平家物語 巻第六 目次と概要

巻第五 平家物語
巻第六
巻第七

 
『平家物語』巻第六の目次と原文冒頭及び概要。一般的な覚一本系の章題に読み方を付し、リンクで原文各章に通じさせた。

 

→巻第六・通し全文

 

  章題
読み方
原文冒頭
概要※
1 新院崩御
しんいん(の)ほうぎょ
治承五年正月一日、内裏には
治承5年 (1181年) 高倉上皇崩御。
2 紅葉
こうよう
人の思ひつき参らする事は、延喜、天暦の帝と申すとも
高倉上皇が紅葉を愛した挿話。
3 葵前
あおいのまえ
異:葵女御
あおいのにょうご
何よりもまたあはれなりし事には
高倉上皇の挿話2。少女葵前を愛し「しのぶれど いろに出でにけり」(平兼盛)の歌を送った。葵前は早世した。
4 小督
こごう
異:小督局 上
こごうのつぼね
主上恋慕の御涙に思し召し沈ませ給ひたるを
高倉上皇の挿話3。女房小督が愛され、徳子(清盛の娘)より先に子(皇女)を生んだ。それで清盛の怒りを買い尼になった。
4-2 異:小督局 下 さればこそ、君の御こと思ひ出で参らせ給ひて
5 廻文
めぐらしぶみ
異:廻文 付 諸国背平家同心源氏
しょこくへいけをそむきげんじにどうしん
入道相国は、かやうにいたく情なう
源義仲の出生と挙兵。「さる程に其ころ信濃国に、木曾冠者義仲といふ源氏ありときこえけり」
5-2 飛脚到来
ひきゃくとうらい
異:廻文 付 諸国背平家同心源氏
木曾といふ所は、信濃にとつても南の端
九州や四国の武士も源氏の味方になったと飛脚が来た。
6 入道死去
にゅうどうしきょ
異:廻文 付 諸国背平家同心源氏
その後四国の兵ども、皆河野四郎に従ひつく
「思ひおく事とては、伊豆国の流人、前兵衛佐頼朝が頸を見ざりつるこそやすからね」と言い残し、清盛死去。享年64歳。
6-2 異:入道死去 同じき二十三日、院の御所にて、俄かに公卿詮議あり
7 築島/築嶋
つきしま
異:経島/慈心坊
やがて葬送の夜、不思議の事あまたあり
清盛の挿話1。福原に経が島を作った。これはよいことだった。
7-2 慈心房
じしんぼう
古い人の申しけるは、清盛公は悪人とこそ思へども
清盛の挿話2。清盛は延暦寺の慈恵僧正の生まれ変わりだと閻魔が言った。
8 祇園女御
ぎおんにょうご
またある人の申しけるは、清盛は忠盛が子にはあらず
清盛の挿話3。本当は白河院とその愛人祇園女御の子だという説。
8-2 異:須俣合戦
すのまたかっせん
同じき閏二月二十日、五条大納言邦綱卿失せ給ひぬ
9 嗄声/喘涸声
しわがれごえ
異:横田河原合戦
さるほどに越後国の住人、城太郎助永
越後守城助長は義仲追討に出発しようとしたが、空からしわがれ声が聞こえて落馬し死んだ。
「俄に身すくみ心ほれて落馬してんげり。輿にかき乗せ館へ帰り、うちふす事三時ばかりして遂に死ににけり」
9-2 横田河原合戦
よこたがわらのかっせん
八月七日、官の庁にて大仁王会行はる
養和2年 (1182年) 信濃国の現川中島、横田河原の戦いで、義仲が助長の弟城長茂に勝利。

 ※概要はWikipedia#平家物語の内容から引用。