかず 龍田河 からくれなゐに 水くゝるとは
オーマイガッ 神代でもよーきかん 川を河紅に染めて 自らくくれ
最悪だ 前代未聞のクレイ○ー ケジメつけろよ 一々いわすな
→「在五」「この人は、思ふをも思はぬをも、けぢめみせぬ心なむありける」(63段)
そして一般にこの「けぢめみせぬ心」が全く受けいれられず、大らかに愛する心だなあ(感心感心♪)などの訳にされるが絶対無理。そんな文脈はない。
言葉の素直な語義・つながり(論理)を無視することが無理。全くけじめがない者を正当化するから、全くけじめがなくなる訳になるという道理。
合理的とは、その語義からして、感覚でも、一時の科学(理科)の結論のことでも、数理や数字いじくりや、多数説(多数決)のことでもない。
理にかなうこと。それが合理。理とは何か? 言葉のきまり。それが理。言葉をその通りに(正しく)、つまり道理(人道)に則り、よく通すことである。
先頭の「ちはやぶる」とは、古事記の「道速振 荒振國神」に由来する言葉(96段の天の逆手も古事記由来)。
怒りにみち、荒ぶる神という意味を暗示する枕詞(一言で古の特有の文脈を継承し表わす言葉)である。
万葉のちはやぶるはブレるが古事記の表記はブレない。
万葉で最多は千磐破。千早振、あとは雑多に千石破、千速振、千羽八振、血速舊、知波夜布留。
柿本人麻呂の表記は「千早振」2首、長歌で「千磐破(ちはや)」1首。千磐破の歌は「天降」「瑞穂の国」などあり、古事記の内容と端的に符合する。
つまり古事記の著者は太安万侶=人麻呂の本名(字形)。だから古事記は歌物語。したがって表記が符合しているし、神と称される理由。
しかし古事記を記したから歌の神・歌聖とされたのではない。そこまでの実力だから、匿名を介しそれと無関係にそう称される。伊勢の著者も同様。
この古来からの解釈、安万侶=人麻呂の「道速振=荒振」を離れて、ちはやぶるの解釈はない。
したがって、この歌は業平の歌でもないし、屏風の歌でもないし、恋の歌でもない。業平に対しこれ以上なく怒っている歌。
文脈上、二条の后は何の関係もない。
それに伊勢物語は二条の后との恋愛話ではない。二条の后に仕えた男の物語(「二条の后に仕うまつる男」。95段)。
縫殿という後宮の女所に仕えた文屋。それが昔男。それが主人公かつ著者。伊勢の歌は全て文屋の歌。
他の歌をもぐりこませる帝系列の本は、伊勢の一貫性をなくし、古今の業平認定を維持するための操作。
女と同じ所とあるから、それは宮中のことで、女は文中に全く出てこない有常娘などとするのは、もはや伊勢の表現などどうでもいいレベル。
こういう認定を積み重ねて既成事実化された、その集大成が業平説。
女所(おんな所)に掛けておなじ所。
女所にいて女に仕えた男という極めて特殊な経歴を持ち、かつそれを裏づける独立した二条の后の歌をもち、歌の伝説的称号を持つのは文屋しかいない。
歌仙とは文屋とその歌を歌った同じ所の小町のための称号。でなければただの卑官がそう称される理由がない。あとは全てそれに乗っかったオマケ達
だから人麻呂と同じ存在。貫之が小町を古の衣通姫のりうとしたのは、その裏返し的表現。衣は文屋を象徴する言葉。それを用いて仮名序でも説明している。
男女 及び 和歌 |
定家本 |
武田本 (定家系) |
朱雀院塗籠本 (群書類従本) |
---|---|---|---|
第106段 龍田川(河) ちはやぶる | |||
♂ | むかし、男、 | むかし、おとこ、 | むかしおとこ。 |
親王たちのせうえうし給ふ所にまうでて、 | みこたちのせうえうし給所にまうでゝ、 | みこたちのせうえうし給ふ所にまうでて。 | |
龍田川のほとりにて。 | たつたがはのほとりにて、 | たつた河のほとりにて。 | |
♪ 182 |
ちはやぶる 神代もきかず龍田河 |
ちはやぶる 神世もきかずたつた河 |
千早振 神代もしらぬたつた川 |
からくれなゐに 水くゝるとは |
からくれなゐに 水くゝるとは |
からくれなゐに 水くゝるとは |
