枕草子 全文

和歌一覧 枕草子
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 清少納言『枕草子』(1001年頃)の全文(319段+一本29段)計348段(底本は岩瀬文庫蔵柳原紀光自筆本、いわゆる三巻本)。

 段構成は以下の理由で大系(池田亀鑑・岸上慎二校注)に準拠し、最近の教科書が多く準拠する新大系・全集とは異なるので、一般読者は枕草子の場合段数は当てにせずキーワードで検索してほしい。なお「一本」とは、いかなる伝本か不明(大系・通説)だが最終段直前に「一本 きよしと見ゆるものの次に」として一まとまりで挿入される部分。諸本はこうして末尾に記すが、この文言を著者の本文と見るのは困難なので、当サイトでは「きよし」段直後に挿入している。

 近時の主要本の新大系・全集・集成はそれぞれ大系と構成が若干異なる三巻本系列本を採用するが、それは池田亀鑑の昭和3年論文「清少納言枕草子の異本に関する研究」が機縁となり昭和以降主流となった三巻本流派が祖たる旗艦を失い、言わば未だ宙をさまよっているためで、最近の学術本に書いてあるからそれが正解で問題ないという類のものではない。枕草子に限らない池田説の要所のセンス(集団的な安易な当然視を問題と思える)、とりわけ「枕」について書かれた最終段の扱いからも、長い目でみるとより穴のない大系の段構成(岩波文庫『枕草子』池田校訂も同じ)が基本になるものと信じる。

 問題は文献学でも大事なのは些末な表記の違いより大きな段の存否で、それ以上に問題なのは、無理でも当て込み押し通す従来の近視眼観念的な文学的表現の解釈態度。

 

 文字数は12万6千。句読点括弧空白除くと11万2千(源氏は92万・82万)。

 原稿用紙315枚で文庫本1冊相当(源氏はこの7~8倍)。


目次
上巻(1~131段)
中巻(132~232段)
下巻(233~319段)

 伝本はかつての主流・能因本から、大正昭和以降いわゆる三巻本(通説では定家の手による)が有力化し、現代の主要本(大系・全集・集成)は全て三巻本。ここでは古文界筆頭学者の池田亀鑑による旧大系採用の三巻本の両類本を底本とする(新大系・全集と段数が異なる部分は追って併記)。「枕にこそ侍めれ」の段にはこれ以上ないほど具体的情況が十分書いてあるのに虚構と言い放つ説もある中、池田説はまともで無難なことが多いと思う。

 学者は「枕」一字で歌枕で寝具ではないというように結論ありきで代入して論じるが、最終段「枕」の文脈とそれによる題名解釈にかかわり、それらの説は全て一方的かつ一面的に「枕」を定義するもので、文脈を多角的に拾った説はない。つまり理解・推論の方向が自分達本位の論理で背理している(虚構説は意味がとれないから虚構という類のすっぱいぶどう説)。

 帝は史記(超大作)を書写したと定子が言ってきた「尽きせず多かる紙」に何を書かましというから、何も書かずに枕にすれば良いと「枕にこそ侍らめ(枕にしてこそでしょう)」とボケたが、何も突っ込まれず紙を下賜され、帝を出した定子との関係上何も書かない訳にいかず、史記に掛け四季を枕(先頭)にし枕に掛け百科事典的なものにした(独自)と理解すべきもの。四季を枕にしましょうと見る説は先取りが過ぎる。そして一貫秘蔵文脈が続き、そのせいか枕の如く人に見すまじきものとする説があるが、枕が人に見すまじきものという社会通念などなくそんな道理もないので、これは人に見せられる代物ではない(よく見れば変なことが書いてある、というのが紫式部日記の清少納言の書物評)という意味で秘蔵していたので、それで読むと眠くなる厚い本で枕草子ということになる。この雑纂並列類纂性(つまり百科事典性)を「枕」に結び付けられる説もなく、革命的な説と自分で言うのも何だが控えめに言ってそう思う。この多角的盤石さを無視して観念的議論を設定し続けるのは、できればやめてほしい。

 真面目一辺倒の学説は「枕」の解釈が文脈も文言も不自然で無理があり、果ては無視し、まきあがる灰や草が降りかかるおかしな悪ふざけ・をかしな心を全く解せない。著者は気ままに書き散らし(それが紫式部日記の清少納言評)、前後の連関はあっても大層な大意は特にない(それで随筆と分類される)と考えられ、したがって三巻本こと実質定家本を基本にカバー率を重視した両類本(大系・岩波文庫)がベストと思う。

 

 

三巻本

(大系)
能因 題・冒頭
上巻(1~131段)
1段 1 春は、あけぼの
2段 2 頃は、正月、三月
3段 3 正月一日は
4段 3 三月三日は
5段 3 四月、祭の頃
6段 4 同じことなれどもきき耳ことなるもの
7段 5 思はむ子を法師に
8段 6 大進生昌が家に
9段 7 うへに候ふ御猫は
10段 8 正月一日、三月三日は
11段 9 よろこび奏するこそ
12段 10,
295
今内裏のひむがしをば
13段 11 山は
14段 14 市は
15段 12 峰は
16段 13 原は
17段 15 淵は
18段 16 海は
19段 17 みささぎは
20段 18 わたりは
21段   たちは
22段 19 家は
23段 20 清涼殿の丑寅の隅の
24段 21 生ひ先なく、まめやかに
25段 22 すさまじきもの
26段 23 たゆまるるもの
27段 24 人にあなづらるるもの
28段 25 にくきもの
29段 29 心ときめきするもの
30段 30 過ぎにし方恋しきもの
31段 31 心ゆくもの
32段 32 檳榔毛はのどかに
33段 39,
40
説経の講師は
34段 41 菩提といふ寺に
35段 42 小白河といふ所は
36段 43 七月ばかりいみじう暑ければ
37段 44 木の花は
38段 45 池は
39段 46 節は五月にしく月はなし
40段 47 木の花ならぬは
41段 48 鳥は
42段 49 あてなるもの
43段 50 虫は
44段 51 七月ばかりに
45段 52 にげなきもの
46段 53 細殿に人あまたゐて
47段 55 主殿司こそ
48段 56 をのこは、また、随身こそ
49段 57 職の御曹司の西面の立蔀のもとにて
50段 34 馬は
51段 33 牛は
52段 38 猫は
53段 36 雑色、随身は
54段 37 小舎人童
55段 35 牛飼は
56段 58 殿上の名対面こそ
57段 59 若くよろしき男の
58段 60 若き人、ちごどもなどは
59段 62 ちごは
60段 63 よき家の中門あけて
61段 64 滝は
62段 222 河は
63段   あかつきに帰らむ人は
64段 65 橋は
65段 66 里は
66段 67 草は
67段 70 草の花は
68段 68 集は
69段 69 歌の題は
70段 71 おぼつかなきもの
71段 72 たとしへなきもの
72段 73 夜烏どものゐて
73段 74,
75
しのびたる所にありては
74段 76 懸想人にて来たるは
75段 77 ありがたきもの
76段 78 内裏の局、細殿いみじうをかし
77段 79 まいて、臨時の祭の調楽などは
78段 80 職の御曹司におはします頃、木立など
79段 81 あぢきなきもの
80段 83,
84
心地よげなるもの
81段 85 御仏名のまたの日
82段 86 頭の中将の、すずろなるそら言を聞きて
83段 87 かへる年の二月廿日よ日
84段 88 里へまかでたるに
85段 89,
112
物のあはれ知らせ顔なるもの
86段 90 さて、その左衛門の陣などに
87段 91 職の御曹司におはします頃、西の廂にて
88段 92 めでたきもの
89段 93 なまめかしきもの
90段 94 宮の五節いださせ給ふに
91段 95 細太刀に平緒つけて
92段 96 内裏は、五節の頃こそ
93段 97 無名といふ琵琶の御琴を
94段 98 上の御局の御簾の前にて
95段 100 ねたきもの
96段 101 かたはらいたきもの
97段 102 あさましきもの
98段 103 くちをしきもの
99段 104 五月の御精進のほど
100段   職におはします頃
101段 105 御方々、君達、上人など
102段 106 中納言殿まゐり給ひて
103段 107 雨のうちはへ降る頃
104段 108 淑景舎、東宮に参り給ふほどのことなど
105段 109 殿上より、梅のみな散りたる枝を
106段 110 二月つごもり頃に
107段 111 行く末はるかなるもの
108段 113 方弘は、いみじう人に笑はるるものかな
109段 320 見苦しきもの
110段 309 いひにくきもの
111段 114 関は
112段 115 森は
113段   原は
114段 116 卯月のつごもりがたに
115段 118 つねよりことにきこゆるもの
116段 119 絵にかきおとりするもの
117段 120 かきまさりするもの
118段 121,
122
冬は、いみじうさむき
119段 123 あはれなるもの
120段 124 正月に寺にこもりたるは
121段 125,
306
いみじう心づきなきもの
122段 126 わびしげに見ゆるもの
123段 127 暑げなるもの
124段 128 はづかしきもの
125段 129,
100
むとくなるもの
126段 130 修法は
127段 131 はしたなきもの
128段 131 八幡の行幸のかへらせ給ふに
129段 132 関白殿、黒戸より出でさせ給ふとて
130段 133 九月ばかり、夜一夜降り明かしつる雨の
131段 134 七日の日の若菜を
中巻(132~232段)
132段 135 二月、官の司に
133段 136 頭の弁の御もとより
134段 137 などて、官得はじめたる六位の笏に
135段 138 故殿の御ために
136段 139 頭の弁の、職に参り給ひて
137段 140 五月ばかり、月もなういと暗きに
138段 141 円融院の御はての年
139段 142 つれづれなるもの
140段 143 つれづれなぐさむもの
141段 144 とり所なきもの
142段 145 なほめでたきこと
143段 146 殿などのおはしまさで後
144段 147 正月十よ日のほど
145段 148 きよげなる男の
146段 149 碁を、やむごとなき人のうつとて
147段 150 恐ろしげなるもの
148段 151 きよしと見るもの
一本01   夜まさりするもの
一本02   火かげにおとるもの
一本03   聞きにくきもの
一本04   文字に書きてあるやうあらめど心得ぬもの
一本05   下の心かまへてわろくてきよげに見ゆるもの
一本06   女の表着は
一本07 299 唐衣は
一本08 300 裳は
一本09   汗衫は
一本10 301 織物は
一本11 302 綾の紋は
一本12   薄様色紙は
一本13   硯の箱は
一本14   筆は
一本15   墨は
一本16   貝は
一本17   櫛の箱は
一本18   鏡は
一本19   蒔絵は
一本20   火桶は
一本21   畳は
一本22   檳榔毛は
一本23 319 松の木立高き所の
一本24   きよげなる童べの髪うるはしき
一本25 239 宮仕所は
一本26   荒れたる家の蓬ふかく
一本27   池ある所の五月長雨の頃こそ
一本28 308 長谷にもうでて
一本29 316 女房の参りまかでには
149段 153 いやしげなるもの
150段 154 胸つぶるるもの
151段 155 うつくしきもの
152段 156 人ばへするもの
153段 157 名おそろしきもの
154段 158 見るにことなることなきものの
155段 159 むつかしげなるもの
156段 160 えせものの所得る折
157段 161 苦しげなるもの
158段 162 うらやましげなるもの
159段 163 とくゆかしきもの
160段 164 心もとなきもの
161段 165 故殿の御服の頃
162段 166 弘徽殿とは閑院の左大将の
163段 167 昔おぼえて不用なるもの
164段 168 たのもしげなきもの
165段 169 読経は
166段 170 近うて遠きもの
167段 171 遠くて近きもの
168段 172 井は
169段 196 野は
170段 235 上達部は
171段 236 君達は
172段 173 受領は
173段 174 権の守は
174段 175 大夫は
175段 237 法師は
176段 238 女は
177段 176 六位の蔵人などは
178段 177 女のひとりすむ所は
179段 178 宮仕人の里なども
180段 315 ある所に、なにの君とかや
181段 179 雪のいと高うはあらで
182段 180 村上の前帝の御時に
183段 181 御形の宣旨の
184段 182 宮にはじめて参りたるころ
185段 183 したり顔なるもの
186段 184 位こそなほめでたき物はあれ
187段 26,
240
かしこきものは
188段 305 病は
189段 305 十八九ばかりの人の
190段 305 八月ばかりに
191段 317 すきずきしくてひとり住みする人の
192段   いみじう暑き昼中に
193段   南ならずは東の廂の板の
194段   大路近なる所にて聞けば
195段 262 ふと心劣りとかするものは
196段 307 宮仕人のもとに来などする男の
197段 185 風は
198段 185 八、九月ばかりに
199段 185 九月つごもり、十月の頃
200段 186 野分のまたの日こそ
201段 187 心にくきもの
202段   五月の長雨の頃
203段   ことにきらきらしからぬ男の
204段 188 島は
205段 189 浜は
206段 190 浦は
207段 115 森は
208段 191 寺は
209段 192 経は
210段 194 仏は
211段 193 ふみは
212段 195 物語は
213段 197 陀羅尼は
214段 198 遊びは
215段 199 遊びわざは
216段 200 舞は
217段 201 弾くものは
218段 202 笛は
219段 203 見ものは
220段 203 賀茂の臨時の祭
221段 203,
213?
行幸にならぶものはなににかはあらむ
222段 203 祭のかへさ、いとをかし
223段 204 五月ばかりなどに山里にありく
224段 205 いみじう暑きころ
225段 247 五月四日の夕つ方
226段 248 賀茂へまゐる道に
227段 249 八月つごもり
228段   九月二十日あまりのほど
229段   清水などに参りて
230段 206 五月の菖蒲の
231段 207 よくたきしめたる薫物の
232段 208 月のいと明かきに
下巻(233~319段)
233段 209 おほきにてよきもの
234段 210 短くてありぬべきもの
235段 211 人の家につきづきしきもの
236段 212 ものへ行く路に
237段 214 よろづのことよりも
238段 215 細殿にびんなき人なむ
239段 216 三条の宮におはします頃
240段 99 御乳母の大輔の命婦
241段 281? 清水へこもりたりしに
242段 223 駅は
243段 225 社は
244段 225 蟻通の明神
245段 241 一条の院をば今内裏とぞいふ
246段 242 身をかへて、天人などは
247段 243 雪高う降りて
248段 244 細殿の遣戸を
249段 224 岡は
250段 226 降るものは
251段 226 雪は
252段 227 日は
253段 228 月は
254段 229 星は
255段 230 雲は
256段 231 さわがしきもの
257段 232 ないがしろなるもの
258段 233 ことばなめげなるもの
259段 234 さかしきもの
260段 245 ただ過ぎに過ぐるもの
261段 246 ことに人に知られぬるもの
262段 27 文ことばなめき人こそ
263段 250 いみじうきたなきもの
264段 251 せめておそろしきもの
265段 252 たのしきもの
266段 253 いみじうしたたてて婿とりたるに
267段   世の中になほいと心うきものは
268段   男こそ、なほいとありがたく
269段   よろづのことよりも情けあるこそ
270段   人のうへいふを
271段 312 人の顔に
272段   古代の人の指貫着たるこそ
273段 217 十月十よ日の月の
274段   成信の中将こそ
275段 218 大蔵卿ばかり
276段 254 うれしきもの
277段 255 御前にて人々とも、また
278段 256 関白殿、二月二十一日に
279段 257 たふときこと
280段 258 歌は
281段 259 指貫は
282段 260 狩衣は
283段 261 単は
284段 263 下襲は
285段 264 扇の骨は
286段 265 檜扇は
287段 266 神は
288段 267 崎は
289段 268 屋は
290段 269 時奏する、いみじうをかし
291段 270 日のうらうらとある昼つ方
292段 271 成信の中将は
293段 272 つねに文おこする人の
294段 273 今朝はさしも見えざりつる空の
295段 274 きらきらしきもの
296段 275 神のいたう鳴るをりに
297段 276 坤元録の御屏風こそ
298段 277 節分違へなどして夜深く帰る
299段 278 雪のいと高う降りたるを
300段 279 陰陽師のもとなる小童べこそ
301段 280 三月ばかり、物忌しにとて
302段 282 十二月二十四日
303段 283,
284
宮仕へする人々の出で集まりて
304段 285 見ならひするもの
305段 286 うちとくまじきもの
306段 286 日のいとうららかなるに
307段 287 右衛門の尉なりける者の
308段 288 小原の殿の御母上とこそは
309段 289 また、業平の中将のもとに
310段 290 をかしと思ふ歌を
311段 291 よろしき男を下衆女などのほめて
312段   左右の衛門の尉を
313段 292 大納言殿参り給ひて
314段 293 僧都の御乳母のままなど
315段 294 男は、女親亡くなりて
316段 297 ある女房の、遠江の子なる人を
317段 298 びんなき所にて
318段 296 まことにや、やがては下る
319段 321,
322
この草子、目に見え心に思ふことを(跋文)

 

(参考)能因本基準
三巻本
(大系)
能因 題・冒頭
1 1段 春は、あけぼの
2 2段 頃は、正月、三月
3 3段 正月一日は
4 3段 三月三日は
5 3段 四月、祭の頃
6 4段 同じことなれどもきき耳ことなるもの
7 5段 思はむ子を法師に
8 6段 大進生昌が家に
9 7段 うへに候ふ御猫は
10 8段 正月一日、三月三日は
11 9段 よろこび奏するこそ
12 10段,
295段
今内裏のひむがしをば
13 11段 山は
15 12段 峰は
16 13段 原は
14 14段 市は
17 15段 淵は
18 16段 海は
19 17段 みささぎは
20 18段 わたりは
22 19段 家は
23 20段 清涼殿の丑寅の隅の
24 21段 生ひ先なく、まめやかに
25 22段 すさまじきもの
26 23段 たゆまるるもの
27 24段 人にあなづらるるもの
28 25段 にくきもの
187 26段,
240段
かしこきものは
262 27段 文ことばなめき人こそ
  28段  
29 29段 心ときめきするもの
30 30段 過ぎにし方恋しきもの
31 31段 心ゆくもの
32 32段 檳榔毛はのどかに
51 33段 牛は
50 34段 馬は
55 35段 牛飼は
53 36段 雑色、随身は
54 37段 小舎人童
52 38段 猫は
33 39段,
40段
説経の講師は
34 41段 菩提といふ寺に
35 42段 小白河といふ所は
36 43段 七月ばかりいみじう暑ければ
37 44段 木の花は
38 45段 池は
39 46段 節は五月にしく月はなし
40 47段 木の花ならぬは
41 48段 鳥は
42 49段 あてなるもの
43 50段 虫は
44 51段 七月ばかりに
45 52段 にげなきもの
46 53段 細殿に人あまたゐて
  54段  
47 55段 主殿司こそ
48 56段 をのこは、また、随身こそ
49 57段 職の御曹司の西面の立蔀のもとにて
56 58段 殿上の名対面こそ
57 59段 若くよろしき男の
58 60段 若き人、ちごどもなどは
  61段  
59 62段 ちごは
60 63段 よき家の中門あけて
61 64段 滝は
64 65段 橋は
65 66段 里は
66 67段 草は
68 68段 集は
69 69段 歌の題は
67 70段 草の花は
70 71段 おぼつかなきもの
71 72段 たとしへなきもの
72 73段 夜烏どものゐて
73 74段,
75段
しのびたる所にありては
74 76段 懸想人にて来たるは
75 77段 ありがたきもの
76 78段 内裏の局、細殿いみじうをかし
77 79段 まいて、臨時の祭の調楽などは
78 80段 職の御曹司におはします頃、木立など
79 81段 あぢきなきもの
  82段  
80 83段,
84段
心地よげなるもの
81 85段 御仏名のまたの日
82 86段 頭の中将の、すずろなるそら言を聞きて
83 87段 かへる年の二月廿日よ日
84 88段 里へまかでたるに
85 89段,
112段
物のあはれ知らせ顔なるもの
86 90段 さて、その左衛門の陣などに
87 91段 職の御曹司におはします頃、西の廂にて
88 92段 めでたきもの
89 93段 なまめかしきもの
90 94段 宮の五節いださせ給ふに
91 95段 細太刀に平緒つけて
92 96段 内裏は、五節の頃こそ
93 97段 無名といふ琵琶の御琴を
94 98段 上の御局の御簾の前にて
240 99段 御乳母の大輔の命婦
95 100段 ねたきもの
96 101段 かたはらいたきもの
97 102段 あさましきもの
98 103段 くちをしきもの
99 104段 五月の御精進のほど
101 105段 御方々、君達、上人など
102 106段 中納言殿まゐり給ひて
103 107段 雨のうちはへ降る頃
104 108段 淑景舎、東宮に参り給ふほどのことなど
105 109段 殿上より、梅のみな散りたる枝を
106 110段 二月つごもり頃に
107 111段 行く末はるかなるもの
85 89段,
112段
物のあはれ知らせ顔なるもの
108 113段 方弘は、いみじう人に笑はるるものかな
111 114段 関は
112 115段 森は
207 115段 森は
114 116段 卯月のつごもりがたに
  117段 湯は
115 118段 つねよりことにきこゆるもの
116 119段 絵にかきおとりするもの
117 120段 かきまさりするもの
118 121段,
122段
冬は、いみじうさむき
119 123段 あはれなるもの
120 124段 正月に寺にこもりたるは
121 125段,
306段
いみじう心づきなきもの
122 126段 わびしげに見ゆるもの
123 127段 暑げなるもの
124 128段 はづかしきもの
125 129段,
100段
むとくなるもの
126 130段 修法は
127 131段 はしたなきもの
128 131段 八幡の行幸のかへらせ給ふに
129 132段 関白殿、黒戸より出でさせ給ふとて
130 133段 九月ばかり、夜一夜降り明かしつる雨の
131 134段 七日の日の若菜を
132 135段 二月、官の司に
133 136段 頭の弁の御もとより
134 137段 などて、官得はじめたる六位の笏に
135 138段 故殿の御ために
136 139段 頭の弁の、職に参り給ひて
137 140段 五月ばかり、月もなういと暗きに
138 141段 円融院の御はての年
139 142段 つれづれなるもの
140 143段 つれづれなぐさむもの
141 144段 とり所なきもの
142 145段 なほめでたきこと
143 146段 殿などのおはしまさで後
144 147段 正月十よ日のほど
145 148段 きよげなる男の
146 149段 碁を、やむごとなき人のうつとて
147 150段 恐ろしげなるもの
148 151段 きよしと見るもの
  152段 きたなげなるもの
149 153段 いやしげなるもの
150 154段 胸つぶるるもの
151 155段 うつくしきもの
152 156段 人ばへするもの
153 157段 名おそろしきもの
154 158段 見るにことなることなきものの
155 159段 むつかしげなるもの
156 160段 えせものの所得る折
157 161段 苦しげなるもの
158 162段 うらやましげなるもの
159 163段 とくゆかしきもの
160 164段 心もとなきもの
161 165段 故殿の御服の頃
162 166段 弘徽殿とは閑院の左大将の
163 167段 昔おぼえて不用なるもの
164 168段 たのもしげなきもの
165 169段 読経は
166 170段 近うて遠きもの
167 171段 遠くて近きもの
168 172段 井は
172 173段 受領は
173 174段 権の守は
174 175段 大夫は
177 176段 六位の蔵人などは
178 177段 女のひとりすむ所は
179 178段 宮仕人の里なども
181 179段 雪のいと高うはあらで
182 180段 村上の前帝の御時に
183 181段 御形の宣旨の
184 182段 宮にはじめて参りたるころ
185 183段 したり顔なるもの
186 184段 位こそなほめでたき物はあれ
197 185段 風は
198 185段 八、九月ばかりに
199 185段 九月つごもり、十月の頃
200 186段 野分のまたの日こそ
201 187段 心にくきもの
204 188段 島は
205 189段 浜は
206 190段 浦は
208 191段 寺は
209 192段 経は
211 193段 ふみは
210 194段 仏は
212 195段 物語は
169 196段 野は
213 197段 陀羅尼は
214 198段 遊びは
215 199段 遊びわざは
216 200段 舞は
217 201段 弾くものは
218 202段 笛は
219 203段 見ものは
220 203段 賀茂の臨時の祭
222 203段 祭のかへさ、いとをかし
221 203段,
213?段
行幸にならぶものはなににかはあらむ
223 204段 五月ばかりなどに山里にありく
224 205段 いみじう暑きころ
230 206段 五月の菖蒲の
231 207段 よくたきしめたる薫物の
232 208段 月のいと明かきに
233 209段 おほきにてよきもの
234 210段 短くてありぬべきもの
235 211段 人の家につきづきしきもの
236 212段 ものへ行く路に
221 203段,
213?段
行幸にならぶものはなににかはあらむ
237 214段 よろづのことよりも
238 215段 細殿にびんなき人なむ
239 216段 三条の宮におはします頃
273 217段 十月十よ日の月の
275 218段 大蔵卿ばかり
  219段 硯きたなげに塵ばみ
  220段  
  221段  
62 222段 河は
242 223段 駅は
249 224段 岡は
243 225段 社は
244 225段 蟻通の明神
250 226段 降るものは
251 226段 雪は
252 227段 日は
253 228段 月は
254 229段 星は
255 230段 雲は
256 231段 さわがしきもの
257 232段 ないがしろなるもの
258 233段 ことばなめげなるもの
259 234段 さかしきもの
170 235段 上達部は
171 236段 君達は
175 237段 法師は
176 238段 女は
一本25 239段 宮仕所は
187 26段,
240段
かしこきものは
245 241段 一条の院をば今内裏とぞいふ
246 242段 身をかへて、天人などは
247 243段 雪高う降りて
248 244段 細殿の遣戸を
260 245段 ただ過ぎに過ぐるもの
261 246段 ことに人に知られぬるもの
225 247段 五月四日の夕つ方
226 248段 賀茂へまゐる道に
227 249段 八月つごもり
263 250段 いみじうきたなきもの
264 251段 せめておそろしきもの
265 252段 たのしきもの
266 253段 いみじうしたたてて婿とりたるに
276 254段 うれしきもの
277 255段 御前にて人々とも、また
278 256段 関白殿、二月二十一日に
279 257段 たふときこと
280 258段 歌は
281 259段 指貫は
282 260段 狩衣は
283 261段 単は
195 262段 ふと心劣りとかするものは
284 263段 下襲は
285 264段 扇の骨は
286 265段 檜扇は
287 266段 神は
288 267段 崎は
289 268段 屋は
290 269段 時奏する、いみじうをかし
291 270段 日のうらうらとある昼つ方
292 271段 成信の中将は
293 272段 つねに文おこする人の
294 273段 今朝はさしも見えざりつる空の
295 274段 きらきらしきもの
296 275段 神のいたう鳴るをりに
297 276段 坤元録の御屏風こそ
298 277段 節分違へなどして夜深く帰る
299 278段 雪のいと高う降りたるを
300 279段 陰陽師のもとなる小童べこそ
301 280段 三月ばかり、物忌しにとて
241 281?段 清水へこもりたりしに
302 282段 十二月二十四日
303 283段,
284段
宮仕へする人々の出で集まりて
304 285段 見ならひするもの
305 286段 うちとくまじきもの
306 286段 日のいとうららかなるに
307 287段 右衛門の尉なりける者の
308 288段 小原の殿の御母上とこそは
309 289段 また、業平の中将のもとに
310 290段 をかしと思ふ歌を
311 291段 よろしき男を下衆女などのほめて
313 292段 大納言殿参り給ひて
314 293段 僧都の御乳母のままなど
315 294段 男は、女親亡くなりて
12 10段,
295段
今内裏のひむがしをば
318 296段 まことにや、やがては下る
316 297段 ある女房の、遠江の子なる人を
317 298段 びんなき所にて
一本07 299段 唐衣は
一本08 300段 裳は
一本10 301段 織物は
一本11 302段 綾の紋は
  303段  
  304段  
188 305段 病は
189 305段 十八九ばかりの人の
190 305段 八月ばかりに
121 125段,
306段
いみじう心づきなきもの
196 307段 宮仕人のもとに来などする男の
一本28 308段 長谷にもうでて
110 309段 いひにくきもの
  310段  
  311段  
271 312段 人の顔に
  313段  
  314段  
180 315段 ある所に、なにの君とかや
一本29 316段 女房の参りまかでには
191 317段 すきずきしくてひとり住みする人の
  318段 淸げなるわかき人のなほしも
一本23 319段 松の木立高き所の(前の木だち高う庭廣き家の)
109 320段 見苦しきもの
319 321段,
322段
この草子、目に見え心に思ふことを(跋文)
21   たちは
63   あかつきに帰らむ人は
100   職におはします頃
113   原は
192   いみじう暑き昼中に
193   南ならずは東の廂の板の
194   大路近なる所にて聞けば
202   五月の長雨の頃
203   ことにきらきらしからぬ男の
228   九月二十日あまりのほど
229   清水などに参りて
267   世の中になほいと心うきものは
268   男こそ、なほいとありがたく
269   よろづのことよりも情けあるこそ
270   人のうへいふを
272   古代の人の指貫着たるこそ
274   成信の中将こそ
312   左右の衛門の尉を

 


1段(能1):春は、あけぼの

 
 
 春は、あけぼの。
 やうやう白くなりゆく、山ぎは少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
 

 夏は、夜。
 月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。
 

 秋は、夕暮れ。
 夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。
 

 冬は、つとめて。
 雪の降りたるは、言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、また、さらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりてわろし。
 
 

2段(能2):頃は、正月、三月

 
 
 頃は、正月、三月、四月、五月、七八九月、十一二月、すべてをりにつけつつ、一年ながらをかし。
 
 

3段(能3):正月一日は

 
 
 正月一日は、まいて空のけしきもうらうらと、めづらしうかすみこめたるに、世にありとある人は、みな姿形心ことにつくろひ、君をも我をもいはひなどしたる、さまことにをかし。
 

 七日、雪まの若菜摘み、あをやかに、例はさしもさるもの目ちかからぬ所に、もてさわぎたるこそをかしけれ。白馬みにとて、里人は車きよげにしたて見に行く。中御門のとじきみ引きすぐるほど、かしら一所にゆるぎあひて、さしぐしもおち、用意せねばをれなどしてわらふもまたをかし。
 左衛門の陣のもとに、殿上人などあまた立ちて、舎人の弓どもとりて馬どもおどろかしわらふを、はつかに見入れたれば、立蔀などのみゆるに、主殿司、女官などのゆきちがひたるこそをかしけれ。いかばかりなる人九重をならすらむ、など思ひやらるるに。
 内裏にも、見るは、いとせばきほどにて、舎人の顔のきぬにあらはれ、まことにくろきに、しろき物いきつかぬ所は、雪のむらむら消えのこりたる心地して、いとみぐるしく、馬のあがりさわぐなどもいとおそろしう見ゆれば、引きいられてよくも見えず。
 

 八日、人のよろこびしてはしらする車の音、ことに聞こえてをかし。
 

 十五日、節供参りすゑ、かゆの木ひきかくして、家の御達、女房などのうかがふを、うたれじと用意して、つねにうしろを心づかひしたるけしきも、いとをかしきに、いかにしたるにかあらむ、うちあてたるは、いみじう興ありてうちわらひたるはいとはえばえし。ねたしと思ひたるもことわりなり。
 あたらしうかよふ婿の君などの内裏へまゐるほどをも心もとなう、所につけて我はと思ひたる女房の、のぞきけしきばみ、おくのかたにてたたずまふを、前にゐたる人は心得て笑ふを、「あなかま」とまねき制すれども、女はたしらず顔にて、おほどかにてゐ給へり。「ここなる物とり侍らむ」など言ひてよりは、はしりうちてにぐれば、あるかぎり笑ふ。をとこ君もにくからずうち笑みたるに、ことにおどろかず、顔すこしあかみてゐたるこそをかしけれ。
 また、かたみにうちて、をところさへぞうつめる。いかなる心にかあらむ、なきはらだちつつ、人をのろひ、まがまがしく言ふもあるこそをかしけれ。内裏わたりなどのやむごとなきも、けふはみな乱れてかしこまりなし。
 

 除目の頃など、内裏わたりいとをかし。雪降り、いみじうこほりたるに、申文もてありく。四位五位、若やかに心地よげなるはいとたのもしげなり、老いてかしらしろきなどが人に案内いひ、女房の局などによりて、おのが身のかしこきよしなど、心ひとつをやりて説ききかするを、若き人々はまねをし笑へど、いかでか知らむ。「よきに奏し給へ、啓し給へ」など言ひても、得たるはいとよし、得ずなりぬるこそいとあはれなれ。
 
 

4段(能3):三月三日は

 
 
 三月三日は、うらうらとのどかに照りたる。桃の花のいまさきはじむる。柳などをかしきこそさらなれ、それもまだまゆにこもりたるはをかし。ひろごりたるはうたてぞみゆる。
 

 おもしろくさきたる桜をながく折りて、おほきなる瓶にさしたるこそをかしけれ。桜の直衣に出袿して、まらうどにもあれ、御せうとの君たちにても、そこちかくゐて物などうちいひたる、いとをかし。
 
 

5段(能3):四月、祭の頃

 
 
 四月、祭の頃いとをかし。上達部、殿上人も、上のきぬのこきうすきばかりのけぢめにて、白襲どのおなじさまに、すずしげにをかし。木々の木の葉、まだいとしげうはあらで、若やかにあをみわたりたるに、霞も霧もへだてぬ空のけしきの、なにとなくすずろにをかしきに、すこしくもりたる夕つ方、夜など、しのびたる郭公の、遠くそらかねかとおぼゆばかり、たどたどしきを聞きつけたらむは、なに心地かせむ。
 

 祭近くなりて、青朽葉、二藍の物どもおしまきて、紙などにけしきばかりおしつつみて、いきちがひもてありくこそをかしけれ。すそ濃、むら濃なども、つねよりはをかしく見ゆ。わらはべの、かしらばかりをあらひつくろひて、なりはみなほころびたえ、乱れかかりたるもあるが、屐子、履などに、「緒すげさせ。裏をさせ」などもてさわぎて、いつしかその日にならなむと、いそぎおしありくも、いとをかしや。
 あやしうをどりありく者どももの、装束きしたてつれば、いみじく定者などいふ法師のやうにねりさまよふ。いかに心もとなからむ、ほどほどにつけて、親、をばの女、姉などの、供し、つくろひて、率てありくもをかし。
 

 蔵人思ひしめたる人の、ふとしもえならぬが、この日青色きたるこそ、やがてぬがせでもあらばや、とおぼゆれ。綾ならぬはわろき。
 
 

6段(能4):同じことなれどもきき耳ことなるもの

 
 
 同じことなれどもきき耳ことなるもの。
 法師の言葉。をのこのことば。女の詞。下衆の詞には、かならず文字あまりたり。
 
 

7段(能5):思はむ子を法師に

 
 
 思はむ子を法師になしたらむこそ、いと心苦しけれ。ただ木の端などのやうに思ひたるこそ、いといとほしけれ。精進物のいとあしきをうち食ひ、寝ぬるをも、若きはものもゆかしからむ、女などのある所をも、などか忌みたるやうにさしのぞかずもあらむ、それをもやすからず言ふ。
 まいて、験者などはいと苦しげなめり。困じてうち眠れば、「ねぶりなどのみして」などもどかる、いと所せく、いかにおぼゆらむ。
 

 これは昔のことなめり。いまやうはやすげなり。
 
 

8段(能6):大進生昌が家に

 
 
 大進生昌が家に、宮のいでさせ給ふに、東の門は四足になして、それより御輿は入らせ給ふ。北の門より、女房の車どもも、また陣のゐねば、入りなむと思ひて、かしらつきわろき人も、いたうもつくろはず、寄せて降るべきものと思ひあなづりたるに、檳榔毛の車などは、門小さければ、さはりてえ入らねば、例の筵道敷きて降るるに、いとにくく腹立たしけれども、いかがはせむ。殿上人、地下なるも、陣に立ち添ひて見るも、いとねたし。
 

 御前に参りて、ありつるやう啓すれば、「ここにても、人は見るまじうやは。などかはさしもうちとけつる」と笑はせ給ふ。「されど、それは目なれにて侍れば、よくしたてて侍らむにしもこそ、おどろく人も侍らめ。さてもかばかりの家に、車入らぬ門やはある。見えば笑はむ」など言ふほどにしも、「これ、参らせ給へ」とて、御硯などさし入る。「いで、いとわろくこそおはしけれ。などその門、はたせばくは作りて住み給ひける」と言へば、笑ひて、「家のほど、身のほどに合はせて侍るなり」といらふ。「されど、門のかぎりを高う作る人もありけるは」と言へば、「あな、おそろし」と驚きて、「それは于定国がことにこそ侍るなれ。古き進士などに侍らずは、承り知るべきにも侍らざりけり。たまたまこの道にまかり入りにければ、かうだにわきまへ知られ侍る」と言ふ。「その御道もかしこからざめり。筵道敷きたれど、みな落ち入りさわぎつるは」と言へば、「雨の降り侍りつれば、さも侍りつらむ。よしよし、また仰せられかくることもぞ侍る。まかり立ちなむ」とて往ぬ。「何事ぞ、生昌がいみじうおぢつる」と問はせ給ふ。「あらず、車の入り侍らざりつること、言ひ侍りつる」と申して下りたり。
 

 同じ局に住む若き人々などして、よろづのことも知らず、ねぶたければみな寝ぬ。東の対の西の廂、北かけてあるに、北の障子に懸金もなかりけるを、それも尋ねず、家あるじなれば、案内を知りて開けてけり。あやしくかればみさわぎたる声にて、「候はむはいかに、いかに」と、あまたたび言ふ声にぞおどろきて見れば、几帳の後ろに立てたる灯台の光はあらはなり。障子を五寸ばかり開けて言ふなりけり。いみじうをかし。さらにかやうのすきずきしきわざ、ゆめにせぬものを、わが家におはしましたりとて、むげに心にまかするなめり、と思ふも、いとをかし。
 

 かたはらなる人を押し起こして、「かれ見給へ。かかる見えぬもののあめるは」と言へば、かしらもたげて見やりて、いみじう笑ふ。「あれはたそ、顕証に」と言へば、「あらず。家ぬしと局あるじと、定め申すべきことの侍るなり」と言へば、「門のことをこそ聞こえつれ、障子開け給へとやは聞こえつる」と言へば、「なほそのことも申さむ。そこに候はむはいかに、いかに」と言へば、「いと見苦しきこと。さらにえおはせじ」とて笑ふめれば、「若き人おはしけり」とて、引き立てて往ぬる、のちに、笑ふこといみじう、開けむとならば、ただ入りねかし、消息を言はむに、よかなりとは、たれか言はむ、と、げにぞをかしき。
 

 つとめて、御前に参りて啓すれば、「さることも聞こえざりつるものを。夜べのことにめでて行きたりけるなり。あはれ、かれをはしたなう言ひけむこそ、いとほしけれ」とて、笑はせ給ふ。
 

 姫宮の御方のわらはべの装束、つかうまつるべきよし仰せらるるに、「この袙のうはおそひは、何の色にかつかうまつらすべき」と申すを、また笑ふもことわりなり。「姫宮の御前のものは、例のやうにては、にくげに候はむ。ちうせい折敷に、ちうせい高坏などこそよく侍らめ」と申すを、「さてこそは、うはおそひ着たらむわらはも、参りよからめ」と言ふを、なほ、「例の人のやうに、これなかくな言ひ笑ひそ。いと謹厚なるものを」と、いとほしがらせ給ふも、をかし。
 

 中間なるをりに、「大進、まづもの聞こえむとあり」と言ふを聞こしめして、「またなでふこと言ひて、笑はれむとならむ」と仰せらるるもまたをかし。「行きて聞け」と宣はすれば、わざといでたれば、「一夜の門のこと、中納言に語り侍りしかば、いみじう感じ申されて、『いかでさるべからむをりに心のどかに対面して、申し承らむ』となむ申されつる」とて、またことごともなし。一夜のことや言はむ、と心ときめきしつれど、「いましづかに、御局に候はむ」とて往ぬれば、帰り参りたるに、「さて、何事ぞ」と宣はすれば、申しつることを、さなむと啓すれば、「わざと消息し、呼びいづべきことにはあらぬや。おのづから端つ方、局などにゐたらむときも言へかし」とて笑へば、「おのが心地にかしこしと思ふ人のほめたる、うれしとや思ふ、と告げ聞かするならむ」と宣はする、御けしきも、いとめでたし。
 
 

9段(能7):うへに候ふ御猫は

 
 
 うへに候ふ御猫は、かうぶりにて命婦のおとどとて、いみじうをかしければ、かしづかせ給ふが、端に出でて臥したるに、乳母の馬命婦、「あな、まさなや。入り給へ」と呼ぶに、日のさし入りたるに、ねぶりてゐたるを、おどすとて、「翁丸、いづら。命婦のおとど食へ」と言ふに、まことかとて、しれものは走りかかりたれば、おびえまどひて、御簾のうちに入りぬ。
 

 朝餉のおまへに、上おはしますに、御覧じていみじう驚かせ給ふ。猫を御ふところに入れさせ給ひて、男ども召せば、蔵人忠隆、なりなか参りたれば、「この翁丸打ち調じて、犬島へつかはせ。ただいま」と仰せらるれば、集まり狩りさわぐ。馬命婦をもさいなみて、「乳母かへてむ。いとうしろめたし」と仰せらるれば、御前にも出でず。犬は狩り出でて、滝口などして追ひつかはしつ。
 

 「あはれ、いみじうゆるぎありきつるものを。三月三日、頭の弁の、柳かづらせさせ、桃の花をかざしにささせ、桜腰にさしなどしてありかせ給ひしをり、かかる目見むとは思はざりけむ」などあはれがる。「御膳のをりは、必ず向かひ候ふに、さうざうしうこそあれ」など言ひて、三四日になりぬる、昼つ方、犬いみじう鳴く声のすれば、なぞの犬のかく久しう鳴くにかあらむ、と聞くに、よろづの犬とぶらひ見に行く。
 

 御厠人なる者走り来て、「あな、いみじ。犬を蔵人二人して打ち給ふ。死ぬべし。犬を流させ給ひけるが、帰り参りたるとて調じ給ふ」と言ふ。心憂のことや、翁丸なり。「忠隆、実房なんど打つ」と言へば、制しにやるほどに、からうじて鳴きやみ、「死にければ、陣の外にひき捨てつ」と言ヘば、あはれがりなどする、夕つ方、いみじげに腫れ、あさましげなる犬のわびしげなるが、わななきありけば、「翁丸か。このごろかかる犬やはありく」と言ふに、「翁丸」と言ヘど、聞きも入れず。「それ」とも言ひ、「あらず」とも口々申せば、「右近ぞ見知りたる。呼べ」とて召せば、参りたり。「これは翁丸か」と見せさせ給ふ。「似ては侍れど、これはゆゆしげにこそ侍るめれ。また、『翁丸か』とだに言へば、喜びてまうで来るものを、呼べど寄り来ず。あらぬなめり。それは、『打ち殺して捨て侍りぬ』とこそ申しつれ。二人して打たむには、侍りなむや」など申せば、心憂がらせ給ふ。
 

 暗うなりて、物食はせたれど食はねば、あらぬものに言ひなしてやみぬる、つとめて、御けづり髪・御手水など参りて、御鏡を持たせさせ給ひて御覧ずれば、候ふに、犬の柱のもとにゐたるを見やりて、「あはれ、きのふ翁丸をいみじうも打ちしかな。死にけむこそあはれなれ。何の身にこのたびはなりぬらむ。いかにわびしきここちしけむ」とうち言ふに、このゐたる犬のふるひわななきて、涙をただ落としに落とすに、いとあさまし。さは翁丸にこそはありけれ、昨夜は隠れ忍びてあるなりけり、と、あはれにそへてをかしきことかぎりなし。
 

 御鏡うち置きて、「さは翁丸か」と言ふに、ひれ伏していみじう泣く。御前にもいみじうおち笑はせ給ふ。右近の内侍召して、「かくなむ」と仰せらるれば、笑ひののしるを、上にも聞こしめして渡りおはしましたり。「あさましう、犬なども、かかる心あるものなりけり」と笑はせ給ふ。うへの女房なども、聞きて参り集まりて、呼ぶにも今ぞ立ち動く。「なほこの顔などの腫れたる、物のてをせさせばや」と言へば、「つひにこれをいひあらはしつること」など笑ふに、忠隆聞きて、台盤所の方より、「まことにや侍らむ。かれ見侍らむ」と言ひたれば、「あな、ゆゆし。さらに、さるものなし」と言はすれば、「さりとも、見つくるをりも侍らむ。さのみもえ隠させ給はじ」と言ふ。
 

 さて、かしこまり許されて、もとのやうになりにき。なほあはれがられて、ふるひ泣き出でたりしこそ、よに知らずをかしくあはれなりしか。人などこそ人に言はれて泣きなどはすれ。
 
 

10段(能8):正月一日、三月三日は

 
 
 正月一日、三月三日は、いとうららかなる。
 五月五日は、くもりくらしたる。七月七日は、くもりくらして、夕方は晴れたる空に、月いとあかく、星の数もみえたる。
 九月九日は、あかつきがたより雨すこしふりて、菊の露もこちたく、おほひたる綿などもいたくぬれ、うつしの香ももてはやされて、つとめてはやみにたれど、なほくもりて、ややもせばふりおちぬべく見えたるもをかし。
 
 

11段(能9):よろこび奏するこそ

 
 
 よろこび奏するこそをかしけれ。うしろをまかせて、御前のかたにむかひてたてるを。拝し舞踏しさわぐよ。
 
 

12段(能10,能295):今内裏のひむがしをば

 
 
 今内裏のひむがしをば北の陣といふ。なしの木のはるかにたかきを、「いく尋あらむ」などいふ。権中将、「もとよりうちきりて、定澄僧都の枝扇にせばや」と宣ひしを、山階寺の別当になりてよろこび申す日、近衛づかさにてこの君の出で給へるに、たかき屐子をさへはきたれば、ゆゆしうたかし。出でぬる後に、「などその枝扇をばもたせ給はぬ」といへば、「物わすれせぬ」と笑ひ給ふ。
 

「定澄僧都に袿なし。すくせ君に袙なし」と言ひけむ人こそをかしけれ。
 
 

13段(能11):山は

 
 
 山は 小倉山。かせ山。三笠山。このくれ山。いりたちの山。わすれずの山。末の松山。

 かたさり山こそ、いかならむとをかしけれ。

 いつはた山。かへる山。のちせの山。

 あさくら山、よそに見るぞをかしき。

 おほひれ山もをかし。臨時の祭の舞人などのおもひ出でらるるなるべし。

 三輪の山をかし。

 たむけ山。まちかね山。たまさか山。みみなし山。
 
 

14段(能14):市は

 
 
 市は たつの市。さとの市。つば市。
 大和にあまたある中に、長谷に詣づる人のかならずそこにとまるは、観音の縁のあるにや、と心ことなり。

 おふさの市。しかまの市。あすかの市。
 
 

15段(能12):峰は

 
 
 峰は ゆづるはの峰。あみだの峰。いやたかの峰。
 
 

16段(能13):原は

 
 
 原は みかの原。あしたの原。その原。
 
 

17段(能15):淵は

 
 
 淵は かしこ淵は、いかなる底の心を見て、さる名を付けけむとをかし。

 ないりその淵は、たれにいかなる人のをしへけむ。青色の淵こそをかしけれ。蔵人などの具にしつべくて。

 かくれの淵。いな淵。
 
 

18段(能16):海は

 
 
 海は 水うみ。よさの海。かはふちの海。
 
 

19段(能17):みささぎは

 
 
 みささぎは うぐひすのみささぎ。かしはぎのみささぎ。あめのみささぎ。
 
 

20段(能18):わたりは

 
 
 わたりは しかすがのわたり。こりずまのわたり。水はしのわたり。
 
 

21段(能 ):たちは

 
 
 たちは たまつくり。
 
 

22段(能19):家は

 
 
 家は 近衛の御門。二条みかゐ。一条もよし。

 そめどのの宮。せかい院。すがはらの院。冷泉院。閑院。朱雀院。をのの宮。

 こうばい。あがたの井戸。

 たけ三条。小八条。小一条。
 
 

23段(能20):清涼殿の丑寅の隅の

 
 
