伊勢物語

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伊勢物語
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 伊勢物語は、全125段・209首、880~887頃都度リリースの、二条の后に仕えた縫殿の文屋の人生回顧見聞録。各段必ず1首以上入る歌物語。昔男は業平ではない。それを証明する。

 

 
 目次
 

 全体構造
 

 章題一覧(→各段別目次
 

 和歌の配置 
 

 文字数
 (分析降順昇順
 

 在五は物語後半63段で初出かつ「けぢめ見せぬ心」と他人目線で非難された蔑称で、その後も昔男に戻す意味が全くなく、ぬるい貴族が無名にする意味も動機も全くないが、卑官にはある。業平は歌を求められると目を泳がせ(77段・安祥寺)、もとより歌を詠めず、強いて詠ませればこのようであったと(101段)。つまり伊勢で在五以後、断続的に出現する、在原なりける男・中将なりける男・右馬頭なりける人・右馬頭なりける翁等とされた歌は著者の翻案。伊勢の歌は源氏物語のように一人の歌。寄せ集める意味も動機もない。沖つ白波龍田山のように万葉すら全部引用は一度もない。古今以後を寄せ集める動機などない。まして上記の文脈から昔男の歌は業平のものではありえない。昔男が出自をぼかしていることをいいことに、その特別性を認めなかった人々の都合で丸ごと在五日記とみなされ、古今で業平の歌と認定された。事実に基づく認定ではない。当時からみなしているだけ。それは従来からの論考の論理に示されている。元をたどれば業平という根拠は古今の認定のみ。他の根拠はない。どこまでも業平ありきで言葉を曲げ自在に定義し、伊勢の存立を縦横無尽に分断・破壊する。筒井筒のように筋を全く通さない、それを当時の普通と教える人として終わってる退廃極まった解釈。直後の梓弓も完全無視。伊勢で冒頭田舎とあるのは筒井筒と梓弓だけ。田舎から宮仕えに出て離れた夫婦の話が、伊勢で歌が最も厚いことなど知るよしもない。しるよしで領るよし、これが業平的解釈。文脈に全く根拠がない。三河に気ままにふらつき、つましあればで、都に置いてきた妻を思い出して泣き、馴れで萎れという噴飯物の解釈。これが通説。

 そもそも伊勢物語という名称自体、在五の物語という浅はかな一般の定義を否定するために、源氏物語・絵合で在五の名を争って名付けられたもの。業平ありきの思考では、この文脈は理解不能。

  

 文屋の物語というのは推測ではなく多角的根拠があり、何より伊勢の記述に即し、業平には実質的根拠が何一つない。何より無名性は万葉以来の卑官の性質で、63段は在五を他人目線で「けぢめ見せぬ心」と非難しており、昔男は12段(武蔵野)を除き主観である。主観だから日記という呼称があるのである。武蔵野は文屋の判事時代の記録と見れ、刑事手続の原則的論点(予断排除・伝聞法則・未成年略取と同意)を含むものであり、同様に法的論点を含む話題は複数ある(梓弓:失踪と離婚と婚姻の信義則、すける物思ひ・荒れたる宿:所有と占有の区別、前栽の菊:定着物、山科の宮:不法占有と自力救済)。

 

 1段に必ず1首入れることは、歌を基本とする相当多作の実力者と言え、125段で筆力もある。かつ極めて影響力ある歌を多数含む伊勢は、日本の古典史上別格の作品で、かな和歌史上最初の歌物語かつ最高傑作といえる。竹取と源氏、伊勢と源氏、それぞれ日本の古典の双璧とされ(歌を重視すれば伊勢)、つまり伊勢竹取は同列で、これらは三位一体をなし、別次元の影響力をもっている。これらは単なる長さや表現の巧拙によるものではない。著者が別次元の知覚と理解力を持ってたことによる。それはその内容の独自性、漢文その他の古典に照らしても当然の道理である。紫の知性が極めて特別とされるように、本物のフールが古典として参照されることはない。公御用達の貫之が土佐で冒頭からふざけるのも、女を読者対象にしたのも伊勢の影響。署名しながら女を装うなど、誤解の典型。女も一緒にしてみようといって、わかりやすい仮名で書いて見本を示したのである。

