平家物語 巻第五 目次と概要

巻第四 平家物語
巻第五
巻第六

 
『平家物語』巻第五の目次と原文冒頭及び概要。一般的な覚一本系の章題に読み方を付し、リンクで原文各章に通じさせた。

 

→巻第五・通し全文

 

  章題
読み方
原文冒頭
概要※
1 都遷
みやこうつり
治承四年六月三日、福原へ御幸なるべしと聞こゆ
福原へ遷都。「治承四年六月三日、福原へ行幸あるべしとて、京中ひしめきあへり」
1-2 異:月見 上 何者のしわざにやありけん、旧き都の内裏の柱に、二首の歌をぞ書き付けける。
1-3 異:[新都沙汰] 同じき六月九日、新都の事初めあるべしとて、
2 月見
つきみ
異:月見 下
六月九日、新都の事始め、八月十日上棟、十一月十三日遷幸と定めらる。
徳大寺実定は帰京し、旧都の近衛河原で姉の多子(まさるこ。別称「二代の后」巻第一参照)と一晩月を見る。
3 物怪之沙汰
もつけのさた
異:物怪
都を福原へ遷されて後、平家の人々夢見も悪しう
福原の清盛の屋敷に物の怪が出る。
「ある夜入道のふし給へるところに、一間にはばかる程の物の面いできて、のぞき奉る」
4 早馬
はやうま
異:大庭早馬
おおばのはやうま
さるほどに、同じき九月二日、相模国の住人、大庭三郎景親
源頼朝謀反の連絡が早馬で来た。「去んぬる八月十七日、伊豆の国流人前兵衛佐頼朝、舅北条四郎時政を遣はして、伊豆国の目代、和泉判官兼隆を、やまきが館にて夜討ちに討ち給ひぬ」
ただし頼朝は石橋山の戦いで敗北。
4-2 異:朝敵揃 平家の人々、都遷りの事も、はや興冷めぬ。
5 朝敵揃
ちょうてきぞろえ
それ我が朝に朝敵の始めを尋ぬるに、昔、神武帝の御宇四年
日本の朝敵の歴史一覧。
5-2 異:鷺沙汰
さぎのさた
この世こそ王位もむげに軽けれ。
6 咸陽宮
かんようきゅう
また異国に先蹤をとぶらふに、燕の太子丹
荊軻が秦の始皇帝暗殺に失敗した挿話。
7 文覚荒行
もんがくのあらぎょう
然るにかの頼朝は、去んぬる平治元年十二月
頼朝に謀反をそそのかした文覚上人とは何者か? 以後4話は文覚について。
8 勧進帳
かんじんちょう
その後文覚は、高雄といふ山の奥に
文覚は神護寺の修繕を希望し、後白河法皇の前で勧進帳を読み上げた。
9 文覚被流
もんがく(が)ながされ
折節御前には、妙音院の太政大臣殿
文覚は後白河の怒りを買い、伊豆に流された。
10 福原院宣
ふくはらいんぜん
異:[伊豆院宣]
当国の住人、近藤四郎国高に仰せて、名古屋が奥にぞ住まひける
「いまは源平のなかに、わとの程将軍の相持ったる人はなし。はやはや謀反おこして、日本国したがへ給へ」
と頼朝をそそのかし、文覚は後白河法皇から平家討伐の院宣をもらってきた。
11 富士川
ふじがわ
異:[東国下向]
さるほどに、福原には公卿詮議あつて
富士川の戦い。平家軍の大将は重盛の長男維盛、副将は忠度(清盛の異母弟)。富士川をはさんで源氏軍と対峙したが、夜間戦わずに逃走。
「その夜の夜半ばかり、富士の沼に、いくらもむれゐたりける水鳥どもが、なににかおどろきたりけん。ただ一度にばっと立ちける羽音の、大風いかづちなんどの様にきこえければ、平家の兵ども、「すはや源氏の大勢の寄するは」」
12 五節之沙汰
ごせつのさた
異:五節 付 都還
同じき十一月八日、大将軍権亮少将維盛、福原へ帰り上り給ふ
頼朝は相模に帰り関東を固める。清盛は敵前逃亡に怒る。
13 都帰
みやこがえり
今度の都遷りをば、君も臣もなのめならず
清盛は福原から京へ都を戻した。
14 奈良炎上
ならえんじょう
都にはまた、「一年、高倉宮園城寺へ入御の時
平家は清盛の五男平重衡を大将に、興福寺と東大寺を焼いた(南都焼討)。
「楯をわり、たい松にして、在家に火をぞかけたりける。十二月廿八日の夜なりければ、風ははげし、ほもとは一つなりけれども、吹きまよふ風に、おほくの伽藍に吹きかけたり」

 ※概要はWikipedia#平家物語の内容から引用。