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第80段 おとろへたる家 |
伊勢物語 第三部 第81段 塩釜 |
第82段 渚の院 |
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むかし、とある左大臣(※河原左大臣)がいた。
鴨川のほとり六条のあたりに家を面白く造って住んでいた。
旧10月末、菊花も盛り過ぎ紅葉が盛りの頃、親王達を集め一晩中酒盛りし、飲み遊び、
夜も明ける頃、この殿(屋敷+主人)の面白さを誉める歌を詠んでいた。
そこに侍っていた乞食のような卑しいじじいが(面白さでは負けないと)、
高い板敷きの床下に這いつくばってきて(殿上に対し地下ということ)、人にみな歌を詠ませ果ててから詠む。
塩釜に いつか来にけむ朝凪に 釣りする舟は こゝによらなむ
とこう詠んだのは、未知の国ならぬみちのく(陸奥)に行った時に、あやしく(≒卑しくも)面白い所が多かったもので。
(これだけじゃわからないですよね、すみません)
わが帝が統べている国は(六条辺りに掛け)六十余りあるのです。そこにここ塩竈に似たところがあるのです。
だからこの翁めがそれに掛け、さらにここも愛で、そういや塩釜にはいつか来たっけとその心を詠んだのです。
~
その心は、いや来てないがな。という爺に掛けたボケです。
そして屋敷の主は陸奥国司でも国府の隣の塩釜知らんがな。六条あたりの隣に塩釜ありますのに。なんてね。
いやこれらは全部冗談ですからね。だから「おもしろ」話。というより超際どい皮肉。だからぼかしている。
塩釜は漁港の町。京の御殿にかけるような所じゃない。屋敷の隣に塩竈があるからそこに掛けただけ。
一般に六条屋敷は塩釜に模したとされるが塩釜のどこですか。そういう見立ては本段の翁のウイットを真にうけただけ。そう解するしかない。
塩釜は風光明媚が売りじゃない。そうじゃなくて、隣にみやびな風景の所があるでしょう。
だから、塩釜と六条院:塩釜と松島(+陸奥国府の多賀城≒115段の都島)をパラレルにした話。
なぜそこに侍っていた翁が歌のトリを務めて、最後に歌を詠み、あまつさえ最後に講義などしているか?
「そこにありけるかたゐ翁、 だいしきの下にはひありきて、 人にみなよませ果ててよめる」
それは卑官で歌が上手く、それが宮中中(つまり時々の帝に)周知されていたから。に他ならない。
つまり卑官の六歌仙。縫殿の文屋。それが著者。後宮にいたから帝にも女達に近い。プライベートの部分で。人麻呂の継承者。
二条の后の話はその一環。歌仙というのは彼のための称号。あとは全部その名声に乗っかってきたおまけ。小町は彼と二人で一人。純粋な歌手。
なお、高官に先に歌を詠ませ、後で著者が歌を詠むのは78段・布引の滝でも同じ。
そこで先に詠ませたのは、近衛大将・藤原常行。
その認定の根拠を与える77段では、部下の業平に常行が歌わせてコメント(良い歌と)したところ、それに著者が批判するという構図をとっている。
なので、当然著者=昔男は業平ではない。次の82段(渚の院)で、業平が詠んだ歌にツッコミの歌を返した無名の人、それが著者。
いつかきにけりとは、東下りの流れで陸奥の国に赴任した時のこと(14段,15段,115段)。
六条院の主は陸奥国司なので当然それに当てている。ただし、遙任という手法で実際には赴任していないことも念頭においている。
「釣りする舟」というのはあっちの塩釜にかけた冗談。六条あたりの鴨川に釣り舟がありますの? しらんけど。
この屋敷に舟で人が来て欲しい、とかではない。少なくともそれは、みやびな歌の発想ではない。
釣り舟でパーディーいきますか。親王達が集う邸宅ですよ? イクゾーですか?
招待されていない客? そんな得体の知れない河原乞食が、大臣かつ皇子の邸宅に入り込めることが、あると思いますか?