 そして伊勢竹取は共に別格でありながら、どれほど実績がある一部の学者に拙劣とかうっかりなどと評されることも大きな特徴であり、その背景を以下で説明する。しかし紫はそのような態度はとらず、いずれも最高の扱いをしている。それが源氏での「物語の出で来はじめの祖」、「伊勢の海の深き心」という表現で、彼女と貫之が別格である理由でもある。業平に海のような深き心(底が知れない心)があるとされることは一般にないし、かつ紫は最も教養を重んじる部類なので、これ自体が業平のものではないという表現だが、それは認められないので、この部分の現状の解釈は文字に即すことができない。業平の名と乱りがはしく争わせる、ふりにし伊勢をの海人(無名の伊勢の昔男)と掛ける海は無視して、単に伊勢物語の心と丸める。このように不都合なことは言葉を曲げるか無視して強弁し(=みなして)、認定を維持するのが業平説の基本スタイルである。だから浅い解釈にしかならない。業平レベルの解釈しかできない。

 

 伊勢の構成に顕著にならった大和物語と比較しても、伊勢の圧倒的影響力は勅撰歌集に由来するのではない。伊勢の実力による(なお、大和は恐らく伊勢の御の作で900~930頃成立。大和初段の伊勢の御と宇多帝(亭子院)、以降の院のプライベートな内容と歌の多作・内容・水準をシンプルに見るとそうなる。年代は精読すればもっと絞れるかもしれない。大和の影響力が伊勢の御の実力で、伊勢の影響力が文屋の実力。実力は身分で決まらない。身分や家名がないのに取り上げられる者こそ真の実力者。貴族社会でそれ以外に取り上げられる要因がない。つまり突出した実力、無視できない実力。それが伊勢)。

 執筆開始年代は877年の山城赴任まで前後させても差し支えないが、文屋が縫殿に戻った880年頃、もっといえば業平の死を機に執筆を開始しただろう。読者は周辺の女達。だから文屋が後宮・女流文学の生みの親。その影響を受けて大和の存在と土佐の文脈がある。しかし竹取の小町針(男を拒み続ける逸話。つまり小町も縫殿)を受けた記述からも、それが最初の赴任ではない。恐らく二条の后が幼い頃から仕えた縁(※)で、その子陽成即位を機に戻された(※3~5段、39段=二条の后は車と因縁つける淫奔がセット。76段・99段。それらを近くで見て歌を詠んだのが二条の后に仕うまつる男の文屋。95段。古今8、445)。

 竹取は小町針を受けた話で、かぐやはどう見ても小町がモデル。だから小町は衣通姫のりうというのである(かぐや同様光を放つ)。帝や上達部にいずれ仕えるための女、その世話をして癒される年齢不詳の田舎の成り上がり翁。そのようなかぐや側の発想をする無名の著者で、実績相応の資格をもつのは、小町と文通した記録をもつ文屋のみ。

 これを読めたのは現状の理解度と実力に照らして、貫之と紫のみ(あるいは定家も)。紫は両者をモデルに、先の世の契り深かりし、光る君とかがやく日の宮(藤壺)を立て、二人を別格とした。源氏の子・夕霧は朝康。幼くして結婚し早世した妻の葵は筒井筒と梓弓(二つは一続きの田舎の話で、別の話ではない。

そしてここが伊勢で最も歌が厚い部分。業平目線で好き勝手に分断されているが)。中将と主人公はライバルで、無名の主人公の死後、中将の血の薫が次の主人公とみなされ、それを断固拒絶して源氏物語は終わる。

 

 業平による歌で主人公と言い張る千年以上続いてきた無責任言説は、古今が伊勢を丸ごと在五中将日記と認定したことにより、個別の認定の根拠は何もない。伊勢以外に出典は存在しない。伊勢を古今後とする根拠は業平認定を維持する必要性しかなく(しかし伊勢を後に回すと業平認定の根拠がなくなってしまうが、そういうことは考えない・考えられないのが業平説。だから「どこかにあるはずの業平原歌集」とか言える。それ自体が伊勢しかないことの証拠だが、どこかにあるはずとするだけ良心的かもしれない。酷いのは留保しないので)、古今の配列は伊勢の参照を明確に示している。場所を三河と武蔵の隅田川で隔てた、東下りの歌の連続配置。渚の院は連続していない。しかもその羇旅の巻においては、この伊勢の3首と万葉時代の仲麻呂の歌だけ突出して厚い詞書であるから(古今全体の詞書の長さで2位が東下り、3位が仲麻呂、1位は筒井筒)、特有の参照元がないとそうなりえない。仲麻呂と同様の厚みの詞書はそういう意味の表現で、かつ、仲麻呂と渚の院の歌を厚く参照した土佐日記から、これらは100%確実に貫之による詞書であり、それが古今を素直に眺めた時のごく自然な認定でもある。これらをしれっと曲げて詞書を後日の左注というのは絶対無理。しかしそのように古今すら右にあるものを左と言うのが、業平に合わせて悉く記述を曲げる業平至上主義の基本スタイルで、そういう見解の象徴性である。右も左もわからない。良いも悪いもわからない。前に倣うだけだからかえりみれない。諸記録を無理なく総合するのではなく、一事をもって決めつけ、それに沿わないのは曲げ、曲げきれないと無視するか虚構とみなして安心する。視野の広い態度ではないだろう。それを偏狭という。というか作品と著者をあまりに軽んじ侮辱している。