|
むかし、男、
親王たちのせうえうし給ふ所にまうでて、
龍田川のほとりにて。
むかし男
著者。
業平ではない。
親王たちのせうえうし給ふ所にまうでて
親王たちがブラブラしている所に参って
親王たち:惟喬親王と業平の暗示。
「まうでて」は、命じられ参上した卑官の暗示。
同様の構図の82段(渚の院)に出てくる上中下(かみなかしも)の下。
それが昔男で「身はいやし」(84段)の文屋。上が惟喬親王で、中が中将の業平。
この物語で「親王たち」は、81段(塩釜)に出てくる。
親王達が六条辺りの左大臣の屋敷で宴会をし、謎の翁が夜更けに突如地を這って出現して歌を詠む。
この謎の翁が地下で卑官の伊勢の著者。文屋。
むかし男は「身はいやし」ながら「母は宮」(84段。そして元藤原。10段。つまりイケた後家)。
だから歌を詠めるし、後宮に仕え、二条の后の近かった。84段はそういう背景の説明。
せうえう 【逍遥】は、気の向くまま歩き回る行楽。
それはそのまま、81段の流れを汲む82段(渚の院)の内容。
以下引用しよう。
惟喬の親王と申す親王おはしましけり。…その時右馬頭なりける人を、常に率ておはしましけり。
時世へて久しくなりにぬれば、 その人の名忘れにけり
「右馬頭なりける人」は「在原ナリける男」(65段)にかけられた言葉で、時世へて久しくも、その人の名忘れにけりというのも皮肉でしかない。
兄の行平は二度も明示し、それとセットで中将や、はらからとしている。
つまり忘れているわけではなく、口に出すのもはばかられるというボケ。
そういう前後の文脈を一切無視し、時世へて久しくという言葉端を形式的にとらえて、後世の人が書いたというのは誤り。
伊勢の内容は、一貫して古今より数十年昔、かつ主観で書いている。
ここで久しいというのも著者の主観。ここだけは客観とみるなら、それは読解力の問題。
一般にこの点(名を忘れた)について、何か深い意味があるのだろうか、とぼけた感じで評されるが、その理由を示そう。
多少長くなるが、業平が言及された段を、以下に全て列挙する。
63段在五中将
この人は、思ふをも思はぬをも、けぢめみせぬ心なむありける
65段在原なりける男
例の、このみ曹司には、人の見るをも知でのぼりゐければ、この女思ひわびて里へゆく。
されば、何のよきこととて思ひて、いき通ひければ、みな人聞きてわらひけり。つとめて主殿司の見るに、沓はとりて奥になげ入れてのぼりぬ
76段近衛府にさぶらひける翁
いかが思ひけむ、知らずかし
77段右馬頭なりける翁、目はたがひながらよみける。…とよみたるけるを、いま見ればよくもあらざり
78段右馬頭なりける人のをなむ、青き苔をきざみて蒔絵のかたに、この歌をつけて奉りける
79段これは貞数の親王。時の人、中将の子となむいひける。兄の中納言行平のむすめの腹なり
82段右馬頭なりける人…時世へて久しくなりにぬれば、 その人の名忘れにけり
99段女の顔の、下簾よりほのかに見えければ、中将なりける男のよみてやりける
101段あるじ(行平)のはらから(兄弟)なる…とらへてよませける。もとより歌のことは知らざりければすまひけれど、強ひてよませければ
103段むかし、男ありけり。いとまめ(真面目)にじちよう(実直)にて、あだなる(不誠実で浮気な)心なかりけり…
心あやまりやしたりけむ、みこたちの使ひ給ひける人(82「親王…常に率て」)をあひいへり…さる歌のきたなげさよ
これで主人公に業平の面影があるとか、業平を思慕した者が書いたとかいうのは絶対に無理。道理が通らない。文面上の根拠が何一つない。
なぜそう言えるのかというと、古今の認定・結論ありきで思い込み、そちらに無理にひきつけて伊勢の記述を悉くまげながら、伊勢を語るからである。
伊勢が業平を利用しているのではない。業平が伊勢を利用した。
それで全てが綺麗に通る。何の問題もないどころか、実によく通る。あらゆる記録と整合する。
伊勢が業平を非難しはじめるのは63段からで、その前には一つもない(恐らくその頃から目に余るようになった)。
