平家物語 巻第十 目次と概要

巻第九 平家物語
巻第十
巻第十一

 
『平家物語』巻第十の目次と原文冒頭及び概要。一般的な覚一本系の章題に読み方を付し、リンクで原文各章に通じさせた。

 

→巻第十・通し全文

 

  章題
読み方
原文冒頭
概要※
1 首渡/頚渡
くびわたし
寿永三年二月七日、摂津国一の谷にて討たれし
多くの平家の首が京にさらされた。
2 内裏女房/内裡女房
だいり(の)にょうぼう
同じき十四日、生け捕り本三位中将重衡卿
三位中将重衡の引き回し。重衡は愛人の内裏女房と面会できた。
3 八島院宣
やしまいんぜん
異:院宣請文
いんぜんうけぶみ
さるほどに、平三左衛門重国
屋島へ院宣。三種の神器を返還すれば重衡を許すと。
3-2 請文
うけぶみ
異:院宣請文
大臣殿、平大納言のもとへは
平家の棟梁、清盛の次男宗盛は、三種の神器の返還を拒否。
4 戒文
かいもん
三位中将、これを聞いて
重衡は法然と面会し受戒
5 海道下
かいどうくだり
さるほどに、本三位中将重衡卿をば
重衡を鎌倉へ護送。
6 千手前
せんじゅのまえ
異:千手
兵衛佐、急ぎ見参して申されけるは
手越の長者の娘、千手前が派遣され、今様を歌い琵琶を弾き、重衡を一晩もてなす。
「よはひ廿ばかりなる女房の、色白うきよげにて、まことに優にうつくしきが、目結の帷に染付の湯巻して、湯殿の戸をおしあけて参りたり」
7 横笛
よこぶえ
さるほどに、小松の三位中将維盛卿は
以後重盛の長男維盛の物語が6章段続く。維盛は屋島を出て高野山に行く。高野山の斎藤時頼(滝口入道)と横笛の挿話。
8 高野巻
こうやのまき
滝口入道、三位中将を見奉て
維盛と滝口入道は高野山をめぐる。
9 惟盛出家
これもりのしゅっけ
維盛が身のいつとなく雪山の鳥の鳴くらんやうに
維盛と2人の従者は出家。
10 熊野参詣
くまのさんけい
やうやうさし給ふほどに、日数ふれば
維盛らは熊野三山を参詣する。
11 惟盛入水
これもりのじゅすい
異:入水
三の御山の参詣、事故なく遂げ給ひしかば
維盛は那智の沖で入水。2人の従者も後を追う。
「高声に念仏百返計となへつつ、南無と唱ふる声共に、海へぞ入り給ひける」
12 三日平氏
みっかへいじ
異:付 池大納言関東下向
いけのだいなごんかんとうげこう
舎人武里も、同じく入らんとしけるを
伊勢の三日平氏の乱を義経が平定(この乱は平定までに3日ではなく1ヶ月余要した。平家物語の作者は三日平氏の乱 (鎌倉時代)と混同したのかもしれない)。
12-2 異:藤戸
・北方出家
さるほどに、小松の三位の中将維盛の卿の北の方は、
13 藤戸
ふじと
これを鎌倉の兵衛佐かへり聞き給ひて、
源範頼軍と平資盛(『吾妻鏡』によれば基盛の子平行盛)軍が備前国で藤戸の戦い佐々木盛綱は浅瀬を見つけて馬で渡って戦った。
13-2 大嘗会之沙汰
だいじょうえのさた
異:藤戸
同じき二十七日、都には九郎判官義経
都では大嘗会範頼は屋島へ追撃をしなかった。
「参河守範頼、(中略)室、高砂にやすらひて、遊君遊女共召しあつめ、あそびたはぶれてのみ月日をおくられけり」(これは範頼への酷評。『吾妻鏡』によれば範頼は屋島攻撃はしなかったが、葦屋浦の戦いをして九州を平定した)。

 ※概要はWikipedia#平家物語の内容から引用。