 節操ない色恋だから業平、別に大したものではないとして貴族社会の面子を保った。今でも伊勢を下衆な内容と小ばかにする言説も一般にはある。

 当時から自分達と異なる視点・突出した才能(69段での文徳帝の重用)を全く理解できず、頭の悪い業平にしては不思議と上手いとか、斎宮との密通は最大の禁忌などと囃し立て、一夜で孕ませたなどと吹聴し、褒めているようで全力で貶めてきた。在五を貶めたのではない。無名の伊勢を貶めた。だから貞数親王が生まれ「時の人、中将の子となむいひける。兄の中納言行平のむすめの腹なり」という79段は完全スルー。それで昔男と二条の后の歌話や斎宮との逢瀬は禁忌という。これが業平論者の外れた感覚。つまり伊勢は究極どうでもいい。貴族の面子が保たれ、昔男が汚れればいい。

 つまり伊勢の無名の著者の、すぐれて時めいた才能が宮中で妬まれ、在五レベルの話と世界観に貶められた、というのが源氏冒頭に表された紫の分析である(桐壺更衣は地理でも仕事でも縫殿とリンク。桐壺の直上が縫殿)。

 それが源氏でのあだなる業平の名と、無名の伊勢の海人(生み人)の名を乱りがはしく争わせた絵合の文脈として結実する。しかし伊勢=業平賛美としか見ないから争っている意味がわからない。だからとりとめもなく争うなどと骨抜きにする。つまり業平のものではないと反証したが、ヒステリックに反発するだけなので、いといたう秘めさせたと。そして源氏が伊勢竹取をこれだけ厚く語っているのに、しかも流行のディベート形式なのに無視。説明できないから無視。そういう論理的思考とは権威主義である。通説でないのは誤り。論理・根拠の当否で正しいとするのではない。通説だから正しい。それが日本の論理。みな従来の支配的見解を信じてのっかる。だから業平説がある。

 

 伊勢は業平日記とみなされていた。それに争いはないだろう。つい最近(近代)まで伊勢は業平の作という言説はあったし、ここで文屋主人公説を構築した2020年でも責任ある学者ではない一般はそのようにみなしていた。古今はそのような一般の認識を受け伊勢をそのように認定した(業平の歌という以外の認定は存在しない)。しかし業平作・業平の日記ということが維持できなくなった、その時点で、古今当初の業平認定の前提は失われた。

 その萌芽は、後撰において業平没が確定する114段の歌の行平認定。初段の狩衣の裾のかかりを全く読めていない。行平は79段と101段で2回とも名前は明示されていたので、114段で何の説明もなく行平というのは無理。布引の滝の行平認定は、昔男を業平とみなさなければ成り立たたない。業平認定に最も致命的なこの段について古今後すぐ問題提起されたと思われるが、後撰はそこだけ行平と認定し、入念な詞書を作り出すことでその危機を回避しようとした。だからその説明が、袖に刺繍があったというみやびと対極のナンセンスさはさておき、114段の背景を一応説明しているようで、全体の整合性は全く通せていないのだが、一般とほぼ全ての学者はそれを無条件に信じ、その通りにしていない伊勢がおかしいとする。あくまで公が正しく優先するという態度。39段に唯一ある時代のずれた「至は順が祖父なり」という本筋に全くかかわらない末尾の注記から(この表記自体が世代の違いを表す)、源順が撰者の後撰による証拠作出、時の経過とともに伊勢を古今後にしてしまおう、それで古今の業平認定を維持するという意図の確かな証拠がある。そこまでできるのが役人貴族で、自分達の過ちを認められない公の面子。しかし全体の記述を見れば、そういうことは通せるものではない。ということが視野の狭さでわからない。