そういう背景でも、段階的に成立したという説が出現したのだと思う。
しかし物語の前半後半は、学者も含めて一般が認知していない特有の文脈で文章を符合させているので、著者複数人とか時を隔て成立したとかはありえない。
その最大の典型が114段。業平死後の仁和帝が出てくる話。確実に業平の話ではないことを確定させ、かつ物語の一体化を意図している。
一般(古今を受けた後撰集)は、これを突如行平の歌と認定するが無理。行平は明示してきたし、そのレベルで著者の不手際と転嫁するのはあまりにひどい。
114段の内容は、帝に狩衣の裾に歌を書きつけよとされたのだが、これは狩衣の裾に歌を書いた伊勢初段を受けたことは当然のこと。
行平の歌を利用したのではない。なぜなら初段の方が先だから。加えて引用する動機が全くない。伊勢は万葉からも一度も直接引用していないのに。
初段との符合が一切見れないから、行平やら、狩衣に刺繍があったとかいうまるでみやびでない事情を勝手に付け足している。古今の認定を維持するために。
京の着物には刺繍がみやびという発想はあるんですか? それはむしろ東のイキった下町ヤンキー的発想ではないですか。悪いとかじゃなくて違いませんか。
伊勢(竹取)の極限濃縮文体は当時の一般ではなく極めて特別ということは、その影響力と、貫之の土佐日記や大和物語などと比較すればあまりに明らか。
古今時代の最高の実力者・貫之の文体がそうなのに、無名の著者をあれだこれだと想定することもナンセンス。貫之以上の実力者でしかありえない。
だから古今及び貫之は伊勢に絶大な影響を受けている。業平からの影響ではない。無名の伊勢の著者からの影響。
それは貫之の古今一行目の歌の配置にも示されているし、源氏での紫の評にも表わされている。以下源氏の『絵合』から引用しよう。
「兵衛の大君の心高さは、げに捨てがたけれど、在五中将の名をば、え朽たさじ」
とのたまはせて、宮、
「みるめこそ うらふりぬらめ 年経にし 伊勢をの海人の名をや沈めむ」
かやうの女言にて、乱りがはしく争ふに、一巻に言の葉を尽くして、えも言ひやらず。
ただ、あさはかなる若人どもは、死にかへりゆかしがれど、主上のも、宮のも片端をだにえ見ず、いといたう秘めさせたまふ。
ここでの宮とは巻冒頭の「前斎宮」。つまり伊勢斎宮の来世。それがここでの宮。一般に中宮(藤壺)とするが、このトリの発言で出す文脈がない。
ここでの趣旨は、在五の名を貶めていいのか? という現代同様の一般的な評に対し、
そちらこそ見る目無し、伊勢の無名の男(著者)の名を貶めていいのか? と(紫が誰かに)言った。そうすると喧騒が起こった。だから秘めさせている。
喧騒が起こったのは、伊勢を片端も見れてないのに伊勢を語っちゃうほど若いから。若いとは精神年齢。竹取で翁を幼き人というのと同じ用法。
伊勢をそう読んだ貫之と紫がここまでになっているのだから、伊勢の表現がおかしいというのは違う。及んでいないだけ。
伊勢を下衆で色好みで業平の話と言っても、少なくとも、それらを退けた貫之と紫以上にならないと、意味はない。
龍田川のほとりにて
ここでは「龍田川」で続く歌の「龍田河」と異なることに注意。
今の龍田川は大和川の上流、筒井筒の筒井の真西にある同じ近鉄の駅。今はなき猛牛魂。
筒井は著者のふるさと。それに掛けて初段の「奈良の京春日の里」と「ふる里にいとはしたなく」。領地の縁など文面のどこにもない。
定家以外の本が「たつた」「竜田」とするのは、古今の表記で、万葉からのものではない。つまりこれらは万葉からの連続を認めていない。
ただの表記の違いではなく変えている。それが写本にもでる(伊勢と古今のどちらを重んじたかという姿勢の違い)。
古来からの緻密な連続、物語全体の緻密な連続を認めたら、業平のものといえなくなるから。だからずらしてぼかして連続を認めず、色好みの話にする。
業平認定を維持するために固有名称すら書き換える。それが塗籠本が業平没後の仁和帝を深草に書き換えた114段。伊勢の時系列を完全に無視。
