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第104段 賀茂の祭見 |
伊勢物語 第四部 第105段 白露 |
第106段 龍田川 |
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前段の続き。
尼になって山に籠っていた伊勢斎宮が、賀茂祭で出てきたので、男が会いに行った時の話。
~
むかし男が、こうなったら俺も死ぬかと言えば、女が
白露は 消なば消ななむ 消えずとて
玉にぬくべき 人もあらじを
白露も 消えずと言っても 消えるもの
(しかし) 玉を抜くなら 人ではないでしょ
といったので、こいつナメとるなと思ったが、その心意気や殊勝なり。
~
白露の意味は注意。6段。
白玉か なにぞと人の問ひし時 露とこたへて 消えなましものを
伊勢の著者が、人々がわかっていないとしているのだから、安易に知ったかするのは良くない。
玉に貫き通して大事にしそうな人もいないでしょう
という感じの訳
→完全に意味不明。文面自体意味不明。
玉とは魂。たましいを白い玉とかけ、自ら消えると解き白露。玉が抜けるというのは死人のこと。
加えて男の玉とかけ、女に玉はないけど、あんたが玉を抜くなら玉なしで人でなしでしょと言っている。
それで、最後その心意気や良しと言っている。
といへりければ、いとなめしと思ひけれど、 こころざしはいやまさりけり
だから、とても気心が知れた間柄の話。
(60、69段。二人で盃を交わしている)
白露を男に例えている? どやって例えるの。男はぴちょんくんかドリッピーですか?
玉を貫く? 意味不明。
「ひどく無礼だと思ったが、恋心はますますつのった」という訳。ドM?
志いや勝りという堅い文面なのに、恋心が募る? 「在原なりける男」のようなストーカー気質満載(65段)。
前段の一般の訳では、そんな感じで言い寄った輩を拒絶して、斉宮を勝手に帰らせたんだろ。直後にまた同じような話?
白露に緒を通す人なんていない? だからあなたを相手にする人なんていない?
「緒」はどっから出たの。そう補ったところで全く意味不明。
生きていたって甲斐がないお方? いやね、もう何か、色々おかしくない?
付き合ってくれないと死ぬ、じゃあ死ねよで、恋心が募る? こわすぎでしょ。
どうして、そうなるの。
付き合ってなどと、一言も書いていない。死ねばでもない。バカにしているのでもない。
みなさん普段から、一体どういう発想してるの(涙)
どうしてみんな、伊勢をここまで軽んじれるの? どうしてここまでの存在感のある物語が、二番煎じだって思いこめるの?
伊勢を汚すにもほどがある。
前段とのつながりも一切見ず、伊勢以外のどこかの後発の歌を並べ立て、なぜこの物語を語ろうとするのか。
この国は一体どうなっているんだ。
詠み人しらず? 伊勢の著者の歌に決まってる。伊勢の歌は全て伊勢の著者の歌に決まってるだろ?
伊勢が古今を引用したわけない。なぜ引用しなきゃならんの。万葉すらそのまま引用していないのに、なぜ古今時代の歌を悉く引用するの。
古今の圧倒的最長の詞書が無名の田舎女の筒井筒の歌ってどういうこと? あーそれも伊勢がどこかの何かを参照した? そうですかあ。
なお、次段の「水くくるとは」は、この白露の文脈(死)とかかっている(自らくくれ)。
男女 及び 和歌 |
定家本 |
武田本 (定家系) |
朱雀院塗籠本 (群書類従本) |
---|---|---|---|
第105段 白露 | |||
♂ | むかし、男、 | 昔、男、 | 昔男。 |
かくては死ぬべし | かくてはしぬべし、 | かくてはしぬべし | |
といひやりければ、 | といひやりたりければ、 | といひやりたりければ。 | |
女、 | 女 | 女。 | |
♪ 181 |
白露は けなばけななむ消えずとて |
白露は けなばけなゝむきえずとて |
白露は けなは消なんきえすとも |
玉にぬくべき 人もあらじを |
たまにぬくべき 人もあらじを |
玉にぬくへき 人もあらしを |
|
といへりければ、 | といへりければ、 | といへりければ。 | |
いとなめしと思ひけれど、 | いとなめしと思ひけれど、 | ねたしと思ひけれど。 | |
こころざしはいやまさりけり。 | 心ざしはいやまさりけり。 | こゝろざしはいやまさりけり。 | |
むかし、男、
かくては死ぬべし、といひやりければ、
むかし男
むかし男が
前段から引き続く内容。
尼になった斎宮が賀茂の祭で出てきたので、男が会いに行った。
かくては死ぬべし
こうなったらオレも死ぬ
尼になったことは、女として死を意味するので。
といひやりければ
と言ってやれば、
女、
白露は けなばけななむ消えずとて
玉にぬくべき 人もあらじを
といへりければ、
女
ここではまだ女を捨ててはいない、と著者は思ったようだ。
白露は けなばけななむ 消えずとて
白露も 消えるなら消える 消えずといっても(いつかは消える)
玉にぬくべき 人もあらじを
玉を抜くべき 人もいないでしょう
といへりければ
と言ったので、
この歌は、言葉を象徴的に解釈しなければならない。
露の意味は慎重に見るように6段で示唆している。
白玉か なにぞと人の問ひし時 露とこたへて 消えなましものを
このように当時から、しかも伊勢の著者が直々に、人々が例えを理解できないとしているのだから、当然のように知ったかしないように。
玉に貫き通して大事にしそうな人もいないでしょう→意味不明。文面自体も意味不明。
ここで玉とは魂。たましいをしろい玉とかけ、いつかは消えると解き、白露。
「玉にぬくべき 人もあらじ」とは、タマが抜ければ人ではない、死人ということだが、
これをさらに男の玉とかける。
女の私に元々玉はないけど、あんたは玉あり、自分でタマを抜くのは人でなしでしょう。と言っている。
うおーすげー女。オレが見込んだだけある。ならなぜアマになったし!!
いとなめしと思ひけれど、
こころざしはいやまさりけり。
いとなめし(△ねたし)と思ひけれど
すげーナメてんなコイツ、と思ったが、
塗籠:妬し、じゃねーよ。キモい男だな。
こころざしはいやまさりけり
その心意気は、何とも殊勝だな。