 そのように何とか業平認定を維持するために、800年代の伊勢を無理にでも古今後とみなし始めた。これが本末転倒。本は伊勢で末は在五である。どこまでも業平ありき。伊勢は在五をけぢめ見せぬ心と非難していることは完全無視。見たら保てなくなる。だから見ない。見る場合は賞賛にねじまげる。それを曲解という。そもそも在五自体蔑称だから、大和や更科では在中将と丸められているのだが、これで別称とか主人公とか果ては思慕していると思える回路が、ある意味凄い。というか何も考えてない。自分では考えられない。多数が言っているから正しいと思う。しかし紫は違う。彼女は特別を認めない一般に対し非常に批判的(例えば桐壺冒頭)。伊勢を業平のものと決めつける人々を否定する。中将側を負かし、伊勢斎宮側を勝利させる(絵合)。

 後撰以後の伊勢の歌に関する認定は、古今の業平認定を何とか維持し、伊勢を劣後させるための証拠作出(捏造)。塗籠本もその類。
 それらは隅田川辺りの業平橋や、ちはやぶるの屏風と全く同じ。根拠は何もない。数多の業平愛好家は既成事実化の一翼を担い、古今の認定は真実とみなし、それと相容れない伊勢を虚構とみなす。それで疑問にも思わない。だから歌の解釈も業平レベル。伊勢101段でもとより歌を知らないとされたレベル。もとよりなので謙遜ではない。しかもこの描写は一貫している(安祥寺・渚の院)。だからその歌に意味がないという描写も認められない。ただ公権力の無謬性を信じ、都合が悪いと言葉を曲解して改ざんする。それがこの国の伝統。

 

 文屋は東下りの三河に赴任した記録を持ち、二条の后の完全オリジナルの詞書を二つ持つ。ピンポイントである文屋の三河行き、しかも小町の歌の詞書。これは当然貫之による業平認定への対抗措置の一つ。二条の后の詞書もそう。なぜこれだけの証拠を無視し続けられるのだろう。この国の知性はどれほどのものか。都合が悪ければ虚構。都合がよければ真実、公文書なら真実。一貫した記述なのに都合が悪い部分は無視、本体ではないとか言いだす。検証は不要。なにせ勅撰なのだ。間違っているはずがない。何も学んでない。自分達のクリティカルな問題を直視できない。引き返さない。かえりみない。だから進まない。

 貫之は業平を重んじているなどとされるが、重んじているのは伊勢で業平ではない。だから非業平の筒井筒が突出した古今最長の詞書なのである。都合よく(後日の)左注などとしないように。詞書は左にはない。業平を重んじたのは貫之ではない。現状と同じ一般である。貫之を都合よく利用してはいけない。

 文屋・小町・敏行(秋下・恋二・物名)のみ巻先頭連続業平を恋三で敏行により連続を崩す。この分野選定と人選に意味を見れないのは、和歌の完全素人。
 東下りの理由は筒井筒・梓弓の妻の死。だから唐衣の歌で偲んで泣いている。妻を京に置いてフラフラし、突如置いてきた妻を思い出して泣く現状の解釈は、そう思える読者の感性と読解力の問題で、伊勢の問題ではない。外部の認定を当然のように伊勢に持ち込み、著者の無名に乗じ、どこまでも業平目線で分断して破壊してきた。
 筒井筒周辺が伊勢で最も歌が厚い部分。つまりそこが伊勢の最重要部。田舎男が宮仕えに出た話。業平が入り込む余地は全くないが、そこだけ後で付け足したなどと言い出す。古今最長の詞書をもつ沖つ白波も後付けという。誰の歌なのか。伊勢の昔男の歌に決まっている。どうして自然に一貫させて見ないのか。思い込みによる証拠作出と根拠のないレッテル貼り。業平認定の根拠はそれしかない。
 文屋は縫殿に仕え判事ともされる。だから女達の話と、狩衣や唐衣など服の話、法律論にからめた話が豊富なのである(12、24、51、58、78段等)。
 業平認定は、このような文脈を一切読めずに筋を破壊し、各地の田舎の話があるのに、悉く中央の貴族目線に矮小化した無責任な場当たり的で認定で誤り。
 伊勢の記述にあらゆる角度で即す文屋が、伊勢の著者の候補に一切あげられず無視黙殺され、実力の根拠のない貴族が羅列されるのも、この流れ。
 