 清涼殿の丑寅の隅の、北の隔てなる御障子には、荒海の絵、生きたるものどものおそろしげなる、手長足長をぞかきたる。上の御局の戸おしあけたれば、つねに目に見ゆるを、にくみなどして笑ふ。
 

 勾欄のもとに青き瓶の大きなるすゑて、桜のいみじうおもしろき枝の五尺ばかりなるを、いと多くさしたれば、勾欄の外までこぼれ咲きたる、昼つ方、大納言殿、桜の直衣のすこしなよらかなるに、濃き紫の固紋指貫、白き御衣ども、うへに濃き綾のいとあざやかなるを出だしてまゐり給へるに、うへのこなたにおはしませば、戸口の前なるほそき板敷にゐ給ひて、ものなど奏し給ふ。
 

 御簾の内に、女房、桜の唐衣どもくつろかにぬぎたれて、藤、山吹などいろいろにこのましうて、あまた小半蔀の御簾よりもおし出でたるほど、昼の御座のかたには、おものまゐる足音高し。警蹕など「おし」といふ声聞こゆるも、うらうらとのどかなる日のけしきなど、いとをかしきに、はての御盤とりたる蔵人まゐりておもの奏すれば、中の戸よりわたらせ給ふ。御供に大納言殿まゐらせ給ひて、ありつる花のもとに帰りゐ給へり。
 

 宮の御前の御几帳おしやりて、長押のもとに出でさせ給へるなど、なにとなくただめでたきを、候ふ人も思ふことなき心地するに、「月も日もかはりゆけどもひさにふる三室の山の」といふことを、ゆるるかにうちよみ出だしてゐ給へる、いとをかしうおぼゆるにぞ、げにぞ千歳もあらまほしき御ありさまなるや。
 

 賠膳つかうまつる人の、男どもなど召すほどもなくわたらせ給ひぬ。「御硯の墨すれ」と仰せらるるに、目はそらにて、ただおはしますをのみ見奉れば、ほとどつぎめもはなちつべし。白き色紙をおしたたみて、「これにただいまおぼえむふるきことひとつづつ書け」と仰せらるる、外にゐ給へるに、「これはいかが」と申せば、「とう書きてまゐらせ給へ。男は言くはへ候ふべきにも侍らず」とて、さし入れ給へり。御硯取りおろして、「とくとく。ただ思ひまはさで、難波津もなにも、ふとおぼえむことを」と責めさせ給ふに、などさは臆せしにか、すべて面さへ赤みてぞ思ひ乱るるや。春の歌、花の心など、さいふいふも、上臈二つ三つばかり書きて、「これに」とあるに、
 

♪1
  年ふれば 齢は老いぬし かはあれど
  花をし見れば もの思ひもなし
 

といふことを、「君をし見れば」と書きなしたる、御覧じ比べて、「ただこの心どものゆかしかりつるぞ」と仰せらるるついでに、「円融院の御時に、『草子に歌一つ書け』と殿上人に仰せられければ、いみじう書きにくう、すまひ申す人々ありけるに、『さらにただ、手のよさあしさ、歌のをりにあはざらむをも知らじ』と仰せらるれば、侘びてみな書きける中に、ただいまの関白殿、三位の中将と聞こえける時、
 

♪2
  潮の満つ いつもの浦の いつもいつも
  君をば深く 思ふはやわが
 

といふ歌を、末を、『頼むはやわが』と書き給へりけるをなむ、いみじうめでさせ給ひける」など仰せらるるも、すずろに汗あゆる心地ぞする。年若からむ人、はたさもえ書くまじきことのさまにや、などぞおぼゆる。例の、ことよく書く人々も、あぢきなうみなつつまれて、書き汚しなどしたるもあり。
 

 古今の草子を御前に置かせ給ひて、歌どもの本を仰せられて、「これが末、いかに」と問はせ給ふに、すべて、夜昼、心にかかりておぼゆるもあるが、け清う申し出でられぬは、いかなるぞ。宰相の君ぞ十ばかり、それもおぼゆるかは。まいて、五つ、六つなどは、ただおぼえぬ由をぞ啓すべけれど、「さやはけにくく、仰せごとをはえなうもてなすべき」と、わび、口惜しがるも、をかし。知ると申す人なきをば、やがてみな読み続けて、夾算せさせ給ふを、「これは、知りたることぞかし。などかう、つたなうはあるぞ」と言ひ嘆く。中にも、古今あまた書き写しなどする人は、みなもおぼえぬべきことぞかし。
 「村上の御時に、宣耀殿の女御と聞こえけるは、小一条の左の大臣殿の御娘におはしけると、誰かは知り奉らざらむ。まだ姫君と聞こえけるとき、父大臣の教へ聞こえ給ひけることは、『一つには御手を習ひ給へ。次には、琴の御琴を、人よりことに弾きまさらむとおぼせ。さては、古今の歌二十巻を、みなうかべさせ給ふを、御学問にはせさせ給へ』となむ、聞こえ給ひける、と聞こし召しおきて、御物忌みなりける日、古今をもてわたらせ給ひて、御几帳を引き隔てさせ給ひければ、女御、例ならずあやし、とおぼしけるに、草子を広げさせ給ひて、『その月、何の折、その人のよみたる歌はいかに』と問ひ聞こえさせ給ふを、かうなりけり、と心得給ふもをかしきものの、ひがおぼえをもし、忘れたるところもあらば、いみじかるべきこと、と、わりなうおぼし乱れぬべし。
 その方におぼめかしからぬ人、二、三人ばかり召し出でて、碁石して数置かせ給ふとて、強ひ聞こえさせ給ひけむほどなど、いかにめでたうをかしかりけむ。御前に候ひけむ人さへこそうらやましけれ。
 せめて申させ給へば、さかしう、やがて末まではあらねども、すべて、つゆたがふことなかりけり。いかでなほ少しひがごと見つけてをやまむと、ねたきまでにおぼしめしけるに、十巻にもなりぬ。『さらに不用なりけり』とて、御草子に夾算さして大殿篭りぬるも、まためでたしかし。
 いと久しうありて、起きさせ給へるに、『なほこのこと、勝ち負けなくてやませ給はむ、いとわろし』とて、下の十巻を、『明日にならば、ことをぞ見給ひ合はする』とて、『今日定めてむ』と、大殿油参りて、夜更くるまでよませ給ひける。されど、つひに負け聞こえさせ給はずなりにけり。『上、わたらせ給ひて、かかること』など、殿に申しに奉られたりければ、いみじうおぼしさわぎて、御誦経などあまたせさせ給ひて、そなたに向きてなむ念じくらし給ひける。すきずきしう、あはれなることなり」
 など、語り出でさせ給ふを、上も聞こし召し、めでさせ給ふ。「我は三巻、四巻をだにえ見果てじ」と、仰せらる。
 「昔は、えせ者なども、みなをかしうこそありけれ。このごろは、かやうなることやは聞こゆる」など、御前に候ふ人々、上の女房、こなた許されたるなど参りて、口々言ひいでなどしたるほどは、まことに、つゆ思ふことなく、めでたくぞおぼゆる。
 
 

24段(能21):生ひ先なく、まめやかに

 
 
 生ひ先なく、まめやかに、えせざいはひなど見てゐたらむ人は、いぶせくあなづらはしく思ひやられて、なほさりぬべからむ人のむすめなどは、さしまじらはせ、世のありさまも見せならはさまほしう、内侍のすけなどにてしばしもあらせばや、とこそおぼゆれ。
 

 宮仕へする人を、あはあはしう悪きことにいひ思ひたる男などこそ、いとにくけれ。
 げにそもまたさることぞかし。かけまくもかしこき御前をはじめ奉りて、上達部、殿上人、五位、四位はさらにもいはず、見ぬ人は少なくこそあらめ。女房の従者、その里より来る者、長女、御厠人の従者、たびしかはらといふまで、いつかはそれをはじかくれたりし。殿ばらなどはいとさしもやあらざらむ、それもあるかぎりかは、しかさぞあらむ。
 

 うへなどをいひてかしづきすゑたらむに、心にくからずおぼえむ、ことわりなれど、また内裏の内侍のすけなどいひて、折々内裏へ参り、祭の使などに出でたるも、おもだたしからずやはある。さてこもりゐぬるは、まいてめでたし。受領の五節いだすをりなど、いとひなびいひ知らぬことなど、人に問ひ聞きなどはせじかし。心にくきものなり。
 
 

25段(能22):すさまじきもの

 
 
 すさまじきもの。昼吠ゆる犬、春の網代。三、四月の紅梅の衣。牛死にたる牛飼。乳児亡くなりたる産屋。火おこさぬ炭櫃・地下炉。博士のうちつづき女子生ませたる。方違へに行きたるに、あるじせぬ所。まいて節分などは、いとすさまじ。
 

 人の国よりおこせたる文の、物なき。京のをもさこそ思ふらめ、されどそれはゆかしきことどもをも書き集め、世にあることなどをも聞けば、いとよし。
 

 人のもとにわざときよげに書きてやりつる文の返りごと、いまはもて来ぬらむかし、あやしう遅き、と待つほどに、ありつる文、立て文をも結びたるをも、いときたなげにとりなしふくだめて、上に引きたりつる墨など消えて、「おはしまさざりけり」もしは、「御物忌みとて取り入れず」と言ひてもて帰りたる、いとわびしくすさまじ。
 

 また、必ず来べき人のもとに車をやりて待つに、来る音すれば、さななりと人々出でて見るに、車宿りにさらに引き入れて、轅ほうとうちおろすを、「いかにぞ」と問へば、「今日はほかへおはしますとて、渡り給はず」などうち言ひて、牛のかぎり引き出でて往ぬる。
 

 また、家の内なる男君の来ずなりぬる、いとすさまじ。さるべき人の宮仕へするがりやりて、恥づかしと思ひゐたるほど、いとあいなし。乳児の乳母の、ただあからさまにとて出でぬるほど、とかく慰めて、「とく来」と言ひやりたるに、「今宵はえ参るまじ」とて返しおこせたるは、すさまじきのみならず、いとにくくわりなし。女迎ふる男、まいていかならむ。待つ人ある所に、夜少しふけて、忍びやかに門たたけば、胸少しつぶれて、人出だして問はするに、あらぬよしなき者の名のりして来たるも、かへすがへすすさまじと言ふはおろかなり。
 

 験者の物の怪調ずとて、いみじうしたり顔に、独鈷や数珠など持たせ、せみの声しぼり出だして読みゐたれど、いささか去りげもなく、護法もつかねば、集まりゐ念じたるに、男も女もあやしと思ふに、時のかはるまで読み困じて、「さにあらず。立ちね」とて、数珠取り返して、「あな、いと験なしや」とうち言ひて、額より上ざまにさくりあげ、あくびおのれうちして、寄り臥しぬる。
 

 いみじうねぶたしと思ふに、いとしもおぼえぬ人の、おし起こして、せめてもの言ふこそ、いみじうすさまじけれ。
 

 除目に司得ぬ人の家。今年は必ずと聞きて、はやうありし者どもの、ほかほかなりつる田舎だちたる所に住む者など、皆集まり来て、出で入る車の轅もひまなく見え、物詣でする供に、我も我もと参りつかうまつり、物食ひ、酒飲み、ののしりあへるに、果つる暁まで門たたく音もせず、あやしうなど耳立てて聞けば、前駆追ふ声々などして、上達部など皆出で給ひぬ。もの聞きに、宵より寒がりわななきをりける下衆男、いともの憂げに歩み来るを、見る者どもはえ問ひにだに問はず。
 ほかより来たる者などぞ、「殿は何にかならせ給ひたる」など問ふに、答へには、「なにの前司にこそは」などぞ必ず答ふる。まことに頼みける者は、いと嘆かしと思へり。つとめてになりて、ひまなくをりつる者ども、一人二人すべり出でて往ぬ。古き者どもの、さもえ行き離るまじきは、来年の国々、手を折りてうち数へなどして、ゆるぎありきたるも、いとほしうすさまじげなり。
 

 よろしうよみたると思ふ歌を人のもとにやりたるに、返しせぬ。懸想人はいかがせむ、それだに折をかしうなどある返事せぬは、心おとりす。また、さわがしう時めきたる所に、うちふるめきたる人の、おのれがつれづれといとまおほかるならひに、むかしおぼえてことなることなき歌よみておこせたる。物のをりの扇、いみじと思ひて、心ありと知りたる人にとらせたるに、その日になりて、思はずなる絵などかきて得たる。
 

 産養、むまのはなむけなどの使に、禄とらせぬ。はかなき薬玉、卯槌などもてありく者などにも、なほかならずとらすべし。思ひかけぬことに得たるをば、いとかひありと思ふべし。これは必ずさるべき使と思ひ、心ときめきしていきたるは、ことにすさまじきぞかし。
 

 婿取りして四五年まで産屋のさわぎせぬ所も、いとすさまじ。おとななる子どもあまた、ようせずは、孫などもはひありきぬべき人の親どち昼寝したる。かたはらなる子どもの心地にも、親の昼寝したるほどは、より所なくすさまじうぞあるかし。寝おきてあぶる湯は、はらだたしうさへぞおぼゆる。
 

 十二月のつごもりのながあめ。「一日ばかりの精進解斎」とやいふらむ。
 
 

26段(能23):たゆまるるもの

 
 
 たゆまるるもの 精進の日のおこなひ。とほきいそぎ。寺にひさしくこもりたる。
 
 

27段(能24):人にあなづらるるもの

 
 
 人にあなづらるるもの 築土のくづれ。あまり心よしと人にしられぬる人。
 
 

28段(能25):にくきもの

 
 
 にくきもの 急ぐことあるをりに来て長言するまらうど。あなづりやすき人ならば、「のちに」とてもやりつべけれど、さすがに心恥づかしき人、いとにくくむつかし。
 

 硯に髪の入りてすられたる。また、墨の中に石のきしきしときしみ鳴りたる。
 

 にはかにわづらふ人のあるに、験者もとむるに、例ある所にはなくて、ほかに尋ねありくほどに、いと待ちどほに久しきに、からうじて待ちつけて、喜びながら加持せさするに、このごろ物の怪にあづかりて、困じけるにや、ゐるままにすなはちねぶり声なる、いとにくし。
 

 なでふことなき人の、笑がちにてものいたう言ひたる。火桶の火、炭櫃などに、手の裏うち返しうち返し、おしのべなどしてあぶりをる者。いつか若やかなる人など、さはしたりし。老いばみたる者こそ、火桶の端に足をさへもたげて、もの言ふままにおしすりなどはすらめ。さやうの者は、人のもとに来て、ゐむとする所を、まづ扇してこなたかなたあふぎ散らして、塵掃き捨て、ゐも定まらずひろめきて、狩衣の前まき入れてもゐるべし。かかることは、いふかひなき者のきはにやと思へど、少しよろしき者の式部の大夫などもいひしがせしなり。
 

 また、酒飲みてあめき、口をさぐり、ひげある者はそれをなで、さかづき、異人に取らするほどのけしき、いみじうにくしと見ゆ。また、「飲め」と言ふなるべし、身震ひをし、頭ふり、口わきをさへひきたれて、童べの、「こふ殿に参りて」などうたふやうにする、それはしも、まことによき人のし給ひしを見しかば、心づきなしと思ふなり。
 

 ものうらやみし、身の上嘆き、人の上言ひ、露塵のこともゆかしがり、聞かまほしうして、言ひ知らせぬをば怨じ、そしり、また、わづかに聞き得たることをば、我もとより知りたることのやうに、異人にも語りしらぶるも、いとにくし。
 

 もの聞かむと思ふほどに泣くちご。烏の集まりて飛びちがひ、さめき鳴きたる。
 

 忍びて来る人見知りてほゆる犬。あながちなる所に隠しふせたる人の、いびきしたる。
 

 また、忍び来る所に長烏帽子して、さすがに人に見えじと惑ひ入るほどに、物につきさはりて、そよろといはせたる。伊予簾など掛けたるにうちかづきて、さらさらと鳴らしたるも、いとにくし。
 

 帽額の簾は、まして、こはじのうちおかるる音、いとしるし。それも、やをら引きあげて入るは、さらに鳴らず。遣戸を荒く閉開くるも、いとあやし。少しもたぐるやうにして開くるは、鳴りやはする。あしう開くれば、障子なども、ごほめかしうほとめくこそしるけれ。
 

 ねぶたしと思ひて臥したるに、蚊の細声にわびしげに名のりて、顔のほどに飛びありく。羽風さへその身のほどにあるこそ、いとにくけれ。
 

 きしめく車に乗りてある者。耳も聞かぬにやあらむと、いとにくし。わが乗りたるは、その車の主さへにくし。
 

 また、物語するに、さし出でして我ひとりさいまくる者。すべてさし出では、童も大人も、いとにくし。あからさまに来たる子供・童べに見入れ、らうたがり、をかしき物取らせなどするに、ならひて、常に来つつ、ゐ入りて調度うち散らしぬる、いとにくし。
 

 家にても、宮仕へ所にても、会はでありなむと思ふ人の来たるに、そら寝をしたるを、わがもとにある者、起こしに寄り来て、いぎたなしと思ひ顔にひきゆるがしたる、いとにくし。今参りの、さし越えて、物知り顔に教へやうなること言ひ、うしろみたる、いとにくし。
 

 わが知る人にてある人の、はやう見し女のことほめ言ひ出でなどするも、ほどへたることなれど、なほにくし。まして、さしあたらむこそ思ひやらるれ。されど、なかなかさしもあらぬなどもありかし。
 

 はなひて誦文する。おほかた、人の家の男主ならでは、高くはなひたる、いとにくし。
 

 蚤もいとにくし。衣の下にをどりありきて、もたぐるやうにする。犬のもろ声に、長々と鳴きあげたる、まがまがしくさへにくし。
 

 開けて出で入る所閉てぬ人、いとにくし。
 
 

29段(能29):心ときめきするもの

 
 
 心ときめするもの 雀の子飼ひ。ちご遊ばする所の前わたる。よき薫き物たきてひとり臥したる。唐鏡の少しくらき見たる。よき男の車とどめて案内し、問はせたる。
 

 頭洗ひ、化粧じて、かうばしうしみたる衣など着たる。ことに見る人なき所にても、心のうちは、なほいとをかし。待つ人などのある夜、雨の音、風の吹きゆるがすも、ふとおどろかる。
 
 

30段(能30):過ぎにし方恋しきもの

 
 
 過ぎにし方恋しきもの 枯れたる葵。ひひなあそびの調度。二藍、葡萄染めなどのさいでの、おしへされて草子の中などにありける、見つけたる。
 

 また、折からあはれなりし人の文、雨などふりつれづれなる日、さがし出でたる。こぞのかはほり。
 
 

31段(能31):心ゆくもの

 
 
 心ゆくもの よくかいたる女絵の、ことばをかしうつけておほかる。物見のかへさに、乗りこぼれて、をのこどもいとおほく、牛よくやる者の車走らせたる。しろくきよげなるみちのくに紙に、いといとほそう、かくべくはあらぬ筆してふみかきたる。うるはしき糸のねりたる、あはせぐりたる。てうばみに、てうおほくうちいでたる。物よくいふ陰陽師して、河原にいでて呪詛のはらへしたる。よる寝おきてのむ水。
 

 つれづれなる折りに、いとあまりむつまじうもあらぬまらうどの来て、世の中の物語、この頃のあることのをかしきもにくきもあやしきも、これかれにかかりて、おほやけわたくしおぼつかなからず、聞きよきほどにかたりたる、いと心ゆく心地す。
 

 神、寺などにまうでて物申さするに、寺は法師、社は禰宜などの、くらからずさわやかに、思ふほどにもすぎてとどこほらず聞きよう申したる。
 
 

32段(能32):檳榔毛はのどかに

 
 
 檳榔毛はのどかにやりたる。いそぎたるはわろく見ゆ。
 

 網代ははしらせたる。人の門の前などよりわたりたるを、ふと見やるほどもなく過ぎて、供の人ばかりはしるを、誰ならむと思ふこそをかしけれ。ゆるゆると久しくゆくはいとわろし。
 
 

33段(能39,能40):説経の講師は

 
 
 説経の講師は顔よき。講師の顔をつとまもらへたるこそ、その説くことのたふとさもおぼゆれ。ひが目しつればふとわするるに、にくげなるは罪や得たらむとおぼゆ。
 このことはとどむべし。すこし年などのよろしきほどは、かやうの罪えがたのことはかき出でけめ、今は罪いとおそろし。
 

 また、たふときこそ、道心おほかりとて、説経すといふ所ごとに最初にいきゐるこそ、なほこの罪の心には、いとさしもあらでと見ゆれ。
 

 蔵人など、昔は御前などいふわざもせず、その年ばかりは、内裏わたりなどにはかげもみえざりける、いまはさしもあらざめる。
 蔵人の五位とて、それをしもぞいそがしうつかへど、なほ名残つれづれにて、心ひとつはいとまある心地すべかめれば、さやうの所にぞひとたび二たびもききそめつれば、つねにまでまほしうなりて、夏などのいとあつきにも、かたびらいとあざやかにて、薄二藍、青鈍の指貫など、ふみちらしてゐためり。烏帽子に物忌つけたるは、さるべき日なれど、功徳のかたにはさはらずと見えむとにや。そのことする聖と物語し、車たつることなどをさへぞ見入れ、ことについたるけしきなる。
 ひさしうあはざりつる人のまうであひたる、めづらしがりて、ちかうゐより、物いひうなづき、をかしきことなど語り出でて、扇ひろうひろげて、口にあててわらひ、よくさうぞくしある数珠かいまさぐり、手まさぐりにして、こなたかなたうち見やりなどして、車のよしあしほめそしり、なにがしにてその人のせし八講、経供養せしこと、とありしことかかりしこと、いひくらべゐたるほどに、この説経のことは聞きも入れず。なにかは、つねに聞くことなれば、耳なれてめづらしうもあらぬにこそは。
 

 さはあらで、講師ゐてしばしあるほどに、前駆すこしおはする車とどめておるる人、蝉の羽よりも軽げなる直衣、指貫、生絹のひとへなど着たるも、狩衣の姿なるも、さやうにてわかうほそやかなる三四人ばかり、侍のもの、またさばかりして入れば、はじめゐたる人々もすこしうち身じろぎ、くつろい、高座のもとちかきはしらもとにすゑつれば、かすかに数珠おしもみなどして聞きゐたるを、講師ははえばえしくおぼゆるなるべし、いかでか語りつたふばかりと説き出でたなり。
 

 聴聞すなどたふれさわぎ、ぬかつくほどにもならで、よきほどにたちいづとて、車どもかたなど見おこせて、我どちいふことも、何事ならむとおぼゆ。見しりたる人はをかしと思ふ、見知らぬは、たれならむ、それにやなど思ひやり、目をつけて見おくらるるこそをかしけれ。
 「そこに説経しつ、八講しけり」など人のいひつたふるに、「その人はありつや」「いかがは」など、さだまりていはれたる、あまりなり。などかはむげにさしのぞかではあらむ。あやしからむ女だに、いみじう聞くめるものを。さればとて、はじめつ方は、かちありきする人はなかりき。たまさかには、壺装束などして、なまめき化粧じてこそはあめりしか。それも物まうでなどをぞせし。説経などにはことにおほく聞こえざりき。
 この頃、そのをりさしいでけむ人、命ながくて見ましかば、いかばかりそしり誹謗せまし。
 
 

34段(能41):菩提といふ寺に

 
 
 菩提といふ寺に、結縁の八講せしにまうでたるに、人のもとより「とく帰り給ひね。いとさうざうし」といひたれば、蓮の葉のうらに、
 

♪3
  もとめても かかるはちすの 露をおきて
  うき世にまたは かへるものかは
 

と書きてやりつ。
 

 まことにいとたふとくあはれなれば、やがてとまりぬべくおぼゆるに、さうちうが家の人のもどかしさも忘れぬべし。
 
 

35段(能42):小白河といふ所は

 
 
 小白河といふ所は、小一条の大将殿の御家ぞかし。そこにて上達部、結縁の八講し給ふ。世の中の人、いみじうめでたきことにて、「おそからむ車などは立つべきやうもなし」といへば、露とともにおきて、げにぞひまなかりける轅のうへにまたさしかさねて、みつばかりまではすこし物も聞こゆべし。
 

 六月十よ日にて、あつきこと世に知らぬほどなり。池のはちすを見やるのみぞいと涼しき心地する。左右の大臣達をおき奉りては、おはせぬ上達部なし。二藍の直衣、指貫、浅葱の帷子どもぞすかし給へる。すこしおとなび給へるは、青鈍の指貫、しろき袴もいとすずしげなり。佐理の宰相なども、みなわかやぎだちて、すべてたふときことのかぎりもあらず、をかしき見物なり。
 

 廂の簾たかうあげて、長押のうへに、上達部はおくにむきてながながとゐ給へり。
 その次には、殿上人、若君達、狩装束、直衣などもいとをかしうて、えゐもさだまらず、ここかしこにたちさまよひたるもいとをかし。実方の兵衛の佐、長命侍従など、家の子にて今すこしいで入れなれたり。まだわらはなる君など、いとをかしくておはす。
 

 すこし日たくるほどに、三位の中将とは関白殿をぞきこえし、かうのうすものの二藍の御直衣、二藍の織物の指貫、濃蘇芳のしたの御袴に、はりたるしろきひとへのいみじうあざやかなるを着給ひて、あゆみ入り給へる、さばかりかろびすずしげなる御中に、あつかはしげなるべけれど、いといみじうめでたしとぞ見え給ふ。朴、塗骨など、骨はかはれど、ただあかき紙を、おしなべてうちつかひも給へるは、撫子のいみじう咲きたるにぞいとよく似たる。
 

 まだ講師ものぼらぬほど、懸盤して、何にかあらむ、もの参るなるべし。義懐の中納言の御さま、つねよりもまさりておはするぞかぎりなきや。色あひのはなばなと、いみじうにほひあざやかなるに、いづれともなきなかのかたびらを、これはまことにすべて、ただ直衣ひとつを着たるやうにて、つねに車どものかたを見おこせつつ、ものなどいひかけ給ふ、をかしと見ぬ人なかりけむ。
 

 後に来たる車の、ひまもなかりければ、池にひきよせてたちたるを見給ひて、実方の君に、「消息をつきづきしういひつべからむ者ひとり」と召せば、いかなる人にかあらむ、えりて率ておはしたり。「いかがいひやるべき」と、ちかうゐ給ふかぎり宣ひあはせて、やり給ふことばはきこえず、いみじう用意して車のもとへあゆみよるを、かつわらひ給ふ。しりのかたによりていふめる。
 ひさしうたてれば、「歌などよむにやあらむ。兵衛の佐、返しおもひまうけよ」などわらひて、いつしか返りごときかむと、あるかぎり、おとな上達部まで、みなそなたざまに見やり給へり。げにぞ顕証の人まで見やりしもをかしかりし。
 返り事ききたるにや、すこしあゆみくるほどに、扇をさしいでてよびかへせば、歌などの文字いひあやまりてばかりや、かうはよびかへさむ、ひさしかりつるほど、おのづからあるべきことはなほすべくもあらじものを、とぞおぼえたる。ちかう参りつくも心もとなく、「いかにいかに」と、たれもたれも問ひ給ふ。ふともいはず、権中納言ぞ宣ひつれば、そこに参り、けしきばみ申す。三位の中将、「とくいへ。あまり有心すぎて、しそこなふ」と宣ふに、「これもただおなじことになむ侍る」といふは聞こゆ。
 藤大納言、人よりけにさしのぞきて、「いかがいひたる」と宣ふめれば、三位の中将、「いとなほき木をなむおしをりためる」と聞こえ給ふに、うちわらひ給へば、みな何となくさとわらふ声、聞こえやすらむ。
 

 中納言、「さてよびかへさざりつるさきは、いかがいひつる。これやなほしたること」と問ひ給へば、「ひさしうたちて侍りつれど、ともかくも侍らざりつれば、『さは帰り参りなむ』とて帰り侍りつるに、よびて」などぞ申す。「たが車ならむ、見しり給へりや」などあやしがり給ひて、「いざ、歌よみて、この度はやらむ」など宣ふほどに、講師のぼりぬれば、みなゐしづまりて、そなたをのみ見るほどに、車はかいけつやうにうせにけり。下簾など、ただけふはじめたりと見えて、こきひとへがさねに二藍の織物、蘇芳の薄物のうは着など、しりにも摺りたる裳、やがてひろげながらうちさげなどして、なに人ならむ、なにかはまた、かたほならむことよりは、げにときこえて、なかなかいとよしとぞおぼゆる。
 

 朝座の講師清範、高座のうへも光りみちたる心地して、いみじうぞあるや。あつさのわびしきにそへて、しさしたることのけふすぐすまじきをうちおきて、ただすこし聞きてかへりなむとしつるに、しきなみにつどひたる車なれば、出づべき方もなし。朝講はてなば、なほいかで出でなむと、まへなる車どもに消息すれば、ちかくたたむがうれしきまで、老上達部さへわらひにくむをも、聞き入れず、いらへもせで、しひてせばがりいづれば、権中納言の、「やや、まかりぬるもよし」とて、うちゑみ給へるぞめでたき。それも耳にもとまらず、あつきにまどはしいでて、人して、「五千人のうちには入らせ給はぬやうあらじ」と聞こえかけてかへりにき。
 

 そのはじめより、やがてはつる日まで、たてたる車のありけるに、人より来とも見えず、すべてただあさましう、絵などのやうに過ぐしければ、ありがたくめでたく心にくく、いかなる人ならむ、いかでしらむと、問ひ尋ね給ひけるを、聞き給ひて、藤大納言などは、「なにかめでたからむ。いとにくくゆゆしき者にこそあなれ」と宣ひけるこそをかしかりしか。
 

 さて、その二十日あまりに、中納言、法師になり給ひにしこそあはれなりしか。桜などちりぬるも、なほ世のつねなりや。「おくをまつまの」とだにいふべくもあらぬ御ありさまにこそ見え給ひしか。
 
 

36段(能43):七月ばかりいみじう暑ければ

 
 
 七月ばかりいみじう暑ければ、よろづの所あけながら夜もあかすに、月の頃は寝おどろきて見いだすに、いとをかし。やみもまたをかし。有明、はたいふべきにもあらず。
 

 いとつややかなる板の端ちかう、あざやかなる畳一ひらうち敷きて、三尺の几帳、おくのかたにおしやりたるぞあぢきなき。端にこそたつべけれ。おくのうしろめたからむよ。
 

 人はいでにけるなるべし、薄色の、うらいと濃くて、うへは少しかへりたるならずは、濃き綾のつややかなるが、いとなえぬを、かしらごめに引き着てぞ寝たる。香染のひとへ、もしは黄生絹のひとへ、くれなゐのひとへ、袴の腰のいとながやかに、衣の下よりひかれ着たるも、まだとけながらなめり。
 そとのかたに髪のうちたたなはりてゆるらかなるほど、ながさおしはかられたるに、またいづこよりにかあらむ、朝ぼらけのいみじう霧りたちたるに、二藍の指貫に、あるかなきかの色したる香染の狩衣、白き生絹にくれなゐのとほすにこそはあらめ、つややかなる、霧にいたうしめりたるをぬぎ、鬢のすこしふくだみたれば、烏帽子のおし入れたるけしきも、しどけなく見ゆ。
 

 朝顔の露おちぬさきに文かかむと、道のほども心もとなく、「麻生の下草」など、くちずさみつつ、我がかたにいくに、格子のあがりたれば、御簾のそばをいささかひきあげて見るに、おきていぬらむ人もをかしう、露もあはれなるにや、しばしみたてれば、枕がみのかたに、朴に紫の紙はりたる扇、ひろごりながらある。みちのくに紙の畳紙のほそやかなるが、花かくれなゐか、すこしにほひたるも、几帳のもとにちりぼひたり。
 

 人けのすれば、衣のなかよりみるに、うちゑみて長押におしかかりてゐぬ。
 恥ぢなどすべき人にはあらねど、うちとくべき心ばへにもあらぬに、ねたうも見えぬかな、と思ふ。「こよなきなごりの御朝寝かな」とて、簾のうちになから入りたれば、「露よりさきなる人のもどかしさに」といふ。をかしきこと、とりたてて書くべき事ならねど、とかくいひかはすけしきどもはにくからず。
 

 枕がみなる扇、わが持たるして、およびてかきよするが、あまりちかうよりくるにや、と心ときめきして、ひきぞ下らる。とりて見などして、「うとくおぼいたる事」などうちかすめ、うらみなどするに、あかうなりて、人の声々し、日もさしいでぬべし。
 霧のたえま見えぬべきほど、いそぎつる文も、たゆみぬるこそうしろめたけれ。
 

 いでぬる人も、いつのほどにかとみえて、萩の、露ながらおしをりたるにつけてあれど、えさしいでず。香の紙のいみじうしめたるにほひ、いとをかし。あまりはしたなきほどになれば、たちいでて、わがおきつる所も、かくやと思ひやらるるも、をかしかりぬべし。
 
 

37段(能44):木の花は

 
 
 木の花は、濃きも薄きも紅梅。桜は、花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる。藤の花は、しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでたし。
 

 四月のつごもり、五月のついたちのころほひ、橘の葉の濃く青きに、花のいと白う咲きたるが、雨うち降りたるつとめてなどは、世になう心あるさまにをかし。花の中よりこがねの玉かと見えて、いみじうあざやかに見えたるなど、朝露にぬれたるあさぼらけの桜に劣らず。ほととぎすのよすがとさへ思へばにや、なほさらに言ふべうもあらず。
 

 梨の花、よにすさまじきものにして、近うもてなさず、はかなき文つけなどだにせず。愛敬おくれたる人の顔などを見ては、たとひに言ふも、げに、葉の色よりはじめて、あはひなく見ゆるを、唐土にはかぎりなきものにて、文にも作る、なほさりともやうあらむと、せめて見れば、花びらの端に、をかしきにほひこそ、心もとなうつきためれ。楊貴妃の帝の御使ひに会ひて泣きける顔に似せて、「梨花一枝、春、雨を帯びたり」など言ひたるは、おぼろ けならじと思ふに、なほいみじうめでたきことは、たぐひあらじとおぼえたり。
 

 桐の木の花、紫に咲きたるはなほをかしきに、葉のひろごりざまぞ、うたてこちたけれど、異木どもとひとしう言ふべきにもあらず。唐土にことごとしき名つきたる鳥の、えりてこれにのみゐるらむ、いみじう心ことなり。まいて琴に作りて、さまざまなる音のいでくるなどは、をかしなど世の常に言ふべくやはある。いみじうこそ、めでたけれ。
 

 木のさまにくげなれど、楝の花、いとをかし。かれがれに、さまことに咲きて、必ず五月五日にあふも、をかし。
 
 

38段(能45):池は

 
 
 池は かつまたの池。磐余の池。
 

 贄野の池、初瀬にまうでしに、水鳥のひまなくゐてたちさわぎしが、いとをかしう見えしなり。
 

 水なしの池こそ、あやしう、などてつけけるならむとて問ひしかば、「五月など、すべて雨いたうふらむとする年は、この池に水といふものなむなくなる。また、いみじう照るべき年は、春の初めに水なむおほくいづる」といひしを、「むげになくかはきてあらばこそさもいはめ、出づるをりもあるを、一筋にもつけけるかな」といはまほしかりしか。
 

 猿沢の池は、采女の身投げたるを聞こしめして、行幸などありけむこそ、いみじうめでたけれ。「ねたくれ髪を」と人丸がよみけむほどなど思ふに、いふもおろかなり。
 

 おまへの池、またなにの心にてつけけるならむとゆかし。
 かみの池。狭山の池は、みくりといふ歌のをかしきがおぼゆるならむ。
 こひぬまの池。はらの池は、「玉藻な刈りそ」といひたるも、をかしうおぼゆ。
 
 

39段(能46):節は五月にしく月はなし

 
 
 節は五月にしく月はなし。菖蒲、蓬などのかをりあひたる、いみじうをかし。九重の御殿の上をはじめて、いひしらぬ民のすみかまで、いかでわがもとにしげく葺かむと葺きわたしたる、なほいとめづらし。いつかは、ことをりにさはしたりし。
 

 空のけしき、くもりわたりたるに、中宮などには、縫殿より御薬玉とて、色々の糸を組み下げて参らせたれば、御帳たてたる母屋のはしらに、左右につけたり。
 九月九日の菊を、あやしき生絹のきぬにつつみて参らせたるを、おなじはしらにゆひつけて月頃ある薬玉にときかへてぞ棄つめる。また、薬玉は、菊のをりまであるべきにやあらむ。されど、それはみな糸をひきとりて、ものゆひなどして、しばしもなし。
 

 御節供参り、若き人々菖蒲のさしぐしさし、物忌つけなどして、さまざまの唐衣、汗衫などに、をかしき折枝ども、ながき根にむら濃の組してむすびつけたるなど、めづらしういふべきことならねど、いとをかし。さて、春ごとに咲くとて、桜をよろしう思ふ人やはある。
 

 つちありくわらはべなどの、ほどほどにつけて、いみじきわざしたりと思ひて、つねに袂まぼり、人のにくらべなど、えもいはずと思ひたるなどを、そばへたる小舎人童などに、ひきはられて泣くもをかし。
 

 むらさきの紙に楝の花、あをき紙に菖蒲の葉、ほそくまきてゆひ、また、しろき紙を、根してひきゆひたるもをかし。
 いとながき根を、文のなかに入れなどしたるを見る心地ども、艶なり。
 返りごと書かむといひあはせ、かたらふどちは見せかはしなどするも、いとをかし。
 人の女、やむごとなきに所々に、御文など聞こえ給ふ人も、けふは心ことにぞなまめかしき。夕暮れのほどに、ほととぎすの名のりてわたるも、すべていみじき。
 
 

40段(能47):木の花ならぬは

 
 
 木の花ならぬは かへで。かつら。五葉。
 

 たそばの木、しななき心地すれど、花の木どもちりはてて、おしなべてみどりになりたるなかに、時もわかず、こきもみぢのつやめきて、思ひもかけぬ青葉の中よりさし出でたる、めづらし。まゆみ、さらにもいはず。やどり木といふ名、いとあはれなり。
 さか木、臨時の祭の御神楽の折など、いとをかし。世に木どもこそあれ、神の御前のものと生ひはじめけむも、とりわきてをかし。
 楠の木は、木立おほかる所にも、ことにまじらひたてえらず、おどろおどろしき思ひやりなどうとましきを、千枝にわかれて恋する人のためしにいはれたるこそ、たれかは数を知りていひはじめけむと思ふにをかしけれ。
 檜の木、またけぢかからぬものなれど、三葉四葉の殿づくりもをかし。五月に雨の声をまなぶらむもあはれなり。
 かへでの木のささやかなるに、もえいでたる葉末のあかみて、おなじかたにひろごりたる、葉のさま、花も、いと物はかなげに、虫などのかれたるに似て、をかし。
 あすはひの木、この世にちかくもみえきこえず。御獄にまうでて帰りたる人などのもて来める、枝ざしなどは、いと手にふれにくげにあらくましけれど、なにの心ありて、あすはひの木とつけけむ。あぢきなきかねごとなりや。たれにたのめたるにかと思ふに、聞かもほしくをかし。
 ねずもちの木、人なみなみになるべきにもあらねど、葉のいみじうこまかにちひさきがをかしきなり。
 楝の木。山橘。山梨の木。椎の木、常磐木はいづれもあるを、それしも、葉がへせぬためしにいはれたるもをかし。
 白樫といふものは、まいて深山木のなかにもいとけどほくて、三位、二位のうへのきぬ染むるをりばかりこそ、葉をだに人の見るめれば、をかしきこと、めでたきことにとりいづべくもあらべど、いづくともなく雪のふりおきたるに見まがへられ、素盞鳴尊(すさのをのみこと)出雲の国におはしける御ことを思ひて、人丸がよみたる歌などを思ふに、いみじくあはれなり。をりにつけても、ひとふしあはれともをかしとも聞きおきつるものは、草、木、鳥、虫もおろかにこそおぼえね。
 ゆづり葉の、いみじうふさやかにつやめき、茎はいとあかくきらきらしく見えたるこそ、あやしきけれどをかし。なべての月には見えぬ物の、師走のつごもりのみ時めきて、亡き人のくひものに敷く物にやとあはれなるに、また、よはひをのぶる歯固めの具にももてつかひためるは。いかなる世にか、「紅葉せむ世や」といひたるもたのもし。
 柏木、いとをかし。葉守の神のいますらむもかしこし。兵衛の督、佐、尉などいふもをかし。
 姿なけれど、棕櫚の木、唐めきて、わるき家の物とは見えず。
 
 

41段(能48):鳥は

 
 
 鳥は こと所のものなれど、鸚鵡、いとあはれなり。人のいふらむことをまねぶらむよ。
 ほととぎす。くひな。しぎ。都鳥。ひわ。ひたき。
 山鳥、友を恋ひて、鏡を見すればなぐさむらむ、心わかう、いとあはれなり。谷へだてたるほどなど、心苦し。
 鶴は、いとこちたきさまなれど、鳴く声雲井にまできこゆる、いとめでたし。
 かしらあかき雀。斑鳩の雄鳥。たくみ鳥。
 鷺は、いとみめ見苦し。まなこゐなども、うたてよろづになつかしからねど、「ゆるぎの森にひとりはねじ」とあらそふらむ、をかし。
 水鳥、鴛鴦いとあはれなり。かたみにゐかはりて、羽のうへの霜はらふらむほどなど。
 千鳥いとをかし。
 

 鶯は、ふみなどにもめでたきものにつくり、声よりはじめてさまかたちも、さばかりあてにうつくしきほどよりは、九重のうちになかぬぞいとわろき。
 人の「さなむある」といひしを、さしもあらじと思ひしに、十年ばかり候ひてききしに、まことにさらに音せざりき。さるは、竹ちかき紅梅も、いとよくかよひぬべきたよりなりかし。まかで聞けば、あやしき家の見所もなき梅の木などには、かしがましきまでぞ鳴く。
 夜鳴かぬもいぎたなき心地すれども、今はいかがせむ。
 夏、秋の末まで老い声に鳴きて、「むしくひ」など、ようあらぬ者は名を付けかへていふぞ、くちをしくくすしき心地する。それもただ、雀のやうに常にある鳥ならば、さもおぼゆまじ。春鳴くゆゑこそああらめ。「年たちかへる」など、をかしきことに、歌にも文にもつくるなるは。なほ春のうちならましかば、いかにをかしからまし。
 人をも、人げなう、世のおぼえあなづらはしうなりそめにたるをばそしりやはする。
 

 鳶、烏などのうへは、見入れ聞き入れなどする人、世になしかし。されば、いみじかるべきものとなりたれば、と思ふに、心ゆかぬ心地するなり。
 

 祭のかへさ見るとて、雲林院、知足院などのまへに車を立てたれば、ほととぎすもしのばぬにやあらむ、鳴くに、いとようまねび似せて、木だかき木どもの中に、もろ声に鳴きたるこそ、さすがにをかしけれ。
 ほととぎすは、なほさらにいふべきかたなし。いつしかしたり顔にも聞こえたるに、卯の花、花橘などにやどりをして、はたかくれたるも、ねたげなる心ばへなり。
 

 五月雨のみじかき夜に寝覚をして、いかで人よりさきに聞かむと待たれて、夜ふかくうちいでたる声の、らうらうじう愛敬づきたる、いみじう心あくがれ、せむかたなし。六月になりぬれば、音もせずなりぬる、すべていふもおろかなり。
 

 夜鳴くもの、何も何もめでたし。ちごどものみぞさしもなき。
 
 

42段(能49):あてなるもの

 
 
 あてなるもの

 薄色に白襲の汗衫。かりのこ。

 削り氷にあまづら入れて、新しき金鋺に入れたる。

 水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪の降りかかりたる。

 いみじううつくしきちごの、いちごなど食ひたる。
 
 

43段(能50):虫は

 
 
 虫は、鈴虫。ひぐらし。蝶。松虫。きりぎりす。はたおり。われから。ひを虫。蛍。
 

 蓑虫、いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似てこれも恐ろしき心あらむとて、親の、あやしき衣ひき着せて、「いま秋風吹かむをりぞ来むとする。待てよ」と言ひおきて、逃げて往にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」とはかなげに鳴く、いみじうあはれなり。
 

 額づき虫、またあはれなり。さるここちに道心おこしてつきありくらむよ。思ひかけず、暗き所などに、ほとめきありきたるこそをかしけれ。
 

 蝿こそ、にくきもののうちにいれつべく、愛敬なきものはあれ。人々しう、かたきなどにすべきものの大きさにはあらねど、秋など、ただよろづのものにゐ、顔などに、ぬれ足してゐるなどよ。人の名につきたる、いとうとまし。
 

 夏虫、いとをかしうらうたげなり。火近う取り寄せて物語など見るに、草子の上などに飛びありく、いとをかし。
 

 蟻は、いとにくけれど、軽びいみじうて、水の上などを、ただ歩みに歩みありくこそをかしけれ。
 
 

44段(能51):七月ばかりに

 
 
 七月ばかりに、風いたう吹きて、雨などさわがしき日、おほかたすずしければ、扇もうちわすれたるに、汗の香すこしかかへたる綿衣のうすきを、いとよくひきて昼寝したるこそをかしけれ。
 
 

45段(能52):にげなきもの

 
 
 にげなきもの 下衆の家に雪の降りたる。また、月のさし入りたるもくちをし。
 月のあかきに、屋形なき車のあひたる。また、さる車にあめ牛かけたる。また、老いたる女の腹たかくてありく。
 わかきをとこ持ちたるだに見ぐるしきに、こと人のもとへいきたるとてはら立つよ。
 老いたるをとこの寝まどひたる。また、さやうに鬚がちなるものの椎摘みたる。
 歯もなき女の梅くひて酸がりたる。
 下衆の紅の袴着たる。この頃はそれのみぞある。
 靱負の佐の夜行すがた。狩衣すがたも、いとあやしげなり。
 人におぢらるるうへのきぬは、おどろおどろし。立ち給ふさまも、見つけてあなづらはし。
 「嫌疑の者やある」ととがむ。
 入りゐて、空だきものにしみたる几帳にうちかける袴など、いみじうたつきなし。
 かたちよき君たちの、弾正の弼にておはする、いと見苦し。宮の中将などの、さもくちをしかりしかな。
 
 

46段(能53):細殿に人あまたゐて

 
 
 細殿に人あまたゐて、やすからず物などいふに、きよげなるをとこ、小舎人童など、よきつつみ、袋などに、衣どもつつみて、指貫のくくりなどぞみえたる、弓、矢、楯など持てありくに、「たがぞ」と問へば、ついゐて、「なにがし殿の」とていく者はよし。けしきばみ、やさしがりて、「知らず」ともいひ、物もいはでも往ぬる者は、いみじうにくし。
 
 

47段(能55):主殿司こそ

 
 
 主殿司こそ、なほをかしきものはあれ。下女の際は、さばかりうらやましきものはなし。よき人ににせさせまほしきわざなめり。わかくかたちよからむが、なりなどよくてあらむは、ましてよからむかし。すこし老いて、物の例知り、おもなきさまなるも、いとつきづきしくめやすし。
 

 主殿司の顔愛敬づきたらむ、ひとり持たりて、装束時にしたがひ、裳、唐衣などいまめかしくてありせばや、とこそおぼゆれ。
 
 

48段(能56):をのこは、また、随身こそ

 
 
 をのこは、また、随身こそあめれ。いみじう美々しうてをかしき君たちも、随身なきはいとしらじらし。弁などは、いとをかしき官に思ひたれど、下襲の裾みじかくて随身のなきぞいとわろきや。
 
 

49段(能57):職の御曹司の西面の立蔀のもとにて

 
 
 職の御曹司の西面の立蔀のもとにて、頭の弁、物をいと久しういひ立ち給へれば、さしいでて、「それはたれぞ」といへば、「弁候ふなり」と宣ふ。
 「なにかさも語らひ給ふ。大弁みえば、うちすて奉りてむものを」といへば、いみじう笑ひて、「たれかかかる事をさへいひ知らせけむ。『それ、さなせそ』と語らふなり」と宣ふ。
 