古今はある意味では万葉時代から脱却したとも見れるだろう。確かに全体としてはある意味そうでも、貫之の認識はそこまで単純ではない。
人麻呂(及び伊勢の歌)を別格視したように、緻密な言葉の掛かりまでないがしろにするものではない。
つまり貫之は、根拠をもって伊勢を人麻呂と同列に見ている。そしてそれは一般の認識・学者の伊勢評とは、かけ離れたもの。
また先代の公の歌集の単純否定ができるほどこの国に気概はない。あるというなら、新たな流れにのっかったか、公に逆らう者を無力化する時。
つまりその圧倒的影響力に乗っかりつつ、公には淫奔の話として、その公を何ともしない精神を無力化した。その典型が114段の改変。
ちはやぶる 神代もきかず龍田河
からくれなゐに 水くゝるとは
ちはやぶる
これは怒りにみち荒ぶる神をあらわす枕詞(省略形。暗語)。
一つの単語で、その言葉が用いられてきた古の文脈を全て読み込む。
英語では、Vibrated God. Bible Godにかけて。
無冠詞の神、何の説明のない神は唯一。それはこの国でも同じ。最高は八百万でも天照でもない。元を辿れば最初に天中主神がいる。
「道速振 荒振國神」。
これが古事記上巻の表記(至高の神・高ムスビの発言。つまり顕現したGODの発言)。
ちはやぶる(道速振)があらぶる(荒振)に明確に掛けられている。振という字に意味はない。音を当てている。スサノオ同様。
この荒ぶるの怒りの意味を道に掛け、怒りに満ちた神と読む。
スサノオにも「速須佐之男」として速がつくのも以上の用法。本名は「建速須佐之男命」。それが省略されていく。
万葉のちはやぶるはブレるが古事記の表記はブレない。
万葉で最多は千磐破。千早振、あとは雑多に千石破、千速振、千羽八振、血速舊、知波夜布留。
柿本人麻呂の表記は「千早振」2首、長歌で「千磐破(ちはや)」1首。千磐破の歌は「天降」「瑞穂の国」などとあり、古事記の内容と端的に符合する。
古事記の著者は太安万侶。これが柿本人麻呂の本名(万侶の分解形が人麻呂)。したがって表記が符合しているし、神と称される。
だから古事記は歌物語。でなければ、どこの役人が国の歴史の編纂を帝に命ぜられ、そこに歌を詠み込むか。自分がその立場で想像されたい。
そんなことはありえない。ありえないのだが書かれている以上、それは歌人としての立場で命ぜられたからである。しかし公文書なので実名。
したがって、「道速振=荒振」が人麻呂の「ちはやぶる」の解釈であり、古事記に示された確かな歌の神の解釈。
稗田阿礼は古事記用のペンネーム。なぜ人麻呂にしなかったかというと、身バレ防止と、権威を根底から覆す文脈を含ませたから。
こうした古来の文脈から離れ、ここでの「ちはやぶる」の歌に恋の文脈を読み込むことは無理。
まして伊勢のこの近辺の文脈も、古事記の流れを強く受けている(96段「天の逆手」も古事記の単語)。
そういう前後の流れを完全に無視して伊勢を語るのが、源氏でいう「一巻に言の葉を尽くして(他の部分は)えも言ひやらず」。
神代もきかず
前代未聞だ
神代もきかずは前代未聞に掛けた漢文調の意味。神代で前代。
聞いたことがない。普通の用法でこれに続くのは最悪。アキれた、という意味。
貫之の古今仮名序にも「ちはやぶるかみよ」が出てくるが、明らかにこの歌を引用したもの。
ちはやぶる×神代のセットは万葉にはない上に、この歌の影響力は百人一首17で周知の通り。
貫之が先なのではない。
仮にこの歌が仮名序を取り込んだというなら、あまりに文脈が支離滅裂だが、逆は自然(伊勢へのリスペクト。仮名序は古を立てるため存在している)。
古今が伊勢の絶大な影響を受けていることは、真っ当な歌の素養ある人には明らか。一例がこれ。
実力あるから古典になっている。そして伊勢の影響力は貫之より上。それは貫之自身が認めている。
それなのにその関係を逆転させて見ることこそ本末転倒。
だから実態解明ではなく、従来の通らない認定を無理に通そうとして先が見えない論を立て続ける。それは建設的だろうか?