全体構造

 
  

総論
 
 成立・著者
 
 名称の由来
 
 全体あらすじ 
 
 主要な登場人物
 

和歌一覧
 

伊勢全文 
 
 
 

章題一覧

 
 

 題はより一般的と思われるものを先に表記している(本により違う)。
 
 題はない段もあっただろう。枕草子のように。あまりにブレが多すぎる。
 しかし文中に一度も出てこない語の題は、おそらく著者がつけたと思われる。
 それが東下り、筒井筒、渚の院などわずかな段。それらはブレず、しかも強く通用している。文中にはない語なので本来なら逆のはず。
 
 東下りは三部からなるにもかかわらず一段とされるから、段の区分は著者による。筒井筒・渚の院も三部構成。
 このような全体を通した統一的構成は、伊勢の形式を明確に受けつつ中身は緩い構成の大和物語と比較して明らか(恐らく大和は伊勢の御の作と思われる)。
 よって東下りを分割する本は誤り。というより定家本以外は誤り。塗籠本は写本ですらなく伊勢を好き勝手にいじり回した改変本。
 典型が114段。帝の名称すら変える。業平没後の仁和から存命時の深草に。業平をそこまで思慕したなら、そんなうっかりなど絶対ありえない。それを認められず変えた。段も前に入れかえる。確信犯。しかし伊勢は帝の名称を存命か否かで区別しているので、帝に行為させながら墓所名にする深草は100%誤り。
 段の出し入れなどともっともらしく言われるが、業平歌集と見て、著者の物語性を軽んじ無視したからそんなことがされている。
 
 
 

