平家物語 巻第九 目次と概要

巻第八 平家物語
巻第九
巻第十

 
『平家物語』巻第九の目次と原文冒頭及び概要。一般的な覚一本系の章題に読み方を付し、リンクで原文各章に通じさせた。

 

→巻第九・通し全文

 

  章題
読み方
原文冒頭
概要※
1 生ずきの沙汰
いけずきのさた
異:生ずきするすみ・小朝拝・宇治川
寿永三年正月一日、院の御所は大膳大夫成忠が宿所、
「其ころ鎌倉殿にいけずき・する墨といふ名馬あり」(高野本)
寿永3年 (1184年) 頼朝梶原景季に名馬する墨佐々木高綱に名馬いけずきを与えた。
★生飡・ウススミ(延慶本)、池月・摺墨(長門本)、生唼・磨墨(盛衰記)
1-2 宇治川先陣
うじがわのせんじん
異:宇治川
寿永三年正月一日、院の御所は
宇治川の戦い。鎌倉軍は大手が源範頼、搦手は源義経。梶原と佐々木の先陣争い
「そのまに佐々木はつっとはせぬいて、河へざっとうちいれたる(中略)。いけずきといふ世一の馬には乗ったりけり、宇治河はやしといへども、一文字にざっとわたいて、むかへの岸にうちあがる」
2 河原合戦
かわらかっせん
戦敗れにければ、飛脚をもつて鎌倉殿へ
六条河原の戦い。義仲主従は京を落ちるときには7騎。その中に女武者、巴御前もいた。
「去年信濃を出でしには五万余騎ときこえしに、今日四の宮河原を過ぐるには、主従七騎になりにけり」
3 木曾最期
きそのさいご
木曾は信濃より、巴、山吹とて二人の美女を具せられたり。
「おのれは、とうとう、女なれば、いづちへも行け」と義仲は巴と別れた。粟津の戦い。義仲と今井兼平の最期。
4 樋口被討罰
ひぐちのちゅうばっせられ
ひぐちのきられ
異:樋口誅
ひぐちのきられ
今井が兄の樋口次郎兼光は
今井の兄樋口兼光は討ち死にをやめて降伏したが斬首。平家は一ノ谷(福原)を回復。
5 六ヶ度軍
ろくかどのいくさ
異:六箇度合戦
ろくかどのかっせん
さるほどに平家一の谷へ渡り給ひて後は
中納言教盛(忠盛の四男)の次男、能登守平教経は、瀬戸内の海上戦で6度勝利。
6 三草勢揃
みくさせいぞろえ
異:勢揃
同じき正月二十九日、範頼、義経院参して
大手が源範頼、搦手が義経で、一ノ谷の戦いに出発。
6-2 三草合戦
みくさかっせん
異:勢揃
平家の方の大将軍には
三草山の戦いで義経は夜襲。
7 老馬
ろうば
大臣殿より、安芸右馬助能行を使者で
一ノ谷の裏山を、土地の者は、鹿なら通るという。
「鹿の通はんずる所を、馬の通らざるべきやうやある」と義経は案内させた。
8 一二之懸/一二懸
いちにのかけ
六日の夜半ばかりまでは、熊谷、平山からめ手にぞ
熊谷直実平山季重は、搦手からさらに西の播磨路へ回り、先陣争い。
9 二度之懸
にどのかけ
さるほどに、成田五郎も出で来たり
範頼が攻める大手(生田口)では、梶原景時は子の景季を求めて敵軍中を捜索し、救出した。
10 坂落
さかおとし
異:逆落
これを始めて、秩父、足利、三浦、鎌倉
搦手の鵯越から義経の三千余騎(『吾妻鏡』によれば70騎)が逆落しで参戦。
それより下を見くだせば、大盤石の苔むしたるが、つるべおとしに十四五丈ぞくだったる。兵どもうしろへとってかへすべきやうもなし、又さきへおとすべしとも見えず。「ここぞ最後」と申してあきれてひかへたるところに、佐原十郎義連すすみいでて申しける
 平家は混乱し逃走。
10-2 越中前司最期
えっちゅうのぜんじさいご
異:坂落・盛俊最期
さるほどに大手にも浜の手にも
越中前司平盛俊猪俣範綱を殺そうとしたが、猪俣は降参した者の首をとってよいのかと命乞い。それで助けたら逆に殺された。
猪俣、「まさなや、降人の頸かく様や候」。越中前司「さらばたすけん」
11 忠度最期/忠教最期
ただのりさいご
異:薩摩守最期
さつまのかみさいご
薩摩守忠度は、一の谷西の手の大将軍にて
薩摩守忠度は清盛の弟(忠盛の六男)。殺されたとき、箙には辞世の歌が結ばれていた。
「敵もみかたも是を聞いて、「あないとほし、武芸にも歌道にも達者にておはしつる人を。あったら大将軍を」とて、涙をながし袖をぬらさぬはなかりけり」
11-2 重衡生捕
しげひらいけどり
異:薩摩守最期
本三位中将重衡卿は、生田の森の副将軍にて
清盛の五男、三位中将重衡の馬が矢にやられた。換えの馬に乗る部下後藤盛長は、馬を渡さずに逃げた。重衡は生捕。
12 敦盛最期
あつもり(の)さいご
一の谷の戦破れにしかば
平敦盛は清盛の弟経盛(忠盛の三男)の末子。
「さては、汝にあうては名乗るまいぞ。 汝がためにはよい敵ぞ。名乗らずとも首を取って人に問へ。見知らうずるぞ」と言い残して熊谷次郎直実に殺された。
13 知章最期
ともあきらさいご
異:武蔵守最期・浜軍
さつまのかみのさいご・はまいくさ
門脇殿の末の子、蔵人大夫業盛は
平知章は清盛の三男中納言知盛の子。父知盛と戦おうとする相手を殺したが、その部下に殺された。逃げた知盛は嘆く。
「いかなる親なれば、子の討たるるを助けずして、これまでは逃れ参って候ふやらん。」
13-2 落足
おちあし
異:武蔵守最期
小松殿の末の子、備中守師盛
重盛の五男平師盛も舟が転覆して殺された。教盛(忠盛の四男)の長男平通盛も取り囲まれて殺された。平家は船で一ノ谷を出る。
14 小宰相身投
こざいしょうみなげ
異:小宰相
越前三位通盛卿の侍に、君太滝口時算といふ者あり
通盛の妻小宰相が身投。「泣く泣くはるかにかきくどき、「南無」ととなふる声共に、海にぞ沈み給ひける」

 ※概要はWikipedia#平家物語の内容から引用。