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第53段 あひがたき女 |
伊勢物語 第二部 第54段 つれなかりける女 |
第55段 思ひかけたる女 |
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むかし、男、つれなかりける女に言ひやりける。
(昔男が、思うにまかせずに言った)
行きやらぬ 夢路を頼む たもとには 天つ空なる 露やおくらむ
(居なくても 夢で会わんと 頼むれば 袂に雨の しずくかな)
この段の「女」は、前段からの流れで小町。
「つれなかり」は、冷淡という意味ではない。前段及び、それ以前の流れ(42段・誰が通い路、37段・下紐、25段・逢はで寝る夜)を汲んでいる。
歌は「天つ空」で万葉に唯一ある歌と四の句でかけている(後述)。その心は、夢うつつとかけた虚しい心(容易に愛しアエない)。
「露」とは、当然涙のしずくのことだが、「たもと」とかけて、別れる定め「なのか」、ということを暗示している。泣く泣く別れる。
男女 及び 和歌 |
定家本 |
武田本 (定家系) |
朱雀院塗籠本 (群書類従本) |
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第54段 つれなかりける女 | |||
♂ | むかし、男、 | むかし、おとこ、 | むかしおとこ。 |
つれなかりける女に言ひやりける。 | つれなかりける女にいひやりける。 | つれなかりける女に。いひやりけり。 | |
♪ 100 |
行きやらぬ 夢路を頼むたもとには |
ゆきやらぬ ゆめ地をたどるたもとには |
行やらぬ 夢路をたとる袂には |
天つ空なる 露やおくらむ |
あまつそらなる つゆやをくらむ |
あまつそらなき 露やをくらん |
|
むかし、男、
つれなかりける女に言ひやりける。
行きやらぬ 夢路を頼む たもとには
天つ空なる 露やおくらむ
行きやらぬ 夢路を頼む たもとには 天つ空なる 露やおくらむ
立ちて居て たどきも知らず 我が心 天つ空なり 地は踏めども
(万葉集11/2541)
この歌は、万葉唯一の「天つ空」との符合で読む。
夢路と露とかけ、空なるととく、その心は、夢現ならぬ、うつろな(虚ろな)心なり。
むかし男
むかし、男が
つれなかりける女に言ひやりける
思うにまかせなかった女に言った。
「つれなかり(つれなし)」とは、34段(つれなかりける人)で出てきた、33段(こもり江)を受けて釣りにかかった言葉。
つまり、舟で棹さすとかけ、竿で「釣れない」→思いどおりにならない相手とかけていた(そこでは変てこ=露骨な内容を言ってきた地方の女)
ここでは、「互いに」良くしようとしたが、いかんともしがたかった。という意味。それが34段と同じ文脈。
だから前段で二人で朝まで起きている。
したがって、一般の用法での「冷淡な」という意味ではない。そうみる文脈が存在しない。
意中の相手が思いどおりにならないことから派生したのが、冷淡・そっけないという感想。ここではそのような前提事情がない。
この物語の流れでいえば、こういう言葉が冒頭に冠されると、同一人物というセオリー(定石)だが、ここではそれだと通らない。
よって前段同様、小町と解する。文脈も問題なく通る。つまり主体ではなく文脈を流用した。
そしてこの流れは、この先57段まで続く。
34段では「つれなかりける人」、この54段では「つれなかりける女」。
この物語は「人」と男女を区別しているので、違う人物とする確かな根拠になるし、前段「あひがたき女」との語感とも符合する。
行きやらぬ
行ってしまったか。
行き+やり(方向・完了)+ぬ(完了・強調・詠嘆)
(直前の「言いやりける」とかけ)
夢路を頼む
夢路で見ん(見よう)と
(夢で会いたい。→46段(うるわしき友=小町)「目離るとも…面影にたつ」)
頼む:
あてにする。同様の意味で、50段(あだ比べ)で出てきている(あな頼みがた 人の心は)。
そこでも相手は、頼みにくい相手(女)。
たもとには
袂には
袂:たもと・そで
たもとは、下手すると寝ヨダレが着く、口に近い肩付近の部分。
そでは、おなじみ袖口。口元に手をやり、うっかりヨダレがつきかねないのは同じ(笑う時や食事時)。
そしてこの言葉は、分かつ(離別)を導く。つまり、近すぎると粗相してしまう関係ということ。
天つ空なる
あの天つ空の歌の心のように、
露やおくらむ
涙を落とす
「露」は和歌の重要単語。文脈に即して多義的だが、主に涙。
(6段参照。草のうへにおきたりける露を「かれは何ぞ」となむ男に問ひける。ここではそんなことも知らんの、水滴だっつーの。露知らずという揶揄)
水滴を抽象化させ、天(あま)をあまつぶにかけて、「ああ涙のしずくが落ちる」
らむ:~のようだ。