各段別目次
 
男女 段数
△朱雀落
章題 字数
  1段 初冠 261
  2段   西の京(の女) 眺め暮しつ 176
  3段   ひじき藻 104
4段   西の対 西の對の女 283
  5段   関守 築土の崩れ 242
  6段   芥河(川) 484
  7段   かへる浪 尾張のあはひ 91
  8段   浅間の嶽 105
  9段 東下り 八橋 から衣 858
  10段 たのむの雁 みよし野 みよしのの里 234
  11段   空ゆく月 62
  12段   武蔵野 盗人 154
  13段 武蔵鐙(むさしあぶみ) 156
14段 陸奥の国 栗原の(あねはの松) くたかけ 248
  15段   しのぶ山 116
  16段 紀(の)有常 470
17段 年にまれなる人 あだなりと 90
♀? 18段 白菊 紅に匂ふ(が上の白雪) 122
  19段 天雲のよそ 172
  20段 楓のもみぢ(紅葉) 174
♂♀ 21段 思ふかひなき世 おのが世々(よよ) 511
22段 千夜を一夜 秋の夜の 千代を一夜 221
♂♀ 23段 筒井筒 656
  24段 梓弓 あらたまの(年の三とせ) 360
  25段 逢はで寝る夜 秋の野に(笹分し朝の袖) 109
  26段   もろこし舟(船) 67
  27段 たらひの影 水口に(我や見ゆらむ) 137
28段   あふごかたみ 51
29段   花の賀 61
  30段   はつかなりける女 あふ事は(玉の緒ばかり) 47
  31段   忘草 よしや草葉よ 103
32段   しづのをだまき(倭文の苧環) 66
  33段 こもり江(に思ふ心) 119
  34段   つれなかりける人 いへばえに 58
  35段   玉の緒を 合(あわ)緒によりて 49
36段   玉葛 谷せばみ 53
  37段 下紐 (われならで)下紐解くな 90
  38段 恋といふ 君により(思ひならひぬ) 91
  39段 源の至 342
  40段   すける(物)思ひ あかぬわかれ 363
41段   紫 上のきぬ 220
  42段   誰が通ひ路 160
  43段 しでの田長 名のみ立つ 223
  44段   馬のはなむけ われさへも(なく) 140
  45段 行く蛍 飛ぶ蛍雲の上まで 249
  46段   うるはしき友 めかるとも 182
  47段 大幣 112
  48段   人待たむ里 63
  49段 若草 ねよげに(見ゆる若草) 86
  50段 あだくらべ 鳥の子 203
  51段   前栽の菊 47
  52段   飾り粽(かざりちまき) 74
  53段   あひがたき女 いかでかは(鳥のなくらむ) 59
  54段   つれなかりける女 ゆきやらぬ夢路 48
  55段   思ひかけたる女 言の葉  55
  56段   草の庵 わが袖は(草の庵・いおり) 49
  57段   恋ひわびぬ われから 56
  58段 荒れたる宿 長岡 261
  59段 東山 136
  60段   花橘 207
  61段 染河(川) 111
62段 古の匂は(いづら) こけるから 287
63段 つくもがみ(髪) 459
♂♀ 64段 玉すだれ(簾) 97
65段 在原なりける男 951
  66段   みつの浦 難波津を(けさこそみつの浦) 100
  67段   花の林 生駒の山 148
  68段   住吉の浜(濱) 115
  69段 狩の使 792
  70段   あまの釣舟(船) みるめかるかたはいづこぞ 71
  71段 神のいがき 千早振(神のい垣も) 105
  72段   大淀の松 71
  73段   月のうちの桂 69
  74段   重なる山 岩根ふみ(重なる山) 44
  75段 みるをあふにて 大淀の 海松(みる) 178
76段   小塩の山 大原やをしほの松 134
  77段   安祥寺のみわざ 春の別れ 315
  78段   山科の宮 山科の禅師のみこ 491
  79段   千ひろあるかげ わが門に千尋あるかげ 115
  80段   おとろへたる家 ぬれつつぞ 94
  81段   塩釜 鹽竈(しほがま)に(いつか来にけむ) 321
  82段 渚の院(の櫻) 690
  83段 小野(の雪) 忘れては夢かとぞ思ふ 406
  84段 さらぬ別れ 千代もといのる人の子のため 213
  85段   目離れせぬ雪 思へども(身をしわけねば) 266
  86段   おのがさまざま 今までに忘れぬ人は 144
  87段 布引の滝(瀧) 709
  88段   月をもめでじ 71
  89段   なき名 人しれず(われ戀しなば) 63
  90段   桜花 櫻花けふこそ(かくも) 128
  91段   惜しめども をしめども春の(限の) 57
92段   棚なし小舟 61
  93段   たかきいやしき おふなおふな(思いはすべし) 121
  94段 紅葉も花も 秋の夜は(春日わするる) 277
  95段   彦星(に戀はまされり) 161
  96段   天の逆手(さかて) 447
  97段   四十の賀 72
  98段   梅の造り枝 119
  99段 ひをりの日 右近の馬場(のひをりの日) 139
  100段   忘れ草 こは忍なり 95
  101段   藤の花 あやしき藤の花 341
  102段   あてなる女(の尼になりて) 世のうきこと 140
  103段   寢ぬる夜(の)(夢をはかなみ) 137
104段   賀茂の祭(見) 142
  105段   白露(は)(けなばけななむ) 88
  106段   龍田川 たつた川(のほとり) 62
  107段 藤原の敏行 身を知る雨 384
108段 浪こす岩 風吹けば(とはに浪こす岩) 89
  109段   人こそあだに 51
  110段   魂結び 80
  111段 まだ見ぬ人(を) 下紐 134
  112段   須磨のあま(蟹) 58
  113段   短き心 やもめにて(いて) 38
  114段   芹河に行幸(芹川行幸) 147
♂♀ 115段   みやこしま(都島) おきの井 105
  116段   浜びさし 小島の濱ひさぎ 85
  117段 住吉に行幸(住吉行幸) 77
  118段   たえぬ心(絶えぬ心) 玉葛(はふきあまた) 66
119段   形見(こそ) 61
  120段   筑摩の祭 68
  121段 梅壷 82
  122段   井出の玉水 60
  123段 深草(鶉)(にすみける)(女) 130
  124段   われとひとしき人 思ふ事いはで(ぞ) 54
  125段   つひにゆく道 54
合計22826、平均183

 
 !:朱雀院塗籠本(群書類従)は最終段の内容を59段に挿入。文字数は定家本。
 塗籠本は写本ではない。伊勢を積極的に改変した本。
 業平説にひきつけ凡のセンスでねじまげた本。業平死後の仁和帝を深草に変え、主人公の死を仄めかす東山の前に移動させた114段だけでも明らか。
 
 そこで帝が狩衣に歌を書けと所望したのは刺繍があったからという。スカジャンか。そんなことは定家本のどこにも書いてない。
 初段の狩衣の裾の話を受けている内容ということは、スルーというか、ただただ誰も気づいていない。
 だから著者がおかしくて下衆なのではない。
 