 いみじうみえ聞こえて、をかしきすぢなど立てたることはなう、ただありなるやうなるを、みな人のさのみ知りたるに、なほ奥ふかき心ざまを見知りたれば、「おしなべたらず」など、御前にも啓し、またさ知ろしめしたるを、つねに、「『女は己をよろこぶもののために顔づくりす。士は己を知る者のために死ぬ』となむいひたる」といひあはせ給ひつつ、よう知り給へり。
 「遠江の浜柳」といひかはしてあるに、若き人々は、ただいひに見苦しきことどもなど、つくろはずいふに、「この君こそうたてみえにくけれ。こと人のやうに、歌うたひ興じなどもせず、けすさまじ」などそしる。
 

 さらにこれかれに物いひなどもせず、「まろは、目はたたざまにつき、眉は額ざまに生ひあがり、鼻はよこざまなりとも、ただ口つき愛敬づき、おとがひの下、くびきよげに、声にくからざらむ人のみなむ思はしかるべき。とはいひながら、なほ顔いとにくげならむ人は心憂し」とのみ宣へば、ましておとがひほそう、愛敬おくれたる人などは、あいなくかたきにして、御前にさへぞあしざまに啓する。
 

 物など啓せさせむとても、そのはじめいひそめてし人をたづね、下なるをも呼びのぼせ、常に来ていひ、里なるは、文書きても、みづからもおはして、「おそくまゐらば、『さなむ申したる』と申しに参らせよ」と宣ふ。
 「それ、人の候ふらむ」などいひゆづれど、さしもうけひかずなどぞおはする。
 「あるにしたがひ、さだめず、何事ももてなしたるをこそよきにすめれ」とうしろ見聞こゆれど、「我がもとの心の本性」とのみ宣ひて、「改まらざるものは心なり」と宣へば、「さて『憚りなし』とはなにをいふにか」とあやしがれば、笑ひつつ、「なかよしなども人にいはる。かく語らふとならば、なにか恥づる。見えなどもせよかし」と宣ふ。
 「いみじくにくげなれば、さあらむ人をばえ思はじと宣ひしによりて、え見え奉らぬなり」といへば、「げににくくもぞなる。さらばな見えそ」とて、おのづから見つべき折も、おのれ顔ふたぎなどして見給はぬも、まごころに空ごとし給はざりけりと思ふに、三月つごもりがたは、冬の直衣の着にくきやあらむ、うへのきぬがちにてぞ、殿上の宿直姿もある。
 

 つとめて、日さし出づるまで、式部のおもとと小廂にねたるに、奥の遣戸をあけさせ給ひて、上の御前、宮の御前出でさせ給へば、おきもあへずまどふを、いみじく笑はせ給ふ。
 唐衣をただ汗衫の上にうち着て、宿直物もなにもうづもれながらある、上におはしまして、陣より出で入る者ども御覧ず。殿上人のつゆ知らでより来て物いふなどもあるを、「けしきな見せそ」とて、笑はせ給ふ。
 

 さて立たせ給ふ。「ふたりながら、いざ」と仰せらるれど、「いま、顔などつくろひたててこそ」とて、参らず。
 入らせ給ひて後も、なほめでたきことどもなどいひあはせてゐたる、南の遣戸のそばの、几帳の手のさし出でたるにさはりて、簾のすこしあきたるより、くろみたる物の見ゆれば、説孝がゐたるなめりとて、見も入れで、なほこと事どもをいふに、いとよく笑みたる顔のさし出でたるも、なほ説孝なめりとて見やりたれば、あらぬ顔なり。
 あさましと笑ひさわぎて、几帳ひきなほし隠るれば、頭の弁にぞおはしける。
 みえ奉らじとしつるものを、といとくちをし。
 もろともにゐたる人は、こなたにむきたれば顔も見えず。
 

 立ち出でて、「いみじく名残なくも見つるかな」と宣へば、「説孝と思ひ侍りつれば、あなづりてぞかし。などかは、見じと宣ふに、さつくづくとは」といふに、「女は寝起き顔なむいとかたき、といへば、ある人の局にいきて、かいばみして、またも見やするとて来たりつるなり。まだ上のおはしましつる折からあるをば、知らざりける」とて、それより後は、局の簾うちかづきなどし給ふめりき。
 
 

50段(能34):馬は

 
 
 馬は いと黒きが、ただいささか白き所などある。

 紫の紋つきたる。

 葦毛。

 薄紅梅の毛にて、髪、尾などいと白き。げに「ゆふかみ」ともいひつべし。

 黒きが、足四つ白きもいとをかし。
 
 

51段(能33):牛は

 
 
 牛は 額はいとちひさく、白みたるが、腹の下、足、尾の筋などは、やがて白き。
 
 

52段(能38):猫は

 
 
 猫は 上のかぎり黒くて、腹いと白き。
 
 

53段(能36):雑色、随身は

 
 
 雑色、随身は すこし痩せてほそやかなるぞよき。男は、なほわかきほどは、さるかたなるぞよき。いたく肥えたるは、いねぶたからむと見ゆ。
 
 

54段(能37):小舎人童

 
 
 小舎人童 ちひさくて髪いとうるはしきが、筋さはらかにすこし色なる、声をかしうて、かしこまりて物などいひたるぞらうらうじき。
 
 

55段(能35):牛飼は

 
 
 牛飼は おほきにて、髪あららかなるが、顔あかみて、かどかどしげなる。
 
 

56段(能58):殿上の名対面こそ

 
 
 殿上の名対面こそなほをかしけれ。御前に人侍ふをりは、やがて問ふもをかし。足音どもしてくづれ出づるを、上の御局の東おもてにて、耳をとなへて聞くに、知る人の名のあるは、ふと例の胸つぶるらむかし。また、ありともよく聞かせぬ人など、このをりに聞きつけたるは、いかが思ふらむ。「名のりよし」「あし」「聞きにくし」などさだむるもをかし。
 

 果てぬなりと聞くほどに、滝口の弓鳴らし、沓の音し、そそめき出づると、蔵人のいみじくたかく踏みごほめかして、丑寅のすみの勾欄に、高膝まづきといふゐずまひに、御前のかたにむかひて、うしろざまに、「誰々か侍る」と問ふこそをかしけれ。たかくほそく名乗り、また、人々侍はねば、名対面つかうまつらぬよし奏するも、「いかに」と問へば、さはる事ども奏するに、さ聞きてかへるを、方弘きかずとて、君たちの教へ給ひければ、いみじう腹立ち叱りて、かうがへて、また滝口にさへわらはる。
 

 御厨子所の御膳棚に沓おきて、いひののしらるるを、いとほしがりて、「誰が沓にかあらむ。え知らず」と主殿司、人々などのいひけるを、「やや、方弘がきたなきものぞ」とて、いとどさわがる。
 
 

57段(能59):若くよろしき男の

 
 
 若くよろしき男の、下衆女の名よび馴れていひたるこそにくけれ。
 知りながらも、なにとかや、片文字はおぼえでいふはをかし。
 宮仕所の局によりて、夜などぞあしかるべけれど、主殿司、さらぬただ所などは、侍などにある者を具して来ても呼ばせよかし。
 手づから、声もしるきに。
 はした者、わらはべなどは、されどよし。
 
 

58段(能60):若き人、ちごどもなどは

 
 
 若き人、ちごどもなどは、肥えたるよし。受領など大人だちぬるも、ふくらかなるぞよき。
 
 

59段(能62):ちごは

 
 
 ちごは、あやしき弓、しもとだちたる物などささげて遊びたる、いとうつくし。
 車などとどめて、いだき入れて見まほしくこそあれ。
 また、さて行くに、たき物の香いみじうかかへたるこそ、いとをかしけれ。
 
 

60段(能63):よき家の中門あけて

 
 
 よき家の中門あけて、檳榔毛の車のしろくきよげなるに、蘇芳の下簾、にほにいときよらにて、榻にうちかけたるこそめでたけれ。
 五位、六位などの下襲の裾はさみて、笏のいとしろきに、扇うちおきなどいきちがひ、また、装束し、壺胡籙負ひたる随身の出で入りしたる、いとづきづきし。
 厨女のきよげなるが、さし出でて、「なにがし殿の人や候ふ」などいふもをかし。
 
 

61段(能64):滝は

 
 
 滝は おとなしの滝。

 布留の滝は、法皇の御覧じにおはしましけむこそめでたけれ。

 那智の滝は、熊野にありと聞くがあはれなるなり。

 とどろきの滝は、いかにかしがましく恐ろしからむ。
 
 

62段(能222):河は

 
 
 河は 飛鳥川、淵瀬もさだめなく、いかならむとあはれなり。大井河。おとなし川。七瀬川。
 

 耳敏川、またもなにごとをさくじり聞きけむとをかし。玉星川。細谷川。いつぬき川。澤田川などは、催馬楽などの思はするなるべし。名取川、いかなる名を取りたるならむと聞かまほし。吉野河。
 

 天の川原、「たなばたつめに宿からん」と、業平がよみたるもをかし。
 
 

63段(能 ):あかつきに帰らむ人は

 
 
 あかつきに帰らむ人は、装束などいみじううるはしく、烏帽子の緒、元結、かためずともありなむとこそおぼゆれ。いみじくしどけなく、かたくなしく、直衣、狩衣などゆがめたりとも、誰か見知りてわらひそしりもせむ。
 

 人はなほあかつきのありさまこそ、をかしうもあるべけれ。わりなくしぶしぶに起きがたげなるを、しひてそそのかし、「明けすぎぬ。あな、見苦し」などいはれて、うちなげくけしきも、げにあかず物憂くもあらむかしと見ゆ。指貫なども、ゐながら着もやらず、まづさしよりて、夜いひつることの名残、女の耳にいひ入れて、なにわざするともなきやうなれど、帯など結ふやうなり。格子おしあげ、妻戸ある所は、やがてもろともに率ていきて、昼のほどのおぼつかなからむことなども、いひ出でにすべり出でなむは、見おくられて名残もをかしかりなむ。
 

 思ひ出所ありて、いときはやかに起きて、ひろめきたちて、指貫の腰ごそごそとかはは結ひなほし、うへのきぬも、狩衣、袖かひまくりて、よろとさし入れ、帯いとしたたかに結ひはてて、ついゐて、烏帽子の緒きとつよげに結ひ入れて、かいすうる音して、扇、畳紙など、よべ枕上におきしかど、おのづから引かれ散りにけるをもとむるに、くらければ、いかでかは見えむ、いづらいづらとたたきわたし、見出でて、扇ふたふたとつかひ、懐紙さし入れて、「まかりなむ」とばかりこそいふらめ。
 
 

64段(能65):橋は

 
 
 橋は あさむづの橋。長柄の橋。あまびこの橋。浜名の橋。一つ橋。うたたねの橋。佐野の舟橋。堀江の橋。かささぎの橋。山すげの橋。をつの浮橋。一すぢ渡したる棚橋、心せばけれど、名を聞くにをかしきなり。
 
 

65段(能66):里は

 
 
 里は 逢坂の里。ながめの里。いざめの里。人づまの里。たのめの里。夕日の里。つまとりの里。人に取られたるにやあらむ、我がまうけたるにやあらむとをかし。伏見の里。あさがほの里。
 
 

66段(能67):草は

 
 
 草は 菖蒲(さうぶ)。菰(こも)。
 葵、いとをかし。神代よりして、さるかざしとなりけむ、いみじうめでたし。もののさまもいとをかし。おもだかは、名のをかしきなり。心あがりしたらむと思ふに。
 三稜草(みくり)。蛇床子(へびむしろ)。苔。雪間の若草。こだに。
 かたばみ、綾の紋にてあるも、ことよりはをかし。
 あやふ草は、岸の額に生ふらむも、げにたのもしからず。
 いつまで草は、またはかなくあはれなり。岸の額よりも、これはくずれやすからむかし。まことの石灰などには、え生ひずやあらむと思ふぞわろき。
 ことなし草は、思ふことをなすにやと思ふもをかし。しのぶ草、いとあはれなり。道芝、いとをかし。茅花(つばな)もをかし。蓬(よもぎ)、いみじうをかし。
 山菅。日かげ。山藍。浜木綿。葛。笹。青つづら。なづな。苗。浅茅、いとをかし。
 蓮(はちす)葉、よろづの草よりもすぐれてめでたし。妙法蓮華のたとひにも、花は仏に奉り、実は数珠につらぬき、念仏して往生極楽の縁とすればよ。また、花なき頃、みどりなる池の水に紅に咲きたるも、いとをかし。翠翁紅とも詩に作りたるにこそ。
 

 唐葵(からあふひ)、日の影にしたがひてかたぶくこそ、草木といふべくもあらぬ心なれ。
 さしも草。八重葎(むぐら)。つき草、うつろひやすなるこそうたてあれ。
 
 

67段(能70):草の花は

 
 
 草の花は 撫子(なでしこ)、唐のはさらなり、大和のもいとめでたし。をみなへし(女郎花)。桔梗(ききやう)。あさがほ(朝顔)。かるかや(刈萱)。菊。つぼすみれ(壺菫)。竜胆(りんだう)は、枝ざしなどもむかしけれど、こと花どものみな霜がれたるに、いとはなやかなる色あひにてさし出でたる、いとをかし。また、わざととりたてて人めかすべくもあらぬさまなれど、かまつかの花らうたげなり。名もうたてあなる。雁の来る花とぞ文字には書きたる。かにひの花、色は濃からねど、藤の花とよく似て、春秋と咲くがをかしきなり。
 

 萩、いと色ふかう、枝たをやかに咲きたるが、朝露にぬれてなよなよとひろごりふしたる、さ牡鹿のわきて立ち馴らすらむも、心ことなり。八重山吹。
 

 夕顔は、花のかたちも朝顔に似て、いひつぐけたるに、をかしかりぬべき花の姿に、実のありさまこそ、いとくちをしけれ。などさはた生ひ出でけむ。ぬかづきなどいふもののやうにだにあれかし。されど、なほ夕顔といふ名ばかりはをかし。しもつけの花。葦の花。
 

 これに薄(すすき)を入れぬ、いみじうあやしと人いふめり。秋の野のおしなべたるをかしさは薄こそあれ。穂先の蘇芳にいと濃きが、朝露にぬれてうちなびきたるは、さばかりの物やはある。秋のはてぞ、いと見どころなき。色々にみだれ咲きたりし花の、かたちもなく散りたるに、冬の末まで、かしらのいとしろくおほどれたるも知らず、昔思ひ出顔に、風になびきてかひろぎ立てる、人にこそいみじう似たれ。よそふる心ありて、それをしもこそ、あはれと思ふべけれ。
 
 

68段(能68):集は

 
 
 集は 古萬葉。古今。
 
 

69段(能69):歌の題は

 
 
 歌の題は 都。葛。三桟草。駒。霰。
 
 

70段(能71):おぼつかなきもの

 
 
 おぼつかなきもの 十二年の山ごもりの法師の女親。
 知らぬ所に、闇なるにいきたるに、あらはにもぞあるとて、火もともさで、さすがに並みゐたる。いま出で来たる者の心も知らぬに、やむごとなき物持たせて、人のもとにやりたるに、おそく帰る。
 物もまだいはぬちごの、そりくつがへり、人にもいだかれず泣きたる。
 
 

71段(能72):たとしへなきもの

 
 
 たとしへなきもの 夏と冬と。昼と夜と。雨降る日と照る日と。人のわらふと腹立つと。老いたると若きと。しろきとくろきと。思ふ人とにくむ人と。同じ人ながらも、心ざしあるをりと変はりたるをりは、まことにこと人とぞおぼゆる。火と水と。肥えたる人、痩せたる人。髪長き人と短き人と。
 
 

72段(能73):夜烏どものゐて

 
 
 夜烏どものゐて、夜中ばかりにいねさわぐ。落ちまどひ、木づたひて、寝起きたる声に鳴きたるこそ、昼の目にたがひてをかしけれ。
 
 

73段(能74,能75):しのびたる所にありては

 
 
 しのびたる所にありては、夏こそをかしけれ。いみじくみじかき夜の明けぬるに、つゆ寝ずなりぬ。やがてよろづの所あけながらあれば、すずしく見えわたされたる。なほいますこしいふべきことのあれば、かたみにいらへなどするほどに、ただゐたる上より、烏の高く鳴きていくこそ、顕証なる心地してをかしけれ。
 

 また、冬の夜のいみじうさむきに、うづもれ臥して聞くに、鐘の音の、ただ物の底なるやうにきこゆる、いとをかし。鳥の声も、はじめは羽のうちに鳴くが、口をこめながら鳴けば、いみじう物ふかくとほきが、明くるままにちかく聞こゆるもをかし。
 
 

74段(能76):懸想人にて来たるは

 
 
 懸想人にて来たるはいふべきにもあらず、ただうち語らふも、また、さしもあらねど、おのづから来などもする人の、簾の内に人々あまたありて物などいふに、ゐ入りてとみも帰りげもなきを、供なるをのこ、童など、とかくさしのぞき、けしき見るに、「斧の柄も朽ちぬべきなめり」と、いとむつかしかめれば、長やかにうちあくびて、みそかに思ひていふらめど、「あなわびし。煩悩苦悩かな。夜は夜中になりぬらむかし」といひたる、いみじう心づきなし。かのいふ者は、ともかくおぼえず、このゐたる人こそ、をかしと見え聞こえつることも、失するやうにおぼゆれ。
 

 また、さいと色に出でてはえいはず、「あな」と高やかにうちいひ、うめきたるも、「下行く水の」といとほし。
 

 立蔀、透垣などのもとにて、「雨降りぬべし」など聞こえごつもいとにくし。いとよき人の御供人などは、さもなし。君達などのほどはよろし。それより下れる際は、みなさやうにぞある。あまたあらむ中にも、心ばへ見てぞ率てありかまほしき。
 
 

75段(能77):ありがたきもの

 
 
 ありがたきもの 舅にほめらるる婿。また、姑に思はるる嫁の君。毛のよく抜くしろがねの毛抜き。主そしらぬ従者。
 

 つゆの癖なき。かたち・心・ありさますぐれ、世に経るほど、いささかのきずなき。同じ所に住む人の、かたみに恥ぢかはし、いささかのひまなく用意したりと思ふが、つひに見えぬこそ難けれ。
 

 物語・集など書き写すに、本に墨つけぬ。よき草子などは、いみじう心して、書けど、必ずこそきたなげになるめれ。
 

 男・女をばいはじ、女とぢも、契り深くて語らふ人の、末まで仲よき人難し。
 
 

76段(能78):内裏の局、細殿いみじうをかし

 
 
 内裏の局、細殿いみじうをかし。
 上の蔀上げたれば、風いみじう吹き入りて、夏もいみじう涼し。
 冬は、雪、霰などの、風にたぐひて降り入りたるもいとをかし。せばくて、わらはべなどののぼりぬるぞあしけれども、屏風のうちにかくしすゑたれば、こと所の局のやうに、声高く笑わらひなどもせで、いとよし。昼なども、たゆまず心づかひせらる。夜はまいてうちとくべきやうもなきが、いとをかしきなり。
 

 沓の音、夜一夜聞こゆるが、とどまりて、ただおよびひとつしてたたくが、その人なりと、ふと聞こゆるこそをかしけれ。いとひさしうたたくに、音もせねば、寝入りたりとや思ふらむとねたくて、すこしうちみじろぐ、衣のけはひ、さななりと思ふらむかし。
 冬は、火桶にやをら立つる箸の音も、しのびたりと聞こゆるを、いとどたたきはらへば、声にてもいふに、かげながらすべりよりて聞く時もあり。
 

 また、あまたの声して詩誦し、歌などうたふには、たたかねどまづあけたれば、ここへとしも思はざりける人も立ちとまりぬ。ゐるべきやうもなくて立ちあかすも、なほをかしげなるに、几帳の帷子いとあざやかに、裾のつまうちかさなりて見えたるに、直衣のうしろにほころびたえず着たる君たち、六位の蔵人の青色など着て、うけばりて遣戸のもとなどに、そばよせてはえ立たで、塀のかたにうしろおして、袖うちあはせて立ちたるこそをかしけれ。
 

 また、指貫いと濃う、直衣あざやかにて、色々の衣どもこぼし出でたる人の、簾をおし入れて、なからいりたるやうなるも、外より見るはいとをかしからむを、清げなる硯引き寄せて文書き、もしは鏡乞ひて見なほしなどしたるは、すべてをかし。
 

 三尺の几帳を立てたるに、帽額の下ただすこしぞある、外の立てる人と内にゐたる人と物いふが、顔のもとにいとよくあたるたるこそをかしけれ。たけのたかくみじかからむ人などや、いかがあらむ。なほ世の常の人はさのみあらむ。
 
 

77段(能79):まいて、臨時の祭の調楽などは

 
 
 まいて、臨時の祭の調楽などはいみじうをかし。
 主殿寮の官人、長き松をたかくともして、頸は引き入れていけば、さきはしつけつばかりなるに、をかしう遊び、笛吹き立てて、心ことに思ひたるに、君達日の装束して立ちどまり、物いひなどするに、供の随身どもの、前駆を忍びやかにみじかう、おのが君たちの料に追ひたるも、遊びにまじりてつねに似ずをかしう聞こゆ。
 

 なほあげながら帰るを待つに、君たちの声にて、「荒田に生ふるとみ草の花」とうたひたる、このたびはいますこしをかしきに、いかなるまめ人にかあらむ、すくずくしうさしあゆみて往ぬるもあれば、わらふを、「しばしや。『など、さ、夜を捨てていそぎ給ふ』とあり」などいへば、心地などやあしからむ、倒れぬばかり、もし人などや追ひて捕らふると見ゆるまで、まどひ出づるもあめり。
 
 

78段(能80):職の御曹司におはします頃、木立など

 
 
 職の御曹司におはします頃、木立などのはるかにものふり、屋のさまも高う、けどほけれど、すずろにをかしうおぼゆ。母屋は鬼ありとて、南へ隔て出だして、南の廂に御帳立てて、また廂に女房は候ふ。
 

 近衛の御門より、左衛門の陣に参り給ふ上達部の前駆ども、殿上人のはみじかければ、大前駆、小前駆とつけて聞きさわぐ。あまたたびになれば、その声どももみな聞き知りて、「それぞ」「かれぞ」などいふに、また、「あらず」などいへば、人して見せなどするに、いひあてたるは、「さればこそ」などいふもをかし。
 

 有明のいみじう霧りわたりたる庭に、下りてありくを聞こしめして、御前にも起きさせ給へり。うへなる人々のかぎりは出でゐ、下りなどして遊ぶに、やうやう明けもてゆく。「左衛門の陣にまかり見む」とていけば、我も我もとおひつぎていくに、殿上人あまた声して、「なにがし一声の秋」と誦して参る音すれば、逃げ入り、物などいふ。「月を見給ひけり」など、めでて歌よむもあり。
 

 夜も昼も、殿上人の絶ゆる折なし。上達部まで参り給ふに、おぼろげに、いそぐことなきは、必ず参り給ふ。
 
 

79段(能81):あぢきなきもの

 
 
 あぢきなきもの わざと思ひ立ちて宮仕へに出で立ちたる人の、物憂がり、うるさげに思ひたる。養子の顔にくげなる。しぶしぶに思ひたる人を、しひて婿取りて、思ふさまならずとなげく。
 
 

80段(能83,能84:心地よげなるもの

 
 
 心地よげなるもの 卯杖のことぶき。御神楽の人長。神楽の振幡とか持たる者。御霊会の馬の長。池の蓮。村雨にあひたる。傀儡のこととり。
 
 

81段(能85):御仏名のまたの日

 
 
 御仏名のまたの日、地獄絵の屏風とりわたして、宮に御覧ぜさせ奉らせ給ふ。ゆゆしう、いみじきことかぎりなし。「これ見よ、見よ」と仰せらるれど、「さらに見侍らじ」とて、ゆゆしさにうへやにかくれふぬ。
 

 雨いたう降りてつれづれなりとて、殿上人上の御局に召して御遊びあり。道方の少納言、琵琶いとめでたし。済政筝の琴、行儀笛、経房の少将、笙の笛などおもしろし。
 ひとわたり遊びて、琵琶のひきやみたるほどに、大納言殿、「琵琶の声やんで物語せむとすること遅し」と誦し給へりしに、かくれふしたるしも起き出でて、「なほ、罪おそろしけれども、もののめでたさはやむまじ」とて笑はる。
 
 

82段(能86):頭の中将の、すずろなるそら言を聞きて

 
 
 頭の中将の、すずろなるそら言を聞きて、いみじういひおとし、「何しに人とほめけむ」など、殿上にていみじうなむ宣ふ、と聞くにもはづかしけれど、まことならばこそあらめ、おのづから聞きなほし給ひてむとわらひてあるに、黒戸の前などわたるにも、声などする折は、袖をふたぎてつゆ見おこせず、いみじうにくみ給へば、ともかうもいはず、見も入れですぐすに、
 二月つごもり方、いみじう雨降りてつれづれなるに、御物忌にこもりて、「『さすがにさうざうしくこそあれ。物やいひやらまし』となむ宣ふ」と、人々語れど、「よにあらじ」などいらへてあるに、日一日下にゐくらして、参り給へれば、夜のおとどに入らせ給ひにけり。
 

 長押の下に火近く取り寄せて、さしつどひて扁をぞつく。
 「あなうれし。とくおはせ」など、見つけていへど、すさまじき心地して、なにしにのぼりつらむとおぼゆ。
 炭櫃のもとにゐたれば、そこにまたあまたゐて、物などいふに、「なにがし候ふ」と問はすれば、主殿司なりけり。
 「ただここもとに、人づてならで申すべきこと」などいへば、さし出でて問ふに、「これ、頭の殿の奉らせ給ふ。御返りごととく」といふ。
 

 いみじくにくみ給ふに、いかなる文ならむと思へど、ただ今いそぎ見るべきにもあらねば、「往ね。いまきこえむ」とて、ふところにひき入れて入りぬ。
 なほ人の物いふ聞きなどする、すなはちたち帰り来て、「『さらば、そのありつる御文を賜はりて来』となむ仰せらるる。とくとく」といふが、あやしう、、いせの物語なりやとて見れば、青き薄様に、いときよげに書き給へり。
 心ときめきしつるさまにもあらざりけり。
 

♪4
  蘭省花時錦帳下
〔※蘭省花 時の錦の 帳の下〕
 

と書きて、「末はいかに、いかに」とあるを、いかにかはすべからむ、御前おはしまさば、御覧ぜさすべきを、これが末を知り顔に、たどたどしき真名に書きたらむも、いと見苦しと、思ひまはすほどもなく、責めまどはせば、ただその奥に、炭櫃に消えたる炭のあるして、
 

♪4-2
 草のいほりを たれかたづねむ
 

と書きつけて、とらせつれど、また返りごともいはず。
 

 みな寝て、つとめて、いととく局に下りたれば、源中将の声にて、「ここに、草の庵やある」と、おどろおどろしくいへば、「あやし。などてか、人げなきものはあらむ。玉の台ともとめ給はましかば、いらへてまし」といふ。
 「あなうれし。下にありけるよ。上にたづねむとしつるを」とて、よべありしやう、
 「頭の中将の宿直所に、少し人々しきかぎり、六位まであつまりて、よろづの人の上、昔今と語り出でていひしついでに、『なほこの者、むげに絶えはてて後こそ、さすがにえあらね。もしいひ出づることもやと待てど、いささかなにとも思ひたらず、つれなきもいとねたきを、今宵あしともよしともさだめきりてやみなむかし』とて、みないひあはせたりしことを、
 『ただ今は見るまじとて入りぬ』と、主殿司がいひしかば、また追ひ返して、『ただ袖をとらへて、東西せさせず乞ひとりて、持て来。さらずは、文を返しとれ』といましめて、さばかり降る雨のさかりにやりたるに、いととく帰りたりき。
 『これ』とて、さし出でたるが、ありつる文なれば、返してけるかとて、うち見たるに、あはせてをめけば、『あやし。いかなることぞ』と、みな寄りて見るに、『いみじき人を。なほえこそ捨つまじけれ』とて見騒ぎて、『これが本つけてやらむ。源中将つけよ』など、夜ふくるまでつけわづらひてやみにしことは、行く先も必ずかたり伝ふべきことなり、などなむ、みな定めし」など、いみじうかたはらいたきまでいひ聞かせて、
 「御名をば、今は草の庵となむつけたる」とて、いそぎ立ち給ひぬれば、
 「いとわろき名の、末の世まであらむこそ、くちをしかなれ」といふほどに、
 修理の亮則光「いみじきよろこび申しになむ、上にやとて参りたりつる」といへば、
 「なんぞ。司召なども聞こえぬを、何になり給へるぞ」と問へば、
 「いな、まことにいみじう嬉しきことの、よべ侍りしを、心もとなく思ひ明かしてなむ。かばかり面目なることなかりき」とて、はじめありけることども、中将の語り給ひつる、おなじことをいひて、
 「『ただ、この返りごとにしたがひて、こかけをしふみし、すべて、さる者ありきとだに思はじ』と、頭の中将の宣へば、あるかぎりかうようしてやり給ひしに、ただに来たりしは、なかなかよかりき。
 持て来たりしたびは、いかならむと胸つぶれて、まことにわろからむは、せうとのためにもわるかるべしと思ひしに、なのめにだにあらず、そこらの人のほめ感じて、『せうと、こち来。これ聞け』と宣ひしかば、下心地はいとうれしけれど、『さやうの方に、さらにえ候ふまじき身になむ』と申ししかば、『言くはへよ、聞き知れとにはあらず。ただ、人に語れとて聞かするぞ』と宣ひしなむ、すこしくちをしきせうとのおぼえに侍りしかども、本つけこころみるに、いふべきやうなし。
 『ことに、また、これが返しをやすべき』などいひあはせ、『わるしといはれては、なかなかねたかるべし』とて、夜中までおはせし。これは、身のためも人の御ためも、よろこびには侍らずや。司召に少々の司得て侍らむは、何ともおぼゆまじくなむ」といへば、げにあまたして、さることあらむとも知らで、ねたうもあるべかりけるかなと、これになむ、胸つぶれておぼえし。
 このいもうと、せうとといふことは、上までみな知ろしめし、殿上にも、司の名をばいはで、せうととぞつけられたる。
 

 物語などしてゐたるほどに、「まづ」と召したれば、参りたるに、このことおほせられむとなりけり。
 上わたらせ給ひて、語り聞こえさせ給ひて、をのこどもみな、扇に書きつけてなむ持たる、など仰せらるるにこそ、あさましく、何のいはせけるにかとおぼえしか。
 

 さてのちぞ、袖の几帳などとり捨てて、思ひなほり給ふめりし。
 
 

83段(能87):かへる年の二月廿日よ日

 
 
 かへる年の二月廿日よ日、宮の職へ出でさせ給ひし、御供に参らで、梅壺に残りゐたりし、またの日、頭の中将の御消息とて、「昨日の夜、鞍馬にまうでたりしに、今宵、方のふたがりければ、方違へになむいく。まだ明けざらむに帰りぬべし。かならずいふべきことあり。いたうたたかせで待て」と宣へりしかど、「局にひとりはなどてあるぞ。ここに寝よ」と御匣殿の召したれば、参りぬ。
 

 ひさしう寝起きて、下りたれば、「昨夜いみじう人のたたかせ給ひし、からうじて起きて侍りしかば、『上にか、さらば、かくなむと聞こえよ』と侍りしかども、よも起きさせ給はじとて臥し侍りにき」と語る。
 心もなのことや、と聞くほどに、主殿司来て、「頭の殿の聞こえさせ給ふ、『ただいままかづるを、きこゆべきことなむある』」といへば、「見るべきことありて、上になむのぼり侍る。そこにて」といひてやりつ。
 

 局は、引きもあけ給はむと、心ときめきわづらはしければ、梅壺の東面、半蔀あげて、「ここに」といへば、めでたくぞあゆみ出で給へる。
 

 桜の直衣のいみじくはなばなと、裏のつやなど、えもいはずきよらなるに、葡萄染のいと濃き指貫、藤の折枝おどろおどろしく織りみだりて、くれなゐの色、打ち目など、かがやくばかりぞ見ゆる。
 しろき、薄色など、下にあまたかさなり、せばき縁に、かたつかたは下ながら、すこし簾のもとちかうよりゐ給へるぞ、まことに絵にかき、物語のめでたきことにいひたる、これにこそはとぞ見えたる。
 

 御前の梅は、西はしろく、東は紅梅にて、すこし落ちがたになりたれど、なほをかしきに、うらうらと日のけしきのどかにて、人に見せまほし。
 御簾の内に、まいてわかやかなる女房などの、髪うるはしう、こぼれかかりて、などいひためるやうにて、もののいらへなどしたらむは、いますこしをかしう、見所ありぬべきに、いとさだ過ぎ、ふるぶるしき人の、髪などもわがにはあらねばにや、所々わななきちりぼひて、おほかた色ことなる頃なれば、あるかなきかなる薄鈍、あはひも見えぬうは衣などばかり、あまたあれど、つゆのはえも見えぬに、おはしまさねば裳も着ず、袿姿にてゐたるこそ、物ぞこなひにてくちをしけれ。
 「職へなう参る。ことづけやある。いつか参る」など宣ふ。
 「さても、昨夜夜明かしもはてで、さりとも、かねてさいひしかば待つらむとて、月のいみじうあかきに、西の京といふ所より来るままに、局をたたきしほど、からうじて寝おびれ起きたりしけしき、いらへのはしたなき」など語りてわらひ給ふ。
 「むげにこそ思ひうんじにしか。などさる者をば置きたる」と宣ふ。
 げにさぞありけむと、をかしうもいとほしうもありし。
 

 しばしありて出で給ひぬ。
 外より見む人は、をかしく、いかなる人あらむと思ひぬべし。
 奥の方より見いだされたらむうしろこそ、外にさる人やはとおぼゆまじけれ。
 

 暮れぬれば参りぬ。
 御前に人々いとおほく、上人など候ひて、物語のよきあしき、にくき所などをぞ定め、いひそしる。
 涼、仲忠などがこと、御前にも、おとりまさりたるほどなど仰せられける。
 「まづ、これはいかに。とくことわれ。仲忠が童生ひのあやしさを、せちに仰せらるるぞ」などいへば、「なにかは。琴なども、天人の下るばかり弾き出で、いとわるき人なり。帝の御むすめやは得たる」といへば、仲忠が方人ども、所を得て。「さればよ」などいふに、「このことどもよりは、昼、斉信が参りたりつるを見ましかば、いかにめで惑はましとこそおぼえつれ」と仰せらるるに、「さて、まことに、つねよりもあらまほしくこそ」などいふ。
 「まづそのことをこそは啓せむと思ひて参りつるに、物語のことにまぎれて」とて、ありつることのさま、語り聞こえさすれば、「誰も見つれど、いとかう、縫ひたる糸、針目までやは見とほしつる」とて笑ふ。
 

 西の京といふ所のあはれなりつること、「もろともに見る人のあらましかばとなむおぼえつる。垣などもみな古りて、苔生ひてなむ」など語りつれば、宰相の君、「瓦に松はありつや」といらへたるに、いみじうめでて、「西の方、都門を去れる事いくばくの地ぞ」と口ずさびつることなど、かしがましきまでいひしこそをかしかりしか。
 
 

84段(能88):里へまかでたるに

 
 
 里へまかでたるに、殿上人などの来るをも、やすからずぞ人々いひなすなる。
 いと有心に、引きいれたるおぼえはたなければ、さいはむもにくかるまじ。
 また、昼も夜も来る人を、なにしにかは、「なし」ともかがやきかへさむ。
 まことにむつまじうなどあらぬも、さこそは来めれ。
 あまりうるさくもあれば、このたび出でたる所をば、いづくとなべてには知らせず。
 左中将経房の君、済政の君などばかりぞ、知り給へる。
 

 左衛門の尉則光が来て、物語などするに、「昨日宰相の中将の参り給ひて、『いもうとのあらむ所、さりとも知らぬやうあらじ。いへ』と、いみじう問ひ給ひしに、さらに知らぬよしを申ししに、あやにくにしひ給ひしこと」などいひて、
 「あることあらがふ、いとわびしうこそありけれ。ほとほと笑みぬべかりしに、左の中将の、いとつれなく知らず顔にてゐ給へりしを、かの君に見だにあはせば、笑ひぬべかりしに、わびて、台盤の上に、布のありしをとりて、ただ食ひに食ひまぎらはししかば、中間にあやしの食ひものやと、人々見けむかし。されど、かしこう、それにてなむ、そことは申さずなりにし。わらひなましかば不用ぞかし。まことに知らぬなめりと思したりしも、をかしくこそ」など語れば、
 「さらにな聞こえ給ひそ」などいひて、日頃ひさしうなりぬ。
 

 夜いたうふけて、門をいたうおどろおどろしうたたけば、なにの用に、心もなう、遠からぬ門をたかくたたくらむと聞きて、問はすれば、瀧口なりけり。
 「左衛門の尉の」とて文を持て来たり。
 みな寝たるに、火とりよせさせて見れば、「明日、御読経の結願にて、宰相の中将、御物忌にこもり給へり。『いもうとのあり所申せ、申せ』とせめらるるに、ずちなし。さらにえ隠し申すまじ。さなむとや聞かせ奉るべき。いかに。仰せにしたがはむ」といひたる、返りごとは書かで、布を一寸ばかり、紙につつみてやりつ。
 

 さてのち来て、「一夜は、せめたてられて、すずろなる所々になむ率てありき奉りし。まめやかにさいなむに、いとからし。さて、などともかくも御返りはなくて、すずろなむ布の端をばつつみて賜へりしぞ。あやしのつつみ物や。人のもとに、さるもののつつみておくるやうやはある。とりたがへたるか」といふ。
 いささか心も得ざりけると見るがにくければ、物もいはで、硯にある紙の端に、
 

♪5
  かづきする あまのすみかを そことだに
  ゆめいふなとや めを食はせけむ
 

と書きてさし出でたれば、「歌よませ給へるか。さらに見侍らじ」とて、あふぎ返して逃げて往ぬ。
 

 かう語らひ、かたみの後見などする中に、なにともなくて、すこしなかあしうなりたる、文おこせたり。
 「びんなきことなど侍りとも、なほ契り聞こえしかたは忘れ給はで、よそめにては、さぞとは見給へとなむ思ふ」といひたり。
 

 つねにいふことは、「おのれを思さむ人は、歌をなむよみて得さすまじき。すべて仇敵となむ思ふ。いまは、限ありて絶えむと思はむ時にを、さることはいへ」などいひしかば、この返りごとに、
 

♪6
  くづれよる 妹背の山の 中なれば
  さらに吉野の 川とだに見じ
 

といひやりしも、まことに見ずやなりけむ、返しもせずなりにき。
 

 さて、かうぶり得て、遠江の介といひしかば、にくくてこそやみにしか。
 
 

85段(能89,能112):物のあはれ知らせ顔なるもの

 
 
 物のあはれ知らせ顔なるもの はな垂り、まもなうかみつつ物いふ声。眉抜く。
 
 

86段(能90):さて、その左衛門の陣などに

 
 
 さて、その左衛門の陣などにいきてのち、里に出でてしばしあるほどに、「とくまゐりね」など、仰せごとの端に、「左衛門の陣へいきしうしろなむ、つねに思しめし出でらるる。いかで、さつれなくうち古りてありしならむ。いみじうめでたからむとこそ思ひたりしか」など仰せられたる、
 御返りに、かしこまりのよし申して、私には、「いかでかはめでたしと思ひ侍らざらむ。御前にも、『なかなるをとめ』とは御覧じおはしましけむとなむ思ひ給へし」と聞こえさせたれば、
 たちかへり、「いみじく思へるなる仲忠がおもてぶせなる事は、いかで啓したるぞ。ただ今宵のうちに、よろづのことを捨ててまゐれ。さらずは、いみじうにくませ給はむ」となむ仰せごとあれば、
 「よろしからむにてだにゆゆし。まいて『いみじ』とある文字に、命も身も、さながら捨ててなむ」とて参りにき。
 
 

87段(能91):職の御曹司におはします頃、西の廂にて

 
 
 職の御曹司におはします頃、西の廂にて不断の御読経あるに、仏などかけ奉り、僧どものゐたるこそ、さらなることなれ。
 

 二日ばかりありて、縁のもとに、あやしき者の声にて、「なほかの御仏供のおろし侍りなむ」といへば、「いかでか、まだきには」といふなるを、何のいふにからむとて、立ち出でて見るに、なま老いたる女法師の、いみじうすすけたる衣を着て、さるさまにていふなりけり。
 「かれは、何ごといふぞ」といへば、声ひきつくろひて、「仏の御弟子に候へば、御仏供のおろしたべむと申すを、この御坊たちの惜しみ給ふ」といふ。
 はなやぎ、みやびかなり。
 かかる者は、うちうんじたるこそあはれなれ、うたてもはなやぎたるかなとて、「こと物は食はで、ただ仏の御おろしをのみ食ふか。いとたふときことかな」といふ、けしきを見て、「などか、こと物も食べざらむ。それが候はねばこそととり申しつれ」といへば、果物、ひろき餅などを、物に入れてとらせたるに、むげになかよくなりて、よろづのこと語る。
 

 わかき人々出で来て、「をとこやある」「いづくにか住む」など口々に問ふに、をかしき言、そへ言などをすれば、「歌はうたふや。舞などするか」と問ひもはてぬに、「夜は誰とか寝む。常陸の介と寝む。寝たる肌よし」これが末、いとおほかり。また、「男山の峰のもみぢ葉、さぞ名は立つや、さぞ名は立つや」と頭をまろばし振る。いみじうにくければ、わらひにくみて、「往ね、往ね」といふ。
 「いとほし。これに何とらせむ」といふを聞かせ給ひて、「いみじう、かたはらいたきわざは、せさせつるぞ。聞かで、耳をふたぎてぞありつる。その衣ひとつとらせて、とく遣りてよ」と仰せらるれば、「これ、賜はするぞ。衣すすけたり。しろくて着よ」とて、投げとらせたれば、ふし拝みて、かたにうち置きては舞ふものか。まことににくくに、みな入りにし。
 

 後、ならひたるにやあらむ、つねに見えしらがひありく。
 やがて常陸の介とつけたり。
 衣もしろめず、おなじすすけにてあれば、いづち遣りてけむなどにくむ。
 

 右近の内侍の参りたるに、「かかるものをなむ語らひつけておきためる。すかして、つねに来ること」とて、ありしやうなど、小兵衛といふ人にまねばせて聞かせさせ給へば、「かれいかで見侍らむ。かならず見させ給へ。御得意ななり。さらに、よも語らひとらじ」など笑ふ。
 

 その後、また、尼なる乞食のいとあてやかなる、出で来たるを、また呼び出でてものなどいふに、これはいとはづかしげに思ひて、あはれなれば、例の、衣ひとつ賜はせたるを、ふし拝むは、されどよし、さてうち泣きよろこびて往ぬるを、常陸の介は、来あひて見てけり。
 その後ひさしう見えねど、誰かは思ひ出でむ。
 

 さて、師走の十よ日のほどに、雪いみじう降りたるを、女官どもなどして、縁にいとおほく置くを、「おなじくは、庭にまことの山を作らせ侍らむ」とて、侍召して、「仰せごとにて」といへば、あつまりて作る。主殿寮の官人、御きよめに参りたるなども、みな寄りて、いとたかう作りなす。宮司なども参りあつまりて、言くはへ興ず。三四人参りつる主殿寮の者ども、二十人ばかりになりにけり。里なる侍召しに遣はしなどす。
 「けふ、この山作る人には、日三日賜ぶべし。また、参らざらむ者は、また同じ数とどめむ」などいへば、聞きつけたるはまどひ参るもあり。里とほきは、え告げやらず。
 

 作りはてつれば、宮司召して、衣二結ひとらせて、縁に投げいだしたるを、ひとつとりにとりて、拝みつつ、腰にさしてみなまかでぬ。うへのきぬなど着たるは、さて狩衣にてぞある。
 「これ、いつまでありなむ」と人々に宣はするに、「十日はありなむ」「十よ日はありなむ」など、ただこの頃のほどを、あるかぎり申すに、「いかに」と問はせ給へば、「正月の十よ日までは侍りなむ」と申すを、御前にも、えさはあらじとおぼしめしたり。
 女房はすべて、年のうち、つごもりまでもえあらじとのみ申すに、あまりとほくも申しけるかな、げにえしもやあらざらむ、一日などぞいふべかりけると、下には思へど、さはれ、さまでなくとも、いひそめてむことはとて、かたうあらがひつ。
 

 二十日のほどに編め降れど、消ゆべきやうもなし。すこしたけぞ劣りもて行く。
 「白山の観音、これ消えさせ給ふな」といのるも、ものくるほし。
 

 さて、その山作りたる日、御使に式部丞忠隆参りたれば、褥さしいだしてものなどいふに、「けふ雪の山作らせ給はぬところなむなき。御前の壺にも作らせ給へり。春宮にも弘徽殿にも作られたりつ。京極殿にも作らせ給へりけり」などいへば、
 

♪7
  ここにのみ めづらしとみる 雪の山
  所所に ふりにけるかな
 

と、かたはらなる人していはすれば、度々かたぶきて、「返しはつかうまつりけがさじ。あされたり。御簾の前にて、人にを語り侍らむ」とて立ちにき。歌いみじうこのむと聞くものを、あやし。御前にきこしめして、「いみじうよくとぞ思ひつらむ」とぞ宣はする。
 

 つごもりがたに、すこしちひさくなるやうなれど、なほいとたかくてあるに、昼つ方、縁に人々出でゐなどしたるに、常陸の介出で来たり。
 「など、いとひさしう見えざりつる」と問へば、「なにかは。心憂きことの侍りしかば」といふ。
 「何事ぞ」と問ふに、「なほかく思ひ侍りしなり」とて、ながやかによみ出づ。
 

♪8
  うらやまし 足もひかれず わたつ海の
  いかなる人にも の賜ふらむ
 

といふを、にくみ笑ひて、人の目も見入れねば、雪の山にのぼり、かかづらひありきて、往ぬる後に、右近の内侍に、かくなどいひやりたれば、「などか、人添へては賜はせざりし。かれがはしなたなくて、雪の山までのぼりつたひけむこそ、いとかなしけれ」とあるを、また笑ふ。
 

 さて、雪の山、つれなくて年もかへりぬ。
 一日の日の夜、雪のいとおほく降りたるを、「うれしうもまた積みたるかな」と見るに、「これはあいなし。はじめの際をおきて、いまのはかき棄てよ」と仰せらる。
 

 局へいととく下るれば、侍の長なる者、柚の葉のごとくなる宿直衣の袖の上に、あをき紙の松につけたるを置きて、わななき出でたり。
 「それは、いづこのぞ」と問へば、「斎院より」といふに、ふとめでたうおぼえて、とりて参りぬ。
 

 まだ大殿籠りたれば、まづ御帳にあたりたる御格子を、碁盤などかきよせて、ひとり念じあぐる、いとおもし。
 片つ方なればきしめくに、おどろかせ給ひて、「などさはすることぞ」と宣はすれば、「斎院により御文の候はむには、いかでかいそぎあげ侍らざらむ」と申すに、「げに、いととかりけり」とて、起きさせ給へり。御文あけさせ給へれば、五寸ばかりなる卯槌ふたつを、卯杖のさまに頭などつつみて、山橘、日かげ、山菅など、うつくしげにかざりて、御文はなし。ただなるやうあらむやは、とて御覧ずれば、卯杖の頭つつみたるちひさき紙に、
 

♪9
  山とよむ 斧の響きを 尋ぬれば
  いはひの杖の 音にぞありける
 

御返し書かせ給ふほども、いとめでたし。斎院には、これよりきこえさせ給ふも、なほ心ことに、書きけがしおほう、用意見えたり。御使に、しろき織物の単、蘇芳なるは梅なめり。雪の降りしきたるに、かづきて参るもをかしう見ゆ。そのたびの御返しを、知らずなりにしこそくちをしけれ。
 