だから違います。
最後に本段の描写の仕方からして、伊勢初段(初冠)の歌、百人一首14に源融の歌として収録される「陸奥の」歌は、著者の代作と解する。
出来栄えからも、それ以外ありえない。その証拠作りとして初段を記した。そこで狩衣は当然、9段の唐衣とかかっている。縫殿の暗示。
「陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに」
その意味で、ここでの「誰ゆえに」しのぶとは代作の含みがある。
そしてこれと全く同様の構図が114段と百人一首15(光孝)の歌(君がため)。114段は狩衣の裾に歌を詠むという内容で初段と完全にパラレル。
男女 及び 和歌 |
定家本 |
武田本 (定家系) |
朱雀院塗籠本 (群書類従本) |
---|---|---|---|
第81段 塩釜(竈) | |||
むかし、 | むかし、 | 昔。 | |
♂ |
左の大臣 いまそかりけり。 |
左のおほいまうちぎみ いまそかりけり。 |
左のおほゐまうち君 いまそかりける。 |
賀茂川のほとりに、 | かもがはのほとりに、 | かも河のほとりに。 | |
六条わたりに、 | 六条わたりに、 | 六條を | |
家をいと面白く造りて | 家をいとおもしろくつくりて | いとおもしろくつくりて | |
住み給ひけり。 | すみたまひけり。 | すみ給ひけり。 | |
神無月のつごもりがた、 | 神な月のつごもりかた、 | 神な月のつごもりがたに。 | |
菊の花うつろひさかりなるに、 | きくの花うつろひさかりなるに、 | 菊の花うつろひて。 | |
紅葉の千種に見ゆる折、 | もみぢのちぐさに見ゆるおり、 | 木くさのいろちぐさなるころ。 | |
親王たちおはしまさせて、 | みこたちおはしまさせて、 | みこたちおはしまさせて。 | |
夜ひと夜、酒のみし遊びて、 | 夜ひとよさけのみしあそびて、 | さけのみあそびて。 | |
夜あけもてゆくほどに、 | 夜あけもてゆくほどに、 | 夜あけゆくまゝに。 | |
この殿のおもしろきを | このとのゝおもしろきを | このとののおもしろきよし | |
ほむる歌よむ。 | ほむるうたよむ。 | ほむるうたよむに。 | |
そこにありけるかたゐ翁、 | そこにありけるかたゐをきな、 | そこなりけるかたいおきな。 | |
だいしきの下にはひありきて、 | いたじきのしたにはひありきて、 | みな人によませはてゝ。 | |
人にみなよませ果ててよめる。 | 人にみなよませはてゝよめる。 | いたじきのしたをはひありきてよめる。 | |
♪ 144 |
塩釜に いつか来にけむ朝凪に |
しほがまに いつかきにけむあさなぎに |
鹽竈に いつかきにけん朝なきに |
釣りする舟は こゝによらなむ |
つりする舟は こゝによらなむ |
釣する舟は こゝによらなん |
|
となむよみけるは、 | となむよみける。 | とよめるは。 | |
みちの国にいきたりけるに、 | みちのくにゝいきたりけるに、 | みちのくににいきたりけるに。 | |
あやしくおもしろき所 | あやしくおもしろきところどころ | あやしうおもしろき所々 | |
おほかりける。 | おほかりけり。 | おほかりけり。 | |
わが帝六十余国の中に、 | わがみかど六十よこくの中に、 | わがみかど六十餘國のうちに。 | |
塩釜といふ所に | しほがまといふ所に | しほがまといふ所に | |
似たるところなりけり。 | ゝたるところなかりけり。 | にたる所なかりけり。 | |
さればなむ、 | さればなむ、 | さればなん | |
かの翁、さらにここをめでて、 | かのおきなさらにこゝをめでゝ、 | かのおきなもめでてしかはよめるなり。 | |
