奥の細道 概要

    その他の古典
奥の細道
題名論

 
 松尾芭蕉『奥の細道(おくのほそ道)』(1702年)の概要。芭蕉翁が弟子の曽良を伴った、歴代古典の名所を巡る俳諧(俳句の)紀行文。江戸隅田川を起点に日光~仙台松島~奥州平泉~越後~福井~大垣を終点とし、直後伊勢に出発して終わる。

 

目次
題名論:おくのほそ道か奥の細道か
→真名が本名。仮名は仮題(=滑稽=俳諧の心)
→つれづれと徒然同様の構図。
→他作品にこのような仮名真名の二重性はない。
「はかなげなるも、おくのほそ道」(跋文)
「はるかなる苔の細道」(徒然草11段・神無月)
俳句一覧:66首。代表句
夏草や つはものどもが 夢の跡(平泉)
五月雨の 降り残してや 光堂 (平泉)
閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声(立石寺)
五月雨を あつめて早し 最上川(最上川)
原文全文対照:要所での対の配置と数。
・月日は百代の過客にして(先頭)
・三代の栄耀一睡のうちにして(平泉)

 

松尾芭蕉のイラスト

前半目次 
  章題(参考)
/句数
冒頭
1 門出 月日は百代の過客にして
2 草加 ことし元禄二年にや
3 室の八島 室の八島に詣す〈木の花咲耶姫・曾良〉
4 日光 三十日、日光山の麓に〈曾良の説明〉
5 那須野 那須の黒羽といふ所に〈小姫かさね〉
6 黒羽 黒羽の館代浄坊寺某〈与一の八幡宮〉
7 雲巌寺2+1 当国雲巌寺の奥に
8 殺生石・
遊行柳
これより殺生石に行く
9 白河の関 心もとなき日数重ぬるままに〈清輔〉
10 須賀川 とかくして越え行くままに〈行基〉
11 信夫の里 等窮が宅を出でて〈しのぶもぢ摺り
12 飯塚の里 月の輪の渡しを越えて〈義経・弁慶〉
13 笠島 鐙摺、白石の城を過ぎ〈実方の塚〉
14 武隈の松 岩沼に宿る〈能因法師〉
15 仙台・
宮城野
名取川を〈画工加衛門・奥の細道
16 壺の碑 壺の碑、市川村多賀城に〈聖武皇帝〉
17 末の松山 それより野田〈つなでかなしも・平家
18 塩竃 早朝、塩竃の明神に詣づ
19 松島 そもそも〈ちはやぶる神・造化の天工〉
20 瑞巌寺 十一日、瑞巌寺に詣づ〈真壁の平四郎〉
21 石巻 十二日、十二日、平泉と志し、姉歯の松
22 平泉 三代の栄耀一睡〈国破れて山河あり
夏草や兵どもが夢の跡
五月雨の降り残してや光堂
後半目次 
  章題(参考)
/句数
冒頭
23 尿前の関 南部道遙かに見やりて〈鳴子の湯〉
24 尾花沢 尾花沢にて清風といふ者〈清風〉
25 立石寺 山形領に立石寺といふ山寺あり
閑かさや岩にしみ入る蝉の声
26 最上川 最上川乗らんと
五月雨をあつめて早し最上川
27 出羽三山 六月三日、羽黒山に登る〈風土記・行尊〉
28 酒田 羽黒を立ちて、鶴が岡の城下
29 象潟 江山水陸の風光〈西行・神功后
30 越後路 酒田のなごり日を重ねて〈天の河〉
31 市振 今日は親知らず〈遊女・伊勢参宮〉
32 越中路 黒部四十八が瀬とかや
33 金沢 卯の花山、くりからが谷を〈何処・一笑〉
34 多太神社 この所多太の神社に詣づ〈実盛・義仲〉
35 山中 山中の温泉〈花山の法皇・那谷・久米之助〉
36 別離 曾良は腹を病みて伊勢の国長島といふ所に
37 全昌寺 大聖寺の城外、全昌寺といふ寺に泊る
38 汐越の松 越前の境、吉崎の入江を〈西行
39 天龍寺・
永平寺
丸岡天龍寺の長老〈北枝・道元〉
40 福井 福井は三里ばかりなれば〈夕顔・帚木
41 敦賀 やうやう白根が岳隠れて〈仲哀天皇
42 種の浜 十六日、空晴れたれば〈ますほの小貝〉
43 大垣 露通もこの港まで出で迎ひて〈伊勢の遷宮〉
44 からびたるも、艶なるも〈おくのほそ道

 


 俳諧とは、和歌の俳諧歌に由来した俳句本来の名称で、俳句及び俳句的文章。俳諧歌とは面白おかしい滑稽な和歌、戯言歌。つまり俳諧は、普通の表面的文章ではなく掛詞的多義性・をかしみ(自虐的謎掛け→ほのかな哀愁=滑稽+侘び寂び軽み)を有する。つまり俳句の特徴・侘び寂び(芭蕉の貧乏旅)は、市民権を得るための派生概念で、出自は滑稽にある(世間から見れば良い歳して何をやっているのか、しかも同伴は男。男一人はまだしも男二人旅はなお怪しい。怪しいはおかしいという意味)。1702年は江戸時代中期初頭・徳川綱吉将軍時代。鎌倉時代の平家物語、徒然草から400年ほど経っている。

 

 本作には芭蕉を代表する句「夏草やつはものどもが夢の跡」(平泉)「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」(立石寺)「五月雨をあつめて早し最上川」(最上川)が収録されている。これらは芭蕉を代表する「古池や蛙飛びこむ水の音」と並ぶ句で、いずれも芭蕉の自然体の歌風(俳風)象徴するが、逆に言えば、そうした見たまんまで通じる句以外の、微妙な滑稽の解釈は全く読み落とされ、滑稽な解釈であふれているので、その山積した問題点をここで明らかにする。一例として芭蕉門出の別れの「行く春や鳥啼き魚の目は涙」。これを通説は魚の目のように涙で潤んだとか、別離の悲しみを鳥と魚で比喩したと見れば十分とする。しかしこれは舟を降りて歩いて行く時の句で、鳥の鳴きを人の泣きと掛けているのだから、魚の目も人の魚の目(足の裏のイボ)に掛け、これは魚の目(足の痛み)の涙かな?と解く滑稽な描写でしかありえない。センスが命の世界。実力者が重んじてきたのは肩書ではなくむしろ肩書がない歴代実力者(貫之仮名序)。実力者とは、ひたすら覚えて受け売りで思い込む人ではなく、それらを踏まえ流されない自分(真っ当な独自性)があって、自分が新たなスタンダードになる人。