 さて、雪の山、まことの越のにやあらむと見えて、消えげもなし。くろうなりて、見るかひなきさまはしたれども、げに勝ちぬる心地して、いかで十五日待ちつけさせむと念ずる。されど、「七日をだにえすぐさじ」と、なほいへば、いかでこれ見果てむと、みな人思ふほどに、にはかに内裏へ、三日に入らせ給ふべし。いみじうくちをし、この山のはてを知らでやみなむことと、まめやかに思ふ。
 こと人も、「げにゆかしかりつるものを」などいふを、御前にも仰せらるるに、同じくはいひあてて御覧ぜさせばやと思ひつるに、かひなければ、御物の具どもはこび、いみじうさわがしきにあはせて、こもりといふ者の、築土のほどに廂さしてゐたるを、縁のもとちかく呼びよせて、「この雪の山いみじうまぼりて、わらはべなどに踏みちらさせず、こぼたせで、よくまもりて、十五日まで候ふ。その日まであらば、めでたき禄賜はせむとす」など語らひて、つねに台盤所の人、下衆などにくるるを、くだ物やなにやと、いとおほくとらせたれば、うち笑みて、「いとやすきこと。たしかにまもり侍らむ。わらはべぞのぼり候はむ」といへば、「それを制して、聞かざらむ者をば申せ」などいひ聞かせて、入らせ給ひぬれば、七日まで候ひて出でぬ。
 

 そのほども、これがうしろめたければ、おほやけ人、すまし、長女などして、たえずいましめにやる。七日の節供のおろしなどをさへやれば、拝みつることなど、わらひあへり。
 

 里にても、まづ明くるすなはち、これを大事にて見せにやる。十日のほどに、「五日待つばかりはあり」といへば、うれしくおぼゆ。また、昼も夜もやるに、十四日夜さり、雨いみじう降れば、これにぞ消えぬらむといみじう、いま一日二日も待ちつけでと、夜も起きゐていひなげけば、聞く人、ものくるほしとわらふ。
 人の出でていくに、やがて起きゐて、下衆起こさする、さらに起きねば、いみじうにくみ腹立ちて、起き出でたるやりて見すれば、「わらふだのほどなむ侍る。こもり、いとかしこうまもりて、わらはべも寄せ侍らず。『明日、明後日までも候ひぬべし。禄賜はらむ』と申す」といへば、いみじううれしくて、いつしか明日にならば、歌よみて、ものに入れて参らせむと思ふも、いと心もとなくわびし。
 

 くらきに起きて、折櫃など具せさせて、「これに、そのしろからむ所入れて持て来。きたなげならむ所、かき棄てて」などいひやりたれば、いととく持たせつる物をひきさげて、「はやくうせ侍りにけり」といふに、いとあさましく、をかしうよみ出でて、人にも語り伝へさせむとうめき誦じつる歌も、あさましうかひなくなりぬ。
 「いかにしてさるならむ。昨日までさばかりあらむものの、夜のほどに消えぬらむこと」といひくんずれば、「こもりが申しつるは、『昨日いとくらうなるまで侍りき。禄賜はらむと思ひつるものを』とて、手をうちてさわぎ侍りつる」などいひさわぐ。
 

 内裏より仰せごとあり。さて、「雪は今日までありや」と仰せごとあれば、いとねたうくちをしければ、「『年のうち、一日までだにあらじ』と、人々の啓し給ひしに、昨日の夕暮れまで侍りしは、いとかしこしとなむ思う給ふる。今日までは、あまりことになむ。夜のほどに、人のにくみてとり棄てて侍るにやとなむおしはかり侍る、と啓せさせ給へ」など聞こえさせつ。
 

 さて、二十日参りたるにも、まづこのことを、御前にてもいふ。
 「身は投げつ」とて、蓋のかぎり持て来たりけむ法師のやうに、すなはち持て来たりしがあさましかりしこと、物の蓋に小山作りて、白き紙に歌いみじく書きて、参らせむとせしことなど啓すれば、いみじく笑はせ給ふ。
 御前なる人々もわらふに、「かう心に入れて思ひたることをたがへたれば、罪得らむ。まことに、四日の夜、侍どもをやりてとり棄てしぞ。返りごとにいひ当てたりしこそ、いとをかしかりしか。その女出で来て、いみじう手をすりていひけれども、『仰せごとにて。かの里より来たらむ人に、かく聞かすな。さらば、屋うちこぼたむ』などいひて、左近の司の南の築土などに、みな棄ててけり。『いと堅くて、おほくなむありつる』などぞいふなりしかば、げに二十日も待ちつけてまし。今年の初雪も降り添ひなましなどいふ。上も聞こしめして、『いと思ひやりふかくあらがひたる』など、殿上人どもなどに仰せられけり。さても、その歌語れ。いまかくいひあらはしつれば、おなじごと勝ちたるななり」など、御前にも仰せられ、人々も宣へど、「なでふにか、さばかり憂きことを聞きながら、啓し侍らむ」など、まことにまめやかにうんじ、心憂がれば、上もわたらせ給ひて、「まことに、年頃は、おぼす人なめりと見しを、これにぞあやしと見し」など仰せらるるに、いとど憂く、つらく、うちも泣きぬべき心地ぞする。
 「いで、あはれ、いみじく憂き世ぞかし。のちに降り積みて侍りし雪を、うれしく思ひ侍りしに、『それはあいなし、かき棄てよ』と仰せごと侍りしか」と申せば、「勝たせじとおぼしけるななり」と、上も笑はせ給ふ。
 
 

88段(能92):めでたきもの

 
 
 めでたきもの 唐錦。飾り太刀。つくり仏のもくゑ。
 

 色あひ深く、花房長く咲きたる藤の花の、松にかかりたる。
 

 六位の蔵人。いみじき君達なれど、えしも着給はぬ綾織物を、心にまかせて着たる、青色姿などのめでたきなり。所の雑色、ただの人の子供などにて、殿ばらの侍に、四位五位の司あるが下にうちゐて、なにとも見えぬに、蔵人になりぬれば、えもいはずぞあさましきや。宣旨など持て参り、大饗の折の甘栗の使などに参りたる、もてなし、やむごとながり給へるさまは、いづこなりし天降り人ならむとこそ見ゆれ。
 

 御むすめ后にておはします、また、まだしくて姫君などきこゆるに、御文の使とて参りたれば、御文とり入るるよりはじめ、褥さし出づる袖口など、あけくれ見しものともおぼえず。
 下襲の裾ひきちらして、衛府なるはいますこしをかしく見ゆ。
 御手づからさかづきなどさし給へば、わが心持ちにもいかにおぼえむ。
 いみじうかしこまり、つちにゐし家の子、君たちをも、心ばかりこそ用意し、かしこまりたれ、おなじやうにつれだちてありくよ。上の近う使はせ給ふを見るには、ねたくさへこそおぼゆれ。御文書かせ給へば御硯の墨すり、御うちはなど参り、馴れ仕うまつる三年四年ばかりを、なりあしく、物の色よろしくてまじらはむは、いふかひなきことなり。
 かうぶりの期になりて、下るべきほどの近うならむだに、命よりも惜しかるべきことを、臨時の、所々の御給はり申しておるるこそ、いふかひなくおぼゆれ。
 むかしの蔵人は、今年の春夏よりこそ泣きたちけれ、いまの世には、走りくらべをなむする。
 

 博士の才あるは、いとめでたしといふもおろかなり。顔にくげに、いと下﨟なれど、やむごとなき御前に近づき参り、さべきことなど問はせ給ひて、御書の師にて候ふは、うらやましくめでたくこそおぼゆれ。願文、表、ものの序など作りいだしてほめらるるも、いとめでたし。
 

 法師の才ある、すべていふべくもあらず。
 

 后の昼の行啓。一の人の御ありき。春日詣で。葡萄染の織物。ひろき庭に雪のあつく降り敷きたる。花も糸も紙もすべて、なにもなにも、むらさきなるものはめでたくこそあれ。むらさきの花の中には、かきつばたぞすこしにくき。六位の宿直姿のをかしきも、むらさきのゆゑなり。
 
 

89段(能93):なまめかしきもの

 
 
 なまめかしきもの ほそやかにきよげなる君達の直衣姿。をかしげなる童女の、うへの袴など、わざとはあらでほころびがちなる、汗衫ばかり着て、卯槌、薬玉などながくつけて、勾欄のもとなどに、扇さしかくしてゐたる。
 

 薄様の草子。柳の萌え出でたるに、あをき薄様に書きたる文つけたる。三重がさねの扇。五重はあまりあつくなりて、もとなどにくげなり。いとあたらしからず、いたうものふりぬ桧皮葺の屋に、ながき菖蒲をうるはしうふきわたしたる。あをやかなる御簾の下より、几帳の朽木形いとつややかにて、紐の風に吹きなびかされたる、いとをかし。
 

 白き組の細き。帽額あざやかなる。簾の外、勾欄に、いとをかしげなる猫の、あかき首綱にしろき札つきて、村濃の綱ながう引きて、いかりの緒、組のながきなどつけて引きありくも、をかしうなまめきたり。
 

 五月の節のあやめの蔵人。菖蒲のかずら、赤紐の色にはあらぬを、領布、裙帯などして、薬玉、親王たち、上達部の立ち並み給へるに奉れる、いみじうなまめかし。取りて腰に引きつけ、舞踏し、拝し給ふも、いとめでたし。
 

 むらさきの紙を包み文にて、房ながき藤につけたる。小忌の君たちもいとなまめかし。
 
 

90段(能94):宮の五節いださせ給ふに

 
 
 宮の五節いださせ給ふに、かしづき十二人、こと所には女御、御息所の御方の人いだすをば、わるきことにすると聞くを、いかにおぼすにか、宮の御方を、十人はいださせ給ふ。いまふたりは、女院、淑景舎の人、やがてはらからどちなり。
 

 辰の日の夜、青摺の唐衣、汗衫をみな着せさせ給へり。
 女房にだに、かねてさも知らせず、殿人には、ましていみじう隠して、みな装束したちて、くらうなりにたるほどに、持て来て着す。赤紐をかしうむすび下げて、いみじうやうしたるしろき衣、かた木のかたは絵にかきたり。織物の唐衣どもの上に着たるは、まことにめづらしきなかに、童は、まいていますこしたなまめきたり。下仕まで着て出でゐたるに、殿上人、上達部おどろき興じて、小忌の女房とつけて、小忌の君たちは外にゐて物などいふ。
 「五節の局を、日も暮れぬほどに、みなこぼちすかして、ただあやしうてあらする、いとことやうなることなり。その夜までは、なほうるはしながらこそあらめ」と宣はせて、さもまどはさず。
 几帳どものほころび結ひつつ、こぼれ出でたり。
 

 小兵衛といふが、赤紐のとけたるを、「これ結ばばや」といへば、実方の中将よりてつくろふに、ただならず。
 

♪10
  あしひきの 山井の水は こほれるを
  いかなるひもの とくるなるらむ
 

といひかく。
 年若き人の、さる顕証のほどはいひにくきにや、返しもせず。
 そのかたはらなる人どもも、ただうちすごしつつ、ともかくもいはぬを、宮司などは耳とどめて聞きけるに、ひさしうなりげなるかたはらいたさに、こと方より入りて、女房のもとによりて、「などかうはおはするぞ」などぞささめくなる。
 四人ばかりをへだててゐたれば、よう思ひ得たらむにてもいひにくし、まいて、歌よむと知りたる人のは、おぼろげならざらむは、いかでかと、つつましきこそはわろけれ。
 よむ人はさやはある。
 いとめでたからねど、ふとこそうちいへ。
 爪はじきをしありくがいとほしければ、
 

♪11
  うはごほり あはにむすべる ひもなれば
  かざす日かげに ゆるぶばかりを
 

と弁のおもとといふに伝へさすれば、消え入りつつ、えもいひやらねば、「なにとか、なにとか」と、耳かたぶけて問ふに、すこし言どもりする人の、いみじうつくろひ、めでたしと聞かせむと思ひければ、え聞きつけずなりぬるこそ、なかなか恥隠るる心地してよかりしか。
 

 のぼり送るなどに、なやましといひていかぬ人をも、宣はせしかば、あるかぎりつれだちて、ことにも似ず、あまりことうるさげなめれ。
 

 舞姫は、相尹の馬の頭の女、染殿の式部卿の宮の上の御おとうとの四の君の御腹、十二にていとをかしげなりき。
 

 はての夜も、おひかづきいくもさわがず。やがて仁寿殿より通りて、清涼殿の御前の東の簀子より、舞姫をさきにて、上の御局に参りしほども、をかしかりき。
 
 

91段(能95):細太刀に平緒つけて

 
 
 細太刀に平緒つけて、きよげなる男の持てわたるもなまめかし。
 
 

92段(能96):内裏は、五節の頃こそ

 
 
 内裏は、五節の頃こそ、すずろにただなべて、見ゆる人もをかしうおぼゆれ。
 主殿司などの、色々のさいでを、物忌のやうにて釵子につけたるなども、めづらしう見ゆ。宣耀殿の反橋に、元結のむら濃いとけざやかにて出でゐたるも、さまざまにつけてをかしうのみぞある。上の雑仕、人のもとなるわらはべも、いみじき色ふしと思ひたる、ことわりなり。山藍、日かげなど、柳筥に入れて、かうぶりしたる男など持てありくなど、いとをかしう見ゆ。
 殿上人の、直衣ぬぎたれて、扇やなにやと拍子にして、「つかさまさりとしきなみぞ立つ」といふ歌をうたひて、局どもの前わたる、いみじう、立ち馴れたらむ心地もさわぎぬべしかし。まいて、さとひとたびにうちわらひなどしたるほど、おそろし。行事の蔵人の掻練襲、ものよりことにきよらに見ゆ。褥など敷きたれど、なかなかえものぼりゐず、女房の出でゐたるさまほめそしり、この頃はこと事もなかめり。
 

 帳台の夜、行事の蔵人のいときびしうもてなして、かいつくろひふたり、童よりほかには、すべて入るまじと戸をおさへて、おもにくきまでいへば、殿上人なども、「なほこれ一人は」など宣ふを、「うらやみありて、いかでか」など、かたくいふに、宮の女房の二十人ばかり、蔵人をなにともせず、戸をおしあけてさめき入れば、あきれて、「いとこは、ずちなき世かな」とて、立てるもをかし。
 それにつきてぞ、かしづきどももみな入る、けしきいとねたげなり。上もおはしまして、をかしと御覧じおはしますらむかし。
 

 童舞の夜はいとをかし。灯台にむかひたる顔どももらうたげなり。
 
 

93段(能97):無名といふ琵琶の御琴を

 
 
 無名といふ琵琶の御琴を、上の持てわたらせ給へる、みなどしてかき鳴らしなどする、といへば、弾くにはあらで、緒などを手まさぐりにして、「これが名よ、いかに」と聞こえさするに、「ただいとはかなく、名もなし」と宣はせたるは、なほいとめでたしとこそおぼえしか。
 

 淑景舎などわたり給ひて、御物語のついでに、「まろがもとに、いとをかしげなる笙の笛こそあれ。故殿の得させ給へりし」と宣ふを、僧都の君、「それは隆円に賜へ。おのがもとにめでたき琴あり。それに代へさせ給へ」と申し給ふを、聞きも入れ給はで、こと事を宣ふに、いらへさせ奉らむと、あまたたび聞こえ給ふに、なほものも宣はねば、宮の御前の、「いなかへじと思いたるものを」と宣はせたる御けしきの、いみじうをかしきことぞかぎりなき。
 

 この御笛の名を、僧都の君もえ知り給はざりければ、ただうらめしきとぞ思いためる。これは、職の御曹司におはしまいしほどの事なめり。上の御前に、「いなかへじ」といふ御笛の候ふなり。
 

 御前に候ふものは、御琴も御笛も、みなめづらしき名つきてぞある。玄象、牧馬、井手、渭橋、無名など。また、和琴なども、朽目、塩竃、二貫などぞきこゆる。水龍、小水龍、宇陀の法師、釘打、葉二つ、なにくれなど、おほく聞きしかどわすれにけり。「宜陽殿の一の棚に」といふ言ぐさは、頭の中将こそし給ひしか。
 
 

94段(能98):上の御局の御簾の前にて

 
 
 上の御局の御簾の前にて、殿上人、日一日琴笛吹き、遊びくらして、大殿油まゐるほどに、まだ御格子はまゐらぬに、大殿油さし出でたれば、戸のあきたるがあはらなれば、琵琶の御琴をたたざまに持たせ給へり。くれないゐの御衣ども、いふも世の常なる袿、また、張りたるどもなどをあまた奉りて、いとくろうつややかなる琵琶に、御袖を打ち掛けて、とらへさせ給へるだにめでたきに、そばより、御額のほどの、いみじうしろうめでたくけざやかにて、はづれさせ給へるは、たとふべき方ぞなきや。
 ちかくゐ給へる人にさし寄りて、「なかば隠したりけむは、えかくはあらざりけむかし。あれはただ人にこそありけめ」といふを、道もなきにわけまゐりて申せば、笑はせ給ひて、「別れは知りたりや」となむ仰せらるる、と伝ふるもをかし。
 
 

95段(能100):ねたきもの

 
 
 ねたきもの 人のもとにこれより遣るも、人の返りごとも、書きてやりつるのち、文字一つ二つ思ひなほしたる。とみの物縫ふに、かしこう縫ひつと思ふに、針をひき抜きつれば、はやくしを結ばざりけり。また、かへさまに縫ひたるもねたし。
 

 南の院におはします頃、「とみの御物なり。誰も誰もあまたして時かはさず縫ひてまゐらせよ」とて、賜はせたるに、南面にあつまりて、御衣の片身づつ、誰かとく縫ふと、ちかくもむかはず、縫ふさまも、いと物ぐるほし。命婦の乳母、いととく縫ひはててうち置きつる、ゆだけの片の身を縫ひつるが、そむきざまなるを見つけで、とぢめもしあへず、まどひ置きて立ちぬるが、御背あはすれば、はやくたがひたりけり。
 わらひののしりて、「はやく、これ縫ひなほせ」といふを、「誰、あしう縫ひたりと知りてかなほさむ。綾などならばこそ、裏を見ざらむ人も、げにとなほさめ、無紋の御衣なれば、何をしるしにてか、なほす人誰もあらむ。まだ縫ひ給はざらむ人になほさせよ」とて、聞かねば、「さいひてあらむや」とて、源少納言の君などいふ人達の、もの憂げにとりよせて縫ひ給ひしを、見やりてゐたりしこそをかしかしりか。
 

 おもしろき萩、薄などを植ゑて見るほどに、長櫃持たる者、鋤などひきさげて、ただ掘りに掘りて往ぬるこそわびしうねたけれ。よろしき人などのある時はさもせぬものを、いみじう制すれども、「ただすこし」などうちいひて往ぬる、いふかひなくねたし。
 

 受領などの家に、さるべき所の下部などの来て、なめげにいひ、さりとて我をばいかがせむなど思ひたる、いとねたげなり。
 

 見まほしき文などを、人の取りて、庭に下りて見たるが、いとわびしきねたく、追ひていけど、簾のもとにとまりて見たる心地こそ、飛びも出でぬべき心地すれ。
 
 

96段(能101):かたはらいたきもの

 
 
 かたはらいたきもの、よくも音弾きとどめぬ琴を、よくも調べで、心のかぎり弾きたてたる。客人などに会ひてもの言ふに、奥の方にうちとけ言など言ふを、えは制せで聞く心地。思ふ人のいたく酔ひて、同じことしたる。聞きゐたりけるを知らで、人のうへ言ひたる。それは、何ばかりの人ならねど、使ふ人などだにかたはらいたし。
 旅立ちたる所にて、下衆どもざれゐたる。にくげなるちごを、おのが心地のかなしきままに、うつくしみ、かなしがり、これが声のままに、言ひたることなど語りたる。才ある人の前にて、才なき人の、ものおぼえ声に人の名など言ひたる。よしともおぼえぬわが歌を、人に語りて、人のほめなどしたるよし言ふも、かたはらいたし。
 
 

97段(能102):あさましきもの

 
 
 あさましきもの 刺櫛すりて磨くほどに、ものにつきさへて折りたる心地。車のうちかへりたる。さるおほのかなるものは、所せくやあらむと思ひしに、ただ夢の心地して、あさましうあへなし。
 

 人のためにはづかしうあしきことを、つつみもなくいひゐたる。かならず来なむと思ふ人を、夜一夜起きあかし待ちて、暁がたにうち忘れて寝入りにけるに、烏のいとちかく「かか」と鳴くに、うち見上げたれば、昼になりにける、いみじうあさまし。
 

 見すまじき人に、外へ持ていく文見せたる。むげに知らず、見ぬことを、人のさしむかひて、あらがはすべくもあらずいひたる。物うちこぼしたる心地、いとあさまし。
 
 

98段(能103):くちをしきもの

 
 
 くちをしきもの 五節、御仏名に雪降らで、雨のかきくらし降りたる。節会などに、さるべき御物忌のありたる。いとなみ、いつしかと待つことの、さはりあり、にはかにとまりぬる。あそび、もしは見すべきことありて、呼びにやりたる人の来ぬ、いとくちをし。
 

 男も女も法師も、宮仕所などより、おなじやうなる人、もろともに寺へもまうで、ものへも行くに、このましうこぼれ出で、用意、よくいはば、けしからず、あまり見苦しとも見つくべくぞあるに、さるべき人の、馬にても車にても行きあひ、見ずなりぬる、いとくちをし。わびては、すきずきしき下衆などの、人などに語りつべからむをがなと思ふも、いとけしからず。
 
 

99段(能104):五月の御精進のほど

 
 
 五月の御精進のほど、職におはしますころ、塗籠の前の二間なる所を、ことにしつらひたれば、例様ならぬもをかし。一日より雨がちに、曇り過ぐす。つれづれなるを、「ほととぎすの声たづねに行かばや」と言ふを、我も我もと出で立つ。
 

 二日ばかりありて、その日のことなど言ひ出づるに、宰相の君、「いかにぞ、手づから折りたりと言ひし、下蕨は」と宣ふを聞かせ給ひて、「思ひ出づることのさまよ」と笑はせ給ひて、紙の散りたるに、
 

♪12-2
 下蕨こそ 恋しかりけれ
 

と書かせ給ひて、「本言へ」と仰せらるるも、いとをかし。
 

♪12
 ほととぎす たづねて聞きし 声よりも
 

と書きて、参らせたれば、「いみじう受け張りけり。かうだに、いかでほととぎすのことをかけつらむ」とて、笑はせ給ふもはづかしながら、
 「何か。この歌、よみ侍らじとなむ思ひ侍るを。ものの折など人のよみ侍らんにも、『よめ』など仰せられば、え候ふまじき心地なむし侍る。いといかがは、文字の数知らず、春は冬の歌、秋は梅の花の歌などをよむやうは侍らむ。されど、歌よむといはれし末々は、少し人よりまさりて、『その折の歌は、これこそありけれ。さは言へど、それが子なれば』など言はればこそ、かひある心地もし侍らめ。つゆ取り分きたる方もなくて、さすがに歌がましう、我はと思へるさまに、最初によみ出で侍らむ、亡き人のためにもいとほしう侍る」と、まめやかに啓すれば、
 笑はせ給ひて、「さらば、ただ心にまかす。我はよめとも言はじ」と宣はすれば、
 「いと心やすくなり侍りぬ。いまは歌のこと思ひかけじ」など言ひてあるころ、庚申せさせ給ふとて、内大殿いみじう心まうけせさせ給へり。
 

 夜うち更くるほどに、題出だして女房も歌よませ給ふ。
 みなけしきばみ、ゆるがし出だすも、宮の御前近く候ひて、もの啓しなど、ことごとをのみ言ふを、大臣御覧じて、「など歌はよまで、むげに離れゐたる。題取れ」とて給ふを、「さること承りて、歌よみ侍るまじうなりて侍れば、思ひかけ侍らず」と申す。
 「ことやうなること。まことにさることやは侍る。などかさは許させ給ふ。いとあるまじきことなり。よし、こと時は知らず、今宵はよめ」など、責めさせ給へど、けぎよう聞きも入れで候ふに、みな人々よみ出だして、よしあしなど定めらるるほどに、いささかなる御文を書きて、投げ給はせたり。見れば、
 

♪13
  元輔が のちといはるる 君しもや
  今宵の歌に はづれてはをる
 

とあるを見るに、をかしきことぞたぐひなきや。いみじう笑へば、「何事ぞ、何事ぞ」と大臣も問ひ給ふ。
 

♪14
 「その人の のちといはれぬ 身なりせば
  今宵の歌を まづぞよままし
 

つつむこと候はずは、千の歌なりと、これよりなむ出でまうで来まし」と啓しつ。
 
 

100段(能 ):職におはします頃

 
 
 職におはします頃、八月十よ日の月あかき夜、右近の内侍に琵琶ひかせて、端近くおはします。
 これかれいひ、わらひなどするに、廂の柱に寄りかかりて、物もいはで候へば、
 「など、かう音もせぬ。ものいへ。さうざうしきに」と仰せらるれば、
 「ただ秋の月の心を見侍るなり」と申せば、
 「さもいひつべし」と仰せらる。
 (※ 琵琶行「曲終収撥当心画 四弦一声如裂帛 東船西舫悄無言 唯見江心秋月白」)
 
 

101段(能105):御方々、君達、上人など

 
 
 御方々、君達、上人など、御前に人のいとおほく候へば、廂の柱によりかかりて、女房と物語などしてゐたるに、物を投げ賜はせたる、あけて見れば、思ふべしや、いなや。人、第一ならずはいかに」と書かせ給へり。
 御前にて物語などするついでにも、「すべて、人に一に思はれずは、なににかはせむ。ただいみじう、なかなかにくまれ、あしうせられてあらむ。二三にては死ぬともあらじ。一にてをあらむ」などいへば、「一乗の法ななり」など、人々もわらふことのすぢなめり。
 筆、紙など賜はせたれば、「九品蓮台の間には、下品といふとも」など、書きて参らせたれば、「むげに思ひ屈しにけり。いとわろし。いひとぢめつることは、さてこそあらめ」と宣はす。
 「それは、人にしたがひてこそ」と申せば、「そがわるきぞかし。第一の人に、また一に思はれむとこそ思はめ」と仰せらるるもをかし。
 
 

102段(能106):中納言殿まゐり給ひて

 
 
 中納言殿まゐり給ひて、御扇奉らせ給ふに、「隆家こそいみじき骨は得て侍れ。それを張らせて参らせむとするに、おぼろけの紙は、え得るまじければ、求め侍るなり」と申し給ふ。
 「いかやうにかある」と問ひ聞こえさせ給へば、
 「すべていみじう侍り。『さらにまだ見ぬ骨のさまなり』となむ人々申す。まことにかばかりのは見えざりつ」と、言高く宣へば、
 「さては、扇のにはあらで、海月のななり」と聞こゆべければ、
 「これは隆家が言にしてむ」とて、笑ひ給ふ。
 

 かやうのことこそは、かたはらいたきことのうちに入れつべけれど、「ひとつな落としそ」と言へば、いかがはせむ。
 
 

103段(能107):雨のうちはへ降る頃

 
 
 雨のうちはへ降る頃、けふも降るに、御使にて、式部の丞信経参りたり。
 例のごと褥さし出でたるを、常よりも遠くおしやりてゐたれば、「誰が料ぞ」といへば、笑ひて、「かかる雨にのぼり侍らば、足がたつきて、いとふびんにきたなくなり侍りなむ」といへば、「など、せんぞく料にこそはならめ」といふを、「これは、御前にかしこう仰せらるるにあらず。信経が足がたのことを申しざらましかば、え宣はざらまし」といひしこそをかしかりしか。
 

 「はやう中后の宮に、ゑぬたきといひて、名だかき下仕なむありける。美濃の守にて亡せにける藤原時柄が蔵人なるける折に、下仕どものある所にたちよりて、『これやこの高名のゑぬたき、などさも見えぬ』といひける、いらへに、『それは、時柄にさも見ゆるなからむ』といひたりけるなむ、かたきに選りても、さることはいかでからむと、上達部、殿上人まで、興あることに宣ひける。また、さりけるなめり、けふまでかくいひ伝ふるは」と聞こえたり。
 「それまた時柄がいはせたるなめり。すべて、ただ題がらなむ、文も歌もかしこき」といへば、「げにさもあることなり。さば、題いださむ。歌よみ給へ」といふ。
 「いとよきこと」といへば、「御前に、おなじくは、あまたを仕うまつらむ」などいふほどに、御返り出で来ぬれば、「あな、おそろし。まかり逃ぐ」といひて出でぬるを、いみじう、「真名も仮名もあしう書くを、人の笑ひなどすれば、隠してなむある」といふもをかし。
 

 作物所の別当する頃、誰がもとにやりたりけるにかあらむ、ものの絵やうやるとて、「これがやうに仕うまつるべし」と書きたる真名のやう、文字の、世に知らずあやしきを見つけて、そのかたはらに、「これがままに仕うまつらば、ことやうにこそあべけれ」とて、殿上にやりたれば、人々とりて見て、いみじう笑ひけるに、おほきに腹立ちてこそにくみしか。
 
 

104段(能108):淑景舎、東宮に参り給ふほどのことなど

 
 
 淑景舎、東宮に参り給ふほどのことなど、いかがめでたからぬことなし。
 

 東宮の御使ひに周頼の少将参りたり。御文取り入れて、渡殿は細き縁なれば、こなたの縁に褥さしいだしたり。御文取り入れて、殿・上・宮など御覧じわたす。「御返し、はや」とあれど、とみにも聞こえ給はぬを、「なにがしが見侍れば、書き給はぬなめり。さらぬをりは、これよりぞ、間もなく聞こえ給ふなる」など申し給へば、御おもては少しあかみて、うちほほゑみ給へる、いとめでたし。「まことに、とく」など、上も聞こえ給へば、奥に向きて書い給ふ。上、近う寄り給ひて、もろともに書かせ奉り給へば、いとどつつましげなり。
 

 宮の方より、萌黄の織物の小袿、袴おしいでたれば、三位の中将かづけ給ふ。首苦しげに持ちて立ちぬ。
 

 松君のをかしうもの宣ふを、たれもたれも、うつくしがり聞こえ給ふ。「宮の御子たちとて、ひきいでたらむに、わるく侍らじかし」など、宣はするを、げになどか、さる御事の今までとぞ、心もとなき。
 
 

105段(能109):殿上より、梅のみな散りたる枝を

 
 
 殿上より、梅のみな散りたる枝を、「これはいかが」といひたるに、ただ、「はやく落ちにけり」といらへたれば、その詩を誦して、殿上人、黒戸にいとおほくゐたるを、上の御前に聞こしめして、「よろしき歌など詠みて出だしたらむよりは、かかることはまさりたり。かしこくいらへたり」と仰せられき。
 
 

106段(能110):二月つごもり頃に

 
 
 二月つごもり頃に、風いたう吹きて空いみじう黒きに、雪少しうち散りたるほど、黒戸に主殿司来て、「かうて候ふ」と言へば、寄りたるに、「これ、公任の宰相殿の」とてあるを、見れば、懐紙に、
 

♪15-2
 少し春ある 心地こそすれ
 

とあるは、げに今日のけしきにいとようあひたるも、これが本はいかでかつくべからむ、と思ひわづらひぬ。「たれたれか」と問へば、「それそれ」といふ。みないと恥づかしきなかに、宰相の御答へを、いかでかことなしびに言ひ出でむ、と心ひとつに苦しきを、御前に御覧ぜさせむとすれど、上のおはしまして大殿籠りたり。主殿司は、「とくとく」と言ふ。げに遅うさへあらむは、いととりどころなければ、さはれとて、
 

♪15
 空寒み 花にまがへて 散る雪に
 

と、わななくわななく書きてとらせて、いかに思ふらむとわびし。これがことを聞かばやと思ふに、そしられたらば聞かじとおぼゆるを、「俊賢の宰相など、『なほ内侍に奏してなさむ』となむ、定め給ひし」とばかりぞ、左兵衛督の、中将におはせし、語り給ひし。
 
 

107段(能111):行く末はるかなるもの

 
 
 行くすゑはるかなるもの 半臂の緒ひねりはじむる。陸奥の国へ行く人の、逢坂越ゆる程。産まれたるちごの大人になる程。大般若の読経、ひとりしてはじめたる。
 
 

108段(能113):方弘は、いみじう人に笑はるるものかな

 
 
 方弘は、いみじう人に笑はるるものかな。親などいかに聞くらむ。
 供にありくものどもの、人々しきを呼びよせて、「なにしにかかる者には使はるるぞ。いかがおぼゆる」など笑ふ。
 ものいとよくするあたりにて、下襲、うへのきぬなども、人よりよくて着たるを、紙燭さしつけ焼き、あるは、「これをこと人に着せばや」などいふに、げにまた言葉遣ひなどぞあやしき。
 里に宿直物とりにやるに、「男二人まかれ」といふを、「一人してとりにまかりなむ」といふ。
 「あやしの男や。一人して二人が物をば、いかで持たるべきぞ。一升瓶に二升は入るや」といふを、なでふことと知る人はなけれど、いみじう笑ふ。
 人の使の来て、「御返しとく」といふを、「あな、にくの男や。などかうまどふ。かまどに豆やくべたる。この殿上の墨、筆も、何者の盗み隠したるぞ。飯、酒ならばこそ、人もほそがらめ」といふを、まあ笑ふ。
 

 女院なやませ給ふとて、御使に参りて、帰りたるに、「院の殿上には誰々かありつる」と人の問へば、それかれなど、四五人ばかりいふに、「また誰か」と問へば、「さて、往ぬる人どもぞありつる」といふもわらふも、またあやしきことにこそはあらめ。
 

 人間により来て、「わが君こそ、ものきこえむ。まづと、人の宣ひつることぞ」といへば、「なにごとぞ」とて、几帳のもとにさしよりたれば、「むくろごめにより給へ」といひたるを、五体ごめとなむいひつるとて、人に笑はる。
 

 除目の中の夜、さし油するに、灯台の打敷をふみて立てるに、あたらしき油単に、襪はいとよくとらへられにけり。さしあゆみてかへれば、やがて灯台は倒れぬ、襪に打敷つきていくに、まことに大地震動したりしか。
 

 頭着き給はぬかぎりは、殿上の台盤には人もつかず。それに、豆一盛り、やをらとりて、小障子のうしろにて食ひければ、ひきあらはして笑ふことかぎりなし。
 
 

109段(能320):見苦しきもの

 
 
 見苦しきもの 衣の背縫、肩によせて着たる。また、のけ頸したる。例ならぬ人の前に、子負ひて出で来たる。法師、陰陽師の、紙冠して祓へしたる。色くろうにくげなる女の鬘したると、鬚がちに、かじけやせやせなる男と、夏昼寝したるこそ、いと見苦しけれ。なにの見るかひにて、さて臥いたるならむ。夜などはかたちも見えず、また、みなおしなべてさることとなりければ、我はにくげなるとて、起きゐるべきにもあらずかし。さて、つとめてはとく起きぬる、いとめやすしかし。
 夏昼寝して起きたるは、よき人こそ、いますこしをかしかなれ、えせかたちは、つやめき、寝腫れて、ようせずは、頬ゆがみもしぬべし。かたみにうち見かはしたらむほどの、生けるかひなさや。やせ、色黒き人の、生絹の単衣着たる、いと見苦しかし。
 
 

110段(能309):いひにくきもの

 
 
 いひにくきもの 人の消息の中に、よき人の仰せごとなどのおほかるを、はじめより置くまでいといひにくし。はづかしき人のものなどおこせたる返りごと。大人になりたる子の、思はずなることなどを聞くに、前にてはいひにくし。
 
 

111段(能114):関は

 
 
 関は 逢坂。須磨の関。鈴鹿の関。岫田の関。白河の関。衣の関。ただごえの関は、はばかりの関と、たとしへなくこそおぼゆれ。横はしりの関。清見が関。みるめの関。よしよしの関こそ、いかに思ひ返したるならむと、いと知らまほしけれ。それを勿来の関といふにやあらむ。逢坂などを、さて思ひ返したらむは、わびしかりなむかし。
 
 

112段(能115):森は

 
 
 森は 浮田の森。うへ木の森。岩瀬の森。たちぎきの森。
 
 

113段(能 ):原は

 
 
 原は あしたの原。粟津の原。篠原。萩原。園原。
 
 

114段(能116):卯月のつごもりがたに

 
 
 卯月のつごもりがたに、初瀬にまうでて、淀のわたりといふものをせしかば、舟に車をかきすゑて、菖蒲、菰などの末のみじかく見えしをとらせたれば、いとながかりけり。菰積みたる舟のありくこそ、いみじうをかしかりしか。「高瀬の淀に」とは、これをよみけるなめりと見えて。
 三日かへりしに、雨のすこし降りしほど、菖蒲刈るとて、笠のいとちひさき着つつ、脛いとたかき男の童などのあるも、屏風の絵に似ていとをかし。
 
 

115段(能118):つねよりことにきこゆるもの

 
 
 つねよりことにきこゆるもの 正月の車の音。また、鳥の声。あかつきのしはぶき。物の音はさらなり。
 
 

116段(能119):絵にかきおとりするもの

 
 
 絵にかきおとりするもの なでしこ。菖蒲。桜。物語にめでたしといひたる男、女のかたち。
 
 

117段(能120):かきまさりするもの

 
 
 かきまさりするもの 松の木。秋の野。山里。山路。
 
 

118段(能121,能122):冬は、いみじうさむき

 
 
 冬は、いみじうさむき。夏は、世に知らずあつき。
 
 

119段(能123):あはれなるもの

 
 
 あはれなるもの 孝ある人の子。よきをとこの若きが、御嶽精進したる。たてへだてゐて、うちおこなひたる暁の額、いみじうあはれなり。むつまじき人などの、めさまして聞くらん、思ひやる。詣づる程のありさま、いかならんなど、つつしみおぢたるに、たひらかに詣で着きたるこそいとめでたけれ。烏帽子のさまなどぞ、すこし人わろき。なほいみじき人と聞こゆれど、こよなくやつれてこそ詣づと知りたれ。
 

 右衛門の佐宣孝といひたる人は、「あぢきなき事なり。ただきよき衣を着て詣でんに、なでう事かあらん。必ずよもあやしうて詣でよと、御嶽さらに宣はじ」とて、
 三月つごもりに、紫のいと濃き指貫、白き襖、山吹のいみじうおどろおどろしきなど着て、隆光が、主殿の助なるには、青色の襖、紅の衣、すりもどろかしたる水干といふ袴を着せて、うちつづき詣でたりけるを、かへる人も今詣づるも、めづらしう、あやしき事に、すべて、むかしよりこの山に、かかる姿の人見えざりつ、と、あさましがりしを、四月一日にかへりて、六月十日の程に、筑前の守の辞せしに、なりたりしこそ、げにいひにけるにたがはずも、ときこえしか。これはあはれなる事にはあらねど、御嶽のついでなり。
 

 男も女も、若くきよげなるが、いとくろき衣着たるこそあはれなれ。
 九月つごもり、十月一日の程に、ただあるかなきかに聞きつけたるきりぎりすの声。
 庭鳥の、子いだきてふしたる。秋ふかき庭の浅茅に、露の、色々の玉のやうにておきたる。夕暮れ暁に、河竹の風に吹かれたる、めさまして聞きたる。また、夜などもすべて。山里の雪。思ひかはしたる若き人の中の、せくかたありて、心にもまかせぬ。
 
 

120段(能124):正月に寺にこもりたるは

 
 
 正月に寺にこもりたるは、いみじう寒く、雪がちに氷りたるこそをかしけれ。
 雨うち降りぬるけしきなるは、いとわろし。清水などにまうでて、局するほど、くれ階のもとに、車ひきよせて立てたるに、帯ばかりうちしたるわかき法師ばらの、足駄といふものをはきて、いささかつつみもなく、下りのぼるとて、なにともなき経の端うち読み、倶舎の頌など誦しつつありくこそ、所につけてはをかしけれ。わがのぼるは、いとあやふくおぼえて、かたはらによりて、勾欄おさへなどしていくものを、ただ板敷などのやうにありきたるもをかし。「御局して侍り。はや」といへば、沓ども持て来ておろす。衣うへざまにひきかへしなどしたるもあり。裳、唐衣など、ことごとしく装束きたるもあり。深履、半靴などはきて、廊のほど、沓すり入るは、内裏わたりめきて、またをかし。
 

 内外許されたるわかき男ども、家の子など、あまた立ちつづきて、「そこもとは、落ちたる所侍り。あがりたり」など教へゆく。なに者にからむ、いと近くさしあゆみ、さいだつ者などを、「しばし。人おはしますに、かくはせぬわざなり」などいふを、げにと、すこし心あるもあり。また、聞きも入れず、まづわれ仏の御前にと思ひていくもあり。局に入るほども、人のゐ並みたる前をとほり入らば、いとうたてあるを、犬防ぎのうち見入れたる心地ぞ、いみじうたふたく、などて、この月頃まうでで過しすらむと、まづ心もおこる。
 

 御あかしの、常灯にはあらで、うちに、また人のたてまつれるが、おそろしきまで燃えたるに、仏のきらきらと見え給へるは、いみじうたふときに、手ごとに文どもをささげて、礼盤にかひろき誓ふも、さばかりゆすり満ちたれば、とりはなちて聞きわくべきにもあらぬに、せめてしぼり出でたる声々の、さすがにまたまぎれずなむ。「千灯の御心ざしはなにがしの御ため」などは、はつかに聞こゆ。帯うちして拝み奉るに、「ここに、つかう候ふ」とて、樒の枝を折りもて来たるに、香などのいとたふときもをかし。
 

 犬防のかたより、法師より来て、「いとよく申し侍りぬ。幾日ばかりこもらせ給ふべきにか。しかじかの人こもり給へり」などいひ聞かせて往ぬる、すなはち、火桶、果物などもてつづかせて、半挿に手水入れて、手もなき盥などあり。
 「御供の人は、かの坊に」などいふ。誦経の鐘の音など、我がななりと聞くも、たのもしうおぼゆ。かたはらに、よろしき男の、いとしのびやかに、額など、立ち居のほども、心あらむと聞こえたるが、いたう思ひ入りたるけしきにて、いも寝ずおこなふこそ、いとあはれなれ。うちやすむほどは、経をたかうは聞こえぬほどに読みたるも、たふとげなり。うち出でさせまほしきに、まいてはななどを、けざやかに聞きにくくはあらで、しのびやかにかみたるは、なにごとを思ふ人ならむと、かれをなさばやとこそおぼゆれ。
 

 日ごろこもりたるに、昼はすこしのどかに、はやくはありし。師の坊に、男ども、女、童などみないきて、つれづれなるに、かたはらに貝をにはかに吹き出でたるこそ、いみじうおどろかるれ。きよげなる立文もたせたる男などの、誦経の物うち置きて、堂童子など呼ぶ声、山彦ひびきあひてきらきらしう聞こゆ。鐘の声ひびきまさりて、いづこのならむと思ふほどに、やんごとなきところの名うちいひて、「御産たひらかに」など、げんげんしげに申したるなど、すずろに、いかならむなど、おぼつかなく念ぜらるかし。これは、ただなるをりのことなめり。正月などはただいとさわがしき、物望みなる人など、ひまなくまうづるを見るほどに、おこなひもしやらず。
 

 日うち暮るるほどまうづるは、こもるなめり。
 小法師ばらの、持ちあるくべうもあらぬに、屏風のたかきを、いとよく進退して、畳などをうち置くと見れば、局に立てて、犬防に簾さらさらとうちかくる、いみじうつきたり、やすげなり。そよそよとあまたおり来て、大人だちたる人の、いやしからぬ声のしのびやかなるけはひして、帰る人にやあらむ、「そのことあやし。火のこと制せよ」などいふもあなり。
 

 七つ八つばかりなる男児の、声愛敬づき、おごりたる声にて、侍の男ども呼びつき、ものなどいひたる、いとをかし。また、三つばかりなるちごの寝おびれてうちしはぶきたるも、いとうつくし。乳母の名、母など、うちいひ出でたるも、誰ならむと知らまほし。
 

 夜一夜のしりおこなひ明かすに、寝も入らざりつるを、後夜などはてて、すこしうちやすみたる寝耳に、その寺の仏の御経を、いとあらあらしう、たふとくうち出で誦みたるにぞ、いとわざとたふとくしもあらず、行者だちたる法師の、蓑うちしきたるなどが誦むななりと、ふとうちおどろかれて、あはれにきこゆ。
 

 また、夜などはこもらで、人々しき人の、青鈍の指貫に綿入りたる、しろき衣どもあまた着て、子供なめりと見ゆる若き男のをかしげなる、装束きたる童べなどして、侍などやうの者、あまたかしこまりゐ念じたるもをかし。かりそめに屏風ばかりを立てて、額などすこしつくめり。顔知らぬは、誰ならむとゆかし、知りたるは、さなめりと見るもをかし。若き者どもは、とかく局どものあたりに立ちさまよひて、仏の御かたに目も見入れ奉らず。別当のなど呼び出で、うちささめき物語して出でぬる、えせ者とは見えず。
 

 二月つごもり、三月一日、花ざかりにこもりたるもをかし。きよげなる若き男どもの、主と見ゆる二三人、桜の襖、柳などいとをかしうて、くくりあげたる指貫の裾も、あてやかにぞ見なさるる。つきづきしき男に装束をかしうしたる餌袋いだかせて、小舎人童ども、紅梅、萌黄の狩衣、いろいろの衣、おしすりもどろかしたる袴など着せたり。花など折らせて、侍めきてほそやかなる者など具して、金鼓うつこそをかしけれ。さぞかしと見ゆる人もあれど、いかでか知らむ。うちすぎて往ぬるもさうざうしければ、「けしきを見せまし」などいふもをかし。
 

 かやうにて、寺にこもり、すべて例ならぬ所に、ただ使ふ人のかぎりしてあるこそ、かひなうおぼゆれ。なほおなじほどにて、ひとつ心に、をかしき事もにくきことも、さまざまにいひあはせつべき人、かならず一人二人、あまたも誘はまほし。そのある人のなかにも、くちをしからぬもあれど、目馴れたるなるべし。男などもさ思ふにこそあらめ、わざとたづね呼びありくは。
 
 

121段(能125,能306):いみじう心づきなきもの

 
 
 いみじう心づきなきもの 祭、禊など、すべて、男の物見るに、ただ一人乗りて見るこそあれ。いかなる心にかあらむ。やむごとなからずとも、わかき男などのゆかしがるをも、ひき乗せよかし。すき影にただ一人ただよひて、心ひとつにまもりゐたらむよ。いかばかり心せばく、けにくきならむとぞおぼゆる。
 

 ものへもいき、寺へもまうづる日の雨。使ふ人などの、「我をばおぼさず、なにがしこそ、ただいまの時の人」などいふを、ほの聞きたる。人よりはすこしにくしと思ふ人の、おしはかりごとうちし、すずろなるものうらみし、われさかしがる。
 
 

122段(能126):わびしげに見ゆるもの

 
 
 わびしげに見ゆるもの 六七月の午、未の時ばかりに、きたなげなる車に、えせ牛かけてゆるがしいく者。雨降らぬ日、張り筵したる車。いと寒きをり、暑きほどなどに、下衆女のなりあしきが子負ひたる。ちひさき板屋のくろうきたなげなるが、雨にぬれたる。また、雨いたう降る日、ちひさき馬に乗りて、御前したる。人の冠もひしげ、うへのきぬも下襲もひとつになりたる、いかにわびしかるらむと見えたり。夏は、されどよし。
 
 

123段(能127):暑げなるもの

 
 
 暑げなるもの 随身の長の狩衣。衲の袈裟。出居の少将。色くろき人の、いたく肥えて髪おほかる。琴の袋。七月の修法の阿闍梨。日中の時などおこなふ、いかに暑からむと思ひやる。また、おなじ頃のあかがねの鍛冶。
 
 

124段(能128):はづかしきもの

 
 
 はづかしきもの 色好む男の心の内。いざとき夜居の僧。みそか盗人の、さるべきものの隈々にゐて見るらむをば、誰かは知る。くらきまぎれに、ふところに物などひき入るる人もあらむかし。そはしもおなじ心に、をかしとや思ふらむ。
 

 夜居の僧は、いとはづかしきものなり。わかき人々集まりゐて、人の上をいひわらひ、そしりにくみもするを、つくづくと聞き集むらむ、心のうちはづかし。
 「あなうたて、かしがまし」など、大人びたる人のけしきばみいふをも聞き入れず、いひいひのはては、みなうち解けて寝入りぬる、後もはづかし。
 