土台が方向からおかしいから、ジェンガのようになっていく。その心は、積み上げるほど危うくなる。
龍田河
ここで冒頭の龍田川と異なり龍田河になっている。
これは水量が増えているという歌の表現。
龍田河という名称ではない。竜田川は中程度の川で、河とするのは難しい。
そして龍田川は万葉に一度もない(龍田山は何首もある)。
古今には竜田川が何首もある(「竜」や「たつた」は、伊勢の明示的な引用を避けている)。
したがって龍田山に掛けて、龍田川という先例を作ったのは伊勢としか解釈しえない。
伊勢が「龍田」としているのも、万葉を参照したことの表われ。
万葉を微妙にずらし独自の文脈にするところこそ、伊勢の著者の真骨頂。
逆にいえば、定家以外は古今の「たつた」とし表記を重視していない。冒頭も勝手に「河」にしている。
また冒頭の説明から、龍田川が歌の題にされたと読める。
82段「親王ののたまひける、交野を狩りて天の河のほとりにいたる題にて、歌よみて杯はさせ」
82段同様、またありえないことが起こったので、その時に著者が怒って詠んだ内容がこれ。
ドブ川で浅瀬とされるのに遊泳場で川開きがある。
しかし汚いので顔をつけてはいけないという。「工業排水および大腸菌が多く含まれている」。
いわば琥珀川と同じ状況。
それが河になる説明が以下の言葉。
からくれなゐに
唐紅に(の色に掛けて)
真っ赤な色。
もみじの色ではない。それで川は河にならない(水は増えない)からである。
川でしぼり染めをしている色ではない。
そう解する根拠が歌のどこにもないし、なにより先頭の「ちはやぶる」からの流れを完全に無視しているし、竜田は衣がないことを意味するからである。
綺麗な景色を表わすために「ちはやぶる」という言葉はない。そういう人は「ちはやぶる」をどう解釈するのだろうか。もちろん古来の文脈に即して。
またしぼり染め流す色で、川が真っ赤になったりするのだろうか。そういう大袈裟な表現はみやびとは真逆。つねに謙抑的にするのがみやびの基本。
また現代の竜田川は排水流れ、大腸菌豊かなドブ川である。
この川を当時清流(だった)と見る根拠がない。現状その要素が全くない以上、むしろ違う。
古今以来、歌で読まれたのは、龍田山とセットで龍田川を用いた、伊勢の著者の影響が絶大だったから(唐衣の影響力とパラレル)。
その影響がどれほど絶大だったかを示すのが、源氏物語の「唐衣 また唐衣唐衣 かへすがへすも唐衣なる」(行幸)。
紅の色は何色か。
ヒント:血速
こういうことが根拠。しかもちゃんと万葉にある言葉。
水くゝるとは
みず(から)くくるとは
どういう意味か?
