平家物語 巻第四 目次と概要

巻第三 平家物語
巻第四
巻第五

 
『平家物語』巻第四の目次と原文冒頭及び概要。一般的な覚一本系の章題に読み方を付し、リンクで原文各章に通じさせた。

 

→巻第四・通し全文

 

  章題
読み方
原文冒頭
概要※
1 厳島御幸
いつくしまごこう
治承四年正月一日、鳥羽殿には、相国もゆるさず
治承4年 (1180年) 高倉天皇は譲位。安徳天皇が3歳で即位。
1-2 還御
かんぎょ
異:厳島御幸 付 安徳天皇御即位
同じき二十六日、厳島へ御参着
高倉上皇は厳島御幸から帰る。安徳天皇の即位式。
2 源氏揃
げんじぞろえ
蔵人権佐定長、今度の御即位に違乱なく
以仁王は後白河法皇の三男。源頼政が謀反をもちかける(以仁王の挙兵)。
「太子にもたち、位にもつかせ給ふべきに、三十まで宮にてわたらせ給ふ御事をば、心うしとはおぼしめさずや」
3 鼬之沙汰
いたちのさた
さるほどに法皇は、「成親、俊寛がやうに
以仁王謀反の情報が清盛へ届く。
4 信連
のぶつら
異:信連合戦
宮は五月十五夜の雲間の月をながめさせ給ひ
以仁王の部下長谷部信連は、以仁王を女装させ高倉御所から逃がした。
5
きおう
さるほどに、宮は高倉を北へ、近衛を東へ
〔以仁王は三井寺に入り、頼政が謀反を企てた背景の説明〕清盛の次男、宗盛は源頼政の子源仲綱の馬を奪ったことがあった〔その馬を仲綱と名付けて乗り回し屈辱を与えた〕。それで仲綱の家来渡辺競は宗盛から白馬をだましとった。
6 山門牒状
さんもんへのちょうじょう
異:牒状
さるほどに、三井寺には貝、鐘鳴らいて
以仁王が逃げ込んだ近江国園城寺(三井寺)から延暦寺に協力要請。
6-2 南都牒状
なんとちょうじょう
異:牒状
山門の大衆この状を披見して
〔比叡山は協力要請を無視〕三井寺から奈良興福寺へも協力要請。〔そこには、近く出発するが状を察して疑わないでほしいとあった〕
7 永僉議
ながのせんぎ
異:大衆揃
三井寺には貝、鐘鳴らいて、また大衆詮議す。
〔興福寺が来ないので〕三井寺は清盛邸を夜討ちする会議をし、京へ向かう。
7-2 大衆揃
たいしゅぞろえ
からめ手に向かふ老僧どもの大将軍には、
しかし夜明けになってしまい、夜討ちは中止。以仁王らは奈良へ向かう。
8 橋合戦
はしがっせん
さるほどに、宮は宇治と寺との間にて
以仁王らは途中、宇治平等院で休息。そこを平知盛重衡軍が攻める(『玉葉』によれば重衡・維盛軍)。頼政は宇治橋の橋板をはずす。平家軍は、「先陣が、橋をひいたぞ、あやまちすな、とどよみけれども、後陣はこれを聞きつけず、われさきにとすすむほどに、先陣二百余騎、おしおとされ、水におぼれて流れけり」となった。
9 宮御最期
みやのごさいご
異:宮最後
足利がその日の装束には、朽葉の綾の直垂に
頼政以仁王も戦死。
「いづれが矢とはおぼえねど、宮の左の御そば腹に矢一すじたちければ、御馬より落ちさせ給ひて、御頸とられさせ給ひけり」
10 若宮出家
わかみやしゅっけ
平家の人々は、宮並びに三位入道の一類
以仁王の子、若宮は出家を条件に助命。
10-2 通乗之沙汰
とうじょうのさた
また奈良にも御一所ましましけるをば、
昔、通乗という名人相見がいたが、以仁王の人相見ははずれた。
11
ぬえ
そもそも源三位入道頼政と申すは
頼政は以前化け物のを退治したことがあった〔という〕。
「頭は猿、むくろは狸、尾は蛇、手足は虎の姿なり。なく声鵼にぞ似たりける。おそろしなんどもおろかなり」
12 三井寺炎上
みついでらえんじょう
日頃は山門の大衆こそ
三井寺は平重衡忠度軍に攻められ炎上。

 ※概要はWikipedia#平家物語の内容から引用。