 男は、うたて思ふさまならず、もどかしう、心づきなきことなどありと見れど、さしむかひたるほどは、うちすかして思はぬことをもいひ頼むるこそ、はづかしきわざなれ。
 まして、情けあり、好ましう、人に知られなどしたる人は、おろかなりと思はすべうももてなさずかし。心のうちにのみならず、またみな、これがことをばかれにいひ、かれが事をばこれにいひ、かたみに聞かすべかめるを、我がことをば知らで、かう語るは、なほ人よりはこよなきなめりとや思ふらむ、と思ふこそはづかしけれ。
 いで、されば、すこしも思ふ人にあへば、心はかなきなめりと見ゆることもあるぞ、はづかしうもあらぬかし。いみじうあはれに、心苦しう、見すてがたき事などを、いささかなにとも思はぬも、いかなる心ぞとこそあさましけれ。さすがに人の上をばもどき、ものをいとよういふよ。ことにたのもしき人もなき宮仕人などをかたらひて、ただならずなりぬるありさまなどをも知らでやみぬるよ。
 
 

125段(能129,能100):むとくなるもの

 
 
 むとくなるもの 潮干の潟にをる大船。おほきなる木の風に吹き倒されて、根をささげ横たはれ臥せる。えせ者の従者かうがへたる。聖の足もと。髪みじかき人の、物とりおろして、髪けづりたるうしろで。翁のもとどり放ちたる。相撲の負けてゐるうしろで。人の妻のすずろなる物怨じしてかくれたるを、かならずたづねさわがむものぞと思ひたるに、さしもあらず、のどかにもてなしたれば、さてもえ旅だちゐたらねば、心と出で来たる。
 

 なま心おとりしたる人の知りたる人と、心なることいひむつかりて、ひとへにも臥さじと身じろぐを、ひき寄すれど、強ひてこはがれば、あまりになりては、人もさはれとて、かいくくみて臥しぬる、後に、冬などは、単衣ばかりをひとつ着たるも、あやにくがりつるほどこそ、寒さも知られざりつれ、やうやう夜の更くるままに、寒くもあれど、おほかたの人もみな寝たれば、さすがに起きてもえいかで、ありつる折にぞ寄りぬべかりけると、目も合はず思ひ臥したるに、いとど奥の方より、もののひしめき鳴るもいとおそろしくて、やをらよろぼひ寄りて、衣をひき着るほどこそむとくなれ。人はたけくおもふらむかし、そら寝して知らぬ顔なるさまよ。
 
 

126段(能130):修法は

 
 
 修法は 奈良方。仏の御しんどもなど、誦み奉りたる、なまめかしうたふとし。
 
 

127段(能131):はしたなきもの

 
 
 はしたなきもの、こと人を呼ぶに、我ぞとてさしいでたる。ものなど取らするをりは、いとど。
 

 おのづから人の上などうち言ひそしりたるに、幼き子どもの聞き取りて、その人のあるに言ひいでたる。あはれなることなど、人の言ひいで、うち泣きなどするに、げにいとあはれなりなど聞きながら、涙のつといで来ぬ、いとはしたなし。泣き顔つくり、けしき異になせど、いとかひなし。めでたきことを見聞くには、まづただいで来にぞいで来る。
 
 

128段(能131):八幡の行幸のかへらせ給ふに

 
 
 八幡の行幸のかへらせ給ふに、女院の御桟敷のあなたに御輿とどめて、御消息申させ給ふ、世に知らずいみじきに、まことにこぼるばかり、化粧じたる顔みなあらはれて、いかに見苦しからむ。宣旨の使にて、斉信の宰相の中将の、御桟敷へ参り給ひしこそ、いとをかしう見えしか。ただ随身四人、いみじう装束きたる、馬副のほそく白うしたてたるばかりして、二条の大路の広くきよげなるに、めでたき馬をうちはやめて、いそぎ参りて、すこし遠くおり下りて、そばの御簾の前に候ひ給ひしなど、をかし。御返し承りて、御輿のもとにて奏し給ふほど、いふもおろかなり。
 

 さて、うちのわたらせ給ふを、見奉らせ給ふらむ御心地、思ひやり参らするは、飛び立ちぬべくこそおぼえしか。それには長泣きをして笑はるるぞかし。よろしき際の人だに、なほ子のよきはいとめでたきものを、かくだに思ひ参らするもかしこしや。
 
 

129段(能132):関白殿、黒戸より出でさせ給ふとて

 
 
 関白殿、黒戸より出でさせ給ふとて、女房のひまなく候ふを、「あないみじのおもとたちや。翁をいかに笑ひ給ふらむ」とて、分け出でさせ給へば、戸に近き人々、いろいろの袖口して、御簾引き上げたるに、権大納言の御沓とりてはかせ奉り給ふ。いとものものしく、きよげに、よそほしげに、下襲の裾ながく引き、所せくて候ひ給ふ。あなめでた、大納言ばかりに沓とらせ奉り給ふよ、と見ゆ。山の井の大納言、その御次々のさならぬ人々、くろきものをひき散らしたるやうに、藤壺の塀のもとより、登花殿の前までゐ並みたるに、ほそやかにいみじうなまめかしう、御佩刀などひきつくろはせ給ひて、やすらはせ給ふに、宮の大夫殿は、戸の前に立たせ給へれば、ゐさせ給ふまじきなめりと思ふほどに、すこしあゆみ出でさせ給へば、ふとゐさせ給へりしこそ、なほいかばかりの昔の御おこなひのほどにかと見奉りしに、いみじかりしか。
 

 中納言の君の、忌日とてくすしがりおこなひ給ひしを、「賜へ、その数珠しばし。おこなひして、めでたき身にならむ」とかるとて、あつまりて笑へど、なほいとこそめでたけれ。御前に聞こしめして、「仏になりたらむこそは、これよりはまさらめ」とて、うち笑ませ給へるを、まためでたくなりてぞ見奉る。大夫殿のゐさせ給へるを、かへすがへす聞こゆれば、例の思ひ人と笑はせ給ひし、まいて、この後の御ありさまを見たてまつらせ給はましかば、ことわりとおぼしめされなまし。
 
 

130段(能133):九月ばかり、夜一夜降り明かしつる雨の

 
 
 九月ばかり、夜一夜降り明かしつる雨の、今朝はやみて、朝日いとけざやかにさし出でたるに、前栽の露こぼるばかりぬれかかりたるも、いとをかし。
 透垣の羅文、軒の上に、かいたる蜘蛛の巣のこぼれ残りたるに、雨のかかりたるが、白き玉を貫きたるやうなるこそ、いみじうあはれにをかしけれ。
 

 すこし日たけぬれば、萩などのいと重げなるに、露の落つるに枝のうち動きて、人も手ふれぬに、ふと上ざまへあがりたるも、いみじうをかし、と言ひたることどもの、人の心にはつゆをかしからじと思ふこそ、またをかしけれ。
 
 

131段(能134):七日の日の若菜を

 
 
 七日の日の若菜を、六日、人の持て来、さわぎとり散らしなどするに、見も知らぬ草を、子供のとり持て来たるを、「なにとかこれをばいふ」と問へば、とみにもいはず、「いさ」など、これかれ見あはせて、「耳無草となむいふ」といふ者のあれば、「むべなりけり。聞かぬ顔なるは」と笑ふに、まだいとをかしげなる菊の生ひ出でたるを持て来たれば、
 

♪16
  つめどなほ 耳無草こそ あはれなれ
  あまたしあれば きくもありけり
 

といはまほしけれど、またこれも聞きいれるべうもあらず。
 
 

132段(能135):二月、官の司に

 
 
 二月、官の司に定考といふことすなる、なにごとにかあらむ。孔子などかけたてまつりてすることなるべし。聡明とて、上にも宮にも、あやしきもののかたなど、かはらけに盛りてまゐらす。
 
 

133段(能136):頭の弁の御もとより

 
 
 頭の弁の御もとより、主殿司、ゑなどやうなるものを、白き色紙につつみて、梅の花いみじう咲きたるにつけて持て来たり。ゑにやあらむと、いそぎとり入れて見れば、餅餤といふ物を二つ並べてつつみたるなりけり。添へたる立文には、解文のやうにて、
 

 進上 餅餤一包
 例に依て進上如件
 別当 少納言殿
 

 とて、「みまなのなりゆき」とて、奥に、「このをのこはみづからまゐらむとするを、昼はかたちわろしとてまゐらぬなめり」と、いみじうをかしげに書い給へり。御前に参りて御覧ぜさすれば、「めでたくも書きたるかな。をかしくしたり」などほめさせ給ひて、解文はとらせ給ひつ。
 「返り事いかがすべからむ。この餅餤持て来るには、物などやとらすらむ。知りたらむ人もがな」といふを、きこしめして、「惟仲が声のしつるを。呼びて問へ」と宣はすれば、端に出でて、「左大弁にもの聞こえむ」と侍して呼ばせたれば、いとよくうるはしくして来たり。
 「あらず、わたくし事なり。もし、この弁、少納言などのもとに、かかる物持てくるしもべどもなどは、することやある」といへば、「さることも侍らず。ただとめてなむ食ひ侍る。なにしに問はせ給ふぞ。もし上官のうちにて得させ給へるか」と問へば、「いかがは」といらへて、返り事を、いみじうあかき薄様に、「みづから持てまうで来ぬしもべは、いと冷淡なりとなむ見ゆ。如何」とて、めでたき紅梅につけて奉りたる、すなはちおはして、「しもべ候ふ。しもべ候ふ」と宣へば、出でたるに、「さやうのもの、そらよみしておこせ給へると思ひつるに、びびしくもいひたりつるかな。女のすこし我はと思ひたるは、歌よみがましくぞある。さらぬこそ語らひよけれ。まろなどに、さることいはむ人、かへりて無心ならむかし」など宣ふ。
 

 則光、なりやすなど、笑ひてやみにしことを、上の御前に人々いとおほかりけるに、かたり申し給ひければ、「『よくいひたり』となむ宣はせし」と、また人の語りしこそ、見苦しき我ぼめどもをかし。
 
 

134段(能137):などて、官得はじめたる六位の笏に

 
 
 「などて、官得はじめたる六位の笏に、職の御曹司の辰巳の隅の築土の板はせしぞ。さらば、西東のをもせよかし」などいふことをいひ出でて、
 「あぢきなきことどもを。衣などにすずろなる名どもをつけけむ、いとあやし。衣のなかに、細長はさもいひつべし。なぞ、汗衫は尻長といへかし」
 「男の童の着たるやうに、なぞ、唐衣は短衣といへかし」
 「されど、それは唐土の人の着るものなれば」
 「うへの衣、うへの袴は、さもいふべし。下襲よし。大口、またながさよりは口ひろければ、さもありなむ」
 「袴、いとあぢきなし。指貫は、なぞ、足の衣といふべけれ。もしは、さやうのものをば袋といへかし」など、よろづのことをいひののしるを、
 「いで、あな、かしがまし。今はいはじ。寝給ひね」といふ、
 いらへに、夜居の僧の、「いとわろからむ。夜一夜こそ、なほ宣はめ」と、にくしと思ひたりし声ざまにていひたりしこそ、をかしかりにそへておどろかれにしか。
 
 

135段(能138):故殿の御ために

 
 
 故殿の御ために、月ごとの十日、経、仏など供養ぜさせ給ひしを、九月十日、職の御曹司にてせさせ給ふ。上達部、殿上人いとおほかり。清範、講師にて、説くこと、はたいとかなしければ、ことにもののあはれ深かるまじきわかき人々、みな泣くめり。
 

 果てて、酒飲み、詩誦しなどするに、頭の中将斉信の君の、「月秋と期して身いづくか」といふことをうちいだし給へりし、はたいみじうめでたし。いかで、さは思ひ出で給ひけむ。
 

 おはします所に、わけ参るほどに、立ち出でさせ給ひて、「めでたしな。いみじう、今日の料にいひたりけることにこそあれ」と宣はすれば、「それ啓しにとて、もの見さして参り侍りつるなり。なほいとめでたくこそおぼえ侍りつれ」と啓すれば、「まいて、さおぼゆらむかし」と仰せらる。
 

 わざと呼びも出で、逢ふ所ごとにては、「などか、まろを、まことにちかくなむおぼゆる。かばかし年ごろになりぬる得意の、うとくてやむはなし。殿上などに、あけくれなき折もあらば、何事をか思ひ出でにせむ」と宣へば、
 「さらなり。かたかるべきことにもあらぬを、さもあらむのちには、えほめたてまつらざらむが、くちをしきなり。上の御前などにても、やくとあづかりてほめきこゆるに、いかでか。ただおはせかし。かたはらいたく、心の鬼出で来て、いひにくくなり侍りなむ」といへば、
 「などて。さる人をしもこそ、めよりほかに、ほむるたぐひあれ」と宣へば、
 「それがにくからずおぼえばこそあらめ。男も女も、けぢかき人おもひかたき、ほめ、人のいささかあしきことなどいへば、腹立ちなどするが、わびしうおぼゆるなり」といへば、「たのもしげなのことや」と宣ふも、いとをかし。
 
 

136段(能139):頭の弁の、職に参り給ひて

 
 
 頭の弁の、職に参り給ひて、物語などし給ひしに、夜いたうふけぬ。
 「あす御物忌なるにこもるべければ、丑になりなばあしかりなむ」とて、参り給ひぬ。
 

 つとめて、蔵人所の紙屋紙ひき重ねて、「けふ残りおほかる心地なむする。夜を通して、昔物語もきこえあかさむとせしを、にはとりの声に催されてなむ」と、いみじうことおほく書き給へる、いとめでたし。
 御返しに、「いと夜深く侍りける鳥の声は、孟嘗君のにや」と聞こえたれば、たちかへり、「『孟嘗君のにはとりは、函谷関を開きて、三千の客わづかに去れり』とあれど、これは逢坂の関なり」とあれば、
 

♪17
  夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも
  世に逢坂の 関はゆるさじ
 

心かしこき関守侍り」ときこゆ。
 また、たちかへり、
 

♪18
  逢坂は 人越えやすき 関なれば
  鳥鳴かぬにも あけて待つとか
 

とありし文どもを、はじめのは、僧都の君、いみじう額をさへつきて、とり給ひてき。後々のは御前に。
 

 さて、逢坂の歌はへされて、返しもえせずなりにき。いとわろし。
 さて、「その文は、殿上人みな見てしは」と宣へば、「まことにおぼしけりと、これにこそ知られぬれ。めでたきことなど、人のいひつたへぬは、かひなきわざぞかし。また、見苦しきこと散るがわびしければ、御文はいみじう隠して、人につゆ見せ侍らず。御心ざしのほどをくらぶるに、ひとしくこそは」といへば、「かくものを思ひ知りていふが、なほ人には似ずおぼゆる。『思ひぐまなく、あしうしたり』など、例の女のやうにやいはむとこそ思ひつれ」などいひて、笑ひ給ふ。
 「こはなどて。よろこびをこそきこえめ」などいふ。
 「まろが文を隠し給ひける、また、なほあはれにうれしきことなりかし。いかに心憂くつらからまし。いまよりも、さを頼みきこえむ」など宣ひて、のちに、経房の中将おはして、「頭の弁はいみじう誉め給ふとは知りたりや。一日の文に、ありしことなど語り給ふ。思ふ人の人にほめらるるは、いみじううれしき」など、まめまめしう宣ふもをかし。
 「うれしきこと二つにて、かのほめ給ふなるに、また、思ふ人のうちに侍りけるをなむ」といへば、「それめづらしう、いまのことのやうにもよろこび給ふかな」など宣ふ。
 
 

137段(能140):五月ばかり、月もなういと暗きに

 
 
 五月ばかり、月もなういと暗きに、「女房や候ひ給ふ」と声々して言へば、「出でて見よ。例ならず言ふは誰ぞとよ」と仰せらるれば、「こは誰そ。いとおどろおどろしう、きはやかなるは」と言ふ。
 ものも言はで御簾をもたげて、そよろとさし入るる、呉竹なりけり。
 「おい、この君にこそ」と言ひたるを聞きて「いざいざ、これまづ殿上に行きて語らむ」とて、式部卿の宮の源中将、六位どもなどありけるは、去ぬ。
 

 頭の弁はとまり給へり。
 「あやしくても去ぬる者どもかな。御前の竹を折りて、歌詠まむとしつるを、『同じくは職に参りて女房など呼び出できこえて』とて来つるに、呉竹の名をいととく言はれて去ぬるこそ、いとをかしけれ。誰が教へを聞きて、人のなべ知るべうもあらぬ事をば言ふぞ」など、宣へば、「竹の名とも知らぬものを。なめしとやおぼしつらむ」と言へば、「まことに、そは知らじを」など、宣ふ。
 

 まめごとなども言ひあはせてゐ給へるに、「栽ゑてこの君と称す」と誦じて、また集まり来たれば「殿上にて言ひ期しつる本意もなくては、など、帰り給ひぬるぞとあやしうこそありつれ」と宣へば、「さることには、なにの答へをかせむ。なかなかならむ。殿上にて言ひののしるを、上もきこしめして興ぜさせおはしましつ」と語る。
 頭の弁もろともに、同じことを返す返す誦じ給ひて、いとをかしければ、人々、皆とりどりにものなど言ひ明して、帰るとてもなほ、同じことを諸声に誦じて、左衛門の陣入るまで聞こゆ。
 

 つとめて、いととく、少納言の命婦といふが御文まゐらせたるに、この事を啓したりければ、下なるを召して、「さる事やありし」と問はせ給へば「知らず。なにとも知らで侍りしを、行成の朝臣のとりなしたるにや侍らむ」と申せば、「とりなすとも」とて、うち笑ませ給へり。誰が事をも、殿上人ほめけり、などきこしめすを、さ言はるる人をもよろこばせ給ふも、をかし。
 
 

138段(能141):円融院の御はての年

 
 
 円融院の御はての年、みな人御服ぬぎなどして、あはれなることを、おほやけよりはじめて、院の人も、花の衣に」などいひけむ世の御ことなど思ひ出づるに、雨のいたう降る日、藤三位の局に、蓑虫のやうなる童のおほきなる、白き木に立文をつけて、「これ奉らせむ」といひければ、「いづこよりぞ。今日明日は物忌なれば、蔀もまゐらぬぞ」とて、下は立てたる蔀より取り入れて、さなむとは聞かせ給へれど、「物忌なれば見ず」とて、上についさして置きたるを、つとめて、手洗ひて、「いで、その昨日の巻数」とて請ひ出でて、伏し拝みてあけたれば、胡桃色といふ色紙の厚肥えたるを、あやしと思ひてあけてもいけば、法師のいみじげなる手にて、
 

♪19
  これをだに かたみと思ふに 都には
  葉がへやしつる 椎柴の袖
 

と書いたり。
 いとあさましうねたかりけるわざかな、誰がしたるにかあらむ、仁和寺の僧正のにや、と思へど、よにかかること宣はじ、藤大納言ぞかの院の別当におはせしかば、そのし給へることなめり、これを、上の御前、宮などにとくきこしめさせばや、と思ふに、いと心もとなくおぼゆれど、なほいとおそろしういひたる物忌し果てむとて、念じ暮らして、またつとめて、藤大納言の御もとに、この返しをして、さし置かれたれば、すなはちまた返ししておこせ給へり。
 

 それを二つながら持て、いそぎ参りて、「かかることなむ侍りし」と、上もおはします御前にて語り申し給ふ。
 宮ぞいとつれなく御覧じて、「藤大納言の手のさまにはあらざめり。法師のにこそあめれ。昔の鬼のしわざとこそおぼゆれ」など、いとまめやかに宣はすれば、「さば、こは誰がしわざにか。好き好きしき心ある上達部、僧綱などは誰かはある。それにや、かれにや」など、おぼめき、ゆかしがり、申し給ふに、上の、「このわたりに見えし色紙にこそいとよく似たれ」とうちほほ笑ませ給ひて、いま一つ御厨子のもとなりけるをとりて、さし賜はせたれば、「いで、あな、心憂。これ仰せられよ。あな頭痛や。いかで、とく聞き侍らむ」と、ただ責めに責め申し、うらみきこえて、わらひ給ふに、
 やうやう仰せられ出でて、「使にいきける鬼童は、台盤所の刀自といふ者のもとなりけるを、宮も笑はせ給ふを、ひきゆるがし奉りて、「など、かくは謀られおはしまししぞ。なほ疑ひもなく手をうち洗ひて、伏し拝み奉りしことよ」と、わらひねたがりゐ給へるさまも、いとほこりかに愛敬づきてをかし。
 

 さて、上の台盤所にても、わらひののしりて、局に下りて、この童たづね出でて、文とり入れし人に見すれば、「それにこそ侍るめれ」といふ。
 「誰が文を、誰かとらせし」といへど、ともかくもいはで、しれじれしう笑みて走りにける。大納言、後に聞きて、わらひ興じ給ひけり。
 
 

139段(能142):つれづれなるもの

 
 
 つれづれなるもの 所避りたる物忌。馬下りぬ双六。除目に司得ぬ人の家。雨うち降りたるは、まいていみじうつれづれなり。
 
 

140段(能143):つれづれなぐさむもの

 
 
 つれづれなぐさむもの 碁。双六。物語。三つ四つのちごの、ものをかしういふ。また、いとちひさきちごの、物語りし、たがへなどいふわざしたる。くだもの。男などのうちさるがひ、ものよくいふが来たるを、物忌みなれど入れつかし。
 
 

141段(能144):とり所なきもの

 
 
 とり所なきもの かたちにくさげに、心あしき人。みそひめのぬりたる。
 これいみじう、よろづの人のにくむなる物とて、いまとどむべきにあらず。
 また、あと火の火箸といふこと、などてか、世になきことならねど、この草子を、人の見るべきものと思はざりしかば、あやしきことも、にくきことも、ただ思ふことを書かむと思ひしなり。
 
 

142段(能145):なほめでたきこと

 
 
 なほめでたきこと、臨時の祭ばかりのことにかあらむ。試楽もいとをかし。
 

 春は、空のけしきのどかにうらうらとあるに、清涼殿の御前に、掃部司の、畳をしきて、使は北向きに、舞人は御前のかたに向きて、これらは僻おぼえにもあらむ、所の衆どもの、衝重とりて、前どもにすゑわたしたる。陪従も、その庭ばかりは御前にて出で入るぞかし。公卿、殿上人、かはりがはり盃とりて、はてには屋久貝といふものして飲みて立つ、すなはち、とりばみといふもの、男などのせむだにいとうたてあるを、御前には、女ぞ出でとりける。おもひかけず、人あらむとも知らぬ火焼屋より、にはかに出でて、おほくとらむとさわぐものは、なかなかうちこぼしあつかふほどに、軽らかにふととりて往ぬる者にはおとりて、かしこき納殿には火焼屋をして、とり入るるこそいとをかしけれ。掃部司の者ども、畳とるやおそしと、主殿寮の官人、手ごとに箒とりてすなご馴らす。
 

 承香殿の前のほどに、笛吹き立て拍子うちて遊ぶを、とく出で来なむと待つに、有度浜うたひて、竹の笆のもとにあゆみ出でて、御琴うちたるほど、ただいかにせむとぞおぼゆるや。一の舞の、いとうるはしう袖をあはせて、二人ばかり出で来て、西によりて向かひて立ちぬ。つぎつぎ出づるに、足踏みを拍子にあはせて、半臂の緒つくろひ、冠衣の領など、手もやまずつくろひて、「あやもなきこま山」などうたひて舞ひたるは、すべて、まことにいみじうめでたし。
 

 大輪など舞ふは、日一日見るともあくまじきを、果てぬる、いとくちをしけれど、またあべしと思へば、頼もしきを、御琴かきかへして、このたびは、やがて竹のうしろより舞ひ出でたるさまどもは、いみじうこそあれ。掻練のつや、下襲などのみだれあひて、こなたかなたにわたりしなどしたる、いでさらに、いへば世のつねなり。
 

 このたびは、またもあるまじければにや、いみじうこそ果てなむことはくちをしけれ。上達部なども、みなつづきて出で給ひぬれば、さうざうしくくちをしきに、賀茂の臨時の祭は、還立の御課神楽などにこそなぐさめらるれ。庭燎の煙ほそくのぼりたるに、神楽の笛のおもしろくわななき吹きすまされてのぼるに、歌の声もいとあはれに、いみじうおもしろく、さむく冴えこほりて、うちたる衣もつめたう、扇もちたる手も冷ゆともおぼえず。才の男召して、声ひきたる人長の心地よげさこといみじけれ。
 

 里なる時は、ただわたるを見るが飽かねば、御夜白までいきて見る折もあり。おほいなる木どものもとに車を立てたれば、松の煙のたなびきて、火のかげに半臂の緒、衣のつやも、昼よりはこよなうまさりてぞ見ゆる。橋の板を踏み鳴らして、声あはせて舞ふほどもいとをかしきに、水の流るる音、笛の声などあひたるは、まことに神もめでたしとおぼすらむかし。頭の中将といひける人の、年ごとに舞人にて、めでたきものに思ひしみけるに、亡くなりて上の社の橋の下にあなるを聞けば、ゆゆしう、ものをさしも思ひ入れじとおもへど、なほこのめでたきことをこそ、さらにえ思ひすつまじけれ。
 「八幡の臨時の祭の日、名残こそいとつれづれなれ。など帰りてまた舞ふわざをせざりけむ。さらば、をかしからまし。禄を得て、うしろよりまかづるこそくちをしけれ」などいふを、上の御前に聞こしめして、「舞はせむ」と仰せらる。
 「まことにや候ふらむ。さらば、いかにめでたからむ」など申す。
 うれしがりて、宮の御前にも、「なほそれ舞はせさせ給へと申させ給へ」など、あつまりて啓しまどひしかば、そのたび、帰りて舞ひしは、いみじううれしかりしものかな。
 さしもやあらざらむとうちたゆみたる舞人、御前に召す、ときこえたるに、ものにあたるばかりさわぐも、いといと物ぐるほし。
 

 下にある人々のまどひのぼるさまこそ。人の従者、殿上人など見るも知らず、裳を頭にうちかづきてのぼるを笑ふもをかし。
 
 

143段(能146):殿などのおはしまさで後

 
 
 殿などのおはしまさで後、世の中に事出で来、さわがしうなりて、宮も参らせ給はず、小二条殿といふ所におはしますに、なにともなくうたてありしかば、ひさしう里にゐたり。御前わたりのおぼつかなきにこそ、なほえ絶えてあるまじかりける。
 

 右中将おはして、物語し給ふ。
 「今日宮に参りたりつれば、いみじうものこそあはれなりつれ。女房の装束、裳、唐衣をりにあひ、たゆまで候ふかな。御簾のそばのあきたりつるより見入れつれば、八九人ばかり、朽葉の唐衣、薄色の裳に、紫苑、萩など、をかしうて居並みたりつるかな。御前の草のいとしげきを、『などか、かきはらはせでこそ』といひつれば、『ことさら露置かせて御覧ずとて』と、宰相の君の声にていらへつるが、をかしうもおぼえつるかな。
 『御里居いと心憂し。かかる所に住ませ給はむほどは、いみじきことありとも、かならず候ふべきものにおぼしめされたるに、かひなく』と、あまたいひつる、語り聞かせ奉れとなめりかし。参りて見給へ。あはれなりつる所のさまかな。台の前に植ゑられたりける牡丹などのをかしきこと」など宣ふ。
 「いさ、人のにくしと思ひたりしが、またにくくおぼえ侍りしかば」といらへ聞こゆ。「おいらかにも」とて笑ひ給ふ。
 

 げにいかならむと思ひ参らする。
 御けしきにはあらで、候ふ人たちなどの、「左の大殿がたの人、知るすぢにてあり」とて、さしつどひものなどいふも、下より参る見ては、ふといひやみ、放ち出でたるけしきなるが、見ならはずにくければ、「参れ」など、たびたびある仰せ言をも過ぐして、げにひさしくなりにけるを、また宮の辺には、ただあなたがにいひなして、そら言なども出で来べし。
 

 例ならず仰せ言などもなくて日頃になれば、心ぼそくてうちながむるほどに、長女文を持て来たり。
 「御前より、宰相の君して、忍びて賜はせたりつる」といひて、ここにてさへひき忍ぶるもあまりなり。人づての仰せ書きにはあらぬ花びらただ一重をつつませ給へり。
 それに、「いはで思ふぞ」と書かせ給へる、いみじう、日頃の絶え間なげかれつる、みな慰めてうれしきに、長女もうちまもりて、「御前には、いかが、もののをりごとに、おぼし出できこえさせ給ふなるものを。誰もあやしき御長居とこそ侍るめれ。などかは参らせ給はぬ」といひて、「ここなる所に、あからさまにまかりて、参らむ」といひて往ぬる後、御返りごと書きて参らせむとするに、この歌の本さらにわすれたり。
 「いとあやし。おなじふるごとといひながら、知らぬ人やはある。ただここもとにおぼえながら、いひ出でられぬはいかにぞや」などいふを聞きて、前にゐたるが、「『下ゆく水』とこそ申せ」といひたる、などかくわすれつるならむ。これに教へらるるもをかし。
 

 御返し参らせて、すこしほど経て参りたる、いかがと例よりはつつましくて、御几帳にはたかくれて候ふを、「あれは今参りか」など笑はせ給ひて、「にくき歌なれど、この折はいひつべかりけりとなむ思ふを。おほかた見つけでは、しばしもえこそ慰むまじけれ」など宣はせて、かはりたる御けしきもなし。
 

 童に教へられしことなどを啓すれば、いみじうわらはせ給ひて、「さることぞある。あまりあなづるふるごとなどは、さもありぬべし」など仰せらるる、ついでに、「なぞなぞ合しける、方人にはあらで、さやうのことにりやうりやうじかりけるが、『左の一はおのれいはむ。さ思ひ給へ』など頼むるに、さりともわろきことはいひ出でじかしと、たのもしくうれしうて、みな人々作りいだし、選りさだむるに、『その詞をただまかせて残し給へ。さ申しては、よもくちをしくはあらじ』といふ。げにとおしはかるに、日いと近くなりぬ。
 『なほこのこと宣へ。非常に、おなじこともこそあれ』といふを、『さば、いさ知らず。な頼まれそ』などむつかりければ、おぼつかなながら、その日になりて、みな、方の人、男女居わかれて、見証の人など、いとおほく居並みてあはするに、左の一、いみじく用意してもてなしたるさま、いかなることをいひ出でむと見えたれば、こなたの人、あなたの人、みな心もとなくうちまもりて、『なぞ、なぞ』といふほど、心にくし。
 『天に張り弓』といひたり。右方の人は、いと興ありてと思ふに、こなたの人はものもおぼえず、みなにくく愛敬なくて、あなたによりてことさらに負けさせむとしけるを、など、片時のほどに思ふに、右の人、『いとくちをしく、をこなり』とうちわらひて、『やや、さらにえ知らず』とて、口をひき垂れて、『知らぬことよ』とて、さるがうしかくるに、かずささせつ。
 『いとあやしきこと。これ知らぬ人は誰かあらむ。さらにかずささるまじ』と論ずれど、『知らずといひてむには、などてか負くるにならざらむ』とて、次々のも、この人なむみな論じ勝たせける。
 いみじく人の知りたることなれども、おぼえぬ時はしかこそはあれ。なにしにかは、知らずとはいひし。後にうらみられけること」など、語り出でさせ給へば、御前なるかぎり、さ思ひつべし。
 「くちをしういらへけむ」「こなたの人の心地、うち聞きはじめけむ、いかがにくかりけむ」なんど笑ふ。
 これはわすれたることかは、ただみな知りたることとかや。
 
 

144段(能147):正月十よ日のほど

 
 
 正月十よ日のほど、空いと黒う、雲もあつく見えながら、さすがに日はけざやかにさし出でたるに、えせ者の家の荒畠といふものの、土うるはしうも直からぬ、桃の木のわかだちて、いとしもとがちにさし出でたる、片つ方はいと青く、いま片つ方は濃くつややかにて蘇芳の色なるが、日かげに、見えたるを、いとほそやかなる童の、狩衣はかけやりなどして、髪もうるはしきが上りたれば、ひきはこえたる男児、また、こはぎにて半靴はきたるなど、木の下に立ちて、「我に鞠打ち切りて」などこふに、また、髪をかしげなる童の、袙どもほころびがちにて、袴萎えたれど、よき袿着たる三四人来て、「卯槌の木のよからむ、切りておろせ。御前にも召す」などいひて、おろしたれば、はひしらがひとりて、さい仰ぎて、「我におほく」などいひたるこそをかしけれ。
 

 黒袴着たる男の走り来て乞ふに、「待て」などいへば、木の本を引きゆるがすに、あやふがりて、猿のやうにかいつきてをめくもをかし。
 梅などのなりたる折にも、さやうにぞするぞかし。
 
 

145段(能148):きよげなる男の

 
 
 きよげなる男の、双六を日一日うちて、なほあかぬにや、みじかき灯台に火をともして、いとあかうかかげて、かたきの、賽を責め請ひてとみにも入れねば、筒を盤の上に立てて待つに、狩衣のくびの顔にかかれば、片手しておし入れて、こはからぬ烏帽子ふりやりつつ、「賽いみじく呪ふとも、うちはづしてむや」と、心もとなげにうちまもりたるこそ、ほこりかに見ゆれ。
 
 

146段(能149):碁を、やむごとなき人のうつとて

 
 
 碁を、やむごとなき人のうつとて、紐うち解き、ないがしろなるけしきに拾ひ置くに、おとりたる人の、ゐづまひもかしこまりたるけしきにて、碁盤よりはすこし遠くておよびて、袖の下はいま片手してひかへなどして、うちゐたるもをかし。
 
 

147段(能150):恐ろしげなるもの

 
 
 恐ろしげなるもの つるばみのかさ。焼けたる所。水ふぶき。菱。髪おほかる男の洗ひてほすほど。
 
 

148段(能151):きよしと見るもの

 
 
 きよしと見るもの 土器。あたらしきかなまり。畳にさす薦。水を物に入るるすき影。
 
 

一本に
 

一本01:(能 ):夜まさりするもの

 
 
 夜まさりするもの 濃き掻練のつや。むしりたる綿。女は額はれたるが髪うるはしき。琴の声。かたちわろき人のけはひよき。ほととぎす。滝の音。
 
 

一本02:(能 ):火かげにおとるもの

 
 
 火かげにおとるもの むらさきの織物。藤の花。すべて、その類はみなおとる。くれなゐは月夜にぞわろき。
 
 

一本03:(能 ):聞きにくきもの

 
 
 聞きにくきもの 声にくげなる人の、ものいひ、わらひなど、うちとけたるけはひ。ねぶりて陀羅尼読みたる。歯黒めつけてものいふ声。ことなることなき人は、もの食ひつるもいふぞかし。篳篥習ふほど。
 
 

一本04:(能 ):文字に書きてあるやうあらめど心得ぬもの

 
 
 文字に書きてあるやうあらめど心得ぬもの 炒塩。袙。帷子。屐子。ゆする(さんずいに甘)。
 
 

一本05:(能 ):下の心かまへてわろくてきよげに見ゆるもの

 
 
 下の心かまへてわろくてきよげに見ゆるもの 唐絵の屏風。石灰の壁。盛物。檜皮葺の屋の上。かうしりの遊び。
 
 

一本06:(能 ):女の表着は

 
 
 女の表着は 薄色。葡萄染。萌黄。桜。紅梅。すべて、薄色の類。
 
 

一本07:(能299):唐衣は

 
 
 唐衣は 赤色。藤。夏は二藍。秋は枯野。
 
 

一本08:(能300):裳は

 
 
 裳は 大海。
 
 

一本09:(能 ):汗衫は

 
 
 汗衫は 春は躑躅。夏は青朽葉。朽葉。
 
 

一本10:(能301):織物は

 
 
 織物は むらさき。白き。紅梅もよけれど、見ざめこよなし。
 
 

一本11:(能302):綾の紋は

 
 
 綾の紋は 葵。かたばみ。あられ地。
 
 

一本12:(能 ):薄様色紙は

 
 
 薄様色紙は 白き。むらさき。赤き。刈安染。青きもよし。
 
 

一本13:(能 ):硯の箱は

 
 
 硯の箱は 重ねの蒔絵に雲鳥の紋。
 
 

一本14:(能 ):筆は

 
 
 筆は 冬毛。使ふもみめもよし。うの毛。
 
 

一本15:(能 ):墨は

 
 
 墨は まろなる。
 
 

一本16:(能 ):貝は

 
 
 貝は うつせ貝。蛤。いみじうちひさき梅の花貝。
 
 

一本17:(能 ):櫛の箱は

 
 
 櫛の箱は 蛮絵、いとよし。
 
 

一本18:(能 ):鏡は

 
 
 鏡は 八寸五分
 
 

一本19:(能 ):蒔絵は

 
 
 蒔絵は 唐草
 
 

一本20:(能 ):火桶は

 
 
 火桶は 赤色。青色。白きに作り絵もよし
 
 

一本21:(能 ):畳は

 
 
 畳は 高麗縁。また、黄なる地の縁
 
 

一本22:(能 ):檳榔毛は

 
 
 檳榔毛は、のどやかにやりたる。網代は、走らせ来る
 
 

一本23:(能319):松の木立高き所の

 
 
 松の木立高き所の東、南の格子あげわたしたれば、すずしげに透きて見ゆる母屋に、四尺の几帳立てて、その前に円座置きて、四十ばかりの僧のいときよげなる、墨染の衣、薄物の袈裟、あざやかに装束きて、香染の扇をつかひ、せめて陀羅尼を読みゐたり。
 

 もののけにいたう悩めば、移すべき人とて、おほきやかなる童の、生絹の単あざやかなる、袴着なしてゐざり出でて、横ざまに立てたる几帳のつらにゐたれば、外様にひねり向きて、いとあざやかなる独鈷をとらせて、うち拝みて読む陀羅尼もたふとし。
 

 見証の女房あまた添ひゐて、つとまもらへたり。ひさしうもあらでふるひ出でぬれば、もとの心失せて、おこなふままに従ひ給へる、仏の御心もいとたふとしと見ゆ。
 

 せうと、従兄弟なども、みな内外したり。たふとがりて集まりたるも、例の心ならば、いかにはづかしと惑はむ。みづからは苦しからぬことと知りながら、いみじうわび泣いたるさまの心苦しげなるを、憑き人の知り人どもなどは、らうたく思ひ、けぢかくゐて、衣ひきつくろひなどす。
 

 かかるほどに、よろしくて、「御湯」などいふ。北面にとりつぐ若き人どもは、心もとなく、ひきさげながら、いそぎ来てぞ見るや。単どもいときよげに、薄色の裳など萎えかかりてはあらず、きよげなり。
 

 いみじうことわりなどいはせて、ゆるしつ。「几帳の内にありとこそ思ひしか。あさましくもあらはに出でにけるかな。いかなることありつらむ」と、はづかしくて、髪をふりかけてすべり入れば、「しばし」とて、加持すこしうちして、「いかにぞや、さわやかになり給ひたりや」とてうち笑みたるも、心はづかしげなり。
 「しばしも候ふべきを、時のほどになり侍りぬれば」などまかり申しして出づれば、「しばし」など留むれど、いみじういそぎ帰る所に、上臈とおぼしき人、簾のもとにゐざり出でて、「いとうれしく立ち寄らせ給へるしるしに、たへがたう思ひ給へつるを、ただ今おこりたるやうに侍れば、かへすがへすなむ喜び聞こえさする。明日も、御いとまのひまにはものせさせ給へ」となむいひつつ、「いと執念き御もののけに侍るめり。たゆませ給はざらむ、よう侍るべき。よろしうものせさせ給ふなるを、よろこび申し侍る」と言すくなにて出づるほど、いとしるしありて仏のあらはれ給へるとこそおぼゆれ
 
 

一本24:(能 ):きよげなる童べの髪うるはしき

 
 
 きよげなる童べの髪うるはしき、また、おほきなるが、髭は生ひたれど、思はずに髪うるはしき、うちしたたかに、むくつけげに多かなるなど、おほくて、いとまなうここかしこに、やむごとなう、おぼえあるこそ、法師もあらまほしげなるわざなれ
 
 

一本25:(能239):宮仕所は

 
 
 宮仕所は 内裏。后の宮。その御腹の一品の宮など申したる。斎院、罪ふかかなれどをかし。まいて、よの所は。また春宮の女御の御方
 
 

一本26:(能 ):荒れたる家の蓬ふかく

 
 
 荒れたる家の蓬ふかく、葎這ひたる庭に、月のくまなくあかくすみのぼりて見ゆる。また、さやうの荒れたる板間よりもりくる月。荒うはあらぬ風の音
 
 

一本27:(能 ):池ある所の五月長雨の頃こそ

 
 
 池ある所の五月長雨の頃こそいとあはれなれ。菖蒲、菰など生ひこりて、水もみどりなるに、二輪もひとつ色に見えわたりて、曇りたる空をつくづくとながめくらしたるは、いみじうこそあはれなれ。いつも、すべて、池ある所はあはれにをかし。
 冬も、氷したるあしたなどはいふべきにもあらず。わざとつくろひたるよりも、うち捨てて水草がちに荒れ、青みたる絶え間絶え間より、月かげばかりは白々と映りて見えたるなどよ。
 

 すべて、月かげは、いかなる所にてもあはれなり
 
 

一本28:(能308):長谷にもうでて

 
 
 長谷にもうでて局にゐたりしに、あやしき下﨟どもの、うしろをうちまかせつつ居並みたりしこそねたかりしか。
 

 いみじき心起こして参りしに、川の音などのおそろしう、呉階をのぼるほどなど、おぼろげならず困じて、いつしか仏の御前をとく見奉らむ、と思ふに、白衣着たる法師、蓑虫などのやうなる者ども集まりて、立ちゐ額づきなどして、つゆばかり所もおかぬけしきなるは、まことにこそねたくおぼえて、おし倒しもしつべき心地せしか。いづくもそれはさぞあるかし。
 

 やむごとなき人などの参り給へる、御局などの前ばかりをこそ払ひなどもすれ、よろしき人は制しわづらひぬめり。さは知りながらも、なほさしあたりてさる折々、いとねたきなり。
 

 はらひ得たる櫛、あかに落とし入れたるもねたし
 
 

一本29:(能316):女房の参りまかでには

 
 
 女房の参りまかでには、人の車を借る折もあるに、いと心よういひて貸したるに、牛飼童、例のしもしよりもつよくいひて、いたう走り打つも、あなうたてとおぼゆるに、男どものものむつかしげなるけしきにて、「とう遣れ。夜ふけぬさきに」などいふこそ、主の心推しはかられて、またいひふれむともおぼえね。
 

 業遠の朝臣の車のみや、夜中暁わかず人の乗るに、いささかさることなかりけれ。
 ようこそ教へ習はしけれ。
 それに、道にあひたりける女車の、ふかき所に落とし入れて、えひき上げで、牛飼の腹立ちければ、従者して打たせさへしけれは、まいていましめおきたるこそ。
 
 

以上、一本
 
 

149段(能153):いやしげなるもの

 
 
 いやしげなるもの 式部の丞の笏。黒き髪の筋わろき。布屏風のあたらしき。旧り黒みたるは、さるいふかひなき物にて、なかなかなにとも見えず。あたらしうしたてて、桜の花おほく咲かせて、胡粉、朱砂など色どりてる絵どもかきたる。遣戸厨子。法師のふとりたる。まことの出雲筵の畳。
 
 

150段(能154):胸つぶるるもの

 
 
 胸つぶるるもの 競馬見る。元結よる。親などの心地あしとて、例ならぬけしきなる。まして、世の中などさわがしと聞こゆる頃は、よろづのことおぼえず。また、ものいはぬちごの泣き入りて、乳も飲まず、乳母のいだくにもやまで久しき。
 

 例の所ならぬ所にて、ことにまたいちじるからぬ人の声聞きつけたるはことわり、こと人などのそのうへなどいふにも、まづこそつぶるれ。いみじうにくき人の来たるにも、またつぶる。あやしくつぶれがちなるものは、胸こそあめれ。
 

 よべ来はじめたる人の、今朝の文のおそきは、人のためさへつぶる。
 
 

151段(能155):うつくしきもの

 
 
 うつくしきもの 瓜にかきたるちごの顔。雀の子の、ねず鳴きするにをどり来る。二つ三つばかりなるちごの、いそぎてはひ来る道に、いとちひさき塵のありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなるおよびにとらへて、大人などに見せたる、いとうつくし。頭はあまそぎなるちごの、目に髪のおほへるをかきはやらで、うちかたぶきて物など見たるも、うつくし。
 

 おほきにはあらぬ殿上童の、さうぞきたてられてありくもうつくし。をかしげなるちごの、あからさまにいだきて遊ばしうつくしむほどに、かいつきて寝たる、いとらうたし。
 

 雛の調度。蓮の浮葉のいとちひさきを、池よりとりあげたる。葵のいとちひさき。なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし。
 

 いみじうしろく肥えたるちごの二つばかりなるが、二藍のうすものなど、衣ながにてたすき結ひたるがはひ出でたるも、また、みじかきが袖がちなる着てありくも、みなうつくし。八つ、九つ、十ばかりなどの男児の、声はをさなげにてふみ読みたる、いとうつくし。
 

 にはとりのひなの、足高に、しろうをかしげに衣みじかなるさまして、ひよひよとかしがましう鳴きて、人のしりさきに立ちてありくもをかし。また親の、ともにつれてたちて走るも、みなうつくし。かりのこ。瑠璃の壺。
 
 

152段(能156):人ばへするもの

 
 
 人ばへするもの ことなることなき人の子の、さすがにかなしうしならはしたる。しはぶき。はづかしき人にものいはむとするに、先に立つ。
 

 あなたこなたに住む人の子の四つ五つなるは、あやにくだちて、ものとり散らしそこなふを、ひきはられ制せられて、心のままにもえあらぬが、親の来たるに所得て、「あれ見せよ。やや、はは」などひきゆるがすに、大人どものいふとて、ふと聞き入れねば、手づからひきさがし出でて見さわぐこそ、いとにくけれ。それを、「まな」ともとり隠さで、「さなせそ」「そこなふな」などばかり、うち笑みいふこそ、親もにくけれ。我はた、えはしたなうもいはで見るこそ心もとなけれ。
 
 

153段(能157):名おそろしきもの

 
 
 名おそろしきもの あをふち。たにのほら。はたいた。くろがね。つちくれ。いかづちは名のみにもあらず、いみじう恐ろし。はやち。ふさう雲。ほこぼし。ひぢかさ雨。あらのら。がうだう、またよろづに恐ろし。らんそう、おほかた恐ろし。かなもち、またよろづに恐ろし。いきすだま。くちなはいちご。おにわらび。鬼ところ。むばら。からたち。いりずみ。うしおに。いかり、名よりも見るは恐ろし。
 (※ 鰭板 鉄 土塊 雷 暴風 不祥雲? 鉾星 肘笠雨 荒野ら 強盗 乱声?)
 