塩釜にいつか来にけむ | しほがまにいつかきにけむ | しほがまうきしまのかたをつくりける | |
とよめりける。 | とよめりける。 | となん。 | |
むかし、左の大臣いまそかりけり。
賀茂川のほとりに、六条わたりに、家をいと面白く造りて住み給ひけり。
むかし
左の大臣(おほいまうちぎみ)
ある左大臣が
河原左大臣(源融。822-895)
:陸奥国塩釜の風景を模して(?)六条河原院を造営したという。
この者の「みちのくの」(百人一首14の)歌が、そのまま伊勢の初段に記載されている。
しかしこれは実力的に(本段の描写、この歌と比較し、古今にもう一つ収録された古今873の出来から)、確実に著者の代作(献上歌)。
「みちのくの」のように、流れながら微妙にずらす語調は、よほどの実力がないとできない。というか一人。
いまそかりけり
いらっしゃった。
いまそがり 【在そがり】
:いらっしゃる。いるの尊敬語。
いますがり 【在すがり】の発音をならしたもの。
賀茂川のほとりに
鴨川のほとり
六条わたりに
六条あたりに
家をいと面白く造りて
家をとても面白く造って
「面白く」とは現代の意味通り。
目上に「面白い」とは言わない。安易に「風流」とすればその意味は消える。
こういう記述をもって、著者は皇子とするのも違う。
伊勢(や竹取)を記すほど実力の自覚があったから。
住み給ひけり
お住みになっていた。
しかし基本的礼儀は当然弁えている。
神無月のつごもりがた、菊の花うつろひさかりなるに、紅葉の千種に見ゆる折、
親王たちおはしまさせて、夜ひと夜、酒のみし遊びて、夜あけもてゆくほどに、
この殿のおもしろきをほむる歌よむ。
神無月のつごもりがた
10月の月末あたり
菊の花うつろひさかりなるに
菊の花も枯れ果てる最中に
うつろひ 【移ろひ】
:盛りを過ぎて衰えること。
紅葉(もみぢ、△木くさ)の千種(ちぐさ)に見ゆる折
もみじのこうようも色々に見える頃
ちくさ 【千種】
:いろいろ。さまざま。
親王たちおはしまさせて
親王たちがいらっしゃって
おはします 【御座します】
:いらっしゃる。基本的に皇系に用いる。
敬語は区別している。
つまり著者は親王(皇子)の位ではない。かたゐの翁。
むかし男の身はいやし(84段)。しかし同時に母は宮であったとある。
夜ひと夜酒のみし遊びて
一晩中酒を飲んで遊んで
よひとよ 【夜一夜】
:夜通し。一晩中。
夜あけもてゆくほどに
夜も次第に明けて行くほどに
もてゆく 【もて行く】
:しだいに…してゆく。だんだん…になる。
この殿(との)のおもしろきをほむる歌よむ
この殿(御殿)の面白いことを誉める歌を詠む。
との 【殿】
①御殿(ごてん)。貴人の邸宅。
②殿。邸宅の主人、貴人の尊敬語。
ここでは、どちらも掛けている。
そこにありけるかたゐ翁、
だいしきの下にはひありきて、人にみなよませ果ててよめる。
塩釜に いつか来にけむ朝凪に
釣りする舟は こゝによらなむ
となむよみけるは、
みちの国にいきたりけるに、あやしくおもしろき所おほかりける。
そこにありけるかたゐ翁
そこの傍らにいた乞食の爺が
かたゐ 【乞丐・乞児】
:こじき・愚か者。ののしり語。
この爺は著者。
大臣の宴席に乞食がいるわけない。招待されていないこともありえない。下げただけ。
しかしそれは面白いといっているのだから皮肉。だから滑稽に書いている。
藤原氏など伊勢にそういうことは関係ない。人間性の話。だから属性を極力排除している。
自分達が意識するからといって、著者もそうだと思わないように。
業平が書いたというポーズ? なんですかそれは。
「在五」のことは「けぢめ見せぬ心」と非難していますが?(63段)
勝手に業平が書いたと周囲がみなしただけ。その集大成が古今。