 

和歌の配置

伊勢物語~和歌数の推移

 
 和歌を基準にしてみれば、核心部は16~25、中核は20~24。
 最重要は21段。20から24の梓弓まで、一連の話。
 田舎の男女の話、昔男の馴れ初め話。昔男が宮仕えに出てくる背景、遠距離恋愛をつづった内容で、ここに業平は全く関係ない。
 なお、このような前半が最も厚い配置、最初の幼馴染の妻の死と遠距離でアツくなるのは、源氏の葵~須磨と全く同じである。
 
 昔男が物語で一番重要視したのはこの部分。客観的にそう言える。
 後半69段の伊勢斎宮の話は後日談、そして結局結ばれなかったのだから。
 二条の后との話にもそこまで重きを置いてない。そちらは仕事の関係。
 95段に「二条の后に仕うまつる男」、そう明示されている。
 
 和歌の上位6つは、21(思ふかひなき)、82(渚の院)、23(筒井筒)、50(あだくらべ)、65(在原なりける男)、87(布引の滝)。
 


文字数

 
 一貫して規則的な波形。前半と後半で分けて見ても同様の波形である。源氏と比較しても顕著な規則性であるから、一人の作であることを示している。
 前半後半で区切れているのも内容にそっている。
 
 前半は、筒井筒・梓弓の妻と小町。
 後半は主に伊勢斎宮との話。
 それと在五との度重なる対決。昔男は短い文章を好むが、後半はやむをえなく書いている。在五と混同されないように。
 物語最長は65段の在原なりける男。その男が後宮で人目をはばからず女につきまとって流される話。
 ちなみに、源氏の後半が厚くなるのも、同様にダメ男(主人公とみなされる中将の孫)を断固否定し続ける内容である。
 

降順

男女 段数
△朱雀落
章題 字数
1 第65段  在原なりける 951
2   第9段  東下り 858
3   第69段  狩の使 792
4   第87段  布引の 709
5   第82段  渚の院 690
6 ♂♀ 第23段  筒井筒 656
7 ♂♀ 第21段  思ふかひ 511
8   第78段    山科の 491
9   第6段    芥河 484
10   第16段  紀有常 470
11 第63段  つくもがみ 459
12   第96段    天の逆手 447
13   第83段  小野の雪 406
14   第107段  藤原の 384
15   第40段    すける物 363
16   第24段  梓弓 360
17   △第39段  源の至 342
18   △第101段    藤の花 341
19   第81段    塩釜に 321
20   △第77段    安祥寺 315
21 第62段  古の匂 287
22 第4段    西の対 283
23   △第94段  紅葉も花も 277
24   第85段    目離れせぬ 266
25   第1段  初冠 261
26   第58段  荒れたる宿 261
27   第45段  行く蛍 249
28   第14段  陸奥の国 248
29   第5段    関守 242
30   第10段  みよし野 234
31   第43段  名のみ立つ 223
32 第22段  千夜を一夜 221
33 第41段    紫 220
34   第84段  さらぬ別れ 213
35   第60段    花橘 207

 

昇順

男女 段数
△朱雀落
章題 字数
1   第113段    短き心 38
2   第74段    重なる山 44
3   第30段    はつかなり 47
4   第51段    前栽の 47
5   第54段    つれなかり 48
6   第35段    玉の緒を 49
7   第56段    草の庵 49
8 第28段    あふごかた 51
9   第109段    人こそあだ 51
10 第36段    玉葛 53
11   第124段    われと等し 54
12   !第125段    つひにゆく 54
13   △第55段    思ひかけ 55
14   第57段    恋ひわびぬ 56
15   第91段    惜しめども 57
16   第34段    つれなかり 58
17   第112段    須磨のあま 58
18   第53段    あひがたき 59
19   第122段    井出の玉水 60
20 第29段    花の賀 61
21 第92段    棚なし小舟 61
22 第119段    形見こそ 61
23   第11段    空ゆく月 62
24   第106段    龍田川 62
25   第48段    人待たむ 63
26   第89段    なき名 63
27 △第32段    しづの苧環 66
28   第118段    たえぬ心 66
29   △第26段    もろこし舟 67
30   第120段    筑摩の祭 68
31   第73段    月のうち 69
32   第70段    あまの釣舟 71
33   △第72段    大淀の松 71
34   △第88段    月をもめでじ 71
35   第97段    四十の賀 72