 

154段(能158):見るにことなることなきものの

 
 
 見るにことなることなきものの文字に書きてことごとしきもの 
 いちご。つゆくさ。水ふぶき。くも。くるみ。文章博士。得業の生。皇太后宮権大夫。山もも。
 いたどりは、まいて虎の杖と書きたるとかや。杖なくともありぬべき顔つきを。
 (※ 覆盆子 鴨頭草 {艸/欠} 蜘蛛 胡桃 楊桃)
 
 

155段(能159):むつかしげなるもの

 
 
 むつかしげなるもの ぬひ物の裏。ねずみの子の毛もまだ生ひぬを、巣の中よりまろばし出でたる。裏まだつけぬ裘の縫ひ目。猫の耳の中。ことにきげならぬ所の暗き。
 

 ことなることなき人の、子などあまた持てあつかひたる。いとふかうしも心ざしなき妻の、心地あしうしてひさしうなやみたるも、男の心地はむつかしかるべし。
 
 

156段(能160):えせものの所得る折

 
 
 えせものの所得る折 正月のおほね。行幸の折のひめまうち君。御即位の御門つかさ。六月、十二月のつごもりの節折の蔵人。季の御読経の威儀師。赤袈裟着て僧の名どもよみあげたる、いときらきらし。
 

 季の御読経。御仏名などの御装束の所の衆。春日祭の近衛の舎人ども。元三の薬子。卯杖の法師。御前の試みの夜の御髪上げ。節会の御まかなひの采女。
 
 

157段(能161):苦しげなるもの

 
 
 苦しげなるもの 夜泣きといふわざするちごの乳母。思ふ人二人もちて、こなたかなたふすべらるる男。こはき物の怪にあづかりたる験者。験だにいちはやからばよかるべきを、さしもあらず、さすがに人わらはれならじと念ずる、いと苦しげなり。
 

 わりなくものうたがひする男にいみじう思はれたる女。一の所などに時めく人も、えやすくはあらねど、そはよかめり。心いられしたる人。
 
 

158段(能162):うらやましげなるもの

 
 
 うらやましげなるもの。経など習ふとて、いみじうたどたどしく忘れがちにかへすがへす同じ所を読むに、法師はことわり、男も女も、くるくるとやすらかに読みたるこそ、あれがやうにいつの世にあらむとおぼゆれ。
 

 心地などわづらひてふしたるに、笑うち笑ひ、ものなど言ひ、思ふことなげにてあゆみありく人見るこそ、いみじううらやましけれ。
 

 稲荷に思ひおこしてまうでたるに、中の御社のほどのわりなう苦しきを、念じのぼるに、いささか苦しげもなく、遅れて来と見ゆる者どものただ行きに先に立ちてまうづる、いとめでたし。
 二月午の日の暁に急ぎしかど、坂のなからばかりあゆみしかば、巳の時ばかりになりにけり。やうやう暑くさへなりて、まことにわびしくて、など、かからでよき日もあらむものを、何しにまうでつらむとまで、涙も落ちてやすみ困ずるに、四十余ばかりなる女の、壺装束などにはあらで、ただ引きはこへたるが、「まろは七度まうでし侍るぞ。三度はまうでぬ。いま四度はことにもあらず。まだ未に下向しぬべし」と、道に会ひたる人にうち言ひて下り行きしこそ、ただなるところには目にもとまるまじきに、これが身にただいまならばやとおぼえしか。
 

 女児も、男児も、法師も、よき子ども持たる人、いみじううらやまし。髪いと長くうるはしく、下がりばなどめでたき人。また、やむごとなき人の、よろづの人にかしこまられ、かしづかれ給ふ、見るも、いとうらやまし。手よく書き、歌よく詠みて、もののをりごとにもまづ取りいでらるる、うらやまし。
 

 よき人の御前に女房いとあまた候ふに、心にくき所へ遣はす仰せ書きなどを、たれもいと鳥の跡にしもなどかあらむ。されど、下などにあるをわざと召して、御硯取り下ろして書かせさせ給ふもうらやまし。さやうのことは所の大人などになりぬれば、まことに難波わたり遠からぬも、ことに従ひて書くを、これはさにあらで、上達部などのまだ初めて参らむと申さする人のむすめなどには、心ことに紙よりはじめてつくろはせ給へるを、集まりて戯れにもねたがり言ふめり。
 

 琴、笛など習ふ、またさこそは、まだしきほどは、これがやうにいつしかとおぼゆらめ。
 

 内裏、春宮の御乳母。上の女房の、御方々いづこもおぼつかなからず参り通ふ。
 
 

159段(能163):とくゆかしきもの

 
 
 とくゆかしきもの 巻染。むら濃、くくり物など染めたる。人の児産みたるに、男女、とく聞かまほし。よき人さらなり、えせ者、下衆の際だになほゆかし。
 除目のつとめて。かならず知る人のさるべきなき折も、なほ聞かまほし。
 
 

160段(能164):心もとなきもの

 
 
 心もとなきもの 人のもとにとみの物縫ひにやりて、いまいまとくるしうゐ入りて、あなたをまもらへたる心地。子倦むべき人の、そのほど過ぐるまでさるけしきもなき。
 遠き所より思ふ人の文を得て、かたく封じたる続飯などあくるほど、いと心もとなし。
 物見におそくいでて、ことなりにけり、しろきしもとなどみつけたるに、近くやり寄するほど、わびしう、下りてもいぬべき心地こそすれ。知られじと思ふ人のあるに、前なる人に教へて物いはせたる。いつしかと待ちいでたるちごの、五十日、百日などのほどになりにたる、行く末いと心もとなし。
 

 とみのもの縫ふに、生暗うて針に糸すぐる。されど、それはさるものにて、ありぬべき所をとらへて、人にすげさするに、それも急げばにやあらむ、とみにもさし入れぬを、「いで、ただなすげそ」といふを、さすがになどてかと思ひ顔にえ去らぬ、にくきさへそひたり。
 

 何事にもあれ、急ぎてものへいくべき折に、まづ我さるべき所へいくとて、ただいまおこせむとて出でぬる車待つほどこそ、いと心もとなけれ。大路いきけるを、さななりとよろこびたれば、外ざまにいぬる、いとくちをし。まいて、物見にいでむとてあるに、「ことはなりぬらむ」と、人のいひたるを聞くこそわびしけれ。
 

 子産みたる後の事のひさしき。物見、寺詣でなどに、もろともにあるべき人を乗せていきたるに、車をさし寄せて、とみにも乗らで待たするを、いと心もとなく、うち捨てても往ぬべき心地ぞする。
 

 また、とみにていり炭おこすも、いとひさし。人の歌の返しとくすべきを、え詠み得ぬほども心もとなし。懸想人などはさしも急ぐまじけれど、おのづからまたさるべきをりもあり。まして、女も、ただにいひかはすことは、ときこそはと思ふほどに、あいなくひがごともあるぞかし。
 

 心地のあしく、もののおそろしき折、夜のあくるほど、いと心もとなし。
 
 

161段(能165):故殿の御服の頃

 
 
 故殿の御服の頃、六月のつごもりの日、大祓といふことにて、宮の出でさせ給ふべきを、職の御曹司を方あしとて、官の司の朝所にわたらせ給へり。その夜さり、暑くわりなき闇にて、なにともおぼえず、せばくおぼつかなくてあかしつ。
 

 つとめて、見れば、屋のさまいとひらにみじかく、瓦ぶきにて、唐めき、さまことなり。例のやうに格子などもなく、めぐりて御簾ばかりをぞかけたる、なかなかめづらしくてをかしければ、女房、庭に下りなどしてあそぶ。前裁に萱草といふ草を、ませ結ひていとおほく植ゑたりける。花のきはやかにふさなりて咲きたる、むべむべしき所の前裁にはいとよし。時司などは、ただかたはらにて、鼓の音も例のには似ずぞ聞こゆるを、ゆかしがりて、わかき人々二十人ばかり、そなたにいきて、階よりたかき屋にのぼりたるを、これより見あぐれば、あるかぎり薄鈍の裳、唐衣、おなじ色の単襲、くれなゐの袴どもを着てのぼりたるは、いと天人などこそえいふまじけれど、空より降りたるにやとぞ見ゆる。
 おなじわかきなれど、おしあげたる人は、えまじらで、うらやましげに見あげたるも、いとをかし。
 

 左衛門の陣までいきて、倒れさわぎたるもあめりしを、「かくはせぬことなり。上達部のつき給ふ椅子などに女房どものぼり、上官などのゐる床子どもを、みなうち倒し、そこなひたり」などくすしがる者どもあれど、聞きも入れず。
 

 屋のいとふるくて、瓦ぶきなればにやあらむ、暑さの世に知らねば、御簾の外にぞ夜も出で来、臥したる。ふるき所なれば、むかでといふもの、日一日おちかかり、蜂の巣のおほきにて、つき集まりたるなどぞ、いとおそろしき。
 

 殿上人日ごとに参り、夜も居あかしてものいふをききて、「豈にはかりきや、太政官の地の今やかうの庭とならむことを」と誦しいでたりしこそをかしかりしか。
 

 秋になりたれど、かたへだにすずしからぬ風の、所がらなめり、さすがに虫の声など聞こえたり。八日ぞ帰らせ給ひければ、七夕祭、ここにては例よりも近う見ゆるは、程のせばければなめり。
 

 宰相の中将斉信、宣方の中将、道方の少納言など参り給へるに、人々出でてものなどいふに、ついでもなく、「明日はいかなることをか」といふに、いささか思ひまはしとどこほりもなく、「『人間の四月』をこそは」といらへ給へるがいみじうをかしきこそ。過ぎにたることなれども、心得ていふは誰もをかしき中に、女などこそさやうの物忘れはせね、男はさしもあらず、よみたる歌などをだになまおぼえなるものを、まことにをかし。内なる人も外なるも、心得ずと思ひたるぞことわりなる。
 

 この四月のついたちごろ、細殿の四の口に殿上人あまた立てり。やうやうすべり失せなどして、ただ頭の中将、源中将、六位一人のこりて、よろづのことをいひ、経を読み、歌うたひなどするに、「明けはてぬなり。帰りなむ」とて、「露は別れの涙なるべし」といふことを頭の中将のうちいだし給へれば、
 源中将ももろともにいとをかしく誦じたるに、「いそぎける七夕かな」といふを、いみじうねたがりて、「ただあかつきの別れ一筋を、ふとおぼえつるままにいひて、わびしうもあるかな。すべて、このわたりにて、かかること思ひまはさずいふは、いとくちをしきぞかし」など、返す返すわらひて、「人にな語り給ひそ。かならずわらはれなむ」といひて、あまりあかうなりしかば、「葛城の神、いまぞずちなき」とて、逃げおはしにしを、
 七夕のをりにこのことをいひいでばやと思ひしかど、宰相になり給ひにしかば、かならずしもいかでかは、そのほどに見つけなどもせむ、文かきて、主殿司してもやらむなど思ひしを、七日に参り給へりしかば、いとうれしくて、その夜のことなどいひ出でば、心もぞ得給ふ、ただすずろにふといひたらば、あやしなどやうちかたぶき給ふ、さらば、それにをありしことばいはむ、とてあるに、つゆおぼめかでいらへ給へりしは、まことにいみじうをかしかりき。
 

 月ごろいつしかとおもほえたりしだに、わが心ながらすきずきしとおぼえしに、いかでさ思ひまうけたるやうに宣ひけむ。もろともにねたがりいひし中将は、おもひもよらでゐたるに、「ありしあかつきのこといましめらるるは。知らぬか」と宣ふにぞ、「げに、げに」とわらふめるわろしかし。
 

 人と物いふことを碁になして、近う語らひなどしつるをば、「手ゆるしてけり」「結さしつ」などいひ、「男は手受けむ」などいふことを人はえ知らず、この君と心得ていふを、「なにぞ、なにぞ」と源中将は添ひつきていへど、いはねば、かの君に、「いみじう、なほこれ宣へ」とうらみられて、よきなかなれば聞かせてけり。あへなく近くなりぬるをば、「おしこぼちのほどぞ」などいふ。
 我も知りにけりといつしか知られむとて、「碁盤侍りや。まろと碁うたむとなむ思ふ。手はいかが。ゆるし給はむとする。頭の中将とひとし碁なり。なおぼしわきそ」といふに、「さのみあらば、さだめなくや」といひしを、またかの君に語りきこえければ、「うれしういひたり」とよろこび給ひし。なほ過ぎにたること忘れぬ人は、いとをかし。
 

 宰相になり給ひし頃、上の御前にて、「詩をいとをかしう誦じ侍るものを。『蕭會稽之過古廟』なども誰かいひ侍らむとする。しばしならでも候ふかし。くちをしきに」など申ししかば、いみじうわらはせ給ひて、「さなむいふとて、なさじかし」などおほせられしもをかし。
 されど、なり給ひにしかば、まことにさうざうしかりしに、源中将おとらず思ひて、ゆゑだち遊びありくに、宰相の中将の御うへをいひいでて、「『未だ三十の期に及ばず』といふ詩を、さらにこと人に似ず誦じ給ひし」などいへば、「などてかそれにおとらむ。まさりてこそせめ」とてよむに、「さらに似るべくだにあらず」といへば、「わびしのことや。いかであれがやうに誦ぜむ」と宣ふを、「『三十の期』といふ所なむ、すべていみじう愛敬づきたりし」などいへば、ねたがりてわらひありくに、
 陣につき給へりけるを、わきに呼び出でて、「かうなむいふ。なほそこもと教へ給へ」と宣ひければ、わらひて教へけるも知らぬに、局のもとにきていみじうよく似せてよむに、あやしくて、「こは誰そ」と問へば、笑みたる声になりて、「いみじきことを聞こえむ。かうかう、昨日陣につきたりしに、問ひ聞きたるに、まづ似たるななり。『誰ぞ』とにくからぬけしきにて問ひ給ふは」といふも、わざとならひ給ひけむがをかしければ、これだに誦ずれば出でてものなどいふを、「宰相の中将の徳を見ること。その方に向ひて拝むべし」などいふ。
 下にありながら、「上に」などいはするに、これをうち出づれば、「まことはあり」などいふ。御前にも、かくなど申せば、わらはせ給ふ。
 

 内裏の御物忌なる日、右近の将監みつなにとかやいふ者して、畳紙にかきておこせたるを見れば、「参ぜむとするを、今日明日の御物忌にてなむ。『三十の期に及ばず』はいかが」といひたれば、返りごとに、「その期は過ぎ給ひにたらむ。朱買臣が妻を教へけむ年にはしも」とかきてやりたりしを、またねたがりて、上の御前にも奏しければ、宮の御方にわたらせ給ひて、「いかでさることは知りしぞ。『三十九なりける年こそ、さはいましめけれ』とて、宣方は、『いみじういはれにたり』といふめるは」と仰せられしこそ、ものぐるほしかりける君とこそおぼえしか。
 
 

162段(能166):弘徽殿とは閑院の左大将の

 
 
 弘徽殿とは閑院の女御をぞきこゆる。その御方にうちふしといふ者のむすめ、左京といひて候ひけるを、「源中将語らひてなむ」と人々笑ふ。
 

 宮の職におはしまいしに参りて、「時々は宿直なども仕うまつるべけれど、さべきさまに女房などももてなし給はねば、いと宮仕へおろかに候ふこと。宿直所をだに賜りたらば、いみじうまめに候ひなむ」といひゐ給へれば、人々、「げに」などいらふるに、「まことに人は、うちふしやすむ所のあるこそよけれ。さるあたりには、しげう参り給ふなるものを」とさしいらへたりとて、「すべて、もの聞こえじ。方人とたのみ聞ゆれば、人のいひふるしたるさまにとりなし給ふなめり」など、いみじうまめだちて怨じ給ふを、「あな、あやし。いかなることをか聞こえつる。さらに聞きとがめ給ふべきことなし」などいふ。
 かたはらなる人をひきゆるがせば、「さるべきこともなきを、ほとほりいで給ふ、やうこそはあらめ」とて、はなやかに笑ふに、「これもかのいはせ給ふならむ」とて、いとものしと思ひ給へり。
 「さらにさやうのことをなむいひ侍らぬ。人のいふだににくきものを」といらへて、引き入りにしかば、後にもなほ、「人に恥ぢがましきこといひつけたり」とうらみて、「殿上人わらふとて、いひたるなめり」と宣へば、「さては、一人をうらみ給ふべきことにもあらざるに、あやし」といへば、その後はたえてやみ給ひにけり。
 
 

163段(能167):昔おぼえて不用なるもの

 
 
 昔おぼえて不用なるもの 繧繝縁の畳のふし出で来たる。唐絵の屏風の黒み、おもてそこなはれたる。絵師の目暗き。七八尺の鬘のあかくなりたる。葡萄染めの織物、灰かへりたる。色好みの老いくづほれたる。おもしろき家の木立焼け失せたる。池などはさながらあれど、浮き草、水草など茂りて。
 
 

164段(能168):たのもしげなきもの

 
 
 たのもしげなきもの 心みじかく、人忘れがちなる婿の、つねに夜離れする。そらごとする人の、さすがに人のことなし顔にて大事請けたる。風はやきに帆かけたる舟。七八十ばかりなる人の、心地あしうて、日頃になりたる。
 
 

165段(能169):読経は

 
 
 読経は、不断経。
 
 

166段(能170):近うて遠きもの

 
 
 近うて遠きもの 宮のべの祭り。思はぬはらから、親族の仲。鞍馬のつづらをりといふ道。十二月のつごもりの日、正月のついたちの日のほど。
 
 

167段(能171):遠くて近きもの

 
 
 遠くて近きもの 極楽。舟の道。人の仲。
 
 

168段(能172):井は

 
 
 井は ほりかねの井。玉の井。走り井は逢坂なるがをかしきなり。山の井。などさしもあさきためしになりはじめけむ。飛鳥井は、「みもひもさむし」とほめたるこそをかしけれ。千貫の井。少将の井。櫻井。后町の井。
 
 

169段(能196):野は

 
 
 野は 嵯峨野さらなり。印南野。交野。駒野。飛火野。しめし野。春日野。そうけ野こそすずろにをかしけれ。などてさつけけむ。宮城野。粟津野。小野。紫野。
 
 

170段(能235):上達部は

 
 
 上達部は 左大将。右大将。春宮の大夫。権中納言。宰相の中将。三位の中将。
 
 

171段(能236):君達は

 
 
 君達は 頭の中将。頭の弁。権中将。四位の少将。蔵人の弁。四位の侍従。蔵人の少納言。蔵人の兵衛佐。
 
 

172段(能173):受領は

 
 
 受領は 伊予の守。紀伊の守。和泉の守。大和の守。
 
 

173段(能174):権の守は

 
 
 権の守は 甲斐。越後。筑後。阿波。
 
 

174段(能175):大夫は

 
 
 大夫は 式部の大夫。左衛門の大夫。右衛門の大夫。
 
 

175段(能237):法師は

 
 
 法師は 律師。内供。
 
 

176段(能238):女は

 
 
 女は 内侍のすけ。内侍。
 
 

177段(能176):六位の蔵人などは

 
 
 六位の蔵人などは、思ひかくべきことにもあらず。
 かうぶり得て何の権の守、大夫などいふ人の、板屋などの狭き家持たりて、また、小檜垣などいふもの新しくして、車やドに車引き立て、前近く一尺ばかりなる木生ほして、牛つなぎて草など飼はするこそいとにくけれ。
 

 庭いときよげに掃き、紫革して伊予簾かけわたし、布障子はらせて住まひたる。
 夜は「門強くさせ」など、ことおこなひたる、いみじう生ひ先なう、心づきなし。
 

 親の家、舅はさらなり、をぢ、兄などの住まぬ家、そのさべき人なからむは、おのづから、むつまじくうち知りたらむ受領の国へいきていたづらならむ、さらずは、院、宮ばらの屋あまたあるに、住みなどして、司待ち出でてのち、いつしかよき所たづねとりて住みたるこそよけれ。
 
 

178段(能177):女のひとりすむ所は

 
 
 女のひとりすむ所は、いたくあばれて築土などもまたからず、池などある所も水草ゐ、庭なども蓬にしげりなどこそせねども、ところどころすなごの中より青き草うち見え、さびしげなるこそあはれなれ。
 ものかしこげに、なだらかに修理して、門いたく固め、きはぎはしきは、いとうたてこそおぼゆれ。
 
 

179段(能178):宮仕人の里なども

 
 
 宮仕人の里なども、親ども二人あるはいとよし。
 人しげく出で入り、奥のかたにあまた声々さまざま聞こえ、馬の音などして、いとさわがしきまであれど、とがもなし。
 されど、忍びてもあらはれても、おのづから、「出で給ひにけるをえしらで」とも、まて、「いつか参り給ふ」などいひに、さしのぞき来るもあり。
 

 心かけたる人、はたまたいかがは。門あけなどするを、うたてさわがしうおほやうげに、夜中までなど思ひたるけしき、いとにくし。
 「大御門はしつや」など問ふなれば、「いま。まだ人のおはすれば」などいふものの、なまふせがしげに思ひていらふるにも、「人出で給ひなば、とくさせ。このごろ盗人いとおほかなり。火あやふし」などいひたるが、いとむつかしう、うち聞く人だにあり。
 

 この人の供なる者どもはわびぬにやあらむ、この客いまや出づると絶えずさしのぞきてけしき見る者どもを笑ふべかめり。まねうちするを聞かば、ましていかにきびしきいひとがめむ。いと色にいでていはぬも、思ふ心なき人は、かならず来などやはする。されど、すくよかなるは、「夜ふけぬ。御門あやふかなり」など笑ひて出でぬるもあり。まことに心ざしことなる人は、「はや」などあまたたび遣らはるれど、なほゐ明かせば、たびたび見ありくに、明けぬべきけしきを、いとめづらかに思ひて、「いみじう、御門を今宵らいさうとあけひろげて」と聞こえごちて、あぢきなく暁にぞさすなるは、いかがはにくきを。親添ひぬる、なほさぞある。まいて、まことのならぬは、いかに思ふらむとさへつつまし。せうとの家なども、けにくきはさぞあらむ。
 

 夜中、暁ともなく、門もいと心かしこうももてなさず、なにの宮、内裏わたり、殿ばらなる人々も出であひなどして、格子などもあげながら冬の夜をゐ明かして、人の出でぬる後も見いだしたるこそをかしけれ。有明などは、ましていとめでたし。笛など吹きて出でぬる名残は、いそぎてもねられず、人のうへどもいひあはせて歌など語り聞くままに、寝入りぬるこそをかしけれ。
 
 

180段(能315):ある所に、なにの君とかや


 
「ある所に、なにの君とかやいひける人のもとに、君達にはあらねど、その頃いたうすいたるものにいはれ、心ばせなどある人の、九月ばかりにいきて、有明のいみじう霧りみちておもしろきに、名残思ひ出でられむとことばをつくして出づるに、いまは往ぬらむと遠く見送るほど、えもいはず艶なり。出づる方を見せてたちかへり、立蔀の間に陰にそひて立ちて、なほいきやらぬさまに、いまひとたびいひ知らせむと思ふに、『有明の月のありつつも』と、しのびやかにうちいひてさしのぞきたる、髪の頭にもより来ず、五寸ばかり下がりて、火をさしともしたるやうなりけるに、月の光もよほされて、おどろかるる心地のしければ、やをら出でにけり」とこそ語りしか。
 
 

181段(能179):雪のいと高うはあらで

 
 
 雪のいと高うはあらで、うすらかに降りたるなどは、いとこそをかしけれ。
 

 また、雪のいと高う降り積もりたる夕暮れより、端近う、同じ心なる人二、三人ばかり、火桶を中に据ゑて物語などするほどに、暗うなりぬれど、こなたには火もともさぬに、おほかたの雪の光いと白う見えたるに、火箸して灰など掻きすさみて、あはれなるも、をかしきも、言ひ合はせたるこそをかしけれ。
 

 宵もや過ぎぬらむと思ふほどに、沓の音近う聞こゆれば、あやしと見いだしたるに、時々かやうのをりに、おぼえなく見ゆる人なりけり。「今日の雪を、いかにと思ひやり聞こえながら、なでふことにさはりて、その所に暮らしつる」など言ふ。「今日来む」などやうのすぢをぞ言ふらむかし。昼ありつることどもなどうち始めて、よろづのことを言ふ。円座ばかりさしいでたれど、片つ方の足は下ながらあるに、鐘の音なども聞こゆるまで、内にも外にも、この言ふことは飽かずぞおぼゆる。
 

 明けぐれのほどに帰るとて、「雪なにの山に満てり」と誦したるは、いとをかしきものなり。女の限りしては、さもえ居明かさざらましを、ただなるよりはをかしう、すきたるありさまなど言ひ合はせたり。
 
 

182段(能180):村上の前帝の御時に

 
 
 村上の前帝の御時に、雪のいみじう降りたりけるを、様器に盛らせ給ひて、梅の花を挿して、月のいと明きに、「これに歌よめ。いかが言ふべき」と、兵衛の蔵人に賜せたりければ、「雪月花の時」と奏したりけるこそ、いみじうめでさせ給ひけれ。「歌などよむは世の常なり。かくをりにあひたることなむ言ひがたき」とぞ、仰せられける。
 

 同じ人を御供にて、殿上に人候はざりけるほど、たたずませ給ひけるに、炭櫃に煙の立ちければ、「かれは何ぞと見よ」と仰せられければ、見て帰り参りて、
 

♪20
  わたつ海の 沖にこがるる 物見れば
  あまの釣して 帰るなりけり
 

と奏しけるこそをかしけれ。蛙の飛び入りて、焼くるなりけり。
 
 

183段(能181):御形の宣旨の

 
 
 御形の宣旨の、上に、五寸ばかりなる殿上童のいとをかしげなるを作りて、みづら結ひ、装束などうるはしくして、なかに名かきて、奉らせ給ひけるを、「ともあきらの大君」とかいたりけるを、いみじうこそ興ぜさせ給ひけれ。
 
 

184段(能182):宮にはじめて参りたるころ

 
 
 宮にはじめて参りたるころ、もののはづかしきことの数知らず、涙も落ちぬべければ、夜々参りて、三尺の御几帳の後ろに候ふに、絵など取りいでて見せさせ給ふを、手にてもえさしいづまじう、わりなし。
 「これは、とあり、かかり。それが、かれが」など宣はす。高坏に参らせたる御殿油なれば、髪の筋なども、なかなか昼よりも顕証に見えてまばゆけれど、念じて見などす。いとつめたきころなれば、さしいでさせ給へる御手のはつかに見ゆるが、いみじうにほひたる薄紅梅なるは、限りなくめでたしと、見知らぬ里人心地には、かかる人こそは世におはしましけれと、おどろかるるまでぞ、まもり参らする。
 

 暁にはとく下りなむといそがるる。「葛城の神もしばし」など仰せらるるを、いかでかは筋かひ御覧ぜられむとて、なほ伏したれば、御格子も参らず。
 女官ども参りて、「これ、放たせ給へ」など言ふを聞きて、女房の放つを、「まな」と仰せらるれば、笑ひて帰りぬ。ものなど問はせ給ひ、宣はするに、久しうなりぬれば、「下りまほしうなりにたらむ。さらば、はや。夜さりは、とく」と仰せらる。ゐざり隠るるや遅きと、あげちらしたるに、雪降りにけり。登花殿の御前は、立蔀近くてせばし。雪いとをかし。
 

 昼つ方、「今日は、なほ参れ。雪にくもりてあらはにもあるまじ」など、たびたび召せば、この局のあるじも、「見苦し。さのみやは篭りたらむとする。あへなきまで御前許されたるは、さおぼしめすやうこそあらめ。思ふにたがふはにくきものぞ」と、ただいそがしにいだしたつれば、あれにもあらぬ心地すれど参るぞ、いと苦しき。
 火焼屋の上に降り積みたるも、めづらしうをかし。
 

 御前近くは、例の、炭櫃の火こちたくおこして、それにはわざと人もゐず。宮は沈の御火桶、梨絵したるにむかひておはします。上臈御まかなひし給ひけるままに、近く候ふ。次の間に長炭櫃に間なくゐたる人々、唐衣着垂れたるほど、なれやすらかなるを見るもいとうらやまし。御文取りつぎ、立ち居行き違ふさまなどの、つつましげならず、物いひゑ笑ふ。いつの世にか、さやうにまじらひならむと思ふさへぞつつましき。奥寄りて、三四人さしつどひて絵など見るもあめり。しばしありて、前駆高う、追ふ声すれば、「殿参らせ給ふなり」とて、散りたる物ども取りやりなどするに、いかでおりなむと思へど、さらにえふともみじろかねば、いま少し奥に引き入りて、さすがにゆかしきなめりと、御几帳の綻びよりはつかに見入れたり。
 

 大納言殿の参り給へるなりけり。御直衣、指貫の紫の色、雪に映えていみじうをかし。柱もとにゐ給ひて、「昨日今日、物忌みに侍りつれど、雪のいたく降り侍りつれば、おぼつかなさになむ」と申し給ふ。
 「道もなしと思ひつるに、いかで」とぞ御いらへある。うち笑ひ給ひて、「あはれともや御覧ずるとて」など宣ふ、御ありさまども、これより何事かはまさらむ。物語に、いみじう口にまかせて言ひたるにたがはざめりとおぼゆ。
 

 宮は、白き御衣どもに、紅の唐綾をぞ上に奉りたる。
 御髪のかからせ給へるなど、絵にかきたるをこそ、かかることは見しに、うつつにはまだ知らぬを、夢の心地ぞする。女房ともの言ひ、たはぶれごとなどし給ふ。御いらへを、いささかはづかしとも思ひたらず聞こえ返し、そらごとなど宣ふは、あらがひ論じなど聞こゆるは、目もあやに、あさましきまで、あいなう、おもてぞあかむや。御くだもの参りなど、とりはやして、御前にも参らせ給ふ。
 

 「御帳の後ろなるは、たれぞ」と問ひ給ふなるべし。さかすにこそはあらめ、立ちておはするを、なほほかへにやと思ふに、いと近うゐ給ひて、ものなど宣ふ。まだ参らざりしより聞きおき給ひけることなど、「まことにや、さありし」など宣ふに、御几帳隔てて、よそに見やり奉りつるだにはづかしかりつるに、いとあさましう、さし向かひ聞こえたる心地、うつつともおぼえず。行幸など見るをり、車の方にいささかも見おこせ給へば、下簾ひきふたぎて、透影もやと扇をさしかくすに、なほいとわが心ながらもおほけなく、いかで立ちいでしにかと、汗あえていみじきには、何事をかはいらへも聞こえむ。
 

 かしこき陰とささげたる扇をさへ取り給へるに、ふりかくべき髪のおぼえさへあやしからむと思ふに、すべて、さるけしきもこそは見ゆらめ。とく立ち給はなむと思へど、扇を手まさぐりにして、絵のこと、「たがかかせたるぞ」など宣ひて、とみにも給はねば、袖をおしあててうつぶしゐたるも、唐衣に白いものうつりて、まだらならむかし。
 

 久しくゐ給へるを、心なう、苦しと思ひたらむと心得させ給へるにや、「これ見給へ。これはたが手ぞ」と聞こえさせ給ふを、「給はりて見侍らむ」と申し給ふを、「なほ、ここへ」と宣はす。
 「人をとらへて立て侍らぬなり」と宣ふも、いといまめかしく、身のほどにあはず、かたはらいたし。人の草仮名書きたる草子など、とりいでて御覧ず。
 「たれがにかあらむ。かれに見せさせ給へ。それぞ、世にある人の手はみな見知りて侍らむ」など、ただいらへさせむと、あやしきことどもを宣ふ。
 

 ひとところだにあるに、また前駆うち追はせて、同じ直衣の人参り給ひて、これはいま少しはなやぎ、猿楽言などし給ふを、笑ひ興じ、我も「なにがしが、とあること」など、殿上人のうへなど申し給ふを聞くは、なほ、変化の者、天人などの下りきたるにやとおぼえしを、候ひ慣れ、日ごろ過ぐれば、いとさしもあらぬわざにこそはありけれ。
 かく見る人々も、みな家のうちいでそめけむほどは、さこそはおぼえけめなど、観じもてゆくに、おのづから面慣れぬべし。
 

 物など仰せられて、「我をば思ふや」と問はせ給ふ。
 御いらへに、「いかがは」と啓するにあはせて、台盤所の方に、はなをいと高くひたれば、「あな心憂。そらごとをいふなりけり。よし、よし」とて入らせ給ひぬ。
 「いかでかそらごとにはあらず。よろしうだに思ひ聞こえさすべきことかは。はなこそはそらごとしけれ」とおぼゆ。
 さても、誰かかくにくきわざしつらむと、おほかた心づきなしとおぼゆれば、さるをりもおしひしぎつつあるものを、まいていみじ、にくしと思へど、まだうひうひしければ、ともかくもえ啓しかへさで、明けぬれば、下りたる、すなはち、浅緑なる薄様に艶なる文をこれとて来たる。あけて見れば、「
 

♪21
  いかにして いかに知らまし 偽りを
  空似ただすの 神なかりせば
 

となむ御けしきは」とあるに、めでたくもくちをしうも思ひ乱るるに、なほ昨夜の人ぞねたくにくままほしき。
 

♪22
  うすさ濃さ それにもよらぬ はなゆゑに
  うき身のほどを 見るぞわびしき
 

なほこればかりは啓しなほさせ給へ。式の神もおぼづからもいとかしこし」とて参らせて後にも、うたてをりしも、などてさはたありけむと、いとなげかし。
 
 

185段(能183):したり顔なるもの

 
 
 したり顔なるもの 正月一日に最初にはなひたる人。よろしき人はさしもなし。下﨟よ。きしろふたびの蔵人に子なしたる人のけしき。また、除目にその年の一の国得たる人。よろこびなどいひて、「いとかしこうなり給へり」などいふいらへに、「なにかは。いとこと様にほろびて侍るなれば」などいふも、いとしたり顔なり。
 

 また、いふ人おほく、いどみたる中に、選りて婿になりたるも、我はと思ひぬべし。受領したる人の宰相になりたるこそ、もとの君たちのなりあがりたるよりもしたり顔にけだかう、いみじうは思ひためれ。
 
 

186段(能184):位こそなほめでたき物はあれ

 
 
 位こそなほめでたき物はあれ。おなじ人ながら、大夫の君、侍従の君など聞こゆる折は、いとあなづりやすきものを、中納言、大納言、大臣などになり給ひては、むげにせくかたもなく、やむごとなうおぼえ給ふことのこよなさよ。ほどほどにつけては、受領などもみなさこそはあめれ。あまたくににいき、大弍や四位、三位などになりぬれば、上達部などもやむごとながり給ふめり。
 

 女こそなほわろけれ。内裏わたりに、御乳母は内侍のすけ、三位などになりぬればおもしろけれど、さりとてほどより過ぎ、なにばかりのことかはある。
 また、おほくやはある。受領の北の方にて国へくださるをこそは、よろしき人のさいはひの際と思ひてめでうらやむめれ。ただ人の上達部の北の方になり、上達部の御むすめ后にゐ給ふこそは、めでたきものなめれ。
 

 されど、男はなほわかき身のなりいづるぞいとめでたしかし。法師などのなにがしなどいひてありくは、なにとかは見ゆる。経たふとくよみ、みめきよげなるにつけても、女房にあなづられてなりかかりこそすめれ。僧都、僧正になりぬれば、仏のあらはれ給へるやうに、おぢまどひかしこまるさまは、なににか似たる。
 
 

187段(能26,能240):かしこきものは

 
 
 かしこきものは、乳母のをとここそあれ。帝、親王たちなどは、さるものにておきたてまつりつ。そのつぎつぎ、受領の家などにも、所につけたるおぼえのわづらはしきものにしたれば、したり顔に、わが心地もいとよせありて、このやしなひたる子をも、むげにわがものになして、女はされどあり、男児はつとたちそひて後見、いささかもかの御ことにたがふ者をばつめたて、讒言し、あしけれど、これが世をば心にまかせていふ人もなければ、ところ得、いみじき面持ちして、こと行ひなどす。
 

 むげにをさなきほどぞすこし人わろき。親の前に臥すれば、ひとり局に臥したり。さりとてほかへいけば、こと心ありとてさわがれぬべし。しひて呼びおろして臥したるに、「まづまづ」と呼ばるれば、冬の夜など、ひきさがしひきさがしのぼりぬるがいとわびしきなり。それはよき所もおなじこと、いますこしわづらはしきことのみこそあれ。
 
 

188段(能305):病は

 
 
 病は 胸。もののけ。あしのけ。はては、ただそこはかとなくて物食はれぬ心地。
 
 

189段(能305):十八九ばかりの人の

 
 
 十八九ばかりの人の、髪いとうるはしくてたけばかりに、裾いとふさやかなる、いとよう肥えて、いみじう色しろう、顔愛敬づき、よしと見ゆるが、歯をいみじう病みて、額髪もしとどに泣きぬらし、みだれかかるも知らず、おもてもいとあかくて、おさへてゐたるこそをかしけれ。
 
 

190段(能305):八月ばかりに

 
 
 八月ばかりに、白き単なよらかなるに、袴よきほどにて、紫苑の衣のいとあてやかなるをひきかけて、胸をいみじう病めば、友だちの女房など、数々来つつとぶらひ、外のかたにも、わかやかなる君達あまた来て、「いといとほしきわざかな。例もかうや悩み給ふ」など、ことなしびにいふもあり。
 心かけたる人は、まことにいとほしと思ひなげき、人知れぬなかなどは、まして人目思ひて、寄るにも近くえ寄らず、思ひなげきたるこそをかしけれ。
 いとうるはしう長き髪をひき結ひて、ものつくとて起きあがりたるけしきもらうたげなり。
 上にもきこしめして、御読経の僧の声よき賜はせたれば、几帳ひきよせてすゑたり。ほどもなきせばさなれば、とぶらひ人あまたきて、経聞きなどするもかくれなきに、目をくばりて読みゐたるこそ、罪や得らむとおぼゆれ。
 
 

191段(能317):すきずきしくてひとり住みする人の

 
 
 すきずきしくてひとり住みする人の、夜はいづくにやありつらむ、暁に帰りて、やがて起きたる、ねぶたげなるけしきなれど、硯とりよせて墨こまやかにおしすりて、ことなしびに筆に任せてなどはあらず、心とどめて書く、まひろげ姿もをかしう見ゆ。
 

 しろき衣どものうへに、山吹、紅などぞ着たる。しろき単衣のいたうしぼみたるを、うちまもりつつ書きはてて、前なる人にもとらせず、わざと立ちて、小舎人童、つきづきしき随身など近う呼び寄せて、ささめきとらせて、往ぬるのちもひさしうながめて、経などのさるべき所々、しのびやかに口ずさびに読みゐたるに、奥の方に御粥、手水などしてそそのかせば、あゆみ入りても、文机におしかかりて書などをぞ見る。おもしろかりける所は高ううち誦したるも、いとをかし。
 

 手洗ひて、直衣ばかりうち着て、六の巻そらに読む、まことにたふときほどに、近き所なるべし、ありつる使うちけしきばめば、ふと読みさして、返りごとに心移すこそ、罪得らむとをかしけれ。
 
 

192段(能 ):いみじう暑き昼中に

 
 
 いみじう暑き昼中に、いかなるわざをせむと、扇の風もぬるし、氷水に手をひたし、もてさわぐほどに、こちたう赤き薄様を、唐撫子のいみじう咲きたるに結びつけて、とり入れたるこそ、書きつらむほどの暑さ、心ざしのほど浅からずおしはかられて、かつ使ひつるだにあかずおぼゆる扇もうち置かれぬれ。
 
 

193段(能 ):南ならずは東の廂の板の

 
 
 南ならずは東の廂の板の、かげ見ゆばかりなるに、あざやかなる畳をうち置きて、三尺の几帳の帷子いと涼し気に見えたるをおしやれば、ながれて思ふほどよりも過ぎて立てるに、しろき生絹の単衣、紅の袴、宿直物には、濃き衣のいたうは萎えぬを、すこしひきかけて臥したり。
 

 灯篭に火ともしたる、二間ばかりさりて、簾高うあげて、女房二人ばかり、童など、長押によりかかり、また、おろしたる簾にそひて臥したるもあり。火取に火深う埋みて、心細げににほはしたるも、いとのどやかに、心にくし。
 

 宵うち過ぐるほどに、しのびやかに門たたく音のすれば、例の心知りの人来て、けしきばみ立ちかくし、人まもりて入れたるこそ、さるかたにをかしけれ。
 かたはらにいとよく鳴る琵琶のをかしげなるがあるを、物語のひまひまに、音もたてず、爪弾きにかき鳴らしたるこそをかしけれ。
 
 

194段(能 ):大路近なる所にて聞けば

 
 
 大路近なる所にて聞けば、車に乗りたる人の、有明のをかしきに簾あげて、「遊子はなほ残りの月に行く」といふ詩を、声よくて誦したるもをかし。
 

 馬にても、さやうの人の行くはをかし。さやうの所にて聞くに、泥障の音の聞ゆるを、いかなる者ならむと、するわざもうち置きて見るに、あやしの者を見つけたる、いとねたし。
 
 

195段(能262):ふと心劣りとかするものは

 
 
 ふと心劣りとかするものは、男も女も、言葉の文字いやしう使ひたるこそ、よろづのことよりまさりてわろけれ。ただ文字一つに、あやしう、あてにもいやしうもなるは、いかなるにかあらむ。さるは、かう思ふ人、ことにすぐれてもあらじかし。いづれをよしあしと知るにかは。されど、人をば知らじ、ただ心地にさおぼゆるなり。
 

 いやしきこともわろきことも、さと知りながらことさらに言ひたるはあしうもあらず。わがもてつけたるを、つつみなく言ひたるは、あさましきわざなり。
 

 また、さもあるまじき老いたる人、男などの、わざとつくろひ、ひなびたるは、にくし。まさなきことも、あやしきことも、大人なるは、まのもなく言ひたるを、若き人は、いみじうかたはらいたきことに消え入りたるこそ、さるべきことなれ。
 

 何事を言ひても、「そのことさせむとす」「言はむとす」「何とせむとす」といふ『と』文字を失ひて、ただ「言はむずる」「里へ出でむずる」など言へば、やがていとわろし。まいて、文に書いては言ふべきにもあらず。物語などこそ、あしう書きなしつれば、言ふかひなく、作り人さへこそいとほしけれ。
 

 「ひてつ車に」と言ひし人もありき。「求む」といふことを「みとむ」なんどは、みな言ふめり。
 
 

196段(能307):宮仕人のもとに来などする男の

 
 
 宮仕人のもとに来などする男の、そこにて物食ふこそいとわろけれ。食はする人も、いとにくし。思はむ人の、「なほ」など心ざしありていはむを、忌みたらむやうに口をふたぎ、顔をもてのくべきことにもあらねば、食ひをるにこそはあらめ。いみじう酔ひて、わりなく夜ふけてとまりたりとも、さらに湯漬をだに食はせじ。心もなかりけりとて来ずは、さてありなむ。里などにて、北面よりいだしては、いかがはせむ。それだになほぞある。
 
 

197段(能185):風は

 
 
 風は 嵐。三月ばかりの夕暮れにゆるく吹きたる雨風。
 
 

198段(能185):八、九月ばかりに

 
 
 八、九月ばかりに雨にまじりて吹きたる風、いとあはれなり。雨の脚横さまにさわがしう吹きたるに、夏とほしたる綿衣のかかりたるを、生絹の単衣かさねて着たるも、いとをかし。この生絹だにいと所せく暑かはしく、とり捨てまほしかりしに、いつのほどにかくなりぬるにか、と思ふもをかし。
 暁に格子、妻戸をおしあけたれば、嵐のさと顔にしみたるこそ、いみじくをかしけれ。
 
 

199段(能185):九月つごもり、十月の頃

 
 
 九月のつごもり、十月の頃、空うち曇りて風のいとさわがしく吹きて、黄なる葉どものほろほろとこぼれ落つる、いとあはれなり。桜の葉、椋の葉こそ、いととくは落つれ。
 

 十月ばかりに、木立おほかる所の庭は、いとめでたし。
 
 

200段(能186):野分のまたの日こそ

 
 
 野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。立蔀・透垣などの乱れたるに、前栽どもいと心苦しげなり。大きなる木どもも倒れ、枝など吹き折られたるが、萩、女郎花などの上によころばひ伏せる、いと思はずなり。格子の壷などに、木の葉を、ことさらにしたらむやうに、こまごまと吹き入れたるこそ、荒かりつる風のしわざとはおぼえね。
 

 いと濃き衣のうはぐもりたるに、黄朽葉の織物、薄物などの小袿着て、まことしう清げなる人の、夜は風の騒ぎに寝られざりければ、久しう寝起きたるままに、母屋より少しゐざりいでたる、髪は風に吹きまよはされて少しうちふくだみたるが、肩にかかれるほど、まことにめでたし。
 

 ものあはれなるけしきに見いだして、「むべ山風を」など言ひたるも、心あらむと見ゆるに、十七、八ばかりにやあらむ、小さうはあらねど、わざと大人とは見えぬが、生絹の単のいみじうほころび絶え、花もかへり濡れなどしたる、薄色の宿直物を着て、髪、色に、こまごまとうるはしう、末も尾花のやうにて丈ばかりなりければ、衣の裾にはづれて、袴のそばそばより見ゆるに、わらはべ、若き人々の、根ごめに吹き折られたる、ここかしこに取り集め、起こし立てなどするを、うらやましげに押し張りて、簾に添ひたる後手も、をかし。
 
 

201段(能187):心にくきもの

 
 
 心にくきもの
 

 ものへだてて聞くに、女房とはおぼえぬ手の、しのびやかにをかしげに聞こえたるに、こたへやかやかにして、うちそよめきて参るけはひ。もののうしろ、障子などへだてて聞くに、御膳参るほどにや、箸、匙など、とりまぜて鳴りたる、をかし。ひさげの柄の倒れ伏すも、耳こそとまれ。
 

 よう打ちたる衣のうへに、さわがしうはあらで、髪の振りやられたる、長さおしはからる。いみじうしつらひたる所の、大殿油は参らで、炭櫃などにいとおほくおこしたる火の光ばかり照りみちたるに、御帳の紐などのつややかにうち見えたる、いとめでたし。御簾の帽額、総角などにあげたる鈎のきはやかなるも、けざやかに見ゆ。よく調じたる火桶の、灰の際きよげにて、おこしたる火に、内にかきたる絵などの見えたる、いとをかし。箸のいときはやかにつやめきて、すぢかひたてるもいとをかし。
 

 夜いたくふけて、御前にも大殿籠り、人々みな寝ぬる後、外のかたに殿上人などのものなどいふ、奥に碁石の笥に入るる音あまたたび聞こゆる、いと心にくし。火箸をしのびやかについ立つるも、まだ起きたりけりと聞くも、いとをかし。なほ寝ぬ人は心にくし。
 人の臥したるに、物へだてて聞くに、夜中ばかりなど、うちおどろきて聞けば、起きたるななりと聞こえて、いふことは聞こえず、男もしのびやかにうちわらひたるこそ、何事ならむとゆかしけれ。
 

 また、おはしまし、女房など候ふに、上人、内侍のすけなど、はづかしげなる、参りたる時、御前近く御物語などあるほどは、大殿油も消ちたるに、長炭櫃の火に、もののあやめもよく見ゆ。
 殿ばらなどには、心にくき今参りの、いと御覧ずる際にはあらねど、やや更かしてまうのぼりたるに、うちそよめく衣のおとなひなつかしう、ゐざり出でて御前に候へば、ものなどほのかに仰せられ、子めかしうつつましげに、声のありさま、聞こゆべうだにあらぬほどにいと静かなり。
 女房ここかしこにむれゐつつ、物語うちし、おりのぼる衣のおとなひなど、おどろおどろしからねど、さななりと聞こえたる、いと心にくし。
 

 内裏の局などに、うちとくまじき人のあれば、こなたの火は消ちたるに、かたはらの光の、ものの上などよりとほりたれば、さすがにもののあやめはほのかに見ゆるに、みじかき几帳引き寄せて、いと昼はさしも向かはぬ人なれば、几帳のかたに添ひ臥して、うちかたぶきたる頭つきのよさあしさはかくれざめり。
 

 直衣、指貫など几帳にうちかけたり。六位の蔵人の青色もあへなむ。緑衫はしも、あとのかたにかいわぐみて、暁にもえ探りつけで、まどはせこそせめ。
 

 夏も、冬も、几帳の片つ方にうちかけて人の臥したるを、奥のかたよりやをらのぞいたるもいとをかし。
 

 薫物の香、いと心にくし。
 
 

202段(能 ):五月の長雨の頃

 
 
 五月の長雨の頃、上の御局の小戸の簾に、斉信の中将の寄りゐ給へりし香は、まことにをかしうもありしかな。その物の香ともおぼえず、おほかた雨にもしめりて、艶なるけしきの、めづらしげなきことなれど、いかでかいはではあらむ。またの日まで、御簾にしみかへりたりしを、わかき人などの世に知らず思へる、ことわりなりや。
 
 

203段(能 ):ことにきらきらしからぬ男の

 
 
 ことにきらきらしからぬ男の、たかきみじかきあまたつれだちたるよりも、すこし乗り馴らしたる車のいとつややかなるに、牛飼童、なりいとつきづきしうて、うしのいたうはやりたるを、童はおくるるやうに綱ひかれて遣る。
 

 ほそやかなる男の、末濃だちたる袴、二藍かなにぞ、髪はいかにもいかにも、掻練、山吹など着たるが、沓のいとつややかなる、とうのもと近う走りたるは、なかなか心にくく見ゆ。
 
 

204段(能188):島は

 
 
 島は、やそ島。うき島。たはれ島。ゑ島。松が浦島。豊浦の島。まがきの島。
 
 

205段(能189):浜は

 
 