「からくれない」と、おかしな「から」があったので、それを念頭にし、ここでも読み込む。
これが伊勢の著者特有の技法。
この「水くくる」には、
水をくぐるという説と、
絞りのくくり(?)という説があるらしい。
(アニメちはやふる第六首。しかしそういう解釈ではない。恋の歌じゃなくてかなちゃんごめん。
業平に怒った歌。ちはやぶるはそういう意味の言葉。だから千早も貴族の坊に回しゲリしてた)
まず、もみじは水に浮かぶもの。くぐらない。くぐらせる意味がない。
また、着物や絞りを出す文脈がない。
先頭が「ちはやぶる」、その意味を読み込まなければならない。
水とは自らにかかる定石の古語。
みずからくくれや。ケジメつけろよ。一々言わせんなよ。見ずに流すほどあまくねーんだよ。
63段でいう「けぢめ見せぬ心」の「在五」に。
言っても聞けないから、腹を括れには掛からない。和歌の象徴で括るに掛かる言葉は一つ。
そういう歌でした。
神はそんな簡単に出てこない。
この段の歌を業平の歌とする古今294は、確実に誤認定。
それはこの「ちはやぶる」の言葉の解釈だけではなく、伊勢及び貫之や紫の源氏の記述を総合し、全てからそう言える。
ましてその詞書は直前の293の素性と完全同一。伊勢の歌でそんな安易なものは他にはない。
293 二条の后の春宮のみやす所と申しける時に、御屏風にたつた河にもみちなかれたるかたをかけりけるを題にてよめる
そせい
もみちはの なかれてとまる みなとには 紅深き 浪や立つらむ
294 二条の后の春宮のみやす所と申しける時に、御屏風にたつた河にもみちなかれたるかたをかけりけるを題にてよめる
なりひらの朝臣
ちはやふる 神世もきかす 竜田河 唐紅に 水くくるとは
この不自然な詞書は、貫之による配慮と同時に、業平が機に乗じて素性と絡んで、この歌を自らのものとして利用したことの表われ。
よく見ると、二条の后が所望した歌ではないことに注意。
歌と無関係に二条の后を出しているに過ぎない。つまり伊勢を利用しているという意味。
二条の后が詠ませた文脈ではないことは、他の詞書との対比から明らかになる。
二条の后の詞書は、以上の二者の他には文屋しか持っていない。
「二条の后春宮のみやすん所と申しける時に、めとにけつり花させりけるをよませたまひける」(古今445・文屋)
「二条のきさきのまた東宮のみやすんところと申しける時に、おほはらのにまうてたまひける日よめる」(古今874)
後者は業平と認定される歌だが伊勢76段の歌であり、かつその段は大原野に参った内容ではない。
それが一般の理解だが、伊勢に来た二条の后を藤原の氏神を出し業平がクサした歌。
直前の75段で昔男が伊勢に率て行くとし直後大原野に行く意味がない。つまり伊勢の誤読。
このことからも伊勢の主人公の昔男、「二条の后に仕うまつる男」(95段)は文屋。
伊勢は昔男と二条の后との恋愛話ではない。文屋の人生体験記。
それを業平とみる時点で根本的に理解がおかしくなるし、色好みとみるからさらにおかしくなる。
そういう全然読めていない一般の業平認定に対し、貫之が詞書で対抗している。
貫之はあらゆる側面から、伊勢の歌が業平の歌ということを否定し、文屋が伊勢の著者で、完全独自独立・オリジナルの存在ということを支持している。
それが古今春上先頭行の二条の后・文屋・貫之と、文屋・小町・敏行(秋下・恋二・物名)のみ巻先頭連続、業平は恋三で敏行により連続を崩す配置。
敏行は業平の義弟。年齢でも地位でも歌の知名度でも、この逆転は業平の断固否定でしかないし、この分野選定は偶然ではありえない。論証完了。
詞書先頭の「二条の后~申しける時」は顕著な伊勢の定型句。
「二条の后の、まだ帝にも仕うまつりたまはで、たゞ人にておはしましける時のことなり」(3段)
伊勢の方が常により婉曲になっていることに注意。つまり藤原高子とせず「二条の后」という説明になっていない、これ自体が伊勢由来の名称である。
それを暗示するために、崇子(たかこ)と多賀幾子(たかいこ)という二人の皇女と女御のみ実名で出している(39段・77段)。
さらに「たつた河」も伊勢による歌用語。実際の川は河ではない。つまりこの歌ありきの詞書。
伊勢がこれらの古今の断片用語をつなぎ合わせて作ったと見るのは、あらゆる面で無理。業平を否定する伊勢の記述、一貫して古今以前の記述年代。
業平が伊勢の歌を自分のものとして利用した。だから、ちはやぶるの著者の怒りがあると見るのが自然。