これ以前の「翁」は、業平を示していた。「近衛府にさぶらひける翁」(76段)「馬頭なりける翁」(77段)
しかしそれ以前に始めて翁が出てきたのは、段を隔てた「今の翁」(40段)のみで、これは「むかし男」の裏返し。つまり著者。
ここでは馬頭などの業平特有の限定がないこと、歌のトリを務めることから著者以外ない。
著者は業平について歌をもとより知らないとしている(101段)。
それまで馬頭が詠んだように表現した歌でも、それらは基本全て著者の翻案。それが101段の趣旨。それは業平の歌に限らない。全ての伊勢の歌に言える。
なお、塗籠本は意図的に他人の歌を挿入しているが、114段だけ見ても明らかなように(業平没後の仁和帝を深草に勝手に変更)、塗籠は書写ではない。
業平認定にそぐうように細部を改変し、肝心な部分の繊細な表現を、悉く凡庸なものに置き換え意味喪失させた本。
だいしき(▲△いたじき)の下に
高い板床の下(地面)に、
だいしき:普通は板敷なのかもしれないが、かたゐとかけているともみれる。支障なければ勝手に直さず留保する。
いたじき 【板敷き】
:床が板張りになっている所。板の間。
はひありきて
這って歩いてきて
文字通りの意味ではない。下位(殿上と対比した地下)の場違いな滑稽さを際立たせる表現。
本当にどこぞの乞食なら、招待されていないというか、そもそも屋敷に入れるはずはない。だからそういう意味ではない。
それは歌のトリを務めることからも明らか。実力があり、身は卑しい、そこから導き出されるのは、代作。だから身分を明かしていない。
人にみなよませ果ててよめる
人にみな歌を詠ませ果てて詠んだ。
塩釜に いつか来にけむ
塩釜には いつか来たかな
朝凪に 釣りする舟は こゝによらなむ
朝凪に 釣りする舟は ここに寄らんのですか
となむよみけるは
と詠んだのは、
その塩釜ちゃうがなってボケ待ち。
あーもうぼけましたわ。それで翁。
そしたらみなポカンとしたでござるの巻。
人が宴会に集まって欲しい? 漁師に来て欲しい?
なんですか、もう終わる頃ですよ。
歌も古典も基本的に文字通り見ましょう。それでどうしても通らない場合に、暗示的意味を考えるのです。
みちの国にいきたりけるに
陸奥に行った時に
(東下りから、陸奥の国まで。9-15段。
14段では栗原(市)の姉歯という地名が歌に出てきて塩釜市に近い。共に宮城)
あやしくおもしろき所おほかりける
卑しくも、怪しく面白い所が多かったので
あやし【賤し】:
①身分が低い。卑しい。
②みすぼらしい。みっともない。見苦しい。
貴族には庶民の生活は理解できないところからこの意味が生じたとのこと。
つまり際どい。みやびな風情を詠んだってことでシクヨロ。
この理解できないだろうことを念頭において表現が以下の内容。
わが帝六十余国の中に、塩釜といふ所に似たるところなりけり。
さればなむ、かの翁、さらにここをめでて、塩釜にいつか来にけむとよめりける。
※この部分は読者への解説というより、相手(親王達)の認識レベルの含みが大きい。
著者は基本的にどうしても必要でないと説明しないので。二条の后の噂の背景の解説のように。
わが帝六十余国の中に
私達のビッグダディが統べる国は68国ほどあり、その中に
なおここでは「六条わたり」と「六十余」を掛けている。
塩釜といふ所に似たるところなりけり
塩釜という所に似たところがあって
さればなむ
そういうわけで、
かの翁さらにここをめでて
この卑しい爺はさらにここを愛でて(懐かしみ)
塩釜にいつか来にけむとよめりける
塩釜にいつか来たっけ詠んだのです。
と解説しつつボケたのであった。
え~、融殿は陸奥国司だったのですからそれに掛けました。塩釜という所に行ったことは…ございませんか?
ほら多賀城の隣らへんですよ?(この六条あたりの隣にもある地名ですよ)
と、これをイケズというのであります。