 浜は うど浜。長浜。吹上の浜。打出の浜。もろよせの浜。千里の浜。広う思ひやらる。
 
 

206段(能190):浦は

 
 
 浦は おほの浦。塩竃の浦。こりずまの浦。名高の浦。
 
 

207段(能115):森は

 
 
 森は うへ木の森。岩田の森。木枯の森。うたた寝の森。岩瀬の森。大荒木の森。たれその森。くるべきの森。立聞の森。よこたての森といふが耳にとまるこそあやしけれ。
 森などいふべくもあらず、ただ一木あるを、なにごとにつけけむ。
 
 

208段(能191):寺は

 
 
 寺は 壺坂。笠置。法輪。霊山は釈迦仏の御住処なるがあはれなるなり。石山。粉河。志賀。
 
 

209段(能192):経は

 
 
 経は 法華経さらなり。普賢十願。千手経。随求経。金剛般若。薬師経。仁王経の下巻。
 
 

210段(能194):仏は

 
 
 仏は 如意輪。千手、すべて六観音。薬師仏。釈迦仏。弥勒。地蔵。文殊。不動尊。普賢。
 
 

211段(能193):ふみは

 
 
 ふみは 文集。文選。新賦。史記。五帝本紀。願文。表。博士の申文。
 
 

212段(能195):物語は

 
 
 物語は、すみよし。うつほ。とのうつり。くにゆづりは、にくし。むもれ木。月待つ女。むめつぼの大将。道心すすむる。松がえ。
 

 こまのの物語は、古かはほりさがし出でてもていきしがをかしきなり。ものうらやみの中将、宰相に子生ませてかたみのきぬなど乞ひたるぞにくき。交野の少将。
 
 

213段(能197):陀羅尼は

 
 
 陀羅尼はあかつき。経はゆふぐれ。
 
 

214段(能198):遊びは

 
 
 遊びは、夜。人の顔見えぬほど。
 
 

215段(能199):遊びわざは

 
 
 遊びわざは 小弓。碁。さまあしけれど、鞠もをかし。
 
 

216段(能200):舞は

 
 
 舞は 駿河舞。求子、いとをかし。太平楽、太刀などぞうたてあれど、いとおもしろし。唐土に敵どちなどして舞ひけむなど聞くに。鳥の舞。抜頭は髪ふりあげたる。まみなどはうとましけれど、楽もなほいとおもしろし。落蹲は二人して膝踏みて舞ひたる。こまがた。
 
 

217段(能201):弾くものは

 
 
 弾くものは 琵琶。調べは風香調。黄鐘調。蘇合の急。鶯の囀りといふ調べ。
 筝の琴いとめでたし。調べはさうふうれん。
 
 

218段(能202):笛は

 
 
 笛は 横笛いみじうをかし。遠うより聞ゆるが、やうやう近うなりゆくもをかし。
 近かりつるがはるかになりて、いとほのかに聞ゆるもいとをかし。車にても、徒歩よりも、馬にても、すべて、ふところにさし入れて持たるも、なにとも見えず、さばかりをかしき物はなし。まして聞き知りたる調子などは、いみじうめでたし。
 暁などに忘れて、をかしげなる、枕のもとにありける見付たるもなほをかし。人のとりにおこせたるをおし包みてやるも、立文のやうに見えたり。
 

 笙の笛は月のあかきに、車などにて聞こえたる、いとをかし。所せる持てあつかひにくくぞ見ゆる。さて、吹く顔やいかにぞ。それは横笛も吹きなしなめりかし。
 

 篳篥はいとかしがましく、秋の虫をいはば、轡虫などの心地して、うたてけぢかく聞かまほしからず。ましてわろく吹きたるはいとにくきに、臨時の祭の日、まだ御前には出でで、もののうしろに横笛をいみじう吹きたてたる、あな、おもしろ、と聞くほどに、なからばかりよりうち添へて吹きのぼりたるこそ、ただいみじう、うるはし髪持たらむ人も、みな立ちあがりぬべき心地すれ。やうやう琴、笛にあはせてあゆみいでたる、いみじうをかし。
 
 

219段(能203):見ものは

 
 
 見ものは 臨時の祭。行幸。祭のかへさ。御賀茂詣で。
 
 

220段(能203):賀茂の臨時の祭

 
 
 賀茂の臨時の祭、空の曇りさむげなるに、雪すこしうち散りて、かざしの花、青摺などにかかりたる、えもいはずをかし。太刀の鞘のきはやかに、黒うまだらにて、しろう見えたるに、半臂の緒のやうしたるやうにかかりたる、地摺の袴のなかより、氷かとおどろくばかりなる打目など、すべていとめでたし。いますこしおほくわたらせまほしきに、使は必ずよき人ならず、受領などなるは目もとまらずにくげなるも、藤の花にかくれたるほどはをかし。なほ過ぎぬる方を見送るに、陪従のしなおくれたる、柳にかざしの山吹わりなく見ゆれど、泥障いとたかううち鳴らして、「賀茂の社のゆふだすき」とうたひたるは、いとをかし。
 
 

221段(能203,能213?):行幸にならぶものはなににかはあらむ

 
 
 行幸にならぶものはなににかはあらむ。御輿に奉るを見奉るには、あけくれ御前に候ひつかうまつるともおぼえず、神々しく、いつくしう、いみじう、つねはなにともみえぬなにつかさ、姫まうちぎみさへぞ、やむごとなくめづらしくおぼゆるや。
 御綱の助の中、少将、いとをかし。近衛の大将、ものよりことにめでたし。近衛司こそなほいとをかしけれ。
 

 五月こそ世に知らずなまめかしきものなりけれ。されど、この世に絶えにたることなめれば、いとくちをし。昔語に人のいふを聞き、思ひあはするに、いかなりけむ。ただその日は菖蒲うち葺き、世の常のありさまだにめでたきをも、殿のありさま、所々の御桟敷どもに、菖蒲葺きわたし、よろづの日とども菖蒲鬘して、あやめの蔵人、かたちよきかぎり選りていだされて、薬玉賜はすれば、拝して腰につけなどしけむほど、いかなりけむ。
 ゑいのすいゑうつりよきもなどうちけむこそ、をこにもをかしうもおぼゆれ。かへらせ給ふ御輿のさきに、獅子、狛犬など舞ひ、あはれさることのあらむ、ほととぎすうち鳴き、ころのほどさへ似るものなかりけむかし。
 

 行幸はめでたきものの、君達、車などのこのましう乗りこぼれて、上下走らせなどするがなきぞくちをしき。さらうなる車のおしわけて立ちなどするこそ、心ときめきはすれ。
 
 

222段(能203):祭のかへさ、いとをかし

 
 
 祭のかへさ、いとをかし。
 昨日はよろづのうるはしくして、一条の大路の広うきよげなるに、日のかげも暑く、車にさし入りたるもまばゆければ、扇してかくし、ゐなほり、ひさしく待つもくるしく、汗などもあへしを、今日はいととくいそぎいでて、雲林院、知足院などのもとに立てる車ども、葵かづらどももうちなびきて見ゆる。
 日は出でたれども、空はなほうち曇りたるに、いみじう、いかで聞かむと、目をさまし起きゐて待たるるほととぎすの、あまたさへあるにやと鳴きひびかすは、いみじうめでたしと思ふに、鶯の老いたる声してかれに似せむとををしううち添へたるこそ、にくけれどまたをかしけれ。
 

 いつしかと待つに、御社のかたより赤衣うち着たる者どもなどのつれだちて来るを、「いかにぞ。ことなりぬや」といへば、「まだ、無期」などいらへ、御輿などもてかへる。かれに奉りておはしますらむもめでたく、けだかく、いかでさる下衆などの近く候ふにか、とぞおそろしき。
 

 はるかげにいひつれど、ほどなく還らせ給ふ。扇よりはじめ、青朽葉どものいとをかしう見ゆるに、所の衆の、青色に白襲をけしきばかりひきかけたるは、卯の花の垣根ちかうおぼえて、ほととぎすもかげにかくれぬべくぞ見ゆるかし。
 

 昨日は車一つにあまた乗りて、二藍のおなじ指貫、あるは狩衣などみだれて、簾解きおろし、もの狂ほしきみまで見えし君達の、斎院の垣下にとて、日の装束うるはしうして、今日は一人づつさうざうしく乗りたる後に、をかしげなる殿上童乗せたるもをかし。
 

 わたり果てぬる、すなはちは心地もまどふらむ、我も我もとあやふくおそろしきまでさきに立たむといそぐを、「かくないそぎそ」と扇をさし出でて制するに、聞きも入れねば、わりなきに、すこしひろき所にてしひてとどめさせて立てる、心もとなくにくしとぞ思ひたるべきに、ひかへたる車どもを見やりたるこそをかしけれ。
 男車の誰とも知らぬが後にひきつづきて来るも、ただなるよりはをかしきに、ひき別るる所にて、「峰にわかるる」といひたるもをかし。なほあかずをかしければ、斎院の鳥居のもとまで行きて見るをりもあり。
 

 内侍の車などのいとさわがしければ、異かたの道より帰れば、まことの山里めきてあはれなるに、うつぎ垣根といふものの、いとあらあらしくおどろおどろしげに、さし出でたる枝どもなどおほかるに、花はまだよくもひらけはてず、つぼみたるがちに見ゆるを折らせて、車のこなたかなたにさしたるも、かづらなどのしぼみたるがくちをしきに、をかしうおぼゆ。いとせばう、えも通るまじう見ゆる行く先を、近う行きもて行けば、さしもあらざりけることをかしけれ。
 
 

223段(能204):五月ばかりなどに山里にありく

 
 
 五月ばかりなどに山里にありく、いとをかし。
 草葉も水もいとあをく見えわたりたるに、上はつれなくて草生ひ茂りたるを、ながながとただざまに行けば、下はえならざりける水の、深くはあらねど、人などのあゆむにはしりがりたる、いとをかし。
 左右にある垣にある、ものの枝などの、車の屋形などにさし入るを、いそぎてとらへて折らむとするほどに、ふと過ぎてはづれたるこそ、いとくちをしけれ。
 

 蓬の車に押しひしがれたりけるが、輪の回りたるに、近くうちかかりたるもをかし。
 
 

224段(能205):いみじう暑きころ

 
 
 いみじう暑きころ、夕すずみといふほど、物のさまなどもおぼめかしきに、男車の前駆追ふはいふべきにもあらず、ただの人も、後の簾あげて、二人も、一人も、乗りて走らせ行くこそすずしげなれ。まして、琵琶かい調べ、笛の音など聞こえたるは、過ぎて往ぬるもくちをし。さやうなるは、牛の鞦の香の、なほあやしう、嗅ぎ知らぬものなれど、をかしきこそもの狂ほしけれ。
 

 いと暗う闇なるに、前にともしたる松の煙の香の、車のうちにかかへたるもをかし。
 
 

225段(能247):五月四日の夕つ方

 
 
 五月四日の夕つ方、青き草おほくいとうるはしく切りて、左右になひて、赤衣着たる男の行くこそをかしけれ。
 
 

226段(能248):賀茂へまゐる道に

 
 
 賀茂へまゐる道に、田植うとて、女のあたらしき折敷のやうなるものを笠に着て、いと多う立ちて歌を歌ふ、折れ伏すやうに、また、何事するとも見えで後ろざまにゆく、いかなるにかあらむ。をかしと見ゆるほどに、ほととぎすをいとなめう歌ふ、聞くにぞ心憂き。「ほととぎす、おれ、かやつよ。おれ鳴きてこそ、我は田植うれ」と歌ふを聞くも、いかなる人か、「いたくな鳴きそ」とは言ひけむ。仲忠が童生ひ言ひ落とす人と、ほととぎす、鴬に劣ると言ふ人こそ、いとつらう、にくけれ。
 
 

227段(能249):八月つごもり

 
 
 八月つごもり、太秦に詣づとて見れば、穂にいでたる田を人いと多く見さわぐは、稲刈るなりけり。早苗取りしかいつのまに、まことにさいつころ賀茂へ詣づとて見しが、あはれにもなりにけるかな。これは男どもの、いと赤き稲の本ぞ青きを持たりて刈る。何にかあらむして本を切るさまぞ、やすげに、せまほしげに見ゆるや。
 

 いかでさすらむ、穂をうち敷きて並みをるも、をかし。庵のさまなど。
 
 

228段(能 ):九月二十日あまりのほど

 
 
 九月二十日あまりのほど、長谷に詣でて、いとはかなき家にとまりしに、いと苦しくて、ただ寝に寝入りぬ。
 

 夜ふけて、月の窓より洩りたりしに、人の臥したりしどもが衣の上に、しろうてうつりなどしたりしこそ、いみじうあはれとおぼえしか。さやうなるをりぞ、人歌よむかし。
 
 

229段(能 ):清水などに参りて

 
 
 清水などに参りて、坂もとのぼるほどに、柴たく香のいみじうあはれなるこそをかしけれ。
 
 

230段(能206):五月の菖蒲の

 
 
 五月の菖蒲の秋冬過ぐるまであるが、いみじうしらみ枯れてあやしきを、ひき折りあげたるに、その折の香の残りてかかへたる、いみじうをかし。
 
 

231段(能207):よくたきしめたる薫物の

 
 
 よくたきしめたる薫物の、昨日、一昨日、今日などは忘れたるに、ひきあげたるに、煙の残りたるは、ただいまの香よりもめでたし。
 
 

232段(能208):月のいと明かきに

 
 
 月のいと明かきに、川を渡れば、牛の歩むままに、水晶などの割れたるやうに、水の散りたるこそをかしけれ。
 
 

233段(能209):おほきにてよきもの

 
 
 おほきにてよきもの 家。餌袋。法師。くだもの。牛。松の木。硯の墨。男の目の細きは女びたり。また、金椀のやうならむもおそろし。火桶。酸漿(ほほづき)。山吹の花。桜の花びら。
 
 

234段(能210):短くてありぬべきもの

 
 
 短くてありぬべきもの とみのもの縫ふ糸。下衆女の髪。人のむすめの声。灯台。
 
 

235段(能211):人の家につきづきしきもの

 
 
 人の家につきづきしきもの 肱折りたる廊。円座。三尺の几帳。おほきやかなる童女。よきはしたもの。
 

 侍の曹司。折敷。懸盤。中の盤。おはらき。衝立障子。かき板。装飾よくしたる餌袋。からかさ。棚厨子。提子。銚子。
 
 

236段(能212):ものへ行く路に

 
 
 ものへ行く路に、きよげなる男のほそやかなるが、立文もちていそぎ行くこそ、いづちならむと見ゆれ。
 

 また、きよげなるわらはべなどの、衵どものいとあざやかなるにはあらで、なえばみたるに、屐子のつややかなるが歯に土おほくつきたるを履きて、白き紙におほきに包みたる物、もしは箱の蓋に草子どもなど入れて持ていくこそ、いみじう、呼びよせて見まほしけれ。
 

 門近くなる所の前わたりを呼び入るるに、愛敬なく、いらへもせでいく者は、使ふらむ人こそおしはからるれ。
 
 

237段(能214):よろづのことよりも

 
 
 よろづのことよりも、わびしげなる車に装束わるくて物見る人、いともどかし。
 説経などはいとよし。罪うしなふことなれば。それだになほあながちなるさまにては見苦しきに、まして祭などは見でありぬべし。下簾なくて、白き単の袖などをうち垂れてあめりかし。ただその日の料と思ひて、車の簾もしたてて、いとくちをしうはあらじと出でたるに、まさる車などを見つけては、なにしにとおぼゆるものを、まいて、いかばかりなる心にて、さて見るらむ。
 

 よき所に立てむといそがせば、とく出でて待つほど、ゐ入り、立ち上がりなど、暑く苦しきに困ずるほどに、斎院の垣下に参りける殿上人、所の衆、弁、少納言など、七つ八つとひきつづけて、院の方より走らせてくるこそ、ことなりにけりとおどろかれてうれしけれ。
 

 物見の所の前に立てて見るも、いとをかし。殿上人ものいひにおこせなどし、所の御前どもに水飯食はすとて、階のもとに馬引き寄するに、おぼえある人の子どもなどは、雑色など下りて馬の口とりなどしてをかし。さらぬ者の見も入れられぬなどぞいとほしげなる。
 

 御輿のわたらせ給へば、轅どもあるかぎりうちおろして、過ぎさせ給ひぬれば、まどひあぐるもをかし。その前に立つる車はいみじう制するを、「などて立つまじき」とてしひて立つれば、いひわづらひて、消息などするこそをかしけれ。
 所もなく立ちかさなりたるに、よきところの御車、人だまひひきつづきておほく来るを、いづこだに立たむとすらむと見るほどに、御前どもただ下りに下りて、立てる車どもをただのけにのけさせて、人だまひまで立てつづけさせつるこそ、いとめでたけれ。
 追ひさけさせつる車どもの、牛かけて所あるかたにゆるがしゆくこそ、いとわびしげなれ。きらきらしくよきなどをば、いとさしもおしひしがず。
 

 いときよげなれど、またひなび、あやしき下衆など絶えず呼び寄せ、いだし据ゑなどしたるもあるぞかし。
 
 

238段(能215):細殿にびんなき人なむ

 
 
 「細殿にびんなき人なむ、暁にかささして出でける」といひ出でたるを、よく聞けば、わがうえなりけり。
 地下などいひても、目やすく、人にゆるさるばかりの人にもあらざなるを、あやしのことやと思ふほどに、上より御文持て来て、「返りごと、ただいま」と仰せられたり。
 なにごとにかとて見れば、大がさの絵をかきて、人は見えず、ただ手の限り笠をとらへさせて、下に、
 

♪A
  山の端明けし あしたより
 

と書かせ給へり。
 なほはかなきことにても、ただめでたくのみおぼえさせ給ふに、はづかしく心づきなきことは、いかでか御覧ぜられじと思ふに、かかるそら言のいでくる、くるしけれど、をかしくて、こと紙に雨をいみじう降らせて、下に、
 

♪B
  ならぬ名の 立ちにけるかな
 

さてや、「ぬれ衣にはなり侍らむ」と啓したれば、右近の内侍などに語らせ給ひて、笑はせ給ひけり。
 
 

239段(能216):三条の宮におはします頃

 
 
 三条の宮におはします頃、五日の菖蒲の輿などもて参り、薬玉参らせなどす。
 

 若き人々、御匣殿など、薬玉して姫宮、若宮に着けて奉らせ給ふ。いとをかしき薬玉ども、ほかより参らせたるに、青ざしといふ物を持て来たるを、あをき薄様を艶なる硯の蓋に敷きて、「これ、ませ越しに候ふ」とて参らせたれば、
 

♪23
  みな人の 花や蝶やと いそぐ日も
  わが心をば 君ぞ知りける
 

この紙の端をひき破らせ給ひて書かせ給へる、いとめでたし。
 
 

240段(能99):御乳母の大輔の命婦

 
 
 御乳母の大輔の命婦、日向へくだるに、賜はする扇どもの中に、片つ方は日いとうららかにさしたる田舎の館などおほくして、いま片つ方は京のさるべき所にて、雨いみじう降りたるに、
 

♪24
  あかねさす 日に向かひても 思ひ出でよ
  都は晴れぬ ながめすらむと
 

御手にて書かせ給へる、いみじうあはれなり。さる君を見おき奉りてこそえ行くまじけれ。
 
 

241段(能281?):清水へこもりたりしに

 
 
 清水へこもりたりしに、わざと御使して賜はせたりし、唐の紙のあかみたるに、草にて、「
 

♪25
  山ちかき 入相の鐘の 声ごとに
  恋ふる心の 数は知るらむ
 

ものを、こよなの長居や」とぞ書かせ給へる。紙などのなのめげならぬも、とり忘れたる旅にて、むらさきなる蓮の花びらに書きてまゐらす。
 
 

242段(能223):駅は

 
 
 駅は 梨原。望月の駅。山は駅は、あはれなりしことを聞きおきたりしに、またもあはれなることのありしかば、なほとりあつめてあはれなり。
 
 

243段(能225):社は

 
 
 社は 布留の社。生田の社。旅の御社。花ふちの社。杉の御社は、しるしやあらむとをかし。ことのままの明神、いとたのもし。「さのみ聞きけむ」とやいはれ給はむ、と思ふぞいとほしき。
 
 

244段(能225):蟻通の明神

 
 
 蟻通の明神、貫之が馬のわづらひけるに、この明神の病ませ給ふとて、歌よみ奉りけむ、いとをかし。
 

 この蟻通しとつけけるは、まことにやありけむ、昔おはしましける帝の、ただ若き人をのみおぼしめして、四十になりぬるをば、失はせ給ひければ、人の国の遠きに行き隠れなどして、さらに都のうちにさる者のなかりけるに、中将なりける人の、いみじう時の人にて、心などもかしこかりけるが、七十近き親二人を持たるに、かう四十をだに制することに、まいておそろし、とおぢさわぐに、いみじく孝なる人にて、遠き所に住ませじ、一日に一たび見ではえあるまじとて、みそかに家のうちの地を掘りて、そのうちに屋をたてて、こめ据ゑて、いきつつ見る。人にも、おほやけにも、失せかくれたる由を知らせてあり。などか、家に入りゐたらむ人をば知らでもおはせかし。うたてありける世にこそ。この親は上達部などにはあらむにやありけむ、中将などを子にて持たりけるは。心いとかしこう、よろづのこと知りたりければ、この中将もわかけれど、いと聞こえあり、いたりかしこくして、時の人におぼすなりけり。
 

 唐土の帝、この国の帝を、いかで謀りてこの国討ち取らむとて、常にこころみごとをし、あらがひごとをしておそり給ひけるに、つやつやとまろにうつくしげに削りたる木の二尺ばかりあるを、「これが本末いづかた」と問ひに奉れたるに、すべて知るべきやうなければ、帝おぼしめしわづらひたるに、いとほしくて、親のもとにいきて、「かうかうの事なむある」といへば、「ただ、速からむ川に、立ちながら横さまに投げ入れて、返りて流れむかたを末としるして遣はせ」と教ふ。
 参りて我が知り顔にて、「さて、試み侍らむ」とて、人と具して、投げ入れたるに、先にしていくかたにしるしをつけて遣はしたれば、まことにさなりけり。
 

 また、二尺ばかりなるくちなはの、ただおなじ長さなるを、「これが男女」とて奉れり。また、さらに人え見知らず。例の、中将来て問へば、「二つを並べて、尾のかたにほそきすばえをしてさし寄せむに、尾はたらかさむを女と知れ」といひける、やがて、それは内裏のうちにてさしけるに、まことに一つは動かず、一つは動かしければ、またさるしるしつけて、遣はしけり。
 

 ほどひさしくして、七曲にわだかまりたる玉の、中通りて左右に口あきたるがちひさきを奉りて、「これに緒通して賜はらむ。この国にみなしみなし侍る事なり」とて奉りたるに、「いみじからむものの上手、不用なり」と、そこらの上達部、殿上人、世にありとある人いふに、また行きて、「かくなむ」といへば、「大きなる蟻をとらへて、二つばかりが腰にほそき糸をつけて、またそれに、いますこしふときをつけて、あなたの口に蜜を塗りて見よ」といひければ、さ申して、蟻を入れたるに、蜜の香をかぎて、まことにいととくあなたの口より出でにけり。さて、その糸の貫かれたるを遣はして後になむ、「日の本の国はかしこかりけり」とて、後にさる事もせざりける。
 

 この中将をいみじき人におぼしめして、「なにわざをし、いかなる官位をか賜ふべき」と仰せられければ、「さらに官もかうぶりも賜はらじ。ただ老いたる父母のかくれうせて侍るたづねて、都に住まする事を許させ給へ」と申しければ、「いみじうやすき事」とてゆるされければ、よろづの人の親これを聞きてよろこぶこといみじかりけり。
 中将は上達部、大臣になさせ給ひてなむありける。
 

 さて、その人の神になりたるにやあらむ、その神の御もとにまうでたりける人に、夜現れて宣へりける、
 

♪26
  七曲に まがれる玉の 緒をぬきて
  ありとほしとは 知らずやあるらむ
 

と宣へりける、と人の語りし。
 
 

245段(能241):一条の院をば今内裏とぞいふ

 
 
 一条の院をば今内裏とぞいふ。おはします殿は清涼殿にて、その北なる殿におはします。西東は渡殿にて、わたらせ給ひ、まうのぼらせ給ふ道にて、前は壺なれば、前裁植ゑ、笹結ひて、いとをかし。
 

 二月二十日ばかりのうらうらとのどかに照たるに、渡殿の西の廂にて、上の御笛吹かせ給ふ。高遠の兵部卿御笛の師にてものし給ふを、御笛二つして、高砂ををりかへして吹かせ給ふは、なほいみじうめでたしといふも世の常なり。御笛のことどもなど奏し給ふ、いとめでたし。御簾のもとに集まり出でて、見奉る折は、「芹摘みし」などおぼゆることこそなけれ。
 

 すけただは木工の允にてぞ蔵人にはなりたる。いみじくあらあらしくうたてあれば、殿上人、女房、「あらはこそ」とつけたるを、歌に作りて、「さうなしの主、尾張人の種にぞありける」と歌ふは、尾張の兼時がむすめの腹なりけり。これを御笛に吹かせ給ふを、そひに候ひて、「なほ高く吹かせおはしませ。え聞き候はじ」と申せば、「いかが。さりとも、聞き知りなむ」とて、みそかにのみ吹かせ給ふに、あなたよりわたりおはしまして、「かの者なかりけり。ただ今こそ吹かめ」と仰せられて吹かせ給ふは、いみじうめでたし。
 
 

246段(能242):身をかへて、天人などは

 
 
 身をかへて、天人などはかうやあらむと見ゆるものは、ただの女房にて候ふ人の、御乳母になりたる。唐衣も着ず、裳をだにも、よういはば着ぬさまにて御前に添ひ臥し、御帳のうちを居所にして、女房どもを呼びつかひ、局にものをいひやり、文をとりつがせなどしてあるさま、いひつくすべくもあらず。
 

 雑色の蔵人になりたる、めでたし。去年の十一月の臨時の祭に御琴を持たりしは、人とも見えざりしに、君達とつれだちてありくは、いづこなる人ぞとおぼゆれ。ほかよりなりたるなどは、いとさしもおぼえず。
 
 

247段(能243):雪高う降りて

 
 
 雪高う降りて、今もなほ降るに、五位も四位も、色うるはしうわかやかなるが、上のきぬの色いときよらにて、かはのおびのかたつきたるを、宿直姿にて、ひきはこえて、紫の指貫も雪に冴え映えて、濃さまさりたるを着て、衵の紅ならずは、おどろおどろしき山吹を出だして、からかさをさしたるに、風のいたう吹きて橫さまに雪を吹きかくれば、少しかたぶけて歩み来るに、深き履、半靴などのはばきまで雪のいと白うかかりたるこそをかしけれ。
 
 

248段(能244):細殿の遣戸を

 
 
 細殿の遣戸をいととうおしあけたれば、御湯殿に馬道より下りて来る殿上人、なえたる直衣、指貫などの、いみじうほころびたれば、色々の衣どものこぼれ出でたるを押し入れなどして、北の陣ざまにあゆみ行くに、あきたる戸の前を過ぐとて、纓をひき越して顔にふたぎていぬるもをかし。
 
 

249段(能224):岡は

 
 
 岡は 船岡。片岡。鞆岡は、笹の生ひたるがをかしきなり。かたらひの岡。人見の岡。
 
 

250段(能226):降るものは

 
 
 降るものは 雪。霰。霙はにくけれど、白き雪のまじりて降る、をかし。
 
 

251段(能226):雪は

 
 
 雪は、檜皮葺、いとめでたし。すこし消え方になりたるほど。また、いと多うも降らぬが、瓦の目ごとに入りて、黒うまろに見えたる、いとをかし。
 

 時雨、霰は 板屋。霜も、板屋。庭。
 
 

252段(能227):日は

 
 
 日は 入日。入り果てぬる山の端に、光のなほとまりて、赤う見ゆるに、薄黄ばみたる雲のたなびきわたりたる、いとあはれなり。
 
 

253段(能228):月は

 
 
 月は 有明の東の山際に細くて出づるほど、いとあはれなり。
 
 

254段(能229):星は

 
 
 星は すばる。彦星。夕づつ。よばひ星、少しをかし。尾だになからばしかば、まいて。
 
 

255段(能230):雲は

 
 
 雲は 白き。紫。黒きもをかし。風吹くをりの雨雲、あけはなるるほどの黒き雲のやうやう消えて白うなりゆくもをかし。「朝にさる色」とかや、ふみにもつくりたなる。月のいとあかきおもてにうすき雲、あはれなり。
 
 

256段(能231):さわがしきもの

 
 
 さわがしきもの 走り火。板屋の上にて烏の齋の生飯食ふ。十八日に、清水にこもりあひたる。暗うなりて、まだ火をともさぬほどに、ほかより人の来あひたる。まいて、遠き所の人の国などより、家の主の上りたる、いとさわがし。近きほどに火出で来ぬといふ。されど、燃えはつかざりけり。
 
 

257段(能232):ないがしろなるもの

 
 
 ないがしろなるもの 女官どもの髪上げ姿。唐絵の革の帯のうしろ。聖のふるまひ。
 
 

258段(能233):ことばなめげなるもの

 
 
 ことばなめげなるもの 宮のべの祭文読む人。舟漕ぐ者ども。雷鳴の陣の舎人。相撲。。
 
 

259段(能234):さかしきもの

 
 
 さかしきもの 今様の三歳児。ちごの祈りし、腹などとる女。
 

 ものの具ども請ひ出でて、祈り物作る、紙をあまたおし重ねて、いとにぶき刀して切るさまは、一重だに断つべくもあらぬに、さるものの具となりにければ、おのが口をさへひきゆがめておし切り、目多かるものどもして、かけ竹うち割りなどして、いと神々しうしたてて、うち振るひ祈ることども、いとさかし。
 かつは、「なにの宮、その殿の若君、いみじうおはせしを、かい拭ひたるやうにやめたてまつりしかば、禄を多く賜りしこと。その人かの人召したりけれど、験なかりければ、いまに嫗をなむ召す。御徳をなむ見る」など語りをる顔もあやし。
 

 下衆の家の女あるじ。痴れたる者、それしもさかしうて、まことにさかしき人を教へなどすかし。
 
 

260段(能245):ただ過ぎに過ぐるもの

 
 
 ただ過ぎに過ぐるもの 帆かけたる舟。人のよはひ。春、夏、秋、冬。
 
 

261段(能246):ことに人に知られぬるもの

 
 
 ことに人に知られぬるもの 凶会日。人の女親の老いにたる。
 
 

262段(能27):文ことばなめき人こそ

 
 
 文ことばなめき人こそいとどにくけれ。世をなのめに書き流したることばのにくきこそ。さるまじき人のもとに、あまりかしこまりたるも、げにわろきことぞ。されど、我が得たらむはことわり、人のもとなるさへにくくこそあれ。おほかたさし向かひても、なめきは、などかく言ふらむとかたはらいたし。まいて、よき人などをさ申す者はいみじうねたうさへあり。田舎びたる者などの、さあるは、をこにていとよし。
 

 男主などのなめく言ふ、いとわるし。我が使ふ者などの、「なにとおはする」「宣ふ」など言ふ、いとにくし。ここもとに「侍り」などいふ文字をあらせばやと聞くこそ多かれ。さも言ひつべき者には、「あな似げな、愛敬な、などかう、このことばはなめき」と言へば、聞く人も言はるる人も笑ふ。かうおぼゆればにや、「あまり見そす」など言ふも、人わろきなるべし。
 

 殿上人、宰相などを、ただ名のる名を、いささかつつましげならず言ふは、いとかたはなるを、きようさ言はず、女房の局なる人をさへ、「あの御もと」「君」など言へば、めづらかにうれしと思ひて、ほむることぞいみじき。
 

 殿上人、君達、御前よりほかにては官をのみ言ふ。また、御前にてはおのがどちものを言ふとも、聞こしめすには、などてか「まろが」など言はむ。さ言はむにかしこく、いはざらむにわろかるべきことかは。
 
 

263段(能250):いみじうきたなきもの

 
 
 いみじうきたなきもの なめくぢ。えせ板敷の帚のすゑ。殿上の合子。
 
 

264段(能251):せめておそろしきもの

 
 
 せめておそろしきもの 夜鳴る神。近き隣に盗人の入りたる。わが住む所に来たるは、ものもおぼえねばなにとも知らず。近き火、またおそろし。
 
 

265段(能252):たのしきもの

 
 
 たのしきもの 心地あしきころ、伴僧あまたして修法しある。心地などのむつかしきころ、まことまことしき思ひ人のいひなぐさめたる。
 
 

266段(能253):いみじうしたたてて婿とりたるに

 
 
 いみじうしたたてて婿とりたるに、ほどもなく人の婿になりて、ただ一月ばかりも、はかばかしう来でやみにしかば、すべていみじういひさわぎ、乳母などやうの者は、まがまがしきことなどいふもあるに、そのかへる正月に蔵人になりぬ。
 「『あさましう、かかるならひには、いかで』とこそ人は思ひたれ」など、いひあつかふは聞くらむかし。
 

 六月に人の八講し給ふ所に、人々あつまりて聞きしに、蔵人になれる婿の、れうの表の袴、黒半臂などいみじうあざやかにて、忘れにし人の車の鴟の尾といふものに、半臂の緒をひきかけつばかりにてゐたりしを、いかに見るらむと、車の人々も知りたるかぎりはいとほしがりしを、こと人々も、「つれなくゐたりしものかな」など、後にもいひき。
 

 なほ、男は、もののいとほしさ、人の思はむことは知らぬなめり。
 
 

267段(能 ):世の中になほいと心うきものは

 
 
 世の中になほいと心うきものは、人ににくまれむことこそあるべけれ。たれてふ物狂ひか、われ人にさ思はれむとは思はむ。されど、自然に宮仕へ所にも、親、はらからの中にても、思はるる思はれぬがあるぞいとわびしきや。
 

 よき人の御ことはさらなり、下衆などのほども、親などのかなしうする子は、目たて耳たてられて、いたはしうこそおぼゆれ。見るかひあるは理、いかが思はざらむとおぼゆ。異なることなきは、また、これをかなしと思ふらむは、親なればぞかしとあはれなり。
 

 親にも、君にも、すべて、うち語らふ人にも、人に思はれむばかりめでたきことはあらじ。
 
 

268段(能 ):男こそ、なほいとありがたく

 
 
 男こそ、なほいとありがたくあやしき心地したるものはあれ。いときよげなる人を捨てて、にくげなる人を持たるもあやしかし。おほやけ所に入りたちする男、家の子などは、あるがなかによからむことをこそは、選りて思ひ給はめ。およぶまじからむ際をだに、めでたしと思はむを、死ぬばかりも思ひかかれかし。人のむすめ、まだ見ぬ人などをも、よしと聞くをこそは、いかでとも思ふなれ。かつ女の目にもわろしと思ふを思ふは、いかなることにかあらむ。
 かたちいとよく、心もをかしき人の、手もよう書き、歌もあはれに詠みて、うらみおこせなどするを、返り事はさかしらにうちするものから、よりつかず、らうたげにうちなげきてゐたるを、見捨てていきなどするは、あさましう、おほやけ腹立ちて、見証の心地も心憂く見ゆべけれど、身の上にては、つゆ心苦しさを思ひ知らぬよ。
 
 

269段(能 ):よろづのことよりも情けあるこそ

 
 
 よろづのことよりも情けあるこそ、男はさらなり、女もめでたくおぼゆれ。なげのことばなれど、せちに心に深く入らねど、いとほしきことをば「いとほし」とも、あはれなるをば「げにいかに思ふらむ」などいひけるを、伝へて聞きたるは、さしむかひて言ふよりもうれし。いかでこの人に、思ひ知りけりとも見えにしがな、と常にこそおぼゆれ。
 

 かならず思ふべき人、とふべき人は、さるべきことなれば、とり分かれしもせず。さもあるまじき人の、さしいらへをもうしろやすくしたるは、うれしきわざなり。いとやすきことなれど、さらにえあらぬことぞかし。
 

 おほかた心よき人の、まことにかどなからぬは、男も女もありがたきことなめり。また、さる人多かるべし。
 
 

270段(能 ):人のうへいふを

 
 
 人のうへいふを腹立つ人こそいとわりなけれ。いかでかいはではあらむ。わが身をばさしおきて、さばかりもどかしくいはまほしきものやはある。されど、けしからぬやうにもあり、また、おのづから聞きつけて、うらみもぞする、あいなし。
 

 また、思ひはなつまじきあたりは、いとほしなど思ひ解けば、念じていはぬをや。さだになくば、うちいで、わらひもしつべし。
 
 

271段(能312):人の顔に

 
 
 人の顔に、とり分きてよしと見ゆる所は、たびごとに見れども、あなをかし。めづらしきとこそおぼゆれ。絵など、あまたたび見れば、目もたたずかし。近う立てたる屏風の絵などは、いとめでたけれども、見も入れられず。
 

 人のかたちはをかしうこそあれ。にくげなる調度の中にも、一つよき所のまもらるるよ。みにくきもさこそはあらめと思ふこそわびしけれ。
 
 

272段(能 ):古代の人の指貫着たるこそ

 
 
 古代の人の指貫着たるこそ、いとたいだいしけれ。前にひき当てて、まづ裾をみな籠め入れて、腰はうち捨てて、衣の前をととのへはてて、腰をおよびてとるほどに、うしろざまに手をさしやりて、猿の手結はれたるやうにほどき立てるは、とみのことにいでたつべくも見えざめり。
 
 

273段(能217):十月十よ日の月の

 
 
 十月十よ日の月のいとあかきにありきて、女房十五六人ばかり、みな濃き衣を上に着て、ひき返しつつありしに、中納言の君の、くれなゐのはりたるを着て、頸よりかみをかき越し給へりしが、あたらし、そとには、いともよく似たりしかな。「ひひなのすけ」とぞ、若き人々つけたりし。後に立ちて笑ふも知らずかし。
 
 

274段(能 ):成信の中将こそ

 
 
 成信の中将こそ、人の声はいみじうよう聞き知り給ひしか。おなじ所の人の声などは、つねに聞かぬ人はさらにえ聞き分かず。ことに男は人の声をも手をも、見分き聞き分かぬものを、いみじうみそかなるも、かしこう聞き分き給ひしこそ。
 
 

275段(能218):大蔵卿ばかり

 
 
 大蔵卿ばかり耳とき人はなし。まことに、蚊のまつげの落つるをも聞きつけ給ひつべうこそありしか。
 

 職の御曹司の西面に住みしころ、大殿の新中将宿直にて、ものなど言ひしに、そばにある人の、「この中将に、扇の絵のこと言へ」とささめけば、「いま、かの君の立ち給ひなむにを」といとみそかに言ひ入るるを、その人だにえ聞きつけで、「何とか、何とか」と耳をかたぶけ来るに、遠くゐて、「にくし。さ宣はば、今日は立たじ」と宣ひしこそ、いかで聞きつけ給ふらむとあさましかりしか。
 
 

276段(能254):うれしきもの

 
 
 うれしきもの。まだ見ぬ物語の一を見て、いみじうゆかしとのみ思ふが残り見出でたる。さて、心劣りするやうもありかし。
 

 人の破り捨てたる文を継ぎて見るに、同じ続きをあまたくだり見続けたる。いかならむと思ふ夢を見て、恐ろしと胸つぶるるに、ことにもあらず合はせなしたる、いとうれし。
 

 よき人の御前に人々あまた候ふをり、昔ありけることにもあれ、今聞こしめし、世に言ひけることにもあれ、語らせ給ふを、我に御覧じ合はせて宣はせたる、いとうれし。
 

 遠き所はさらなり、同じ都のうちながらも隔たりて、身にやむごとなく思ふ人のなやむを聞きて、いかにいかにと、おぼつかなきことを嘆くに、おこたりたる由、消息聞くも、いとうれし。
 

 思ふ人の人にほめられ、やむごとなき人などの、くちをしからぬ者におぼし宣ふ。もののをり、もしは、人と言ひかはしたる歌の聞こえて、打聞などに書き入れらるる。みづからの上にはまだ知らぬことなれど、なほ思ひやるよ。
 

 いたううち解けぬ人の言ひたる古き言の、知らぬを聞きいでたるもうれし。のちに物の中などにて見出でたるは、ただをかしう、これにこそありけれと、かの言ひたりし人ぞをかしき。
 

 みちのくに紙、ただのも、よき得たる。はづかしき人の、歌の本末問ひたるに、ふとおぼえたる、我ながらうれし。常におぼえたることも、また人の問ふに、清う忘れてやみぬるをりぞ多かる。とみにて求むるもの見出でたる。
 

 物合、なにくれといどむことに勝ちたる、いかでかうれしからざらむ。また、我はなど思ひてしたり顔なる人はかり得たる。女どちよりも、男はまさりてうれし。これが答は必ずせむと思ふらむと、常に心づかひせらるるもをかしきに、いとつれなく、なにとも思ひたらぬさまにてたゆめ過ぐすも、またをかし。にくき者のあしきめ見るも、罪や得らむと思ひながら、またうれし。
 

 ものの折に衣打たせてやりて、いかならむと思ふに、きよらにて得たる。刺櫛すらせたるに、をかしげなるもまたうれし。またも多かるものを。
 

 日ごろ、月ごろ、しるきことありて、なやみわたるが、おこたりぬるもうれし。思ふ人の上は、我が身よりもまさりてうれし。
 

 御前に人々所もなくゐたるに、今のぼりたるは、少し遠き柱もとなどにゐたるを、とく御覧じつけて、「こち」と仰せらるれば、道あけて、いと近う召し入れられたるこそうれしけれ。
 
 

277段(能255):御前にて人々とも、また

 
 
 御前にて人々とも、また、もの仰せらるるついでなどにも、
 「世の中の腹立たしう、むつかしう、片時あるべき心地もせで、ただいづちもいづちも行きもしなばやと思ふに、ただの紙のいと白うきよげなるに、よき筆、白き色紙、みちのくに紙など得つれば、こよなうなぐさみて、さはれ、かくてしばしも生きてありぬべかんめりととなむおぼゆる。また、高麗縁の、筵青うこまやかに厚きが、縁の紋いとあざやかに、黒う白う見えたるをひきひろげて見れば、なにか、なほこの世は、さらにさらにえ思ひ捨つまじと、命さへ惜しくなんなる」と申せば、
 「いみじくはかなきことにもなぐさむるかな。姨捨山の月は、いかなる人の見けるにか」など笑はせ給ふ。候ふ人も、「いみじうやすき息災の祈りななり」などいふ。
 

 さてのち、ほど経て、心から思ひみだるることありて里にある頃、めでたき紙二十を包みて賜はせたり。仰せごとには、「とくまゐれ」など宣はせで、「これはきこしめしおきたることのありしかばなむ。わろかめれば、寿命経もえ書くまじげにこそ」と仰せられたる、いみじうをかし。思ひ忘れたりつることをおぼしおかせ給へりけるは、なほただ人にてだにをかしかべし。まいて、おろかなるべきことにぞあらぬや。
 心もみだれて、啓すべきかたもなければ、ただ、「
 

♪27
  かけまくも かしこき神の しるしには
  鶴のよはひと なりぬべきかな
 

あまりにやと啓せさせ給へ」とて参らせつ。
 台盤所の雑仕ぞ、御使には来たる。青き綾の単などして、まことに、この紙を草子に作りなどもてさわぐに、むつかしきこともまぎるる心地して、をかしと心のうちにおぼゆ。
 

 二日ばかりありて、赤衣着たる男、畳を持て来て、「これ」といふ。
 「あれは誰そ。あらはなり」など、ものはしたなくいへば、さし置きて往ぬ。
 「いづこよりぞ」と問はすれど、「まかりにけり」とて、とり入れたれば、ことさらに御座といふ畳のさまにて、高麗など、いときよらなり。
 心のうちには、さにやあらむなんど思へど、なほおぼつかなさに、人々いだして求むれど、失せにけり。あやしがりいへど、使のなければいふかひなくて、所違へなどならば、おのづからまたいひに来なむ、宮の辺に案内しに参らまほしけれど、さもあらずは、うたてあべし、と思へど、なほ誰か、すずろにかかるわざはせむ、仰せごとなめり、といみじうをかし。
 

 二日ばかり音もせねば、うたがひなくて、右京の君のもとに、「かかることなむある。さることやけしき見給ひし。忍びてありさま宣へ。さること見えずは、かう申したりとな散らし給ひそ」といひやりたるに、「いみじう隠させ給ひしことなり。ゆみゆめまろが聞こえたると、な口にも」とあれば、さればよと思ふもしるく、をかしうて、文を書きて、またみそかに御前の勾欄におかせしものは、まどひけるほどに、やがてかけ落として、御階の下に落ちにけり。
 
 

278段(能256):関白殿、二月二十一日に

 
 
 関白殿、二月二十一日に法興院の積善寺といふ御堂にて一切経供養ぜさせ給ふに、女院もおはしますべければ、二月一日のほどに、二条の宮へ出でさせ給ふ。ねぶたくなりにしかば、なに事も見入れず。
 

 つとめて、日のうららかにさし出でたるほどに起きたれば、白う新しうをかしげに造りたるに、御簾よりはじめて、昨日掛けたるなめり。御しつらひ、獅子狛犬など、いつのほどにか入りゐけむとぞをかしき。桜の一丈ばかりにて、いみじう咲きたるやうにて、御階のもとにあれば、いととく咲きにけるかな、梅こそただ今はさかりなれ、と見ゆるは、造りたるなりけり。すべて、花のにほひなどつゆまことにおとらず。いかにうるかさりけむ。雨降らばしぼみなむかしと思ふぞくちをしき。小家などいふもの多かりける所を、今造らせ給へれば、木立など見所あることもなし。ただ、宮のさまぞ、けぢかうをかしげなる。
 

 殿わたらせ給へり。青鈍の固紋の御指貫、桜の御直衣にくれなゐの御衣三つばかりを、ただ御直衣にひき重ねてぞたてまつりたる。御前よりはじめて、紅梅の濃き薄き織物、固紋、無紋などを、あるかぎり着たれば、ただ光り満ちて見ゆ。唐衣は、萌黄、柳、紅梅などもあり。
 

 御前にゐさせ給ひて、ものなど聞こえさせ給ふ。御いらへなどのあらまほしさを、里なる人などにはつかに見せばやと見奉る。女房など御覧じわたして、
 「宮、なにごとをおぼしめすらむ。ここらめでたき人々を据ゑ並めて御覧ずるこそはうらやましけれ。一人わるきかたちなしや。これみな家々のむすめどもぞかし。あはれなり、ようかへりみてこそ候はせ給はめ。さても、この宮の御心をば、いかに知り奉りて、かくは参り給へるぞ。いかにいやしくもの惜しみせさせ給ふ宮とて、我は宮の生まれさせ給ひしより、いみじう仕うまつれど、まだおろしの御衣一つ賜はらず。何か、しりう言には聞こえむ」など宣ふがをかしければ、笑ひぬれば、
 「まことぞ。をこなりと見てかくわらひいまするがはづかし」など宣はするほどに、内より式部の丞なにがしが参りたり。
 

 御文は、大納言殿とりて殿に奉らせ給へば、ひき解きて、「ゆかしき御文かな。ゆるされ侍らば、あけて見侍らむ」とは宣はすれど、「あやふしとおぼいためり。かたじけなくもあり」とて奉らせ給ふを、とらせ給ひても、ひろげさせ給ふやうにもあらずもてなさせ給ふ、御用意ぞありがたき。
 

 御簾の内より女房褥さし出でて、三四人御几帳のもとにゐたり。
 「あなたにまかりて、禄のことものし侍らむ」とて立たせ給ひぬるのちぞ、御文御覧ずる。
 御返し、紅梅の薄様に書かせ給ふが、御衣のおなじ色ににほひ通ひたる、なほ、かくしもおしはかり参らする人はなくやあらむとぞくちをしき。今日のはことさらにとて、殿の御方より禄は出させ給ふ。女の装束に紅梅の細長添へたり。肴などあれば、酔はさまほしけれど、「今日はいみじきことの行事に侍り。あが君、許させ給へ」と、大納言殿にも申して立ちぬ。
 