古今春上先頭行からしても、素性がここにからんで調子にのっていた可能性が高い。
本歌は百人一首17にも収録されている。そちらから知るのが普通だろう。
そして一般の解説を見ると、古今の出典とあり、そこに屏風とあるから、古今が元で屏風の歌なんだとなる。伊勢まで普通は知らない。
しかしこの歌の出典は古今ではない。伊勢。伊勢の歌が古今に収録された。
定家は、その両者の関係を総合して、17の歌を認定している。
つまり、業平を外すことは事実上不可能であること、古今の屏風の詞書が、唯一伊勢から微妙に離れたものであるから、採用した。
業平の歌だから採用したのではない。
伊勢の話をなくして業平はありえない。それはいいだろう。
約30ある業平認定された歌で唯一伊勢から離れていること、それ自体で業平を拒絶する歌であること、業平の情況をよく象徴した歌であるから採用した。
つまり定家は、伊勢を業平の話と歌とは見ていない。
全文を読んでいれば、そう見れるはずがない。いや、初めて在五が出てくる63段だけでもそれは明らか。
というより「在五」という表現自体からも明らか。文脈でも明確に三男坊に掛けた坊の暗示でしかない。
坊の含みに少しでも理解があるなら、まして京での坊(小僧)の含みを知っているなら、初段でまず古の心を出した物語の主人公などと読めようがない。
本段の歌も同様。
しかしなぜそう一般に読まれているかというと、誰も伊勢の実質をよく知らないからである。ただの噂が古今の認定として結実した。
二条の后の話が書かれた伊勢があった、男の夜這いの噂があった。それで伊勢をそう見て、悉く業平の話と認定した。細部は知らない。だから矛盾する。
夜這いの噂とは、伊勢6段で記述されており、二条の后が夜お見舞いにお忍びで外出した時に、男との夜這いだ駆け落ちだという風評が起こったとある。
それを否定するために伊勢の冒頭で説明していたが、一般に文章をよく読めない時代だったようで、意味内容は全く認識されなかった。
だから物語後半に至り何度も否定している。段階的に成立したのではない。都度リリースしていた。匿名の卑しい宮仕えにそこまで書き溜める余裕はない。
古今の詞書の「二条の后」は、伊勢物語を象徴する極めて特別な言葉。ある意味枕詞。
それが出されながら他の者と完全同一の詞書の歌という時点で、その特殊性を意識しないことは、ありえない。
業平と認定された古今の約30首は、全て伊勢からの抜粋。
業平から伊勢をとれば何一つ残らない。そんなことが実力者にありえるか。どこかにある業平原歌集などと想定されること自体、何も証拠がないことの証拠。
しかも業平はもとより歌は詠めない、そう伊勢に記されている(101段)。
そういう理由で、業平認定には問題がある(みなしているだけ)ということも周知の通り。
「みなし」とは実態がどうであろうとそう扱うこと。というよりむしろ実態と即していないから用いられる言葉。問題ないなら、あえてみなすと言わない。
つまり唯一伊勢から微妙に離れた歌を選んだ定家は、伊勢と業平を明確に区別している。
古今を知らない定家ではない。おそらく現代の学者の誰より知っているだろう。
しかも怒った言葉を含む歌を選んでいる。業平はそのようなことで有名なのではない。
それが一般がこの歌を恋歌と見ようとすることに、よく表わされている。
しかし定家はそう見ていない。定家は伊勢の最も信頼される写本の源流をなす人物であり、その彼は現代の誰より伊勢の文脈を知っているだろう。
著者たる昔男が、在五を痛烈に非難し続けたことも当然知っているし、行平のはらからは元より歌を詠めないと評された101段も当然知っている。
そう評した人物である伊勢の著者が、古今と貫之と、源氏と紫に絶大な影響を及ぼしたことも知っている。
だから源氏の写本の源流も定家。
主人公・ちはや。ワタヤとフンヤに掛かっている。
だから「ちはや」の札ではなく「私の一枚目」が「ふくからに」。ちはやにとって特別な札ということは何度も表現される。
かつ、ちはやは本当は文屋の歌というのは上述。だから色男には目もくれないで、ちはやは振るのである。
というより業平が色男とされたのは伊勢のためで(源氏物語は伊勢の昔男を受けた作品)、それは業平の実像ではない。伊勢は文屋の歌物語なので。
源氏のライバル頭中将(在五中将)、源氏は低い身分から生まれて、その出自が争われる。そして匿名。
新も小学校時代から二人も女子を家に上げて、かるた部でも新に惹かれて女子が入部しているが、それは新が色男という理由ではないのと同様。