 君など、いみじく化粧じ給ひて、紅梅の御衣ども、おとらじと着給へるに、三の御前は、御匣殿、中姫君よりもおほきに見え給ひて、上など聞こえむにぞよかめる。
 

 上もわたり給へり。御几帳ひき寄せて、あたらしう参りたる人々には見え給はねば、いぶせき心地す。
 

 さしつどひて、かの日の装束、扇などのことをいひあへるもあり。また、挑み隠して、「まろは、なにか。ただあらむにまかせてを」などいひて、「例の、君の」など、にくまる。夜さりまかづる人多かれど、かかるをりのことなれば、えとどめさせ給はず。
 

 上、日々にわたり給ひ、夜もおはします。君たちなどおはすれば、御前、人ずくなならでよし。御使日々に参る。
 

 御前の桜、露に色はまさらで、日などにあたりてしぼみ、わろくなるだにくちをしきに、雨の夜降りたるつとめて、いみじくむとくなり。いととう起きて「泣きて別れけむ顔に心おとりこそすれ」といふを聞かせ給ひて、「げに編め降るけはひしつるぞかし。いかならむ」とて、おどろかせ給ふほどに、殿の御かたより侍の者ども、下衆など、あまた来て、花の下にただ寄りに寄りて、ひき倒しとりてみそかに行く。
 「まだ暗からむにとこそ仰せられつれ。明け過ぎにけり。ふびんなるわざかな。とくとく」と倒しとるに、いとをかし。
 「『いはばいはなむ』と、兼澄がことを思ひたるにや」とも、よき人ならばいはまほしけれど、「彼の花盗むは誰ぞ。あしかめり」といへば、いとど逃げて、引きもて往ぬ。なほ御心はをかしうおはすかし。枝どももぬれまつはれつきて、いかにびんなきかたちならましと思ふ。ともかくもいはで入りぬ。
 

 掃部司参りて、御格子参る。主殿の女官御きよめなどに参りはてて、起きさせ給へるに、花もなければ、「あな、あさまし。あの花どもはいづち往ぬるぞ」と仰せらる。
 「あかつきに『花盗人あり』といふなりつるを、なほ枝などすこしとるにやとこそ聞きつれ。誰がしつるぞ、見つや」と仰せらる。
 「さも侍らず。まだ暗うてよくも見えざりつるを、白みたる者の侍りつれば、花を折るにやとうしろめたさにいひ侍りつるなり」と申す。
 「さりとも、みなは、かういかでかとらむ。殿の隠させ給へるならむ」とてわらはせ給へば、「いで、よも侍らじ。春の風のして侍るならむ」と啓するを、「かういはむとて隠すなりけり。盗みにはあらで、いたうこそふりなりつれ」と仰せらるも、めづらしきことにはあらねど、いみじうぞめでたき。
 

 殿おはしませば、ねくたれの朝顔も、時ならずや御覧ぜむとひき入る。
 おはしますままに、「かの花は失せにけるは。いかで、かうは盗ませしぞ。いとわろかりける女房達かな。いぎたなくて、え知らざりけるよ」とおどろかせ給へば、「されど、我よりさきにとこそ思ひて侍りつれ」と、しのびやかにいふに、いととう聞きつけさせ給ひて、「さ思ひつることぞ。世にこと人出でゐて見じ。宰相とそことのほどならむとおしはかりつ」といみじうわらはせ給ふ。
 「さりけるものを、少納言は、春の風におほせける」と、宮の御前のうち笑ませ給へるも、いとをかし。
 「そらごとをおほせ侍るなり。今は、山田もつくるらむものを」などうち誦せさせ給へる、いとなまめきをかし。
 「さてもねたくみつけられにけるかな。さばかりいましめつるものを。人の御かたには、かかるいましめ者のあるこそ」など宣はす。
 「春の風は、そらにいとかしこうもいふかな」など、またうち誦せさせ給ふ。
 「ただ言にはうるさく思ひつよりて侍りし。今朝のさま、いかに侍らまし」などぞわらわせ給ふ。
 小若君、「されど、それをいととく見て、『露にぬれたる』といひける、おもてぶせなりといひ侍りける」と申し給へば、いみじうねたがらせ給ふもをかし。
 

 さて、八九日のほどにまかづるを、「いますこし近うなりてを」など仰せらるれど、出でぬ。
 いみじう、つねよりものどかに照りたる昼つ方、「花の心開けざるや。いかに、いかに」と宣はせたれば、「秋はまだしく侍れど、夜に九度のぼる心地なむし侍る」と聞こえさせつ。
 

 出でさせ給ひし夜、車の次第もなく、「まづ、まづ」と乗りさわぐがにくければ、さるべき人と、なほこの車に乗るさまのいとさわがしう、祭のかへさなどのやうに、倒れぬべくまどふさまのいと見苦しきに、ただ、さはれ、乗るべき車なくてえ参らずは、おのづからきこしめしつけて賜はせもしてむなどいひあはせて立てる、前よりおしこりて、まどひ出でて乗りはてて、かうこといふに、「まだし、ここに」といふめれば、宮司寄り来て、「誰々おはするぞ」と問ひ聞きて、「いとあやしかりけることかな。今はみな乗り給ひぬらむとこそ思ひつれ。こはなど、かうおくれさせ給へる。今は得選乗せむとしつるに。めづらかなりや」などおどろきて、寄せさすれば、「さば、まづその御心ざしあらむをこそ乗り給はめ。次にこそ」といふ声を聞きて、「けしからず、腹ぎたなくおはしましけり」などいへば乗りぬ。
 その次には、まことに御厨子が車にぞありければ、火もいと暗きを、わらひて二条の宮に参り着きたり。
 

 御輿はとく入らせ給ひて、しつらひゐさせ給ひにけり。
 「ここに呼べ」と仰せられければ、「いづら、いづら」と右京、小左近などいふわかき人々待ちて、参る人ごとに見れど、なかりけり。
 下るるにしたがひて、四人づつ御前に参りつどひて候ふに、「あやし。なきか。いかなるぞ」と仰せられけるも知らず、あるかぎり下りはててぞからうじて見つけられて、「さばかり仰せらるるに、おそくは」とて、ひきゐて参るに、見れば、いつの間にかう年ごろの御住まひのやうに、おはしましつきたるにかとをかし。
 「いかなれば、かうなきかとたづぬばかりまでは見えざりつる」と仰せらるるに、ともかくも申さねば、もろともに乗りたる人、「いとわりなしや。最果の車に乗りて侍らむ人は、いかでかとくは参り侍らむ。これも、御厨子がいとほしがりて、ゆづりて侍るなり。暗かりつるこそわびしかりつれ」とわぶわぶ啓するに、「行事する者のいとあしきなり。また、などかは、心知らざらむ人こそはつつまめ、右衛門などいはむかし」と仰せらる。
 「されど、いかでかは走り先立ち侍らむ」などいふ、かたへの人にくしと聞くらむかし。「さまあしうて高う乗りたりとも、かしこかるべきことかは。定めたらむさまの、やむごとなからむこそよからめ」と、ものしげにおぼしめしたり。
 「下り侍るほどのいと待ち遠に、苦しければにや」とぞ申しなほす。
 

 御経のことにて、明日わたらせ給はむとて、今宵参りたり。
 南の院の北面にさしのぞきたれば、高杯どもに火をともして、二人、三人、三四人、さべきどち屏風ひき隔てたるもあり。几帳など隔てなどもしたり。また、さもあらで、集まりゐて衣どもとぢかさね、裳の腰さし、化粧ずるさまはさらにもいはず、髪などいふもの、明日よりのちはありがたげに見ゆ。
 「寅の時になむわたらせ給ふべかなる。などか今まで参り給はざりつる。扇持たせて、もとめきこゆる人ありつ」と告ぐ。
 

 さて、まことに寅の時かと装束きたちてあるに、明けはて、日もさし出でぬ。西の対の唐廂にさし寄せてなむ乗るべきとて、渡殿へあるかぎり行くほど、まだうひうひしきほどなる今参などはつつましげなるに、西の対に殿の住ませ給へば、宮もそこにおはしまして、まづ女房ども車に乗せ給ふを御覧ずとて、御簾のうちに、宮、淑景舎、三四の君、殿の上、その御おとと三所、立ち並みおはしまさふ。
 

 車の左右に、大納言殿、三位の中将、二所して簾うちあげ、下簾ひきあげて乗せ給ふ。うち群れてだにあらば、すこし隠れどころもやあらむ、四人づつ書立にしたがひて、「それ、それ」と呼び立てて乗せ給ふに、あゆみ出づる心地ぞ、まことにあさましう、顕証なりといふも世の常なり。
 御簾のうちに、そこらの御目どもの中に、宮の御前の見苦しと御覧ぜむばかり、さらにわびしきことなし。汗のあゆれば、つくろひたてたる髪なども、みなあがりやしたらむとおぼゆ。からうじて過ぎ行きたれば、車のもとに、はづかしげにきよげなる御さまどもして、うち笑みて見給ふもうつつならず。されど、倒れでそこまでは行きつきぬるぞ、かしこきかおもなきか、思ひたどらるれ。
 

 みな乗りはてぬれば、ひき出でて、二条の大路に榻にかけて、物見る車のやうに立て並べたる、いとをかし。人も見たらむかしと心ときめきせらる。四位、五位、六位などいみじう多う出で入り、車のもとに来て、つくろひ、ものいひなどする中に、明順の朝臣の心地、空を仰ぎ、胸をそらいたり。
 

 まづ院の御迎へに、殿をはじめ奉りて、殿上人、地下などもみな参りぬ。それわたらせ給ひて後に、宮は出でさせ給ふべしとあれば、いと心もとなしと思ふほどに、日さしあがりてぞおはします。御車ごめに十五、四つは尼の車、一の御車は唐車なり。それにつづきてぞ尼の車、後口より水晶の数珠、薄墨の裳、袈裟、衣、いといみじくて、簾はあげず、下簾も薄色の裾すこし濃き、次に女房の十、桜の唐衣、薄色の裳、濃き衣、香染、薄色の上着ども、いみじうなまめかし。日はいとうららかなれど、空はみどりにかすみわたれるほどに、女房の装束のにほひあひて、いみじき織物、色々の唐衣などよりも、なまめかしうをかしきことかぎりなし。
 

 関白殿、その次々の殿ばら、おはするかぎり、もてかしづきわたし奉らせ給ふさま、いみじくぞめでたし。これをまづ見たてまつり、めでさわぐ。この車どもの二十並べたるも、またをかしと見るらむかし。
 

 いつしか出でさせ給はなむと待ち聞こえさするに、いとひさし。いかなるらむと心もとなく思ふに、からうじて采女八人、馬に乗せてひき出づ。青裾濃の裳、裙帯、領布などの風に吹きやられたる、いとをかし。ふせといふ采女は、典薬の頭重雅がしる人なりけり。葡萄染の織物の指貫を着たれば、「重雅は色許されにけり」など、山の井の大納言わらひ給ふ。
 

 みな乗りつづきて立てるに、今ぞ御輿出でさせ給ふ。めでたしと見奉りつる御ありさまには、これはた、くらぶべからざりけり。
 

 朝日のはなばなとさしあがるほどに、水葱の花いときはやかにかがやきて、御輿の帷子の色つやなどのきよらささへぞいみじき。御綱張りて出でさせ給ふ。御輿の帷子のうちゆるぎたるほど、まことに、頭の毛など人のいふ、さらにそらごとならず。さてのちは、髪あしからむ人もかこちつべし。あさましういつくしう、なほいかで、かかる御前に馴れ仕うまつるらむと、わが身もかしこうぞおぼゆる。御輿過ぎさせ給ふほど、車の榻ども一たびにかきおろしたりつる、また牛どもにただ掛けに掛けて、御輿の後につづけたる心地、めでたく興あるさま、いふかたもなし。
 

 おはしまし着きたれば、大門のもとに高麗、唐土の楽して、獅子狛犬をどり舞ひ、乱声の音、鼓の声にものもおぼえず。こは、いきての仏の国などに来にけるにやあらむと、空に響きあがるやうにおぼゆ。
 

 内に入りぬれば、色々の錦のあげばりに、御簾いと青くかけわたし、屏幔ども引きたるなど、すべてすべて、さらにこの世とおぼえず。御桟敷にさし寄せたれば、また、この殿ばら立ち給ひて、「とう下りよ」と宣ふ。乗りつる所だにありつるを、いますこしあかう顕証なるに、つくろひ添へたりつる髪も、唐衣の中にてふくだみ、あやしうなりたらむ、色の黒さ赤ささへ見え分かれぬべきほどなるが、いとわびしければ、ふともえ下りず。
 「まづ、後なるこそは」などいふほどに、それもおなじ心にや、「しぞかせ給へ。かたじけなし」などいふ。「恥ぢ給ふかな」とわらひて、からうじて下りぬれば、寄りおはして、「『むねかたなどに見せで、隠しておろせ』と、宮の仰せらるれば来たるに、思ひぐまなく」とて、ひきおろして率て参り給ふ。さ聞こえさせ給ひつらむと思ふも、いとかたじけなし。
 

 参りたれば、はじめ下りける人、物見えぬべきに端に八人ばかりゐにけり。一尺余、二尺ばかりの長押の上におはします。「ここに、立ち隠して率て参りたり」と申し給へば、「いづら」とて、御几帳のこなたに出でさせ給へり。まだ御裳、唐の御衣奉りながらおはしますぞいみじき。くれなゐの御衣どもよろしからむやは。中に唐綾の柳の御衣、葡萄染の五重がさねの織物に赤色の唐の御衣、地摺の唐の薄物に、象眼重ねたる御裳など奉りて、ものの色などは、さらになべてのに似るべきやうもなし。
 「我をばいかが見る」と仰せらる。
 「いみじうなむ候ひつる」なども、言に出でては世の常にのみこそ。
 「ひさしうやありつる。それは大夫の、院の御供に着て人に見えぬる、おなじ下襲ながらあらば、人わろしと思ひなむとて、こと下襲縫はせ給ひけるほどに、おそきなりけり。いとすき給へり」とてわらはせ給ふ。いとあきらかに、はれたる所は、いますこしぞけざやかにめでたき。御額あげさせ給へりける御釵子に、分け目の御髪のいささか寄りてしるく見えさせ給ふさへぞ、聞こえむ方なき。
 

 三尺の御几帳一よろひをさしちがへて、こなたの隔てにはして、そのうしろに畳一片をさがさまに縁を端にして、長押の上に敷きて、中納言の君といふは、殿の御叔父の右兵衛の督忠君と聞こえけるが御むすめ、宰相の君は、富の小路の右の大臣の御孫、それ二人ぞ上にゐて、見給ふ。
 御覧じわたして、「宰相はあなたに行きて、人どものゐたるところにて見よ」と仰せらるるに、心得て、「ここにて、三人はいとよく見侍りぬべし」と申し給へば、「さば、入れ」とて召し上ぐるを、下にゐたる人々は、「殿上ゆるさるる内舎人なめり」とわらへど、「こは、わらはせむと思ひ給ひつるか」といへば、「むまさまのほどこそ」などいへど、そこにのぼりゐて見るは、いとおもだたし。
 かかることなどぞみづからいふは、吹き語りなどにもあり、また、君の御ためにも軽々しう、かばかりの人をさおぼしけむなど、おのづからも、もの知り、世の中もどきなどする人は、あいなうぞ、かしこき御ことにかかりてかたじけなけれど、あることはまたいかがは。まことに身のほどに過ぎたることどももありぬべし。
 

 女院の御桟敷、所々の御桟敷ども見渡したる、めでたし。殿の御前、このおはします御前より院の御桟敷に参り給ひて、しばしありて、ここに参らせ給へり。大納言二所、三位の中将は陣に仕うまつり給へるままに、調度負ひて、いとつきづきしう、をかしうておはす。殿上人、四位五位こちたくうち連れ、御供に候ひて並みゐたり。
 

 入らせ給ひて見奉らせ給ふに、みな御裳、御唐衣、御匣殿までに着給へり。殿の上は裳の上に小袿をぞ着給へる。
 「絵にかいたるやうなる御さまどもかな。いま一人は今日は人々しかめるは」と申し給ふ。
 「三位の君、宮の御裳ぬがせ給へ。この中の主君には、わが君こそおはしませ。御桟敷の前に陣屋据ゑさせ給へる、おぼろげのことかは」とてうち泣かせ給ふ。
 げにと見えて、みな人涙ぐましきに、赤色に桜の五重の衣を御覧じて、「法服の一つ足らざりつるを、にはかにまどひしつるに、これをこそ返り申すべかりけれ。さらずは、もしまた、さやうの物をとり占められたるか」と宣はするに、大納言殿、すこししぞきてゐ給へるが、聞き給ひて、「清僧都のにやあらむ」と宣ふ。
 一事としてめでたからぬことぞなきや。
 

 僧都の君、赤色の薄物の御衣、むらさきの御袈裟、いと薄き薄色の御衣ども、指貫など着給ひて、頭つきの青くうつくしげに、地蔵菩薩のやうにて、女房にまじりありき給ふも、いとをかし。「僧綱の中に威儀具足してもおはしまさで、見苦しう、女房の中に」など笑ふ。
 

 大納言の御桟敷より、松君ゐて奉る。葡萄染の織物の直衣、濃き綾の打ちたる、紅梅の織物など着給へり。御供に例の四位、五位、いと多かり。御桟敷にて、女房の中にいだき入れ奉るに、なにごとのあやまりにか、泣きののしり給ふさへ、いとはえばえし。
 

 ことはじまりて、一切経を蓮の花の赤き一花づつに入れて、僧俗、上達部、殿上人、地下、六位、なにくれまで持てつづきたる、いみじう尊し。導師参り、かうはじまりて、舞ひなど、日ぐらしみるに、目もたゆくくるし。御使に五位の蔵人参りたり。御桟敷の前に胡床立ててゐたるなど、げにぞめでたき。
 

 夜さりつ方、式部の丞則理参りたり。「『やがて夜さり入らせ給ふべし。御供に候ふ』と宣旨かうぶりて」とて、帰りも参らず。宮は、「まづ帰りてを」と宣はすれど、また蔵人の弁参りて、殿にも御消息あれば、ただ仰せ事にて、入らせ給ひなむとす。
 

 院の御桟敷より、ちかの塩竃などいふ御消息参り通ふ。をかしきものなど持て参りちがひたるなどもめでたし。
 

 ことはてて、院帰らせ給ふ。院司、上達部など、こたみはかたへぞ仕うまつり給ひける。
 

 宮には内裏に参らせ給ひぬるも知らず、女房の従者どもは、二条の宮にぞおはしますらむとて、それにみな行きゐて、待てども待てども見えぬほどに、夜いたうふけぬ。内裏には、宿直物もて来なむと待つに、きよう見え聞こえず。あざやかなる衣どもの身にもつかぬを着て、寒きまま、いひ腹立てど、かひもなし。つとめて来たるを、「いかで、かく心もなきぞ」などいへど、のぶることもいはれたり。
 

 またの日、雨の降りたるを、殿は、「これになむ、おのが宿世は見え侍りぬる。いかが御覧ずる」と聞こえさせ給へる、御心おごりもことわりなり。されど、その折、めでたしと見たてまつりし御ことどもも、今の世の御ことどもに見奉りくらぶるに、すべてひとつに申すべきのもあらねば、もの憂くて、多かりしことどもも、みなとどめつ。
 
 

279段(能257):たふときこと

 
 
 たふときこと 九条の錫杖。念仏の回向。
 
 

280段(能258):歌は

 
 
 歌は 風俗。中にも、杉立てる門。神楽歌もをかし。今様歌は長うてくせづいたり。
 
 

281段(能259):指貫は

 
 
 指貫は むらさきの濃き。萌黄。夏は二藍。いと暑きころ、夏虫の色したるもすずしげなり。
 
 

282段(能260):狩衣は

 
 
 狩衣は 香染の薄き。白き。ふくさ。赤色。松の葉色。青葉。桜。柳。また青き。藤。男はなにの色の衣をも着たれ。
 
 

283段(能261):単は

 
 
 単は 白き。日の装束の、くれなゐの単の袙など、かりそめに着たるはよし。されど、なほ白きを。黄ばみたる単など着たる人は、いみじう心づきなし。練色の衣どもなど着たれど、なほ単は白うてこそ。
 
 

284段(能263):下襲は

 
 
 下襲は 冬は躑躅。桜。掻練襲。蘇芳襲。夏は二藍。白襲。
 
 

285段(能264):扇の骨は

 
 
 扇の骨は 朴。色は赤き。むらさき。みどり。
 
 

286段(能265):檜扇は

 
 
 檜扇は 無紋。唐絵。
 
 

287段(能266):神は

 
 
 神は 松の尾。八幡、この国の帝にておはしけむこそめでたけれ。行幸などに、なぎの花の御輿にたてまつる、いとめでたし。大原野、春日いとめでたくおはします。平野は、いたづら屋のありしを、「なにする所ぞ。と問ひしに、「御輿宿」といひしも、いとめでたし。斎垣に蔦などのいと多くかかりて、もみぢの色々ありしも、「秋にはあへず」と貫之が歌思ひ出でられて、つくづくとひさしうこそ立てられしか。みこもりの神、またをかし。賀茂、さらなり。稲荷。
 
 

288段(能267):崎は

 
 
 崎は 唐崎。三保が崎。
 
 

289段(能268):屋は

 
 
 屋は まろ屋。あつま屋。
 
 

290段(能269):時奏する、いみじうをかし

 
 
 時奏する、いみじうをかし。いみじう寒き夜中ばかりごほごほとごほめき、沓すり来て、弦うち鳴らしてなむ、「何のなにがし、時丑三つ、子四つ」など、はるかなる声にいひて、時の杭さす音など、いみじうをかし。「子九つ、丑八つ」などぞ、さとびたる人はいふ。すべて、なにもなにも、ただ四つのみぞ、杭にはさしける。
 
 

291段(能270):日のうらうらとある昼つ方

 
 
 日のうらうらとある昼つ方、また、いといたう更けて、子の刻などいふほどにもなりぬらむかし、おほとのごもりおはしましてにやなど、思ひ参らするほどに、「をのこども」と召したるこそ、いとめでたけれ。
 夜中ばかりに、御笛の声聞えたる、またいとめでたし。
 
 

292段(能271):成信の中将は

 
 
 成信の中将は、入道兵部卿の宮の御子にて、かたちいとをかしげに、心ばへもをかしうおはす。伊予の守兼資が女忘れて、親の伊予へ率てくだりしほど、いかにあはれなりけむとこそおぼえしか。あかつきに行くとて、今宵おはして、有明の月に帰り給ひけむ直衣姿などよ。
 

 その君、常にゐてものいひ、人の上など、わるきはわるしなど宣ひしに、物忌くすしう、つのかめなどにたててくふ物まつかいけなどするものの名を姓にて持たる人のあるが、こと人の子になりて、平などいへど、ただそのもとの姓を、わかき人々ことぐさにてわらふ。ありさまもことなることもなし、をかしきかたなども遠きが、さすがに人にさしまじり、心などのあるを、御前わたりも、見苦しなど仰せらるれど、はらぎたなきにや、告ぐる人もなし。
 

 一条の院に作らせ給ひたる一間の所には、にくき人はさらに寄せず。東の御門につと向かひて、いとをかしき小廂に、式部のおもとともろに夜も昼もあれば、上もつねにもの御覧じに入らせ給ふ。
 「今宵は、うちに寝なむ」とて、南の廂に二人臥しぬるのちに、いみじう呼ぶ人のあるを、うるさしなどいひあはせて、寝たるやうにてあれば、なほいみじうかしがましう呼ぶを、「それ、おこせ。そら寝ならむ」と仰せられければ、この兵部来て起こせど、いみじう寝入りたるさまなれば、「さらに起き給はざめり」といひに行きたるに、やがてゐつきて、ものいふなり。
 しばしかと思ふに、夜いたうふけぬ。「権中将にこそあなれ。こはなにごとを、かゐてはいふぞ」とて、みそかに、ただいみじうわらふも、いかでかは知らむ。あかつきまでいひ明かして帰る。
 また、「この君、いとゆゆしかりけり。さらに、寄りおはせむにものいはじ。なにごとを、さはいひ明かすぞ」などいひわらふに、遣戸あけて、女は入り来ぬ。
 

 つとめて、廂に人のものいふを聞けば、「雨いみじう降る折に来たる人なむあはれなる。日頃おぼつかなく、つらきことありとも、さてぬれて来たらむは、憂きこともみな忘れぬべし」とは、などていふにかあらむ。
 さあらむを、昨夜も、昨日の夜も、そがあなたの夜も、すべて、このごろ、うちしきり見ゆる人の、今宵いみじからむ雨にさはらで来たらむは、なほ一夜もへだてじと思ふなめりとあはれになりなむ。さらで、日頃も見ず、おぼつかなくて過ぐさむ人の、かかる折にしも来むは、さらに心ざしのあるにはせじとこそおぼゆれ。人の心々なるものなればにや。もの見知り、思ひ知りたる女の、心ありと見ゆるなどを語らひて、あまた行くところもあり、もとよりのよすがなどもあれば、しげくも見えぬを、なほさるいみじかりし折に来たりし、など、人にも語りつがせ、ほめられむと思ふ人のしわざにや。
 それも、むげに心ざしなからむには、げになにしにかは、作りごとにても見えむとも思はむ。されど、雨のふる時に、ただむつかしう、今朝まではればれしかりつる空ともおぼえず、にくくて、いみじき細殿、めでたき所とおぼえず。まいて、いとさらぬ家などは、とく降りやみねかしとこそおぼゆれ。
 

 をかしきこと、あはれなることもなきものを、さて、月のあかきはしも、過ぎにしかた、行く末まで、思ひ残さるることなく、心もあくがれ、めでたく、あはれなること、たぐひなくおぼゆ。それに来たらむ人は、十日、二十日、一月、もしは一年も、まいて七八年ありて思ひ出でたらむは、いみじうをかしとおぼえて、えあるまじうわりなきところ、人目つつむべきやうありとも、かならず立ちながらも、ものいひてかへし、また、とまるべからむは、とどめなどもしつべし。
 

 月のあかき見るばかり、ものの遠く思ひやられて、過ぎにしことの憂かりしも、うれしかりしも、をかしとおぼえしも、ただ今のやうにおぼゆる折やはある。こま野の物語は、なにばかりをかしきこともなく、ことばもふるめき、見所多からぬも、月に昔を思ひ出でて、むしばみたる蝙蝠とり出でて、「もとみしこまに」といひてたづねたるが、あはれなるなり。
 

 雨は心もとなきものと思ひしみたればにや、片時降るもいとにくくぞある。やむごとなきこと、おもしろかるべきこと、たふとうめでたかべいことも、雨だに降れば、いふかひなくくちをしきに、なにか、そのぬれてかこち来たらむがめでたからむ。
 

 交野の少将もどきたる落窪の少将などはをかし。昨夜、一昨日の夜もありしかばこそ、それもをかしけれ。足洗ひたるぞにくき。きたなかりけむ。
 

 風などの吹き、あらあらしき夜来たるは、たのもしくて、うれしうもありなむ。
 

 雪こそめでたけれ。
 「忘れめや」などひとりごちて、忍びたることはさらなり、いとさあらむ所も、直衣などはさらにもいはず、うへのきぬ、蔵人の青色などの、いとひややかにぬれたらむは、いみじうをかしかべし。緑衫なりとも、雪にだにぬれなばにくかるまじ。昔の蔵人は、夜など、人のもとにも、ただ青色を着て、雨にぬれても、しぼりなどしけるとか。今は昼だに着ざめり。ただ緑衫のみうちかづきてこそあめれ。衛府などの着たるは、まいていみじうをかしかりしものを。かく聞きて、雨にありかぬ人やあらむとすらむ。
 

 月のいみじうあかき夜、紙のまたいみじう赤きに、ただ、「あらずとも」と書きたるを、廂にさし入りたる月にあてて、人の見しこそをかしかりしか。雨降らむ折は、さはありなむや。
 
 

293段(能272):つねに文おこする人の

 
 
 つねに文おこする人の、「なにかは。いふにもかひなし。いまは」といひて、またの日音もせねば、さすがに、明けたてばさし出づる文の見えぬこそさうざうしけれ、と思ひて、「さても、きはきはしかりける心かな」といひてくらしつ。
 

 またの日、雨のいたく降る、昼間で音もせねば、「むげに思ひ絶えにける」などいひて、端のかたにゐたる、夕ぐれに、かささしたる者の持て来たる文を、つねよりもとくあけて見れば、ただ、「水増す雨の」とある、いと多くよみ出だしつる歌どもよりもをかし。
 
 

294段(能273):今朝はさしも見えざりつる空の

 
 
 今朝はさしも見えざりつる空の、いと暗うかき曇りて、雪のかきくらし降るに、いと心ぼそく見出だすほどもなく、白うつもりて、なほいみじう降るに、随身めきてほそやかなる男の、かささして、そばのかたなる塀の戸より入りて、文をさし入れたるこそをかしけれ。いと白きみちのくに紙、白き色紙の結びたる、上に引きわたしける墨のふと凍りにければ、末薄になりたるをあけたれば、いとほそく巻きて結びたる、巻目はこまごまとくぼみたるに、墨のいと黒う、薄く、くだりせば、裏表かきみだりたるを、うち返しひさしう見るこそ、何事なからむと、よそに見やりたるもをかしけれ。まいて、うちほほゑむ所はいとゆかしけれど、遠うゐたるは、黒き文字などばかりぞ、さなめりとおぼゆるかし。額髪長やかに、面やうよき人の、暗きほどに文を得て、火ともすほども心もとなきにや、火桶の火をはさみあげて、たどたどしげに見ゐたるこそをかしけれ。
 
 

295段(能274):きらきらしきもの

 
 
 きらきらしきもの 大将の御前駆追ひたる。孔雀経の御読経。御修法。五大尊のも。御斎会。蔵人の式部の丞の、白馬の日大路練りたる。その日、ゆげひの佐の摺衣やうする。尊勝王の御修法。季の御読経。熾盛光の御読経。
 
 

296段(能275):神のいたう鳴るをりに

 
 
 神のいたう鳴るをりに、雷鳴の陣こそいみじうおそろしけれ。左右の大将、中、少将などの御格子のもとに候ひ給ふ、いといとほし。鳴りはてぬるをり、大将仰せて、「おり」と宣ふ。
 
 

297段(能276):坤元録の御屏風こそ

 
 
 坤元録の御屏風こそをかしうおぼゆれ。漢書の屏風はををしくぞ聞こえたる。月並の御屏風もをかし。
 
 

298段(能277):節分違へなどして夜深く帰る

 
 
 節分違へなどして夜深く帰る、寒きこといとわりなく、おとがひなど落ちぬべきを、からうじて来着きて、火桶ひき寄せたるに、火のおほきにて、つゆ黒みたる所もなくめでたきを、こまかなる灰の中よりおこし出でたるこそ、いみじうをかしけれ。
 

 また、ものなどいひて、火の消ゆらむもしらずゐたるに、こと人の来て、炭入れておこすこそいとにくけれ。されど、めぐりに置きて、中に火をあらせたるはよし。みなほかざまに火をかきやりて、炭を重ね置きたるいただきに火を置きたる、いとむつかし。
 
 

299段(能278):雪のいと高う降りたるを

 
 
 雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて、炭櫃に火おこして、物語などして、集まり候ふに、「少納言よ、香炉峰の雪、いかならむ」と、おほせらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、笑はせ給ふ。
 

 人々も、「さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそ寄らざりつれ。なほ、この宮の人には、さるべきなめり」と言ふ。
 
 

300段(能279):陰陽師のもとなる小童べこそ

 
 
 陰陽師のもとなる小童べこそ、いみじう物は知りたれ。祓などしに出でたれば、祭文など読むを、人はなほこそ聞け、ちうと立ち走りて、「酒、水いかけさせよ」とも言はぬに、しありくさまの、例知り、いささか主にものいはせぬこそうらやましけれ。さらむ者がな、使はむとこそおぼゆれ。
 
 

301段(能280):三月ばかり、物忌しにとて

 
 
 三月ばかり、物忌しにとて、かりそめなる所に、人の家に行きたれば、木どもなどのはかばかしからぬ中に、柳といひて、例のやうになまめかしはあらず、ひろく見えてにくげなるを、「あらぬものなめり」といへど、「かかるもあり」などいふに、
 

♪28
  さかしらに 柳の眉の ひろごりて
  春のおもてを 伏する宿かな
 

とこそ見ゆれ。
 

 その頃、またおなじ物忌しに、さやうの所に出で来るに、二日といふ日の昼つ方、いとつれづれまさりて、ただ今もまゐりぬべき心地するほどしも、仰せごとのあれば、いとうれしくて見る。浅緑の紙に、宰相の君いとをかしげに書い給へり。
 

♪29
  いかにして 過ぎにしかたを 過ぐしけむ
  くらしわづらふ 昨日今日かな
 

となむ。私には、「今日しも千年の心地するに、あかつきにはとく」とあり。この君の宣ひたらむだにをかしかるべきに、まして、仰せごとのさまはおろかならぬ心地すれば、
 

♪30
  雲の上も くらしかねける 春の日を
  所がらとも ながめつるかな
 

私には、「今宵のほども、少将にやなり侍らむとすらむ」とて、あかつきにまゐりたれば、「昨日の返し、『かねける』いとにくし。いみじうそしりき」と仰せらる、いとわびし。まことにさることなり。
 
 

302段(能282):十二月二十四日

 
 
 十二月二十四日、宮の御仏名の半夜の導師聞きて出づる人は、夜中ばかりも過ぎにけむかし。
 

 日頃降りつる雪の今日はやみて、風などいたう吹きつれば、垂氷いみじうしだり、地などこそむらむら白き所がちなれ、屋の上は、ただおしなべて白きに、あやしきしづの屋も雪にみな面隠しして、有明の月のくまなきに、いみじうをかし。
 白銀などを葺きたるやうなるに、水晶の滝などいはましやうにて、長く、短く、ことさらにかけわたしたると見えて、いふにもあまりてめでたきに、下簾もかけぬ車の、簾をいと高うあげたれば、奥までさし入りたる月に、薄色、白き、紅梅など、七つ八つばかり着たるうへに、濃き衣のいとあざやかなる、つやなど月にはえて、をかしう見ゆる、かたはらに、葡萄染の固紋の指貫、白き衣どもあまた、山吹、くれなゐなど着こぼして、直衣のいと白き、紐を解きたればぬぎ垂れられ、いみじうこぼれ出でたり。指貫の片つ方は軾のもとに踏み出だしたるなど、道に人あひたらば、をかしと見つべし。
 

 月のかげのはしたなさに、うしろざまにすべり入るを、つねにひきよせ、あらはになされてわぶるもをかし。「凛々として氷鋪けり」といふことを、かへすがへす誦しておはするは、いみじうをかしうて、夜一夜もありかまほしきに、行く所の近うなるもくちをし。
 
 

303段(能283,能284):宮仕へする人々の出で集まりて

 
 
 宮仕へする人々の出で集まりて、おのが君々の御ことめできこえ、宮のうち、殿ばらのことども、かたみに語りあはせたるを、その家のあるじにて聞くこそをかしけれ。
 

 家ひろく清げにて、わが親族はさらなり、うち語らひなどする人も、宮仕へ人を方々に据ゑてこそあらせまほしけれ。さべき折はひとところに集まりゐて物語し、人のよみたりし歌、なにくれと語りあはせて、人の文など持て来るも、もろともに見、返りごとを書き、また、むつまじう来る人もあるは、清げにうちしつらひて、雨など降りてえ帰らぬも、をかしうもてなし、参らむ折は、そのこと見入れ、思はむさまにして出だしいでなどせばや。
 

 よき人のおはしますありさまなどのいとゆかしきこそ、けしからぬ心にや。
 
 

304段(能285):見ならひするもの

 
 
 見ならひするもの あくび。ちごども。
 
 

305段(能286):うちとくまじきもの

 
 
 うちとくまじきもの えせもの。さるは、よしと人にいはるる人よりも、うらなくぞ見ゆる。船の路。
 
 

306段(能286):日のいとうららかなるに

 
 
 日のいとうららかなるに、海の面のいみじうのどかに、浅みどり打ちたるをひきわたしたるやうにて、いささかおそろしきけしきもなきに、わかき女などの、袙、袴など着たる、侍の者のわかやかなるなど、櫓といふもの押して、歌をいみじう謡ひたるは、いとをかしう、やむごとなき人などにも見せ奉らまほしう思ひ行くに、風いたう吹き、海の面ただあしにあしうなるに、ものもおぼえず、とまるべき所に漕ぎ着くるほどに、船に浪のかけたるさまなど、かた時に、さばかりなごかりつる海とも見えずかし。
 

 思へば、船に乗りてありく人ばかり、あさましうゆゆしきものこそなけれ。よろしき深さなどにてだに、さるはかなきものに乗りて漕ぎ出づべきにもあらぬや。まいて、そこひも知らず、千尋などあらむよ。
 ものをいと多く積み入れたれば、水際はただ一尺ばかりだになきに、下衆どものいささかおそろしとも思はで走りありき、つゆあしうもせば沈みやせむと思ふを、大きなる松の木などの二三尺にてまろなる、五つ六つ、ほうほうと投げ入れなどするこそいみじけれ。
 

 屋形といふもののかたにておす。されど、奥なるはたのもし。端にて立てる者こそ目くるる心地すれ。早緒とつけて、櫓とかにすげたるものの弱げさよ。かれが絶えば、なににかならむ。ふと落ち入りなむを。それだに太くなどもあらず。わが乗りたるは、きよげに造り、妻戸あけ、格子あげなどして、さ水とひとしう下りげになどあらねば、ただ家の小さきにてあり。
 

 小舟を見やるこそいみじけれ。遠きはまことに笹の葉を作りてうち散らしたるにこそいとよう似たれ。とまりたる所にて、船ごとにともしたる火は、またいとをかしう見ゆ。
 

 はし舟とつけて、いみじう小さきに乗りて漕ぎありく、つとめてなどいとあはれなり。跡の白波は、まことにこそ消えもて行け。よろしき人は、なほ乗りでありくまじきこととこそおぼゆれ。徒歩路もまた、おそろしかなれど、それはいかにもいかにも地に着きたれば、いとたのもし。
 

 海はなでょゆゆしと思ふに、まいて海女のかづきしに入るは憂きわざなり。腰に着きたる緒の絶えもしなば、いかにせむとならむ。男だにせましかば、さてもありぬべきを、女はおぼろげの心ならじ。舟にをとこは乗りて、歌などうち謡ひて、この栲縄を倦みに浮けてありく、あやふくうしろめたくはあらぬにやあらむ。のぼらむとて、その縄をなむ引くとか。惑ひ繰り入るるさまぞことわりなるや。舟の端をおさへて放ちたる息などこそ、まことにただ見る人だにしほたるるに、落し入れてただよひありく男は、目もあやにあさましかし。
 
 

307段(能287):右衛門の尉なりける者の

 
 
 右衛門の尉なりける者の、えせなる男親を持たりて、人の見るにおもてぶせなりとくるしう思ひけるが、伊予の国よりのぼるとて、浪に落とし入れけるを、「人の心ばかり、あさましかりけることなし」とあさましがるほどに、七月十五日、盆たてまつるとていそぐを見給ひて、道命阿闍梨、
 

♪31
  わたつ海に 親おし入れて この主の
  盆する見るぞ あはれなりける
 

とよみ給ひけむこそをかしけれ。
 
 

308段(能288):小原の殿の御母上とこそは

 
 
 小原の殿の御母上とこそは、普門といふ寺にて八講しける、聞きて、またの日小野殿に、人々いと多く集まりて、遊びし、文作りけるに、
 

♪32
  薪こる ことは昨日に 尽きにしを
  いざ斧の柄は ここに朽たさむ
 

とよみ給ひたりけむこそいとめでたけれ。ここもとは打ち聞きになりぬるなめり。
 
 

309段(能289):また、業平の中将のもとに

 
 
 また、業平の中将のもとに、母の皇女の、「いよいよ見まく」と宣へる、いみじうあはれにをかし。ひき開けて見たりけむこそ思ひやらるれ。
 
 

310段(能290):をかしと思ふ歌を

 
 
 をかしと思ふ歌を草子などに書きて置きたるに、いふかひなき下衆のうち謡ひたるこそ、いと心憂けれ。
 
 

311段(能291):よろしき男を下衆女などのほめて

 
 
 よろしき男を下衆女などのほめて、「いみじうなつかしうおはします」などいへば、やがて思ひおとされぬべし。そしらるるはなかなかよし。下衆にほめらるるは、女だにいとわるし。また、ほむるままにいひそこなひつるものは。
 
 

312段(能 ):左右の衛門の尉を

 
 
 左右の衛門の尉を、判官といふ名をつけて、いみじうおそろしう、かしこき者に思ひたるこそ。夜行し、細殿などに入り臥したる、いと見苦しかし。
 布の白袴、几帳にうちかけ、うへのきぬの長くところせきをわがねかけたる、いとつきなし。太刀の後にひきかけなどして立ちさまよふは、されどよし。青色をただつねに着たらば、いかにをかしからむ。「見し有明ぞ」と誰いひけむ。
 
 

313段(能292):大納言殿参り給ひて

 
 
 大納言殿参り給ひて、ふみのことなど奏し給ふに、例の、夜いたくふけぬれば、御前なる人々、一人二人づつ失せて、御屏風、御几帳のうしろなどに、みなかくれ臥しぬれば、ただ一人、ねぶたきを念じて候ふに、「丑四つ」と奏すなり。
 「明け侍りぬなり」とひとりごつを、大納言殿、「いまさらに、なおほとのごもりおはしましそ」とて、寝べきものとも思いたらぬを、うたて、なにしにさ申しつらむと思へど、また人のあらばこそはまぎれも臥さめ。
 上の御前の、柱に寄りかからせ給ひて、すこし眠らせ給ふを、「かれ見奉らせ給へ。いまは明けぬるに、かう大殿籠るべきかは」と申させ給へば、「げに」など、宮の御前にも笑ひ聞こえさせ給ふも、知らせ給はぬほどに、長女が童の、鶏を捕らへ持て来て、「あしたに里へ持て行かむ」といひて隠し置きたりける、いかがしけむ、犬見つけて追ひければ、廊のまきに逃げ入りて、おそろしう鳴きののしるに、みな人起きなどしぬなり。
 上もうちおどろかせ給ひて、「いかでありつる鶏ぞ」などたづねさせ給ふに、大納言殿の、「声明王の眠りを驚かす」といふことを、高ううち出だし給へる、めでたうをかしきに、ただ人のねぶたかりつる目もいと大きになりぬ。
 「いみじき折のことかな」と、上も宮も興ぜさせ給ふ。なほかかることこそめでたけれ。
 

 またの夜は、夜の御殿に参らせ給ひぬ。夜中ばかりに、廊に出でて人呼べば、「下るるか。いで、送らむ」と宣へば、裳、唐衣は屏風にうちかけて行くに、月のいみじうあかく、御直衣のいと白う見ゆるに、指貫を長う踏みしだきて、袖をひかへて、「倒るな」といひて、おはするままに、「游子なほ残りの月に行く」と誦し給へる、またいみじうめでたし。「かやうの事、めで給ふ」とては、笑ひ給へど、いかでか、なほをかしきものをば。
 
 

314段(能293):僧都の御乳母のままなど

 
 
 僧都の御乳母のままなど、御匣殿の御局にゐたれば、男のある、板敷のもと近う寄り来て、「からい目を見候ひて、誰にかはうれへ申し侍らむ」とて、泣きぬばかりのけしきにて、「なにごとぞ」と問へば、「あからさまにものにまかりたりしほどに、侍る所の焼け侍りにければ、がうなのやうに、人の家に尻をさし入れてのみ候ふ。馬づかさの御秣積みて侍りける家より出でまうで来て侍るなり。ただ垣を隔てて侍れば、夜殿に寝て侍りけるわらはべも、ほとほと焼けぬべくてなむ。いささかものもとうで侍らず」などいひをるを、御匣殿も聞き給ひて、いみじう笑ひ給ふ。
 

♪33
  みまくさを もやすばかりの 春の日に
  夜殿さへなど 残らざるらむ
 

と書きて、「これをとらせ給へ」とて投げやりたれば、笑ひののしりて、「このおはする人の、家焼けたなりとて、いとほしがりて賜ふなり」とて、とらせたれば、ひろげて、「これは、なにの御短冊にか侍らむ。物いくらばかりにか」といへば、「ただ読めかし」といふ。
 「いかでか。片目もあきつかうまつらでは」といへば、「人にも見せよ。ただいま召せば、とみにて上へ参るぞ。さばかりめでたき物を得ては、なにをか思ふ」とて、みな笑ひまどひ、のぼりぬれば、人にや見せつらむ、里に行きていかに腹立たむなど、御前に参りてままの啓すれば、また笑ひさわぐ。
 御前にも、「など、かくもの狂ほしからむ」と笑はせ給ふ。
 
 

315段(能294):男は、女親亡くなりて

 
 
 男は、女親亡くなりて、男親の一人ある、いみじう思へど、心わづらはしき北の方出で来て後は、内にも入れ立てず、装束などは、乳母、また故上の御人どもなどしてせさせす。
 

 西東の対のほどに、まらうど居などをかし。屏風、障子の絵も見所ありて住まひたり。殿上のまじらひのほど、くちをしからず人々も思ひ、上も御けしきよくて、常に召して、御遊びなどのかたきにおぼしめしたるに、なほつねにものなげかしく、世の中心にあはぬ心地して、すきずきしき心ぞ、かたはなるまであべき。上達部、またなきさまにてもかしづかれたる妹一人あるばかりにぞ、思ふことうち語らひ、なぐさめ所なりける。
 
 

316段(能297):ある女房の、遠江の子なる人を

 
 
 ある女房の、遠江の子なる人を語らひてあるが、おなじ宮人をなむしのびて語らふと聞きて、うらみければ、「親などもかけて誓はせ給へ。いみじきそらごとなり。ゆめにだに見ず」となむいふは、いかがいふべき、といひしに、
 

♪34
  誓へ君 遠江の 神かけて
  むげに浜名の はし見ざりきや
 
 

317段(能298):びんなき所にて

 
 
 びんなき所にて、人にものをいひけるに、胸のいみじう走りけるを、「などかくある」といひける人に、
 

♪35
  あふさかは 胸のみつねに 走り井の
  見つくる人や あらむと思へば
 
 

318段(能296):まことにや、やがては下る

 
 
 「まとこにや、やがては下る」といひたる人に、
 

♪36
  思ひだに かからぬ山の させも草
  誰かいぶきの さとはつげしぞ
 
 

319段(能321,能322):この草子、目に見え心に思ふことを(跋文)

 
 
 この草子、目に見え心に思ふことを、人やは見むとすると思ひて、つれづれなる里居のほどに書き集めたるを、あいなう、人のために便なき言ひ過ぐしもしつべき所々もあれば、よう隠しおきたりと思ひしを、心よりほかにこそもり出でにけれ。
 

 宮の御前に、内大臣の奉り給へりけるを、「これに何を書かまし。上の御前には、史記といふ文をなむ書かせ給へる」など宣はせしを、「枕にこそは侍らめ」と申ししかば、「さは、得てよ」とて給はせたりしを、あやしきを、こよや何やと、尽きせず多かる紙を、書き尽くさむとせしに、いとものおぼえぬことぞ多かるや。
 

 おほかた、これは、世の中にをかしきこと、人のめでたしなど思ふべき、なほ選りいでて、歌などをも、木、草、鳥、虫をも、言ひ出だしたらばこそ、「思ふほどよりはわろし。心見えなり」とそしられめ、ただ心一つにおのづから思ふことを、戯れに書きつけたれば、ものにたち交じり、人並み並みなるべき耳をも聞くべきものかはと思ひしに、「恥づかしき」なんどもぞ、見る人はし給ふなれば、いとあやしうあるや。
 げに、そもことわり、人のにくむをよしと言ひ、ほむるを悪しと言ふ人は、心のほどこそおしはからるれ。ただ、人に見えけむぞねたき。
 

 左中将、まだ伊勢守と聞こえしとき、里におはしたりしに、端の方なりし畳をさしいでしものは、この草子載りていでにけり。惑ひとり入れしかど、やがて持ておはして、いと久しくありてぞ返りたりし。それよりありきそめたるなめり、とぞ本に。