世間体で卑怯なことをし、ちはやを手にいれようとした貴族男が太一で、都に上ってきた身なりは貧しいが、なぜか歌が別格の存在が福井の綿谷新。
この構図がそのまま伊勢物語の現状、そして伊勢のこの歌の扱いに投影されている。
ワタヤ≒フンヤ。新≒神。
だからちはやに「神様みたい」とされている。新が神様じゃないといっているが、代わり身だからである。内実・言動はそのもの。
新が別格なのは天才の系譜だからというより、歌を極めること自体が人生の目的だから。
世俗の出世などに全く興味はない。それがその系譜の精神。
そしてなぜかアラタには文才もある。その反省文は純文学で出版した方がいいと涙を流し評される。
アラタの実家の隣にいる幼な妻的なユウは筒井筒・梓弓の子(24段)。中の人は最初巫女神。源氏でいう葵で、龍田姫。だから妻同然の行動をとっている。
ミレニアム(千歳=千才)とかかる美人のモデルの妹の千早は、小町のりう。大体1150歳。だから千歳はやたらフケている。中身が。
千歳はオーディションに必死で、今でこそ生活に必死で、ずっと変な端役をさせられているが、中の人はかつて銀河の歌姫。そちらもやたらフケている。
千早が千歳の夢を自分の千年来の夢と同一視したのは、分身(分霊)ということ。歌への態度が全く違うが、それが分霊の意義。歌の理解に特化させた。
千早が歌の内容が全くわからないのに反応するのは、小町は歌を作っていないという意味。文屋の歌を歌っていた。それで小町は六歌仙。
だから綿谷君の一番弟子と自称。それで大人の世界に入った「私の一枚目」かつその一枚だけが「ふくからに」。「ふくからに」は要所で出る。
そして貴族みたいな人は千早に振られました。そこまで話は進んでいる。
梓弓の展開からすれば、ユウも都に来るのだろうか…。
隣に住んで、家にも上がっているのに、それ以上近づけない可愛い子。
彼女のカツ丼とカツカレー、カツオぶし入りカツオサンドでお腹を壊した、その心は重すぎる。それを陰で夜に我慢して待っているのが筒井筒と同じ構図。
新がいる場所も時間も把握しているし、携帯もある時代で、夜家の前で待っていること自体相当のもの。普通に流されるシーンだが、普通では全くない。
それでもユウを普通に扱っているのは、物語ではなく夫婦同然だから。アラタとユウは梓弓の子の意識が投影された存在。それほど彼女の思いは強い。
ちなみに筒井筒では、ご飯をモリモリ盛って男がげんなりして離れた描写がある。
最近新はチームを作ることが新しい目標らしい。それでメンバー募集。でもどうするんだろう?
なぜチームをつくるか。名人が一番のはずなのに? それは名人になるのは当然だからである。
物語冒頭、小学の世界で無双したのは、当時の情況の象徴ともいえる。小学校でかるたの大会をする時点で普通ではない。
しかしレベルが違い過ぎて、凡人(普通の歌人)にはその一つ一つの意味が全くとれない。しかし片鱗くらいはわかる。
身分が低いのが、重用され目立つとどうなるか。
源氏の冒頭、及びちはやふる冒頭。つまりいらぬ面倒を起こします(女性視点ではいじめ)。
だからそういうことにならないよう基本匿名。紫もペンネーム。
古今には無名の歌が山のようにある。上流貴族は無名にする必然性も動機も何もない。
千早が水の中にいて苦しい、アラタの世界が水の中として描かれるのは、「水くくる」と掛けているだろう。
ワタヤでwater。
万葉の「千磐破(ちはや)」それ自体がちはやぶるで、これは荒ぶるの意味なので(道速振=荒振)、回し蹴りを貴族の坊にかましている。
ちはやぶるを高速回転で芯がぶれない様子と説明しても、それと矛盾せず発動する(後ろ回し蹴り)。それが神にかかる言霊(神がかり)。
マジメなワタヤに惹かれ、太一と付き合うのを拒絶し、駅で声をかけてきた謎のチャラ男・ワタナ○と付き合ってみようかと一瞬でも思う時点でおかしい。
しかしどこかが似ていると中身関係なく気になる。好きな人と全く同じ、似た名前の人がいると気になってしまう。そういう表現。
つまり千早(小町)にとっては、歌の実力より名前が似ていることの方が大事なのであった。そしてそれが神の系譜で神代の理解。
神を求めている。その実力の理解とリスペクトが何もないこの世で、神を理解したい。近づきたい。だから手紙を沢山書いていた。
そして新(神)は、そういう幼稚なスッタモンダをもう見たくない思いもあったが、あえて遠くまで渡しに来た、その思いを受け取った。